高齢者の増加は有害なのか

老害批判は昔から存在するが、近年、若年者層に対する高齢者層の人口比率が増え、若年者層が高齢者層を支えるという日本の社会保障の理念が維持不可能になってきたため、高齢者叩きと社会保障制度批判が激しくなってきた。高齢者の延命よりも、もっと子育てに金を使うべきだと主張する人もいる。確かに日本の社会保障制度は抜本的な改革を必要としているが、少子高齢化のトレンド自体は否定されるべきではない。私たちは、高齢者を老害として排除するのではなく、高齢者から老害を排除するべきであり、年功序列システムを前提に高齢に引退を求めるのではなく、前提となっている年齢差別自体を廃止するべきである。
社会福祉は必要か

社会福祉は不要である。安心して暮らすことができる社会を作る上で必要なのは保険であり、保険は営利企業に委ねることができる。社会福祉の機能を民間の保険会社に代行させ、社会保障の分野に市場原理を導入することは、大きな政府の弊害を是正する上で重要である。私たちは、政府が強者から税を徴収して弱者にばらまく福祉中心型社会から、幸運な者と不幸な者がリスクヘッジのコストを分担し合う保険中心型社会へと移行するべきである。
情けは人のためならず

「情けは人のためならず」という諺の意味の解釈が、日本人の間で変化しつつある。これは、福祉国家の理念が破綻し、新自由主義が台頭するという時代の流れを反映したものである。つまり、若い世代の日本人は、自助自立・自己責任・受益者負担といった新自由主義的原則を当然視しているということである。
フーコーの権力論

フーコーによれば、真理と権力は、根源的に同一である。この権力論の新たなパラダイムは、権力を反選好的抑圧とみなす従来の権力概念を一新するものであった。もしも、マルクス主義者たちのように、国家権力を、支配者階級の利益を擁護する/被支配者階級にとってはあらずもがなの抑圧と考えるならば、既存のブルジョワ国家の打倒がそのまま権力なきユートピアの誕生になるはずであるが、実際に成立した共産主義諸“国家”の現状を見れば、現代においても権力がいかに人間社会にとって根源的で本質的で必要不可欠であるかが理解されるはずである。マルクス主義者もフーコーから学ぶべきものを学ばなければならない所以である。