なぜ日本のリベラルはリフレ政策が嫌いなのか
欧米では、リベラルが量的金融緩和に肯定的で、保守主義者が否定的であるのに対して、日本ではそれが逆になっている。日本の左派知識人が、経済成長に積極的でないのは、彼らが、欧米的な意味でリベラルであるだけでなく、仏教かぶれでもあるからだ。[1]

原田泰が「なぜ日本のリベラルはリフレ政策が嫌いなのか」という面白い問題提起をしている。もっとも、彼は、以下の引用に見られるように、自分で納得のいく答えを見出していない。
なぜ日本のリベラルはリフレ政策が嫌いなのか (date) 2014年09月05日 (author) 原田泰 さんが書きました:
リフレ政策はあらゆる雇用を拡大させる。ブラック企業を減少させる。自殺者も減らす。格差も縮小させる。これらは、リベラルと言われる人々の望むものだと私は思う(私はリベラルではないが、私も望んでいるものだ)。少なくとも、アメリカでリベラルと言われる人々-プリンストン大学のポール・クルーグマン教授(同教授のニューヨークタイムズの連載コラムのタイトルは「リベラルの良心」である)やコロンビア大学のジョセフ・スティグリッツ教授など-は、雇用拡大のために金融を緩和せよと論じている。ところが、日本のリベラルは金融緩和に反対である。
なぜ、そうなのだろうか。考えられる第1は、リベラルではない安倍政権になって、リフレ政策が成功したら嫌だから反対しているという答えである。しかし、うまくいったらどうするのか。そもそも、民主党というリベラル派の政権ができたのだから、その時にリフレ政策を行っていれば良かった。誰がやっても、リフレ政策は効果があって、雇用情勢は改善する。もちろん、リーマンショック後まもなくだから、すぐには良くならなかったかもしれないが、何もしないよりはずっと良かったはずだ。
第2は、成功したら、自分たちが攻撃している問題が少なくなって攻撃のネタに困るという答えである。しかし、これにも成功したらどうするのかという問題がある。第3は、今はうまくいったように見えても将来はもっと悪くなると考えているからだという答えである。将来もっと悪くなるというのは、ハイパーインフレになるということだろうが、アベノミクスの大胆な金融緩和には消費者物価で2%という上限がついている。もっと悪いことが起きなかったらどうするのか。
米国では、量的金融緩和など、中央銀行による市場経済への介入に反対しているのは、リベラル(左派)よりも保守(右派)の方だ[2]。ところが、日本では、左派の知識人が愛読する朝日新聞が、安倍政権が誕生するずっと前から量的金融緩和に強固に反対していた[3]。もちろん反安倍が「社是[4]」と言われている朝日新聞は、安倍政権下で行われる異次元緩和にも反対の姿勢である。

今月表明された日銀の追加緩和に対する新聞各紙の評価も対照的だ。
日銀「ハロウィーン追加金融緩和」は前回消費増税の予測ミスを補ったに過ぎない! (date) 2014年11月03日 (author) 高橋洋一 さんが書きました:
11月1日の各紙社説では、朝日「日銀追加緩和―目標に無理はないか」、読売「日銀追加緩和 脱デフレへ強い決意を示した」、毎日「日銀の追加緩和 泥沼化のリスク高まる」、日経「異次元の追加緩和に政府も応えよ」、産経「日銀の追加緩和 今度こそ脱デフレ確かに」、東京「日銀追加緩和 危ない賭けではないか」という見出しだ。
朝日、毎日、東京という左派系新聞で、金融緩和に反対の論調である。欧米では金融緩和は左派政党のほうが言う。左派系が雇用を改善する金融緩和に反対なのは日本だけの特徴だ。
このようなねじれはなぜ生じるのか。高橋洋一は、金融緩和による経済成長を否定する日本のリベラルたちを「ヘタレ左翼」と呼び、その源泉を1970年代に顕在化した環境問題に求めている。
「脱成長」掲げるヘタレ左翼の痛さ 成長なしで雇用、社会保障は維持困難 (date) 2014.02.13 (author) 高橋洋一 さんが書きました:
東京都知事選で細川護煕元首相が、経済成長を否定する「脱成長」発言をして話題になった。細川氏以外にも「成長経済から成熟経済へ」「少子高齢化社会では成長はできない」など、経済成長を否定する論調はいまだに根強くある。
こうした論を主張する人たちの思想的背景や特徴は何か。そもそも経済成長なしで社会を持続させることは可能なのだろうか。
1970年前後、それまでの経済成長の中で種々の問題が出てきたことから、知識人から成長に関する警告が発せられた。例えば72年のローマクラブによる「成長の限界」である。人口増加や環境汚染などが続けば、いずれ地球上の成長が限界になるというわけだ。
日本でも公害や環境汚染、サラリーマンの働き過ぎ、地方の過疎化など高度経済成長の負の側面が意識され、70年から朝日新聞によって「くたばれGNP」が連載された。
こうした警告は、成長を認めつつその弊害を除くというスタンスであれば意味があるが、経済成長そのものを否定しがちであった。これは社会運動でよくみられる「目標の先鋭化」という現象だ。
日本では、時の自民党政権への対抗心から革新系勢力でこうした話はよくあった。革新系は、いわゆる「左」であるが、一定の知識人も巻き込み、左なのだが過度な闘争心もない、いうなれば「ヘタレ左翼」になっていった。こうした「少しだけ左」は、現体制にモノ申すが、まともな提案ではなく、ちょっと皮肉る程度だ。だから、「脱成長」でいいのかと正面から議論すると、全く腰抜けになる。なぜならば、経済成長で社会問題の8割方を解決できるからだ。
例えば、日本のヘタレ左翼が嫌う金融政策は、他のどんな政策よりも雇用を創出し失業を少なくする効果がある。「これを否定したら、あなたが失業する確率が増えますよ」といえば、もう反論できなくなる。
1970年代以降環境問題が地球規模で意識されるようになったことは、世界共通のことであり、欧米とは異なる日本の特殊性を説明しない。では、なぜ日本の「ヘタレ左翼」は、「成長経済から成熟経済へ」とか「少子高齢化社会では成長はできない」とかいった主張で経済成長を否定しようとするのか。
ここで高橋が謂う所の「ヘタレ左翼」が本当に左翼なのかどうかを疑ってみる必要がある。欧米におけるオーソドックスな左翼思想はマルクス主義であり、マルクス主義は生産力の増大を肯定し、労働者に物質的豊かさをもたらすことを目指していた。現在の欧米のリベラルは、「マルクス主義者」という時代遅れの肩書を自ら名のるかどうかは別として、基本的にこの路線を受け継いでおり、だから、リフレ政策が労働者に物質的な富をもたらすという効果があるなら、それに賛成する。それに反対するような人は、少なくとも欧米的な意味では、左翼とは言えない。
高橋が指摘する通り、日本の知識人には「物質的な豊かさよりも心の豊かさを求めるべきだ」といった類の主張をする人が多い。こうした主張は明らかに唯物論的ではないし、マルクス主義的でもない。ではこうした思想の源泉はどこにあるのだろうか。私は、これは左翼思想よりも、むしろ仏教思想に近いと考えている。すなわち、日本の知識人はたんに左翼かぶれであるだけでなく、仏教かぶれでもあるということだ。仏教は外来思想だが、日本での歴史が長いので、仏教思想の感化を受けている日本人は多い。これに対して、欧米では仏教思想は支配的ではないので、これで日本の特殊性を説明できる。
経済成長を肯定するということは富の追求を肯定することである。ところが仏教では、富への欲望は煩悩であり、これを捨てなければ心の平安を得ることができない。そこで、「物質的な豊かさよりも心の豊かさを求めるべきだ」といった主張が出てくるわけだ。金融緩和にはバブルを惹き起こすという弊害があるので、それに警鐘を鳴らすことは理に適っている。しかし「成長経済から成熟経済へ」とか「少子高齢化社会では成長はできない」とかいった経済成長を否定するような主張は敗北主義的で、経済学的な合理性がなく、背後には仏教的な禁欲主義があるとみなさざるを得ない。
高橋は「ヘタレ左翼」を「左なのだが過度な闘争心もない」と評しているが、仏教徒に左翼の過激派のような闘争心がないのは当然である。「正面から議論すると、全く腰抜けになる」と言っているが、これは高橋に論破されているからではなくて、仏教徒は、我執を生み出すという理由で論争を避けるからである。
「物質的な豊かさよりも心の豊かさを求めるべきだ」という日本のインテリで支配的な思想は、仏教を国教とするブータン王国の国王が、国民総幸福量(Gross National Happiness, GNH)なる概念を提唱し、GNP/GDP よりも重視しているのと同じ思想である。引用文中に朝日新聞が70年代に「くたばれGNP」という連載を始めたとあるが、朝日新聞の論調はその後も変わっておらず、「成長経済から成熟経済へ」とか「少子高齢化社会では成長はできない」とかいった「経済成長を否定する論調」を続けている。朝日新聞の量的金融緩和に対する批判もこの論調に基づいている。
強欲で身を滅ぼす人もいるので、強欲を戒める仏教的な教説には一定の説得力がある。しかし、煩悩を全否定することはばかげている[6]。少数の修行僧なら在家信者からのお布施で食べていけるが、日本人全員が煩悩を否定し、生産活動を停止したなら、誰が日本人を養うというのだろうか。国民総幸福量は、カルト的な洗脳で高めることができるが、そうした主観的幸福は社会システムを持続可能にはしない。物質的な豊かさがそのまま心の豊かさになるのではないにしても、物質的な豊かさなしで心の豊かさを得ることはできない。
確かに、サヨクは一般的な傾向として 株式投資を毛嫌いする者が多いですね。
パチンコ、麻雀、競馬、競輪、競艇などの賭博をしない者も多い。
それが仏教思想の影響かどうかは知らないが・・・
ほかにも、煙草を吸う、口が達者(ただし、女にモテるかどうかは個人差がある)などの傾向がある。
株式の所有者が資本家であるのに対して、自分の身体以外にほとんど所有物を持たないのがプロレタリアですから、株式投資を評価しないのは、欧米的な意味での社会主義と考えてよいでしょう。ネットでの株式の売買で巨額の利益を稼ぐ人間よりも額に汗して働く人間の方が偉いという価値観は、左翼だけでなく多くの人が共有していますが、本来的には左翼的な発想だと思います。
でも「額に汗して働く」ことを無条件に礼賛するのはもう古いと思います。ロボットとコンピュータが人間の肉体労働や単純精神労働をどんどん奪い始めており、「額に汗して働く」ことで収入が得られる選択肢がどんどん狭まっているからです。
オックスフォード大学が認定 あと10年で「消える職業」「なくなる仕事」702業種を徹底調査してわかった (author) マイケル・A・オズボーン さんが書きました:
コンピューターの技術革新がすさまじい勢いで進む中で、これまで人間にしかできないと思われていた仕事がロボットなどの機械に代わられようとしています。たとえば、『Google Car』に代表されるような無人で走る自動運転車は、これから世界中に行き渡ります。そうなれば、タクシーやトラックの運転手は仕事を失うのです。
これはほんの一例で、機械によって代わられる人間の仕事は非常に多岐にわたります。私は、米国労働省のデータに基づいて、702の職種が今後どれだけコンピューター技術によって自動化されるかを分析しました。その結果、今後10~20年程度で、米国の総雇用者の約47%の仕事が自動化されるリスクが高いという結論に至ったのです
ロボットやコンピューターに真似のできないようなクリエイティブな労働は残るでしょうが、すべての人ができることではありません。遠い将来、ほとんどの分野で人間がロボットやコンピューターよりも生産性が低くなるなら、その分野の仕事をロボットやコンピューターに譲り、そのロボットやコンピューターを所有している企業の株を買って、その配当で暮らした方が合理的です。これこそ本当の労働者の解放になると思うのですが、左翼の人はそうは考えないのでしょうか。たぶん、左翼なら、プロレタリアには株を買う金がないと反論するでしょうが、政府が税金で無理やり雇用を作るよりも、その金を生活保護として出した方がましでしょう。[7]
- 鯨岡仁『安倍晋三と社会主義 アベノミクスは日本に何をもたらしたか (朝日新書) 』朝日新聞出版 (2020/1/10).
- 軽部謙介『官僚たちのアベノミクス-異形の経済政策はいかに作られたか (岩波新書)』岩波書店 (2018/2/20).
- 高橋洋一 『リフレが正しい。FRB議長ベン・バーナンキの言葉 (中経出版)』KADOKAWA (2013/5/23).
- ↑ここでの議論は、システム論フォーラムの「なぜ日本のリベラルはリフレ政策が嫌いなのか」からの転載です。転載にあたっては、いくつかの修正をも行っています。
- ↑但し、共和党の大統領であったドナルド・トランプ大統領は、金融緩和に積極的であった。トランプ大統領は、関税を儲けて自由貿易を否定するなど、それまでの共和党とは異なる政策を打ち出したので、従来型の保守とは一線を画す。ここで謂う所の保守とは、小さな政府、金本位制の復活と貨幣発行の自由化を提唱するミルトン・フリードマン(Milton Friedman、1912年7月31日 – 2006年11月16日)のようなポジションの思想家を念頭に置いている。
- ↑朝日新聞の記者は反戦主義者なので、国債を乱発した太平洋戦争時の記憶から反対しているのかもしれない。しかし、国債を乱発したから戦争が起きたのではなくて、戦争をしたから国債を乱発したのであって、この因果関係を逆に解釈するべきではない。
- ↑“「安倍政府打倒は朝日の社是」安倍首相が発言 そんな「社是」本当にあるの? : J-CASTニュース.” 2014/2/ 6 19:23.
- ↑“Japan’s Economic Revival (at Guildhall, London) 20 June 2013" by Chatham House. Licensed under CC-BY.
- ↑“煩悩からの解脱は可能か | 永井俊哉ドットコム.” 2002年5月10日.
- ↑AIがブームになるにつれ、ベーシック・インカムを提唱する人が増えるのはこのためである。ベーシック・インカムに関しては、「中央卸売市場は必要か」の第5節を参照されいたい。
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この手の話題でいつも不思議なのが、何故食料やエネルギーを無限に生産する方向に技術開発を進めないのか、です。食料が無限に生産できるという状況は現代的にはかなり危険なのでやめた方が良いと言うか、順番としては最後にした方が良いだろうとは確かに思うのですが、一方で食料とエネルギーが無限に生産できる限り生活保護や年金などが国家財政や社会にかける負担をほぼ考慮しなくてよくなることも事実なのに。
昨今の自称リベラルさんたちは、せめて海流で効率的に発電する技術でも開発しないものかなぁと冷ややかな目で見守っております。
食糧やエネルギーといった人間にとって利用可能な低エントロピー資源には物理的な限界があります。なぜならば、熱機関としての地球にとって利用可能な高熱源と低熱源に物理的な限界があるからです。これに関しては、「地球は熱機関としてどのような仕事を行うか」を御覧ください。とはいえ、人間が実際に利用している低エントロピー資源は、そのうちのごく一部で、技術革新によりそれをさらに増やすことは十分可能です。
デフレを永遠と続ける圧力をかけているのは財務省でしょう。財務省がデフレのための増税に躍起になっているのは、公務員と会社員の格差を固定化させたいからだと思います。
かつて、日本が好景気だった時代、公務員は収入が少ない職業だと軽蔑されていました。しかし、終わらないデフレが続く中、会社員の収入は少なくなり、公務員は誰もが憧れる職業となりました。
日本の官僚は権力が極めて強いので、デフレを終わらせることは不可能でしょう。
ところで、日本のリベラルは戦争も嫌いです。永井先生は、戦争はデフレから脱却するためのリフレ政策だと述べましたが、それが理由なのでしょう。
日本でリベラルと呼ばれている人達は、本来のリベラルではなく左翼であり社会主義者だと思います。好景気になると資本家が儲かるようになります。社会主義者はそれを蛇蝎の如く嫌います。
日本の左翼をリベラルと呼ぶのは、国民の人権を徹底的に蹂躙してきた中国共産党やスターリンをリベラルと呼ぶようなものだと感じます。特に、都知事選で民進党や共産党といったリベラル政党の推薦を得た鳥越俊太郎が公開討論をドタキャンしたり、女性スキャンダルの説明責任を果たさなかったりしたさまを見ると強く感じます。まるで、中国がやっているように国家権力がメディアを検閲しているように見えます。
財務省の権力の源泉は予算を差配する権限にあります。財務省が消費税増税に固執するのは、安定した財源、すなわち彼らにとっては安定した権力の源泉を確保することが目的です。
官僚たちは、民間に合わせて給与水準を引き上げているというのですが、謂う所の「民間」が、企業規模50人以上、かつ事業所規模50人以上という条件でスクリーニングしているので、普通の民間ではなく、その結果、公務員の給与水準が高止まりしています。「総務省の平成26年経済センサス」によると、事業所規模50人以上は、事業所数で全体の3%、従業員数で全体の40%ですから、ほぼ大企業の月給とボーナスの水準に合わせていることになります。国税庁の「民間給与の実態調査結果」によると、事業所規模が大きくなるにつれて、平均給与が高くなる傾向があり、この勧告に従うならば、職員の給与水準が中小企業を含めた民間企業一般の水準を超えることになります。
公務員はローリスクの職業だから、ローリターンであるべきで、かつての日本はそうだったし、他の先進国でもそうだったのに、日本では、公務員にローリスク・ハイリターンという例外を認めてしまっています。その結果「公務員は誰もが憧れる職業」になってしまったのです。これはたんに財政上好ましくないというだけでなく、私たちの価値観を歪めるという点で有害です。2010年から2014年にかけて行われた「世界価値観調査」によると、五十九か国の二十代の若者に「冒険してリスクを冒し、刺激のある生活を大切にしているか」、「新しいアイディアを思いつき、クリエイティブであることを大切にしているか」と聞いたところ、日本の二十代が肯定した割合は、どちらの項目でも、五十九か国中最低であるという結果が出ました。公務員が人生の勝ち組であるという現状を変えなければ、日本の若者は、リスクを冒してでもクリエイティブな仕事にチャレンジしようという気にはならないでしょう。
官僚は日本の人口のわずかな割合しか占めないので、彼らだけの意向で日本の政治を動かすということはできません。二十年以上も日本経済が低迷しているのに、日本が変わることができないのは、日本国民の大半が変わることを望んでいないからです。安倍政権は大胆な金融緩和をしましたが、そのリフレ効果には限界があります。日本経済を諸外国並みに成長させるには、構造改革が必要なのに、安倍政権がそれに躊躇しているのは、国民の支持が得られそうにないからです。例えば、解雇規制の緩和といった改革を国民が支持するでしょうか。先ほど引用した調査結果がその一端を示している通り、日本人はリスク回避志向が強い。リスク回避が日本の最大のリスク要因になっているにもかかわらず、日本人はリスクを取ってイノベーションにチャレンジしようとしない。その結果、日本は成長できずに、デフレから真に脱却することができないのです。
「太平洋戦争における保守と革新」でも書いたとおり、かつて「革新」と呼ばれていた日本のリベラルたちは、大東亜戦争を推進しました。リベラルは、戦争が支配階級からの被支配階級の解放をもたらす革命的な色彩を帯びる時、その戦争を支持します。米国による占領統治下で日本国憲法を制定した時、親米保守の吉田首相が戦争の放棄を明記した憲法九条を支持し、反米革新の日本共産党が憲法九条に反対したのは、米国による占領統治下で日本が行う戦争として可能性があったのは、米国からの独立戦争であったからでしょう。ところが日本が独立し、日本の軍備が、左翼の精神的故郷である共産主義国家に向けられるようになると、左翼たちは憲法九条を厳守しろと主張し始めました。このように、左翼は、戦争を全面的に否定してはおらず、彼らが理想とする革命にとって有利に働くか否かで態度を決めているのです。
リベラルはもともと自由主義者を意味したのですが、今の米国では左翼とほぼ同じ意味で使われています。左翼は、権力を持たないときは、権力者に対して言論の自由を要求しますが、権力を掌握するや否や言論弾圧に踏み切ります。鳥越俊太郎さんが説明責任を果たさずに、法的措置という強硬手段に出たのもその一例です。日本の左翼は、権力を持たないがゆえに、反戦、反核、反原発、言論の自由、民主主義を主張しますが、権力を持つようになると、現存した共産主義国家、社会主義国家がそうしたように、そうした理念をかなぐり捨てるかもしれません。第三者から見れば矛盾しているようですが、彼らは、革命の大義の前ではすべての矛盾が正当化されると考えているのでしょう。
日本人はリベラルと言う物をもっと勉強すべきです。
左翼がリベラルって自称してるのが変だと思わない日本人は変ですよ。
リベラルは根底に自由と個人主義が無ければなりません。
社会主義や共産主義がリベラルなわけがありません。
社民や立憲もリベラルでは有りません。
日本にリベラル政党と言える政党は存在しませんね。
保守と革新と言い換えた方が分かりやすいです。
個人政治家の名前は出したくないですが、自らリベラルと称している日本の政治家はもっと勉強してください。
個人主義や自由主義が根底にあるリベラリズムは、イギリスのリベラリズムです。これに対して、アメリカのリベラリズムは、日本で謂う所の革新と同じような立場です。
実は強欲そのもので身を滅ぼす人はほぼいない
市場が強欲そのもので滅びる事を防ぐ
実は経済成長は必ず必要
実は社会保障の効率は100パーセントでないから経済成長が必要
チベット仏教徒のモンゴル左翼がいたら彼らもリフレ嫌いなのでしょうか?ところで、肉好きのホリエモンがライブ配信をした際に、コメントで野菜食べてる?と聞かれてぶちギレていました。彼はおそらくリフレを肯定しています。彼を含めて普通の人は貴肉貴金だと思います。その点、貴穀賤金はリフレ嫌いと親和的だと感じています。
チベット仏教は、密教的な要素が強い特殊な仏教です。仏教では、通常、性欲は煩悩扱いされますが、チベット仏教では、性交による恍惚が煩悩を消すという逆の教えを説いています。この点、チベット仏教は、他の仏教とは異なり、禁欲的ではないのです。
ブータンはチベット仏教らしいです。チベット仏教やイスラム教、キリスト教ネストリウス派などはモンゴル、ウイグル、長安までは流入できましたが、それより東南のシナ大陸農耕地帯には定着しませんでした。おそらく農耕文明の性格とは反りが合わない宗教だからです。仏教的禁欲を考えると、農耕文明の民の心理的傾向を考えなくてはいけないのかもしれますん。欧米のリベラルにあまり日本的なリフレ嫌いが見られないのは仏教にかぶれていないからではなく、アジア的農耕文明の経験がないからではないでしょうか?
朱子学的伝統を引き継ぐのが日本のリベラルだ。朱子学における士農工商では、商人(商業)は軽蔑されている。お金が嫌いなのだ。もしかしたら先祖が武家である確率が高いかもしれない。だとすると、明治維新以来没落してしまった恨みが子孫の口で反復されていることになる。まさに個人史が家系史を踏襲している。
無限の生産はありえない、ですが無限インフレーション宇宙論が産まれた1980年代以降なら理論上は無限生産は可能かもしれない、とした方がいいです。
1982年には早くも無限生産を前提とした左翼ユートピアSF小説、断絶への航海がJPホーガンにより書かれ日本語にも翻訳されています。