1月 152000
 

デジタルコンテンツの著作料金を回収するためには、複製と頒布にコストがかからないという特性を十分に生かすために、アナログコンテンツの著作権を守るときのように従量的に課金せずに、ハードの購入費や通信網の使用料金に一定比率で著作物利用料金を課すべきである。そうすれば、市場規模の増大により、情報消費者とソフトのクリエイターとハードウェア業者は、三者とも少ない犠牲で大きな利益を得ることができる。

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1. 今なぜ著作権法を見直す必要があるのか

デジタル・コンテンツは、アナログ・コンテンツとは異なって、質を劣化させることなく容易に複製・編集し、ネットワークを通じて低コストで出版・頒布することができる。ところが現行の著作権法では、他者の著作物を利用する場合、例外的な場合を除いては、著者の承諾が必要であり、商用ならば一定のライセンス・フィーを払わなければならない。こうした著作権法上の制約は、デジタル・コンテンツが持っている本来の魅力を消費者が実感することを妨げている。アナログ・コンテンツを念頭において100年以上も前に結ばれたベルン条約でデジタル・コンテンツを規制することには問題があると言わなければならない。

コンテンツ提供者の収入ルートは二つある。一つはスポンサーから広告収入をもらう方法で、もう一つは消費者から料金を取る方法である。民放のテレビ局などはまだ数が少ないので、いまのところ広告収入だけで成り立っているが、今後テレビとパソコンが一体化し、書籍・レコード・映画などのメディア産業がインターネットに参入してメディアがマルチ化すると、視聴率が分散するし、スポンサー側の出費の総額にも限度があるのだから、広告収入のみに依存するわけにはいかなくなる。では、ウェブ上に作品を公表するコンテンツのクリエイターは、どのような方法で消費者から料金を集めたらよいのであろうか。

1983年に森亮一氏は、デジタル著作物の流通にふさわしい課金方法として、「ソフトウェア・サービス・システム」を提唱した [森 亮一:ソフトウェア・サービス・システム]。このシステムはコンテンツの利用に応じて課金を行なう流通システムで、今日「超流通 superdistribution」と呼ばれている。超流通で流通されるデジタル・コンテンツには、権利処理に必要な情報が超流通ラベルとして付加され、利用量に応じた権利処理を利用者の手元の超流通マシン内で行ない、その記録を元に料金が支払われる。世界的に名が知られている提案であるが、普及するにはいたってない。

超流通の画期的な点は、CD-ROMなどのパッケージ商品を頒布して複製を禁止するのではなく、複製を自由にすることによって消費者に量産作業をやってもらうという点にある。だが森氏のこの構想も、《見た分だけ払う pay per view》という従量的料金システムにこだわっている点で、ビット型産業の特質を十分利用しているとは思えない。アトム型産業では、複製に大きなコストがかかるので、価格を従量的に決めることに合理性があるが、ビット型産業の場合には、複製にほとんどコストがかからないのだから、料金システムは定額式にすることができる。

現在、DAT・DCC・MDなどのデジタル方式の録音機器を購入する際、消費者は、定価に上乗せされている録音補償金を支払うことになっている。DVDの録画機器が販売されるようになれば、録画補償金が上乗せされることになるであろう。他人の著作物を利用しない人までが、補償金を払うのは不合理のように思われるかもしれないが、もしデジタル録音機が自分の歌った音の複製しかできないのなら、あるいはデジタル録画機が、自分で撮影したビデオの複製しかできないのなら、それらは売れないので単価がきわめて高くなるはずだ。つまり他人の著作物を利用しない人も、間接的には恩恵を受けているのだから補償金を支払う義務がある。この補償金制度発展させれば、次のような定額式超流通になる。

2. 定額式超流通の提案

まずコンピュータを含めたすべてのデジタル複製機器の小売価格およびデジタル通信関係の料金に著作物利用料金を定率で課す。消費者がパソコンを組み立てるケースもあるので、パーツも小売りする時には相応の料金を課す。次にその料金を著作権管理機関にいったん集金する。インターネットに国境はないのだから、その著作権管理機関は世界知的所有権機構(WIPO)内に設置するべきである。ベルン条約では著作権の認定に関しては無方式主義(登録不要制)が採られている。だがインターネットでは登録の手続きが簡単であるから、WIPOに登録する方式主義を取ることが可能である。コンテンツのクリエイターは、自分が作ったファイルにWIPOからもらった著者ID番号を電子透かしで 入れる。

自分の作品を自分だけで作るとは限らない。ある著者が作った作品の中には、サンプリングによって他の著者ID番号のファイルが混入している場合もある。そこで混在の比率を出すために、作品内のすべてのファイルを解析して、バイト数を計算する。ただし文字・音声・画像・動画などファイルのタイプによってバイト数のレベルが桁違いなので、タイプごとに是正定数を掛けて計算する。作品を一つのフォルダに格納して登録する時、著者ID番号ごとの料金配分比率を登記しておく。こうして著者ID番号とは別の作品ID番号をもらってフォルダに付け、オンライン上にアップロードして出版する。コンピュータ・プログラムも同様の手段を用いて頒布する。

公表されたデジタル著作物は、複製も編集も頒布も自由かつ無料という二重の意味でフリーである。但し被複製著作物の著者ID番号が取り込まれる形で利用しなければならない。他人の詩を歌詞として使用したり、他人の小説を映画の脚本として利用する場合には、その詩人や小説家の作品が配分から外れないように、オリジナルのテキスト・ファイルをフォルダ内にバンドルしなければならない。その方がありがたいという消費者もいるだろうし、不要ならば消費者が自分で削除すればよい。編集者の場合、たんにカット・アンド・ペイストだけでは配分対象にならないから、表紙や目次や解説を付けて自分の領域を作る必要がある。

エンドユーザが使うコンピュータには、経路が有線のインターネットであれ、無線の電波であれ、あるいはCD-ROMのようなパッケージ・ソフトによる場合であれ、外部から入ってくるデジタル・コンテンツのID番号を読み取る超流通ラベルリーダ(SDLR)を組み込む。リーダに蓄積された情報は、ネットワークを通してWIPOに送られる。WIPOは、登録されているコンテンツの一定期間中の複製回数を調べ、これにプロバイダが報告するアクセス数を加味して各著者のメディアへの貢献度を計算し、料金を分配する。

今ある著者A氏の著作物を含むデジタル作品、W1,W2 … Wnに、それぞれ、W1円,W2円 … Wn円が支払われるとする。 各作品の構成が、

W1( A氏の割合A1%,B氏の割合B2% … )

W2( A氏の割合A2%,C氏の割合C1% … )

Wn( A氏の割合An%,X氏の割合X1% … )

ならば、

が、A氏の口座に振り込まれる。定額式超流通でも、人気がある著者ほど高収入という原則は変わらない。ただ1コピーいくらではなくて、全体に占める割合で決まるという点が異なるだけである。

なお広告料金も同様の手段で支払わせる。ウェブサイトの開設者は、スポンサーを募集する時には、コンテンツの著者別構成比率を明記してWIPOに登録する。広告の依頼主は、自社の広告を設置するウェブサイトの管理人ではなくて、著者に料金を支払う。だから、他人のサイトを丸写しして広告を募集しても収入にはならないわけである。もちろんこのシステムを維持するためには、WIPOへの登録内容を公開し、不正があれば、被害者が訴えられるようにすることが必要である。

定額式超流通の概念図

3. 定額式超流通の長所

以上説明した、定額式超流通の従量料金式超流通に対する優位は、市場規模を急速に大きくすることができるという戦略的側面にある。もし消費者が見た分だけ料金を払わなければならないとするならば、消費者は出費を最小にするためにできるだけ見ないようにする。これでは、デジタル著作物市場はなかなか拡大しない。だが定額の料金をあらかじめ払っているならば、消費者は、元を取ろうとしてできるだけ長い時間デジタル・メディアを利用しようとする。利用者の視聴時間が長くなれば、それを狙って広告スポンサー付きのメディア産業が続々と参入する。コンテンツが充実すれば、さらに多くの人がデジタル・メディアを利用し、それによって著作物利用料金の総額が増えるという市場規模拡大へのポジティヴ・フィードバックが作用する。

定額式超流通は、情報の消費者、ソフトウェアのクリエイター、ハードウェア業者(情報機器の製造業者や通信事業者)の三者に三様の利益をもたらす。情報の消費者は、著者の許可を得ることなく、あたかも著作権など存在しないかのように、コンテンツを自由に利用することができるのだから、デジタル・コンテンツのメリットを最大限享受することができる。ソフトウェアのクリエイターは、自分の作品をより多くの顧客に使ってもらうことによって、収入増を期待できる。そしてデジタル著作物市場の規模が大きくなればなるほど、情報関連機器は売れて、通信網利用者も増えるので、ハードウェア業者も利益が上がる。

定額式超流通で不利益を被るのは、高コスト型の古い流通業に携わる業者だけである。紙の本を扱う出版社や書店、音楽CDを売るレコード会社、ビデオレンタル店など、情報を物として売買している流通業は今後没落していくであろう。クリエイターと消費者はより直接につながることになる。多くの資本を必要とする動画制作を別にすれば、才能あるクリエイターが比較的容易に自分の作品を出版し、かつ収入を得ることができるようになる。

インターネットがブームとなってから数年ほど経つが、ほとんどのウェブページは趣味の域を出ない。有料のページもあるが、いちいち契約しなければならず、不便だし、クレディットカードの番号を打ち込むことには、セキュリティ上の心配がある。質の高いページを作るインセンティヴを高めるためにも、定額式超流通が実現することを願いたい。

追記

本稿は、JMF第4回日本マルチメディア大賞を受賞した論文に、若干の修正を加えたものである。また、財団法人岐阜県産業経済振興センター主催の講演の原稿の一部ともなった。この論文の著作権は、永井とJMF(日本マルチメディアフォーラム)の両方にあります。

読書案内
書名ディジタル著作権
媒体単行本
著者名和 小太郎
出版社と出版時期みすず書房, 2004/03/16
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私が書いた本

  12 コメント

  1. 永井さんの提案とは、デジタル複製機器に録音補償金を上乗せして販売し、その金を集めて作者らでに山分けする、ということだと理解しました。しかしこれは、人々がどんどん新製品を買うということを前提にしているため、安定性が無いように思われます。これからこの形態がかわって、新製品があまり売れなくなることも十分考えられるし、そのとばっちりがダイレクトに作者にいくため、特に人気のある作者ほどこの流通方式を嫌うのではないでしょうか。不況でも儲かるアーティストは儲かるでしょう?
    また、アートの分野では、消費者が作品を買うのはその作者に対する一種のお布施と考えることもできるでしょう。実際私は、インターネットで無料でダウンロードできるとしても、好きなミュージシャンのCDは買います。ファンだから同じCDを2枚買う、なんて人も結構多いのです。「定額超流通」方式では、このお布施が特定のミュージシャンにダイレクトに届きにくいので、人気があって金ががんがん集まるスターがいなくなり、才能のある人が一攫千金の夢を目指さなくなって、業界の不振につながるのではないでしょうか。
    最後に、特に音楽に関しては、まだまだレコード屋にいって音源を買うというやりかたはすたれないと思います。CDという個体の、デザインや装丁まで含めて一個の作品だ、という人も多いです。MP3などのダウンロードが、CDの売り上げに有利に働くという調査結果も聞いたことがあります。

  2. 私は、本文で「デジタル通信関係の料金に著作物利用料金を定率で課す」と書きました。ユーザが定期的に支払っているプロバイダ料金からも徴収するので、収入の安定性が確保できます。
    寄付に関しては、純粋に寄付という形でするのが望ましいと思います。これまで寄付をする手段があまりなかったので、ご指摘のような不純な方法がとられることがあったのでしょうが、ネットでなら、PayPalとかを使って、簡単に寄付ができます。
    音楽のオンライン販売においても、作品をイメージすることができるように、CDのジャケットに相当する画像をつけるのが普通です。物としての実在性がないと好きになれないというフェティッシュなファンもいるでしょうが、それ以上に、かさばるメディアは、スペースをとるから嫌いだと言う人もいます。

  3. 全体の収入の和が決まっているのはやはり良くないです。たとえば今、ビートルズのようなスパースターが現れて、爆発的ヒットを飛ばしたとしても、本人たちはセコイ印税しか得られず、経済効果も波及しないのは惜しいでしょう。しかも、他のアーティストたちはその分取り分が少なくなります。そしてこれは完全に食うか食われるかの競争になり、ライバル同士の足の引っ張りあいも当然おこるでしょう。そうすれば、業界は魅力を失い、衰退します。

  4. 流通革命によって、無駄なコストが削減されれば、消費者かクリエーターかどちらかが利益を得るはずです。どちらにとっても、文化を育むという観点からすれば好ましいことです。消費者がコンテンツの消費に使うことができる余暇時間や可処分所得に限界があるので、限られた著作権料の奪い合いという点では、コンテンツビジネスの実情に変化があるわけではありません。重要なことは、消費者の負担を増やすことなく、著作権料の総額を増やすことです。

  5. 「消費者がコンテンツの消費に使うことができる余暇時間や可処分所得に限界がある」とありますが、納得できません。90年代後半、音楽業界ではCDのミリオンセラーが続発しました。これは、当時の消費者の余暇時間や可処分所得が他の年のそれを上回っていたからでは決してなく、集客力のあるアーティスト達が続出したからではないでしょうか。去年も、業界が不振に喘ぐ中、中島みゆきという歌手が普段CDを買わない中高年を中心に百万枚もの売り上げを絞り出したではないですか。消費者の購買意欲は固定ではなく(限界は確かにありますが)かなり変動するものなのです。その辺りをお忘れなきよう。

  6. 私は「限界がある」と言ったのであって、「一定である」とは言っていません。コンテンツの魅力は、コンテンツの需要を決める要素の一つであることは、ご指摘のとおりです。
    ところで、「中島みゆきという歌手が普段CDを買わない中高年を中心に百万枚もの売り上げを絞り出した」とありますが、CDや紙の本など、モノ型のコンテンツ商品を買ってくれるのが主として中高年というところに問題の深刻さがあります。
    今後、旧メディアを好む中高年がどんどん減っていき、「コンテンツはタダが当たり前」と思っている若いネット世代の割合が逆に増えていくでしょう。インターネットがあらゆるメディアを呑み込んでいくことは時代の流れであり、この流れを変えることはできません。CCCDの失敗が示しているように、古い考えに基づいて著作権を保護しようとしてもうまくいきません。
    現在ネットでコンテンツから収益を得ようとすると、広告やアフィリエイトに頼らざるを得ませんが、これだけでは、ほとんどのクリエータはプロとしてやっていけません。だから、私は、プロのクリエータを救うために定額式超流通を提案したのです。
    コンテンツで大金を稼ぐことができる時代はもうじき終わりを迎えます。しかし、私は、それが文化の衰退をもたらすとは思っていません。なぜなら、クリエータは好きで創作活動をしているのであって、生活に必要な収入があれば、それで満足するからです。クリエータや著作権保有者があまり儲からなくなっても、文化作品が低いコストで多くの人に楽しんでもらえるようになるならば、それはすばらしいことではないでしょうか。

  7. 少しずつ普及してきていますが、コンテンツ定額制というやり方は非常に良いやり方だと思います。
    そもそも、映画館は事実上、全作品、同一価格な上、上映時間もほとんどが2時間ですし、CDも価格や長さは大差ないので、再生時間による分配などでも問題はないと思います。
    書籍においては、文庫や1500円位の新書など、現在、事実上、定額で売られているコンテンツは問題ありません。しかし、専門書など、「一部の人には高い値段でも需要がある」というようなニッチコンテンツの場合、読んだページ数に応じて分配、としてしまうと、マス向けのコンテンツが有利になってしまい、ニッチ向けのコンテンツに置いては、需給のバランスが、供給側が不利になってしまいます。
    マス向けのコンテンツが、もし著述の手間の割に儲かるのでしたら、供給が増えるので、結果として需給のバランスがとれる、ということにはなるのですが、それでは、作品がマス向けに集中してしまい、ニッチの文化がしぼんでしまいます。
    コンテンツの多様性を維持しつつ、同時に、需給のバランスも成立させる、上手い方法はないのでしょうか?
    私自身も色々考えているのですが、この問題にはどのように対処したら良いとお考えでしょうか?もし、考えがございましたら、お聞かせ頂けたら幸いです。
    2006/3/5

  8. “作品がマス向けに集中してしまい、ニッチの文化がしぼんでしまいます”
    現在、メディアのトレンドは、マス向けからニッチ向けにシフトしていますから、その心配はいりません。学術的専門書も、英語で公開すれば、それなりの需要を期待することができるでしょう。
    ただ、研究資金の捻出という点で、それだけでは不十分だと考え、以前、次のような公的枠組みを活用した資金配分を提案をしました。
    “学術研究に資金を出すとき、どのプロジェクトにどの程度出すかが問題となる。官僚には、先見の明がないので、何が有望な研究かを文部科学省の官僚に決めさせるわけにはいかない。また、若手研究者への資金の配分をボス教授の主観的裁量に委ねると、若手研究者がボス教授の奴隷になるので好ましくない。
    だから、政府は、資金を有望な研究のための予算として出すのではなくて、優れた過去の業績への報奨金として支出すればよい。過去の業績の優劣の度合いは、被引用数に基づいて、客観的に数量化可能であるから、機械的に配分できる。ただし、報奨金は、研究者ではなくて、研究者に研究資金を提供した投資家に支払われる。もちろん、研究者が自分の金で研究を行ったならば、本人が受け取ることになる。
    こうした投資家に、非営利の財団だけでなく、営利の投資会社もなれる。提供した研究資金以上の報奨金が入れば、その差額が利益となる。その利益は、有望な研究プロジェクトを見つけた仕事に対する報酬である。ここからも分かるように、この制度は、政府の仕事を民間に委ねることを意味している。官僚とは異なって、民間の投資家は、投資に失敗すれば、損失を被る。だから、いい加減な判断はできない。
    この制度の下で、資金が特定の研究者に集中することはない。実績のある研究者と契約を結ぶことは、競争が激しいので、条件が悪くなり、ローリスク・ローリターンになる。実績のない研究者の場合は、わずかな研究資金で契約を結ぶことができるから、ハイリスク・ハイリターンとなる。この点、一般の投資と変わるところはない。”
    https://www.nagaitoshiya.com/ja/2005/unemployed-doctors/

  9. “現在、メディアのトレンドは、マス向けからニッチ向けにシフトしていますから、その心配はいりません。学術的専門書も、英語で公開すれば、それなりの需要を期待することができるでしょう。”
    それは、需要について表現したに過ぎません。永井さんのシステムの問題点は、需要と供給を一致させる、市場メカニズムが、マス向けのコンテンツにしか働いていないことにあります。
    そのため、ニッチ向けのコンテンツは需要があるのに、供給が少ないという状況になります。
    つまり、問題の原因は、「読まれたかどうか」とか「何ページ読んだ」だけでは、需要を表現しきれてないことにあります。
    「対価を支払うかどうか」で需要の表現が行われる、従来型の市場に比べて、需給をマッチさせるシステムが弱いです。
    “被引用数に基づいて”も同じ問題を抱えています。これだけでは、論文に対する需要を表現し切れていません。そのため、不完全な市場になるでしょう。
    数学的に証明して無く、私の中では、直観に過ぎないのですが、一つの解決方法は「コンテンツを束ねるパックの導入」だと思います。
    以下の自由を導入することにより、需給をマッチさせるシステムが作れると思います。
    1.パックメーカーがパックを自由に作り、価格を設定する自由。
    2.パックメーカーがコンテンツに売上をどのように配分するか決められる自由。
    3.コンテンツが所属したいパックを選ぶ自由。
    4.利用者がパックを選ぶ自由。
    数学的証明してないので、間違っているかも知れませんし、また、もっとシンプルな方法もあるかも知れません。お許しください。

  10. “それは、需要について表現したに過ぎません。永井さんのシステムの問題点は、需要と供給を一致させる、市場メカニズムが、マス向けのコンテンツにしか働いていないことにあります。”
    需要があれば、それにみあった供給があります。マス向けのコンテンツが、マス向けだからといって、多くの人に消費されるとは限りません。誰もが興味を持ちうるコンテンツは、往々にして誰も興味を持たないものなのです。
    ところで、ゆうさんのいう「コンテンツを束ねるパックメーカー」は、出版社とどう異なるのでしょうか。

  11. AKB48と嵐が2010年度のCDシングル年間売上ランキングの上位10位を独占する事態が起こりました。[オリコン: 2010年オリコン年間CDランキング(シングル)](参考: オリコン: 2011年上半期シングルCDランキング)
    彼らのビジネスモデルが「AKB商法」や「ジャニーズ商法」と揶揄されていることから分かる通り、複数の初回限定版や発売したり、握手権を添付したりすることで、熱狂的なファンに複数のCDを購入させることで成り立っています。つまり、ランキングの上位に載るアーティストの音楽が評価されていないのです。
    音楽が評価されないアーティストがランキングの上位を独占する状況は非常に危険です。なぜなら、売上ランキングの信頼性がなくなり、まじめに音楽を聴こうとする消費者が愛想を付かせて音楽離れを引き起こすからです。
    このランキングから、古い考えに気づいて著作権を保護しようとしてもうまくいかないことは、誰でも気づいているはずです。
    しかし、JASRACをはじめとする著作権管理団体は、そういった現状を認めようとしません。[【2ch】ニュー速クオリティ:今話題のクラウド化 日本ではJASRAC様により違法とされた為、普及しません]
    おそらく、彼らには当事者意識がないか利権保護しか頭にないのでしょう。私は、著作権違法が死刑になる日が来てもおかしくないと思います。
    このままだと、日本のコンテンツ産業は完全に崩壊して、「永遠の氷河期」を迎えるでしょう。
    崩壊したコンテンツ産業が復活した例として、アタリショック後のアメリカの家庭用ゲーム業界が挙げられますが、それは、任天堂という(アメリカからみた)海外企業のおかげです。しかし、グーグルやアップルといったコンテンツを配信している海外企業は日本の著作権管理団体に愛想を尽かしているはずです。だから、日本のコンテンツ産業が死んだら、海外企業が何もしてくれないだろうから、もう二度と復活しないでしょう。
    ただ、日本の支配者層は国民に奴隷のように働いてもらいたいと思っているので、コンテンツ産業が壊滅して、国民が労働のみに時間を費やすようになることは、彼らにとって朗報だと思います。

  12. “複数の初回限定版や発売したり、握手権を添付したりすることで、熱狂的なファンに複数のCDを購入させることで成り立っています。”
    米国の出版業界でも、それと似た現象が起きています。紙の本が売れなくなり、書店は、作家がファンに作品を読み聞かせるイベントを開催するなど、オンラインコンテンツとの差別化により生き残る方法を模索しています。これは、コンテンツで金を取らずに、サービスで金を取るという戦略ですね。
    “このままだと、日本のコンテンツ産業は完全に崩壊して、「永遠の氷河期」を迎えるでしょう。 ”
    旧マスメディアとそこに篭絡されているクリエイターに関してはそう言えるでしょうが、ネットを通じて自由にコンテンツを配信している独立したクリエイターに関しては、ライバルの没落はむしろチャンスです。平沢進のように、メジャーなミュージシャンであるにもかかわらず、JASRACと決別して、ネット上での配信を中心に活躍している人もいます[The official site of Susumu Hirasawa (P-MODEL)]。

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