電子マネー導入による経済の安定化
通貨を電子化しても、それだけでは、電子情報が硬貨や紙幣を代替するだけで、通貨制度のあり方を根本的に変えることはない。しかし、インターネットと電子マネーの特性を生かせば、金融政策の最も重要な仕事、すなわちマネーサプライの適切なコントロールを自動的に行ってくれる通貨制度を作ることができる。以下、私が数量調節型貨幣と名付ける新しい電子マネーのあり方を提案したい。

1. 電子マネーによる決済
90年代の後半から、いくつかの民間企業が電子マネー発行を試みたが、ほとんどは失敗に終わっている。貨幣の本源的な発行者が国家であることを考えるならば、政府や中央銀行が電子マネーの発行者となるべきである。政府が、住民票など個人をアイデンティファイする機能を持つICカードを全国民に配れば、電子マネー普及のためのインフラが整備される。但し、私が念頭においている電子マネーは、Mondexのような、ICカードにバリューをチャージするオープン・ループ型電子マネーではない。ネットワーク型で、中央銀行に取引履歴が残る、クローズド・ループ型電子マネーである。ICカードには、認証用情報や取引履歴などが記録されるだけだ。
将来、世界中どこからでもインターネットに有線または無線でアクセスできるようになると仮定しよう。その場合、すべての決済は、オンライン上でできる。貨幣を所有するということは、もはや物としての貨幣を占有することではなく、その貨幣を発行する中央銀行に、自分の登録番号と残高を登録することと同義になる。売買に際して、支払人と受取人がそれぞれICカードをインターネットに接続し、登録番号と暗証番号(あるいはバイオメトリックス)でログインし、支払金額の移転を行う。使い方は小切手とよく似ている。違いは、民間銀行ではなくて、中央銀行が直接当座預金を管理していること、インターネットを使うので、決済が全て瞬時に行われることである。
この制度のもとで、中央銀行は、全ての決済履歴をホスト管理する。したがって、貨幣の偽造、すなわち他人の残高を減らすことなく、自分の残高を増やすことは制度的に不可能である。盗まれることは制度的にありうるが、犯人の登録番号が残るので、現金やクレジットカードよりも安全である。また、決済履歴をもとに中央銀行が徴税を代行することもできるので、脱税の摘発も容易になる。
但し、中央銀行に集まる情報は、プライバシー保護のために、犯罪捜査以外の目的には使用できないように法律で定めるべきである。ICカードのユーザは、支払相手に対して匿名となる設定を選べば、一度買物をした店からしつこくスパムが送られてくるといったことを防ぐことができる。
中央銀行が当座預金を引き受けても、民間の銀行が不要になるわけではない。利子収入を得るためには、貨幣を貸し出さなければならない。貨幣を貸借するときには、登録番号をそのままにして、一定期間内での特定金額へのアクセス権とその使用権を貸与する。
商品の売買や貨幣の貸借に際して、電子マネーは、従来の貨幣と同様に、商品あるいは債券と交換される。しかし為替市場と株式市場では、以下説明するように、交換とは違った置換のルールが適用される。
2. 為替市場における数量調節
従来のアナログ貨幣の場合、例えば、円を売ってドルを買っても、たんに二種類の通貨を交換するだけなので、世界に存在する円とドルの数量は変化せず、需給のアンバランスは為替レートの調整によって解消される。すなわち、もし円よりドルの取引需要が増えると、ドルは円に対して高くなる。すると、投機家はそれを見越して、ドルを買おうとする。その結果、円安ドル高がさらに進む。このように、価格調節型貨幣の場合、ポジティブ・フィードバックが働くために、為替市場が、ファンダメンタルズから乖離して不安定になる。
為替リスクをなくすという点で、固定為替相場制のほうが望ましいのだが、通貨に対する評価が絶えず変化する中で、数量と価格をともに固定することはできない。1973年以降、為替相場は、数量固定単価変動制となったが、電子マネーなら、数量変動単価固定制にすることができる。
後者の場合、円をドルに替える場合、交換相手としてドルの所有者を見つける必要はない。日銀に登録してある残高を減らし、固定された為替レートに従って、その分、FRBに登録する残高を増やす。このように、交換する場合とは異なって、置換する場合、円をドルに替えるたびに、円の総量が減って、ドルの総量は増える。
円が割高でドルが割安だと感じると、人々は円を売ってドルを買うので、量的にドルが増えて円が減る。すると、希少性を失ったドルの価値は下がり、希少となった円の価値は上がるので、最終的には固定レートで均衡に達する。このように、数量調節型貨幣では、ネガティブ・フィードバックが働くために、為替市場は安定する。
3. 株式市場における数量調節
この数量調節の原理を株式にも当てはめてみよう。株式分割や増資などの場合を除けば、通常株式数は一定で、株式市場が決定するのは、一株の価格だから、株式は数量固定単価変動型有価証券である。ある株式会社の収益改善期待が高まり、その株への需要が増大すると、株式数が一定なので、株価は値上がりする。すると、配当には関心のない、キャピタル・ゲイン目当ての投機家たちも、その株を買おうとするので、さらに株価は上昇する。株価が値下がりを始めた時にも、同様のポジティブ・フィードバックが働く。株式市場が、熱しやすく冷めやすい所以である。
株券および取引が完全に電子化されれば、株式も、信用度の高い発行済み株式に限ってであるが、次のように数量変動単価固定型にすることができる。まず、数量固定単価変動型であった時の終値で株価を固定し、次に、株主が、株式の売却を望む時、従来のように貨幣と引き換えに株式を他者に譲渡するのではなく、株主リストから登録してある保有数を減らし、その情報に基づいて、中央銀行が、株価×株式数を売却者の残高に付け加えるようにする。こうすれば、株式を売却すると、数量的に貨幣が増え、株式が減る。発行済み株式を購入する時も、同様に、交換せずに置換する。不動産などから得る収益を裏付けとする資産担保証券についても、数量調節型にできるようにする。
ある株式会社の配当総額が増えると、その株式の購入者が増えるが、それに伴って、一株あたりの配当額が以前と変わらない水準まで株式数も増えるので、株価が上昇することはない。逆に収益が悪化しても、株式数が均衡に達するまで減るだけで、株価は下がらない。時価総額の変化は、もっぱら株式数で調節される。
4. 決済手段としての外貨と株式
現在、外貨や株式の売買は、それぞれの金融市場で行われている。しかし、ネットワーク型電子マネーの場合、外貨や株式を決済手段として売買することもできる。支払手段として、減らしたい有価担保証券を、受取手段として、増やしたい有価証券を手持ちのICカードに設定しておけば、通常の決済を通して自分のポートフォリオを望ましいポジションに持っていくことができる。その際、相手がどのような決済手段を使うかは、全く気にする必要がない。
例えば、Aは支払手段として円建ての不動産証券を、Bは受取手段としてユーロ通貨を指定していたとする。AがBから商品を購入する時、その決済情報は地主管理サーバーに送られ、そこで支払金額に相当する不動産証券の枚数が削除され、その金額がユーロに換算されて、Bが持っている欧州中央銀行の口座でのユーロ通貨が増加する。
なお、債券は数量調節型有価証券ではないので、決済手段としては使えないようにするべきだ。特に、国債は、信用力という点でその国の通貨に匹敵するので、国債に流動性を与えると、利払いのない国債である通貨が使われなくなってしまう。これから説明するように、数量調節型有価証券は、景気変動に対するビルトイン・スタビライザーとして機能する。この機能を無効にしないためにも、国債は、譲渡不可能な指名債権とするべきである。
5. 数量調節型有価証券の自動安定化機能
景気が悪くなると、流動性選好が高まり、人々は株や不動産を売却して現金化しようとする。するとベースマネーの量が増え、実質金利が低下し、マネーサプライが増加する。この自動的な金融緩和により、景気は回復に向かう。反面、株や不動産などの有価証券は、売られることにより、数量が減少し、単位あたりの利回りが元の水準に戻るので、過剰に売られることはない。
景気が良くなると、人々は、配当や地代の増加期待から、株や不動産などの資本を手に入れようとする。しかし、その場合、有価証券の数量が増えるので、資産価格がバブル的に高騰することはない。また、貨幣の数量が減るので、金融引き締めによりインフレが阻止される。
このように、市場に流通する有価証券を数量調節型にすることにより、スパイラル的なインフレ(バブル)やスパイラル的なデフレ(恐慌)を回避することができる。
現在、金融政策は、中央銀行の裁量に委ねられている。しかし、景気の現状把握、政策変更の決定と実行、効果の発現に時間がかかるので、適切な時期に金融政策を行うことは難しい。過去の歴史を見ればわかるように、中央銀行は、往々にして、景気回復局面で金融緩和を行ってバブルを発生させ、景気後退局面で引き締めて不況を深刻にする。間違いの多い手動調節よりも市場原理に基づく自動調節のほうが望ましい。通貨の発行量を決める大権を、選挙の洗練を受けたわけでもない中央銀行総裁から通貨を使っている個々人に委譲すること、それは究極の経済民主化である。
ディスカッション
コメント一覧
暗号やパスワードのクラッキングが発生しています。
電子マネーはインターネットを中心に使用されます。
つまり、世界中誰でもが原理的には入って来れます。
非常に危険です。但し、”公開”すればです。
私たちは電波メディアに一切乗せないこの作戦をステルス戦術と読んでいます。生体認証でさえも他社の方式では何れ必ず突破されるか、システム全体のゲート破壊かシステム連動を破壊されます。
>中央銀行に集まる情報は、プライバシー保護のために、犯罪捜査以外の目的には使用できないように法律で定めるべきである。
既に個人の腐敗から組織の腐敗になりました。
多数派が異常者で公正される衆愚社会です。
法律を作っても運用は出来ないでしょう。
法律の数が増えすぎると人の処理能力を超えます。
つまり、増えるほどに実行力は低下していきます。
馬鹿な政治家や腐敗した官僚に扱えるほど電子マネーは屋作詞苦はありません。
すべての時間と連動を考える理論が必要です。
私たちはこれをテセラクト戦略と名づけました。
国民国家を城壁都市(農耕都市)とすれば我らは空の遊牧国家です。
多民族で機動力に勝り交易オアシス都市や農耕資源国家を内包します。
小さなパケットで別けての報道は愚かな官僚たちには理解できない。
モンゴルの東征を全く西欧は対処できなかったのとよく似ています。
情報革命は確かに戦闘ドクトリンそのものを劇的に変化しました。
決済に、貨幣を使わずに、金とか宝石とか絵画を使うのと同じような方法ですか。
>決済に、貨幣を使わずに、金とか宝石とか絵画を使うのと同じような方法ですか。
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kojiさんは、大衆を信用していないようです。ただ、市場原理主義者が大衆の自由な判断にすべてを委ねようとするのは、大衆に公共心や良識があるからとか、高度な判断力があるからではありません。大衆が、狭い視野の中で、自分の利益だけを追求しているにもかかわらずではなくて、それゆえに、知らないうちに公共の利益が実現されているというのが、市場原理主義者が考える理想の社会です。
>それゆえに、知らないうちに公共の利益が実現されているというのが、市場原理主義者が考える理想の社会です。
私は最終的には理論体系の問題に行き着くと考えていました。永井さんはハーモニックコスモスについてどう思いますか?下の内容は日本人では中々良い部分を条件付で見ていると思います。但し、下記のその概念認識においては一部間違いがありますが。http://pathfind.motion.ne.jp/complex.htm(参照)私は”神の見えざる手”はある条件下でしか発動しないと考えています。つまり、市場「原理」主義者という事です。私達の実験は最終段階に達しています。西欧型伝統社会、ロシア型カオス社会、ムスリム型伝統社会、アフリカ型伝統社会、日本型伝統社会、非伝統社会、インド型伝統社会、これらを3つの文明哲学の同盟体系に別けてどれが生き残るか言う実験です。日本本土はアメリカや中共と同じ非伝統社会にこれから突き進んで行くと考えています。遅くても20年、恐らく15年でケリがつくと計算しています。カーストにせよ、イスラム共同体にせよ、必要があって誕生したと考えています。生命もそうですが急激に誕生し発達した存在は急速に消滅します。近代の大量消費型の非伝統社会は早晩、エネルギー問題と環境悪化の解決を戦争に求めざる終えず、共食いの果てに倒れるはずです。古代の文明も多くが断絶しました。クレタ文明のように森を破壊しつくしたら文明は崩壊します。イギリスは石炭によってそれを回避し、アメリカは石油によってそれを回避しました。しかしながら、新しい存在はまだ見つかっておらず、量産にはどうしても時間が必要です。世界レベルの森林減少も、すでに限界です。ローマ教皇がなくなりました。ローマ法王庁は面白い本を出しました。下の本は物理学の本です。全く違い角度から2つの本は近未来の姿を書いています。
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ただ、私にはこの2つの内容は同じ事と違う表現で説明していると考えています。
私は昔、坊主(聖職者)を馬鹿にしていましたが今は曼荼羅や神学には見るべきものがあると考えています。人を車に例えるなら、心が車を運転します。その角度からの分析において心理学より曼荼羅や神学に一日の長があります。電子マネーも人が使う以上はこの法則というか原理からは逃れられないと考えています。そして、通常の紙幣よりも速力が葉無いので問題の処理の方法は逆に遅らせないと危険だと考えています。その意味においてムスリム型伝統社会やカースト型伝統社会、日本型伝統社会が無駄に思えても結果としては効率が良くなると考えています。地球全体でマックスウェルの悪魔を作るのです。
結局のところ、市場原理の適用が不十分だから問題が起きるのか、市場原理そのものに限界があるから問題が起きるのかというところに意見の相違があるわけです。
はい。私もその意見の結論において同じく考えています。
ただ地球は広いので3つの世界に別けて見れば実験が出来ます。
韓非子にあります。菅仲に王は尋ねました。
王曰く 「人の富への欲望に限界はあるのか?」
菅仲曰く「人の欲望は無限だけど富である物資は有限です。」
菅仲曰く「その矛盾が露呈するところに身の破滅があります。」
菅仲曰く「富への欲望の限界というのはその辺りです・・・」
欲望が無限で、資源が有限だからこそ、資源を大切に使おうという意志が私たちに生まれます。欲望が有限で、資源が無限なら、誰も努力する必要はないし、進歩も発展も必要がありません。
>間違いの多い手動調節よりも市場原理に基づく自動調節のほうが望ましい
技術の進歩が早く、必須とする情報量が拡大しています。
人の脳細胞は1万年前と変わらないのに情報は飽和状態です。
結果として、日本の市場では非常に興味深いことが発生しています。
ジュリアナ東京を作ったグッドウィルの社長の折口は防衛官僚。
リーマンの顧問だったミスター円榊原は元財務官僚。
M&Aコンサルティングの村上は元通産官僚です。
株価が20分の1になったりクレイフィッシュで騒動を起した光通信の社長の重田やオリックスの宮内に至るまで勢ぞろいです。
中央をガラアキにしたら予想通り空白に吸いこまれました。
これからとても面白い事が見られると思います。
私は日本の役所も信用してませんが市場も信用していません。
そして何よりもカス売国官僚を見ると怒髪天を突きます。
ミスター円は市場原理を活用して40億稼いだと聞いています。
カネボウの粉飾2000億円など監査システムが麻痺しています。
暴走する市場原理の先にあるのはロシア型マフィア経済です。
これはどういうことですか。そもそもミスター円(榊原英資氏)は、市場原理主義批判をしている規制主義者でしょう。規制主義者という点では、ジョージ・ソロスも同じですが。