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2012年6月10日

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不定積分とは、下端が定数で上端が変数の積分であり、たんに原始関数を求めるだけの原始積分とは区別されるべきである。また、原始積分に含まれる原始積分定数と不定積分の下端が作りだす不定積分定数も区別されるべきである。積分は微分の逆演算とよく言われるが、これは数学的には間違いである。原始関数の集合と非積分関数の集合との対応関係は一対一ではなく、多対一であるから、逆写像の関係は成り立たない。微分と積分は分析と総合の関係にあり、導関数は元の関数の情報の一部しか持たないので、それだけで全体の情報を復元することはできない。

2012年4月8日

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微積分学が創設された当時、極限は無限小や無限大といった無限概念を用いて求められていた。しかし、初期の頃の手法には矛盾が含まれており、この矛盾を解消するために ε-δ(イプシロン-デルタ)論法や超準解析などの方法が考案された。数学者たちは自覚していないが、これらの方法は、カントの超越論的観念論によって成し遂げられた哲学的なパラダイム転換によって基礎付けられる。すなわち、現代の方法は、「無限自体」の認識を断念し、《無限の認識》を《認識の無限》へと転換するコペルニクス的転回によって、無限のパラドックスを解消しているのである。

2011年8月2日

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ライプニッツは、自分の形而上学を予定調和説と名付けていたが、この形而上学の学説は神の存在論的証明を前提にしている。存在論的証明は神の遍在を説く汎神論を帰結し、そこからさらに、連続律に基づいて、神に当てはまることをすべての実体に当てはめることでモナドロジーが帰結し、充足理由律に基づいて、なぜこの世界が現実存在するかを問うことで最善説が帰結する。ライプニッツは、神は可能的な宇宙をすべて認識する認識力、その中で最善のものを選ぶ善意、そしてそれを現実存在するようにする実行力を持つと想定するが、そのような神は、存在論的証明によってその存在が証明される、たんなる宇宙の合計以上のものであり、両者を同一視することはできない。また、私たちが誤謬、悪、失敗を経験する以上、有限な存在者の認識、意思、行為に予定調和説を適用することはできない。

2011年7月6日

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神は完全な無限者であり、その神がたんに観念的で現実に存在しないならば、完全な無限者とは言えないので、神は現実に存在する。このような神の存在の証明を存在論的証明と言い、アンセルムスやデカルトなどによって行われてきた。カントは、存在論的証明が、分析的判断と総合的判断を混同する間違いを犯していると指摘したが、存在論的証明の誤謬は、それとは異なるところに、すなわち、存在論的証明がその存在を証明する完全な無限者は、キリスト教徒が神と考える全知全能の至高な存在者とは全く逆の存在者であるというところにある。