リベラリズムとリバタリアニズム
日本では、明治時代以来、英語の"liberalism"は、「自由主義」と訳されてきた。この訳は、英国の古典的なリベラリズムの訳としては適切である。しかし、今日米国で使われているリベラリズム(liberalism)は、自由主義とはかなり異なる意味を持っている。そこで、本来の自由主義を意味する言葉としてリバタリアニズム(Libertarianism)という用語が使われるようになった。
ルソーのノスタルジーは正しいのか
ルソーやマルクスは、文明成立以前の発展段階に戦争も階級もないユートピアをノスタルジックに想定した。今でも人類学者や考古学者の多くは、未開社会や原始社会は、本来平等で平和であったと考える傾向にある。しかし、このノスタルジーに科学的な根拠はない。
フーコーの権力論
フーコーによれば、真理と権力は、根源的に同一である。この権力論の新たなパラダイムは、権力を反選好的抑圧とみなす従来の権力概念を一新するものであった。もしも、マルクス主義者たちのように、国家権力を、支配者階級の利益を擁護する/被支配者階級にとってはあらずもがなの抑圧と考えるならば、既存のブルジョワ国家の打倒がそのまま権力なきユートピアの誕生になるはずであるが、実際に成立した共産主義諸“国家”の現状を見れば、現代においても権力がいかに人間社会にとって根源的で本質的で必要不可欠であるかが理解されるはずである。マルクス主義者もフーコーから学ぶべきものを学ばなければならない所以である。