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2014年12月4日

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私の著作『カントの超越論的哲学』の解説動画、書誌情報、販売場所、概要、読者との質疑応答などを掲載します。本書に関してコメントがありましたら、このページの下にあるコメント・フォームに投稿してください。誤字脱字の指摘から内容に関する学問的質問に至るまで幅広く受け入れます。

2012年4月8日

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微積分学が創設された当時、極限は無限小や無限大といった無限概念を用いて求められていた。しかし、初期の頃の手法には矛盾が含まれており、この矛盾を解消するために ε-δ(イプシロン-デルタ)論法や超準解析などの方法が考案された。数学者たちは自覚していないが、これらの方法は、カントの超越論的観念論によって成し遂げられた哲学的なパラダイム転換によって基礎付けられる。すなわち、現代の方法は、「無限自体」の認識を断念し、《無限の認識》を《認識の無限》へと転換するコペルニクス的転回によって、無限のパラドックスを解消しているのである。

2011年7月6日

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神は完全な無限者であり、その神がたんに観念的で現実に存在しないならば、完全な無限者とは言えないので、神は現実に存在する。このような神の存在の証明を存在論的証明と言い、アンセルムスやデカルトなどによって行われてきた。カントは、存在論的証明が、分析的判断と総合的判断を混同する間違いを犯していると指摘したが、存在論的証明の誤謬は、それとは異なるところに、すなわち、存在論的証明がその存在を証明する完全な無限者は、キリスト教徒が神と考える全知全能の至高な存在者とは全く逆の存在者であるというところにある。

2000年11月5日

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自分の認識に限界があると認識できる人は、実は自分の認識の限界を超越している。限界の内部にいる人には、限界が見えない。限界を超越して初めて、限界を認識することができる。認識の限界を認識することは、超越を論じることであり、超越論的である。

1997年9月1日

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カントの哲学を行為論的・目的論的に解釈するとき、認識的・身体的を問わず、行為一般の究極目的は何かが問題となってくる。このページでは、これまでの「カントの純粋理性批判」と「カントの実践理性批判」での議論を踏まえ、『判断力批判』を、理性の自己実現を究極目的とする目的論的哲学としてヘーゲル的に再構築してみたい。

1997年9月1日

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カントにとって『実践理性批判』は『純粋理性批判』とは異なって超越論的哲学ではなくて、超越的哲学である。だが、本当に道徳法則は、カントが考えたほど超越的であるのだろうか。このページでは、「カントの純粋理性批判」の続編として、理論理性と実践理性、認識行為と身体行為はどこまで同じで、どこが違うのかを考えながら、カントの実践哲学の成否を検討したい。

1997年9月1日

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自然科学者は、自然法則を探求するが、なぜ自然に法則があるのかまでは探求しない。人間が発見した法則にはどれだけの妥当性があるのか。これは科学ではなくて、哲学の問いである。カントが『純粋理性批判』で提示した批判哲学を検討しながら、超越論的哲学とは何かを考えてみよう。