ヒュームの懐疑論に対する懐疑論

18世紀のスコットランドの哲学者、デイビット・ヒュームは、因果関係の客観性や道徳命題の妥当性を疑った懐疑論者として有名である。しかし、原因と結果、「である」と「するべき」は異質で、その結合は主観的であるがゆえに不確定であるという懐疑論は本末転倒である。むしろ、不確定であるからこそ、その不確定性を縮減するために、主観は、原因と結果、事実と価値を分割しなければならないというのが真実である。
哲学は何から始まるのか

哲学は、古代のギリシャにおいて、アルケー、すなわち万物の根源は何かという問いから始まった。哲学としてのシステム論の結論は、世界がそこから立ち現れ、哲学がそこから始まるところのアルケーとは、不確定性であるというものだ。アルケーが、あれやこれやの要素であるとか、基体=意識主体であるとかいった従来の哲学者たちの主張は、本来のアルケーの忘却から生じる。不確定性は、時間的にも、理論的にも、すべてに先立つのである。
地球温暖化論争の三つの争点

今日、地球温暖化は全人類的課題として広く認識されるようになったが、他方で懐疑論も根強く残っている。一口に懐疑論といっても、様々なものがあるのだが、大別すると、温暖化という事実を疑う懐疑論、温暖化の事実は認めるが、その原因が人為的であることを疑う懐疑論、人為的原因で温暖化が起きていることを認めた上で、温暖化が悪であることを疑う懐疑論の三種類にまとめられる。このページでは、温暖化の事実、原因、評価という三つの争点について懐疑論の問題提起を検討し、私たちが地球温暖化にどう向き合うべきかを考えるための手掛かりとしたい。