定義とは何か
「定義とは何か」という問いは答えにくい問いである。この問いは定義の定義を求めているのだが、定義を定義しようとするならば、あらかじめ定義とは何かが分かっていなければならないからだ。この循環のディレンマから抜け出るために、いったん伝統的な方法で定義を定義した後で、その妥当性を検討する方法をとることにしよう。
私という言葉はなぜ必要なのか
「私」という言葉の使い方は、生得的ではなく、学習によって習得されるものである。多くの幼児は、自分のことを言及するのに、当初固有名詞を使う。「私」「ぼく」「おれ」といった一人称代名詞は、言語の使い方を学び始めて20ヶ月ほどたってからでないと習得されない難しい言葉なのである。では、私たちは、いつ、どのようにして、そしてなぜ一人称代名詞を使うようになったのだろうか。
他者は存在するのか
自分に意識があるということは確実な事実である。では他者にも同様の意識があるということをどうやって証明したらよいのであろうか。この証明に行き詰まる時、ひょっとしたら、意識がある存在者は自分だけではないだろうかという独我論が頭をもたげて来る。
他者認識と認識の不確定性
これまで哲学者たちは、独我論を論破するべく、他者の存在を証明しようとしたが、うまくいっていない。それは他者の存在を証明しようとしたからだ。証明するということは、そうであって他の様ではない必然性を示すこと、つまり、認識の他者性の排除であり、認識の他者性を排除しようとしている限り、他者の認識は不可能だからだ。