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酒鬼薔薇聖斗が『絶歌』を出版

2016年11月4日

1997年に神戸連続児童殺傷事件を起こした元少年Aが、2004年に社会復帰し、2015年に自らの犯行と半生を回想した本『絶歌』を出版した。1999年に「酒鬼薔薇聖斗のバタイユ的解釈」を行った私にとって、この本を読むことは解いた問題の答え合わせをするようなものだ。私の解釈は基本的には正しかったようだが、この本を読んで初めて知った新事実もたくさんあったので、今回改めて、『絶歌』を読みながら、歴史に残るあの猟奇殺人事件がなぜ起きたのかを考えてみたい。

ariesa66によるPixabayからの画像
ナメクジの写真

1. 去勢体験としての祖母の死

元少年Aは、「ちぎれた錨」と題する文章で、人の道を踏み外す最初のきっかけが「最愛の祖母の死」であったと述懐している[1]。「おばあちゃんっ子」を自認する元少年Aにとって、祖母は、通常の子にとっての母と同じ存在であった。元少年Aは、『絶歌』で父母兄弟の思い出についても詳述しているが、祖母は、その思い出が最初に回想され、そして事件に関係付けられているところの唯一の家族である。

元少年Aは、『絶歌』の巻頭に以下のような写真を掲げている。

少年Aと祖母の画像の表示
四歳になる少し前の少年Aと祖母の写真[2]。撮影日は1986年6月22日。

元少年Aは、「子供の頃の写真をたった一枚だけ持っている。他の写真はすべて処分したが、この一枚だけはどうしても手離せなかった[3]」と言っている。自分の痕跡を消すために過去の写真を処分した動機は十分理解できるが、この写真が、処分を免れた唯一の少年時代の写真で、かつ『絶歌』に掲載された唯一の写真であるということは、これは元少年Aにとって非常に思い入れのある写真であるということである。では、なぜ元少年Aは、そこまでこの写真に執着するのか。

この写真をよく見てほしい。四歳弱の少年Aは、祖母の股間から勃起して聳り立つペニスのように見えなくはないか。そして、祖母はそのペニスを両手で大事そうに支えているように見えないだろうか。少年Aにとって祖母こそが≪母≫であり、この写真は、ペニスの生えた母という両性具有の理想像、すなわち≪ファリック・マザー幻想≫を可視化するがゆえに、元少年Aにとっては捨てられない大事な写真になったと解釈できないだろうか。

元少年Aは、祖母が死んだときの心境を次のように振り返っている。

僕はひどく困惑した。外からはわかりにくかったかもしれないが、ほとんどパニック状態だった。だが周囲の者たちは、皆一様に、僕の眼からは冷淡なくらい冷静に、この状況を受け容れているように見えた。僕はそのことにいっそう戸惑った。僕にはぜんぜん「仕方のないこと」ではなかったからだ。僕には、「祖母のいない世界」を受け容れるだけのキャパシティなどなかった。自分か立っている半径一メートルのスペースだけを残して世界じゅうの地面が崩れ堕ち、自分ひとりだけがぽつんと取り残されてしまったような恐怖と不安と孤独を感じた。僕を包み込んでいたこの世界は巨大なビニール袋のようなもので、そのビニール袋の“クチ”が祖母だった。その“クチ”が今まさに閉じられ、密封された“世界の袋”は僕を閉じ込めたまま真空パックされるように急速に収縮し始めた。

自分にとっては「世界の破局」のような状況を淡々と受け容れていく周囲の者たちや、自分の前から突然姿を消した祖母にさえ、言い知れぬ怒りがこみあげた。

人はどんなに辛いことがあっても、信じられるものを“錨”にして危険な波に押し流されることなくこの世界と自分を繋ぎ留めておくことができる。その“錨”を失った時、魂は漂流船となる。

祖母という唯一絶対の“錨”を失い、僕の魂は黒い絶海へと押し流されていった。[4]

この件は、少年Aが自己同一する母のペニスが、母体から切り離されるという去勢体験を描いている。錨を失って漂流船となった魂は、再び錨につながれていた元の理想的な状態に戻ろうと、ファリック・マザー幻想を抱き、両性具有崇拝を始める。それは、へその緒を切られ、母体と離れ離れになった子が、再びへその緒を取り戻し、母体と一体になりたいという胎内回帰願望の表れである。

2. 両性具有崇拝と胎内回帰願望

元少年A自身は、自らの両性具有崇拝を自覚的に語っている。少年Aは、2015年9月に立ち上げた公式サイトで、以下のような画像を掲載している。

アエダヴァーム画像の表示
“アエダヴァーム(生命の樹)”のイメージ図[5]

この画の中央には、女性器のような形をした大きな洞があり、その中に頭の大きな胎児のような絵が描かれている。木は池の中にあり、それ自体、羊水の中に浮かぶ胎児のようにも見える。木の両側には、元少年Aが男性器に喩える二本の枝が伸びている。その上を這っているナメクジのような生き物は、元少年Aが自己同一する小文字の他者で、ぬるぬるとしたペニスのイメージでもある。枝の先端からは精液のような白い液体が出ている。このように、この女性器と男性器を兼ね備えた両性具有像は、大文字の他者である母と小文字の他者である自分の鏡像との幸せな合体をイメージしている。

この画に関して、元少年Aは、『絶歌』の以下の件を引用している。

入角ノ池のほとりには大きな樹があり、樹の根元には女性器のような形をした大きな洞がバックリ空いていた。池の水面に向かって斜めに突き出た幹は先端へいくほど太さを増し、その不自然な形状は男性器を彷彿とさせた。男性器と女性器。アダムとエヴァ。僕は得意のアナグラムで勝手にこの樹を〝アエダヴァーム(生命の樹)″と名付け愛でた[6]

入角ノ池(いれずみのいけ)とは、事件当時少年Aが在住していたニュータウンにあった池で、少年Aにとっては、当時頻繁に訪れた「聖地」であった。『絶歌』では、引用箇所に続けて、元少年Aは、「水面にまで伸びたアエダヴァームの太い幹に腰掛け、ポータブルCDプレイヤーでユーミンの「砂の惑星」をエンドレスリピートで聴さながら、当時の“主食”だった赤マルをゆっくりと煉らすのが至福のひとときだった[7]」と言って、ユーミン(松任谷由実)の「砂の惑星(YouTube で聴く)」の歌詞、「さあ漂いなさい 私の海の波の問に問に ただ泣きじゃくるように 産まれたままの 子供のように」を引用している。

元少年Aは、「砂の惑星」の胎内鼓動音のようなバックグラウンド・ミュージックが胎内回帰願望に合致したと分析している。

人は誰でも潜在的に「胎内回帰願望」を持つ。布団にくるまると安心する。お風呂に浸かると気持ちいい。皆、無意識のうちに心地よかったであろう母の子宮に還っているのではないだろうか。

僕にとって。“池”は“母胎の象徴”であり、ユーミンの「砂の惑星」は胎児の頃に聴いた母親の心音だった。池のほとりでユーミンの「砂の惑星」を聴くと、母親の子宮に還っているような無上の安心感を憶えた。[8]

少年Aが「主食」と位置付けるほどよく吸っていた赤マルとは、フィリップ・モリス社が、当初女性向けたばことして販売した、赤と白のパッケージが印象的なマールボロである。赤色は女性の唇をイメージしたもので、このタバコを吸うことは母とのキスをイメージさせる。

マールボロ・ソフト画像の表示
赤マルこと、マールボロ・ソフトの赤と白のパッケージ[9]

少年Aが赤マルを好んだのには、もっと深い意味がある。元少年Aは、社会復帰後二十年ぶりに赤マルを吸って、次のように言っている。

小学六年の頃、図画工作の授業で、人間の脳の形をした紙細工にカッターナイフの替え刃をたくさん突き刺し、全体を赤と白の絵の具で彩色したオブジェを造った。そんなことを思い出しながら、パッケージから一本取り出し、匂いを嗅いだ。[10]

少年Aが犯行声明文を赤い文字で白地の紙に書いたのもこのシンボリズムによる。赤は血の色であり、死を象徴する。白は精液の色であり、性を象徴する。白地に書かれた赤の文字、赤と白の絵の具で彩色したオブジェ、赤マルのパッケージは、性の欲動と死の欲動が一体になった胎内回帰願望の根源的なありかたを象徴している。性の欲動と死の欲動の合体は、バタイユ的な意味でのエロティシズムである。では、少年Aは、いつからエロティシズムの快楽を覚えるようになったのか。

3. エロティシズムの覚醒

元少年Aは、『絶歌』の中で、これまで誰にも話さなかった精通の初体験について語っている。それはその後の快楽殺人につながるという意味で「原罪」と位置付けられている、性の欲動と死の欲動が初めて一体となった瞬間である。

少年Aは、祖母が亡くなってからも、よく祖母の部屋へ行き、祖母と一緒に過ごした想い出に浸った。ある時、祖母の部屋の押し入れの扉を開け、祖母が愛用した電気按摩器を取り出した。生前、少年Aは、その按摩器を使って祖母の肩や脚をマッサージしたことがあった。少年Aは、祖母の位牌の前に正座し、電源を入れ、祖母の想い出と戯れるように、電気按摩器を体のあちこちに押し当て、かつて祖母を癒したであろう心地よい振動に身を委ねた。鏡像的他者にした行為を鏡像的に反転させ、自分に対しても行うということは、理解できる行為である。

祖母の想い出と戯れているうちに、電気按摩器がたまたまペニスに当たり、少年Aは、激痛とともに勃起と射精を初体験した。

僕のなかで、“性”と“死”が“罪悪感”という接着剤でがっちりと結合した瞬問だった。[11]

その後も、少年Aは家族の眼を盗んでは、祖母の部屋でこの「冒涜の儀式」を繰り返し、痛みと罪悪感が快楽になるという体験をした。

僕は祖母の死や祖母との想い出を“陵辱”することで、祖母を失った悲しみや喪失感を無意識に“快楽”に挿げ替えようとしていたのかもしれない。そうでもしなければ祖母の死を、祖母のいない辛い現実を乗り越えられなかったのだろう。[12]

少年Aは、エロティシズムの快楽を求めて、ナメクジや猫といった小動物を殺すようになる。小動物を殺すだけでは刺激が足りなくなると、人間を殺すところまで行ってしまう。

“性”と“死”は、通常であればロミオとジュリエットのように、いかに強く惹かれ合おうとその間に立ちはだかる種々雑多の障壁によって、決して結ばれることはない。だが何かの拍子に歯車が狂い、この邪悪な恋が成就すれば、本物の“悲劇”が生まれる。[13]

元少年Aは、自己保存や生殖を求める生の欲動と死の欲動を区別したフロイトの学説を援用し、性の欲動と死の欲動が異質であるとしているが、両者を区別したフロイトよりも両者を同一視したバタイユの方が正しい。「死を間近に感じないと性的に興奮できない[14]」という性癖は、元少年Aが考えているほど異常ではない。そして、胎内回帰願望が死の欲動になることも、決して不自然なことではない。

僕はおそらく、子供の頃から胎内回帰願望が非常に強かったのではないかと思う。例えば物心ついた頃から逮捕されるまで、布団の周囲を取り囲むようにぬいぐるみの山を築き、一日じゅう部屋のカーテンを締め切って眠っていたことがそれを示唆する。年頃の男子がぬいぐるみに囲まれて就寝するなどかなり奇異な光景だが、これは外界からの刺激をシャットアウトし、自分を無条件に守ってくれる“疑似子宮内スペース”を形成していたようにも映る。

胎内回帰願望の強い者はしぜん死の欲動も強くなる傾向かある。僕が祖母の死をきっかけにあれほど強力な死の欲動を発動させた背景には、それなりの下地があったのだ。[15]

少年Aは、祖母の部屋で初めて射精し、激痛に失神して以来、痛みの虜となり、二回目からは自慰行為の最中に血が出るほど舌を強く噛むようになり、猫殺しが常習化した小学六年の頃には、母親の使っていたカミソリで手指や太腿や下腹部の皮膚を切るようになった。自分を傷付けているという点では、これはマゾヒズムであるが、マゾヒズムは、その鏡像的反転態であるサディズム[*]でもある。サディズムの対象が動物から人間へとエスカレートしたことで、神戸連続児童殺傷事件が起きた。

[*] 元少年Aは、一般の慣習に従って「性的サディズム」という言葉を使っているが、もともとサディズムは、マゾヒズムと同様に性的な概念であり、「性的」は余計な形容である。だから、たんに「サディズム」という表記で十分である。

4. 神戸連続児童殺傷事件

少年Aは「人間の壊れやすさを確かめるための「聖なる実験」[16]」をするために、1997年3月16日に、小学生の女児二人を襲った。しかし、目撃された不審人物が少年Aとは大きく異なったため、捜査の手が及ぶことはなかった。

元少年Aはその時の心境を次のように語っている。

生活は何も変わらなかった。異常な行動を起こしても普段通りの日常が続く。あの強烈な違和感は言葉にできない。正常な生活、普段と何ら変わりない日常は、時として一気に狂気を加速させる。

あれは夢だったのか?

僕は現実には何もしていないのか?

どこまでが現実でどこからか現実でないのか心からなくなった。自分が、幽霊か透明人間にでもたったような、虚構の世界を生きているような、どうしようもない気持ち悪さを感じた。夢の中で、「これは夢だ」と気が付いた時の、「明晰夢」の感覚に近いかもしれない。その感覚は日増しに強くなった。

身体の重さを感じない。何を食べても昧がしない。感情の動きが鈍くなる。人と話しても相手の声がどこか遠くから聴こえてくる。自分の周りに、眼に見えない大きな亀裂が走り、その裂け目がどんどん拡がって、自分とこの世界がぶっつり切り離されたような断絶感。僕は正気と狂気の谷間に張られた一本のロープの上を、ぎりぎりバランスを保って渡っていた。[17]

ここで、後に神戸新聞社に送り付けた犯行声明文[18]にも登場する「透明」という言葉が出てくるが、「透明な存在」に関しては、また後で取り上げることにして、ここでは「僕は正気と狂気の谷間に張られた一本のロープの上を、ぎりぎりバランスを保って渡っていた」の件に注目したい。これは、自分を昼の世界と夜の世界、すなわち正気の世界と狂気の世界との間で揺れ動く存在として描いていた以下の絵を彷彿とさせる。

正気と狂気の画像の表示
左の図は『フォーカス』(98年3月11日号)が「少年が書いたもの」と報じたもので、中央は、朝日新聞(97年7月19日)が掲載したもの[19]。一番右の写真は、「ギャラリー」『存在の耐えられない透明さ 』より引用。

元少年Aは「ぎりぎりバランスを保って渡っていた」」と言うが、明らかに、狂気の世界に体を大きく傾けることを何度もしていた。

少年Aは、人間の壊れやすさを確かめるための「実験」を見知らぬ子供に対して行ったのに対して、「本番」は本命の子供に対して行った。それは、普通の性欲を持った人が、風俗店で練習をしてから、失敗が許されない本命の恋人と性行為を行うようなものである。少年Aにとって、本命の生贄は彼が可愛がっていた土師淳君だが、その前に、親友に対して傷害事件を起こしたことが『絶歌』で告白されている。

その親友は「ダフネ君」という級友で、多分本名は「ふねだ」だろう。少年Aは手に腕時計を巻いてダフネ君を何度も殴打し、ダフネ君は前歯を折り、顔中傷だらけになった。少年Aがナイフを抜いた時、ダフネ君は砂を少年Aの顔にかけ、少年Aがひるんだすきに逃亡した。殺人未遂に近い傷害事件であったが、警察沙汰にはならなかった。おそらく、この事件を明るみに出すと、学校側の責任が問われることになるので、封じ込めたのだろうが、それが次の悲劇につながった。

少年Aは、学校を休み、児童相談所に通ってカウンセリングを受けることになった。しかし、それも役に立たなかった。その十日後に少年Aは、土師淳君を殺害することになるのである。淳君は、少年Aの弟の友人で、祖母が亡くなったころ、少年Aの自宅に遊びに来た。元少年Aは、淳君を「天使」に譬えるぐらい、その愛らしさに惚れ込んだ。

淳君の無垢な瞳が愛おしかった。でも同時に、そのきれいな瞳に映り込む醜く汚わらしい自分が、殺したいほど憎かった。[…]淳君の瞳が映し出す醜い自分を消し去り、綺麗な淳君を自分のそばに引き留めたい。この二年後、僕は淳君と自分自身を、タンク山で同時に絞め殺してしまった。[20]

少年Aと淳君の間には、ストーカーとその被害者との間に成り立つ関係と同じ鏡像的な関係があったということである。淳君の首を切った後、少年Aはそれを自宅に持ち帰り、次のような「行為」に及んだ。

脱衣所の扉を閉め、内側から鍵をかけると、ぐしよ濡れの衣服を脱いで洗濯機に突っ込み、全裸になった。手提げバッグの中のビニール袋を開き、淳君の頭部を取り出して脇に抱え、磨硝子の二枚折戸を押し開け、風呂場に入り、戸を閉めると、そちらも内側からスライド式のロックをかけた。

この磨硝子の向こうで、僕は殺人よりも更に悍ましい行為に及んだ。

行為を終え、ふたたび折戸が開いた時、僕は喪心の極みにあった。精神医学的にどういった解釈がなされるのかはわからないが、僕はこれ以降二年余り、まったく性欲を感じず、ただの一度も勃起することがなかった。おそらく、性的なものも含めた「生きるエネルギー」の全てを、最後の一滴まで、この時絞りきってしまったのだろう。[21]

この記述からもわかる通り、淳君の首で「行為」をしたことで、少年Aのエロティシズムは頂点に達し、自分が淳君に行ったことを鏡像的に反転させることで、自分自身をも破壊し、胎内回帰願望を実現するつもりだった。逮捕された後、少年Aは死刑に処せられることが救いになったと告白している。

「死刑の執行はいつですか?」

刑事は笑いながら答えた。

「死刑? 何言うとんねん。おまえはまだガキや。死刑にはならん。その歳であれだけのことやったんや。頭もええし度胸もあるんやろ。ぎょうさん勉強してイチから出直せや。明日から本格的な事情聴取や。なんもかんもしやべって楽になってまえ。ワシがおまえを救ったる」

頭が真っ白になった。

救う?

何を言ってんだ、このオッサンは?

僕にとっての救いは「死刑」だけだった。リセットボタンのない命がけのゲーム。負ければ絞首刑。自分が手にかけた淳君と同じ苦しみを味わって死ぬ。僕の中で用意されていた結末はそれしかなかった。

油ぎった皿に落ちる一滴の洗剤のように、全身にパッと恐怖が拡散した。

この頃の僕は、「死ぬ」ことよりも「生きる」ことのほうが、何千倍も怖かった。[22]

「この頃の僕」は、胎内回帰を望んでいたが、その後、矯正されてから、元少年は、生き続けることを選ぶことになった。

5. 「透明な存在」とは何か

犯行声明文では「透明な存在」という言葉が、警察や世間から正体が見えないという意味に取れる使われ方をしているが、『絶歌』出版後に立ち上げた公式サイト『存在の耐えられない透明さ』での「透明さ」は明らかにそういう意味ではない。私は、1999年に「透明な存在」という言葉に二つの意味があることを指摘したが、後者の方の意味と考えられる。

「透明な存在」にはもう一つ隠れた意味がある。虚しい、満たされない、つまりハングリーな存在という意味である。英語の want には、欲望と欠如という二つの意味があるが、満たされない存在であるからこそ、メキシコの太陽神のように、絶えず生贄の血を求めるのである。[23]

逮捕後、新潮社の写真雑誌“FOCUS”1997年7月9日号に少年Aの顔写真が掲載され、ネット上の掲示板で彼の実名が知れ渡った。それでも、『絶歌』を出版した当初、32歳となった元少年Aの顔と改名後の名前は世間が広く知るところではなかった。「一度でも顔や名前が新聞や週刊誌やネットに出れば、もうこの社会のどこにも自分の居場所はなくなってしまう[24]」と言って、用心していた元少年Aであるが、出版をきっかけに再び世間の注目を集め、2015年9月に『女性セブン』の報道で住所がばれて引越しし、2016年2月には『週刊文春』の報道で、目線入りとはいえ、全身の写真が掲載され、周辺に映り込んだ風景から住所が特定され、また引っ越しをしたようだ。特に『週刊文春』の報道は、元少年Aにとっては大きな打撃であったようで、以後、公式サイトの更新が止まり、現在は削除されている。明らかに、元少年Aは、自分の正体が世間に知られることを恐れており、「透明な存在」が一番目での意味なら、「耐えられない」のは、「存在の透明さ」ではなくて、「存在が透明ではなくなること」のはずである。

したがって、『存在の耐えられない透明さ』という時の透明さは、二番目の意味を有すると考えなければならない。それは、1992年に祖母が死んだ後、少年Aが陥ったニヒリズムを象徴する言葉だ。元少年Aは、90年代を「“身体性欠如”の時代[25]」と特徴付け、「体内に巨大な虚無がインストールされ、後に僕の思考スタイルにはかりしれない影響を与えた[26]」と言っている。しかし、少年Aがそうなった上でより大きな影響を与えたのは、阪神大震災やオウム事件よりも、彼が実の母のように慕っていた祖母の死である。

「身体性欠如」とは、魂が身体を幽体離脱して彷徨っているありさまを言っている。元少年Aのメタファーを使うなら、錨がちぎれて漂流する船のような状態だ。元少年Aにとって「透明な存在」の「心象動物」は、透明な体を持ったナメクジで、ナメクジは目をキョロキョロとさせる挙動不審な動作で何かを探している。何を探しているのか。ラカンの用語を使うなら、それは対象aである。

対象aとは、「大文字の他者における欠如のシニフィアン[27]」であるS(Ⱥ)に相当する。イエスの死後、信者たちがイエスとの接点を求めて聖遺物を探し求めるように、母から切り離された子は、母との接点を求めて対象aを探し求める。

以下の『週刊アサヒ芸能』の記事を読むと、社会復帰後も、元少年Aは≪母なるもの≫を追い求めていることがわかる。

「この母親役を務めた女医はAの実母よりも3歳年下だが、細面の美人だった。当初は異性に関心を持たなかったAが、しだいにこの女医に心を開いていったのです」(法務省関係者)

ところが、Aが少年院に入って2年目に思わぬ出来事が起こる。別の少年がこの女医についての悪口を言い、それを耳にしたAが暴れだしたのだ。

「Aは豹変し、奇声を上げてそばにあったボールペンをつかむと、この少年の目に突き刺そうと大立ち回りを演じたのです。それまで性的興奮を得るのに残虐な行為に及んでいたAの関心が、初めて女性に向けられたという治療の進捗を感じさせたところではあります。しかし、安直に凶暴な手段に訴える点では、まだ治療が必要であることも明らかになりました」(法務省関係者)

その後、プログラムを終了したAは04年3月に少年院を仮退院した。しかし、その後も再び事件を起こしていたのだ。

「仮退院しても保護観察中だったAは、定期的にカウンセリングに通っていた。その途中、少年院でAの母親役を務めた女医に性的興奮を抱き、押し倒してしまったのです。母子としての信頼関係が深まるにつれて、医師を母親ではなく異性と見た末に及んだ行為でした」(医療ジャーナリスト)

Aは前述のとおり、05年1月1日に本退院する。美人女医はAの身元引受人となるが、その存在は手記で触れられることは一切なかった。

しばらく都内に潜伏していたAは、同年8月に〈電車を乗り継ぎゆかりもない土地へ降り立つ〉と、地方都市へ1人旅立つ。現地で建設会社の契約社員として2年ほど勤務していたことも記されている。

まさに、この時期、週刊アサヒ芸能宛てにAの所在を伝える、一本の電話が入っていた──。

この電話の主は、愛媛・松山市のヘルス嬢Pさん。

「私のお客さんで年齢も見かけも酒鬼薔薇にソックリな人が来ていたんです。太い眉とつり上がった目が、事件当時に出回った写真の顔と同じでした。お店では『自分は長い間幽閉されていた』と話していました」

Pさんに接触すると、この男の一風変わったプレイが明らかとなった。

「プレイ前にはいつも『愛するママへ』と書かれた手紙を渡されました。シャワーを浴びたあとは、『ママ、だっこして』と甘えてきて、動物のように私の顔を舐め回すんです。だけど、いつも射精に達することはありませんでした」

手紙の筆跡は脅迫状に酷似していた。またPさんが証言したこの男の住居は、Aの母がいたこともある地方都市にあった。[28]

元少年Aは、今後も満たされることのない空白を埋めようと、対象aを追い求めることだろう。

6. 参照情報

関連著作
注釈一覧
  1. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.35.
  2. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). 巻頭写真.
  3. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.37.
  4. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.43-44.
  5. 元少年A「ギャラリー」『存在の耐えられない透明さ 』2015/09/09. 現在このサイトは閉鎖中のため、2015年09月10日時点でのキャッシュにリンクしています。
  6. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.31.
  7. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.31.
  8. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.32.
  9. Hans. “Cigarettes, Marlboro.” Free Image on Pixabay.
  10. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.286.
  11. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.48-49.
  12. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.49.
  13. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.65.
  14. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.65.
  15. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.66.
  16. “愛する「バモイドオキ神」様へ/今日人間の壊れやすさを確かめるための/「聖なる実験」をしました。/その記念としてこの日記をつけることを決めたのです。/実験は、公園で一人で遊んでいた女の子に「手を洗う場所はありませんか」と話かけ、/「学校にならありますよ」と答えたので案内してもらうことになりました。/2人で歩いているとき、僕は用意していた金づちかナイフかどちらで実験するか迷いました。/最終的には金づちでやることを決め、ナイフはこの次に試そうと思ったのです。/しばらく歩くと、ぼくは「お礼が言いたいのでこっちを向いて下さい」と言いました。/そして女の子がこちらを向いた瞬間、金づちを振り下ろしました。/2、3回殴ったと思いますが、興奮してよく覚えていません。/そのまま、階段の下に止めておいた自転車で走り出しました。/途中、またまた小さな男の子を見つけ、あとを付けましたが、団地の中で見失いました。/仕方なく進んでいくと、また女の子が歩いていました。/女の子の後ろに自転車を止め、公園を抜けて先回りし、通りすがりに今度はナイフで刺しました。/自転車に乗り、家に向かいました。/救急車やパトカーのサイレンが鳴り響きとてもうるさかったです。/ひどく疲れていたようなので、そのまま夜まで寝ました。/「聖なる実験」がうまくいったことをバモイドオキ神様に感謝します。” 少年Aの日記。平成9年3月16日。
  17. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.70-71.
  18. “ボクが存在した瞬間からその名がついており、やりたいこともちゃんと決まっていた。しかし悲しいことにぼくには国籍がない。今までに自分の名で人から呼ばれたこともない。もしボクが生まれた時からボクのままであれば、わざわざ切断した頭部を中学校の正門に放置するなどという行動はとらないであろう やろうと思えば誰にも気づかれずにひっそりと殺人を楽しむ事もできたのである。ボクがわざわざ世間の注目を集めたのは、今までも、そしてこれからも透明な存在であり続けるボクを、せめてあなた達の空想の中でだけでも実在の人間として認めて頂きたいのである。それと同時に、透明な存在であるボクを造り出した義務教育と、義務教育を生み出した社会への復讐も忘れてはいない/だが単に復讐するだけなら、今まで背負っていた重荷を下ろすだけで、何も得ることができない/そこでぼくは、世界でただ一人ぼくと同じ透明な存在である友人に相談してみたのである。すると彼は、「みじめでなく価値ある復讐をしたいのであれば、君の趣味でもあり存在理由でもありまた目的でもある殺人を交えて復讐をゲームとして楽しみ、君の趣味を殺人から復讐へと変えていけばいいのですよ、そうすれば得るものも失うものもなく、それ以上でもなければそれ以下でもない君だけの新しい世界を作っていけると思いますよ。」/その言葉につき動かされるようにしてボクは今回の殺人ゲームを開始した。” 1997年6月4日に少年Aが神戸新聞社宛てに書いた声明文.
  19. 浅野健一, 川崎章「対談 今、再び神戸事件の真相を問う.」『早稲田大学新聞』2002年6月27日(木)発行. 資料3.
  20. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.126.
  21. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.88-89.
  22. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.14-15.
  23. 永井俊哉「酒鬼薔薇聖斗のバタイユ的解釈『教養のためのコラム』第9号. 1999/10/03.
  24. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.14-15.
  25. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.100.
  26. 元少年A.『絶歌』太田出版. 初版 (2015/6/11). p.102.
  27. “signifiant d’un manque dans l’Autre” Jacques Lacan. Ecrits. Seuil (1966/11/1). p.818.
  28. 酒鬼薔薇が手記「絶歌」で書けなかった本性とは?「担当女医への衝動的行動」 .” 『アサ芸プラス』株式会社徳間書店. Posted on 2015年6月30日 5:55 AM.