NHKはどのように民営化するべきか
NHKは国営放送ではないが、放送法が受信設備を設置した者にNHKと受信契約を結ぶ義務を定めているので、国営に近い公共放送である。このような特権を正当化する理由はあるのか。現行の受信料徴収方法でなければ、NHKが提供しているような番組は提供不可能なのか。NHKを純粋に民営化し、市場原理を導入することにどのような問題があるのかといった問題を考えたい。
1. 問題提起:NHKは営利企業の放送と異なるのか
「はーふ・しりあす:NHKは「公共放送」なんです」に対するコメント。NHKは国営放送ではないが、受信機所有者から受信料を徴収する権利を与えられた国営に近い公共放送だです。これを民営化し、市場原理を導入することにどのような問題があるのか考えましょう。
見比べてみれば一目瞭然ですが、NHKでは福祉や健康、科学や文化に関する番組が非常に多いことがわかります。はっきりいって、これほどの大量の低視聴率番組を、民放が流すことは考えられないし、絶対に8時台なんて時間には放送されないでしょう。こういった番組を必要とするのは、決してマジョリティではなく、視聴率を稼ぐことは出来ないことが確かだからです。
ブログなどでも「民放とNHKの番組に、もはや大した差は無い」という意見は散見されますが、こうして比べてみれば、明らかに大きな差異があることは明白です。たしかに、民放でも、NHKに勝るとも劣らない良い番組もありますし、NHKが不得意な分野もあります。が、絶対量でも、放送される時間帯などでも明らかな差異があるのは認めるべきでしょう。そしてこれらは、民放ではやはり実現できないということも、多くの人は素直に感じていることです。[1]
たしかに、NHKのような有料テレビで放送されているような番組を、民放の無料テレビで放送することはできません。しかし、だからと言って、なぜNHKを民営化するべきではないという結論が出てくるのでしょうか。もしも、民間では有料テレビが実現できないのであれば、この主張は理解できますが、実際には、有料の衛星テレビ放送が、純粋な民間営利企業によって行われています。
私は、昔、スカパーのヒストリーチャンネルやディスカバリーチャンネルを見ていました。これらの放送局は、月額たったの525円で、NHKの教養番組と変わらない質のドキュメンタリーを放送しています。NHKを民営化することができるかどうかを論じるのであれば、国営有料放送を、民間無料放送と比べるのではなくて、民間有料放送と比べるべきです。
私は、NHKラジオ第一放送だけを国営にして、そこで災害情報(テレビは災害時に弱いので、ラジオのほうがよい)や国会中継(ウェブカメラを設置して、ネットで見ることができれば、それで十分かもしれない)や政府広報など、政府ならではの番組を放送し、それ以外はすべてチャンネルごとに分割民営化するべきだと思っています。もちろん、受信料の強制徴収なども廃止するべきです。
2. 追記(1)公共性という幻想
コメントに反論があるようなので、それに対して答えます[3]。
繰り返しますが、NHKは「公共放送」であって、「有料放送」ではありません。どう違うかといえば、「有料放送」は、どこまでいってもお金を払う人のためのもの、公共放送とは、公共のためのものなのです。[4]
NHKも、受信料を払わない人には冷たいです。
NHKは12日、公開番組の観覧募集を受信料負担者に限定する優遇策を導入すると発表した。歌謡番組を中心に来年3月までに1本、2006年度に10本程度の番組で導入し、受信料の不払い増加の抑制に結びつける。視聴者の反応をみながら、07年度以降、さらに導入番組を増やすかどうかを今後検討する。[5]
この記事から判断すると、テレビを所有していないなど、正当な理由があって払っていない人も、排除するようです。
実際、NHKは福祉情報番組や教育番組に非常に時間を割いています。ごく小数の人しか見なくても、それがお金を持たない、あるいは払えない人であっても、「公共」のために必要であると考えれられるものを放送しています。実際、NHKには受信料を免除する制度もあるわけです。[6]
低所得者のための受信料免除など、社会福祉的な役割を、民間の営利企業では果たせないと言いたいのでしょうか。そう主張する前に、国家でなければ、社会福祉の機能を果たすことができないのかどうかを考えてください。私は、民間の保険会社が、社会福祉の機能を代替することができると考えています。詳しくは、「社会福祉は必要か」をご覧ください。
戦前の「滅私奉公」の精神が国家を滅ぼし、戦後の利己主義が日本に繁栄をもたらしました。公共の利益を追求すると、公共の利益が損なわれます。公共性を否定することこそが、公共性の肯定になるのです。
3. 追記(2)NHK擁護派との泥沼論争
論争の続きです。
学習塾ではなく勉強室にすればいい、といって、学習塾の不要論を唱えるのと同じ理屈で、公共放送は不要であると言おうと、あまり説得力はありません。[7]
学習塾は公共の教育機関ですか。喩えとして説得力がありません。
貴方が「こうすればいい」という構想を持つのは立派ですが、かつて「共産主義」という構想が「実証段階」で見事に立ち行かなくなったように、客観的な事実を無視した構想がたどる運命は決まっています。[8]
あなたの主張のほうがよっぽど共産主義に近いと思います。ちなみに、GHQのうち、アメリカは民間放送だけで良いと主張したのに対して、国営放送の必要性を説いたのはソ連で、戦後NHKが公共放送として存立できたのは、もっぱらソ連の共産主義のおかげといってよいでしょう。
自分としては、ディスカバリーチャンネルなどを「NHKの教養番組と変わらない質」ということにはまったく賛同いたしかねます。[9]
例えば、NHKの「その時歴史が動いた」とか、明らかに大衆迎合的な低レベル番組だし、あれなら、ヒストリー・チャンネルのいくつかの良心的な番組のほうがましだと思います。この他、クイズ番組とか、NHKの低レベルな教養番組は枚挙に暇がありません。
貴方の考えが正しければ、すでに福祉、教育といった公共性の高い番組が、相当量のコンテンツとして存在し、必要なところに供給されていなければならないのですが、それがNHK以外には実在していないというのが私の見解です。違うというのでしたら、客観的な根拠を提示してください。[10]
スカパーには、福祉に関しては、「医療福祉チャンネル774」があるし、NHK的な語学番組としては「GLC 24時間英会話チャンネル」とかあるし、大学あるいは大学院レベルの教育番組としては、「放送大学CSテレビ」とかがあります。もしも、大学が営利企業になれば、放送大学が今無料でやっているような講義を、一般向けに有料で衛星放送やネット放送でやるようになるでしょう。
戦後、日本経済を成長させてきたのは、技術者や経営者たちの、自己犠牲的とも言える努力の結果であり、これは十分「公共心」といってよいもので、「利己主義」とはとんでもない見解です。そう思うのであれば、なぜ日本ではビルゲイツのような大金持ちが出てこなかったのか、それを客観的に論じてください。[11]
「プロジェクトX」の見過ぎですね。日本人は、戦前は国のために、戦後は会社のために働きました。そして今では、自分のために働いています。個人レベルでの大金持ちも現れ始めています。個人の自立と選択の自由の拡大は、文明の成熟を測る物差しです。
4. 追記(3)放送への市場原理の導入
論争の続きです。
あなたも、リンク先でおっしゃるように公共的なことに関してはだれかが費用負担をしなければいけないことは認めておいでですね。そんな中で、あなたは社会保障制度に変わり、保険の加入を義務付ければよいといわれる。では、公共放送をどうするかといえば、同じように考えれば公共的なコンテンツを提供するところと、契約を交わすことを義務付けますか。受信料制度そのものですね。[12]
地上波テレビは、社会保障とは異なって、生きていく上で必須ではないから、義務化する必要はないのですが、もしも、私の社会保障制度の改革案と同じことをNHKに当てはめるなら、NHKは、番組制作には一切関与せずに、放送サービスだけを提供し、放送枠をオークションで番組制作会社に売却し、視聴者は、好みの番組と個別的に契約を結んで、金を払うということになります。これなら、今よりも、市場原理が機能します。もっとも、地上波テレビは、物理的にはまだ参入の余地があるようだから、チャンネルそのものを増やすことで、選択肢を増やすこともできます。
視聴料は月額2100円ですね。法人は免除どころか、5250円に値上げですね。内容も、NHKの福祉情報番組や健康番組とは、対象が違うようですし。
これで、私の言うところの「相当量のコンテンツとして存在し、必要なところに供給されていなければならない」ということに答えているとお思いでしょうか。こんな番組を、腰痛に悩むおじいちゃんおばぁちゃんが見ることが現実として出来るのですか?
そうお考えだというなら仕方ありませんが、仮にNHKがなくなったときに、これまでNHKから得られた情報がどれほど制限されてくるのか、必要とする人たちにどれほどの負担が求められるのか、逆にはっきりするというものです。[13]
この番組の料金がなぜこんなに高いか、理由がわかりますか。もしも、視聴者の数が、もっと多ければ、料金を安くすることができけれども、NHKが客を奪っているから、それができないのです。もしも、あなたが仮定するように、NHKがなくなり、この番組が、今のNHKと同様に、地上波で見ることができるなら、もっと視聴者が増えるでしょうし、そうなれば料金も下がり、さらに一般向けの番組も作り、それがさらに視聴者を増加させるという好循環を生みます。
利己主義と経済成長が相反するものだということを示す材料として、日本の繁栄を築いた「高度成長期」には不思議と「個人レベルの金持ち」はあまり現れず、日本が低成長、マイナス成長に陥って以降、「個人レベルの金持ち」がうじゃうじゃ出てきたことを挙げればよいでしょうか。[14]
あなたは、高度成長期に成功した方法が今でも有効と考えているのでしょうか。日本が貧しかったころ、画一的商品を大量生産するという社会主義的生産様式が有効でした。しかし、豊かになると、人々は、必要最小限以上の商品を求めるようになります。消費者の選択の自由と商品の多様化が必要になってきます。この意味で、NHKの今のやり方は歴史的使命を既に終えたと言えます。
日本が現在経済的に停滞している原因の一つは、過去の成功神話に固執し、社会主義的な制度の改革を怠っているところにあります。民間企業では、改革は進んでいるものの、公共セクターや規制に守られた保護産業は、旧態依然たる状態で、これが日本経済の足を引っ張っています。今日本に必要なことは、開発独裁体制から脱却し、可能な限り、市場原理を導入することです。
消費サイドのセグメント化に対応して、生産サイドの利害単位も分割するべきでしょう。自国のため→自社のため→自分のためというように、利己主義の「己」の範囲を狭めなければなりません。
利他主義は、道徳的理想であって、現実ではありません。理想だけで社会制度を作ると失敗します。利己主義という現実を否定するのではなくて、むしろそれをうまく利用して公共の利益に結びつけるのが、市場原理です。
5. 参照情報
- 小山和伸『これでも公共放送かNHK!: 君たちに受信料徴収の資格などない』展転社 (2019/7/25).
- 松田浩『NHK 新版-危機に立つ公共放送』岩波書店 (2014/12/19).
- 立花孝志『NHKから国民を守る党 立花孝志かく闘えり』ミリオン出版/大洋図書 (2020/6/26).
- ↑flight009. “NHKは「公共放送」なんです”『はーふ・しりあす』2005-12-11 00:17.
- ↑Rs1421. “NHK放送センター、東京都渋谷区神南." Licensed under CC-BY-SA.
- ↑その後『はーふ・しりあす』側にあったコメントは削除されたようです。
- ↑flight009. “NHKは「公共放送」なんです”『はーふ・しりあす』2005-12-11 00:17.
- ↑“NHK、番組観覧募集を受信料負担者に限定の優遇策" NIKKEI NET. 2005/12/12.
- ↑flight009. “NHKは「公共放送」なんです”『はーふ・しりあす』2005-12-11 00:17.
- ↑flight009. “NHKは「公共放送」なんです”『はーふ・しりあす』2005-12-11 00:17.
- ↑flight009. “NHKは「公共放送」なんです”『はーふ・しりあす』2005-12-11 00:17.
- ↑flight009. “NHKは「公共放送」なんです”『はーふ・しりあす』2005-12-11 00:17.
- ↑flight009. “NHKは「公共放送」なんです”『はーふ・しりあす』2005-12-11 00:17.
- ↑flight009. “NHKは「公共放送」なんです”『はーふ・しりあす』2005-12-11 00:17.
- ↑flight009. “NHKは「公共放送」なんです”『はーふ・しりあす』2005-12-11 00:17.
- ↑flight009. “NHKは「公共放送」なんです”『はーふ・しりあす』2005-12-11 00:17.
- ↑flight009. “NHKは「公共放送」なんです”『はーふ・しりあす』2005-12-11 00:17.
ディスカッション
コメント一覧
私の家ではヒストリーチャンネルやディスカバリーチャンネルを観る事ができないために、各社のサイトに掲載されている番組情報からしか番組内容を知りえることができないのですが、サイトを見た限りでは、海外制作の番組が大半を占めているように感じられます。(ヒストリーチャンネル日本法人のオリジナル番組は今月はたった3本しか放映されないようです。)
科学系のドキュメンタリーなど海外制作の番組には非常に質の高く興味深いものも多くあります。しかしながら、海外制作の番組では日本の経済を扱ったドキュメンタリーや日本の視点からの大戦や原爆に関する番組、地域文化・伝統文化に関する番組などは制作することができません。これら日本国内しか対象になりえない番組を有料チャンネルで制作・放映を行おうとすれば月々525円ではできるわけがないと思います。ディスカバリーチャンネルなどは、世界規模で同一番組を放映をしているからこそ成り立つ放送局なのです。
ですので、単純にNHKとこれら有料衛星局を比べること自体間違っているのではないでしょうか?
「日本の経済を扱ったドキュメンタリーや日本の視点からの大戦や原爆に関する番組、地域文化・伝統文化に関する番組」は、日本国内だけでしか放送できないのでしょうか。私たちが、海外の歴史や文化や経済に関心を持つように、海外の人たちも、少なくともインテリたちは、日本の歴史や文化や経済に関心を持っています。また、欧米以外の国の観点を求めている視聴者もいます。日本だけでは需要が少ない場合でも(NHKがなくなれば、あるいは少なくとも、強制的な受信料徴収制度がなくなれば、決してそんなことはないのですが)、ワールドワイドには、採算が取れるだけ売れると思います。いずれにせよ、NHKを民営化して運営していくことは、NHKの特権を維持したまま、民間がNHKと同じことをするよりかは、はるかに容易であることは確かです。
> 例えば、NHKの「その時歴史が動いた」とか、明らかに大衆迎合的な低レベル番組だし、あれなら、ヒストリー・チャンネルのいくつかの良心的な番組のほうがましだと思います。
> 「プロジェクトX」の見過ぎですね。日本人は、戦前は国のために、戦後は会社のために働きました。そして今では、自分のために働いています。個人レベルでの大金持ちも現れ始めています。個人の自立と選択の自由の拡大は、文明の成熟を測る物差しです。
ヒストリーチャンネルのWebページにはこんなことが書いてあります。
> ヒストリーチャンネルの2005年を締めくくり、また2006年を迎える年末年始24時間放送企画!『プロジェクトX』『その時 歴史が動いた』『ラストデイズ』など、今年特に皆様の反響が大きかった人気シリーズの24時間連続放送を、12月30日から、新年1月3日まで、5日間連続でお送りします。
自己矛盾とは、こういうことを言うんでしょう。
一点お礼を申し上げます。
以前はメールアドレスを入れないと投稿できなかったようですが、入れなくても投稿できるようにしていただいたようですね。御礼申し上げます。
私の言っていることのどこが矛盾なのでしょうか。たぶん「ヒストリー・チャンネルのいくつかの良心的な番組」の「いくつかの」を見落としているのでしょう。これは、ヒストリー・チャンネルには、良心的とはいえない、興味本位の番組もあるということを含意しています。私は、NHKが有料で提供している番組は、民間でも有料で提供できるということを主張しているのであって、スカパーの番組が、すべてNHKよりも知的水準が高いなどとは主張していません。
ほほう。ということは、いつもは比較的質の高い番組を「いくつか」放送しているこのチャンネルが、どこの放送局も総力を挙げる年末年始に限っては、その「質の高い番組」をあきらめ、低レベルなNHKの番組を、「反響が大きかった人気シリーズ」といって、視聴者をだますような宣伝を打っているわけですな。「NHKの番組は低レベル」であるという意見にとって、すばらしく説得力のあるお言葉です。
そもそも、あなたの主張は貴方の「主観」そのものでしかなく、ほとんど根拠がないんです。自分でもそれがわかっているから、ヒストリーチャンネルというものを持ち出して、少しでも客観性があるように見せようとしたのがやぶへびになっただけのことでしょう。
> NHKが有料で提供している番組は、民間でも有料で提供できるということを主張しているのであって
「NHKの番組は低レベル」という主張から、明らかな論点のすり替えですな。もう一度、当該個所を読んでみましょうか。
> 例えば、NHKの「その時歴史が動いた」とか、明らかに大衆迎合的な低レベル番組だし、あれなら、ヒストリー・チャンネルのいくつかの良心的な番組のほうがましだと思います。この他、クイズ番組とか、NHKの低レベルな教養番組は枚挙に暇がありません。
誰がどう読んだって、番組の質を問題にしていることは明らかです。
あなた自身の中では、こんな矛盾に満ちた考え方でも、自分自身を納得させることができるのでしょう。いかにも「利己主義者」らしいと申しましょうか。
私は、低俗番組は嫌いですが、だからといって、私の選好を他者に押し付けてもよいのでしょうか。私が低俗番組だと思う番組を「面白い番組」と評価し、私が「レベルが高い番組」と評価している番組を「退屈な番組」と敬遠する視聴者もいるでしょう。こういう視聴者の価値観を無視してもよいのですか。
もしもかまわないと考えているなら、あなたは、私が定義する意味で「公共心」がありません。私は、公共性を、他者の利己心を満たすことで自己の利己心を満たすことを可能にする交換媒体の普遍性と定義します。したがって、私は、公共心と利己心は対立するものとは考えません。
論点のすり替えをやっているのは、あなたのほうです。私は、NHKと同じような番組を民間の有料放送は提供することができないというあなたの主張に反論するために、両者の類似性を指摘しているのです。
私がNHKを民営化するべきだと考えているのは、NHKの番組が大衆迎合的であるからではありません。公共放送は視聴者の選択の自由を奪い、供給の硬直化をもたらすから反対なのです。視聴者の自由選択の結果、低レベル(と私が判断する)番組が残っても、何も問題ではありません。
もしも、放送市場が完全に自由なれば、無料の一般向け番組、少し専門的な低料金番組、内容が高度で料金も高いマニア向け番組というように供給サイドは、需要に合わせて、セグメント化されるでしょう。他の分野の自由市場は、大概そうなっています。
>私は、低俗番組は嫌いですが、だからといって、私の選好を他者に押し付けてもよいのでしょうか。私が低俗番組だと思う番組を「面白い番組」と評価し、私が「レベルが高い番組」と評価している番組を「退屈な番組」と敬遠する視聴者もいるでしょう。こういう視聴者の価値観を無視してもよいのですか。
では、二度と「NHKの番組は低レベル」という趣旨の発言はなさらないと解釈してよろしいですかな。
> べつに、ここに挙げたような民法の番組が悪いとは言いません。私も御老公は大好きですし。でも、「公共の福祉」だとか、「豊かで良い放送番組」とは、あまりにかけ離れたものが、いくつか見受けられます。たしか、犯人当てはその後映像を使われた学校から抗議が来たと聞きましたし。
このように、私は、たしかにNHKの番組と他の放送番組とを、出来るだけ客観性を保つために同時間帯で比較した上で「どちらのほうが公共性を帯びているか、良質で豊かな放送番組であるか」という主張はしましたが、貴方のようになんら根拠らしい根拠も示さずに「明らかに大衆迎合的な低レベル番組」などというレッテル張りなどしていません。(ろくに人の記事を読みもしないで突っかかってきた人はいますけどね。)
これは大事なことですが、私は民放やスカパーが不要だという趣旨の発言は一度もしていません。ですが、あなたはNHKが不要どころか有害だという発言をしている。それなのに、私が提示した程度の客観性どころか、その主張に反するような根拠にまったく一貫性の無い反論にもならない反論を繰り返しています。
冒頭引用したようなことを貴方に言っていただけて、私は大変満足です。ぜひ、ご自身の発現には責任を持ち、客観的な根拠もなしに「視聴者の価値観」をないがしろにするような発言は謹んでいただけますように。
私の判断基準で言えば、NHKには、低レベルな番組がたくさんあります。例えば、子供向け番組は、子供向けだから、低レベルですが、だからといって、放送するべきではないとは言えないでしょう。大衆迎合的な番組についても同じことが言えます。
「その時歴史が動いた」は、歴史をドラマティックにみせるために、個人の一つの決断が、歴史を大きく動かしたかのようなに、歴史的事象を取り上げているのですが、実際には、個人の一つの決断で歴史が変わることはめったにないので、どうしても番組に無理が生じます。
プロジェクトXも、プロジェクトをお涙頂戴の感動的な物語に仕立て上げるために、かなり無理をしていました。最近、こんなこともありましたね。
無理やりドラマ仕立てにすることは、明らかに大衆迎合的です。
ちがいます。私は、NHKが有害で不要と言っているのではなくて、特定放送局を規制によって優遇することが有害で不要と言っているのです。フェアな競争が行われていないことが問題なのであり、NHKという法人が問題なのではありません。もしもあなたのような熱心なファンがたくさんいるのなら、公的特権を剥奪されて民営化されても、NHKは生き延びるでしょう。フェアな競争にNHKが勝ち残ることができるなら、NHKの民間企業としての存続に何も異議はありません。
> 無理やりドラマ仕立てにすることは、明らかに大衆迎合的です。
結局、貴方はいったい何が言いたいんです?
貴方にとってNHK以上に優良な放送局っていったいどこにあるんですか?「ドラマ仕立て」にすることが「明らか」に「大衆迎合的」で「低レベル」なら、民放はおろか、ヒストリーチャンネルの番組なども、とてつもなく低レベルじゃないですか。ディスカバリーチャンネルなんて、その最たるもんでしょう。(もちろん、私は「ドラマ仕立て」だから「大衆迎合的」だなんて短絡的な考え方はしませんが。)「無理やりじゃない」なんて「主観的な」反論はしなさんなよ。
> 例えば、子供向け番組は、子供向けだから、低レベルですが、だからといって、放送するべきではないとは言えないでしょう。
何を頓珍漢なことを言っているんですか?「子供向けだから低レベル」って、貴方の言う「低レベル」って言うのはそういう次元でしかなかったんですか。もちろん、私は子供向け番組だから低レベルだなんていいません。
ここまで支離滅裂になると、自分も反論する気も失せますが、そもそも、あなたが「NHKの番組は低レベルだ」と言い出したんでしょう?私ははその客観的根拠を求めたのに、最後まで示せずじまいです。
とりあえず、「NHKが低レベルだ」ということは、貴方の主観でしかないことはもう認めるのですね。それなら、あなたの価値観が「マトモ」かどうかという問題でしかなくなります。それは読者が判断することですから自分もこれ以上は申しますまい。
これほど申し上げても「客観的な根拠」を最後の最後まで提示しなかった貴方の意見がどの程度の説得力を持つのか、とくとお考えください。
あなたは、ディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルの番組をよく見た上で、こういうことを言っているのですか。それとも、番組は見ないで、「マイアミ美容形成外科」「親子2代の鼻整形」といったタイトルだけ見て、NHKよりも大衆迎合的だと判断しているのですか。ちなみに、私は、NHKとスカパーの両方の教養番組を数多く見たうえで、両者を比較し、同程度だと判断しています。
> あなたは、ディスカバリーチャンネルやヒストリーチャンネルの番組をよく見た上で、こういうことを言っているのですか。
もちろん、何度か見ています。監視しているわけではないですが、頻度的にはむしろNHKよりも、見ているかもしれません。嫁が好きなので。
これは個人的な感想ですけれど、ディスカバリーチャンネルにはこれまでどれほどがっかりさせられてきたか…なまじ、宣伝ばかり上手なせいで、おもいっきり失望するのです。あれが「大衆迎合的」でないのであれば、何が大衆迎合的なんだかと、正直思います。だから自分は「有料放送」にはあまり期待はしていません。
でも、それはあくまで個人的な感想です。言いたいことは山のようにあるんですが、「客観的な根拠」にならないからあえて挙げていないだけです。貴方と同じ次元に落ちようとは思いませんので。
何度も言わせないで欲しいのですが、貴方はいまだ「客観的な根拠」を提示していません。私は、「客観的な根拠」を求めているのです。
> それとも、番組は見ないで、「マイアミ美容形成外科」「親子2代の鼻整形」といったタイトルだけ見て、NHKよりも大衆迎合的だと判断しているのですか。
そもそも、「大衆迎合的」だとは言っていません。たしかに、「マイアミ美容整形外科」が、「公共性」や、「豊かで良質」な放送番組という点では、NHKよりも劣る、という趣旨では言っていますが。
では、NHKの「アザラシ」よりも、「マイアミ美容整形外科」は、「公共的」であるか、「豊かで良質」な番組であったというのですか?
自分はこの回ではありませんが、この「マイアミ美容」シリーズの番組を嫁に付き合わされて見ましたが、到底そうは思えません。もちろん、これは自分の「感想」に過ぎませんが、こちらのほうが「公共的」とか「豊かで良質」という人はあまりいないのでは?
まぁ、「あなたが」あなたの主観に基づけば、こっちのほうが「レベルが高い」と言ったとしても、驚きはしませんが。
こういう、主観の絡む議論で、できるだけ客観的な議論をしたいから、自分は「同時間帯」の「番組表の比較」という、条件を明示した上で、比較したところ、このような違いが出た、といっているわけです。そもそも、その結果に対して貴方が「民放とではなくディ・チャンネルなどの有料チャンネルと比較するべき」とおっしゃるから、仕方なく比較してみたのですがね。言い出しっぺは貴方ですよ。
その結果に納得されないとしてもそれは仕方ありませんが、それ以上に客観的な根拠を示すどころか、主観に基づいて、事実を無視して、ただ声高に主張を述べたところで、説得力はありません。自称哲学者、というのはこんなもんなんですかね。
一点だけ訂正します。
「自称哲学者」というのは言いすぎでした。撤回させていただきます。
また、前前回の投稿で、投稿者名を書き忘れておりました。あわせて訂正させていただきます。
申し訳ありませんでした。
要するに、番組の質は主観的な趣味の問題だからやめて、公共性という客観的に検証可能な基準で、議論をせよということですね。
その場合、まずNHKの番組がすべて公共的なのかどうかが問題となります。NHKがやっているスポーツやドラマなどの番組の放送に公共性があるでしょうか。インフラ整備が不十分だった時代はともかく、現在ではそうではないと私は考えます。
だから、私は最初の投稿「NHKはどのように民営化するべきか」で、以下の引用にあるとおり、純粋に公共的な番組だけ切り離して国営にせよと提案したのです。
ラジオやインターネットは、たいして金がかからないから、政府が直接やっても、あまり問題は起きないでしょう。
>要するに、番組の質は主観的な趣味の問題だからやめて、公共性という客観的に検証可能な基準で、議論をせよということですね。
いまさら何を言うのやら。
あなたは「利己主義」を肯定し、「公共心」をさげすむ人です。あなたがいまさらNHKの公共性を云々するなど、片腹痛い。無神論者が神のありようを議論するようなもので、それこそ矛盾しています。(また、公共心やら利己主義やらを勝手に「定義」しないでくださいね。)
私も、いまさら貴方にそのようなことは求めておりません。
私は、貴方の「NHKの番組は低レベル」という主張に対して、その矛盾点を指摘し、客観的な根拠があるのかについて指摘してきたわけです。私が客観的な根拠を求めているのはそこですが、それに対して貴方はいまだに回答していないといっていいでしょう。「NHKの番組は低レベル」というのが、貴方の主観に基づくものでしかない事は、いいかげん認めるべきではありませんか?
貴方の主張の客観性のなさと、一貫性のなさは、すでに明らかになったし、もはや、貴方の主張には何ら説得力はありません。その上で、まだ何かおっしゃりたいのであれば、自分の問いかけで、貴方が答えていないことが山のようにありますから、そこから答えてください。
利己心こそが公共の利益になるというテーゼは、アダム・スミス以来の自由主義の基本命題です。これは、定義の問題ではなくて、思想の問題なのです。
もしも、「NHKと有料民営テレビの番組の質が同じ」という表現に私の主観が入っていて、気にくわないというのであれば、「NHKと有料民営テレビの番組のジャンルが同じ」というように、表現を客観的に変えてもかまいません。そう表現を変えても、私の民営化の主張は変わりません。
NHKが提供している、教育とか福祉とか医療とかと同じジャンルの番組を有料民営テレビが提供していること、これは客観的事実です。
「同じジャンルの番組でも、有料民営テレビよりもNHKのほうが良い」という人もいれば、「同じジャンルの番組でも、NHKよりも有料民営テレビのほうが良い」という人もいるということ、これも客観的事実です。
NHKと有料民営テレビのどちらが客観的に良いのかを決めるには、両者を対等の条件で競争させなければわかりません。NHKだけに、受信料強制徴収権や法人税免税特権などを与えることは、不公平です。
もしもあなたが、NHKのほうが有料民営テレビよりも優れていると信じているのなら、イコール・フッティングで競争してもNHKが勝つはずだから、民営化に反対する必要はなくなります。
こうした「客観性」を重視した議論をすれば、あなたも、NHKの民営化に賛成するのですか。
繰り返しますが、私が今、このスレッドで問題にしているのは、貴方の客観性と一貫性の有無です。ここまでのやり取りを読めば、第三者にはそれはすでに明らかでしょう。
さらに繰り返すようですが、私は「公共性」という観点からNHK問題を議論しています。残念ながら、貴方には明らかにこの概念がありませんから、貴方とこの点で議論することはありません。「公共性」を鑑みない貴方がNHKを否定するのは当然だ、ということは、すでに申していますでしょう?
「ジャンル云々」という話は、いちいち反論する気にもならないくらい論点から外れているし、あれだけ言ったのに、ついに客観的な根拠を出さなかった貴方にいまさら「公平な比較」などといわれたところであきれるほかは無いですが、そもそも貴方に公平な比較などは出来るかどうかは、今までの議論から明らかでしょう。一貫性も客観性も無い人に、公平な比較など出来るわけはありません。
一応簡単に言えば、NHKは、「受信料」の代償として、放送法で定義されているように種々の「公共的な」義務を背負っています。だから「公共性」を鑑みなければ、不公平に見えるのは当たり前のことです。あなたに理解できないのは至極当然のこと。それだけのことです。
繰り返しますが、貴方のような人は「公共心の無い人は、NHKが不要であると主張する」というまたとない良い例ですので、それはぜひ今後も続けてください。
もう一度聞きます、あなたは、「NHKの番組が低レベル」というのが、貴方の主観によるものでしかないことは認めるのですね?
私が「公共性という幻想」を書いた時、ディスカバリーチャンネルはNHKの教養番組よりも質が低いというあなたの主張には、反論しませんでした。なぜ、反論しなかったか、わかりますか。そんな主観的なこと、議論してもしかたがないからです。すると、あなたは、
としつこく聞くから、無視し続けるのは失礼かなと思って、両者に大差がない「具体例」を挙げたのです。すると、あなたは、NHKにも低レベルな番組があるという私の指摘にかみつき、民営化の是非という本題を離れ、番組の質ばかりを問題にするようになりました。
なぜあなたが、番組の質にこだわるのか。それは、「NHKの番組は質が高い」という主観的判断が、あなたの民営化反対論の唯一の根拠だからです。
こういうと、あなたは、自分の民営化論には公共の福祉という客観的な根拠があると反論するかもしれません。もちろん、それはわかっているし、だからこそ、私は、それを真に受けて、NHKを民営化しても「公共の福祉」と呼ばれているものが損なわれないことを、これまで縷々説明してきました。
ところが、あなたは、そうした私の議論を相手にせずに、番組の質の話ばかりをしています。そして、なぜNHKの民営化が公共の利益に反するのかについて、今に至るまで、いかなる客観的根拠も示すことができません。
しかし、私は、これでようやく、あなたが何を言いたいのかがわかりました。あなたの主張を要約すると、こうなります。
《私は、NHKの番組が好きです。だから、NHKが嫌いな人も、私のために、NHKの特権を認めて、金銭的負担をしてください。しかし、私は、自分が嫌いな民間の放送局のためには、一銭も支払いません。》
あなたは真性の利己主義者です。そして「公共の福祉」という理念は、その利己主義を隠蔽し、自分の議論に客観性があるかのように見せかけるための飾りにすぎません。
一般的に言って、社会主義者は、公共の利益という大義名分の下に、私的な利益をこっそり追求します。これに対して、自由主義者は、私的な利益追求を公然と支持することで、公共の利益を実現します。
日本の繁栄をもたらしたのは、政府から保護を受けることなく、私的利益を追求している民間企業であり、特殊法人、公益法人、第三セクターその他の保護産業は「公共の利益」を語(騙)りながら、その実、日本の繁栄に寄生しているにすぎない現状を見れば、これが詭弁でないことを理解することができるでしょう。
私は、「公共性という幻想」で
と書きました。私の議論に一貫性がないなどと言っているところをみると、あなたは、まだこのパラドックスの意味を理解していないようです。
> あなたは、NHKにも低レベルな番組があるという私の指摘にかみつき、民営化の是非という本題を離れ、番組の質ばかりを問題にするようになりました。
何度も同じことを言わせないでいただきたい。
民営化の是非については、「利己主義を肯定する貴方が、NHKの民営化を主張するのは当然」ということで、結論が出ているから、もう議論しないだけです。
繰り返しますが、私はもう一つの「問題点」といえる、貴方の客観性と一貫性を問題にしているのです。
私は、貴方がNHKを低レベルだと言おうと、有料放送を褒めちぎろうと、それが客観的な根拠に基づいているか、あるいは自分の主観であることを明らかにした上で言えば、意見の相違に過ぎませんから何も文句を言いません。
私が問題にしているのは、なんら客観性の無いことを「明らか」などと言ったり、主観にしか基づかないことを恣意的な比較で客観性を持たせようとしたり、番組によって異なる物差しを用いて評価したり、自分で言ったことすらも都合によって捻じ曲げたりしておいて、その上、それらを指摘されても、言い逃れに終始し、一切認めようとしないからです。
現に、今回の貴方の「反論」にも、まったく一貫性はありません。まぁ、もう貴方の言うことを鵜呑みにする人はいないでしょうから、いちいち指摘するほどのことも無いでしょう。
あなたの論法は、いわゆる「トンデモ本」の手法そのもので、私みたいな人が噛み付かないと、ころっと騙される人もいるでしょう。ここまでしつこく貴方の客観性と一貫性を問題にするのは、そういう理由もあります。
現に貴方は、都合が悪くなると問いかけには答えず、あれやこれやと論点を撹乱して逃げようとしいるのが見え見えです。
違うというのであれば、今度こそ、YesかNoかではっきり答えてください。
あなたは、「NHKの番組が低レベル」というのが、貴方の主観によるものでしかないことは認めるのですね?
あなたは、鏡に映った自分自身に向かって「主観的だ」「利己主義的だ」と吼えているにすぎません。ぜんぜん議論になっていません。自分自身への悪口を言い続けたいのなら、好きなようにやってください。
論理的な反論が出来ないからといって、見苦しいことはなさらぬことです。
私が求めている答えはYesかNoか、それだけです。
ここまできて、それが出来ないことが、あなたの主張の不当性だけでなく、あなた自身の卑劣さと愚かさをさらけ出していることにいい加減気づくべきです。
あなたは、「NHKの番組が低レベル」というのが、貴方の主観によるものでしかないことは認めるのですね?
今度こそ、答えてください。まぁ、答えないのであればそれでも結構。この期に及んで答えないということはすなわち、Yesと答えることと同じなのですから。
ついでだから申しておきます。
おそらくあなたは、単にNHKの受信料を払いたくないだけなのです。ここまで主張の根拠を失っても、その矛盾を指摘されても、どうしても、NHKの番組が低レベルだと言い張ろうとするのは、あなたがこれまでNHKを否定してきた根拠を失いたくないからに過ぎないのでしょう。
貴方が利己主義を肯定するのも、利己的な考え方しか出来ない自身を正当化したいだけなのでしょう。あなたの「パラドックス」とやらも、そのための詭弁に過ぎないと思われます。
なぜなら、自分で議論を仕掛けておいて、形成が劣勢となるや、明らかに前と違うことを言い出し、己の誤りも認めず、最後には相手を中傷して逃げようとする、貴方の態度が何よりもそれを雄弁に語っているのですから。
面白い!!!
涙がでるほど、笑いました。
二人とも、よくテレビをよく見ているんですね。
あまり、テレビをみない人間にとって、nhkに受信料を払わないといけないというのは、変だと思うし、民放はタダだけど、コマーシャルがうるさい
結局、映画のように、有料で好きな番組を買うのがいい気がしています
これって、永井派なんですかね?主観的なんですかね、客観的なんですかね?また、笑いがこみ上げてきました
結局、民放もnhkもインターネットに吸収されるのでしょうから、過渡的議論のような気もしました
将来、テレビがすべてインターネットを通じて放送されるようになると仮定しましょう。そのとき、「ネットにつながっている人は、NHKの番組も視聴することができるのだから、ネット接続の端末を持っている日本人は、すべてNHKに受信料を払わなければいけない」とNHKが主張しだした時、これを受け入れることができるかどうかという同じような問題が生まれてきます。
> 結局、映画のように、有料で好きな番組を買うのがいい気がしています
そのご意見に関しては、リンク先の私のページでの意見を参照してください。
私自身は、「一貫性のある」方であれば、異論も歓迎いたしますので、そちらに書き込んでいただければお返事いたします。
よろしくお願いいたします。
なんか、本当に「泥沼」の論争ですね。
この論争が泥沼で不毛なのは、私が言っている「レベル」あるいは「質」の意味をflight009さんが正しく理解していないからです。
ここからもわかるように、この人は、「テレビ番組はレベルが高ければ高いほど、質が高ければ高いほど人気がある」という意味で「レベル」あるいは「質」という言葉を使っているのですが、私は、「レベルが高ければ高いほど、質が高ければ高いほど人気がない」と言う意味で「レベル」あるいは「質」という言葉を使っています。
例えば、学術書などは、レベルが高ければ高いほど、質が高ければ高いほど、学問的に良心的であればあるほど、売れません。だから、学術書の出版には、日本学術振興会が出版助成金を出すなど、公的な資金援助がなされます。
NHKも「レベルが高いほど人気がない」という同じ理由から公的に保護されているのですが、では、NHKの教養番組は、助成金がないと出版できない学術書ほどレベルが高いかといえば、そうではない、つまり「レベルが低い」わけで、だから、私は民営化可能だといっているのです。学術書も、大衆迎合的な要素を入れれば、商業的に成功するし、ドキュメンタリー番組についても、同じことが言えます。
低レベルか高レベルかというのは、例えば、「高校の授業は中学校の授業よりも高レベルだが、大学の講義よりかは低レベルだ」というように、相対的です。しかしだからといって主観的というわけではありません。対比的に言うならば、基準相対的ではあるけれども主観相対的ではないのです。
私は、NHKや衛星放送の有料の教養番組は、芸能人がバカ騒ぎしているだけの民放の無料のバラエティ番組よりも知的レベルは高いが、学術書のように、公的サポートがなければ放送できないほどレベルは高くはないと認識しています。よって、視聴者から広く薄く金を集める無料放送としては経営は成り立たないが、視聴者から狭く濃く金を集める有料放送としては経営が成り立つと私は主張しているのです。この判断は、そんなに根拠のない主観的な判断でしょうか。
NHKの教養番組とスカパーの教養番組はどちらがレベルが低いかに関しては、判断は難しいから、私は、大雑把に同程度だと言いました。この人はNHKのほうがレベルが高いと考えているようですが、それこそ主観的な判断です。
ところで、放送法第7条に記されている「良い放送番組」というのは、決して人気のある番組という意味でないことは、flight009さん自身が、最初の投稿で認めているところです。
ここからもわかるように、この人は「良い番組ほど人気がない」という認識を示しています。私も、この解釈に合わせて、番組の「質」や「レベル」を語っていたのに、この人が言葉の解釈を逆に変えたために、かなり混乱してしまいました。ともあれ、言葉の解釈に一貫性がないのは、flight009さんの方だということを強調しておきましょう。
もちろん、言葉をどう使うかは、その人の勝手ですから、番組の「質」や「レベル」の解釈を変えることは自由です。しかし、もしも「レベルが高いほど人気があり、そしてNHKの番組はレベルが高い」のだとするならば、なぜNHKの経営を政府がサポートしなければならないのか、わからなくなります。番組に人気があるのなら、公的補助がなくても、経営は成り立つはずです。
この人によると、NHKを民営化するべきでないのは、番組内容が高レベルだからではなくて、福祉や医療や伝統民芸など「公共的な」内容の番組を放送しているからだというのですが、どの分野もスカパーに専門チャンネルがあるのだから、説得力がありません。
放送技術の向上は、営利企業がやったほうが効率がよいでしょう。海外在留者のための日本語放送も民間企業がすでに有料でやっているし、ネット放送が普及すれば、内外格差が是正されるので、海外向け日本語放送のために公共放送がなければならないというわけでもありません。
NHKの受信料制度を正当化するには、放送が、経済学で定義する所の公共財であることを示さなければなりません。放送は、限界費用が非常に低いので、消費の競合性はないけれども、スクランブル化などの手段によりフリーライドを排除することができるから、純粋な公共財とはいえません。
仮に放送が公共財だとしても、公共財の生産を特定の法人が独占しなければならない理由はありません。この人は、公共財の例として、無料の一般道路を挙げています。たしかに一般道路は公共財ですが、だからといって、特定の国営の建設会社しか一般道路を建設してはいけないということにはなりません。実際には、複数の民間の建設会社が一般道路を造っています。放送が公共財だとしても、なぜNHK以外はこの公共財の生産に参加してはいけないのかに関して、この人はなんら説得力のある議論をしていません。
この人は、利己心を否定し、公共心の重要性を強調します。しかし、そもそも全体の利益は個人の利益を離れてどこかにあるわけではないのだから、利己心と公共心を対立させる考え方は間違っています。個人の利益の犠牲の上に公共の利益が成り立つという考えを容認すると、公共機関を語る(騙る)私的集団による搾取を容認してしまうことになります。私たちは「公共の利益」の名のもとに私腹を肥やす、特殊法人(NHKも特殊法人の一つです)、公益法人などなどの偽善を見抜く力を持たなければなりません。
驚くのは永井氏の辛抱強さです
NHKの番組の質が「高い」というのも「低い」というのもどちらも主観ですね。番組表などをいくら比較したところで主観的な問題に客観性を持ち込むことはできません。問題の本質はNHKの放送しているような番組を民間有料放送で実現できるかということですが、比較できる番組表を持った民間有料放送があるという時点で答えは出ているような気がします。flight009氏は問題の本質について理解していないために、自分の主張の根拠が明らかな主観に過ぎないにも関わらず、永井氏の意見に一部に主観的な項目があるという一点に噛み付いているに過ぎない気がします。
「利己主義の肯定は公共性の否定につながらない」という永井氏の意見に対しても、利己主義を肯定しているという一点のみで公共性を否定しているかのような物言いをしているうえに、利己主義の肯定が公共性の否定につながるという客観的な根拠を何も示していません。自らの主張の客観性を一切示そうとしないにも関わらず、議論の相手にのみそれを求めるというのはいかがなものでしょう。
flight009氏が自分の意見を主張するために、反論する相手に過剰に攻撃的になる姿も「利己主義者そのもの」に見えます。鏡の例えはまさに言いえて妙ですね。
受信料を払わなくとも良いのなら、民営化しなくともよい。受信料を払っていない、おれおれ払っていない詐欺師が居るという不平等を放置しておくのは良くない。
福祉、健康、科学、技術、文化及び経済など、NHKが本来放送すべき番組は、娯楽番組に比べるとはるかに少ない。
折衷案として、娯楽番組のみ民営化して広告を取り、本来放送すべき番組だけ視聴料を取ればよい。そうすれば、視聴料負担に苦しむことが大幅に軽減される。
NHK には、それ以外にも法人税免除という特権があります。また、民放キー局についても言えることですが、電波の寡占という問題もあります。これらの問題が解決しない限り、イコール・フッティングは実現しません。
NHKの番組「JAPANデビュー 第1回 アジアの“一等国” 」が 反日的な偏向・歪曲・捏造番組として、集団訴訟の対象となっている。
この番組はNHKの中に左翼勢力がいることの証であり、民営化することなしに解決できない問題である。
NHKは受信料を取るだけ取って良い番組は作らず、必要のない大人数の従業員(日テレの10倍以上)を置き、多額の給料を与えているわけだ!
受信料支払い拒否者が半数になっても従業員カットなどでやっていけるでしょう。
NHKは朝6時から8時半にかけてと、夜6時半から10時にかけてに視聴率を稼いではいるものの、日中は皆無に等しい。
「主にニュースを見るのか」と思うが、NHK何かよりも民放しか臨場感があり、バラエティーに富んでいるし、情報が早い上、たまには命がけの取材さえ行っている。
別にNHK何か無くなってしまっても民放局だけで充分間に合う。
ただ、「民放局はCM多いからその間だけNHKに変えて、CMが終わるころに民放局に移動する。」と、CMの間詰めだけに利用する者も居るだろう。
ようは、NHKが勝手に電波を飛ばしているのである。
電波を利用したものには、ラジオ、携帯電話、コードレスフォン、消防・警察無線などさまざまだが、ここで挙げたラジオ以外、「聞いた内容は第三者に漏らしてはいけない」と規定はあるものの、聞くのは自由であって、聞くことの出来るシステムが有れば金はかからない。
聞かれて困るのならば、「警察無線のようにデジタル化する(傍受しづらくするだけで、聞けるようにする手段は有るでしょう)」など方法を執ればよいわけです。
NHKも視聴されて困るので有れば、「スクランブルをかける」などすればよいわけで、視聴者は民放局で充分間に合うはずです。
ただ、NHKに限らず民放局も平成17,8年頃からかコレと言った番組が無く、 二流芸人やキャリアが無い新人を使い、経費が余りかからないのか食事シーンを扱った番組が多い(不景気の影響で外食を少なくし内食にする者が増えたため、外食業界は儲けが少なくなっているから、テレビ放送してくれることで生き返るし放送局は低予算ですむし一石二鳥)。 スポンサーも二流企業が目立つ。
しかし、民放局の場合、限られた収入の中で、例えばギャラが安くて済む二流芸人を使うことで経費が抑えられ、視聴率は落ちるだろうが、それ相当の努力が感じられる。
税金のように多額の視聴料をもぎ取っておきながら、臨場感のない番組しか作らず、くだらない国会中継を日中流す(こんなの要約だけで充分)NHKとはちょっと違う。
おまけに、多額の剰余金を使い切れないから、職員には高給料、着服横領、歓送迎会、何でも有りですね。
>NHKはスポンサーをとっていません。
スポンサーを獲っていなくとも、自社番組を自慢げに紹介したCMを間が有るごとに流しています。
*NHK NEWSにて*
NHKの調査によると・・・
NHKが取材したところ・・・
誇らしげに語らないで下さい
*民営化されない理由*
毎年入ってくる何千億円もの受信料
職員にとっては、これほどおいしいものはない
NHKの放送内容は政治に対して偏ったコメントを流す事が多い。
この事は国民が強制される受信料を払っているのだから容認できない背任行為と言える。
BSのコマーシャルを放送する事も不自然であり、放送法をかえNHKを民営化するべきと思う。
NHKの番組が民放局に比べてBPOでの審議対象に、あまりならないのは何か理由があるのでしょうか?「NHKとBPOが癒着しているのではないか?」と言ううわさがあるらしいですが、真相は不明なのでなんとも言えません。「ドラマ系」以外ではBPOで審議された事(「プロジェクトX」)があります。「最近のNHK大河ドラマがBPOの審議対象にならないのはおかしい」と言う人までいます。「BPOの審議対象」と言うのは審査委員会が判断すると思いますが、番組のコンセプトや内容に大きく外れない(大きな矛盾がある時)限りは審議されないのでしょうか?ちなみにBPOの判定が原因で打ち切りになった番組がめったにないのも過去の実例です。
NHKに対して特に甘いとは思いません。例えば、NHK教育テレビの『ETV2001シリーズ戦争をどう裁くか』第2回「問われる戦時性暴力」に対して、放送倫理・番組向上機構が意見を述べたことがあります[BPO(2009年4月28日)NHK教育テレビ
『ETV2001シリーズ戦争をどう裁くか』
第2回「問われる戦時性暴力」に関する意見]。
NHKが消滅しても、一般人は誰も困らない。だから、民営化ではなく、解散そして清算という方式で処理すべきだ。
NHK が解散する場合でも、NHK の固定資産を他の民間放送会社が買い取って、放送事業を受け継ぐでしょうから、そのまま民営化する場合と大きく異なりません。いずれにせよ、厳密には国営放送ではないのだから、NHK が今後の経営をどうするかは、NHK の経営陣が決めることで、政府が決めることではありません。
主権は国民にある。
今のNHKの放送体制は
主権は放送する側にある
というようだ。
2005年10月に、小泉改造内閣で総務大臣兼郵政民営化担当大臣に就任した竹中平蔵さんは、NHK の完全民営化を企てましたが、安倍晋三さんを後継者にするつもりだった小泉総理がゴーサインを出さなかったので、実現しませんでした。小泉内閣の後を継いだ第一次安倍内閣は、竹中路線とは逆方向の路線を選び、NHK を国家の統制下に置こうとしました。現在の安倍内閣もこの方針を取っているので、安倍政権下では、英国人が BBC に対してやっているように、NHK の存廃を国民投票で決めるというようなことはないでしょう。
『NHKが滞納者から取り立てたいならば、まず民事訴訟を起こせ。』というのが、最高裁判所の意向のようだ。小口の滞納者に対していちいち訴訟の提起なんてできないから、今後の受信料ビジネスは徐々に衰退していくだろう。
実は本来は利己主義者は利己主義と言わない
徹底した利己主義は言語化不能
ヘアー流に言うと、普遍化不可能ということです。
新聞社も出版社も民放も斜陽産業なのに、NHKだけは安泰だな。従業員の給与も高すぎる。民放の給与とバランスをとっているつもりかもしれないが、国民から税金モドキを徴収しているのだから、市役所の役人レベルの給与で充分だ。
NHKは2019年度から、テレビ番組のネットでの常時同時配信を行うことが検討されています(NHKネット同時配信実現を 自民委、総務省に提言)。そうなると、テレビはないけれどもネットにつながる環境のある家庭からも受信料をとるようになるかもしれませんね。NHKは、受信料を20年10月までに4.5%下げると表明していますけれども、徴収対象を広げるなら、その程度の値下げでは不十分だと思います。
なぜここまで肥大化したのか、ということのほうが不思議です。強制徴収したカネで娯楽番組を作って放送するなんて、バカにされているとしか思えない。
国民が容認してきたから、ここまで肥大化したのです。日本は民主主義国家なのですから、おかしいと思うなら、声を上げるべきです。
国営・公共放送と言い訳するのであれば、放送法で受信機(TVや録画機など)の価格にNHK地上波受信料の一部を含めればよいのです。その上でB-CASカードでお客様登録をして有料スクランブル放送にして残りの地上波受信料を払った方だけ視聴できるようにすればよいのです。衛星は完全スクランブル放送にするべきです。そうすれば、減収は避けられます。また、ケーブルテレビ利用者には放送法で、そのケーブルテレビ会社の利用料金にNHK地上波受信料の一部あるいは全額でもいいから含めるべきです。
国内でNHK-FMが受信できない地域は本当に実在するのでしょうか。正直言って嘘としか言いようがありません。
これは実際にあった話ですが、三重県の伊勢若松に住んでいた不届き者の女性がNHK-FMすらアンテナを伸ばしても受信できないというお馬鹿様がいらっしゃいました。1995~1997年で20~21歳位の女子です。もちろん、これはNHKの過失ではなくお馬鹿様自身のラジオやアンテナの向きの設定、チャンネル設定が下手であったことやラジオ自体が老朽化していたことが原因と思われる。つまり、お馬鹿様自身が自分の力量不足や過失を認めたくないだけである。
本当にNTTやJRや日本道路公団と同じように国のインフラを担っている機関といえるのでしょうか。これで本当にNHKは国営・公共放送と堂々と名乗る資格があるのでしょうか。
20年も前から問題視されていたのに何も変わってない。悲しくなりますね。
地上波放送の人気がどんどん落ちているので、受信料制度とともに終わりそうです。後は、政治家が地上波放送の廃止を決断できるかどうかです。