どうすれば日本経済は成長するのか
80年代末のバブル崩壊後、日本経済は10年以上にわたって停滞している。いつまでたっても日本経済が回復しないのは、チャンスとマネーの供給が不十分だからである。チャンスの供給は政府の仕事で、マネーの供給は中央銀行の仕事である。しかるに日本政府は、公共投資の拡大により、非効率な保護産業を肥大化させて、潜在的需要を掘り起こすチャンスを民間企業から奪い、日本銀行は、未曾有のデフレスパイラルが進行しているにもかかわらず、インフレを恐れて金融緩和には一貫して慎重であった。
1. デフレスパイラルとは何か
現在日本経済が直面している不況の本質は、バブル崩壊に伴う資産価格の下落が惹き起こしたデフレスパイラルである。デフレスパイラルには、
- 賃金硬直モデル
- 賃金伸縮モデル
の二つがあるので、分けて説明しよう。デフレによって資産価格が下落すると、逆資産効果により、消費が減退する。企業は、商品を売るために値下げを余儀なくされるが、このとき、
- 賃金を引き下げられないなら、企業の収益を圧迫するので、生産と雇用が縮小する。生産の縮小は中間財需要を減らし失業者の増加は最終財需要を減らす。需要が量的に減るのなら、供給も量的に減らざるを得ない。この場合、デフレスパイラルとは、需要と供給が螺旋的に減少を続ける縮小再生産ということになる。
- 賃金を引き下げるなら、Aの時よりも物価下落率が大きくなる。商品を値下げしても、消費者の購買力も同様に下落していて、そして将来のさらなる値下げを予測して買い控えをするために、売り上げが伸びない。また資産家は、貨幣価値のさらなる上昇を予測して、投融資を控える。この場合、デフレスパイラルとは、予言の自己実現的なマネーサプライの伸び悩みということになる。
どちらのモデルでも、経済が成長しないという結果には変わりがない。そして、AのモデルからBのモデルに移行中の現在の日本では、AとBの事態が複合的に起きている。
2. デフレスパイラルから抜け出すには
デフレに対して日銀が最初に実行した金融政策は、金利の引き下げだった。日銀は1999年2月の政策委員会・金融政策決定会合で、短期金利の誘導対象となる無担保コール翌日物金利を、手数料を除けばゼロになる水準にまで引き下げた。しかしその効果は限定的だった。いわゆる「流動性の罠」と呼ばれている現象で、名目利子率が下限に達すると、貨幣の資産需要が無限に大きくなってしまう、つまりタンス預金が増えてしまう。これでは投融資は活性化しない。
流動性の罠から抜け出すには、ベースマネーをアグレッシブに増やして、一方で実質利子率を下降させ、他方で人々にインフレ期待を抱かせ、名目利子率(実質利子率+期待物価上昇率)を上昇させればよい。このクルーグマンの提案を日銀はこれまで頑なに拒否してきたが、2001年3月の政策委員会・金融政策決定会合で、日銀は、金融市場調節の主たる操作目標を、無担保コールレートから日本銀行当座預金残高に変更し、量的金融緩和への道を開いた。
この決定に対して市場は肯定的に反応したが、当初日銀が行った量的金融緩和は、短期国債や手形の買い入れなど通常の公開市場操作だったため、金融機関の貸し出し増にはつながらなかった。国債の買いオペといっても、短期債はゼロ金利だから、ゼロ金利の債券を同じくゼロ金利の債券である紙幣に置き換えても、効果はない。そこで、日銀は、ゼロ金利の短期国債から比較的金利の高い長期国債へとオペの対象を広げている。日銀の量的金融緩和は、手法自体評価できるが、現行(2002年現在)の月8000億円という長期国債の買い入れ額は、市場にインフレ期待を抱かせるには少なすぎる。
もっとも、私は、量的金融緩和を十分行えば、それで日本経済が回復するとは考えていない。もし日本に魅力的な投融資先がないなら、量的金融緩和で増大したマネーは海外に流出してしまうだろう。量的金融緩和は為替レートを円安にする。もし人々が円安期待を持ちつづけるならば、消費者は、将来の値上がりを見越してブランド物を輸入しようとするようになるだろう。また資産家は、円に見切りをつけて、資産を外貨で保有しようとするかもしれない。その場合、量的金融緩和は、海外の経済を活性化するだけの効果しかもたらさない。最近、円安で日本経済をインフレにせよと主張する人を見かける。円安は、確かに輸入品の物価を上昇させるし、輸出企業にとっては追い風になる。しかしこれは、キャピタルフライトを惹き起こし、日本経済を破滅させることになるかもしれない危険な方法である。
幸い日本は、外貨準備高が世界一なので、その気になれば、市場介入で円安期待を打ち砕くことができる。問題は、円買い介入という後ろ向きの方法でではなく、日本への投資の拡大というもっと前向きな方法でキャピタルフライトを防ぐには、どうすればよいのかということである。
3. 構造改革はデフレを悪化させない
その答えは、構造改革である。もっとも構造改革という言葉は、最近ではほとんど何も意味しないほど濫用されている。例えば、「不良債権の抜本的処理こそ真の構造改革だ」という主張をよく耳にするが、どんなに「構造」という概念を拡大解釈しても、不良債権処理は構造改革ではない。この主張をしている人たちは、不良債権がデフレの原因だと思っているようだが、不良債権はデフレの結果であって原因ではない。さらに付け加えると、不良債権の処理自体がデフレの原因の一つになっている。実際、この5年間で銀行部門は55兆円もの不良債権処理を行ったが、それはデフレを深刻にするだけで、不良債権の残高を減らすどころか逆に増やしてしまっているのである。
もし構造改革という言葉が、民間の投融資を拡大させるような供給サイドの変革を意味するのなら、構造改革とは、保護産業への市場原理の導入でなければならない。こう言うと、「市場原理を導入すると、値下げ競争が激化し、合理化(余剰人員削減)により失業者が増えるので、デフレスパイラルを加速させることになる。現在の不況は需要不足が原因なので、公共投資を増やして、政府支出を増やすべきだ」という反論が返ってくる。実際、経済討論の多くは、「構造改革かそれとも景気対策か」といった不毛な二律背反に基づいている。
「供給は自ら需要を作り出す」という古典派のテーゼをセイの法則と呼ぶとするなら、「需要は自ら供給を作り出す」はケインズの法則と呼んでよいかもしれない。ケインズが言うように、セイの法則は本当に間違っているのだろうか。供給が常に需要を作り出すわけではないが、作り出すこともあるという事実は認めなければならない。少なくとも先進国では、営利企業は既存の需要に対して受動的に供給を行っているわけではなく、消費心理を煽って、能動的に新しい需要を開拓しようとしている。
4. どうすれば高齢者は金を使うか
市場原理の導入が、なぜ消費の拡大につながるのか疑問に思っている人のために、具体的な例を一つ上げて反論してみたい。現在、50歳以上の高齢者が日本の金融資産のうち8割以上を所有している。だから、高齢者が消費を増やさない限り、総需要は増えない。高齢者にとっても資産は命の次に大切なものだが、命ほど大切ではない。もし健康な長寿を買うことができるのなら、惜しみなくお金を使うはずだ。ところが、社会主義的経営を続ける現在の医療産業は、こうした潜在的な需要を掘り起こそうと努力していない。
医療産業の社会主義的経営で特に問題なのは、診療報酬制度と医療保険(社会保険と国民健康保険)制度である。
診療報酬が医師の能力や成果とは無関係に画一的な公定価格で支払われる結果、膨大な消費者余剰が生じている。もし診療報酬が市場価格で支払われるようになるならば、富裕な高齢者は、ブランド病院で名医の治療を受けるために大金を支払うようになるだろう。他方で新米の医師は、低価格で診療を引き受けるであろうから、貧しい高齢者が医療から疎外されることはない。成功報酬制を導入する病院も出てくるかもしれない。サービスと価格の差別化で、消費者余剰という潜在的需要が顕在化する。
医療保険は、受益者負担となっていないところが問題である。しばしば「老人は弱者」といわれるが、若い世代はマイホームのローンなどで貯蓄弱者となっており、年寄りの世代のほうが貯蓄強者である。しかるに医療費は、高齢者の方が優遇されている。しかも高齢者ほど医療サービスを受けることが多いので、医療保険は、若い貯蓄弱者から年寄りの貯蓄強者への資金移転として機能している。これでは全体の消費は増えない。政府は生活保護以外の社会保障から撤退し、医療保険を民間の金融機関に任せ、受益者負担の原則を貫くべきだ。
アメリカでは、GT(Genome Technology 遺伝子工学)がITに続く情報革命第二弾として注目されているが、日本では、これから高齢化社会だというのに、様々な規制が邪魔になって一向にビジネス化が進んでいない。これは、研究機関が、医療機関と同様に社会主義的経営を続けているからである。日米欧政府の国際ヒトゲノム計画がアメリカの一ベンチャー企業である Celera Genomics 社のスペードに及ばないことから明らかなように、GTも非効率な官僚組織よりも民間の営利企業が中心になって推進する方が望ましい。もし日本が大学と病院に大胆な市場原理を導入しなければ、高貯蓄の高齢者の需要をアメリカのGT産業に奪われる可能性もある。
隠れた需要を引き出すためにも、小泉内閣は、保護産業に市場原理を導入するべきだ。その意味で、小泉首相が口癖のように唱える「構造改革無くして景気回復はなし」という命題は正しい。問題は実行できるかどうかである。
ディスカッション
コメント一覧
「公共投資の拡大により、非効率な保護産業を肥大化させて、潜在的需要を掘り起こすチャンスを民間企業から奪い」の部分について、実情を報告させて下さい。公共工事はすでに15パーセントの単価の引き下げが実施され、工事費の縮減が達成されています。現在はすでに建築工事においては、設計価格はありません。市場価格で予算が作られます。公共工事の予算の1割削減は、末端の施工段階では実質的には3割の削減と同じです。小渕内閣の時に損益分岐点を上昇させてしまった零細企業は塗炭の苦しみにあえいでいます。
従来、建設業は他産業からの落ちこぼれを収容する雇用の受け皿となってきました。日本の建設業は人員を抱え込まされています。アメリカのベクテルのようなゼコンは人員を抱え込みません。仕事を受注したときにユニオンから人員を受け入れて、竣工してから、またユニオンに人員を返します。トレーニングを積んでユニオンに登録された人達は、退職金制度が完備して老後の生活が、保証されていますので、現場でも夢を持って仕事をしています。残念ながら、日本は基本的にはイジメの社会です。戦前は韓国人や中国人をいじめていましたが、戦後は日本人どうしでいじめあいをしています。
ユニオンを整備して、ワークシェアリングを行えばダッチミラクルの再来になります。50歳以上の人達は老後の生活に怯えているから、たんす預金をするのです。今の日本の国民負担率は49.8パーセントです。江戸時代の5公5民と同じです。国民の6 パーセントが公務員です。江戸時代も武士が人口の6パーセントを占めていました。安い労働単価でワークシェアリングを行い、どれだけ楽しく働くか?そして現在世界第26位の労働生産性をどれだけ、高めるかが日本再生の決め手だと思います。
近年、正社員として就職することなく、フリーターになる若者が増えていますが、あれは一種のワークシェアリングです。就職難といわれる時代ですが、正社員にこだわらなければ、仕事はいくらでもあります。正社員の求人が減ったおかげで、非正社員の雇用が増えているのです。自然発生的な雇用形態の脱正社員化とその結果としてのワークシェアリングは、労使の選択の自由を増やすという意味で望ましいと思います。しかし、労働組合が企業に圧力をかけて行う強制的画一的なワークシェアリングには反対です。このタイプのワークシェアリングは、経営の非効率化を招くだけです。
J.Iさん、はじめまして
貴方のご意見には反対です。
非正社員の雇用が増えることが望ましいというのはどのようなご立場のご意見でしょうか?そういう考え方がワーカーをどれだけ苦しい立場に追い込んでいるのかご理解してますか?
現在の日本経済のかなりの部分をワーキングプアと呼ばれる人々が支えていると言われています。逆に言うとそれらの人々の経済的犠牲の上に成り立った社会ですね。
ワーキングプアに追いやられた原因は本人にもあるでしょう。
しかしこういった日本国民を属国扱いしたやり方は非常に腹立たしい思いを感じます。
日本とその国民は戦後、焼け野原の状態から様々な苦労を乗り越えて60年間で経済大国と言われるまでに国を成長、発展させてきました。
やっとたどり着いたと思ったところの到達点がこの有様です。
その労苦に見合った繁栄の生活を日本国民は享受できてるとは思えません。
もてるものも、もたざるものも、等しくこの国の実情を我が事として
今一度謙虚に考えてなおしてみる必要があると思います。
勝ち組と言われている人たち、少しはワーキングプアで苦しんで流している涙を
瞬間でもよいので感じてあげてください。
1日も早く日本人が等しく夢と希望に満ちた生活がおくれる社会になりますように…
現在の日本におけるデフレスパイラルの原因のひとつは、少子化に起因する人口減少であろうと思います。人口減少によって国内の有効需要が減退して、デフレになっていくわけです。
”隠れた需要を引き出すためにも、小泉内閣は、保護産業に市場原理を導入するべきだ。その意味で、小泉首相が口癖のように唱える「構造改革無くして景気回復はなし」という命題は正しい。問題は実行できるかどうかである。”
社会の構造を変動させるには、戦争か革命か外圧しかありません。こんなことは、百年以上前にマルクスが指摘しています。議会制民主政治のもとでの構造改革なんて、自己矛盾でしかないのです。(構造改革に反対する人間のほうが、賛成する人間よりも多いからです。)
デフレはマネーサプライの減少が原因であって、少子化が原因とは思いません。あなたは、少子化と経済成長が同時に起きている現在の中国をどう考えますか。
「経済的な面を含めた閉塞状態が20年におよぶ」理由の1つに「社会の老化」があると思います。確かに20年前と比べると高齢者の割合と数は増加しています。ここまでの高齢化のスピードが速い(ただ、中国や韓国では今後の高齢化のスピードが、日本を抜く可能性があります)日本では「老いる社会」になっており、どうしても気分的に萎えてしまいがちで、若い世代が「明るい将来」と言う発想ができないと思います。ただ、「無条件で将来が明るい」と言う発想は必ずあるものではなく、少なからず「将来の不安」と言うものがいつの時代もあると思います。2010年代は「老荘青」のバランスが取れた社会を築き、経済成長をする事が課題ですね。少子化の流れは短期的には是正が難しいと感じます。少子化を是正できればそれだけで経済効果があります。
私は、今の日本に必要なのは、少子化を阻止することではなく、労働市場における年齢差別を撤廃することだと思います。中途採用に消極的で、35歳以下は採用しない新卒至上主義、実力よりも勤続年数で待遇が上昇する年功序列システム、定年で強制的に退職させる定年制度といった年齢差別を放置しているから、日本経済の閉塞状況がいつまでも打破されないのです。特に定年制は大きな問題を惹き起こしています。定年退職した技術者が、アジアの企業に再就職して、技術流出を加速したり、生きがいを失って、健康を損ね、社会保障費を増大させたりしています。逆に言うと、高齢者を労働者として活用することができれば、少子高齢化は問題でないということです。
高齢者でも健康で大きな持病も障害もない(認知症でもない)人が、再雇用できれば最近の団塊の世代が抱える「老人性うつ病」(人間関係が変わったり生きがいを失って落ち込む事)などを回避できるんですね。現に農家の人で老人性うつ病が少ないと言うのもそれですね。芸能人や農家と職人の人には「定年」は存在しませんからね。高齢でも一定の収入を確保できれば、年金支給の節減にもつながると言うことですか。返答文中の「新卒規定」については解釈を柔軟にしようと言う動きがありますね。プロ野球で言う「新人王」と概念が同じ(プロ野球では新人王の資格は、「入団1年目の選手」だけに限定されていない)になりそうです。例えば60歳での定年後の再雇用を契約制にすると、「正規雇用枠」を別枠で用意すれば新卒者の雇用を確保できますね。実現は難しいですが、これをすれば就職難は緩和されますね。「契約制での再雇用」はファストフード店で導入されています。この場合は他ジャンルからの再就職になりますが。ただ、定年を事実上撤廃すると年配者が在職中に死去することも当然出てくるので、専門技術やビジネスのノウハウなどの伝承を潤滑にする必要はありますね。実際にあらゆる世代を「自由雇用」にして、「職にあぶれる」ことをなくすと経済効果はどれくらい出ますか?
菅政権は、経済対策の一環として、高校や大学を卒業してから3年目までの人を新卒と同じ条件で正社員に採用した企業に、採用拡大奨励金として100万円を支給すると、2010年9月に発表しました。正社員を過剰に保護している現在の雇用システムを温存したまま、こうした彌縫策を打ち出しても、抜本的な雇用対策にはならないでしょう。重要なことは、新卒枠を広げることではなくて、新卒枠と中途採用枠の区別そのものを撤廃することなのですから。
有料の研修コースを作って、技術伝承をすればよいでしょう。
解雇規制を撤廃したからといって、失業率がゼロになるわけではありません。しかし、未利用労働力が活用できるようになれば、その経済効果は大きいと言うことができるでしょう。
日本経済が成長しない最大の原因は、圧力団体だと思います。
特に農業がひどいです。弱者である日本の農業を圧力をかけて保護した結果、どうしようもない状況になりました。
最近、TPP問題が話題になりましたが、TPPの参加も農林省の圧力で否決するでしょう。
官僚や政治家は、自分の利権のためにデフレを続けているように見えます。デフレになると「大きな政府」を望み、政府が大きくなるほど自分たちの利益になるからです。
もう、日本経済が成長する見通しはないでしょう。なぜなら、少子高齢化や人口減少でデフレを克服することができないからです。
そして、日本経済は、そのままデフォルトで破綻して、日本人は「奈落の底での生活」をせざる負えなくなるでしょう。
その未来が分かっているから、多くの国民たちはあきらめています。
経済学者や新聞が日本の悲惨な未来を描いています。
[人口減少時代の大都市経済 – 池田信夫ブログ]
[未知の領域に踏み込む日本~The Economist 日本特集(1/10)~]