ウイルス進化説は正しいか

ウイルス進化説とは、進化はウイルスの感染によって起こるという仮説のことである。「ウイルス進化説」あるいは「ウイルス進化論」は、中原英臣と佐川峻による命名であるが、この仮説は海外では二人が提唱する前からあり、それらを含めた包括的な説とするなら、今日ウイルス由来の遺伝子が哺乳類の進化をもたらしたことが実証されているので、部分的には正しいということがわかっている。
高木由臣の有性生殖論

ゾウリムシの研究者、高木由臣は、2014年に出版した著書『有性生殖論』で、ゾウリムシのオートガミーを根拠に、有性生殖の機能を遺伝子の多様化に求める通説を否定し、有性生殖を、無性的一倍体化と無性的二倍体化を起源とする、蓄積した突然変異の有用性を検証する仕組みとする新説を提示している。高木の新説は正しいのかどうかを考えよう。
ヒトはなぜ難産なのか

ヒトにとって出産は痛くて苦しくて、場合によっては命にかかわる危険な営みであるが、他の動物にとってはそうではない。奈良貴史著の『ヒトはなぜ難産なのか』によると、直立二足歩行と頭脳の巨大化のおかげで、ヒトの出産は難産になった。難産という代償を払ってもこうした形態変化が起きた理由は何かを進化論的に考えたい。加えて出産の医療化という近年の傾向が新たな問題を作り出していることも取り上げたい。
人はどのような知を求めるのか

私たちは、必ずしも役に立つ知だけを求めているのではない。一見すると何の役にも立たない知を求めることもある。しかし、これは人類の生存にとって不利には働かない。なぜなら、種の存続には、環境適応のみならず、変化適応も必要だからだ。「よく遊びよく学べ」とはよく言ったもので、前者は変化適応力を、後者は環境適応力を高めよという教えとして解釈することができる。環境適応にばかり力を入れてると、環境が変化した時、それに適応できなくなるから、バランスが必要だ。
パラダイムとは何か

パラダイムの本来の意味は「模範」であり、クーンは、科学教育において学生が模範として模倣する教科書的な理論や実験方法をパラダイムと名付けた。正常科学においては、科学者はパラダイムに基づくパズル解きに従事するが、これは軽蔑するべき非生産的活動ではなく、科学が本来の機能を発揮するために必要なことであり、科学革命を頻繁に起こすよりも経済的に合理的である。科学革命においても新しいパラダイムは古いパラダイムを引き継いで生まれる。革命が非連続に見えるのは、競合するパラダイムの権力関係が急激に変化するからであって、新しいパラダイムが無から生じることはない。科学革命は、政治革命と同様に、システムの存続のための権力闘争であり、理論が現実をよりよく模写するためにパラダイム・シフトが起きるのではない。
有性生殖はなぜ必要なのか

地球で最初に誕生した生物は、無性生殖により増殖していたが、進化史上のどこかで、有性生殖が始まり、それが今日生殖の方法の主流となっている。それなら、有性生殖には、デメリット以上のメリットがあるはずなのだが、そのメリットとは何だろうか。
なぜキリスト教はダーウィンを非難するのか

チャールズ・ダーウィンが、1859年に出版した『種の起源』で進化論の学説を発表し、その学説がキリスト教の聖職者たちから非難されたことはよく知られている。では、なぜキリスト教はダーウィンの進化論と両立しないのか。ダーウィンが指摘した進化という事実が、神は、六日で世界を創造したとき、すべての生物を個別に創ったとする聖書の記述に反したからだと一般に言われているが、はたしてそれだけのことだったのだろうか。
知性とは何か

私たちが、人間と他の動物との間にある最も重要な違いと考えている属性は、高い知性である。しかし、知性が高いということは、具体的にはどういうことなのか。人はなぜ知性が高くなったのか。なぜネアンデルタール人が滅んだのかを考えながら、知性の本質を探ろう。
環境適応と変化適応

現在の環境に適応しようとすると、変化に適応しにくくなる一方で、変化に適応しようとするならば、現在の特殊な環境に適応しにくくなる。スペシャリストかジェネラリストかという選択を迫られる時、あなたならどちらを選ぶか。