中央卸売市場は必要か
日本には、中央卸売市場という地方公共団体等が農林水産大臣の認可を受けて開設する官製マーケットが存在するが、日本の政治家でその存在を疑問視する人はほとんどいない。代表的な中央卸売市場である築地市場の移転問題においても、豊洲新市場に移転するか、それとも改修することで築地において存続させるかがもっぱら争点になっていて、両方とも廃止せよという声は聞こえてこない。だが、情報革命による流通の合理化が進展する中、生鮮食料品の流通のために、このような官製マーケットが本当にこれからも必要なのかという根源的な問いこそが問われなければならない。
日本人はなぜ学力が高いのに生産性は低いのか
もしも企業が、業界最高の人材を集めながら、業界最低の業績しか出せないことに気付いたなら、企業は直ちに経営の在り方を抜本的に見直すに違いない。さもなくば、従業員たちは安い給料に不満を募らせて職場を去り、その会社の経営は立ち行かなくなるからだ。ところが、日本は、先進国で最高の人材を持ちながら、先進国で最低の労働生産性しか出せていないという最悪のシステムを長期にわたって放置し続けている。日本人は国内の待遇が悪くても海外にはなかなか逃げないし、日本は経済大国であるため簡単には破綻しないから、政治家たちはあまり深刻にはとらえていない。しかし、私たちは、この情けない状況を変えるために努力しなければならない。
情報化時代のパラダイムシフト
ジャン・フランソワ・リオタールが『ポストモダンの条件』で、「大きな物語の終焉」を語ったのは、1979年のことである。70年代以降起きた思想のパラダイム・シフトの本質は、一行の詩という意味でのユニバースがの時代から、多数の行の詩という意味でのマルチバースの時代への転換である。
どうすれば電子書籍は普及するのか
電子書籍のメリットの一つは、著者が中間搾取を減らして、よりダイレクトに本を出版できるところにある。そうしたダイレクト・パブリッシングを受け入れるかどうかは、著者や読者といった個人の利益と出版社や取次といった業界団体の利益のどちらを重視するかにかかっている。米国では前者の利益が重視され、日本では、再版制の維持にも表れているように、後者の利益が重視されている。日本は、もっと前者の利益を重視するべきではないだろうか。
無騒音自動車の問題とその抜本的解決方法
未来の交通システムにおいては、多くの自動車が走っているにもかかわらず、静かだろう。なぜならば、必要な情報が必要なところにしか流れないからだ。情報が無差別に流されると、情報がノイズと化し、必要な情報が埋もれてしまう。情報社会は、そうした情報エントロピーの増大に抗する社会でなければいけない。
総合学習はなぜ失敗したのか
「生きる力」が、私たちが獲得しなければならない最も重要な力であることは、言うまでもない。しかし、だからといって、学校教育において、体験学習を通じた「生きる力」の育成にもっと時間を割くべきだという結論にはならない。そうした考えは、人は学校以外で学習することはないという間違った前提に基づいている。
日本の高等教育の現状を批判をする理由
私が、日本の高等教育(大学や大学院)の現状を批判する理由は、私が博士課程にまで進学したにもかかわらず、大学教員になれなかったことに対する私怨ではない。高等教育を脱社会主義化することが、国家の競争力向上のために重要であると考えているからである。政府の高等教育に対する補助金を今以上に増やしても、日本の高等教育が抱えている構造的な問題の解決にはならないし、日本政府が財政破綻した時に、道連れになるリスクを高めるだけだ。
文明を持続可能にするための提案
1987年のブルントラント報告「私たちの共通の未来」以降、持続可能性(sustainability)は、人類が行う開発のエコロジカルな持続可能性を指す概念として頻繁に使われるようになった。その背景には、産業革命以降、人類の開発は加速度的に進んだために、その持続可能性が疑問視されるようになったことがある。では、人類文明を持続可能にするには、どうすればよいのか。このページでは、そのための方策として、(1)人口増加の抑制、(2)植生の維持と回復、(3)再生可能エネルギーの利用の三つを提案したい。
知識依拠型経済のグローバル化
MIT教授で、エコノミストのレスター・サローは、グローバリゼーションを生き延びるためには、知識依拠型経済への移行が必要であると言う。知識依拠型経済とは何か。知識依拠型経済へ移行するために日本はどうすればよいのか。世界的にどのような取り組みが必要なのかといった問題を考えよう。
権力の脱中心化
一般的に言って、寒冷化はシステムの集権化をもたらし、温暖化はシステムの分権化を促す。中世温暖期から近代小氷期にかけて社会システムは中央集権化したが、その後の温暖化により社会システムは脱中心化しつつある。本稿は、近代小氷期に集権化した情報システム、政治システム、経済システムという三種類の社会システムが、現代において分権化している現状を指摘する。
植物型情報システムの時代
動物の神経システムが求心的であるのに対して、植物の情報伝達システムは分散的である。従来のマスメディアが中央集権的に管理されているのに対して、インターネットは脱中心化されている。だから、マスコミに代わってインターネットが台頭しているということは、人類の情報システムが、動物型から植物型に移行しつつあるということである。なぜこのような現象がおきるのか、その時代背景を探ってみよう。
松村劭の戦争学
戦争が別の手段をもってする政治の継続であるとするならば、どのようにして戦争を行うかは、その国の政治が平和時にどのように機能しているかとは無関係ではありえない。松村劭の『戦争学』と『新・戦争学 』を参考に、古代から現代の戦争の歴史を振り返りながら、政治システムの構造変換の歴史を考えてみよう。
米国はもう覇権国ではないのか
米国はイラク戦争の失敗で世界の顰蹙をかった。米国はもはや、世界の指導者としての資格がないと感じる人が増えている。そういう感情に受けたのか、トッドの『帝国以後―アメリカ・システムの崩壊』は世界的なベストセラーとなった。はたして、トッドが言うように、米国の覇権は本当に崩壊したのだろうか。
ネットはメディアをどう変えるのか
インターネットの普及により、個人がメディアの主役になれるのか、それとも相変わらず大企業がメディアを支配し続けるのか。ニュースの選別をアクセスランキング等に頼っていると、興味本位の記事ばかりが読まれ、まじめなニュースが読まれなくなるのかといったネットメディアの未来に関する考察。
リベラリズムとリバタリアニズム
日本では、明治時代以来、英語の"liberalism"は、「自由主義」と訳されてきた。この訳は、英国の古典的なリベラリズムの訳としては適切である。しかし、今日米国で使われているリベラリズム(liberalism)は、自由主義とはかなり異なる意味を持っている。そこで、本来の自由主義を意味する言葉としてリバタリアニズム(Libertarianism)という用語が使われるようになった。
ニューエコノミーとは何か
1990年代の後半、ナスダックの株価が青天井に上昇していた頃、「ニューエコノミー」という言葉が流行った。複雑系の経済学のパイオニア、ブライアン・アーサーによれば、オールドエコノミーが収穫逓減の法則に基づいていたのに対して、ニューエコノミーは、収穫逓増の法則に基づいているので、無制約的な成長が可能ということになる。このバブルを煽った理論は、どこが間違っていたのか。
ピグー税による少子化の促進
教育への投資を促進し、知的労働者を増やし、知識集約型経済を作れば、環境に過大な負荷をかけることなく、経済を成長させることができるからである。社会的に必要な数以上の人口を作らないためにも、教育費という人口論的ピグー税を人口の生産者に課すべきである。
現代のグローバル・スタンダードは何か
日本人の中には、グローバリゼーション、すなわちグローバル・スタンダードの押し付けによって、古き良き日本が失われ、世界のアメリカ化が進むことを嘆く人が多い。しかし、グローバル・スタンダードを受け入れるということは、日本をアメリカ化することではない。
情報革命は経営と雇用をどう変えるか
農業革命(食料生産革命)によって農業社会が、工業革命(Industrial Revolution 産業革命)によって工業社会が成立したように、今、情報革命によって情報社会が生まれつつある。この論文では、情報革命が経営形態にどのような変化をもたらすかを論じたい。
ネット通販はどうすれば普及するのか
ネット人口は増え続けているが、ネット通販は、いっこうに流通の主役になりそうにない。ネット通販は、便利なだけでなく、環境への負荷をも減らすことができる。そこで、普及に向けての起爆剤を提案したい。