インターネットによる直接民主主義
インターネットが普及したおかげで、有権者が電子投票により、直接公共選択に参加することが技術的に可能になった。問題は、直接民主主義が、現行の間接民主主義よりも優れているかどうかである。
1. 公共選択はどうあるべきか
多くの日本人は、政治に不信感と無力感を抱いている。半数近い有権者は、選挙に行かないし、代議士を自分の代表だとは考えていない。公約違反、収賄、票田の世襲が横行し、民主主義が機能不全に陥っている。政治に民意を反映させるには、有権者が直接政策意思決定に参加するレファレンダム(referendum)が必要である。
レファレンダムの採用は、議会制民主主義を完全に否定するわけではない。議員には、政策立案・法案作成の仕事が残っている。議員に政策パッケージを作らせることで、有権者に過大な負担をかけさせたり、個別に可決された法や政策が相互に不整合となることはなくなる。
有権者が、ネットでの投票を通じて、与えられた政策パッケージに選好順序を与えることで最も高い得点を獲得した案が採択される。こうしたボルダ方式による票の集計は、アナログ投票では時間がかかるが、デジタル投票では簡単にできる。
投票が簡単にできるようになるから、「政策の選挙」だけでなく、「人の選挙」に関しても、従来より範囲を広げることができる。現在、日本国民は、国レベルの行政に対して自分たちの意思を直接に反映させる方法を持たないが、行政の最高責任者は直接国民が選ぶべきだし、その他の行政の上層部も、最高裁判所裁判官と並んで国民審査を受けるべきである。
裁判官の国民審査は、わかりにくくて不評だが、インターネット投票でなら、例えば、過去の論争の余地のある裁判のケースに自分の考えで判決を下し、それらから外れた判決を出した裁判官に、自動的に罷免の票が投じられるようにすれば、陪審制度など導入しなくても、国民の声を司法に反映させることができる。これ以外の投票でも、工夫次第で、わからないから棄権するという人の数を減らすことができる。
2. セキュリティ上の問題はないのか
電子投票システム自体は、国内外で普及しつつある。日本でも、2002年に電磁記録投票法が施行され、条例を定めるならば、地方自治体の選挙では、有権者が投票所に出向き、電子投票を行うことが可能となった。電子投票には、開票時間の短縮や人件費削減などのメリットがあるが、他方で、セキュリティ上の問題も指摘されている。2004年に行われたアメリカ大統領選挙では、電子投票が導入されたものの、投票結果が出口調査の結果と大きく食い違うケースが多数あり、ブッシュ陣営による陰謀がささやかれた。
こうした不正は、従来の選挙でも起きうることだが、電子投票、特にインターネットを使った投票では、権力者による干渉やハッカーによる侵入で、集計結果が不正に操作されたり、プライバシーが侵害されるといった不安がより大きいことも事実である。
しかし、ここで、インターネットはもともと、情報処理を脱中心化することでリスクを分散させる軍事技術であったことを思い出さなければならない。権力者による干渉やハッカーによる侵入は、集計主体が一つしかないと容易だが、集計主体の数が増えるにつれて困難になる。これまで非公式に出口調査を行ってきたマスコミを、正式な集計協力者として参加させ、投票結果を多重チェックできるようにすれば良い。
具体的に投票方法を説明しよう。まず、投票のたびに有権者にID番号を割り当て、ID番号とパスワードを有権者に通知すると同時に、そのリストを集計協力者に配布する。これと並行して、投票ソフトが集計協力者に配布され、各協力者は、社内でテストを行い、プログラムの精度を検証する。
次に、投票が始まると、有権者は、投票管理委員会、もしくは、自分が信頼を寄せている集計協力者のサイトに行って、投票を行う。投票サイトが複数あるので、たまたまどこかのサーバーがダウンしていても、投票は正常に行うことができる。投票結果は、ネットを通じて、投票管理委員会とすべての集計協力者に送られる。公開プロクシサーバーを使うこともできるようにすれば、集計協力者がIPアドレスから、IDの身元を割り出すことはできないから、投票者のプライバシーは守られる。
投票終了後、IDごとの投票内容は、各サイトで公表され、投票者は、正しく届いていることを確認できるようにする。棄権者も棄権を確認することができる。こうすれば、他人のIDとパスワードを盗んで投票しても、すぐ発覚する。そして、投票管理委員会の結果がすべての集計協力者の結果と一致するなら、投票結果は信用できる。不一致が生じるなら、調査を行って、原因を究明し、意図的な改竄があれば、処罰を行うべきだ。
集計は、即座に行われるので、マスコミには、集計協力のメリットがないと思うかもしれないが、付随的なアンケートの結果は、投票したサイトの管理者にしか行かないので、独自取材の余地がある。
セキュリティ上の問題は、これで解決できる。しかし、直接民主主義には、技術的問題とは別に、以下のような政治哲学的な問題が残っている。
3. 直接民主主義は衆愚政治か
大衆の知的水準は低いので、古代ギリシャのときと同様に、直接民主主義は衆愚政治になると危惧する人がいる。私は、政策決定には、大衆ではなくてエリートがリーダーシップを発揮すべきだという主張には賛成であるが、現在のような《大衆の間接決定=エリートの直接決定》ではなくて、《エリートの間接決定=大衆の直接決定》にするべきだと考えている。
大衆は時間的ないしは能力的制約から、政治の本格的研究・調査をすることができない。だから代議士というエリート(フランス語で選ばれた人という意味)がその仕事を代行して、大衆に選択肢を提示する。大衆はどの選択肢を選んでいいのかわからないので、マスメディアに登場する有識者の意見に耳を傾ける。大衆たちが口にする「自分の意見」の大半は、オピニオン・リーダーというエリートの受け売りである。レファレンダムを導入しても、結局政治を動かすのはエリートである。
それならエリートが直接政治を行った方が効率的だと思うかもしれない。しかしエリートとて欲望を持った存在なのだから、無媒介に権力を手にすると、私利私欲のために職権を濫用する危険がある。だから《エリート》と《権力》の間に《大衆》という中間項を媒介させなければならない。《大衆》というフィルターにかけられることによって、《エリート》の決定は、その不純なエゴイズムが取り除かれて政治に反映されるのである。《大衆→エリート→権力》ではなくて、《エリート→大衆→権力》が、《能力はないが、利害を主張すべき大衆》と、《能力はあるが、利害を主張すべきではないエリート》とのあるべき関係なのである。
4. マスコミは世論操作で政治を左右できるか
国民はマスコミの影響を強く受けるので、マスコミが政治を操作することになりかねないという政治家たちの危惧は、もしマスコミがひとつしか存在しない独占体とするならば、妥当である。しかし実際には、マスコミは複数存在するし、最近では、インターネットの普及により、マスコミによる世論操作は、かつてなく難しくなってきている。ネットで誰でも自分の主張ができる環境がある以上、マスコミの力を過大評価するべきではない。
5. 数の暴力をどうやって防ぐか
数の論理で政策決定がなされるというのは、現在の議会制民主主義でも同じことである。現在の政治システムの問題点は、ある特定の少数の意志、例えば特定の圧力団体の意向が、他の少数の意志を押さえることができるところにある。投票率50%の小選挙区の選挙で、有権者の半分以下の票で当選した国会議員が、半数を少し超える数で政治を動かすのだが、与党の意志は、与党の過半数の意志でしかないことを計算に入れると、有権者の16分の1程度の意見で政治が動くこともあることになる。
この点、多数派の利害が反映されるレファレンダムの方がまだましなのだが、どちらにしても、重要なことは、議論を尽くすこと、優れた提案に対しては、たとえ提案者が少数であったとしても聞く耳を持つことである。そのためにはまず、政策決定のプロセスを、料亭での密談からパブリックな討論の場へと移さなければならない。レファレンダムが行われるようになれば、メディアは、政治家の権力闘争を報道する代わりに、討論会を開くようになるだろう。
6. 地域エゴをどう防ぐか
大衆は自分たちの利益しか考えない。住民投票が地域エゴになりがちなように、国民投票は、主権国家のエゴに走る傾向がある。例えば、廃棄物処理所を建設を認めるかどうかという住民投票をすれば、どこでも否決されるに決まっている。そういう場合は、どこに建設するかを、ロールズが謂う所の「無知のベール」で覆って、まずは、廃棄物処理所を建設した際の周辺住民への補償に関する普遍的な法を決め、しかる後に、広域的な範囲でレファレンダムを行えばよい。エゴを否定するのは、常に普遍的な(相手の立場になることができる)法なのである。
7. 投票回数が増えると投票率が下がる
国民の多くは政治に無関心で、選挙をやっても投票率が低いから、本当の民主主義にはならないと言う人もいる。たしかに、国政選挙を例にとっても、投票率は下落傾向にある。かつて70%前後あった衆議院議員選挙の投票率は、平成8年には始めて60%を切り、参議院議員選挙にいたっては、平成7年に45%にまで落ち込んだ。
このことは政治に関心のある人が、有権者の半分程度しかいないということを意味するのではない。政治に関心があるにもかかわらず、いやそれゆえに、現在の政治に幻滅を感じている無党派層はたくさんいるのである。そうした人々は、おそらくレファレンダムを棄権しないであろう。投票率を上げるには、有権者から、間接民主主義につきまとう隔靴靴痒(かっかそうよう)の感を拭い去る必要がある。
今ある有権者が、法案Bが議会で成立することを希望しているとする。その時、代議制民主主義では、次のような不確定性がある。
- Bを公約にしている代議士Cがいるかどうか不確定
- Cがいても、当選するかどうか不確定
- Cが当選しても、Cが公約を守るかどうか不確定
- Cが公約を守ろうとしても、実現するかどうか不確定
Bが法律となることの価値が大きくても、それにこうした四つの不確定性の確率係数を乗ずると、その積は限りなくゼロに近づく。その結果、多くのサイレントマジョリティにとって、情報を収集したり、投票所まで外出したりするのに必要な時間の機会費用の方が投票の利益を上回ってしまうのである。[2]
インターネット投票なら、自宅で簡単に投票したり、投票についての関連情報を集めたりすることができるので、投票のコストは下がり、不確定要素が減るので一票の価値が増える。だから、投票率は増える。投票回数が増えても、例えば、毎週日曜日には、必ず何らかの投票があるということになれば、かえって忘れる人もいなくなるだろう。
もちろん実際の投票率は、採決事項の内容にもよる。あまりにも特殊な案件で有権者全体の関心を呼ばず、投票率が低くなる場合でも、関係者にとっては深刻な問題であることがあるから、そうした人々による投票の結果はやはり尊重されるべきである。
8. 代議士をどう説得するか
最後に、私の提案したレファレンダムが、本当に実現する可能性があるのかという現実主義者の疑問に答えたい。言うまでもなく、この制度を実現する上での最大の障害は、権力を失う代議士たちである。国政選挙について言うと、憲法改正には衆参両院の総議員の3分の2以上が賛成する必要がある。だが参議院議員が、自らの失業を圧倒的多数で賛成するだろうか。衆議院議員が、自らの権限の縮小を圧倒的多数で賛成するだろうか。そのようなことはまずありえない。
だから、国会議員を説得するために、国民投票が代議士にとっても大きなメリットをもたらすことを示さなければならない。そのメリットとは、圧力団体の拘束(A)や党議拘束(B)から自由になって、自分の政治的良心に忠実になれるれるということである。
- 現在各種の圧力団体が選挙後援や政治献金をして自分たちの息のかかった議員を国会に送り込もうとするのは、国会での決定がそのまま政府によって実行されるからである。しかし新しいシステムのもとでは、特定団体の利害を露骨に反映した法案は国民投票で排除されるから、圧力団体は政治に期待しなくなる。その結果、政財界の癒着は弱まるし、そうなれば選挙費用の相場も全体として下がることになるだろう。代議士は民意の伝達者としてよりも、政策立案・法案作成のプロとしての性格を帯びるようになる。政策秘書を増やすことによって、失業する参議院議員の雇用を吸収することができる。
- 代議士は、自分の主義主張と党執行部の方針が食い違うとき、苦悩する。与党の大政党によくあることである。しかし直接民主主義では、もはや過半数を取るための巨大政党は不要になる。その結果多くの小政党ができることになるが、小さな政党では、党執行部と代議士個人の距離は短くなる。またAとの関係で言えば、資金面でも政党の魅力は薄くなる。だから、党が代議士を拘束することがなくなる。
レファレンダムで不利益を被るのは、与党の執行部だけである。与党の主流派が、全議員数の半分の半分だとすると、レファレンダムによって利益を得るのは全議員の4分の3ということになり、3分の2を越える。だから野党と与党の反主流派が足並みを揃えれば、憲法改正は不可能ではない。もちろん与党議員が利権色の強い政治屋ばかりであるならば、このようなわけにはいかない。政治屋が減って政策家が増えることは、レファレンダム導入の結果である以前に前提でもあるのだ。選挙で、土下座をする政治屋ではなくて、政策立案能力のある候補者を選ぶことが、まず第一歩である。
9. 追記(1)レファレンダムとしての郵政選挙
2005年9月9日の記事「参院反対派の鴻池氏、郵政法案賛成に 青木氏と会談」 へのコメント。9月11日の衆院選で自民党が圧勝したことで、郵政民営化関連法案の成立が確実になり、参院反対派のリーダー格の鴻池祥肇元防災担当相(下の写真)をはじめとする11人が賛成に転換する考えを示しましたが、これで間接民主主義が不要であることがますますはっきりするようになりました。
9月11日の衆院選で自民党が圧勝したことで、郵政民営化関連法案の成立が確実になりました。参院反対派のリーダー格の鴻池祥肇元防災担当相をはじめとする11人が「衆院選の結果は尊重すべきだ」などとして賛成に転換する考えを示したからだです。
もしも、議員が、世論の動向で判断を変えるたんなる民意の伝達者にすぎないのならば、その議員を、維持費がもっと安くて、かつ確実に民意を伝えるネットの回線で置き換えた方がよいでしょう。私は、本論で、《人を選ぶ選挙》よりも《法案を選ぶ選挙》をやれと主張しましたが、今回の選挙を見て、ますますその思いを強くしました。
今回は、解散の経緯からして、郵政民営化に賛成するか否かが最大の争点となり、レファレンダムに近い選挙となりました。「小泉劇場」などと揶揄されましたが、選挙の争点がわかりやすいということはよいことですし、そのためか、投票率も小選挙区で67%前後と、小選挙区比例代表並立制が導入された1996年以降で最高となりました。
しかし、今回の選挙は、《法案を選ぶ選挙》としての性格が強いにもかかわらず、実際には《人を選ぶ選挙》であることを忘れてはいけません。2/3を獲得した与党が、その議席数を利用して、有権者が望まない法案を通すということも考えられます。そして、ここに、直接民主主義でないと解決できない、間接民主主義の根本的な問題があります。
10. 追記(2)日本の民主主義は衆愚政治か
『海外情報のプログ』の「メディア選挙」に対するコメント。国家における民主主義と企業における株主中心主義は同じなのか、政治の方針を国民に、企業の経営方針を株主に委ねてもよいのかどうかについて。
たまに日本に帰ると悲惨極まりない様態になっている。将に衆愚政治、劇場政治のなれの果てだ・・・時間的視野があまりに短すぎる。[5]
今の日本の民主主義は、衆愚政治でしょうか。今回の衆議院選挙での有権者の選択(郵政事業民営化の肯定)は、思惑はそれぞれでしょうが、結果としては正しいものだったと思います。
民主主義というのは、株式会社における株主重視と同じ原理です。取締役が、資金を投じた株主の意向に従わなければならないように、国家の指導者は、税金を納めている国民の意向に従わなければなりません。
株主が、選択を誤って、自分の投資資金を失ったとしても、それは自業自得です。人間は失敗をしなければ、賢くなりません。同じことは、民主主義についても言えます。大衆が愚かだからといって、選択する権限を与えないと、ますます愚かになります。大衆が判断を間違うこともありますが、その間違いが自分の不利益になることを体験して、賢くなってもらうしかありません。
11. 参照情報
- 待鳥聡史『代議制民主主義「民意」と「政治家」を問い直す』中央公論新社 (2015/11/25).
- 今井一, 『国民投票の総て』制作・普及委員会『国民投票の総て 増補 電子書籍版』小学館 (2018/8/31).
- 甘野雅彦『ぼくらの直接民主主義!: ロストジェネレーションが語る明日の日本』七つ森書館 (2019/2/27).
- ↑Tomohisa suna. “2011年東京都知事選挙ポスター.” Taken on April 6, 2011. Licensed under CC-BY-SA.
- ↑永井俊哉「民主主義のパラドックス」2001年2月11日.
- ↑Ogiyoshisan. “鴻池祥肇." Licensed under CC-BY.
- ↑Ggia. “Greek referendum 2015: demonstration for voting NO at Syntagma square, Athens Greece." Licensed under CC-BY-SA.
- ↑Koji."メディア選挙“.『海外情報のプログ』2005-08-27 10:57.
ディスカッション
コメント一覧
非常におもしろいと思いましたが,いくつか疑問があります。
まず,メディアで取り上げられないような細かい法案に大衆が興味を示すとは思えません。そうすると投票率は低くなると思いますし,国家や政治家への漠然とした反発感による反対票の占める割合が高くなってしまいかねません。そのような場合には法案は通りにくくなり,当該法案によって不利益を被るものによる票の買収もなされやすくなるのではないでしょうか。
また,この制度を実施するとして,国会にどのような権能を残すのかがわかりません。法案提出権のみでしょうか。権力分立の観点から,どのような権限分配がなされどのようなチェック・アンド・バランスがはたらくのかを明らかにしていただきたいと思います。
「メディアで取り上げられないような細かい法案」の場合、棄権が増えるでしょうが、有効投票のみをカウントするので、何も決まらないということはありません。
投票者数が減れば、それだけ買収も容易になりますが、それならば、間接民主主義の方が、投票者数がはるかに少ないのだから、買収はそれだけさらに簡単になります。
現在の憲法は、三権分立という形で「権力分立」を実現していますが、三つに分割するだけでは、不十分です。立法・行政・司法に有権者をもっと直接に参加させることで、有権者一人一人に分権することが、究極の権力分立です。具体的な構想については、これから投稿していきますので、またコメントお願いします。
裁判員制度も含めて日本の大衆が政治決定に参加する事は恐らく悲しい結果になるだけと思います。日本は戦前、普通選挙制度を実現したら、帝国が崩壊し原爆が落とされるまで廃墟となった歴史があります。首相公選からネットによる直接民主主義に至るまで刹那願望の極大化をもたらすだけです。宗教の本質は永遠に実現しそうにない未来にあります。人はドラマの最終回は見たいですが見てしまえばそれで終りです。大日本帝国は79年(1867~1946年)で滅亡しました。それでも滅びる時には1000名近い人間が自決しました。司馬遼太郎の死ぬ直前の言葉ではないですが今度の闇は本当に深いです。王政、貴族政、民主政、私はこの循環を前提とした制度こそが正しく、その育成機関が必要だと考えています。
歴史というものは、螺旋階段のようなもので、循環してはいるけれども、長い目で見ると一定の方向に向かっているものです。
韓国は日本より早くインターネットが急速に普及しました。また、IMF占領によって外資が上場企業が株の過半数を支配しました。その結果、ネチズンと新しい外交政策が生まれました。
>歴史を理由に、中国、北朝鮮、韓国が同じラインに立つのでは
>ないのか。これが隠れた絵ではないか
>恐怖の校内暴力組織「一陣会」 性行為イベントも
私は社会がこの方向に進むことを許容できません。産業型植民地、金融型植民地、洗脳型植民地と時代が変わると支配形態も変わります。多数派は必ずしも正しくなく、時に金で買収、時にメディアで誘導、時に宗教で洗脳できます。歴史の不可逆点を越える前に対処しなければなりません。
ご返事ありがとうございます。いくつかコメントをさせていてただきます。
地位も名誉も与えられてその投票行動が明らかにされる国会議員と,インターネットにおいて匿名性・秘密性を確保された一般国民を比べるときに,前者のほうが買収しやすいと本当に言えるのでしょうか。
たとえ買収されなくても,自分に利害関係のない(ように見える)法案については,わざわざ賛成に投じるインセンティヴが働かないのに対し,漠然とした反発感あるいはその他の理由から(例えばネットを介した一種のデモとして)多数の人がわざわざ反対票に投じるような事態も想定しうるように思われるのです。
そもそも,膨大な数の構成員からなる政治社会において,国民の政治問題への無関心・無能力は合理的帰結なのであって,投票コストを多少下げたところで,不合理な決断がなされやすいという問題は解決できないと思うのです。政治問題のために国民にいちいち金と時間と脳みそを使わせるのは非効率的ですし,関心がなければそもそもそんなことは不可能です。ですから,国民に投票させる対象を適切に選別して限定し,細かいことは専門家に任せるという方式が,効率的で国民の利益にかなうのだと思いますし,だからこそ代表民主制が基本的には正しいのだと思うのです(現状がよいという意味ではありません。例えば,政党を介した民意の集約が適切になされるようにするような方向が望ましいように思いますし,エージェンシー問題への対処ももっとなされるべきでしょう。)。
永井様は権力分立を何のための原理とお考えなのでしょうか。それが明らかでない限り,「究極の」と言われても無内容に思われます。最近の見解では,権力分立とは,(水平的分立については,)立法権,行政権,司法権のうち2つ以上を1つの機関に独占させてはいけない,という消極的な意味で捉えられています(かつては,国家権力を3つに分けるべきだという積極的な意味に捉えられていましたが。)。もし独占させると,チェック・アンド・バランスが保てないからです。永井様のおっしゃる権力分立は,これとは異なる趣旨ということでしょうか。
買収交渉をしなければならない人の数が増えれば増えるほど、ばれるリスクは増大します。
そうしたことは、代議士の選挙でも起きうることです。
間接民主主義では、
1. 望ましい政策は何か
2. その望ましい政策を主張しているのは誰か
3. その人は公約を守りそうなのか否か
というたくさんの知識が必要です。直接民主主義で必要なのは、1だけですから、むしろ理想的な政治を実現するために必要な時間と労力は、直接民主主義の方が少なくてすみます。
独裁防止のための原理です。特定の個人の意志で政治が動かないようにすることが重要です。
“買収交渉をしなければならない人の数が増えれば増えるほど、ばれるリスクは増大します。”
数以外のファクターの指摘に対するご返事として数の問題を出すのはかみ合っていないように思います。どちらが買収しやすいかは結局よくわかりませんが,数だけで決まるものではないと思います。
“そうしたことは、代議士の選挙でも起きうることです。”
議員選挙で行われる場合と法案投票で行われる場合では後者のほうがより深刻なように思うのです。
“間接民主主義では、……直接民主主義の方が少なくてすみます。”
これは間接民主主義についての通常の理解とは異なるように思います。間接民主主義というのは,個々の議案ごとに国民がいちいち考えて判断せずにすみ,代わりに判断してくれる専門家を選ぶだけでよいという制度ではないでしょうか。(もちろん,国民全体の利害に関わる重要議案は国民に判断させるべきでしょう。現状においては,それは選挙の争点となることを通じて判断されています。また,そういったものに限って国民投票を限定的に導入することも可能でしょう(現状では憲法改正のみですが)。)
もし国民の多くが直接民主主義を望み,個々の政治問題について非常に関心をもっているとすれば,永井様の指摘されるように,間接民主主義のほうが負担が重くなるかも知れませんが,そのような仮定は現実を無視していると思います。
“独裁防止のための原理です。特定の個人の意志で政治が動かないようにすることが重要です。”
了解しました。
確かに、議員は一般人より買収しにくいでしょう。しかし、レファレンダムでは、そうした違いが、全く問題にならないぐらい、買収しなければならない人数が多いのです。全国規模の投票なら、買収がばれる確率は100%に近いと言ってもよいでしょうし、ばれない規模の買収なら、投票結果に影響を与えません。
その理由は?
私たちが商品を買うとき、面倒でも、一つ一つよいかどうか判断して買いますね。代わりに判断してくれる専門家を雇うのは例外的なケースでしょう。私たちは、税金を払って、行政サービスを購入する消費者なのです。もっと消費者の選ぶ権利を認めるべきでしょう。
なお、選ぶのが面倒な場合には、信頼している有識者に委任し、その有識者が、委任された数の票をレファレンダムで投票するという制度があっても良いと思います。しかし、そうした制度を認めたとしても、自分で直接投票したいという人の権利を奪うべきではありません。
たびたびご返事ありがとうございます。
“その理由は?”
1つには,国の政策決定に直接関わるからです。2つ目としては,選挙を通じて候補者ないし政党に不満をぶつけることは,基本的には,民主的過程における正しい姿勢だからです。議案に対して関係のない不満をぶつけるのとは違います。
“私たちが商品を買うとき、面倒でも、一つ一つよいかどうか判断して買いますね。”
その場合はコストよりもメリットが大きいからです。集団的な決定における個人の投票はコストが大きい割にメリットが小さくなってしまい,無関心,フリーライドが合理的な帰結になってしまいます。
“代わりに判断してくれる専門家を雇うのは例外的なケースでしょう。私たちは、税金を払って、行政サービスを購入する消費者なのです。もっと消費者の選ぶ権利を認めるべきでしょう。”
集団的な決定においては例外的どころか,むしろ通常です,ある程度以上の規模の団体においては,理事ないし理事会(呼称はいろいろですが。)が業務について決定権限を有し,社員総会(これも呼称はいろいろですが。)は理事の選任や基本的事項の決定をするのが通常でしょう。現行法の株式会社や新会社法の取締役設置会社においては株主総会の権限は大きく制限されており,取締役会で決議すべき事項を株主総会決議で代えることも許されません。集団の構成員に決定権を認めすぎるとかえって構成員にとって有害になるからです。多くの構成員はきちんと判断しようとしないからです。(ただ,株主の権利を強調し,株主総会の活性化を唱える商法学者もたくさんいるのは事実です。永井様はおそらくこのような考えに近いのだと思います。しかし,不合理なことをやれというのは不合理だと思われるのです。)
“なお、選ぶのが面倒な場合には、信頼している有識者に委任し、その有識者が、委任された数の票をレファレンダムで投票するという制度があっても良いと思います。しかし、そうした制度を認めたとしても、自分で直接投票したいという人の権利を奪うべきではありません。”
これはよい考えだと思います。もし実施するなら,やる気だけがあって能力のない人があまり多くないことを願いますが。なお検討してみたいと思います。
代議士の選挙では、「有名タレントだから」とか「容姿に好感が持てるから」とか「自分と同じ大学の出身だから」とか、政治理念とは関係のない理由で選ばれてしまいます。またセックススキャンダルのような、政治とは関係のない私的なことに対して不満をぶつける現象もよくおきます。
これも代議士の選挙について言えることであって、政策の選挙では、不確定性が少ない分だけメリットが増えます。
ほとんどの株主は、キャピタル・ゲインが目当てですから、経営に参加する必要はありません。経営への参加に興味のある人は、大株主になって、実際に経営に口出しをしています。レファレンダムでも、有権者は、自分には全く関係がないと思う事案では、棄権するでしょう。
“代議士の選挙では、「有名タレントだから」とか「容姿に好感が持てるから」とか「自分と同じ大学の出身だから」とか、政治理念とは関係のない理由で選ばれてしまいます。またセックススキャンダルのような、政治とは関係のない私的なことに対して不満をぶつける現象もよくおきます。”
関係のない不満をぶつけることによる弊害の程度の問題でしたから,第2の理由はそもそもおかしかったかもしれません。ただ,間接民主主義においてはそのような現象が政策決定に直接に関わらない点がやはり違うのだと思います。視点を移して表現すれば,さほど質のよくない選挙で選ばれた(全体としてあまり利口とは言えない)議員たちによる政策選択のほうが,無知で無関心な大衆による政策選択よりもまだずっと信用できる,という判断があるということです。ただ,この判断は直感的なものに過ぎませんね。
“これも代議士の選挙について言えることであって、政策の選挙では、不確定性が少ない分だけメリットが増えます。”
まず,買い物の例えが使えないことを説明するために言ったのだ,ということを指摘しておきます。そして,細かな政策についての判断は,どのような形であれほとんどの国民はやりたくもなければやる能力もありません。それを前提にすれば,メリットが増えるとは言えません。むしろ,調査コストが増大し,投票によるメリットも個々の政策限りのものになって減ってしまいかねません。ただ,「政策のパッケージ」をかなり大きなものにすることによってであれば,メリットを大きくし,コストも減らすことは可能でしょう(それなら私は特に反対しません)。その場合には,政党本位の間接民主主義とさほど変わりません。
“ほとんどの株主は、キャピタル・ゲインが目当てですから、経営に参加する必要はありません。経営への参加に興味のある人は、大株主になって、実際に経営に口出しをしています。レファレンダムでも、有権者は、自分には全く関係がないと思う事案では、棄権するでしょう。”
キャピタル・ゲインが目当てであれば,投票を通じて,より効率的な経営をしてもらい企業価値を向上させることについて利益があります。しかし,調査・投票コストがあまりに大きいために,合理的無関心に至ります。大株主であればコストが同じかより低いのに対して投票によるメリットは(議決権の数に応じて)大きくなるので,経営に口を出すインセンティヴができます。民主政治においてはこれは許されません。合理的な判断のできる有権者は,自分に関係があるかどうかやその程度の判断をする前に棄権してしまうでしょう。コストに対してメリットがあまりに小さいからです。そして,もし棄権しなかったとしても,全くの素人によるその選択がどれほど有益かどうかはかなり疑わしいと思います。
いいえ、大きな違いがあります。政党は公約違反をします。また、公約していないことは、自分らで勝手に判断します。だから政党は信用されず、無党派層が増えるのです。
もしも、有権者が「無知で無関心な大衆」ならば、直接民主主義どころか間接民主主義すら不要ということになりませんか。
これも、直接民主主義批判というよりも、民主主義そのものを否定する発言としか思えません。もしもあなたが、大衆には判断力がないから、民主主義は止めるべきだと主張するならば、賛成はできませんが、少なくとも理解はできます。しかし、直接民主主義はだめだけれども、間接民主主義ならうまくいくというのは理解できません。
“いいえ、大きな違いがあります。政党は公約違反をします。また、公約していないことは、自分らで勝手に判断します。だから政党は信用されず、無党派層が増えるのです。”
有害な公約違反は選挙を通じて当該政党が責任を負うことになります。代表者には,公約しないことについても,自分らで勝手に判断することが求められています。無党派層がなぜ増えたのかについては,いろいろな議論があるでしょうが,政党の存在それ自体に原因がある(つまり政党本位の民主主義はそれ自体成り立ちえない)という議論には説得力を感じません。
また,私の立場からは民主主義を否定するということにはなりません。細かい政策決定については,一般国民は判断をしたくないし,できないという状況のもとで,それでもなおその利益を守り実現するには,代わりに決定を行う代表者たる専門家を選ぶ過程に関与させることが望ましいということです(憲法改正などの国家の基本的事項への直接的参加は別論です。ですから,大きな政策パッケージへのレファレンダムも私は否定しません。そのような場合には国民は無関心ではいられないからです。)。代表者の選挙にあたって国民が判断すべきなのは,その候補者の能力,忠実性,思想傾向,主要論点における意見,などであり,その人が決定に関わるであろう個々の政策についての判断は求められていません。それによって大幅に国民のコストが低減されるわけです。そして,それくらいの判断であれば,ある程度はまともな判断ができると考えられます。日本国民は文字が読めますし,それなりの教養を持っていますし,自由な言論に接することもできます。(完全に無知蒙昧であれば,確かに間接民主主義すら望ましくないでしょう。)
個々の政策について国民全体が判断したがっており,それだけの能力と暇を国民が有しているという仮想の前提の元では,間接民主制はただの中途半端な制度にか見えないでしょう。しかし,現実を前提にすれば,代表民主主義が,それによってあまりたいしたことのない専門家が選ばれるとしても,国民にいちいち直接決めさせたり,あるいは,国民が影響力を行使しえない貴族ないし専制君主に決めさせることに比べればすっとましだと考えられていると思いますし,私もその考えは正しいと思うのです。
連続投稿すみません。
念のため付言しておきますと,私の立場からは,国民が政治についてもっと賢ければ直接民主主義が望ましくなるということにはなりません。国民全体が政治についてもっと賢ければ議員たちはもっと賢いでしょう。それが社会的分業というものです。そして,もし,仮に国民全体が議員たちに近いくらいに政治について賢いとしても(そのような状況はは社会的コストが非常に大きいのですが。),それでもなお,直接民主主義で,かつ,政策パッケージが小さいと,個々の政策パッケージについて合理的無関心となることは避けられません。代表民主主義はメリットを増加させ,コストを低減することで,国民の関心を呼び覚ますことができる手段なのです。(現状ではまだ十分に機能していませんが,改善の余地はあるでしょう。)ただ,大きな政策パッケージと直接民主主義の組み合わせ,あるいは,投票委任の可能な直接民主主義については,なお,検討してみたいと思います。
例えば、小泉首相の構造改革に共鳴する有権者は、党内に多数の抵抗勢力を抱える自民党に投票するべきかどうか迷ってしまいます。西村真悟の支持者は、左翼系の議員がたくさんいる民主党に投票するべきかどうか迷ってしまいます。政権を担える大政党ほど八方美人を演じようとするので、政策が不透明になります。小さな政党は、政策的に純粋になりやすいのですが、連立を組むと、政権全体の政策が曖昧になります。無党派層は、必ずしも政治に無関心ではなく、むしろ組織の論理で投票する人よりもまじめに政治を考えているからこそ、支持できる政党がないのではないでしょうか。
まじめな有権者にとっての、選択の難易度は、
気に入った政党を選ぶ>気に入った議員を選ぶ>気に入った政策を選ぶ
という順になります。能力に限界があるからこそ、有権者に政策を選ばせるべきなのです。
もしも賢いだけでよいのなら、選挙で選ばずに、法学や経済学のペーパー試験で選抜すればよいのではないですか。代議士を選挙で選ぶのは、彼らには、有権者の利害の代弁者としての機能があるからです。日本のような通信インフラが充実した社会では、もはや利害の代弁者としての代議士の役割は終わったということができます。
永井俊哉さんの主張とSAさんの主張、どちらも説得力があるなと思いつつ読みました。
読み終えて、考え終えて思ったことを記します。
私は永井俊哉さんの提案するような直接民主主義が理想的なのではないかと思います。
SAさんの主張するように、大衆に細かい判断まで課すのはコストが高すぎ、また政策的にも良好にはなりにくいというのは納得できます。
しかし間接民主主義ではひとつふたつの「大きな民意」が反映され、その他の議論を無視してしまう可能性があります。
例えば①という議論と②という議論が存在し、それに対して政党Aが①に賛成、②に反対、政党Bが①に反対、②に賛成だとします。
選挙の際①が大きな関心を呼び多くの人が①の賛否を意識して投票、Aが当選しました。
ある集団は②に関心を持ち、②の賛否を意識して投票。
すると、①に賛成の者の票は②に反対、①に反対の者は②に賛成の票として入ったも同然となります。
つまり、①に関心があった多くの人が②に関しどう感じていたかを差し置いて、②は否決とされてしまいます。
これと同様のことが起こっていれば、最悪過半数以上の議席を獲得した政党の意見には多くの国民が賛成であるという蓋然性すら怪しくなりませんか。
もしレファンダムが行われれば①の議論には①の賛否で、②の議論には②の賛否で決定が行われます。
もちろん全ての政策に対してレファンダムが行われれば国民の負担は相当なものになりますし、あるべき姿とはいえません。
しかし政策パッケージを大きくしたり、信頼できる有権者に票を託すなど工夫により負担軽減がスムーズに行われれ、許容できる範囲まで軽減されるなら、直接民主主義こそ真の民意の反映に繋がる体制です。
一つきがかりなのは「漠然とした反対」など意見のない投票の蔓延です。
これが解決されないかぎり、今の間接民主主義が妥当でしょうか。
問題は学習するのに時間がかかる、というその点にあるように思われます。過去の事例を忘れてしまうか、または世代交代が進んでしまうため、確固たる認識の醸成がなされない、という堂々巡りに陥っていた可能性が覗えます。史実から学んできた事柄を想起すれば、或いは異なった結果がでていても決しておかしくはありませんでした。当該内閣がもつ固有の問題点(対米犬型)を承知していれば、その政治資質と判断能力に問題のあることは理解できていたはずです。郵政省の改革を扱う以前に、外務省の問題を解決するチャンスを既に見逃していました。現象を記憶していなければ、因果の関係を意味として理解することはできません。
内閣を信任した国民が増税にも改憲にも異を唱えずに支持を続けるような場合には、まさしく衆愚そのものと言わざるを得ません。また、事後になって注文をつけるような場合には、投票に際して考慮すべき要素を見落としていた、という事実を指摘しなければなりません。賢明な国民であれば慎重な投票行動が見られなければならないのです。軽挙というビヘイビアに対して衆愚と形容したのであれば、真実を衝いている表現だといえるのではないでしょうか。
これは、民主主義の欠陥ではなくて、間接民主主義の欠陥です。だから、私は直接民主主義を主張しています。
私は永井様の意見を支持します。
国民による直接民主政府という全体主義的社会を形成した方が合理的(国民利益を優先させる事が出来き、国有化が有効的な物になる。)であることはもちろんのこと、現在の議会は国民にとって非常に不透明(例えるならば、金という苔で覆われ、循環のない水槽)で良くわからないものである。というのがもっとも大きいところではないでしょうか?不透明だからどうでも良いという考えを持ってる人間も少なくないでしょう。しかし、直接民主政府を形成した場合それは不透明な物ではなくなる。したがって国政にもっと積極的になる人間が増えるのではないでしょうか?
「直接民主主義は衆愚政治か」
エリートを管理する物を作る事が重要だと思います。アケメネス朝時代神の眼、神の耳と言われた物を国民全体で行えば良いと思います。したがって国政を操作しえるエリートには人権はほぼない方が良いでしょう。
「マスコミは世論操作で政治を左右できるか」
マスコミを国有化すれば良いのではないでしょうか?この場合の国有化は国民の管理下におかれる為非常に有効だと思います。情報の透明化は現代社会においては非常に重要な事だと思います。
「投票回数が増えると投票率が下がる」
投票数が有権者の60%もしくは70%未満の場合その法案を否決すれば良いと思います。大半の支持がない法案を通しても無意味であるというのが私の考えです。投票率を増やすにはどうすれば良いかについてですが、まず義務教育段階での教育、徴兵制の執行(失業者の救済にもなる)、不法入国者の排除などをしてナショナリズムを高揚させれば良いのではないでしょうか?
最後になりますが、私は日本の国政が変わるには日本人のナショナリズムの高揚が必要不可欠だと思っています。精神的より所の無い日本人にとって国に対して愛国心を持たない限り上からの改革、下からの改革も保守的精神が優先され改革は不可能のように思います。
自分で判断できないのなら、信用できる人に投票を委託すればよいでしょう。しかし、直接投票したいという人がたくさんいるのに、それを認めないとしたら、問題があるというのが私の主張です。
「全体主義」という概念は、共産主義であれファシズムであれ、個人の自由を認めない体制を指す言葉として使われるので、レファレンダムの理想の対極にあります。ただし、レファレンダムによって、全体主義が肯定され、レファレンダム自体が廃止になるというシナリオはあるでしょう。
ライブドアの崩壊と自民党政治を見ていてどう思いますか?党職員の堀江陣営入り「何ら問題ない」と武部幹事長ライブドアの犯罪行為は数年前に遡り地検は選挙のかなり前(ちょうど1年前)にはその証拠の多くを掴んでいました。有権者はその情報を知らせれませんでした。恐らく、政治的思惑からでしょう。粉飾決算をすれば株価は操作できますし、情報を誘導すれば支持率を操縦できます。さて、、、日本の政治は何処に流れていく?
間接民主主義では、政治家と利権団体との個人的癒着が大きな問題となります。この問題を解決するには、直接民主主義が必要だと思います。
株式会社は直接民主制度です。一般株主(有権者)は堀江の粉飾を信じて株式を購入しました。更にその堀江を応援したのは自民党執行部です。その時既に堀江の犯罪行為はネットを始め指摘されていましたし地検も証拠を掴んでいました。それを政治的な理由によって先延ばしになっていました。国策捜査については既に詳細が書かれています(佐藤優 (作家))。直接民主制度は情報の公開が必要ですがそれが現政権によって阻害されているとするならば有権者はライブドアやエンロン、ワールドコムの株主と同じとなります。日本や韓国のように情報が歪曲された国では間接民主政治より直接民主政治は有害といえます。間接民主政治は賄賂を授受するという個人的な腐敗ですが直接民主政治は往々にして賄賂それ自体の存在を合法化する又は情報を隠蔽すると言う手段によって政治家個人の腐敗が政治社会全体の腐敗へと驀進するからです。
たしかに情報の非対称性は、市場の失敗の原因の一つとしてよく挙げられますが、インターネットの普及で、情報の非対称性は是正されていると思います。マスメディアがホリエモンを持ち上げている時にも、ネットでは、その犯罪性を指摘しているサイトがあったということが、これを示しています。
これは、逆です。政治家個人の腐敗が国家の腐敗になるのは、その政治家に大きな権力があるからであって、これを防ぐには、意思決定を分権化することが必要です。
意思決定力を最も持つ階級は知識階層だと言われます。日本で言えば大学知識層、マスメディア層、企業研究所などです。果たして日本のこれらの人々の意思決定は分散されていますか?体育会系のノリを持つライブドアのような企業で上層部に対して意思決定権を持たない事はやむ終えないかもしれない。しかしながら大学関係者や医師、メディア関係者のような一般社会より意思決定が分散(個人主義)であるべき場所が日本ではそれが実現していません。何故、欧米に比してそれらが分散していないのか?それは歴史によって培われた文化慣習だと思います。私の考えではこれから大学や企業などの分散化は確実に進むと思います。問題なのがその最大構成者達の思想です。恐らく彼らは民主主義的な思想土台は持たない可能性が高いのでないだろうか。民主政治の対極にあるのは神権政治といわれています。神権政治にならない為にそのベクトルをそらすとそこに現れてくるのはレスター・C・サローの新刊である知識・資本主義(Fortune Favors The Bold)となるのでしょう。しかし、その政治生態は高度に流動的で国境を越える存在によって指導されます。(What We Must do to Build A Newand Lasting Global Prosperity)政治形態も変化します。国民経済国民政治形態からより知識資本主義に近い政治形態を迅速に確立しなければならずそれをしなければサローにいわせれば「だが、飛び込もうとしない者は、常に失敗する」という状態になります。富も知も移動の自由でさえも選別される。私は12ヶ国でビザ無し特権を得ています。海外の同クラスも同じです。直接民主主義はノムヒョン韓国や小泉日本を生み出しました。真の恐怖は先食い政策によってそのツケがこれから襲う事です。一歩間違えれば、神権政治(オウム)という非常に高いリスクを作りました。幸いな事に韓国より日本の政治体制が間接選挙体制だった為にその被害は押させる事ができたと私は考えています。
たしかに、韓国の政治はひどいですけれども、北朝鮮よりかはましです。韓国と北朝鮮は、同じ「歴史によって培われた文化慣習」を持っていますが、政治制度を民主化すれば、経済その他も多少は良くなります。
連日、メディアではライブドアの不正が摘発されています。これだけ情報が公開されれば同じような犯罪は減少するのでしょうか? また、騙される投資家は少なくなるのでしょうか?かなり高い授業料を今回は必用とすると考えています。
もしも、インターネットがなければ、山根さんが脚光を浴びることもなかったでしょう。最近、マスメディアの限界をいろいろなところで感じています。
私はポリュビオスと同じく政体循環論者です。少数派(ミニコミ)が正しく、多数派(マスコミ)が間違っている場合は民主主義は正常には稼動しません。衆愚体制(正常派が少数)では株式市場は人気投票の賭博場となり議会はコロセウム的【劇場】となります。しかし、正しい(強い)間違っている(弱い)という土台は変わりませんので正しい意見が時間の経過とともに強くなります。そうして政体は変化していきます。まだ日本の政治が正常になるまで時間が必要でしょう。まずは知識の根源である大学や知識集団の建て直し、次に宣伝部隊であるメディアの再構築が必要です。その後、初めて衆愚政治が終わると考えています。
民主主義が衆愚政治かという疑問は、有権者の選択が政治に反映される応答速度の遅さから来るのではないでしょうか。応答速度が遅い為、有権者は選択に対する結果を正確に関連付ける事が出来ないのでは、と思いました。また、正直私は3回前の総選挙で誰に投票したか覚えていません。
この問題は、直接民主制によってのみしか解決されないように思いますが、インターネットの普及によりこういった選択も現実的になってきているのではないでしょうか。
>民主主義というのは、株式会社における株主重視と同じ原理です。
>取締役が、資金を投じた株主の意向に従わなければならないように、
>国家の指導者は、税金を納めている国民の意向に従わなければなりません。
いいえ、そうじゃないと思います。
株主というのは、会社の所有者ですが、経営者ではありません。
これは、株主には、経営の意思や能力が無いため、合理的に会社を活動させるためにはプロである取締役に委ねたほうが適切であろうという発想に基づきます。
会社の経営方針をオーナーが決めることができるのは、小さな会社の場合だけです。
トヨタ自動車が株主に販売台数を決めさせてますか?
小泉総理の行った、国民の意思に従うために衆議院を解散させるという詭弁は、代議制民主主義の否定です。
代議制民主主義というのは、単なる多数決では、多数の者が横暴で、少数を虐げるという施政に走りやすいために、なんとか話し合いを可能にしようと過去の先人たちが知恵を絞って考え出した制度です。
郵政選挙の結果は、言うまでもなく多数の横暴で終わったと私は思っています。
もうこの件は完全に手遅れですが、一度、真面目に政治史を勉強してみてください。
今回の騒動が、将来の日本の政治史に汚点として残る出来事であったことが分かると思いますから。
追伸:国民の意見重視の小泉総理が、世論の反対を無視してイラクに自衛隊を派遣したり、福井日銀総裁に辞任を求める国民の声を無視しかばう姿を見て、滑稽だと思いませんか?
この二つの文章は、対立することを主張しています。株主主権と民主主義は異なるといいたのですか。
いや、郵政民営化はもう過ぎ去った話題なので、レスをもらえるとは思いませんでした。
対立することを主張…とは?
私の自分自身の考えは、取締役に対する株主と同様に国民も、内政や外交にそれほど判断能力があるわけではないのだから、(憲法に明記された憲法改正の際の国民投票等の一部の例外を除き)政策決定に関与すべきではないという立場で一貫していると思うんですが?(こう考えないと、国家が議会制民主主義を採った意味が理解できないので)
一方、貴方の場合は、上のほうの書き込みから考えると、直接何でも国民が決めるほうが望ましいというお考えなんですよね?
だから、郵政民営化も正しいんだと言いたいんでしょう?
だけど小泉総理は郵政選挙の時のポーズと違って、実はどっちでもなく、自己正当化の方便として、ある時は「国民の意思に従って」と言い、またある時は「世論も間違うことがある」と、使い分けているだけだった…、滑稽な姿ですね、と言いたかったわけです。
わかりました。つまり、あなたは、小泉首相が、世論の反対を無視してイラクに自衛隊を派遣したり、福井日銀総裁に辞任を求める国民の声を無視したことは正しかったと考えているということですね。
今、追記を見て初めて気付いたんですが…
貴方はこういうお考えの持ち主だったんですね。
いやあ、これじゃぁ私と考え方が合わないわけだ。
私は憲法を学問として学んだとき、こういう考えに触れなるほどなと思ったものです。
多数の者の意見のほうこそ間違っていて、少数者の意見のほうが、正しいことも往々にしてあるものですからね。
歴史的事実か怪しいとは思いますけど、小泉総理が喩えに出したガリレオ・ガリレイの地動説の逸話など、まさにそれですよね。
ええ。
国民が間接的ではあるにせよ、彼を首相にした以上、それは受け入れざるを得ないでしょうね。
直接民主制の場合、集団ヒステリーを煽れば、もっと酷い状態になるでしょうし。
私個人は反対ですし、正直、彼のような人間に投票する有権者の気がしれませんが。
間接民主主義では、少数派のエゴが尊重されますが、これは多数派のエゴの尊重よりももっと好ましくありません。これについては、「民主主義のパラドックス」をご覧ください。
エゴを防ぐには、できるだけオープンに議論をする必要があります。直接民主主義では、より多くの人が政治に関心を持つようになり、より多くの人が議論に加わることで、エゴを主張する利権政治が難しくなるでしょう。
インターネットを利用するなら直接間接並立民主制のほうがよいのではないでしょうか?
直接間接並立民主制はインターネットを利用しなければ物理的に運用不可能です。
議会の議員の一人一票の原則を崩壊させるかわりに、有権者の一人一票の原則を優先させる。また死票を一切なくすのと同時に直接民主の原則も取り入れる。
システム的には選挙に出馬された方は全員当選し、議会においては、その得票数をそのまま使う。(10万票の方なら10万票を1万票の方なら1万票を。)
話し合いに関しては上位得票の議員さんが今までどおり話し合う。そして下位の得票の議員の方は賛成反対のみにおいてのみ意思表示する。
有権者の方はいつでも政治に参加する権利の委託を行うことができる。それは自分での行使か、別の議員に委託を移すことです。
議員の給料に関してはその信任数に応じて支払う。
のようなシステムのほうがうまく運用できるのでは?
前のコメントで、「選ぶのが面倒な場合には、信頼している有識者に委任し、その有識者が、委任された数の票をレファレンダムで投票するという制度があっても良いと思います」と書きましたが、これは結果として、「直接間接並立民主制」ということになるでしょう。しかし、私は委任される有識者として、既存の議員を念頭においていません。投票コストは平等であり、委任数が多いからといって報酬を出す必要はないでしょう。
返事ありがとうございます。
>私は委任される有識者として、既存の議員を念頭においていません。投票コストは平等であり、委任数が多いからといって報酬を出す必要はないでしょう。
確かにそのとおりだと思います。
永井さんの考えは現在よりもより民主的にうまく運営されると思います。
直接民主主義は絶対に必要です。そしてこのサイトが非常に有意義で勉強になります。しかしこのまま意見交換を続けていくと、とても利用しにくくなってしまうことが心配です。そこで提案ですが、文字の羅列だけでなく概念図のようなものを含めた意見交換の場があればわかり易く理解できるのではないかと思います。ホームページ作成に心得のある方に、お願いしたらいかがですか?
このサイトに掲載している文章の多くは、かつてメールマガジンで配信したものだから、文字ばかりのが多いのです。私は、一応、Macromedia Studio 8 を持っているので、今後は、言葉だけではわかりにくい場合は、画像やフラッシュを使って説明しようと思っています。
はじめまして
ネット時代のデモクラシーのありようを示唆した非常に優れたサイトであると思いました。私は以下のような主張をしています、
年間5-7の重要テーマ毎に公論し、そのテーマについてはどの政党を支持するのかを議会の議決の場に表現する制度 ( 多忙な人は従来の選挙で意志表示しておき、議員は平均得票数約7万票を行使する)
一括一任政治から 直接間接並存というより丁寧なプロセスを提唱しています
私も、直接民主主義と間接民主主義のハイブリッドという方向で新しい案を考えています。
直接民主主義が実現する将来は有り得るのでしょうか?
また、どうすれば、それを実現出来るとお考えでしょうか?
古い記事に飛んできてしまったのですが、
今の日本の政治には納得できていないので、
自分も直接民主主義実現に向けて貢献できたらいいなぁと考えてます。
頑張って下さい。
出来る事なら、こういう事を仕事としてやりたいですね。
少しずつよい未来に向かっていると信じたいものです。
参議院は、従来「衆議院のカーボンコピー」と言われていましたが、2007年の参議院選挙後、与野党の勢力が衆参で逆転してしまったために、国会の政策決定力を混乱させる元凶となってしまいました。参議院は、不要であるか有害であるかのどちらかで、有益ではないということが、はっきりしました。ガソリン国会の混乱を見ながら、「いっそうのこと参議院を廃止して、代わりに国民投票を導入し、それを最終決定にしてはどうか」と思った有権者も多いのではないでしょうか。ばくにぃさんのような人が増えれば、直接民主主義の実現も近づくことでしょう。
政治の不満の多くが、税金が何にどうつかわれるかだと思うので、直接民主主義では、税金が何にどう使うのかを投票で決める事が重要だと思います。
税金の使われた方をすべて国民が判断するのは難しいが、一部でも意味は大きいと思う。
直接民主主義というのは、政治責任を国民が背負うという事が重要なんだと思います。
このHPは、なかなか素敵な理念が述べられていて、大変参考になります。
藤原英夫 拝
P.S.
小生は、たまたま、国立信州大学の本部キャンパスに、神社があって、学長外によって盛大な祭礼を、もちろん神主の主祭で白昼堂々とやっている現実に、疑問を覚えて、結局のところ国家賠償法で提訴しました。
その後、市内の祭政一致は、論外なもので、原因は行政、議会にあるのではないかと、調べてみると、驚くばかりでした。
これは、政教分離の憲法テーマに限らないから、とにかく一応事実関係を調べて、その社会的、歴史的、また司法の法的な問題点を、国賠、住民訴訟、その他行政訴訟で、本人訴訟として処理して来ました。
その結果として、直接民主主義の課題に、入ってきました。
直接民主主義をどう取り入れていくか、中々適切な答えを見出すのは難しいが、全体的な合理性あるSystemとして素晴しい構想だ。
特に、一旦施行された法律に問題がある時、それを民意に基づいて改正したり、廃止したりすることがとてもやりやすくなると思う。
今の代議制民主主義では決まるまでやたらと時間がかかる一方、一旦決まるとそれに問題があっても柔軟に変え、覆すことがとても難しい。
法律を実際に社会に適応して試す、その結果を見て柔軟に変えていくということが容易にできるようになれば、社会の矛盾が速やかに解決されていくよき国になる。
永井さんはこのような速やかで柔軟な事後改変が担保されているが故に政治制度・法律を実社会で容易に試すことができるならば、社会は圧倒的によくなると思いませんか?
反対です。
議員は選挙によって評価されますが、インターネットを使って政策を投票する国民は評価されません。したがって、国民は政策決定において議員に比べて利己的な感情が先行します。
それは、現実に利益をもたらさない将来志向の政策を支持する人間が減るということを意味します。
もちろん議員にもそういう類の人間はいます。
しかし、割合でいうと議員の方が少ない。議員のほうがましです。なぜなら、上で述べた「選挙で評価されるから」ということと、「いざというときは自分の立場を捨てて(政治生命に賭けて)利他的に決断する人間の割合が国民に比べて多いから」です。
つまり、利他的に決断できる人間の割合が、国民全体より、与党全体の方が多いということです。
たとえば、消費税の導入を思い出して下さい。国民は大多数が反対でしたが、竹下登が無理やり成立させました。
>現在の政治システムの問題点は、ある特定の少数の意志、例えば特定の圧力団体の意向が、他の少数の意志を押さえることができるところにある。
ということですが、これがメリットになることがあるということです。
デメリットとしては、土建屋が異常に儲かってるということがありますが、国民が常に圧力をかけていく、という程度にとどめるのが望ましいです。政治家に裁量権をたーくさんもたせるべきです。
民主主義くそくらえってことです。
議員にとって利他的な決断とは、その支持者にとっては利己的な決断ですから、同じことです。直接民主主義でも、間接民主主義でも、政治というものは、所詮利己主義のぶつかりあいです。
インターネットなど情報技術を活用し直接民主主義実現を目指すハンガリーの政党、インターネット民主党。ご参照ください。
日本史上初のインターネット直接民主主義政党DDGJ
私は直接間接並立民主制に賛成していますが、その導入には外交や国防、経済などの国家の存続に関わる重要な政策や法案に、我々国民が自分たちの判断に信頼と責任を持つことが出来るかどうかが重要になってくると思います。
私としては、ある政策や法案に関して国民が直接判断を下すか代議士に判断を下させるか否か、そのつど国民投票をさせると良いと思います(もちろんネットで)。
私が思うに、民主主義というのは結局「民衆が民衆自身を信頼すること」に成り立っていると思います。だから、ある法案や政策に関して我々が判断を下さねばならない局面になったときに、我々はその都度我々自身を信頼することが出来るか否か、その意志を確認する必要があると思うのです。それが我々自身にとっても賢明な政治参加態度であると思われます。
もしも我々が我々自身を信頼出来なければ、代議士やエリートにその判断を託す。もしも我々自身を信頼出来るのであれば我々自ら直接判断を下す。それが私が今考えている直接間接並立民主制の在り方です。
「悪法もまた法なり」
ソクラテスが言った(プラトンの創作でなければですが…)この言葉には民主主義に対する並々ならぬ決意を私は感じます。「我々が我々自身の判断を信頼した結果、それによってたとえ個人的には悪法だと思えるような法が出来あがったとしても、たとえその政策が愚策なものだと思えても、たとえ国家存亡の危機に陥ったとしても、その結末を受け入れる覚悟がなければならない。」ソクラテスの言葉からはそのような強い信念と誇りを感じます。その「我々が自らの意志で下した」という判断に誇りと信頼を持つことが出来るか否か、それを問うことが直接民主主義を採用する際に必要だと思います。
確か、ソクラテスはアテネが直接民主制であることを相当誇っていたと思います。それだけソクラテスは民衆一人一人が自立的に意志判断を下すことが素晴らしいと思っていたのでしょう。
今後もしも直接民主制に関する議論が国民の間で白熱した場合、私が国民一人一人に望むのはその効果的な運用方法やメリット・デメリット、権利・義務云々の議論よりも、ソクラテスのような民主主義に対する覚悟と信念が国民にあるか否か国民一人一人が自問することです。間接民主制にしろ直接民主制にしろ、民主主義である以上我々自身の責任を自覚しなければならないことには変わりないし、既にしている方もいるでしょうが、直民主制を導入したいのであれば、それはより一層重いものとなるでしょう。それについて考えることが、直接民主制を導入する第一歩になるのではないでしょうか。
直接間接並立民主主義に関する具体的な議論ではなく、思想的倫理的なことを長々と述べてしまいました。しかし、最近のネット上での直接民主制への議論の盛り上がりぶりを見て、私のようなことを述べている人を見ることがなかったのが気になってコメントした次第です。
永井様と他にコメントされた方々の議論は大変参考になりました。これにて失礼致します。
(直接/間接の)関与の度合いに差こそあれ、概ね賛成です。
十数年前から鬱積されてきた政治に対する不満を、明確に文章で読み感動いたしました。
多分私が生きているうちには実現不可能でしょうが、今後の動きに期待します。選挙の度に白票を投じるのにはウンザリしましたので…
電子投票システムとして、漠然と思ったシステム的な面を
つらつらと書いてみました。
長くなってしまい、申し訳ありませんが
こんなイメージでよろしいんですかね?
おかしなところや足りない点があれば
バシバシつっこみください。
・データの分散について
アプリケーションについては、Webサーバはどこにでも分散可能ですから
全国津々浦々のデータセンターに配置すればいいと思います。(数十箇所もあれば十分でしょう。)
DNSで名前解決をラウンドロビンしてあれば、サーバの負荷分散にもなりますしね。
問題は、データ保持についてですかね。
DBサーバも、負荷分散として複数箇所にミラーリング可能ですが
データを保持するストレージは、どうしても一元管理しないと整合性が保てませんからね。
各地域(地方とか、都道府県レベル?)別にストレージを配備しておき
集計時間になったら、全国のストレージデータを集計システムで集計する
方式を採れば、一応負荷分散的な意味合いでのデータ分散は可能ですね。
セキュリティ的な意味合いでのストレージ分散は難しいですが。
・IDパスワードの盗難防止について
IDについては、主キーとして管理する値を用いるべきです。できれば、半角英数10桁以上。
主キーは同じ値を複数持てませんから、一度投票したら再投票はできなくなります。
また、総当り攻撃を防ぐべく、3回パスワードを間違えたら
1、2時間程度は再アクセスできないようにするのも重要です。
それと、ID/パスワード用紙には書かれていない
生年月日とか、身長とか、視力、握力とか何でもいいので
何か赤の他人では全く分からない個人情報を記入し、認証させる仕組みを入れられれば
より強固なセキュリティになります。
万一、パスワードを盗まれて他人に投票され、自らの意に反した投票がなされている場合
もしくは、不正パスワードアタックによりアクセスできない状況にある場合は
取り消し画面から、用紙に書かれているIDとパスワードを入力することで
なりすまされた投票結果を解除し、再投票できるようにすればよい。
本来無投票な人が、パスワードクラックされて投票された場合については
不正確認をする術がありません。
この場合は、正式な投票として認めざるを得ないでしょう。
ないしは、選挙前に「自分は投票しない」旨を選挙管理委員会へ届け出ておくのもありか。
セキュリティを考えて、ID/パスワードは変更できないようにしたいですね。
アクセスについては、セキュリティが重要ですから
Webサーバには、暗号化機能を提供するSSLをインストールし
https通信のみを許可するべきです。
・集計について
また、投票(オンラインシステム)と集計(バッチシステム)は
すべてITで自動化可能ですから、投票から集計まで含めて全てITで行うべきです。
集計協力者など必要ありません。むしろ、集計に人手を介するようなことをすれば
集計結果を、より恣意的に改ざんされるリスクが大きくなると考えます。
ましてや、インターネットを敵対視している「マスコミ」に集計させるだなんて…あり得ない話です。
開票結果のイメージについては
例えば、夜8時までに投票を終わらせる。
で、8時半から集計のバッチプログラムが稼動し
夜9時に開票結果がネットに公示される
というようなスタイルがいいと思います。
あと、投票率が7割だか8割だかを下回る場合は
議論不十分ということで、再投票とするようにしないと
こういう投票は意味がないと思います。
7割の過半数って、全体の35%ですよ?8割でも40%。
全体の35%~40%しか信任されてないものは採用されないべきでしょ?
こんなの多数決じゃないです。
否決率が、不投票者も含む有権者全体の過半数に至らないもののみが
法案として採択されるべきでは?
ちなみに、不投票・棄権ということは、「否決」にカウントされるべきだと思います。
せっかく画期的な制度なんだから
あるべき姿を志向したいですよね。
実は、現在の選挙での本人確認はかなりいい加減で、選挙の時には、各有権者に郵送される「選挙のお知らせ」という葉書を投票所に持っていくことになっていますが、これがなくても投票できるし、身分証明書による本人確認もなされません。つまり、有権者以外が投票をしても、その有権者本人が棄権していれば、ばれないということになります。
そういえば、2010年3月31日の参院本会議採決の際、若林正俊議員が、不在の青木幹雄議員の投票ボタンを代わりに押したことが、映像から判明しましたが、9回目までばれなかったというのですから、こちらもかなり杜撰です。日本の投票システムは、性善説に基づいて設計されているのでしょうか。
これと比べると、インターネットでの投票の方が、ご提案のような方法などで、より厳格な本人確認が行えるのではないかと思います。懸念するべき問題は、投票結果が、権力者によって勝手に改竄されるのではないかという点で、だからこそ、第三者(必ずしもマスコミである必要はない)による同時並行チェックのシステムを提案した次第です。何か他に良いアイデアはありますか。
このような議論がなされているのをはじめて見ました。非常に関心があります。
インターネットによる直接民主主義、私は行うべきだと思います。
ただ、いきなり国政レベルで行うのはリスクが大きく(政権交代ですら機能不全を引き起こし、その間の国益を損ないかねない)、また、その仕組みの構築および調整に大変な労力を要するので、まずは地方自治でトライアルすべきかと考えています。
間接民主主義(現行のしくみ)vs直接民主主義みたいな構図になっているように見受けられますが、要は、組織体における合理的意思決定をどのように行うべきか という話なんですよね?
代議士の仕事は、1.民意のとりまとめ、2.施策の提案・立法、3.行政のチェック の大きくは3つと私は考えています(不足があったら、ぜひご指摘ください)。このうち、どこをインターネットで代替できるかというと、1はばっちり、3はそこそこ(行政がちゃんと活動状況を発信してくれるという前提であれば)いけるかなと。残りの2つについては、基本的に有識者による委員会で提案や素案の作成が行われ、あとはその法案の影響度・重要度で国民全体で判断すべきか、委員会+オブザーバーで判断してしまうか分別すればよいかと思います。何から何まで国民全体で決める必要はなかろうと思います。
今の代議士の中で、リーダーシップのある人間は1や2に携わるのがよいと思います。ただ、あくまでも決めるのは国民であるという意識を持ってことにあたってほしいですね。「代議士」の代は国民の代わりという意味でしょう。本来そうあるべきなのですから。そして、国民の質を高めるために心を砕いてほしいと思います。
国民が関心を示すのか、衆愚に陥るのではないかという部分については、今までの政治のあり方がその傾向に拍車をかけ、まさに人任せ・代議士任せな無関心な国民を育てあげてしまったと私は考えています。憲法で「国民主権」「主権在民」と基本理念の一つを言葉としては覚えますが、それをその後社会で実感する人がどれほどいるのでしょうか?多少なりとも、その権利に対する実感がわけば、関心も芽生えるし、判断の質をあげるために勉強もするでしょう。また、それを促すための学校教育も必要になると思います。
参政へのインセンティブとして、政治によく参加し、よき判断を行ったものは、国に対する貢献を認め、課税を一部免除する というのもありかもしれません。
セキュリティに関しては、お金の決済がばんばんネットで行われている状況を考えれば、特に問題ないと思います。参政権とお金、どっちが大切?と聞いたら、国民は「お金」と答えるでしょう(悲しい話ですが)。よりシビアであろうお金で問題ないなら、政治参加もセキュリティ的に問題なかろうと私は思います。また、実際にやってみないとどのようなセキュリティを施すべきかも見えてこないかもしれません。そういう意味でも、まずは地方自治体でトライアルするべきと思います。阿久根市なんて面白そうでしたけどね(笑)。あの暴君、面白そうだったのに。ある意味残念ですね(笑)
国民が判断するための材料づくりとして、「地球シミュレーター」の政治・経済・国際問題バージョンを構築し、最終決定はしないまでも、いくつかの選択肢において、情勢がどうなりえるのかを提示できる仕組みが欲しいと思いますね。経済(金融)のシミュレーターはあるらしいですが。人間の脳みそで判断力が足りないなら、演算機の力を借りたらどうかと思っています。
ご指摘の問題点に関しては、「民主主義はどうあるべきか」で補足的に論じているので、そちらを参照してください。
シミュレーションの結果は、コンピュータの性能のみならず、モデルの設定方法にも依存するので、官僚が独占的にシミュレーションを行うことは好ましくありません。民間ベースで複数のシミュレーションが行われ、シミュレーションの方法自体が論争の対象となることが望ましいと思います。
コメントありがとうございます。
> 官僚が独占的にシミュレーションを行うことは好ましくありません。
まったく持って、その通りです。恣意的なシミュレーションは民衆操作の道具でしかありませんものね。
> シミュレーションの方法自体が論争の対象となることが望ましい
人間をモデル化するために、感情だとか思惑だとか、そんなものをどうすりゃいいのか。マクロの視点で無視すればいいのか。具体的にどうすればいいのか、私もイメージ持ってないんで、いろいろ考えてみます。是非論争したいですね。
「民主主義はどうあるべきか」、この後、拝読させていただきます。案内いただき、ありがとうございます。
このサイトは大変刺激的でとても面白いです。学者たちが細切れにしてしまった学問を、人間という存在を軸に、是非統合して欲しいと思ってます。これからもがんばってください。
そうです。例えば、気体分子一つ一つの振る舞いを予測することは困難ですが、気体全体の圧力、体積、温度を予測することは容易です。社会の動向を予測する時も、統計的観点から、特異な例外は無視して計算すればよいのです。
「直接民主性 インターネット」で調べたらこのようなサイトに出会い、同じようなことを私なんかよりも、論理的に真剣に考えてる方が多く、嬉しくコメントさせて頂きます。
歴史や難しいことはわかりませんが、環境によって様々なものは変わっていかなくてはならないと思います。当の昔に今ほどの情報技術があればそもそも間接民主制なんて概念すらなかったのかもしれないなとも思います。
すごく簡単にいえば、お国としては本当はみんなの声を聞きたいけど、物理的に無理だから代表選んで、その人にアピールしてもらって! というのが本質なわけで、物理的に可能になった今は、私も永井さんに賛成です。
もちろん細かい問題を挙げていけばいくらでもでてきてしまうでしょうが、そこは調整、修正していけばいい話だと思います。
余談ですが、インターネットの普及は本当に世界を変えてくものだと思います。こうやってコメントできることもそうですが、ある意味サーバーが国としての機能をもつことになるかも知れないですね。
政治においてこれを活用しないわけにはいかないと思います。問題は既得権益に絡みつく方が大勢いることだとは思いますが、是非、この案を現実に推し進めて頂きたいと思います。
PS 最後に1つだけ。投票率の大小で否決にすることだけは絶対にやってはいけません。その法案が必要な人が極少数だったり(薬の承認等)する場合もありますから。だからこそたくさんの法案の中から大切な時間を割いてまでも口を出したいものを選ぶ、若しくは立案だってできるとういうこともインターネットによる直接民主性のメリットと思います。 私たち自身が国を作っていくとう自覚が子供のころから一般市民にあれば日本の将来は明るいものになると思います。
その問題は、ハイブリッド民主主義では起きません。
とても興味深く読ませていただきました。
お話だけ聞いているとこれ以上ないくらい素晴らしい案だと思えます。
しかし疑問があります。
今の日本でこのような手法を取り入れている組織や会社がないのはなぜでしょう?(私が知らないだけで、存在しているのかもしれませんが)
もしこのような手法で組織や国の意思決定、ルール作りなどを正常に回せるのであれば既にどこかで取り入れられていると思うのです。
インターネットが普及してどれだけ経つでしょう。
最もそのようなインフラに恵まれているIT業界に目を向けてもそのような取り組みを組織内・社内で行っている例は聞いたことがありません。
株式会社の意思決定の最高機関は株主総会ですが、本会場に出席しなくても、インターネットで議決権を行使することができる株式会社の数が増えています。政府は民間企業と比べると保守的で、時代に適合した制度を採用するのには時間がかかります。米国などは、間接選挙という交通/通信手段が十分発達していなかった時代にできた制度がいまだに続いています。
財政危機をきっかけに、選挙を経ずして、首相が経済学の博士号を持つ銀行家に交代したギリシャとイタリアについて、どうお考えかお書きになれませんでしょうか?
民主的手続を経ずに選ばれるテクノクラートが上手くやれるなら、平常時もそれでいいのではないでしょうか。
「民主的手続を経ずに選ばれるテクノクラート」が行う改革は、民衆の同意を得ているのではないがゆえに、民衆の激しい抵抗にあう可能性があります。だから、必ずしもうまくいくとは限りません。また、財政破綻は、非民主主義国家でも起きるので、民主主義特有の問題とも言えません。
結局のところ問題は、国家の規模が大きくて、かつ信頼が高いと、不健全な財政を始めてから破綻するまでの期間が長くなり、生きている間に小さな負担で大きな利益を得ようとする有権者が増えるというモラル・ハザードにあると言えます。これを回避するには、国家の規模を小さく分割する必要があります。ギリシャも、もしもEUに加わっていなければ、もっと問題が小さい段階で、かつもっと早い時期に破綻したことでしょうし、これほど傷が深くなることもなかったでしょう。
ご回答ありがとうございました。
政治システム如何に関わらず経済が破たんしうるのは当然のことです。そこには疑問はありません。
私が疑問に思ったのは、両国とも意外なほど抵抗がない、ということでした。民主主義の母国ギリシャも、哲学者ネグリを生み出したイタリアも、これでは中国やシンガポールを責められない、と思ったのです。普段偉そうなことを言っている割になんだ、と。
民主主義を一時停止してでも、国の借金を返す必要がある、というのは、現在の政治経済体制において、私有財産制や債権者保護の原則が、価値体系において非常に上位にある、ということだと思います。そしてそれに両国民も他の西欧社会もあまり違和感を持たない。私はここを良く分かっていなかった。
翻って過去の日本では、江戸時代なんて徳政令がしばしば出されていましたから、社会秩序のほうが優先でした。まぁ、現代風にいえば、そんなことが起こりうる江戸日本には、途上国リスクが存するから高金利で貸すしかない、ということなんでしょうが。
でも、永井さんはあまり驚いていないみたいですね。
国家規模の分割が解法とおっしゃいましたが、現実にはEUは共同債の発行を検討しており、逆に財政統合に向かいそうです。
為替の不安定性が国境をまたいだ経済活動に制約を設ける以上、多国籍企業や経済界はより大きな市場を求め、常に通貨統合を支持する方向にあります。
実際のところ、企業の繁栄如何を決めるのは対象マーケットの規模でありまして(国民経済の繁栄とは必ずしもイコールではない)、アメリカ企業が強いのも、かつて日本企業が成功していたのも、相対的に巨大な国内市場を持ち、そこで多額の開発費用をかけ、競争と試行錯誤と洗練がおこっていたことに競争優位があったからと思います。そして今、一部韓国企業が強いのは、世界的な中産階級人口の増加により、日本以上の規模である市場を相手に競争する戦略が功を奏しているからです。一方、日本企業はこの状況下で国内市場の相対的なスケールメリットが失われ(成熟経済で低成長局面にあることも原因)、ガラパゴス市場と揶揄され、常に国内メーカーの合併が模索される有様です。
現代政治は、企業ロジックで政策が決まるという順番ですから、国家規模の縮小化は安定化の面で正しくとも、現状なかなか取りにくい解法かと思います。
「民主主義を一時停止」したというのは言いすぎです。ギリシャでもイタリアでも、国民によって選ばれた議員による議会活動は続いているし、ギリシャのルーカス・パパデモス首相にしても、イタリアのマリオ・モンティ首相にしても、議会から信任されて就任したのだから、民主主義自体は機能しています。もしこれが民主主義でないとするならば、国民が首相を直接選ぶことができない日本も民主主義ではないということになります。
「両国とも意外なほど抵抗がない」というのもどうでしょうか。
画一的な規格商品を量産して単一市場に安く売るというのは、資本集約的経済の時代のビジネスモデルで、知識集約的経済の現在では、セグメント化された市場に向けて多品種少量生産を行わなければいけません。世界各地の特殊ニーズの調査を熱心に行っている韓国企業は、そうでない日本企業からシェアを奪っています。為替リスクも、単一通貨の下でよりも、複数通貨の下でビジネスを行った方が、かえって小さくなります。地方分権は、政府間競争を高め、有権者のモラルハザードを防ぐという点で、企業にとっては好ましいことのはずです。
コメントありがとうございました。
民主主義の停止が書きすぎだったのは認めます。抵抗が少ない、というのは全く感覚的な問題なので・・。もっと半狂乱になっていいと思うし、逆にもっと民主主義に懐疑的になって、テクノクラート支配の正統性という論点での議論があっていいと思っていたので・・。イタリアは20年前にも似た事態があって、それを切り抜けたので、抵抗が少ないのかもしれません。そういえば、ハーバーマスとかは、大反対論陣を張ってますが、みんなで無視してたりする。首尾一貫しているのは好感してますが、それは外野の意見なんでしょうね。
小通貨にしてリスク軽減ができるのは、①米ドルが第3国同士でも国際的決済通貨(基軸通貨)として流通している現状が変更される、②一国経済を左右できる投機筋のマネーフローが存在している現状が変更される、③四半期決算・時価会計が現状から緩和される、という現状からの変更が可能な場合でしょう。
中長期的には、バブルの膨らむボリュームに限界がある、小通貨のほうがリスク低減できるというのはそのとおりです。しかしながら、企業経営は四半期決算と時価会計で動いております。このため、企業のマネージャーや金融業者にとっては、日常のチョコチョコの損得が、中長期的なバブルと金融危機の可能性より重視されてしまうのです。
たぶん、通貨が分かれれば分かれるほど、目先のリスクヘッジのためのデリバティブの流通量が多くなり、経済全体の不可測性が増し、バブルと危機で却って儲かる投機筋がさらに儲かる状況が生じ、彼らの思惑がさらに猛威をふるうことになると思います。
地方分権は経済システム全体でのリスク低減という意味で、生態学的な観点から有利です。私も個人的には、今の主権国家が独自通貨を持つ小政治体に分かれていくと、戦略の多様性が生まれるし、地域経済の状況に応じて、為替の自動調節が働くのでいいなぁ、と思います。
しかし、政治行政のエリートの観点では常に集積の利点が言われ、多様性への応援姿勢はありません。というより、財政難を理由に、リソース分散はしたくともできないというだけかもしれません。
いずれ情報技術のさらなる発展が、世界の経済地理をさらに細かくモザイク状にしてくでしょうから、この先もどんどん状況が変わっていくでしょう。
韓国企業の強みの解釈に異論はありません。ただ、多品種少量開発こそ、スケールメリットがあってこそ取り組めることだと思います。大型スーパーに個人商店より沢山品物がならんでいて、アマゾンにはそれ以上の商品があるのと同じことです。
いずれにせよ、丁寧にご対応いただきありがとうございました。今後の活躍をお祈りしております。
全文読ませて頂きました。
資料として引用したいのですが、投稿日が2000年1月22日なのに 2.セキュリティ上の問題はないのか の項で
「2004年に行われたアメリカ大統領選挙では、電子投票が導入されたものの、投票結果が出口調査の結果と大きく食い違うケースが多数あり、ブッシュ陣営による陰謀がささやかれた。」
となっています。
本文の最終更新日を教えていただけませんでしょうか。
お問い合わせありがとうございます。本稿は、最初2000年1月22日に「インターネット時代の選挙制度改革」と題して、メールマガジンで公開され、その後ブログ上に転載して以来、何回か改訂されています。最終更新日は、2016年1月31日となっています。なお、本稿と同じ主題について、2011年に「民主主義はどうあるべきか」を書いたので、併せて参照していただければ、幸いです。
完全直接民主主義になれば、もう妥協も根回しもしがらみも抜きで、OOO議員が不倫したとかどうでもいい事でグダグダを見る苦痛から解放されます。
エコーがかかり過ぎて何を喋ってるか解らない選挙の騒音からも解放されます。
メリットは周囲から怨まれている団体に対し、しがらみ抜きで問答無用鉄槌を与えることです。
ジャスラック 朝鮮総連 NHK アムウェイ エホバ 暴走族 暴力団 一部公務員 ビデ倫 似非人権団体 アレフ
こういった連中を裁けるのはでかいです。
では日本の政治家が優秀かと聞かれれば 池田勇人や三木武吉や高橋是清等は優秀だったが1000人にいて10人に満たないだろうと私ならば答えます。
橋下はその可能性を感じたが選挙を舐め過ぎていた。 公務員をタイムアタックでいじめて気が済んだら即解散をマニフェストにできなかった
システム上の被害者です。
大阪市バスと神姫バスの給料の差 テラワロスwww やってること大差ないのにな。
ホカ弁のバイトと給食のおばちゃん これまたテラワロスですわ
特に外交の無駄遣い
人道上と言いながらメリットも確定されてない難民にポイポイばら撒く。そんな金あるなら福島にばら撒けってなるのは普通です。
やるならやるで飯をばら撒くより堤防作ってやれよガンジス川に。メコン川に。 飯をばら撒くよりコンドーム配れ。
中東アフリカなんか資源に目途が無い国は全部見放せ。
何が正しいかじゃなく何がメリットあるかで世の中動かせ。
私は911の関節被害者で ムスリム文化等にも事業を妨害された経験があります
価値観が違う人間が解りあうなんかありえないんだよ8年海外で自転車操業した人間の言葉です。
大人の対応とかそんな日本のローカルルールで海外に接してるんじゃねーって思いますわ。
日本に迷惑はかけてもメリットない存在北朝鮮に対して
北朝鮮を世界のゴミ箱にしましょうぐらい言え そうすれば中国も大喜びアメリカも大喜びだ
あほだろ日本の害交
もうすでにタイやカンボジアの小金持ちは日本人と大差ない生活水準を持つ連中も多いです。
最早日本は治水と高度インフラ系以外支援する必要は無いですわ。
(問)所得の30%以上とられている社会保険料の負担より、消費税の2%引き上げに国民が強く反応するのはなぜでしょうか。
(答)衆愚政治だから。
(補足)社会保険料は毎年上がっていくわけですが、その料率は厚生労働省令に規定されています。つまり、強制労働省の役人が自由裁量で決めているわけです。