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日露戦争は必要だったのか

2013年10月30日

太平洋戦争に敗北して以来、多くの日本人は、自分たちがどこで道を誤ったのかを自省するようになった。過去に遡るほど抜本的な軌道修正が可能なのだが、話を明治時代以降に限定するなら、日露戦争の回避が最もよかったのではないだろうか。実際、それまで良好であった日米関係が悪化し始めたのは、日露戦争後のことなのだから。[1]

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連合艦隊旗艦三笠艦橋で指揮を執る東郷平八郎大将(部分)[2]。日露戦争の勝敗を決したのは日本海海戦だったが、実際には薄氷の勝利だった。

1. 問題提起

投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年10月30日(水) 17:38.

太平洋戦争に敗北して以来、多くの日本人は、自分たちがどこで道を誤ったのかを自省するようになった。ルーズベルト大統領は、仏印進駐で対日開戦を決断したのだから、太平洋戦争を回避しようとするなら、少なくともそれよりも前の時代に遡らなければならない。過去に遡るほど抜本的な軌道修正が可能なのだが、話を明治時代以降に限定するなら、日露戦争の回避が最もよかったのではないだろうか。実際、それまで良好であった日米関係が悪化し始めたのは、日露戦争後のことなのだから。

日露戦争の結果、日本は朝鮮半島の権益を独占し、日韓併合を行った。そして、朝鮮半島での権益を守るために、後背地である満州を支配しなければならなくなり、満州を支配するために、その地を領有していた中国と戦わなければならなくなり、中国と戦うために、英国や米国といった援蒋諸国と戦わなければならなくなった。日韓併合は日本にとって不幸の始まりであり、それゆえ、朝鮮半島の権益確保のために戦った日露戦争は不必要な戦争であった。日本は周囲を海に囲まれた天然の要害であり、大陸や半島に領土を持って争いに巻き込まれるよりも、島に籠って専守防衛に徹するのが一番安全である。

多くの日本人は、日露戦争を自衛のための戦争と思っていたし、今でもそう思っているのだが、本当にそうだろうか。当時のロシアのやり方は、たしかに強引であった。ロシアは、三国干渉によって、下関条約で日本に割譲される予定だった遼東半島を清に返還させ、遼東半島の旅順・大連を租借し、旅順に太平洋艦隊の基地を造るなど南下政策を進めていた。義和団の乱が起きると、これを鎮圧する名目で満洲へ侵攻し、全土を占領し、その後撤退しないまま支配を強化しようとした。日本は、こうしたロシアの南下が自国の権益と衝突する、それどころか自国の独立すら危うくすると危機感を募らせ、1903年8月から日露交渉を始めた。

日露交渉で、日本は、朝鮮半島を日本、満洲をロシアの支配下に置く満韓交換論をロシアへ提案したが、これに対してロシアは、朝鮮半島の北緯39度(平壌近辺)以北を中立地帯とし、軍事目的での利用を禁ずるという提案を行った。日本は、この提案では、朝鮮半島がいずれロシアの支配下となり、日本の独立も危うくなると判断し、1904年2月6日にロシアに対して国交断絶通知し、日露戦争を開始した。ところが、当時のロシア皇帝、ニコライ二世は戦争を望んでおらず、交渉が進まないことに業を煮やし、1月27日にアレクセーエフ極東総督に対して、朝鮮半島全域を日本の支配にまかせるように電報を打ち、29日にはそのメッセージを即刻日本政府に通告するようにと再度アレクセーエフに電報を送った。ところが、アレクセーエフが日本政府にそれを通告したのは国交断絶後の2月7日で、時既に遅しであった。

要するに、もしも極東総督が皇帝の命令に従っていたなら、あるいはもう少し日本が交渉を粘れば、満韓交換は成立したということである。しかし、当時日本がロシアと交換するべきだったのは、満州と朝鮮半島ではなくて、朝鮮半島と樺太であったと私は考えている。日本は、1875年にロシアと樺太・千島交換条約を締結したが、朝鮮・樺太交換条約を提案すれば、ロシアは受け入れた可能性が高い。不凍港を求めて南下しようとしていたロシアにとって、樺太よりも朝鮮半島の方がはるかに価値があった。また、樺太は、もともと日露混住の地であったので、日本が領有を求めることは不当ではない。大韓帝国は、緩衝国として残しておいた方がよかったという意見の人もいるかもしれないが、日露間では海が緩衝地帯として機能しているので、緩衝国は不要である。

では、朝鮮・樺太交換条約が締結され、1904年の時点での日露戦争が回避されていたとするなら、その後の歴史はどうなっていただろうか。実際の歴史と比較しながら、考えてみよう。ニコライ二世が、1904年の時点で戦争を望まなかったのは、当時はまだシベリア鉄道が全線開通していなかったからである。満州に加え、朝鮮半島を支配下に置いたロシアは、シベリア鉄道を朝鮮半島にまで延長させ、釜山に軍港を開き、その結果、ロシア艦隊は日本の近海さらには太平洋にまで出没するようになったであろう。ロシアは、準備を整えてから日本に宣戦布告したかもしれない。これは日本にとって大きな安全保障上の脅威である。しかし、逆説的に思えるかもしれないが、日本がロシアから侵略される危機に晒されていた方が、かえって日本にとっては安全であった。

実際の歴史において、日本はロシアに勝利し、極東におけるロシアの脅威は大幅に後退した。その結果、英国と米国にとって、極東における最大の脅威は日本となり、それが太平洋戦争の遠因となった。当時の覇権国の英国と次期覇権国の米国は、第三国がアジア太平洋地域の権益を独占することを阻止するという点で方針が一貫しており、もしもロシア極東最大の脅威のまま日本を支配しようと戦争を仕掛けてきたなら、それはアジア太平洋地域における軍事バランスを大きく変えることになるので、ちょうど英米が日中戦争において中国を支援したように、日本を支援せざるを得ない。英米が支援に回るなら、日本はロシアの軍事侵入を防ぐことは十分可能である。

日露戦争の日本側の戦死者は八万八千人以上で、戦費は当時の国家予算の六年分以上となったが、ロシアから賠償金は得られず、日本は大きな債務を負うことになった。その後はさらに日韓併合に伴う同化政策のため、満州経営のため、日中戦争、太平洋戦争遂行のため、巨額の支出を行うことになったが、こうした外地と戦争への投資は、太平洋戦争の敗北により無に帰した。もしも日露戦争を回避し、これらの金と労力を国内に振り向けていたなら、日本はその後もっと豊かな国になっていただろうし、いまだにしつこく謝罪と賠償を求めて反日活動をする半島や大陸の人々とも無縁でいられただろう。それでいて日本の領土は、樺太、千島列島、台湾、南洋諸島を含むより広大なものとなっており、現在よりもより多くの海底資源を自国の排他的経済水域内に持つことになっていただろう。日本の国益という観点から判断するなら、日露戦争は回避するべき戦争であったというのが私の結論である。

日露戦争必要論への反論
投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年10月31日(木) 17:27.

いわゆる司馬史観の影響からなのか、日本では、日露戦争を自衛のための戦争として正当化し、日露戦争に踏み切らなければ、日本の独立はなかったと主張する人が多い。例えば、ヤフーの知恵袋には、「日露戦争は日本の防衛のためには必要だったのでしょうか」という質問に対するベストアンサーとして以下のような投書が選ばれているので、これを論評しよう。

必要性の有無から言えば、必要でした。

一番の理由はロシアの傲慢かつ不誠実な外交方針にありました。別の方の回答にあるように、満蒙交換論は成り立っていたのに、それを定めた西・ローゼン協定をロシア側が反故にして、龍岩浦に進出して軍事基地を作る、龍岩浦事件を起こしたのです。[3]

「満蒙交換論」は、満韓交換論の間違いであろう。ロシアは、西・ローゼン協定を無視するなど、朝鮮半島への進出を企てていたのは事実である。日露交渉においても、日露が共同で大韓帝国を保護国化するという提案を行ったこともある。そして、ロシアが朝鮮半島に領土的野心を持っていたからこそ、私は、朝鮮・樺太交換条約をロシアに提案するべきだったと考えている。

これは、明らかな協定違反であり、他国への侵略行動です。ところが、ロシアは日本が戦争に打って出ることはないと侮り、しかも、この外交問題を現地の総督と交渉するようにと外交儀礼を無視したことを、日本に言い渡しました。[3]

ロシア皇帝はアレクセーエフ極東総督に全権委任していたから、これは当然であり、外交儀礼に反してはいない。もっともアレクセーエフのような男を極東総督に選んだのは、ロシアにとって不幸なことであった。

これに対してイギリス政府は、日本政府の見解に同意、ロシアの同盟国だったフランスは、フランスとは何の国益にもならない日露間の戦争が起こると驚愕してやめさせようとしています。[3]

日英同盟により、締結国が二国以上との交戦となった場合には同盟国は締結国側に立って参戦することが義務付られていたので、フランスが参戦すると、英国との戦争になるから、フランスとしては中立の立場をとらざるを得なかったというのが実情である。

諸外国が一方の国の不誠実や不法を認定したというのは、当事国にとって優位なのですが、これには当時では今よりもずっと切実な問題があったのです。即ち、このような外交での不法行為に対して理非を明らかにした以上は、当事国自らが是正することがなければ、その国は全うな独立国家とは見なされない、という武断的な認識が強かったことでした。[3]

不法行為が起きるたびに戦争していたのではきりがない。不法行為が起きた時にはまずは外交交渉で解決するのが筋であり、戦争は外交交渉が失敗した時の最後の手段であるというのは今も昔も変わらない。

日露戦争直前に日本は韓国を保護国化したのはこれが最大の理由です。龍岩浦事件について、韓国は自国領土を侵略されながら、それを黙認しました。これによって韓国は「自らの国と民を守る気概と能力がない国」であると、日本を始めとする列国は認識したのです。そして、これは、日本にも同じことが言えました。同盟国イギリスにロシアの不法行為を訴えてその認定を受けている以上、外交当事国として日本は大義名分を得たと同時に、これに対して是正するための必要性が生じたのです。もし、日本がここで腰砕けになったらイギリスは間違いなく、日英同盟を破棄したでしょうし、英政府高官も、日本との交渉でそう発言しています。[3]

日英同盟は日露戦争を想定して締結された条約なので、日英同盟を根拠に日露戦争を正当化するのは、論点先取になる。ロシアに圧力をかけるためにも日英同盟は必要であったが、もしも日本が朝鮮・樺太交換条約を提案するのであれば、その内容は少し変えなければならない。すなわち、日英同盟では、「清國又ハ韓國ニ於テ兩締約國孰レカ其ノ臣民ノ生命及財産ヲ保護スル爲メ干涉ヲ要スヘキ騷動ノ發生ニ因リテ侵迫セラレタル場合ニハ兩締約國孰レモ該利益ヲ擁護スル爲メ必要缺クヘカラサル措置ヲ執リ得ヘキコトヲ承認ス」というように、韓国を条約発動の対象に加えていたが、ここから韓国は除外するべきであるということになる。

また実際的な安全保障の問題もありました。ロシアの狙いは朝鮮の領土化というよりも、不凍港の確保でした。朝鮮半島を領土化すれば、ロシアは日本海の制海権を自由に出来ます。日本を攻撃といっても、いきなり大軍を動員しての敵前上陸なんて漫画チックなことを誰も想像してません。クロパトキンは日本を訪問した際、そういった主旨の脅し文句を使いましたけどね。

ともあれ、次に危うくなるのは対馬と壱岐です。ここを確保することができれば、ロシアは完全に日本海の制海権をものにすることができるのです。日露戦争の最中、ウラジオストクのわずかな敵艦隊による通商破壊作戦によって、日本は経済的にも軍事的にも少なからぬ損失を受けたことを軽んじてはいけません。もし、朝鮮半島全域が支配されて、ロシア海軍の行動がより自由になった場合に、そのようなことをされたら日本はどうなったでしょうか?壱岐・対馬を維持できたでしょうか?そして、この両島がロシアの勢力化に置かれた場合は、確実に九州沿岸から本州から北海道にかけての日本海側は脅威にさらされます。

この日露戦争開始時点でさえ、物量から言えば、ロシアは大陸軍国である一方で、世界第二の海軍国だったのです。しかも、艦隊は広大な領土に分散されてはいましたが、不凍港を確保できたとなれば、イギリスへの対抗上からもアジアにより比重が大きくなったでしょう。そうなった場合、イギリスは日本を見捨ててロシアとの妥協を模索するしかありません。つまり、日本が満州と朝鮮を境にして自国の権益を守ろうとしたように、自国の運命を自らが決する力がない日本と自らが保有する中国からアジアにかけての権益を境にするしかなくなってしまうのです。そうなっては、その段で戦うとなっても、日本は孤立無援です。実戦力による支援こそありませんでしたが、戦費調達に英米の多大な協力があったことを忘れてはいけません。[3]

世界一の海軍国である大英帝国がなぜ格下のロシア帝国と妥協しなければならないのか。1904年に日露戦争が起きていなかったとしても、ロシアの南下を阻止するために、そして先延ばしされただけで、将来起きることが予想される日本とロシアの武力衝突に備え、英国は日本との同盟関係を維持し続けざるを得なかっただろう。アジア太平洋地域におけるロシアの軍事的プレゼンスが大きくなることを懸念していたという点では米国も事情は同じであり、米国もロシアの南下に対しては、日本を支援せざるを得なかったと考えることができる。

またシベリア鉄道も完成した後となれば、朝鮮の領有によって路線自体にもより旨味が生じるのは確実で、有効な輸送路が欧州から朝鮮まで結ばれてしまったら、日本への大規模敵前上陸など容易に行える事態になったでしょう。ガリポリ戦の場合は海峡という陸上側が地勢的に防御しやすかったこと、準備に時間がかかり連合軍の意図も上陸目標も筒抜けになっていたことがありました。またトルコは砲弾不足で危機的な状況もありましたが、陸路によってドイツから補給を受けて継戦能力を回復しています。一方、それに比べれば、広大な海岸線を有する日本のどこかに大軍を上陸させるのはずっと難しくないのは明らかでした。また大軍を西へ東へ容易に輸送できるような良好な鉄道網は整備されておらず、何より四つの島に分断されている日本には、その時点でもはやロシアに対抗する術はありませんでした。

以上により外交的にも、軍事的にも、日本の防衛を考えれば避けられませんでした。[3]

シベリア鉄道は、日本が旅順攻略中の1904年9月に開通したが、それによってロシアの戦況が好転したわけではなかったから、その役割を過大評価することはできない。日本はアウェイでロシア軍を破ったのだから、ホームで負ける理由はない。1939年に、ロシア帝国を後継したソビエト連邦と日本がノモンハン事件と呼ばれる国境紛争を起こしたが、この時も日本軍は圧倒的な数(約三倍)のソ連軍と互角に戦っており、日本の防衛力はロシアないしソ連から独立を保つのに十分であったと言うことができる。英米の支援があるなら、なおさらである。

ロシア軍は見かけほど強くない
投稿者:ペンペン.投稿日時:2013年12月29日(日) 22:05.

1980年に、小室直樹が『ソビエト帝国の崩壊』で述べているとおり、ロシア軍(ソ連軍)とは、弱い者いじめしかできない、張り子の虎の軍隊なんだよね。

外に出て行って強い敵と戦うと、必ず負ける。逆に、相手を自分の懐に引っ張り込んで、冬の寒さを利用すれば強い。

もう少し、この書物から引用すると、「ソ連が対日参戦したのは、広島に原爆が落とされ、B29と潜水艦によって本土がメチャクチャになったあとだった。もう少し参戦が早ければ、獲物はずっと大きかっただろう。戦中は、ポーランド、バルト三国など、戦後も、ハンガリー、アフガニスタンなど鎧袖一触の相手ばかりだ。それほど彼らは臆病なのだ。」

でも、こういう思考は、通常の日本人には理解できないだろうな。

朝鮮半島がロシア帝国の版図となっても、なんの問題もなかったけれども、それを容認する参謀も政治家も出現しなかったであろう。

日本にとって張子の虎は必要である
投稿者:永井俊哉.投稿日時:2013年12月31日(火) 18:41.

たとえソ連が張子の虎であったとしても、米国が「ソ連は世界第二の経済大国で、自分たちにとっての最大の脅威」と信じている間は、日米は良好な関係を維持することができました。そしてその間日本は大いに繁栄しました。ところが、1980年代後半からソ連が衰退し、1991年に崩壊すると、米国は自分たちにとって最大の脅威は、本当に世界第二の経済大国であった日本であると考えるようになりました。

そして米国が日本叩き(Japan bashing)をするようになった1980年代後半からから、日本の急速な没落が始まりました。日本は独立国家として自立することを何も考えていなかったので、米国に見放されたらお終いです。この過程は、日露戦争後、英米が極東最大の脅威をロシアから日本へと変えてから、日本の急速な没落が始まったのと類比的です。

でも、現在の米国にとっての最大のライバルは、もはや日本ではなく、中国です。中国も、かつてのソ連と同様に過大評価されています。しかし、たとえ中国が張子の虎であったとしても、米国が「中国は世界第二の経済大国で、自分たちにとっての最大の脅威」と信じている間は、日米は良好な関係を維持することができます。だから、日本にとっては張子の虎がいた方が都合が良いのです。

2. 参照情報

関連著作
注釈一覧
  1. ここでの議論は、システム論フォーラムの「日露戦争は必要だったのか」からの転載です。
  2. Admiral Tōgō Heihachirō on the bridge of the Battleship Mikasa." February 1906.
  3. 3.03.13.23.33.43.53.6日露戦争は日本の防衛のためには必要だったのでしょうか?」への回答『Yahoo! 知恵袋』2010/4/8.