ネガティブな交換の貨幣は何か

物々交換が、快楽の交換という意味でポジティブな交換であるとするならば、復讐は、苦痛の交換という意味でネガティブな交換である。ポジティブな交換の媒介者が貨幣だとするならば、ネガティブな交換における貨幣は何か。
貨幣と言語の類似性

自給自足の経済を想像することができるように、他者の力を借りずに自分だけで情報収集や創作をする文化も想像可能である。だが、実際には、私たちは貨幣を通じて商品交換をするし、言語を通じて意見交換をする。
非対称的贈与システム

物々交換に代表される対称的贈与システムでは、受益と負担が共時的に交換される。贈与システムに貨幣が媒介しても同じことである。ハイパーインフレで、紙幣が紙くずになるリスクがないわけではないが、基本的には、「負担なき受益者」も「受益なき負担者」も認めない対称的な交換システムである。しかし非対称的贈与システムでは、ギフトとカウンターギフトとの間に差延があり、かつ構造的に誰かがババをつかまなければならないようになっている。もちろん誰もババをつかみたくない。だから、非対称的贈与システムは、ネズミ講と同様に、被害者を出さないためには常に新たに被害者を作り続けなければならない。
結婚における市場の論理

結婚は交換である。では結婚において何が交換されるのか。何を基準に交換されるのか。恋愛結婚を行う自由市場は、いつ、なぜ生まれたのか。結婚制度は今後どうなるのか。交換としての結婚を社会学的に考えてみよう。
貿易と結婚の起源

かつてレヴィストロースは、結婚を女の交換と捉えたが、プリミティブな社会では、女の交換である結婚は、物の交換である貿易と密接に関わっている。そして貿易と結婚という平和なコミュニケーションは、略奪と強姦をともなう無法な戦争におけるコミュニケーションを止揚したものである。
復讐の経済学

経済的交換がポジティブな価値の交換であるのに対して、復讐はネガティブな価値の交換である。前者の交換媒体が貨幣であるとするなら、後者の交換媒体は何であるのか。経済資本に相当する資本は何であるのか。このページでは、マルクスの『資本論』の価値形態論・剰余価値学説等を範に仰ぎつつ、交換としての復讐から公的刑罰、さらには国家権力を導出する《復讐の経済学》を試みる。
結婚の経済学

結婚は交換であり、コミュニケーションであるが、結婚のコミュニケーション・メディアは資本の犠牲であり、愛は、ルーマンがそう取り違えたように、コミュニケーション・メディアではなくて、資本の犠牲によって伝達される形式である。結婚は、時代や文化圏を問わず、コミュニケーションであると言えるが、前近代社会における贈与婚と近代社会における当事者どうしの恋愛結婚とでは形態が異なるので、前者を第一項で、後者を第二項で、さしあたり分けて考察してみたい。第三項では、結婚市場における資本の蓄積の格差について論じる。