ネットはメディアをどう変えるのか
インターネットの普及により、個人がメディアの主役になれるのか、それとも相変わらず大企業がメディアを支配し続けるのか。ニュースの選別をアクセスランキング等に頼っていると、興味本位の記事ばかりが読まれ、まじめなニュースが読まれなくなるのかといったネットメディアの未来に関する考察。
1. 個人メディアは主役になれるのか
「汝、沈黙するなかれ、北の大地より」に対するコメント。インターネットの普及により、個人がメディアの主役になれるのか、それとも相変わらず大企業がメディアを支配し続けるのかについて。
blogやサイト開いている人と個人の意志で総選挙に言って投票する人、逆転する日がやがてやってくるだろうか。その時、何かが変わるかといえば変わったともいえるし変わらないとも言える。なぜならば、向こうは会社であり、こちらは個人で何の保護もないからだ。[1]
多分、メディアの中で最も保護されているのは、新規参入が事実上不可能な地上波のテレビでしょう。新聞にも記者クラブとかありますが、テレビほど排他的ではありません。ネットの普及のおかげで、新聞社や出版社といった既存の活字メディアは経営が苦しくなっています。ネットテレビが普及すれば、誰もがテレビ局を開設できるので、地上波のテレビ局も経営が苦しくなるでしょう。法人が個人よりも有利とは限りません。知識集約型社会でも法人が個人よりも有利というのは、資本集約型社会の頃の幻想です。
商業主義でありながら過剰な保護を受けているマスコミの立ち位置と、ローコストで情報発信でき、投票行為としてのページビューを競うblogの立ち位置との違いか。[2]
将来インターネットがすべてのメディアを呑み込む時が来るかもしれません。問題は、ページビューが増えても、サーバーコストが増えるために、ほとんど収入につながらないところにあります。この問題を解決するために、私は、「定額式超流通の提案」を提唱しています。
2. ネットはバラエティ番組化するのか
ニュースの選別をアクセスランキング等に頼っていると、興味本位の記事ばかりが読まれ、まじめなニュースが読まれなくなるという既存メディアの主張に対する反論。
市民が勝手に情報を選んだら、きっとみんなテレビのバラエティ番組みたいなニュースばかり見るにちがいないと、そう思っていないだろうか?「公共性」は市民の側には期待できない、だから高邁な理想に燃えるメディア企業が必要だと、そういっているように思えるが言いすぎだろうか?[3]
ネットのニュースが「テレビのバラエティ番組」のようになることはないでしょう。テレビは新規参入が事実上不可能な寡占メディアで、「公共性」が高いために、多くの人を喜ばせる《あれもこれも》のバラエティになってしまいます。これに対して、ネットは新規参入がいくらでも可能ですから、私的性格を強くすることができ、《あれかこれか》になります。そして、必ずしも《あれかこれか》の専門的メディアが《あれもこれも》の公共メディアよりも低俗ではないということに注目すべきです。公共性の高いメディアでは、政治や経済関係のニュースのみならず、スポーツや芸能などのニュースまで一緒に見させられますが、選択性の高いネットでは、低俗ニュースを排除して読むことができます。
ネットにはいろいろなランキングがあるけれども、役に立つことはほとんどありません。ベストセラーランキングを見ても、読みたい本が見つからないのと同じです。他人がおもしろいと思うことが自分にもおもしろいとは限りません。公共性の高いサイトが流すニュースよりも、私的な観点から選別し、解説されたニュースの方が、読み応えがあります。ネットの長所はカスタマイズが可能であるところにあるわけで、大衆化・均一化とはむしろ方向が逆です。
脱工業化社会では、物にではなくて知に投資する。情報革命とは、生産の知識集約化だと言ってよい。情報社会では、労働商品の場合を含めて、いかに同じ商品を安く大量に生産するかではなく、いかに質の高い商品を専門的に作るかが課題である。[4]
3. 参照情報
- 藤竹暁, 竹下俊郎『図説 日本のメディア[新版]伝統メディアはネットでどう変わるか』NHK出版 (2018/11/24).
- 藤代裕之『ネットメディア覇権戦争~偽ニュースはなぜ生まれたか~』光文社 (2017/1/20).
- 下山進『2050年のメディア』文藝春秋 (2019/10/25).
ディスカッション
コメント一覧
永井さん、僕のつたない記事を取り上げて頂き、恥ずかしい限りです。
若干コメントを。
確かに「社会」という言葉を使うとそうかも知れないけれど、実際個人が法人あいてに批判を繰り広げて、もし名誉毀損とか損害賠償の損害賠償を要求されたら、どうしようもありません。
実際、司法改革で裁判で負けた人が裁判費用を全額支払うという提案(?)がなされていますし、理論と実際は大きく隔たりがあると思うのですが、永井さんはどうお考えになるでしょうか。
永井さんが「法人が個人よりも有利とは限りません。」としているので、僕はその答えにかかわらず、本論の論理にはさして異論をはさむ余地がない、と付け加えておきます。
そうした問題が頻発するようになれば、個人が加入できるメディア保険とかができて、そのようなリスクをカバーすることができるようになるでしょう。問題は、ネットの情報発信が、保険料を含めたコストを支払えるような構造になっているかどうかです。そして、これは、個人と法人で共通の問題です。
akillerさんのコメントへの永井さんの返答について
損害賠償請求のリスクをカバーする個人向けメディア保険がいまだ存在しないために、法人による損害賠償請求をおそれて批判ができない、したがって少なくとも現状では、法人は個人よりも有利である、と表現することもできるのではないでしょうか。
法人と個人の非対称を解決する手段がある、ということは、現段階で非対称が存在しないということを意味しません。
加えて、個人向けのメディア保険が販売者にとってペイしない場合、損害賠償請求を恐れる資本の乏しい者は不正糾弾に二の足を踏んでしまうと思うのですがいかがでしょう。
逆に、貧乏な個人ほど訴えられにくいということも言えるのではないでしょうか。さいばっちとか、訴えて勝ったとしても、賠償金はほとんど期待できないので、多分訴える人がいないのでしょう。