日本と覇権国との関係はどうあるべきか
日本は、覇権国と同盟関係を築き、その先進文明を取り入れると、国運が隆盛に向かい、覇権国との同盟関係を解消したり、覇権国と戦おうとしたりすると、国運が衰退に向かうという傾向がある。この傾向を過去の歴史で確認しつつ、今後日本が世界とどう向き合っていくべきかを考えたい。
景初四年銘の盤龍鏡
日本で発見される三角縁神獣鏡には、景初四年という魏の年号に無い年号が使われていることから、鏡の製作地をめぐって論争が起きている。『晋書志第二天文中』に収録されている逸話を「景初四年」の根拠とする人もいるが、後世の民間説話を景初四年銘の鏡が魏で制作された根拠とすることはできない。
集団的自衛権の行使は危険か
明治維新以降、日本の外交は、親アングロサクソンの保守が権力を掌握している時は安定し、反アングロサクソンの革新が権力を掌握すると危機に瀕するという傾向がある。当時「革新」と呼ばれていた反米リベラルが惹き起こした太平洋戦争を本当に反省しているのであれば、現在反米リベラルが反対しているのとは逆のことをするべきである。
北朝鮮の金体制を崩壊させる最も簡単な方法
中国の同意のもと、米国が北朝鮮の核兵器の施設等を空爆し、北朝鮮を軍事的に無力化させる。中国が人民解放軍の地上部隊を北朝鮮に投入し、現政権を打倒し、そこに中国の傀儡政権を樹立させる。北朝鮮で中国式の改革開放路線を進め、生活水準を徐々に高めていく。このレジューム・チェンジは、周辺国にメリットがある。
ネット右翼に関する統計分析
統計分析から、嫌韓嫌中だから右翼的であるとも、右翼的だから嫌韓嫌中であるとも言えないということがわかる。日本のネットユーザに嫌韓嫌中が多いのは事実だが、左翼がネット右翼の増加を日本政治の右傾化と懸念したり、右翼が嫌韓嫌中のネットユーザとの連携を模索したりといったことは、勘違いによると言わなければならない。
老子における道とは何か
老子(老聃)は、春秋時代の中国の思想家で、『老子道徳経』の著者とされているが、長い間その実在が疑問視されてきた。はたして老子は実在したのか、それとも『老子道徳経』は後世の偽作か。『老子道徳経』で論じられる「道」とは何のことか。反儒教としての道家には、どのような思想的意義があるのか。
日本は覇権国になりうるのか
現在、覇権国家として、世界で支配的な権力を握っているのは米国である。将来、多くの人がそう予想するように、中国が、米国に代わって覇権国家となるのだろうか。かつて有力な候補だった日本が覇権国家となることはもはや不可能か。過去の覇権国家の盛衰から、覇権国家の法則を導き出し、それに基づいて、これらの問題を考えてみたい。
中国のハレム
ハレムは、フロイトが未開社会の神話において想定した、息子に去勢を強いて、女を独占する、専制君主的父親を髣髴とさせる。もし去勢を単に服従させることという意味で象徴的に理解するなら、人間の社会どころかサルの社会にまでハレムを見出すことができる。しかし、去勢を文字通り行った専制君主は、私が知る限り、オスマントルコ帝国のスルタンと中国の皇帝ぐらいである。ここでは、中国のハレムを精神分析学的に考察したい。
天皇のスケープゴート的起源
天皇の起源がスケープゴートだったということは意外であろう。例えば極東軍事裁判がそうであるように、多くの人が天皇のスケープゴートにされてきたから、逆ではないかと訝しむのは自然なことだ。しかし黎明期における天皇は、未開社会における酋長と同じで、スケープゴートの色彩が強い。皇祖天照大神を卑弥呼に比定し、そのスケープゴート的起源を明らかにしたい。