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永井俊哉の自己紹介

2020年1月13日

このページでは、私のこれまでの歩みを振り返ることで自己紹介を行います。

1. 生誕

私は、昭和40年、つまり、1965年の8月15日に、京都市東山区にある京都第一赤十字病院で生まれました。8月15日と言えば、終戦記念日ですけれども、子供の頃、そのようなことは知らず、誕生日を迎えるたびに市役所がサイレンを鳴らしてくれて、ありがたく思ったものです。

永井俊哉の写真
三重県鳥羽市にあるミキモト真珠島へ旅行した時に撮影したゼロ歳児の私と両親の写真。

私の父方の先祖は長州藩に仕えた家臣で、永井という氏は、秋田県置賜(おきたま)郡長井荘(ながいのしょう)に由来するようです。「俊哉」という名前の由来について、両親に聞いたところ、江藤俊哉という当時世界的に活躍していたヴァイオリニストにあやかろうとしてつけたとのことです。江藤俊哉の足元にも及びませんが、私も幼い時に、お絵かきやピアノの習い事をしていました。

2. 幼稚園時代

1971年8月、つまり私が六歳になった月に、滋賀県大津市から大阪府高槻市に転居し、高槻市立日吉台幼稚園に通園しました。

永井俊哉の写真
1972年3月の卒園式の時に自宅前で撮影した写真。左は母で、右は二歳年下の妹です。

3. 小学校時代

1972年4月に、高槻市立日吉台小学校に入学しました。

永井俊哉の写真
小学校高学年の時の運動会で撮影した写真

写真は小学校高学年の時の運動会で撮影したものです。小学生の時、私は漫画を描くことに熱中していました。絵を描くことよりも、ストーリーを練ることが好きで、だから小説でもよかったのですが、小説だと誰も読んでくれないから、友達に読んでもらえるように漫画を描いていたというわけです。

4. 中学校時代

1978年4月に高槻市立第八中学校に入学しました。中学二年生であった1979年8月に父の転勤に伴って静岡県三島市立北中学校に転校しました。

永井俊哉の写真
1981年3月に三島市立北中学校を卒業した時に撮影した

転校する頃まで漫画を描いていたのですが、母から、漫画では飯が食えないので、もっと勉強に力を入れるように言われ、漫画を描くことを止め、勉強に励みました。おかげで、高校は地元の進学校に進学することができました。

5. 高校時代

1981年4月に静岡県立韮山高等学校普通科に入学し、84年3月に卒業しました。

永井俊哉の写真
韮山高等学校卒業式の時の写真。左は母と妹です。

6. 大学時代

1984年4月に私は大阪大学文学部に入学しました。私の父が卒業したのと同じ大学なのですが、ここを選んだのには、他にも理由があります。私は、漫画をかくことはやめたものの、クリエイティブなことをしたいという気持ちはまだあって、そこで高校時代に新たに熱意を持って取り組んだのが小論文でした。大阪大学文学部の入試科目には、当時としては珍しく作文があって、これなら受験勉強も楽しくなりそうだと思ったわけです。大阪大学を選んだもう一つの理由は、私の母方の祖父母の実家が大阪府吹田市にあったことでした。四年間、そこでただで下宿させてもらって、通学しました。

永井俊哉の写真
1984年4月の入学式の時に下宿先で撮影した写真

大学の最初の二年間は、教養課程とよばれる専攻の無い期間だったのですが、私は「価値の根拠は何か」とか「人は何のために生きているのか」といった高校生の時から抱いていた倫理学的な問題の解決に取り組んでいました。そのころ私が熱心に読んだのは、岩崎武雄先生の本でした。そこでは、価値の根拠がかけがえのなさに求められているのですが、どんな物でも唯一無二の存在なのですから、私はこれには納得しませんでした。

永井俊哉の写真
静岡県三島市の実家に帰省していた時に父と撮った写真。

1986年4月に教養課程を終えると、哲学科に進学し、倫理学を専攻しました。指導教官の専門が英米哲学であったこともあって、分析哲学の倫理学、所謂メタ倫理学の研究をしました。私の本『言語行為と規範倫理学』は、この時書いた卒業論文がもとになっています。卒業論文を書いていた頃、廣松渉先生の存在を知り、廣松哲学に傾倒しました。廣松先生はマルクス主義哲学で有名でしたが、私がマルクス主義そのものに共鳴したということはありません。ただ、廣松先生のような、あるいはカール・マルクスのような狭義の哲学の枠を超えたスケールの大きな哲学者になりたいという気持ちはありました。当時、東京大学の哲学は非常に活気があって、大学院に進学するなら、廣松先生のもとで学びたいと思ったのですが、あいにく先生は理学部の科学史科学哲学研究室の所属で、文学部からの受験は難しく、専攻が同じ倫理学で受験をしました。

7. 大学院時代

1988年4月に東京大学大学院人文科学研究科倫理学専攻に入学しました。在学中、二年間廣松先生のゼミに参加し、私にとっては貴重な体験になりました。廣松先生はドイツ哲学が中心で、英米の哲学を軽蔑していらっしゃいました。それで、私も、このころは、カントや現象学といったドイツの古典哲学に取り組みました。

永井俊哉の写真
東京大学大学院の受験票に添付された22歳の時の証明写真。

1990年3月に修士課程を修了しましたが、博士課程には進学できませんでした。教授から他所へ行くように言われ、91年4月に一橋大学大学院社会学研究科博士後期課程に編入学しました。

永井俊哉の写真
博士後期課程にいた頃に愛知県春日井市の自宅で撮った写真。

1991年と言えば、ソ連が崩壊した年です。マルクス主義も時代遅れの思想とみなされるようになりました。当時、私は経済学には詳しくありませんでしたが、社会主義経済が破綻した以上、マルクス主義経済学だけでなく、マルクス主義哲学にも重大な欠陥があるのではないかと考え始めました。

私は、共同主観性に定位する廣松哲学が、《我の独我論》を否定しつつも《我々の独我論》に陥っていることが問題であると思うようになりました。独我論の哲学は、他のようではありえないとする決定論的なスタンスの哲学です。弁証法的な止揚の末に絶対的な知の高みに到達するというのがヘーゲル以来の考え方なのですが、それが本当なら、経済運営でも、行き当たりばったりの市場経済に任せるよりも、共産主義革命で権力を掌握した知的エリートが計画経済で統制した方がうまくいくはずです。しかし、実際にはそうならなかったのです。

それで、私は《確定性の哲学》から《不確定性の哲学》へとパラダイムを変え、カントの超越論的哲学を不確定性の自己反省と解釈することで、自分の哲学的なポジションにしようと思いました。そして、所属が社会学研究科だったので、社会哲学にも力を入れようとして、ニクラス・ルーマンの社会システム理論の研究を始めました。ルーマンが言っていることは抽象的であいまいなのですが、私は自然科学の勉強も同時に行って、ルーマンが謂う所の複雑性をエントロピーと同じと解釈して、自分なりのシステム論を構築しようとしました。こういう次第で、私の理論の大枠は、博士課程にいた時に形成されました。

8. 独立の決断

1994年3月に博士後期課程を終えた後、二年ほど就職活動をしました。96年の春、30歳の時、インターネットの存在を初めて知りました。これは、私にとって人生最大の転機となりました。その時まで、研究者には、大学に所属し、学会や出版社を通じて研究成果を発表するという以外の選択肢はないと思い込んでいました。インターネットの存在を知って、これでもう大学も学会も出版社もいらないと直感的に思い、就職活動を止め、所属していた学会すべてから脱退し、フリーの研究者として独立することを決断しました。

永井俊哉の写真
2000年8月、私が35歳の時に自宅で撮影したものです。この写真ではよくわからないかもしれませんが、当時はマイクロソフトのワード文書をHTML文書に変換して、それをそのままFTPを使ってアップロードするというやり方でサイトを作っていました。

今考えてみても、この時の直感は正しかったと思います。実際、今日、大学で講義しなくても、動画でレクチャーをすることができるし、学会に所属していなくても、ブログで論文を発表することができるし、出版社を介さなくても、電子書籍を直接出版することもできます。もちろん、当時はそこまで予見していませんでしたが、インターネットには無限の可能性があると予感しました。

9. ウェブサイト公開

1997年9月に初めて自分のウェブサイトを「超越論的システム論」というタイトルで公開しました。

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私の最初期のウェブサイト。見ての通り、とても質素なサイトです。

ヤフーカテゴリーに掲載されたのにもかかわらず、訪問者は毎日数人程度でした。この時代の私を知っている人はほとんどいないと思います。

10. 最初の書籍出版

私の読者が増えるきっかけになったのは、メールマガジンの発行です。メールマガジンの読者が1万人を超えた2002年11月に、出版社から私のメールマガジンを本にしたいというオファーがあり、その結果、2003年7月に、私にとっては最初の紙の本『縦横無尽の知的冒険』が出版されました。

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私が出版した最初の紙の本、『縦横無尽の知的冒険』の表紙の表(左)と裏(右)。『縦横無尽の知的冒険』の表紙画像の著作権は、出版社であるプレスプランにあります。

最初の本を出版したころ、サイトの名称をドメインと同じ「永井俊哉ドットコム」に変更しました。

11. ブログ開始

メールマガジンは次第に時代遅れになり、代わりにブログによるコンテンツ配信が流行し始めました。私も、2005年からブログを開始しました。

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最初のブログのスクリーンショット。当時、Movable Type を用いていました。

12. ソーシャル・メディア開始

2012年からは、フェイスブックツィッターなどのソーシャル・メディアによる更新情報の配信も開始しました。

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私のフェイスブックとツィッターのページ。

13. 電子書籍出版開始

2014年12月から『カントの超越論的哲学』を皮切りに、電子書籍の自己出版を開始しました。

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最初に出版した電子書籍、『カントの超越論的哲学』の表紙。

出版社から出版のオファーを戴くことはありがたいことなのですが、書きたいことが書けるわけではないし、出版したコンテンツを自分で自由に使うことができないのは不便です。そこで、今では、自己出版で本を出しています

14. YouTube で動画配信を開始

2020年1月から、YouTube の「永井俊哉ドットコム」チャンネルから動画の配信を開始しました。以下は、2020年までの私の経歴と思想遍歴を振り返った動画です。

永井俊哉の自己紹介

Posted by 永井俊哉