2月 112001
 

民主主義は多数決で結果を決めるが、多数決では、数は力なりで、少数派は切り捨てられる。少数の弱者を数の暴力から保護することが民主主義の課題である。政治学の教科書は、このように多数決原理に基づく民主主義の問題点を指摘するのだが、この古典的議論は正しいだろうか。現実の代議制民主主義を見れば、事態は逆であることに気がつく。実際に民主主義政治を動かしているのは、補助金や規制がなければ存立できない経済的弱者が結成した少数の圧力団体である。

image

1. 少数派が多数決を支配できる理由

なぜ少数派である弱者が、民主主義政治を動かすことができるのか、単純な例でシミュレーションしてみよう。今1万人の住民を1人の住民代表が治めていて、住民は住民代表の決定に対して、1回20円の電話料金を払って、投票する権利を平等に持つと仮定する。住民代表が、住民全員から1人10円を徴収して、コミュニティで一番貧乏な弱者の助成に使うという決定をしたとき、誰がこれに反対するだろうか。

もし住民が経済合理的であるならば、誰も20円の電話料金を支払ってまで10円を失うことに反対しない。これに対して、助成される弱者は、10万円を受け取るわけであるから、電話で支持を表明することはもちろんのこと、受け取る補助金の一部を住民代表に献金する約束をしてでも、この助成を実行させようとする。これが、少数の経済的弱者がサイレントマジョリティを搾取できる仕組みである。

2. 多数派が多数決を支配できない理由

では、古典的理論が想定しているような、多数派による少数派の搾取が可能かどうかを同じような例で検討してみよう。住民代表が、コミュニティ一番の金持ちから10万円を徴収し、それを住民に1人10円づつ配分するという決定をしたとき、誰がこれに賛成するだろうか。

もし住民が経済合理的であるならば、誰も20円の電話料金を支払ってまで10円もらうことに賛成しない。これに対して、10万円を徴収される金持ちは、電話で抗議することはもちろんのこと、賄賂を住民代表に手渡してでも、この搾取を阻止しようとする。これが、多数派が少数派を搾取できない理由である。つまり少数派は、少数派であるにもかかわらずではなくて、少数派であるがゆえに、多数決原理に基づく民主主義を支配することができるのである。

もちろん、多数決の参加者が少ないならば、このようなことは起きないかもしれない。しかし、多数派の人数が増えれば増えるほど、利益であれ不利益であれ、自分への影響は減少し、また投票者としての存在も薄くなるので、「自分が投票しなくても結果は変わらない」と棄権するようになる。つまり「数は力なり」ではなくて、「数は無力なり」なのである。

3. どうすれば投票率は向上するのか

実際、先進国の有権者の投票率はきわめて低い。多くのサイレントマジョリティが投票所に足を運ばないのは、投票で得られる利益が、投票に必要な費用より少ないと判断しているからだ。

今ある有権者が、法案Bが議会で成立することを希望しているとする。その時、代議制民主主義では、次のような不確定性がある。

  1. Bを公約にしている代議士Cがいるかどうか不確定
  2. Cがいても、当選するかどうか不確定
  3. Cが当選しても、Cが公約を守るかどうか不確定
  4. Cが公約を守ろうとしても、実現するかどうか不確定

Bが法律となることの価値が大きくても、それにこうした4つの不確定性の確率係数を乗ずると、その積は限りなくゼロに近づく。その結果、多くのサイレントマジョリティにとって、情報を収集したり、投票所まで外出したりするのに必要な時間の機会費用の方が投票の利益を上回ってしまうのである。

サイレントマジョリティを公共選択に参加させるには、一方で投票の費用を削減し、他方で投票の利益を増加させなければならない。そうした選挙制度改革に、インターネットは重要な役割を果たすことができる。インターネットは社会を中抜きにするが、民意の伝達者としての代議士も不用にする。ネット投票で、直接民主主義を実現すれば、投票結果の不確定性が減少するので、投票の価値が上昇する。他方で、自宅の端末の画面上で簡単に情報収集や投票を行えるので、投票の費用は減少する。その結果、より多くの有権者が政策決定過程に参加し、民主主義は本来の姿に近づくことになるであろう。

読書案内
書名Hidden Order: The Economics of Everyday Life
著者David Friedman
出版社と出版時期Harpercollins, 1997/09/01
書名日常生活を経済学する
著者デイビッド フリードマン 他
出版社と出版時期日本経済新聞社, 1999/11
このページをフォローする
私が書いた本

  17 コメント

  1. 私はポリティアPoliteiaは好きですがデモクラティア(Democracy)には反吐が出ます。バブルの少し前(1985年ぐらい)から日本は本格的におかしくなりました。私の好きな国は全て自由な小国です。
    ザーイド・ビンスルタン・アールナフヤーン大統領(兼
    アブダビ首長)
    私は20世紀で最も尊敬している政治家の1人です。
    昨年、亡くなられました。日本は幾つかの国(民主体制、共和体制、君主制)に別れていれば・・・と思います。私は日本の大きさから考えて君主共和制が最も相応しいと考えています。私の計算ではこの国は後20年は落ち続け、20年後には中国の自治領か、米国の属州になっているように思います。プエルトリコや太平洋の島々のように・・・

  2. 世界はひとつ
    何かのCFで聞いたキャッチフレーズだったと思いますが
    永井様はあとどれくらいで世界がひとつになれると思いますか?
    もし実現したらその主なきっかけとなるサプライズはなんでしょうか?
    またその後の政治はどのように変わっていくのでしょうね?
    人類の生活スタイルもかなり変化すると思います。
    その辺りの話も伺えたら嬉しいです。

  3. 1970年代以降、ボーダーレス化とグローバル化が進んでいるので、その意味では、世界はすでに一つになっていると思います。

  4. 小沢さんは今年の党定期大会で以下のように言われました
    http://www.dpj.or.jp/special/20090118_taikai/index.html
    「民主党の実現目標は「国民の、国民による、国民のための政治」を実現する。民主主義の原点であります。その当たり前のことが、日本では行われてきませんでした。それこそが、今日、政治、経済、社会の混迷を招いた最大の原因であります。」
    また次のようにも言われています。「衆院選挙では旧来の政治の仕組み(旧来の官僚のやり方、それに乗っかっている自民党のやり方)を前提として、個々の政策の是非を論争するのではない、政治行政の仕組みを根本から改めて、本当に税金を有効に国民のために使うようにしたいということだ」と述べておられます。
    仕組みを根本から変える・・・政治の仕組みの大分類としては「直接政治」か「間接政治」なのですが、「汎用国民投票」を引っ込められたことを見れば「一括一任間接政治」は変えるおつもりはないようです。
    「一括一任」「自由委任」を変えることこそが「根本から変える」事なのですが・・
    さて、上のような美辞麗句にも関わらず違法献金問題が発覚しました。振込むように督促までしていたとか・・・。
    献金者は言うなれば「献金者の為の政治」を期待しています。民主党や自民党のよって立つ基盤が国民ではなく献金者であったとすれば、政治家の言う民主主義とは国民の考える民主主義とは似て非なるもので「献金民主主義」とでも言うべきでしょう。(納税者のみに選挙権があった時代もあります)
    政治家が高邁な政治思想、真の民主主義を標榜されるなら「パーティーも含めて一切の献金を禁止、役人との懇親禁止」と主張されても不思議ではないはずです。
    「旗本議員を金縛りするために政治資金は必要なんだ」では旧来となんら変わるところはありません。
    この事件を契機として若手政治家が「汎用国民投票制度そして並存政治制度も含め真に国民の、国民による、国民のための政治を実現する」ために立ち上がることを期待するものです。
    そもそも外見と弁舌で人の真実が見抜けるとする間接政治制度そのものが片山慶応大学大学院教授(前鳥取県知事)が言われるようにオミクジを引くと変わらないのです。日本は嵐の中、船長のいない船と同様です。いま霞ヶ関は「役人天国は永遠だ」と快哉を上げています。
    さてテレビの最新の世論です(3月6日朝)。「首相にしたい政治家」いない61%。小沢6%。小泉5%。麻生3%。菅3%。宮崎県知事2%・・・・

  5. ただ、直接民主をやるならば、国民の判断二ゆだねる投票の争点や
    その判断が波及するすべての効果について、ものすごく簡潔かつ隅々まで
    説明できなくてはならない。そうでないと直接民主ではなくなる。
    永井のように、「結局、20円の徴収の例えは、投票に行く
    ことのめんどくささ、コストを表していたのか。。。」と結論で
    分からせるような、無駄な説明をするセンスのないやつは、
    携わってほしくないです

  6. 「投票の争点やその判断が波及するすべての効果」は、あまりにも膨大かつ複雑すぎて、一人では把握できないからこそ、多数による意思決定プロセスへの参加が必要なのです。

  7. 矛盾は生じますよね。
    自明の理という言葉がありますよね。

  8. >>実際に民主主義政治を動かしているのは、補助金や規制がなければ存立できない経済的弱者
    では、もし経済的弱者がいない民主主義社会が実現したら、その民主主義政治を動かしているのは誰ですか?

  9. 弱者がいなければ、強者もいないということになるので、経済的モチベーションの差異による政治的モチベーションの差異は消滅するでしょう。しかし、それは実際にはありえないことです。

  10. アル・ゴア元副大統領の『理性の奪還』という本からの抜粋です。
     以下に書くのはゴア氏が上院議員に立候補したときの話です。
     対立候補のアッシュ氏に厳しく追い上げられる展開のなか、ゴア氏側の選挙運動顧問は全ての調査結果、テレビコマーシャル計画の慎重なテスト、対立候補からの予想される返答、その返答への準備など、時間をたっぷりかけて詳細に検討したとあります。
    (以下、本文抜粋)
     そのうえで彼は助言と予測をしてくれたのだが、それはびっくりするほど具体的なものだった。
    「もしこの広告をこれだけの量を打ち、アッシュ候補が予想通りの反応をし、さらにわれわれがこの量のテレビ広告で彼の返答に対するわれわれの返答を放送すれば、結果として三週間後の支持率調査でわが方のリードは8.5%増加になるでしょう」
     私はこのプランにゴーサインを出した。三週間後、私のリードは正確に8.5%増加になったのには驚かされたものだった。自分の選挙キャンペーンなのだからむろん喜びはしたが、このことによって浮き彫りになったわれわれの民主主義といわれるものの実態に、不吉な予感を感じたのも事実だ。明らかに、少なくてもある程度は、”被統治者の同意”すなわち「国民の意見」はコマーシャルの最高入札者によって購入される商品になりつつあった。選挙結果を操作するために金銭とテレビが巧妙に利用されはじめ、理性の役割が減少し出したのだ。
    (以下、私の考え)
     アメリカと日本では多少事情が違うと思いますが、選挙に勝つには多額の資金とノウハウが必要なのでしょう。
    しかし、民主党議員のほとんどはこの両方とも持ち合わせていないか、自分のことだけで精一杯というのが現状です。
    一方、他党はといえば、例えば共産党、公明党は支持基盤がしっかりしていて資金、選挙運動の両方に対してある程度協力してくれるでしょう。
    自民党は経団連企業から昨年も27億円もの献金をもらっています。
    しかもこれらの企業の多くはメデイアの広告や番組スポンサーでもあります。
    この事もものすごく大きいことです。
    西松建設からの献金にしても私がネットで見た資料では民主党の総額より自民党の総額の方が1.5倍も多いのです。
     いまの民主主義を考える時、全体像を見たうえでお金の問題も併せて考える視点が必要だと思います。

  11. 日本にも、海外にいるような選挙のプロやスピン・ドクターはいます。自民党は、伝統的に開発独裁型政党なので、マスコミ対策にはあまり力を入れてきませんでした(今はそうではないでしょうが)。マスコミの操作という点では、むしろ民主党の方がうまいのではないでしょうか。今話題の小沢一郎氏の政治資金問題でも、テレビは不自然に小沢氏を擁護しています。
    西松をめぐる違法献金事件で、小沢氏の秘書が逮捕されたのは、個人単位では、小沢氏への献金額が突出して多かったからで、必ずしも民主党の党首だったから狙われたというわけではないでしょう。実際、二番目に多かった自民党の二階俊博氏の秘書も、東京地検特捜部によって、政治資金規正法違反(虚偽記載)罪で、略式起訴されています。

  12.  ご回答ありがとうございます。参考になりました。
    メデイア戦略では森田実氏が指摘したように電通と組んだ小泉郵政選挙が一番だったと思われます。それと自民党の個人で受けた金額では資料によっては尾身元財務相(町村派)の方が二階氏よりも多いとか、森元総理の地元で西松が大型発注を受けているという話もありますから職務権限から言っても問題ありますよね。
     私は先日、放送倫理検証委員会に関西TV2月3日放送の「10.2.03青山繁晴がズバリ!」の審査をネットより依頼しました。
    http://www.youtube.com/watch?v=7yuCBqN-Sh0&feature=related
    内容は小沢氏関連のもので、青山氏が「現場が今後やりたいと思っている捜査のシナリオを検察官から電話で聞いた」というもので熱っぽく話していました。これは検察による情報工作ではないか?と考えられ、小沢氏の検察審査会を意識した世論誘導との見方が有力です。
    これは検察にとっては非常に効果を上げています。しかし、検察がこのような手法で国民を「洗脳」するマインドコントロールをしたのでは、民主主義は崩壊してしまいます。
    必要な情報は正式なコメントでするべきであって、無責任で作為的な情報操作は国家権力たる検察がすべき行為ではありません。過熱する報道は515事件や226事件のような事件に発展しかねないと思いました。
     この件についてもコメントいただけると幸いです。少し場違いな質問になりますことをお詫びいたします。

  13. “過熱する報道は515事件や226事件のような事件に発展しかねないと思いました”
    青年将校による昭和維新は失敗しましたが、民主党による平成維新は、成功しました。鳩山首相も、内閣総理大臣所信表明演説で、民主党政権の誕生を「無血の平成維新」と呼んでいます。政治評論家の中には、検察を青年将校に喩える人もいるようですが、民主党=革新勢力vs自民党=保守勢力という図式からすると、逆ではないかという気がします。これに関しては、「太平洋戦争における保守と革新」で詳しく述べたので、そちらをご覧ください。
    世界恐慌によるデフレをきっかけに、米国でルーズベルト大統領が、日本で近衛内閣が誕生したように、サブプライムローン問題によるデフレをきっかけに、米国ではオバマ大統領が、日本では鳩山内閣が誕生しました。鳩山由紀夫氏は、いろいろな意味で、革新貴族だった近衛文麿と似ており、鳩山氏が提唱する東アジア共同体の構想は、かつての大東亜共栄圏の構想と似ています。戦前のように日米関係が悪化することを危惧しています。小沢氏は、習近平中国国家副主席との特例会見に関して、「天皇陛下にお伺いすれば、喜んでやってくださるものと私は思っております」と勝手に天皇陛下の気持ちを代弁していましたが、あれは、皇道派青年将校がやりそうなことです。
    だいぶ脱線したので、本文の話題に戻しますが、間接民主主義ではどうしても汚職の問題が起きるので、この点でも、直接民主主義の方が望ましいと思います。投票者の数が多ければ多いほど、買収は困難となり、暴露されやすくなります。スピン・ドクターも暗躍を続けるでしょうが、分権型メディアであるインターネットが普及すれば、一方的な世論捜査は困難となります。

  14. ありがとうございます。勉強になります。事件の発生の可能性については番組を観ていただければ納得していただけると思います。
    やたらと正義を振りかざす青山氏の発言はぞっとするものでした。
    永井様の主張される直接民主主義が望ましいというのも私の今後の思想形成に大きな影響を与えそうです。
    それと、インターネットの普及が本当にありがたい事だと現時点でも実感しております。
    自民党の代議士をはじめ評論家の方も「実際に行動を起こすことに敬意を表します」などのコメントを送信くださり、放送倫理検証委員会への働きかけを指示してくれています。
    私たちは自らの行動で民主主義を守らなければいけないと思います。
    今後のご活躍を期待しております。

  15. 理想的な民主主義は少数派の存在が無視されない、少数派が肩身を狭い思いをして暮らさなければならない状況を避ける必要性があると思います。つまりは、個々が国民に主権があることを自覚し、お上主導ではなく、個々が社会を形成しているといった自覚を持つ必要があります。
    それにはアメリカ、カナダのように、多様性を内包した社会構築と、個々が対等である上での個人主義が必要です(ここでの個人主義は決して無関心主義という意味ではない)。多数派と少数派が対等で、論理的に意見を交し合えるような土壌、人と違う意見を発言しても大丈夫で、大きな権力に国民が屈しないといった状況が許される構造が、社会の至る所で必要不可欠です。
    そうすれば、明確な意見を持たないサイレントマジョリティーも減り、逆に少数派も多数派と対等に扱うので、多数派が少数派を哀れみ、サイレントマジョリティーが少数派に歩み寄るといった状況も減ると思います。
    日本の場合だと、集団主義的感覚があるので、多数派というとグループを指す事が多いかと思いますが、英語圏での感覚だと、多数派=賛成している個人の数が多い、といった印象です。この微妙な感覚の違いは、微妙なのですが、個人主義を優先するか、集団主義を優先するかという大きな違いが存在します。また、日本は年齢や権力による区別が一般レベルでは根強く存在する国柄であるとも思うので、アメリカのように、国民が政府や企業の奴隷だと感じないように、最大限の自由を保障している国とは異なり、日常生活レベルにおいて国民が主権を持っているという事を自覚する真の民主主義、もしくは民主主義的要素が、社会に根付きにくいという特質があるので、そこを改善する必要性もあるかと思います。

  16. アメリカで民主党と共和党の「2大政党以外」の政党が、議会で多くの議席を持てない理由は何故でしょうか?政治の仕組みが他の民主主義国家と違うからでしょうか?アメリカは多党制を禁止していないし、他にも小さい政党はもちろんあります。地域レベルでは州議会などで議席を持つ政党があると思います。本当にアメリカは「完全2大政党制」の国でしょうか?私が思うにアメリカでは連立政権(例えばイギリスのような「保守党」と「英国自民党」の2党連立)はまずないと思います。

  17. アメリカの政党には党議拘束といったような締め付けがなく、党に不満があるからといって、離党して新党を立ち上げなければいけないという必要性が議員にあまりありません。二次的な理由ですが、離党者が少ない中、あえて少数の議員が離党しても、権力から疎外されるだけで、メリットよりもデメリットの方が大きいのでしょう。党議拘束がないということは、議会には、議員の数だけ意見が存在しうるということですから、それが、有権者の多様な意見を反映しないという二大政党制の欠陥を補っているわけです。もっとも、この理想をさらに徹底していくと、直接民主主義になるのですが。

 返信する

以下のHTML タグと属性が利用できます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

/* ]]> */