ヤマトは本来どこにあったのか
大和(やまと)は、本来「山処」で、「山のような高い場所」という意味なので、日本神話における「高天原」の概念と同じである。アマテラスが高天原に君臨していたという神話は、卑弥呼が邪馬台国を都としていたという史実に基づいている。そして、≪甘木=天城≫は、≪山処=高天原≫の有力な候補である。
卑弥呼の墓はどこにあったのか
卑弥呼の墓がどこにあったかは、邪馬台国がどこにあったかを決める上で重要な問題であり、畿内説では、奈良県桜井市にある箸墓古墳が、九州説では、福岡県糸島市にある平原遺跡1号墓が有力候補である。現在歴史学界で最も有力視されているのは、箸墓古墳であるが、『三国志』魏書東夷伝倭人条の記述との整合性からすれば、平原遺跡の方が、卑弥呼の墓である可能性が高い。
崇峻天皇を暗殺したのは蘇我馬子か
崇峻天皇は、蘇我馬子が放った刺客、東漢直駒に弑逆されたと『日本書紀』は伝えている。人臣が天皇を殺害したことは、空前絶後であり、このため、蘇我馬子は稀代の逆臣と謗られてきた。だが、実際には、この事件は東漢直駒の個人的犯行にすぎず、馬子黒幕説は、馬子を悪者に仕立て上げようとする政治的意図から、藤原不比等によって捏造されたものである可能性が高い。
仏教はなぜ日本で普及したのか(振り仮名付き)
2001年に私が書いた「仏教はなぜ日本で普及したのか」には読みにくい漢字があるので、別途振り仮名付き版を作成しました。但し、原文は改訂されているので、原文とは内容が多少違います。違いはそれほど大きくはないので、漢字が苦手な方はこちらのページをお読みください。
仏教はなぜ日本で普及したのか
伝統的な神を祀る日本の天皇家にとって、異国の宗教である仏教を受け入れることは、自殺行為のように思える。それにもかかわらず、なぜ仏教は、日本では、上から下へと、権力者が推奨する中で普及したのか。気候的背景から考えてみよう。
天皇のスケープゴート的起源
天皇の起源がスケープゴートだったということは意外であろう。例えば極東軍事裁判がそうであるように、多くの人が天皇のスケープゴートにされてきたから、逆ではないかと訝しむのは自然なことだ。しかし黎明期における天皇は、未開社会における酋長と同じで、スケープゴートの色彩が強い。皇祖天照大神を卑弥呼に比定し、そのスケープゴート的起源を明らかにしたい。