11月 252013
 

フォーラムから“2ちゃんねるの哲学板”を転載します。


投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年11月25日(月) 19:22.

グーグルで「永井俊哉」を検索すると、“【最強の男】 永井俊哉 Part1 【リバタリアン】”というページが上位に掲載されていた。何なのかと思ってクリックしてみたら、2ちゃんねるの哲学板に立てられたスレッドだった。

image

【最強の男】 永井俊哉 Part1 【リバタリアン】 (media) 2ちゃんねる (author) 考える名無し さんが書きました:

1 :考える名無しさん:2013/09/30(月) 09:17:40.37 0
システム論アーカイブ
http://www.systemicsarchive.com/ja/

システム論フォーラム
http://www.systemicsforum.com/ja/

2 :考える名無しさん:2013/09/30(月) 09:24:49.03 0
嘗てコメント欄にて永井に挑みかかった者が多数いたが
永井俊哉を論破した者は誰一人としていない

故にスレタイにて「最強」とさせてもらった

3 :考える名無しさん:2013/09/30(月) 09:32:22.76 0
永井の論考する学問は多岐にわたる

哲学・数学・言語学
物理学・化学・地学
生物学・生理学・人類学
心理学・精神分析学・教育学
民俗学・宗教学・芸術学
社会学・社会史学
経済学・経済史学
政治学・政治史学
倫理学・法学・思想史学
政策提言・時事評論

>>2(※)現状最強でも今後も最強とは限らない
はたして論破できる人は出てくるのであろうか?

4 :考える名無しさん:2013/09/30(月) 09:41:21.23 0
哲学に興味持ち始めた頃この人のブログにお世話になってたわ
かなり薄く広くだけど知識すごいよね。

5 :考える名無しさん:2013/10/01(火) 14:06:50.14 I
確かにすごい
ああいう問題の切り込み方ができたらいいんだけどなぁ

6 :考える名無しさん:2013/10/10(木) 18:47:40.60 0
頭の良い人の考える事はよくわからん
凡人とは視点が違いすぎる
ゆえにコメント欄で一般人とチグハグな論になるんだろうな
まあ一般人の最低限の知識が追いついてないこともあるのだろうがな

7 :考える名無しさん:2013/11/18(月) 17:59:12.30 0
ここまで全て自演

>>1から>>4の流れなんか特に酷い

胡散臭え野郎だ

誰が立てたスレッドか知らないが(もちろん私ではない)、このスレッドのタイトルにある「最強の男」には違和感を覚える。まるで格闘家みたいだ。「現状最強でも今後も最強とは限らない」「はたして論破できる人は出てくるのであろうか?」などとあるが、私がコメント欄をオープンにしているのは、ボクシングのチャンピオンが挑戦者にタイトルマッチを呼びかけるような意図によるものではない。学問的議論はどうあるべきかに関する私の見解は既に述べたので、それを再掲しよう。

日本の大学は英語で授業を行うべきか (date) 2013年8月02日 (author) 永井俊哉 さんが書きました:

議論は、しばしば論争とか論戦と呼ばれることもありますが、しかし、それは戦争やスポーツのように、勝ち負けを決めることが目的ではありません。議論において重要なことは、議論を通じて双方が認識を深めることです。戦争やスポーツにおいては、勝った側が喜び、負けた側は悔しがります。しかし、学問的議論においては、勝負がついたとしても、勝った側が喜び、負けた側が悔しがる理由はありません。それどころか、むしろ負けた側の方が、勝った方よりも多くのものを得るのだから、真の勝者だとすら言えます。勝った側は自分の正しさを再確認しただけであるのに対して、負けた側は、自分の間違いを修正することによって、知的進歩を遂げることができるのですから。

私が同調的な意見よりも批判的な意見を歓迎するのはそういう理由によります。但し、私が歓迎しているのは、学問的批判であって、感情的な非難ではありません。学問的議論が互恵的であるのに対して、感情的な喧嘩は、戦争と同じで、お互いを傷付けるだけで、マイナスサム・ゲームですから、学問的議論が感情的な喧嘩に変質する時には、私は議論を打ち切ることにしています。

「最強の男」である根拠として、「嘗てコメント欄にて永井に挑みかかった者が多数いたが、永井俊哉を論破した者は誰一人としていない」と書かれているが、何をもって論破とみなしているのだろうか。過去のコメント欄の記録を見ればわかる通り、私が議論した読者の中で「自分が間違っていました」と言って議論を終了する人はあまりいない。たいていの場合、議論が平行線を辿ったまま終了になる。それを読んだ第三者の中には「永井が論破したから議論が終了になった」と思う人もいるかもしれないが、それはあくまでもその人の判断である。私自身は、自分が間違っている可能性に対して謙虚でありたいと思っている。

スレッドのタイトルに併記してあるもう一つのメルクマール、「リバタリアン」は、政治思想的な立場を表す用語であって、私の哲学の本質を表す言葉ではない。哲学はより根本的な原理を求める学問であって、哲学板なら、なぜリバタリアンなのかとその源泉をさらに探るべきである。私の哲学の研究テーマは、システム論である。そして私のシステム論における最も根本的な原理は、「システムは、その存在を維持するためには、自らの増大するエントロピーを縮減しなければならないが、そのためには、環境においてより多くのエントロピーを増大させなければならない」というエントロピーの法則である。リバタリアニズムはこの法則から帰結する副次的な原理にすぎない。

リバタリアニズムは、人々にできる限り多くの自由を認めるという政治思想的な立場である。生産活動の自由を認めれば、供給の多様性が増大する。この増大した多様性は、消費者によるこれまた多様な選択によって、縮減される。エントロピーを縮減させる供給の多様性を増大させつつ、その多様性を縮減する消費者の選択の多様性を増大することで、環境適応と変化適応という二律背反的な課題を両立させた、システムの生存戦略の最適化が可能となる。所謂リバタリアニズムの中には、自由を自己目的化する無政府主義的な極端な立場もあるが、私はそのような本末転倒の立場は採らない。リバタリアニズムは、それがシステムの生存力の向上に貢献するがゆえに正当化されるのであって、そうでないなら、その自由は制限されるべきだということになる。

私が最初に提示した、学問的議論に関する私の見解もエントロピーの法則から導出される。「私自身は、自分が間違っている可能性に対して謙虚でありたいと思っている」と書いたのは謙遜のためではない。哲学者は、自分の信念を含めてあらゆるものを疑わなければならない。あらゆるものを疑い、新たな可能性を探れば、理論的な多様性が無際限に増大する。そして、その増大した可能性を縮減することで、誰も思いつかなかったような新しい仮説を立てることができようになる。コメントをオープンにして、私とは異なるアプローチを求めているのも同じ理由による。議論を重ねても同じ結論にたどり着けないということが大半だし、第三者から見て「チグハグな論」と思われることも少なくないかもしれないが、それでも自分とは異質の視点を持った人と対話を行うことは、有意義だと思っている。

私のようなマイナーな哲学者をテーマにしたスレッドで Part2 ができるとは思わないが、もしも次にスレッドを立てる人がいたなら、「【システム論】 永井俊哉 Part2 【エントロピーの法則】」といったように、もっと本質的なタイトルで立ててくださるようお願いしたい。いずれにせよ、私は2ちゃんねるには書き込まないので、返事を求める人は、こちらのフォーラムに書き込んでもらいたい。

雑学エッセイ

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2014年1月10日(金) 11:06.

今日見たら、少しスレッドが伸びていた。

【最強の男】 永井俊哉 Part1 【リバタリアン】 (media) 2ちゃんねる (author) 考える名無し さんが書きました:

8 :考える名無しさん:2013/11/25(月) 20:29:56.68 0
晒されてますよ
http://www.systemicsforum.com/ja/viewtopic.php?f=18&t=147

9 :考える名無しさん:2013/11/27(水) 18:17:13.01 0
哲学板でいうことじゃないけど雑学エッセイ書いてほしいなぁ
縦横無尽の知的冒険面白かったし

縦横無尽の知的冒険』は、たしかに当時ブームとなっていた『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』に便乗した雑学エッセイで、学術版トリビアといった感じなのですが、私としてはそれで著作活動を終わらせるつもりはなく、あくまでも体系的な理論を構築する途上での断片的な中間報告という位置付であります。『トリビアの泉』がそうであるように、雑学の役割は、新しい事実を読者に提供することですが、私としてはむしろ既知の事実に対する新しい見方を提供することを目指しています。

神の存在しないシステム論

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2014年5月06日(火) 12:14.

今日のぞいてみたら、2月14日に三つの投稿があったことに気が付きました。遅まきながら、コメントしておきましょう。

【最強の男】 永井俊哉 Part1 【リバタリアン】 (media) 2ちゃんねる (author) 考える名無し さんが書きました:

10 :考える名無しさん:2014/02/14(金) 06:07:47.73 0
[投稿者:takuamu]この人は
由らしむべし知らしむべからず的な考えに基づいて
投稿しているから行政官僚なのかもしれない

ああいう知識ある層でも下品な言葉を使うということを知って
落胆したのだが知識がある故に他者を見下しているのかもしれない
それに行政官僚ならシステム構築するだけなので純粋さは関係ないか
まさに「由らしむべし知らしむべからず」だな

これは以下の takuamu さんの発言に関するコメントのようです。

社会福祉は必要か – コメント (date) 2004年4月1日 (media) システム論アーカイブ試論編 (author) takuamu さんが書きました:

私が重視したいのはいわゆるバカの壁に象徴されるように、国民ないしは一般大衆が必ずしも全員賢明なわけではなく、また同様に理性的に行動するわけではないという経済モデルの構築などにありがちな前提の落とし穴について言及したかったのですが、ややこれは運用面での実務的な話に過ぎたようです。

むしろ論考を再読して、国家がなすべきこととは何か?という深遠なる問いに対して、社会保険事業も決して聖域であるわけではないというテーゼなのであると理解しました。当然ご承知のように、いわゆる警察業務もまた民間にアウトソーシングできる部分があるでしょう。「19世紀のアメリカの警察は、街路に落ちている馬糞を拾う一方で犯罪捜査は民間に任せていた」(警察のことがよく分かる事典 日本実業出版社 P40)論考のタイトルを見る限りではこれまで警察業務を取り扱っていないようにも見受けられますが、いつか警察業務のアウトソーシングについても言及していただけたらと思います。

takuamu さんは「バカの壁」という言葉を誤解しているようです。「バカの壁」はキャリア官僚のような知的エリートにも存在しており、すべての人に「バカの壁」があり、“「話せばわかる」なんて大うそ”だからこそ、全体主義的な統制経済ではなくて、個人分権的な市場経済が必要なのです。もちろん、私がこう主張しても、まさに「バカの壁」のおかげで統制主義者を説得させることができないので、多数決による民主主義という政治版市場原理が必要になります。なお、警察業務のアウトソーシングの話は、市場原理至上主義の限界を悟らせようとして出しているのでしょうが、「公務員人件費の見直し」で既に取り上げたとおり、できないことではありません。

【最強の男】 永井俊哉 Part1 【リバタリアン】 (media) 2ちゃんねる (author) 考える名無し さんが書きました:

11 :考える名無しさん:2014/02/14(金) 06:50:34.49 0
>>8
どんな目的があったのかは知らないが
「永井俊哉」とグーグルで検索したらしい

>それがシステムの生存力の向上に貢献するがゆえに正当化されるのであって、
>そうでないなら、その自由は制限されるべきだということになる。

その考えが急進的だから永井から棘を感じるのだろうな
いじめに関しても基本的に「行動」で片付けていて
擁護しようとする気なんて全くないよな

「各サイトのタイトルに明記してある通り、システム論である」
まあ神(システムを構築する者)に道徳なんて必要ないよな

もしも当事者同士の話し合いでいじめが解決するなら、それは最もコストのかからない理想的な解決策と言えます。しかし、それが無理な時は、学校を変えるというのが抜本的な方法です。少なくとも、自殺するよりかはその方がましでしょう。学校に限らず、問題が起きたなら、まずは話し合いで解決することを目指し、それができない時に「足による投票」という「行動」が必要になるのです。

なお、私のシステム論には、システムを構築する神は存在しません。たぶんこの投稿者は takuamu さんの意見と私の考えを混同しているのでしょう。もしも神がシステムを構築してくれるなら、その神にすべて任せればよい。無謬主義に基づく官僚支配の社会は、そういう理念に基づいています。しかし、官僚は神ではないし、頻繁に間違いを起こします。神は存在せず、不完全な認識能力しか持たない人間がシステムを運営するがゆえに、そのリスクを最小限にする市場原理が必要になるというのが私の社会システム論の基本的な主張なのです。

【最強の男】 永井俊哉 Part1 【リバタリアン】 (media) 2ちゃんねる (author) 考える名無し さんが書きました:

12 :考える名無しさん:2014/02/14(金) 06:57:50.01 0
行政官僚にしても庶民(愚民)は欠陥ロボットという認識なのだろう
だから自分達(神)がその欠陥ロボットを生み
出さないようにすべくシステムを再構築するのだろう

自分は神には従う気は全くないのだが
サイトやコメントを読んでいると振り回されてしまう
自分はどちらかと言うと振り回されるより
振り回すほうが好きなのだけど
自分の人生を歩めればどんなにいいことか・・・・・
そすれば余計なことに感ける必要はないのに

市場原理が機能している社会は、神も完全な奴隷も存在しない社会です。すべての選択する者は選択される存在でもあり、振り回す存在であると同時に振り回される存在でもあります。

このページをフォローする
私が書いた本

  One Response

  1. レッツゴー3匹のじゅんでーーす

 返信する

以下のHTML タグと属性が利用できます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

/* ]]> */