氷河期世代はなぜ貧しいのか
就職氷河期世代が貧しくなったのは、就職期にバブル景気が崩壊したからだとか、小泉と竹中の新自由主義のせいだとかいったことが世間では言われていますが、この世代が不遇であった本当の理由は、終身雇用・年功序列がもたらすネズミ講オーナスであることを示しましょう。

就職氷河期とその根本的な原因
まずは、就職氷河期と就職氷河期世代を定義した上で、その実態と原因を探ります。
就職氷河期世代の受難とその負の遺産
就職氷河期とは、1991年のバブル崩壊後に顕著となった就職難の時期のことです。雑誌『就職ジャーナル』が生み出したこの造語は、広く使われるようになって、1994年の第11回新語・流行語大賞で、審査員特選造語賞を受賞しました[1]。以下のグラフに示されている通り、1993年から2004年にかけての大学卒業者の就職率(実線)は平均69.7%で、その期間を除く1985年~2019年の平均80.1%を、10%を超えて下回ったことから、内閣府は、2020年の白書[2]において、1993年から2004年の期間を「就職氷河期」と定めました。

就職氷河期に就活する羽目になった世代は、就職氷河期世代と呼ばれます[3]。1971年から1974年に生まれた団塊ジュニア世代と1975年から1981年に生まれたポスト団塊ジュニアは、大学を最短で卒業した時期が、1993年から2003年までで、浪人(競争率の高さゆえに多かった)や留年などを考慮に入れると、1993年から2004年にかけての就職氷河期とほぼ一致します。つまり、二つの世代は、大卒就職氷河期世代のコアを形成していることになります。
団塊ジュニア世代は、団塊世代の子供の世代という意味で命名されました。団塊世代とは、1947年から1949年にかけて生まれたベビーブーム世代です。この三年間に日本史上最多の子供が生まれました。団塊ジュニア世代には、団塊世代の第一子が多く、ポスト団塊ジュニア世代には第二子以降が多いという特徴があるものの、そうした区別にはあまり意味がないので、ここでは、団塊ジュニアとポスト団塊ジュニアの両方を併せた第二次ベビーブーム世代を団塊二世と呼ぶことにします[4]。以下のグラフは、2020年現在での日本の生年別人口分布です。団塊世代の数が多かったので、団塊二世の数も多いことが確認できます。

団塊二世は、新卒で正規雇用労働者になることが難しかったので、不本意ながら非正規労働に甘んじざるをえなかった人たちが少なからずいました。以下のグラフを見てもわかるとおり、1993年から2004年頃にかけての就職氷河期において、就業者に占める非正規雇用労働者の割合が急速に高まっています。
非正規雇用労働者の割合は、バブル景気の最中にも上昇していますが、これはむしろ景気が良いからこそ増えた自由追及型の自発的非正規雇用労働者のおかげです。1990年に株式バブルが崩壊し、親の脛を齧れなくなると、自由追及型が減り、就職氷河期においては、正規雇用労働者になろうとしてもなれない非自発的非正規雇用労働者が増えました。
そのことを、新卒就職する年齢である15歳から24歳(中学校卒業から大学院修士課程修了相当)の完全失業率(働く意欲があっても就職できない15歳以上の割合)の推移を示した以下のグラフで確認しましょう。

非正規雇用労働者の割合が増えた80年代後半において、新卒者の完全失業率が低下しています。バブル景気の最中は、望めば簡単に就職できたということです。ところが、就職氷河期には、新卒者の完全失業率が急上昇しています。この時期に非正規雇用労働者の割合が増えたということは、望まないのに非正規雇用労働者にならざるをえなかった人が増えたということです。
新卒者の完全失業率は、2008年のリーマン・ショックや2011年の東日本大震災によって一時的に悪化したので、2012年までは準氷河期と呼ぶことにしましょう。とはいえ、大局的に見て、2003年をピークに、今日に至るまで下落傾向にあります。それゆえ、バブル景気終了後の就職氷河期および準氷河期は、1968年以来最悪であったことになります。
完全失業率は、団塊二世が31~41歳になった2012年以降、急速に減少し、35~45歳になった2016年以降、バブル崩壊以前の水準にまで低下しました。そのおかげで、団塊二世も正規労働にありつけるようになりました。就職氷河期世代も、30代後半から40代前半にさしかかる頃には、バブル期入社組と比べて遜色のない水準にまで男性正社員率が上昇したことがわかっています[8]。非正規雇用労働者の割合は相変わらず高止まりしていますが、これは以前より多くの専業主婦や高齢者が働くようになったからにすぎません。働き盛りの男性が非自発的に非正規労働に従事するケースは着実に減少しています。
但し、大企業では、長い間非正規労働に従事した団塊二世を採用するハードルが中小企業よりも高いのが現実です。以下のグラフは、2021年現在で、各年齢階級が従業員500人以上の企業に雇用されている割合を示しています。団塊二世が占める40代の割合が、50代以上よりも低くなっています。

団塊二世は、学年当たりの数が多いので、就職氷河期の前に受験氷河期で苦労しました。下の世代であるゆとり世代(1987年~2004年生まれ)よりも激しい受験競争を勝ち抜いたエリートであるにもかかわらず、不本意ながら中小企業に就職した大卒団塊二世が多かったのです。
劣悪な雇用環境にあったため、団塊二世は資産形成が十分でありません。2004年時点で、新人類世代に相当する40代の金融資産の中央値が350万円であったのに対して、2021年時点では、団塊二世に相当する40代の金融資産の中央値は200万円に減りました。以下のグラフは、各資産規模を比較していますが、同じ40代でも、団塊二世は新人類世代よりも300万円未満が多く、資産形成が不十分であることが確認できます。

経済力の低さゆえに未婚者が多いのも団塊二世の特徴です。以下のグラフは、配偶関係別の人口構成比を1980年と2020年で比較したものです。1980年時点では、20歳から40歳にかけて青色で記した未婚者の割合が急速に低下しています。ところが、2020年では、団塊二世に相当する年齢(39歳から49歳)で未婚者の割合が高止まりしています。

特に男性は、2割以上が未婚のままです。その結果、最初の図(人口ピラミッド)を見てもわかるとおり、団塊二世の子に当たる世代、団塊三世は、幻のベビーブーム世代となりました。
独身が多いから貯えも多いということにならないことは、既に確認した通りです。海老原嗣生(えびはら つぐお, 1964年 – )は、氷河期世代の現在の非正規率が低いことを根拠に「氷河期世代問題」を否定しています[11]が、勤続年数が職能給に影響を与える日本企業において、30代前半まで正規雇用での従業が困難であった負の遺産は現在にまで引き継がれています。
1985年での経済企画庁の的確な予想
団塊二世が不遇の世代となることは、実は、1985年の時点で既に政府によって予見されていました。1984年に、社団法人社会開発研究所が、経済企画庁の委託で、労働市場の未来を展望する研究プロジェクトを始め、その報告書は、1985年8月に『21世紀のサラリーマン社会』と題して出版されました。敗戦から40年となる節目の年に、今後の40年間の日本の労働市場を予想したこの報告書は、もうすぐその40年目の節目(2025年8月)を迎える現在において読み返してみると、極めて的確な予測だったと評価できます。
この報告書は、「わが国の労働市場が終身雇用と年功賃金に守られた内部労働市場とパートタイマー、アルバイト等の外部労働市場とに二極分化する過程で[12]」賃金格差が拡大している事実を指摘しつつも、「現在の低賃金層の主力をなす女子パートタイマー、高齢者、定職につかない若年層の三つのクループは、それぞれ夫の所得、年金、親の所得という核になる所得を持って[13]」いるため、まだ深刻な社会問題になっていないと現状を分析しています。
現在の日本の労働者は世帯主が賃金の高い内部労働市場で働いており、それ以外の者が外部的色彩の強い労働市場で働いているという構図になっている。従って、外部労働市場が低賃金でしかもそれが急速に拡大していても、核としての世帯主収入が確保されている限りにおいて大きな問題とはなりにくい。[14]
報告書は、しかしながら、本来一家の大黒柱となるべき者が、外部労働市場に転落する暗い未来を予測しています。それは団塊二世が就職しようとする時です。世帯主として内部労働市場に参入しようとしても、多くができずに、外部労働市場で働かざるをえないというのです。
内部労働市場に参入できない団塊二世たちのかなりの部分がアルバイト等外部労働市場での労働を余儀なくされるのではなかろうか。昭和六〇年[1990年]代半ばには、団塊の世代は四〇代、働き盛りである。一方、団塊の世代の妻たちは子育てを終えパートタイマー等の形で労働市場に参入してくる。
この時期には団塊の世代の夫、妻、子の二世代が同時に不安定な労働市場に身をさらすことになるのである。むろん、現在のアルバイトの賃金でも若者が生活していくためには差し当たり困難はないであろう。しかし、結婚し子供が生まれ、教育費がかさむようになり、また住宅ローンを抱えるようになればアルバイトで生活することは不可能である。アルバイトを転々としながら、三〇歳前後になって内部労働市場に参入しようとしてもその壁はあまりに厚い。[15]
まさにこの通りになったからこそ、非正規雇用を強いられた団塊二世の多くが結婚できなくなり、団塊三世が幻のベビーブーム世代となったのです。報告書は、団塊二世を冷遇し、人材育成を怠るツケが、21世紀の企業経営に回ってくることを警告しています。
西暦二〇〇〇年以降の仕事の主力を担っていくのは誰か。それこそ、団塊二世たちにほかならないのである。今後団塊の世代の負担に堪えかねて、企業が団塊二世の採用を抑制するならば、企業は二〇〇〇年以降の主役を失ってしまうことになるのである。[16]
これまたその通りです。それにしても、1985年8月といえば、団塊二世がまだ中学生以下(4~14歳)であった年です。就職氷河期の原因として、バブル景気の崩壊や小泉政権による派遣労働の規制緩和が理由として挙げられることがありますが、1985年の時点では、バブル景気は崩壊どころかまだ始まってもいませんし、小泉政権の誕生や広範囲にわたる派遣労働の規制緩和も全く見通せません。それにもかかわらず、社会開発研究所はなぜ団塊二世の悲劇的な運命を正確に予見できたのでしょうか。実は、それは、年功序列というネズミ講システムと当時の人口分布という二つの事実から、簡単に予測できたのです。
ネズミ講ボーナスとネズミ講オーナス
終身雇用と年功序列を特徴とする日本的経営は、1960年代に完成しました。団塊の世代が、中学校を卒業し、金の卵として集団就職を始めたのは、1962年以降で、大学を卒業したのは、1969年以降なので、日本的経営が完成した1960年代は、団塊の世代が労働市場に参入する時期と重なっています。団塊の世代は、数が多かったのにもかかわらず、1950年以降、朝鮮戦争による特需や復興需要を起点とした景気の好循環が続いていたこともあり、難なく就職できました。
1973年の石油危機以降、日本経済は高度成長期から安定成長期に移行しました。日本経済の成長は、スピードが鈍化したものの、同じく石油危機の打撃を受けた他の先進国よりも好調でした。1979年にエズラ・ヴォーゲル(Ezra Vogel, 1930 – 2020年)が『ジャパンアズナンバーワン』を出版したことに象徴されるように、70年代から80年代にかけて、日本経済は黄金時代を迎えます。ヴォーゲルを含め、多くの人は、日本経済の強みは日本的経営にあると思いました。しかし、それは誤解に基づいています。
以下のグラフは、OECD加盟国間における主要先進七か国の労働生産性(購買力平価により換算された GDP を就業者数で割った値)の順位を示したものです。これを見ればわかる通り、70年代から80年代にかけての黄金時代においてすら、日本は、主要先進七か国の中で、ナンバーワンどころか最下位です。

労働生産性が最低ということは、経営の在り方が最低ということです。日本的経営が優れていた時期は、実は一度もなかったのです。日本的経営が非効率であるのにもかかわらず、日本が安くて高品質な製品を世界に輸出できたのは、年功序列の初期の効果ゆえであったことを説明しましょう。
年功序列とは、勤続年数に合わせて賃金が増加する制度です。スペシャリスト組み合わせ型である海外の企業では、職務遂行能力に応じて支払われる職務給が常識ですが、ジェネラリスト擦り合わせ型である日本の企業では、勤続年数と連動して上昇する職能給が一般的です。
しかし、実際には、勤続年数とともに「職能」が上昇し続けるということはありません。あくまでも一般論ですが、従業員の会社に貢献する能力は、体力と経験のバランスが取れた40歳ぐらいでピークに達し、その後は、老化により体力が低下したり、新しい時代の変化に適応できなくなったりして、低下します。それを無視して、年齢とともに職能給を上げていくと、以下の図に示したように、仕事の量(会社への貢献)と報酬(給料)の高さにギャップが生じます。

若い時は、貢献よりも少ない報酬しか受け取れないので、貢献よりも多くの報酬を受け取る中高年労働者は、若手労働者を搾取していることになります。もちろん、上の世代から搾取された若手労働者も、自分が中高年労働者になると下の世代から搾取することで損失を補填できます。私はかつてこれを「非対称的贈与システム」と名付けましたが、要するに、ネズミ講のことです。
ネズミ講とは、下位会員が上位会員に金品を貢ぐ無限連鎖の非対称的贈与システムのことです。日本の法律では無限連鎖講と呼ばれ、英語圏ではピラミッド商法(Pyramid scheme)と呼ばれます。下位会員がネズミ算的に増えていく限り、会員は上に貢いだ以上の金品を下から受け取るので、利益に与れます。これをネズミ講ボーナスと呼ぶことにしましょう。
会員が無限に増え続けることは物理的に不可能なので、ネズミ講ボーナスは永遠には続きません。やがて会員は、上に貢いだ以上の金品を下から受け取れなくなり、損失を被ります。これをネズミ講オーナスと呼ぶことにしましょう。オーナス(onus)とは、重荷とか負担とかといった意味の英語です。ボーナスと音が似ているので、対比的に使われることがあります。

1991年まで日本経済が安定成長期を維持できたのは人口ボーナス(demographic dividend 人口統計的利益)のおかげで、それ以降の低成長期は人口オーナス(demographic burden 人口統計的負担)のせいだと一般には思われていますが、そもそも、一人当たりGDPの成長率は人口増加率や高齢化率とは相関性がないので、たんなる人口動態だけでは、失われた30年を説明できません。実際、どの国でも少子高齢化が進行していますが、それで30年以上も経済成長が止まるということはありません。
日米韓の一人当たりGDPの推移を表している以下のグラフをご覧ください。失われた30年の間に一人当たりGDPが、日米間で広がりつつあり、日韓間で狭まりつつあります。

米国では、1946年から1964年に生まれたベビーブーマーが高齢化しつつありますが、それでも一人当たりGDPの成長率が低迷することはありません。米国には大量の移民が流入しているので、日本とは違うと思うかもしれません。それなら、韓国はどうでしょうか。韓国の合計特殊出生率は、2001年以降、日本を下回り、2018年以降、1.0未満となっていますが、日本のようにはなりません。30年以上の経済低迷という日本特有の現象の原因は、日本特有の仕組みに求めなければなりません。
そこで、私は、年功序列という日本特有のネズミ講システムに着目します。団塊の世代という巨大な塊がネズミ講の底辺を支えているうちは、日本経済はうまくいっていたけれども、1990年代に支える側から支えられる側に回ろうとした結果、うまくいかなくなったという仮説を立てるのです。
ネズミ講は、その被害が甚大であることから、1979年施行の「無限連鎖講の防止に関する法律」で禁止されましたが、実際には、日本社会の至る所にネズミ講のような仕組みが仕込まれています。そして、子どもにネズミ講の原理を叩き込む場となっているのが、先輩と後輩の上下関係を厳しく規定している日本の学校の運動部です。例えば、私が所属していた中学と高校の卓球部では、一年生の時は先輩の球拾いをして、上級生になると、新しく入ってくる後輩に球拾いをさせるというしきたりになっていました。
高校の夏休みには、合宿がありました。皿洗いなどの雑用は一年生がしなければならないことになっています。ところが、高校時代の卓球部では、私の学年の部員が多かったのに対して、下の学年の部員が極端に少なかったので、顧問の命令により、私たちは、一年生の時も、二年生の時も雑用をやらされることになりました。これは、私が体験した小規模なネズミ講オーナスです。その後、日本全体で、しかしながら、それよりもずっと大規模なネズミ講オーナスが発生していることに私は気づきました。
ここでまた経企庁の報告書『21世紀のサラリーマン社会』に戻りましょう。この報告書には、1980年における年齢層ごとの労働者数が、以下のように示されています。

左側が男性労働者の数で、右側は女性労働者の数です。斜線部分は正規雇用労働者(定着雇用層)の数で、白抜き部分は非正規雇用労働者(非定着雇用層)の数です。この人口分布を見れば、なぜ1980年前後の期間がネズミ講ボーナスの期間であったかがわかります。上が下を搾取するネズミ講は、別名ピラミッド商法と呼ばれるように、上下の階層がピラミッド型を形成している限り、うまくいくのです。
1980年代末までの日本経済がうまくいっていた時期、団塊の世代が安い賃金で熱心に働いていました。日本企業は、ネズミ講ボーナスから生まれる余剰を設備投資にまわし、その結果、安くて高品質な日本製品が世界の市場を席巻しました。日本経済の黄金時代の正体は、ネズミ講ボーナスだったのです。団塊の世代が安い賃金でも熱心に働いた理由は、そうすることで、先輩たちのように年功序列で出世し、高い職能給をもらえるようになると信じていたからです。
しかし、ネズミ講ボーナスが永遠に続くことはありません。報告書が警告するように、ネズミ講にとって理想的なピラミッドの形状は、二つの理由から持続不可能でした。
定着雇用層は一九八〇年にはピラミッド型を維持しているが、団塊の世代が四〇~四四歳になる一九九〇年にはピラミッドの形が崩れ始め、二〇〇〇年には完全な「ずん胴型」となる。また女子についても定着雇用層が着実に増大することがわかる。[18]
ピラミッドの右側を見ると、女性の正規雇用労働者の数が、25歳以上で激減していることがわかります。この時代、多くの女性が、25歳までに寿退社していたからです。80年代の日本では、女性は、クリスマス・ケーキのように、25を越えると売れ残ってしまうというクリスマス・ケーキ理論なるものがまことしやかに唱えられていました。女性の平均初婚年齢が29.5歳の現在では、もはや成り立たない理論ですが、25までに売れてしまうクリスマス・ケーキであろうと、31まで売れるおせち料理であろうと、女性正規雇用労働者が結婚や出産を機に退職するなら、企業はピラミッド型の年功序列を維持できます。
ところが、1986年に男女雇用機会均等法が施行されて以降、性別を理由とする差別が禁止され、男性と同様に頂点を目指すキャリア・ウーマンが増え始めました。他方で、団塊の世代を中心とする男性正規雇用労働者のボリューム・ゾーンも、年齢とともに頂点を目指しました。二つのゾーンの底上げの結果、ネズミ講ボーナスの時代が終わり、ネズミ講オーナスの時代が始まったのです。
日本企業は、ネズミ講オーナスに二つの方法で対処しようとしました。すなわち、一方で、勤続年数相応の高い職能給を求める団塊世代の正規雇用労働者の数をリストラ(当時の流行語)で減らしつつ、他方で、新たに労働市場に参入しようとする団塊二世を、非正規雇用労働者として、必要なときに必要なだけ活用することで、膨れ上がる人件費を抑制しようとしました。
経営者が、ピラミッド型の年齢構成に再構築(リストラクチャ)しようとしても、日本では、整理解雇の4要件
- 人員整理の必要性
- 解雇回避努力義務の履行
- 被解雇者選定の合理性
- 解雇手続の妥当性
という厳しい条件が要求され、簡単に団塊の世代を解雇できません。解雇回避努力義務の一つは、希望退職者の募集ですが、希望退職者を募るという生ぬるい方法では、人件費削減の効果は限られます。それゆえ、報告書が予言した通り、「団塊の世代の負担に堪えかねて、企業が団塊二世の採用を抑制する」という結果になったのです。実は、新規採用の停止も、解雇回避努力義務の一つですから、解雇回避努力義務が就職氷河期世代を作ることになったのです。
1990年から2005年にかけての都道府県別年齢別就業率の回帰分析[19]によると、15歳から29歳までの男性就業率に与える中高年男性就業率の影響(相関係数)は、40歳でマイナスとなり、46歳で-1.86に達した後上昇し、役職定年の年である60歳でプラスになります。40歳から49歳の中高年女性就業率の相関係数も、1%水準で有意に負となります。要するに、高額な職能給をもらう中高年の雇用が厚いと、若年男性の就業が損なわれるということです。有意水準は高くありませんが、似た傾向は、若年女性就業率にも見られます。
もとより、私は、団塊の世代を悪者扱いするつもりはありません。団塊の世代が悪者なのではなく、団塊の世代を悪者にするネズミ講が本当の悪者であるからです。また、団塊の世代以降、人口が増えなかったことが問題ということでもありません。少子化が悪なのではなくて、少子化だとうまく機能しなくなるネズミ講が悪なのです。この点、問題の本質を見誤ってはいけません。
ところで、日本政府は、団塊二世の多くが正規雇用にありつけなくなる将来を1985年の時点で正確に認識していたにもかかわらず、なぜ何の対策も講じなかったのでしょうか。それは、年功序列というネズミ講の弊害を指摘することは容易だけれども、それを廃止することは政治的に極めて困難だからです。ネズミ講を途中で止めると、上には貢いだけれども、下からは何も受け取れないババ抜き世代が不満を爆発させるので、政治家にとっては命取りになります。かくして、被害者を出さないようにするために、新たな被害者を作り続けるということになったのです。
1985年といえば、中曽根首相が「戦後政治の総決算」を標榜して、日本を脱社会主義化しようとしていた時期ですが、その中曽根ですら、終身雇用・年功序列には手がつけられませんでした。「聖域なき構造改革」を標榜した小泉首相ですら、終身雇用・年功序列という聖域中の聖域には踏み込めませんでした。2024年9月に実施された自民党総裁戦で、当初最有力と目されていた小泉進次郎が、解雇規制の見直しに言及して支持を失い、決選投票にすら残れなかったことからもわかる通り、終身雇用・年功序列は、政治家にとってアンタッチャブルな既得権益なのです。
皮肉なことに、1985年の時点でわかっていた就職氷河期の原因は、実際に就職氷河期が始まると忘れられ、代わりに、規制緩和が原因で非正規労働が増えたといったような間違った説が横行するようになりました。人は必ずしも時間とともに賢くはならないものですが、あるいは、本物の改革を恐れる人たちが、それを阻止しようとして謬説を流したのかもしれません。
就職氷河期の通説の批判的検討
この章では、ネズミ講オーナス説の立場から、今なお多くの人が信じている二つの通説(規制緩和説とバブル景気崩壊説)の問題点を指摘します。
労働者派遣法の規制緩和が原因なのか
労働者派遣法の規制緩和が原因で若者がワーキング・プアになったという主張は、今でも多くの人によって信じられています。例えば『中流危機』を出版したNHKスペシャル取材班は、『現代ビジネス』のウェブ記事で次のように言っています。
かつて「一億総中流社会」といわれた日本の「中流」が危機にある。中間層の賃金が減少し、当たり前の生活ができる「中流」は壊滅寸前。その結果、日本全体が貧しくなった。
この大きな原因が、1990年代半ばから始まった非正規雇用の拡大だ。規制緩和の流れの中、労働者派遣法が改正され、一部の業種のみに許されていた派遣労働は「原則自由」となっていく。派遣法改正の当事者たちはその後の悲惨を見通せなかったのか。[20]
労働者派遣法は、1986年に施行された法律で、当初は、専門的な13業務(施行後直ちに3業務追加し、16業務)に適用対象が限定されました。1996年の改正で、適用対象が16業務から26業務に拡大されましたが、これは大きな規制緩和ではありませんでした。最大の規制緩和は、適用対象の限定方法を、ポジティブ・リスト方式からネガティブリスト方式に変えた1999年の改正です。つまり、禁止された業務を除いて、原則として労働者派遣が可能になったということです。製造業は、当面の間禁止としましたが、2004年改正で、解禁となりました。
既に確認した通り、団塊二世が就職活動をしていた1993年から2005年にかけての時期に、非正規雇用労働者の割合が高まりました。その期間に労働者派遣法の規制緩和が進んだことから、NHKスペシャル取材班は、因果関係があると考えたようです。しかし二つの出来事が重なったからといって、規制緩和が非正規労働増加の原因とは限らないので、因果関係の認定は慎重にしなければなりません。
そこで、もしも労働者派遣法の規制緩和がなかったとするなら、それどころか、労働者派遣事業自体が禁止されていたなら、どうなっていたかを想像してください。おそらく、派遣労働者になるような人は、従来型の非正規雇用労働者(アルバイト、パート、日雇い、契約社員など)になっていたことでしょう。団塊の世代が能力不相応に高額な職能給を受け取っていたことが根本原因である以上、労働者派遣法の規制緩和があろうがなかろうが、多くが非正規雇用労働者として最小限の仕事しか与えられないという団塊二世の運命が変わることは望むべくもないのです。
ゆえに、労働者派遣法の規制緩和は、非正規雇用労働者増加の原因ではなく、むしろ結果とみなされるべきです。すなわち、規制緩和の結果、非正規雇用労働者が増えたのではなくて、非正規雇用労働者が増えた結果、その多様な需要に対応するために、非正規労働の形態が多様化したと考えるべきなのです。実際、「就業者に占める非正規雇用労働者の割合の推移」を見てもわかるとおり、非正規雇用労働者の割合は、1996年と1999年の労働者派遣法の改正に先行して、1994年から一貫して増加しています。
当時雇用政策を担当していた厚労省幹部(その後事務次官)も、「違法派遣の実態もあり、市場のニーズがあるのであればそれに合わせて制度を変えたほうが労働者保護にもつながると思いました[21]」と回顧しています。非正規雇用労働者が増えるにつれ、割高なマージンを業者に支払ってでも、即座かつ継続的に仕事/人材を見つけたいという需要も増えてきます。そうした需要に応えるために規制が緩和されたというのが真相です。
もとよりそういう選好を持つ非正規雇用労働者の数はそれほど多くありません。派遣労働者数が149万人と過去最高となった2022年[22]においてすら、雇用者に占める派遣労働者の割合は、たったの2.6%です。それは、2022年における非正規雇用労働者の割合、36.7%と比べてごくわずかです。それゆえ、派遣労働者の増加が日本経済全体に与える影響を過大評価すべきではありません。
小泉と竹中の構造改革が原因なのか
規制緩和原因説を採る人の中には、小泉内閣時代の規制緩和を特に問題視する人がいます。例えば、経済ジャーナリストの岩崎博充(いわさき ひろみつ, 1952年 – )は、次のように言っています。
就職氷河期世代が不幸だったのは、2000年代はじめに小泉政権が誕生し、非正規社員の規制を大幅に緩和したことだ。それまで許されなかった製造業での非正規雇用を全面的に緩和し、その影響で大企業は正社員の採用を大幅に抑え、非正規雇用を増やす雇用構造の転換を進めることができた。
就職氷河期世代の人たちも、この規制緩和がなければ新卒採用されなかった人でも、中途から正社員になる道はかなり多かったはずだ。そういう意味でいえば就職氷河期世代の悲劇は、小泉政権時代の規制緩和によってもたらされたとも言える。[23]
「それまで許されなかった製造業での非正規雇用」という件は、事実誤認に基づいています。小泉内閣時代の2004年に労働者派遣法が製造業を適用対象とするように改正されましたが、それ以前から、日本の製造業では、臨時工や期間工といった非正規雇用労働者が働いていて、雇用の調節弁になっていました。これら直接雇用とは別に、間接雇用として、業務請負企業が雇用する請負労働者が、派遣労働者と同じような役割を果たしていたので、製造業での労働者派遣の解禁は、実はそれほど大きな変化ではなかったのです。仮に小泉内閣が労働者派遣法を緩和しなかったとしても、製造業での派遣労働者という非正規雇用労働者が、従来型非正規雇用労働者に置き換わるだけで、正規雇用労働者の増加は期待できません。
他方で、2004年の労働者派遣法改正の影響により「大企業は正社員の採用を大幅に抑え、非正規雇用を増や」したという事実もありません。すでに確認した通り、内閣府が認定する就職氷河期は、2004年で終わっています。以後、2008年のリーマン・ショック(これは小泉政権の責任ではない)まで労働市場が改善する傾向が続き、非正規雇用全体の割合の増加率も低下しました。
「就職氷河期世代の人たちも、この規制緩和がなければ新卒採用されなかった人でも、中途から正社員になる道はかなり多かったはずだ」というのはどうでしょうか。すでに確認した通り、就職氷河期世代は、30代後半から40代前半にかけて、バブル期入社組と比べて遜色のない水準にまで男性正社員率が上昇しました。製造業務への派遣は、解禁されたままですが、その時期に就職氷河期世代が正社員として中途採用されたのは、団塊の世代が65歳以上となり、定年退職したからです。ここから、就職氷河期の本当の理由がわかるはずです。
巷間に流布する小泉批判には、こうした杜撰なものが多いのですが、竹中批判はもっとお粗末です。例えば、著名ブロガーの鈴木傾城(すずき けいせい、1966年 – )の竹中批判を見てみましょう。
竹中平蔵と言えば、「正規雇用と言われるものはほとんどクビを切れないんです。クビを切れない社員なんて雇えないですよ、普通」とか言って、非正規雇用者を大量に増やした経済学者でもある。
実際、小泉政権ではこの竹中平蔵の経済政策によって構造改革が強引に行われ、どんどん若年層の非正規雇用化が進んでいったのだが、その結果として誕生したのが「若年層の貧困と格差」が強烈に広がっていく社会だった。[24]
ネット上では、竹中を糾弾するこの類の言説をよく見かけます。竹中が非正規雇用増加の元凶として槍玉に挙げられるのは、人材派遣会社のパソナを傘下に持つパソナグループの取締役会長を務めていたからでしょう。実際、鈴木は、こう言っています。
竹中平蔵自身は非正規雇用者を統括するパソナグループの会長でもある。「非正規を増やせ」と叫んで自分は非正規雇用者を管理する企業で儲ける。大した厚顔ぶりだ。[25]
しかし、彼がパソナの特別顧問に就任したのは、2007年2月で、パソナグループ取締役会長に就任したのは、2009年8月のことです。竹中は、2006年9月に政治家を辞めているので、大臣在職中に人材派遣会社と利害関係を持っていませんでした。また、そもそも、竹中は労働者派遣事業を管轄する厚生労働大臣には就任していないので、竹中のせいにするのはおかしいのです。もちろん、竹中は、政治家を辞めた後にも様々な政策を提案していますが、直接政治権力を持っているのではない以上、責任は、提案を受け入れる政治家にあって、民間人の竹中にはありません。
竹中が在任中主導した構造改革で若年層の貧困と格差が強烈に広がっていったというのも正しくありません。完全失業率のグラフを見ればわかるとおり、2003年に竹中金融相(当時)が金融再生プログラムにより不良債権問題を解決したことで、日本の景気は好転し、就職氷河期の最悪の時期が終わりました。最終的な(納税や給付後の)所得格差を示す指標である再分配所得ジニ係数も、1980年から増加傾向でしたが、小泉政権以後低下しており、所得格差はむしろ縮まりました。
鈴木は、「正規雇用と言われるものはほとんどクビを切れないんです。クビを切れない社員なんて雇えないですよ、普通」という発言を取り上げ、竹中が非正規雇用者を大量に増やしたと言っています。そして「正社員が消えて、全員が非正規雇用者になる社会に向かう[25]」と警告しています。しかし、非正規雇用労働者が増えた原因は、高い職能給を求める団塊世代の正規雇用労働者を解雇できなかったところにあるのですから、正規雇用を増やしたいのなら、むしろ正規雇用労働者を解雇しやすくしなければなりません。
鈴木は、「非正規雇用や派遣で働く人々の問題点は、今までやってきた仕事が次の派遣先で生かせるかどうか分からない点にある[25]」と言って、「経験値の積み上げがない」ことを問題視しています。しかし、日本では、この問題は、ジョブ・ローテーションの慣行がある正規雇用において顕著です。むしろ、派遣労働者の方が、同じ職種を維持し、経験値を積み上げられます。それにもかかわらず、勤続年数の長い正規雇用労働者の賃金が高いのは、ネズミ講のおかげであって、同じ職種の経験値が積み上がったからではありません。その証拠に、中高年の正規雇用労働者が、長年勤めた会社から同じ業界の別会社に転職しようとしても、特定の職務に秀でているわけではないので、高い賃金水準が維持できません。
以上、鈴木の竹中批判を例に取りましたが、竹中を非正規雇用増加の主犯に仕立て上げる俗説は、一般に多くの誤謬を含んでいます。事実無根の俗説であるにもかかわらず、今日に至るまで竹中を諸悪の根源と思い込みたがる人が後を絶たないのは、なぜなのでしょうか。
社会不満が高まると、大衆は、やり場のない怒りのやり場を見つけようとするものです。世界恐慌後のドイツでは、ユダヤ人高利貸しといういかにも大衆の反感を買いそうなターゲットをナチスがカタルシスのためのスケープゴートに選びました。同様に、日本でも、いかにも大衆の反感を買いそうな発言を繰り返す竹中が、カタルシスのためのスケープゴートとして選ばれているのです。
スケープゴート叩きは、大衆の鬱憤晴らしにはなりますが、大衆を真の解決策から遠ざけるという点で有害です。私は、竹中と何の利害関係も有さないので、竹中がいくら叩かれても、痛くも痒くもありませんが、それでも竹中擁護をするのは、大衆が真の諸悪の根源を見誤っている限り、日本が良くなることはないだろうと考えているからです。
小泉と竹中を非難する人は、労働者派遣法改正だけでなく、郵政民営化をはじめとする新自由主義的な構造改革が日本の貧困化をもたらしたと考える傾向にあります。
昭和の時代は一億総中流社会で、誰もが豊かな生活を享受できた。もしも昭和のやり方をそのまま続けていたなら、昭和の一億総中流社会を維持できたはずだ。それゆえ、古き良き昭和を破壊した小泉と竹中が悪い…
こういう論理で新自由主義を批判する人は今でも多数います。しかし、昭和の豊かさは、ネズミ講によってもたらされた一時的なボーナスにすぎず、持続可能ではありません。小泉と竹中の改革で日本が大きく変わったという事実はなく、むしろ、ネズミ講という昭和の古いしきたりがそのまま続いたことで失われた30年となったのですから、昭和へのノスタルジーから新自由主義を批判することは極めて的外れと評せざるを得ません。
バブル景気の崩壊と不況が原因なのか
規制緩和説とともに広く信じられているのが、バブル景気崩壊説です。規制緩和説は全くの間違いですが、バブル景気崩壊説は必ずしも間違いではありません。不況になれば、失業率が増加するのは、世界共通の現象です。日本も例外ではありません。しかし、海外では、景気が改善すると、失業率が低下します。10年以上も就職難の時期が続くのは、世界的に見て異常なことなのです。
実は、バブル景気が崩壊したといっても、1993年から2004年にかけての就職氷河期を通してずっと不況であったのではありません。内閣府経済社会総合研究所は、1951年以降の16回の景気循環を認定している[26]ので、以下、バブル景気からコロナショックに至る6回の景気循環の基準日付を紹介しましょう。
景気循環 | 景気の谷 | 景気の山 | 景気の谷 |
---|---|---|---|
第11循環 | 1986年11月 | 1991年2月 | 1993年10月 |
第12循環 | 1993年10月 | 1997年5月 | 1999年1月 |
第13循環 | 1999年1月 | 2000年11月 | 2002年1月 |
第14循環 | 2002年1月 | 2008年2月 | 2009年3月 |
第15循環 | 2009年3月 | 2012年3月 | 2012年11月 |
第16循環 | 2012年11月 | 2018年10月 | 2020年5月 |
就職氷河期の間に二回も好況があったのですから、たんなる不況で説明がつく話ではありません。もとより、バブル崩壊後、今日に至るまで低成長が続いている以上、循環的に訪れる並の好景気で労働市場が大きく改善することはないと反論する人もいるでしょう。しかし、それなら、2012年以降、労働市場が急速に売り手市場となったことは、どう説明するのでしょうか。
以下のグラフの青線は、日本の一人当たりGDPの成長率を示したものです。赤色の二次近似曲線を見ればわかるとおり、1973年までの高度成長期(高度経済成長期)、1991年までの安定成長期と比べて、1991年以降の低成長期の水準が低くなっています。

一人当たりGDPの成長率は、2012年から2020年までのアベノミクスの期間において、それ以前の就職氷河期と比べて高くなかったのにもかかわらず、完全失業率が急速に低下し、氷河期世代の正規雇用労働者化が進みました。それは、しばしばアベノミクスの成果として宣伝されますが、実際には、2012年から2014年にかけて団塊の世代が65歳となって定年退職し、新たに若い人材を確保するニーズとともにリソースの余裕が企業に生まれたことが大きいと考えられます。
内閣府が1993年から2004年までの期間を就職氷河期と定義し、リーマン・ショックや東日本大震災による就職難の時期を含めないのは、後者においては、前者ほど新卒者が就職できない時期が長引かなかったからです。そしてこのことは、就職氷河期がたんなる不況によって生まれたのではないことを物語っています。就職氷河期は、史上最大数のベビーブーム世代が、ほとんど解雇されずに、不当に高い賃金を受け取った結果、企業が次のベビーブーム世代にまともな仕事を与えるリソースを欠いた特異な時期なのです。
不況が労働市場を悪化させるのは、世界共通の普遍的現象です。日本で特殊なのは、不況になっても既存の正規雇用労働者がほとんどレイオフの対象にならず、そのしわ寄せが非正規雇用労働者や新たに就職を試みる者に行くことです。卒業時の好不況がその後の実質年収に与える影響を日米で比較した研究[28]によると、その違いは、レイオフが可能な米国では短期間に消滅するが、終身雇用を採用している日本では長期にわたって続きます。それゆえ、就職氷河期は、不況のような一時的要因によってではなくて、終身雇用年功序列という長期にわたって続く構造的要因によって説明されなければならないのです。
ここで、そもそもバブル景気崩壊後の失われた30年と呼ばれる長期の経済低迷の原因は何なのかを考えましょう。ちょうど労働者派遣法の規制緩和が原因で就職氷河期が生まれたのではなく、逆に、就職氷河期が生まれたのからこそ、労働者派遣法の規制緩和が推進されたように、長期的な低成長が原因で就職氷河期が生まれたというよりも、むしろ、就職氷河期が生まれたからこそ、経済が長期的に低成長になっているのではないでしょうか。
内閣府の令和四年度年次経済財政報告[29]は、以下のグラフに基づいて、実質GDP成長率を要因分解して、一人当たり労働時間の減少が押し下げ要因になっていると主張しています。

失われた30年の間、就業者数の増加は押上げ要因になっています。それゆえ、実質GDP成長率の低迷は、人口オーナスでは説明できません。押し下げ要因となっているのは、一人当たり労働時間です。就職氷河期において累積値が押し下げられているので、累積値は、就業者に占める非正規雇用労働者の割合の推移を反映していると解釈できます。非正規雇用労働者を必要な時に必要なだけ活用することで、時間当たり労働生産性は上昇したけれども、一人当たり労働時間が減少するので、実質GDP成長率が低迷したということです。
日本経済を低迷させた要因は、労働投入量の減少だけではありません。私は、2021年のビデオ「日本経済はなぜ没落したのか」で、日米の全要素生産性の推移を比較し、1991年まで日本が米国以上にイノベーションを進めたけれども、1991年以降逆転した事実を指摘し、日本経済没落の原因を、日本国内から破壊的イノベーションが起きなくなったこと、より根本的には、終身雇用年功序列で労働市場の流動性が低下したことに求めました。
もしも日本企業が、米国企業のように、バブル崩壊後の不況下で中高年の正規雇用労働者を解雇できたなら、景気回復局面で若い人材を正規雇用労働者として雇用できたことでしょう。しかし、整理解雇の4要件を満たすことは難しく、日本企業にはそれができませんでした。団塊二世は、1983年に発売されたファミコンで遊び、ワープロやパソコンで卒論を書いたデジタル・ネイティブな世代です。ITに弱い旧套墨守の中高年の正規雇用を守るために、ITに強い進出気鋭の若手の正規雇用を犠牲にし、次世代の人材育成を怠った結果、日本企業はイノベーションの能力を失い、IT化にも適応できずに、没落しました。その意味で、「就職氷河期が生まれたから、経済が長期的に低成長になっている」という逆の因果関係が成り立つのです。
氷河期世代にかけられるさらなる負担
氷河期世代が氷河期を迎えたのは、受験と就職の時だけではありません。この章では、団塊世代の定年退職後にも氷河期世代にのしかかる新たな負担を指摘した上で、氷河期世代救済に何が必要かを考えます。
今もなお続くもう一つのネズミ講
2012年以降、団塊の世代が定年退職したからといって、ネズミ講オーナス終焉とはなりません。なぜなら、日本には、年功序列とは別に、賦課方式の公的年金と高齢者の負担が低い公的医療保険というもう一つのネズミ講があるからです。どちらも、現役世代から退職した高齢者へ所得を移転するがゆえに、ネズミ講として機能しています。
戦前に作られた公的年金と公的医療保険は、当初、国庫負担はほとんどなく、受益者負担の原則に基づいていました。1922年に制定された健康保険法は、従業員10人以上の企業に、健康保険組合を通して従業員の健康保険の提供を義務付けましたが、保険料は労使の折半とされ、国庫負担は、健康保険組合が支払い不能になる場合に限られました[30]。1942年から実施された労働者年金保険(1944年に厚生年金保険と改称)も、当初、私的年金保険と同様に、現役時代に納付した保険料を積み立て、老後に保険金(年金)を受け取る積立方式を採用していました。どちらも、最初からネズミ講方式を採用していたのではなかったのです。
ところが、戦後、国は、国民皆保険を達成すべく、年金と医療保険に対して財政支援を始めました。1958年に国民健康保険法を改正し、全ての市町村に地域保険制度の設立を義務化し、その執行のための国庫負担を決めました。また、1959年に国民年金法を制定し、すべての国民を年金保険の対象としました。国は、受給に必要な加入期間を満たせない高齢者や障害者に対して無拠出の年金を支給し、被保険者が拠出する場合でも、給付に要する費用の三分の一を国庫負担としました。
この程度なら、ネズミ講とは言えません。公的年金と公的医療保険が本格的なネズミ講になったのは、1973年の所謂「福祉元年」においてです。当時の総理大臣、田中角栄(在任期間:1972年7月 – 1974年12月)は、年金制度を改正して、給付水準を大幅に引き上げ、さらに、老人福祉法を改正して、老人医療費を無料化しました。今から見れば、後に禍根を残す不当な高齢者優遇策ですが、当時反対する世論はあまり強くありませんでした。
その理由は二つあります。一方で、1973年時点での高齢者は、太平洋戦争の時代の現役世代であり、戦後の激しいインフレで老後の貯えを失ったために、生活に窮する人が多かったので、同情の対象となりました。他方で、支える側の現役世代は、長期の高度成長により、経済的負担能力が高まっていました。特に数が多い団塊世代は、1973年時点で、元気な24歳から26歳です。支える側の能力と支えられる側の必要性から、世論の支持を得たのです。
当時、全国各地に革新自治体が誕生し、八割超の地方自治体が老人医療費を無料化しました。田中は、国レベルで老人医療費を無料化しなければ、革新野党に政権を奪われるという危機感を抱き、高齢者優遇のバラマキ政治に踏み切ったのです。しかし、福祉元年は、すぐに行き詰りました。高度成長期が、1973年の石油危機で終わったからです。他方で、無償化された高齢者医療費は、1980年までに福祉元年以前の4倍以上に膨れ上がったため、1982年に高齢者に少額の自己負担を課す老人保健法が制定されました。
高齢者に求める医療の負担は、その後も大きくなりましたが、今でも、現役世代よりも多く医療保険を利用する高齢者の方が現役世代よりも保険料の負担率が低いのですから、公的医療保険が現役世代から高齢者への所得移転として機能している事実に変わりはありません。公的年金の方も、2004年に、年金の給付水準を社会情勢に応じて自動的に調整するマクロ経済スライドが導入されたことで、現役世代の減少に伴って給付水準が引き下げられるようになりましたが、公的年金が現役世代から高齢者への所得移転として機能している事実に変わりありません。
公的年金と公的医療保険がもたらすネズミ講オーナスは、近年ますます大きくなっています。以下のグラフは、税や保険料といった社会保障負担の対GDP比率の推移を示したものです。

赤線の日本の割合を、OECD加盟諸国の平均である緑線と比較してください。1973年の福祉元年以降、増加してはいるものの、安定成長期には、OECD平均の水準と大きく異なっていません。ところが、低成長期には、OECD平均の水準を大きく超えて上昇しています。これは、高齢化に伴い、分子の社会保障負担が増える一方で、分母のGDPが伸び悩んだためです。団塊世代が定年退職を始めた2012年以降、現役世代の負担は記録的な高さにまでなっています。
年金や医療のネズミ講化は、他の国でも起きていますが、団塊世代の数の多さと平均寿命の高さゆえに、日本でのネズミ講オーナスはとりわけ苛烈を極めています。団塊二世は、団塊世代の定年退職のおかげで正規労働雇用にありつけたものの、手取りの少なさに苦しんでいます。年功序列によるネズミ講オーナスが終わったかと思えば、次は社会保険によるネズミ講オーナスです。それなら、団塊世代の大半が死去したなら、晴れてネズミ講オーナスから解放されるのでしょうか。残念ながら、そうなりそうではありません。団塊二世の行く手には、少子化対策がもたらす逆ネズミ講オーナスという新たな負担が待ち構えているからです。
逆ネズミ講としての少子化対策
長らく過剰人口が重大な社会問題であった日本で少子化が問題視されるようになったきっかけは、1989年の合計出生率が戦後最低の1.57を記録した「1.57ショック」です。以後、日本政府は、1994年のエンゼルプランを皮切りに、たびたび少子化対策を講じましたが、当初の対策は、ワーク・ライフ・バランスの実現、保育サービスの充実などの子育て支援策が中心でした。そうした少子化対策は、既に子供がいる家庭への支援になったものの、結婚と出産を新たに促進する効果はほとんどありませんでした。その結果、団塊二世の子の世代である団塊三世が幻のベビーブーム世代になったことは既に述べたとおりです。
そこで近年、日本政府は、より露骨なバラマキ政策に踏み切るようになりました。令和元年(2019年)に、安倍総理大臣(当時)は、全世代型社会保障検討会議を設置し、「お年寄りだけでなく、子供たち、子育て世代、更には現役世代まで広く安心を支えていくため、年金、医療、介護、労働など、社会保障全般に渡る持続可能な改革を更に検討していきます[32]」と述べ、消費税増税を財源として、3歳から5歳までの幼児教育と保育を無償化した一方で、高齢者の医療負担を高めました。かくして、令和元年は、全世代型社会保障元年となったのです。
バラマキ的な少子化対策は、それ以前にもありました。2009年の政権交代で、民主党が公約に掲げた子ども手当や高校無償化もバラマキ的でしたが、16歳から18歳までの子どもがいる家庭に対する所得税や住民税の控除の廃止を主要な財源としていたので、子育て世帯以外に負担をかけない制度設計となっていました。しかし、安倍首相のように消費税を財源にしようとするなら、2019年時点で38歳から46歳になっている団塊二世の大部分は、その恩恵に与れないまま、負担だけをすることになります。
さらに一部の自治体は、私立高校や大学にまで完全無償化の範囲を広げつつあります。こうした教育無償化の流れは、かつての老人医療費無料化を彷彿させます。福祉元年以降の高齢者へのバラマキが、上の世代が下の世代を搾取するネズミ講を開始させたように、全世代型社会保障元年以降の子育てへのバラマキは、下の世代が上の世代を搾取する逆ネズミ講を開始させるのではないかと危惧します。もちろん、団塊二世の中には、子供が教育無償化の対象となる人も出てくるかもしれませんが、貧しさゆえに結婚できなかった団塊二世は、自身が教育無償化の恩恵に与れないだけでなく、結婚できるほど裕福な家庭の教育費まで負担させられてしまいます。
高齢者に偏った福祉を是正し、子供や子育て世代への支援を手厚くする「全世代型社会保障」は、公平でバランスが取れていると思うかもしれません。しかし、それは、世代が固定されているならばの話です。実際には、世代は時代とともに年を取るので、社会保障の方針を高齢者優遇から若者優遇に方針を変えると、過渡期に位置する団塊二世は、若い時は高齢者に搾取され、高齢者になると若者に搾取されるという踏んだり蹴ったりの人生となってしまいます。団塊二世は、もはやたんなる就職氷河期世代ではなく、高倍率受験競争から低年金老後に至るまで災難続きの人生氷河期世代となりつつあります。
団塊二世の悲劇は、その数の多さに起因します。団塊二世の上の世代である新人類世代は、団塊世代よりも数が少ないので、本来この世代がネズミ講オーナスの被害者となるはずです。しかし、新人類世代は、自分たちよりも数が多い団塊二世との間にミニピラミッドを形成しているので、ミニネズミ講ボーナスを享受できました。これに対して、団塊二世は、下の世代との間で逆ピラミッドを形成しており、ネズミ講ボーナスが期待できないどころか、逆ネズミ講オーナスを押し付けられるのです。上の世代も下の世代も、数が多いことを良いことに、寄って集って団塊二世を食い物にしています。このような不公平で理不尽な搾取を「支え合いの精神」などという偽善的な理念で美化すべきではありません。最後の項では、ネズミ講問題の本質を明らかにしたうえで、ネズミ講オーナスから脱却する根本的な方法を考えたいと思います。
ネズミ講オーナスから脱却するには
日本でネズミ講が幅広く採用された理由は何でしょうか。私は、「日本的経営が誕生した理由は何か」で、終身雇用と年功序列を特徴とする日本的経営とは、「本物の社会主義革命あるいは共産主義革命を阻止するための妥協策として生み出された疑似社会主義的な経営方法」と説明しました。日本の社会主義的な制度は、常にこの口実で導入されてきました。農地改革による農地の再分配も小作人を革命の担い手にしないための疑似社会主義革命でした。田中角栄が「福祉元年」という社会主義的なバラマキ政策に踏み切ったのも、革新野党への政権交代を阻止するためでした。
もとより、餓死者が出るほど貧しかった敗戦後の日本で擬似社会主義的なシステムが導入されたのは、止むを得なかったのかもしれません。そこで、日本は《能力に応じて働き、能力に応じて受け取る》という資本主義の原則を否定し、《能力に応じて働き、必要に応じて受け取る》という共産主義の原則を採用し、年功序列というネズミ講を作りました。また、受益と負担の一致という保険の原則を否定し、太平洋戦争の現役世代であった高齢者には負担なき受益を、後の世代には受益なき負担を差配するバラマキ福祉を採用した結果、現役世代から高齢者に所得を移転する年金と医療というネズミ講を作ることになりました。
してみると、今日ネズミ講オーナスで氷河期世代が苦しんでいるのは、小泉と竹中のせいでもなければ、田中角栄のせいでもなく、根源的には、太平洋戦争での敗北のせいということになります。もちろん、ネズミ講を始める前提として、人口増加があります。日本の人口は、明治以来増加傾向にあり、一部の民間企業が、戦前から年功序列的な賃金体系を採用し始めたのは、人口増加を当て込んでのことでしょう。しかし、戦後の日本で、 ネズミ講方式の損失補填スキームが大規模に導入された背景には、太平洋戦争での敗北があります。
太平洋戦争の現役世代は、「欲しがりません勝つまでは」をスローガンに、苦難に耐えましたが、負けたために、戦争への献身が報われることはありませんでした。敗戦の損失はあまりにも大きかったので、世代内での補填が困難となり、戦後生まれた団塊世代が補填することになりました。団塊世代のスローガンは、「欲しがりません年を取るまでは」といったところでしょうか。こうして損失補填を次の世代へと先送りするネズミ講が誕生しました。団塊世代の次の新人類世代も「欲しがりません年を取るまでは」ですが、ゆとり世代以下の今の若者は「欲しがります最初から」なので、間に挟まれた団塊二世は「欲しがりません永遠に」になってしまいました。かくして、団塊二世は、人生氷河期世代となったのです。
敗戦による損失を戦争の現役世代だけで補填できなかったのは仕方がないことだとしても、その負の遺産を団塊二世という特定の世代に押し付けることは、フェアではありません。アルバニアでは、国民の半分以上が参加していたネズミ講が破綻したのをきっかけに、1997年に暴動が起き、内乱状態となりましたが、日本ではそれよりももっと大きなネズミ講の被害が出ているにもかかわらず、最大の被害者である団塊二世は暴動すら起こそうとしません。2024年10月にガソリンポリタンクを積み込んだ自動車で自民党本部と首相官邸を襲撃した団塊二世の男(49歳)がいました[33]が、せいぜいこの程度なのですから、団塊二世は実におとなしいと言えます。しかし、おとなしいからといって、いくらでも搾取してよいということにはなりません。
ネズミ講オーナスから脱却するには、報酬と貢献、受益と負担を一致させない社会主義から脱却する必要があります。かつて、日本は世界で最も成功した社会主義国家と称えられたことがありましたが、日本型社会主義の成功と思えた80年代までの繁栄も、ネズミ講ボーナスがもたらしたまやかしの繁栄に過ぎなかったのですから、結局のところ、社会主義で成功した国は、世界では皆無ということになります。ポスト工業社会の時代においては、新自由主義の方が成功するのですから、日本も社会主義から新自由主義へと経済構造を変えなければなりません。
日本では、新自由主義のせいで氷河期世代が作られたと吹聴する俗説が流布していますが、新自由主義は、自助自立を原則としており、この原則を貫く限り、ネズミ講や逆ネズミ講は生まれません。もしも会社への貢献と賃金が一致するなら、賃金が増えても企業経営に悪影響を及ぼしません。もしも年金が私的年金のように積立方式なら、あるいはもしも医療保険が民間医療保険のように受益と負担が一致するなら、世代間の数の不均衡は問題になりません。
もちろん、自助自立といっても、自立できない人もいるのですから、そうした人には、元祖新自由主義者のミルトン・フリードマンが提案した負の所得税のような公助の仕組みが必要になります。そうしたピンポイントにターゲットを絞った公助のスキームは、ある世代が他の世代を丸ごと支えるネズミ講/逆ネズミ講のスキームとは異なり、社会全体の負担が大きくありません。
新自由主義による脱ネズミ講をもう少し具体的に説明しましょう。団塊二世の負担を軽減するには、まず効果の出ない少子化対策をやめるべきです。ネズミ講を維持するためにネズミの数を増やすのではなくて、ネズミ講そのものをやめなければいけません。子供の数が減っても、高齢者が若返って、元気に働くなら、何も問題はないはずです。幸い、現在雇用が脱年齢化しつつあります[34]。生涯現役と自助自立を原則とし、それに対応できない人たちを個人単位で救済すれば、新自由主義のもと、最小限の負担と最大限の成果を出せるはずです。
参照情報
- 経済企画庁総合計画局『21世紀のサラリーマン社会: 激動する日本の労働市場』東洋経済新報社 (1985/8/1).
- NHKスペシャル取材班『中流危機』講談社現代新書. 講談社 (2023/8/23).
- 太田聰一『若年者就業の経済学』日経BPマーケティング. 日本経済新聞出版. (2010/11/1).
- ↑“「現代用語の基礎知識」選 ユーキャン 新語・流行語大賞.” 第11回 1994年授賞語.
- ↑内閣府『日本経済 2019-2020 人口減少時代の持続的な成長に向けて』政策統括官(経済財政分析担当). 令和2年2月. 第2章第2節.
- ↑就職氷河期世代は「ロストジェネレーション(ロスジェネ)」と呼ばれることもあります。しかし、これは、朝日新聞が、2007年の新年企画で命名したものなので、かなり後になって生まれた呼称です。
- ↑米国におけるように、1946年から1964年に生まれたベビーブーマーの子供の世代ということで、Y世代と呼んでもよいのですが、両者とも日本とは少しずれがあるので、日本式の呼称を使うことにします。
- ↑Data from 国立社会保障・人口問題研究所. “人口ピラミッド(1965~2070年).”『日本の将来推計人口(平成29年推計)』による推計値。
- ↑Data from e-Stat「年齢階級(10歳階級)別就業者数及び年齢階級(10歳階級),雇用形態別雇用者数四半期平均結果等」2001年以前は「労働力調査特別調査」の2月の値、2002年以降は「労働力調査詳細集計」の1~3月期平均。2011年は、東日本大震災の影響により被災地において調査実施が一時困難となったため、推計値。
- ↑Data from 独立行政法人労働政策研究・研修機構「年齢階級別完全失業率 男女計 10歳階級 1968年~2022年」資料出所:総務省統計局「労働力調査」. 2023年4月14日更新.
- ↑玄田有史「就職氷河期とその前後の世代について ─ 雇用・賃金等の動向に関する比較 ─」『社会科学研究』75巻 (2024/03/14): p. 1 – 31.
- ↑Data from e-Stat「就業状態・従業上の地位・雇用形態・雇用契約期間・農林業・非農林業・従業者規模,年齢階級別15歳以上人口」令和3年『労働力調査年報』I-B-第1表.
- ↑Data from 知るぽると「家計の金融行動に関する世論調査[総世帯](令和3年)」および「家計の金融資産に関する世論調査(平成16年)」の「金融資産保有額(貯蓄を保有していない回答者を含む)」
- ↑海老原嗣生. “ありもしない「氷河期世代」の低年金対策は必要か…大卒男性の非正規率「超氷河期」が最も低いという衝撃データ 氷河期世代対策ではなく全世代の就労困難者対策を.”『プレジデントオンライン』2024/07/09.
- ↑経済企画庁総合計画局『21世紀のサラリーマン社会: 激動する日本の労働市場』東洋経済新報社 (1985/8/1). p. 17.
- ↑経済企画庁総合計画局『21世紀のサラリーマン社会: 激動する日本の労働市場』東洋経済新報社 (1985/8/1). p. 3.
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- ↑経済企画庁総合計画局『21世紀のサラリーマン社会: 激動する日本の労働市場』東洋経済新報社 (1985/8/1). p. 111-112.
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- ↑太田聰一『若年者就業の経済学』日経BPマーケティング. 日本経済新聞出版. (2010/11/1). p. 173 – 176.
- ↑NHKスペシャル取材班. “「派遣法改正は失敗だった」と大臣もつぶやいた…非正規雇用を拡大した“張本人”たちの「本心」.”『現代ビジネス』講談社. 2023.09.08. このウェブ記事は『中流危機』から抜粋・編集したものとのことですが、同じ文言は、書籍内に見当たりません。それゆえ、編集者の見解かもしれません。
- ↑NHKスペシャル取材班『中流危機』講談社現代新書. 講談社 (2023/8/23). p. 93.
- ↑総務省統計局「就業状態・従業上の地位・雇用形態(雇用者については従業者規模)・雇用契約期間・農林業・非農林業別15歳以上人口」『労働力調査』調査年:2022年. 公開日:2023-01-31.
- ↑岩崎博充「氷河期世代がこんなにも苦しまされている根因」『東洋経済オンライン』2019/08/02.
- ↑鈴木傾城. “竹中平蔵が若者に仕掛けた罠。「1億総非正規」でも金を増やせる人間の思考.”『マネーボイス』2021年1月24日. p. 1.
- ↑ 25.025.125.2鈴木傾城. “竹中平蔵が若者に仕掛けた罠。「1億総非正規」でも金を増やせる人間の思考.”『マネーボイス』2021年1月24日. p. 2.
- ↑“景気基準日付 : 経済社会総合研究所 – 内閣府.” 景気基準日付 : 経済社会総合研究所 – 内閣府.
- ↑Data from Worldbank. “GDP per capita growth (annual %) of Japan." Accessed on 2024/10/15.
- ↑Genda, Yuji, Ayako Kondo, and Souichi Ohta. “Long-Term Effects of a Recession at Labor Market Entry in Japan and the United States.” Journal of Human Resources 45, no. 1 (January 1, 2010): 157–96.
- ↑内閣府「令和4年度年次経済財政報告」経済財政政策担当大臣報告. 令和4年7月.
- ↑西村万里子「日本最初の健康保険法 (1922 年) の成立と社会政策: 救済事業から社会政策への転換」『三田学会雑誌』83.特別号-I (1990): p. 152.
- ↑Data from OECD “Social security contributions Total, % of GDP, 2022." OECD Data Explorer. Accessed 2024/10/25.
- ↑安倍晋三「令和元年9月20日 全世代型社会保障検討会議」首相官邸ホームページ. 令和元年9月20日.
- ↑時事ドットコム. “一貫黙秘、動機解明焦点 大量のガソリン、どこで―官邸突入、26日で発生1週間.” 2024年10月26日.
- ↑太田聰一『若年者就業の経済学』日経BPマーケティング. 日本経済新聞出版. (2010/11/1). p. 155 – 160.
ディスカッション
コメント一覧
死ぬまで働け、とな。自決したほうがよくないか。
たぶん「働く」の意味を狭く解釈しているのではないでしょうか。例えば、定年退職後の高齢者がよくやっている投資だって、働いている内に入ります。
永井先生の動画投稿しばらくぶりですね。待ち望んでたのでとても嬉しいです。日本的社会主義からの脱却、新自由主義への転換は再三に渡り警告されていますね。私は、永井先生のブログを目にするまでは小泉・竹中批判を鵜呑みしていましたが、考えを改めるようになりました。そこで気になるのは、石丸フィーバーや国民民主党の躍進はどういった背景があるのかです。リバタリアン視点で石丸は支持しても大丈夫なのでしょうか?橋下徹が自由主義者でありながら国家主義者の側面も持ち合わせてるように、石丸もそういうややこしさがあるのでしょうか?それと、国民民主も石丸同様、ネットで支持拡大し、若者に人気のようですが玉木代表は積極財政を謳ってます。国民民主は大きな政府を標榜してるのに、新自由主義的な言動を繰り出す石丸に色目を使うのは変な話です。新自由主義へのネガティブなイメージは永井先生の記事や動画を拝見してかなり薄れましたし、規制緩和推進や既得権益を打ち破る姿勢を見せる政治家が増えるのは良いことだと思いますが、ネットの住人の支持欲しさにそういうポーズだけ取って既得権益と闘うヒーローみたいに振る舞う政治家が都合よく新自由主義っぽい言動をとると、ただでさえイメージがよくないのにますます新自由主義が悪いものとして見られないか不安になります
なるほど、WW2につながるんですね。WW2での各国の死者数は(英米仏伊<日独<ソ中)となっています。戦後の(西側・半西側・東側)に対応しています。
私にはこの構造がそのまま(団塊世代・団塊ジュニア世代・Z世代)に対応しているように思います。たとえば、ソ中が人口を減らしながらも戦勝国になったようにZ世代は世代人口が少ないことでむしろ勝っているように見えます。新人類世代は早めに産まれたことによってイタリアのように逃げ切ったようです。そして団塊ジュニア世代は日独のように負けています。
どうもネズミ講は地政学的な格差を世代間格差へと転換するようです。ドイツには詳しくありませんがドイツ版ネズミ講はあったのでしょうか。
石丸伸二は、改革者としての雰囲気を出してはいるものの、安芸高田市長として特に大きな実績があったとは言えません。東京都知事選でも、具体的な政策に乏しく、政治家としての能力には疑問符が付きます。橋下徹は、大阪府知事あるいは大阪市市長として、十分な改革の成果を出し、その結果、今でも彼の後継者及び彼が結成した政党が、大阪で支持されています。これに対して、石丸の市長辞職後に実施された市長選で、石丸市政の継続を訴えた熊高昌三が落選しています。安芸高田市民から評価されなかったということです。おそらく、YouTubeを使った広報能力という点では、石丸は橋下以上なのでしょうが、政治家としての能力という点では、橋下に及びません。
政治家は、人気者にあやかろうとするものです。橋下徹の評価が高まったころなどは、政治理念が全く逆の亀井静香までがすり寄ろうとしたぐらいです。他方で、石丸伸二の方も、国民民主党に人気が出てくると、それに乗ろうとします。2024年11月19日公開のReHacQの番組「石丸伸二と国民民主党・玉木代表が再び生対談」を観たのですが、今度の参議院選挙で国民民主党から出馬することをほのめかしたりしていました。他方で、石丸は、地域政党を結成して、今度の東京都議選に候補者を立てるためなのか、国政と地方政治は別であるべしとも主張していて、主張に矛盾があります。
たとえ政治家の個人的な動機が権力欲や売名であったとしても、結果として国民のためになる改革をしてくれるなら、それでよいと思っています。橋下徹も政治家になる前は、以下のように本音を言っています。
橋下は「政治家にそんな綺麗なものを求めるのはダメですよという趣旨」で書いたとのことです。正直に言うかどうかの違いで、政治家の大半は権力欲か名誉欲で立候補していると思います。
ドイツの年金制度も、日本と同様に、賦課方式を採用しています。しかし、終身雇用・年功序列を採用していないので、日本ほどネズミ講の弊害はありません。
YouTubeに投稿されたコメントとそれへの返答:
新自由主義は、もともとミルトン・フリードマンのまっとうな経済思想なのですが、彼の弟子(シカゴ・ボーイズ)が南米の独裁者の経済政策を指南したことから、評判が悪くなりました。しかし、それは、経済政策そのものの評価と分けて考えるべきです。
2021年における米国の相対的貧困率は15.1%と、日本の相対的貧困率、15.4%よりも低いので、実は日本以上に貧富の格差があるということはないのです。もちろん、米国にも、食料をフードスタンプに頼り貧しい人がたくさんいますが、移民が多いことも考慮に入れる必要があります。貧しい国から着の身着のままやって来た移民が、米国に来たとたん金持ちになるということはありません。
これまで払った年金の掛け金は、政府の負債ですから、受け取った年金との差額を利子を付けて返すべきです。また、年功序列で、後払いになった賃金を退職時に受け取れれうように、解雇の金銭解決制度を導入すれば、ネズミ講を廃止しても、不当な損失を被ることはありません。ベーシック・インカムをご提案ですが、予算規模が大きくなりすぎるので、その点、負の所得税の方が好ましいと私は考えています。
気になって相対的貧困率のグラフをみてきたのですが、2012年をピークに下落していました。私はこういった指標の改善は、第二次安倍政権の成果だと考えていました。がしかし今は、ただ単に団塊世代が定年退職したからだと考えています。