任那日本府は存在したのか
任那(みまな)日本府とは、『日本書紀』に記されている、朝鮮半島南部に存在したとされる倭の統治機関である。韓国学界は、古代の朝鮮半島に倭の領土があったことを否定しているが、文献的資料と考古学的事実は、卑弥呼の時代から倭の五王の時代にかけて、朝鮮半島南岸が倭の統治下にあったことを示しており、その後、562年に消滅するまで、倭が朝鮮半島南部に拠点を持っていたことは史実として受け取ることができる。
ヤマトは本来どこにあったのか
大和(やまと)は、本来「山処」で、「山のような高い場所」という意味なので、日本神話における「高天原」の概念と同じである。アマテラスが高天原に君臨していたという神話は、卑弥呼が邪馬台国を都としていたという史実に基づいている。そして、≪甘木=天城≫は、≪山処=高天原≫の有力な候補である。
崇峻天皇を暗殺したのは蘇我馬子か
崇峻天皇は、蘇我馬子が放った刺客、東漢直駒に弑逆されたと『日本書紀』は伝えている。人臣が天皇を殺害したことは、空前絶後であり、このため、蘇我馬子は稀代の逆臣と謗られてきた。だが、実際には、この事件は東漢直駒の個人的犯行にすぎず、馬子黒幕説は、馬子を悪者に仕立て上げようとする政治的意図から、藤原不比等によって捏造されたものである可能性が高い。
日本書紀はどのようにして成立したのか
『日本書紀』は、もともと天武天皇が、自らの権力の継承が正当であること、自分の称号として定めた「天皇」が、雄略朝の時期から続く由緒あるものであることを国内外に誇示するために、編纂された。しかし、後に修史事業を受け継いだ藤原不比等は、聖徳太子という聖人を捏造し、蘇我氏を聖徳太子の子孫を滅ぼした悪役にし、その悪役を滅ぼした中大兄皇子と中臣鎌足を英雄にし、天皇親政の中央集権国家の建設という天武天皇の業績を、二人の業績にすり替えるべく、改竄を加えて、『日本書紀』を完成させた。
アカマツの回廊が示唆する神武東征
アカマツは、人間が森林を破壊した後に生える。だから、アカマツの花粉を分析することで、人間が森林を破壊した歴史をたどることができる。安田喜憲は、『森の日本文化―縄文から未来へ』で、アカマツが分布を広げる地帯をアカマツの回廊と名付けた。アカマツの回廊は、日本神話が伝える神武東征を、ひいては邪馬台国東遷説を環境考古学的に裏付けている。
仏教はなぜ日本で普及したのか(振り仮名付き)
2001年に私が書いた「仏教はなぜ日本で普及したのか」には読みにくい漢字があるので、別途振り仮名付き版を作成しました。但し、原文は改訂されているので、原文とは内容が多少違います。違いはそれほど大きくはないので、漢字が苦手な方はこちらのページをお読みください。
仏教はなぜ日本で普及したのか
伝統的な神を祀る日本の天皇家にとって、異国の宗教である仏教を受け入れることは、自殺行為のように思える。それにもかかわらず、なぜ仏教は、日本では、上から下へと、権力者が推奨する中で普及したのか。気候的背景から考えてみよう。