このウェブサイトはクッキーを利用し、アフィリエイト・リンクを含んでいます。サイトの使用を続けることで、プライバシー・ポリシーに同意したとみなします。

2018年4月23日

Thumbnail of post image 079
永井は日本では比較的ありふれた名字で、その先祖は様々である。永井氏の中でも、永井直勝(なおかつ)を初代とする江戸時代の家系が、明治以降、永井荷風や三島由紀夫を輩出して有名であるが、私の家系は、そうした長田氏が改姓した永井氏ではなくて、大江広元の次男を初代とする長井氏の末裔であるようだ。

2014年10月21日

Thumbnail of post image 048
日本で発見される三角縁神獣鏡には、景初四年という魏の年号に無い年号が使われていることから、鏡の製作地をめぐって論争が起きている。『晋書志第二天文中』に収録されている逸話を「景初四年」の根拠とする人もいるが、後世の民間説話を景初四年銘の鏡が魏で制作された根拠とすることはできない。

2013年10月30日

Thumbnail of post image 015
太平洋戦争に敗北して以来、多くの日本人は、自分たちがどこで道を誤ったのかを自省するようになった。過去に遡るほど抜本的な軌道修正が可能なのだが、話を明治時代以降に限定するなら、日露戦争の回避が最もよかったのではないだろうか。実際、それまで良好であった日米関係が悪化し始めたのは、日露戦争後のことなのだから。

2010年7月14日

Thumbnail of post image 081
大和(やまと)は、本来「山処」で、「山のような高い場所」という意味なので、日本神話における「高天原」の概念と同じである。アマテラスが高天原に君臨していたという神話は、卑弥呼が邪馬台国を都としていたという史実に基づいている。そして、≪甘木=天城≫は、≪山処=高天原≫の有力な候補である。

2008年12月15日

Thumbnail of post image 132
東洲斎写楽は、江戸時代に、突如彗星のごとく華々しく現れ、画期的な浮世絵を大量に発表しながら、10ヶ月で忽然と姿を消した謎の天才絵師である。写楽とはどういう人物だったのか。写楽はあのデフォルメされた役者絵で何を表現したかったのか。写楽にまつわるさまざまな謎を解き明かしたい。

2002年8月3日

Thumbnail of post image 141
豊臣秀吉は、晩年、1592年(文禄の役)と1597年(慶長の役)の二回にわたって、明を支配するために朝鮮半島に兵を送ったが、戦果は芳しくなく、秀吉の死後、日本軍は朝鮮半島から撤退した。なぜ、秀吉はこのような出兵を行い、そして失敗したのだろうか。