ヒュームの懐疑論に対する懐疑論
18世紀のスコットランドの哲学者、デイビット・ヒュームは、因果関係の客観性や道徳命題の妥当性を疑った懐疑論者として有名である。しかし、原因と結果、「である」と「するべき」は異質で、その結合は主観的であるがゆえに不確定であるという懐疑論は本末転倒である。むしろ、不確定であるからこそ、その不確定性を縮減するために、主観は、原因と結果、事実と価値を分割しなければならないというのが真実である。
なぜ因果関係は必然的ではないのか
18世紀のイギリスの哲学者、デイビット・ヒュームは、因果関係の客観性を疑った懐疑論者として有名である。しかし、原因と結果の結びつきだけでなく、原因と結果の分割自体が主観的であり、その主観的動機を考えるならば、事象を原因と結果に分割した段階で、既に両者の関係は不確定になっていると言うことができる。
原因と理由の違いは何か
一般には原因も理由も、何かを説明するために、区別なく使われているが、哲学的には、両者は区別されるべきである。原因(cause)が「惹き起こす」、理由(reason)が「推論する」という動詞として使われることを手掛かりに、両者の違いを探っていこう。