任那日本府は存在したのか
任那(みまな)日本府とは、『日本書紀』に記されている、朝鮮半島南部に存在したとされる倭の統治機関である。韓国学界は、古代の朝鮮半島に倭の領土があったことを否定しているが、文献的資料と考古学的事実は、卑弥呼の時代から倭の五王の時代にかけて、朝鮮半島南岸が倭の統治下にあったことを示しており、その後、562年に消滅するまで、倭が朝鮮半島南部に拠点を持っていたことは史実として受け取ることができる。
朝鮮人はなぜ太平洋戦争を喜んだのか
今日、韓国と北朝鮮は、太平洋戦争の被害者と称して、日本に対して謝罪と賠償を求めている。しかし、当時の朝鮮人は、太平洋戦争を熱烈に支持し、侵略戦争の被害者というよりもむしろ加害者としての役割を果たしていた。では、なぜ反日的なはずの朝鮮人が、日本の侵略戦争に加担したのだろうか。彼らの戦略のルーツは、元寇での成功体験にまで遡る。
秀吉の朝鮮出兵はなぜ失敗したのか
豊臣秀吉は、晩年、1592年(文禄の役)と1597年(慶長の役)の二回にわたって、明を支配するために朝鮮半島に兵を送ったが、戦果は芳しくなく、秀吉の死後、日本軍は朝鮮半島から撤退した。なぜ、秀吉はこのような出兵を行い、そして失敗したのだろうか。