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高齢者の増加は有害なのか

2016年10月23日

老害批判は昔から存在するが、近年、若年者層に対する高齢者層の人口比率が増え、若年者層が高齢者層を支えるという日本の社会保障の理念が維持不可能になってきたため、高齢者叩きと社会保障制度批判が激しくなってきた。高齢者の延命よりも、もっと子育てに金を使うべきだと主張する人もいる。確かに日本の社会保障制度は抜本的な改革を必要としているが、少子高齢化のトレンド自体は否定されるべきではない。私たちは、高齢者を老害として排除するのではなく、高齢者から老害を排除するべきであり、年功序列システムを前提に高齢に引退を求めるのではなく、前提となっている年齢差別自体を廃止するべきである。

iGerd Altmann, truthseeker08, OpenClipart-Vectors によるPixabayからの画像をもとに私が作成

1. この国の主役は老人か若者か

2016年9月15日に民進党代表に選出された蓮舫(1967年11月28日 – )参議院議員は、19日(敬老の日)に「お年寄りの原宿」といわれる巣鴨で街頭演説を行い、「これからは、この国の主役が65歳以上になる。そんな日本をつくろうじゃないか。人口減少、高齢化の何が悪い」と発言した[1]

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東京巣鴨地蔵通り商店街の写真(2005年撮影)[2]

この発言に対して、音喜多駿(1983年9月21日 – )東京都議会議員は、「新しい時代をつくるのは、老人ではない!」と蓮舫を批判している。

高齢者が生涯現役で働ける社会、活躍の場を生み出すことは政治の重要な責務です。一方で、新しい社会を創り上げていくのはやはり若い世代の役割であって、控えめに言っても高齢者の方々はそれをサポートする立場に回るべきではないでしょうか。

経験というものは非常に大切ですが、一方で豊かな経験則が新しい挑戦を阻害することもあります。柔軟な発想や思い切った行動力も、年齢とともに失われていくのは確かなことで、これは誰も否定できない事実です(もちろん、例外や個人差はありますけども)。

ご自身も現役世代であり、なかなか引退しない政界の「重鎮」たちに頭を悩ませてきたであろう蓮舫氏は、そんなことを百も承知でわかっているはずです。であれば蓮舫氏が巣鴨・地蔵通りで訴えかけるべきことは、

「これから日本社会は大きく変革の時を迎えていきます。少子高齢化が進み、若い世代に支えられて老後を過ごすことは容易ではありません。これからはできる限りの自助努力で、高齢者の方々も同世代で互いに支え合えながら、自分らしく行きていこうではありませんか」

控えめに言ってもこうした内容ではないでしょうか。舞台の主役は、脇役に寄りかかって終幕を迎えませんからね。

そして政治家はいい加減、高齢者向けの社会保障を見直さなければ、将来世代への投資など不可能だということを認めるべきです。それはつまり、高齢者の方々に「痛みを取る」ことをお願いすることを意味します。

高齢者が投票の中心となる社会で、それは本当に勇気のいる行動でしょう。

ですが、既得権にまみれて老人政党になった自民党には絶対にできない、その一歩を踏み出すことこそ、20年後・30年後のことを考える将来世代の政治家の責務ではないでしょうか。[3]

「控えめに言っても」と繰り返し、発言を抑制しているが、要するに、この国の主役は若者であるべきで、老人は早く主役の座を若者に譲り渡せということだ。

しかし、そもそもこの国の主役が老人か若者かという議論自体がおかしくはないのか。老人と若者を男と女に入れ替えて考えてみてほしい。もしも政治家が「この国の主役は男だ」とか「否、これからはこの国の主役は女であるべきだ」とかいった議論を公然と行うなら、性差別主義者と非難されるだろう。日本でなら大目に見られるかもしれないが、他の先進国では、こうした類の発言は、ポリティカル・コレクトネスに反すると見做される。

人はその能力で評価されるべきであって、性別、年齢、人種など非本質的な属性で差別されるべきではない(それらの属性が本質的な意味を持つ場合の区別は除く)。左翼の中には、能力に基づく評価すら否定する人もいるが、能力に応じた資源配分の差別化は、社会全体の生産性を高め、再配分を通じて社会の構成員全体の利益になるから、肯定されるべきだ。

ところが、日本ではこうした合理的な平等主義がなかなか普及しない。2016年5月24日、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律案」、通称ヘイトスピーチ規制法案が可決された[4]が、これは、「本邦外出身者に対する不当な差別的言動」の解消を目指したもので、もとからの日本人に対する不当な差別的言動は規制の対象外にしている。民族差別を禁止する法律自体が民族差別を行うというのはおかしくないのか。日本社会では、一方で伝統的な女性差別が根強く残る半面、女性専用のカラオケなど、根拠不明の女性専用サービスがあったりする。

このように、日本では、差別主義者と差別主義的な反差別主義者が対立するという状況がよく見られる。年齢差別に関して言うならば、一方で、先輩/後輩関係に基づく年功序列システムがあり、他方で、その価値観を単純に逆にしただけの老害批判があり、年齢差別を根源的に克服したエイジレス社会を目指そうという人があまりいない。しかし、日本以外の先進国では、社会のエイジレス化が進んでおり、日本のように公然と年齢差別が行われることはない。40歳以上であることを理由にグーグルから採用を断られたと主張するソフトウェア・エンジニアが、年齢差別だとして集団訴訟を起こした[5]という最近の話題からもわかる通り、米国では、年功序列、定年制、採用時の年齢差別が原則として禁じられており、採用のための応募書類には、人種、性別だけでなく、年齢までも記載不要項目になっている。

40歳を超えて、高齢になるにつれ、身体に様々な障害が発生しやすくなる一般的な傾向があることは事実だが、老化のスピードは人によってさまざまで、年齢だけで個人の能力を評価することは不当である。能力本位の選抜を行ったところ、選抜されたグループがそうでないグループと比較して、性別、年齢、人種などの属性に関して偏りがあったとしても、結果としての偏りなら問題はない。重要なことは競争への参入機会の均等であって、競争の結果の平等ではないからだ。

日本でこうした合理的なエイジレス社会がなかなか実現しないのは、年齢差別が、非対称的贈与システムにおいて互酬的になっているからだ。通常、差別においては、差別されて、不利益を被る側が差別の解消を求める。ところが、年齢差別では、若年者層が高齢者層に搾取されても、その不利益は、若年者層が高齢者層になることで補償されるので、非対称的贈与が互酬的である限り不満が出てこない。それどころか、いったん非対称的贈与システムが稼働し始めると、互酬性が崩れることを恐れて、高齢者層がこのシステムの廃止を拒否するようになる。

物々交換に代表される対称的贈与システムでは、受益と負担が共時的に交換される。贈与システムに貨幣が媒介しても同じことである。ハイパーインフレで、紙幣が紙くずになるリスクがないわけではないが、基本的には、「負担なき受益者」も「受益なき負担者」も認めない対称的な交換システムである。しかし非対称的贈与システムでは、ギフトとカウンターギフトとの間に差延があり、かつ構造的に誰かがババをつかまなければならないようになっている。もちろん誰もババをつかみたくない。だから、非対称的贈与システムは、ネズミ講と同様に、被害者を出さないためには常に新たに被害者を作り続けなければならない。[6]

ネズミ講は、親会員よりも子会員の方が多い時は成り立つが、逆になると破綻する。「世代間の支え合い」を理念としながらも、加入率の低下で存続の危機にある国民年金がその代表例だが、本来掛け捨て型のはずの公的医療保険でさえ、世代間の不公平感が強まっている。

以下の図は、年齢階級別に医療費の受益と負担を示したもので、事業主負担は、実質的には本人負担の一種であると考えるなら、若年世代が負担者となり、高齢世代が受益者となっていることがよくわかる。

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年齢階級別の一人当たり医療費・患者負担額及び保険料について[7]

高齢世代が増えるにしたがって、若年世代の負担感は増す。その結果、「世代間の支え合い」を止めろ、年金も保険も廃止しろという声が若年世代から上がることになる。これを露骨に言って炎上した有名人がいる。フリー・アナウンサーの長谷川豊(1975年8月12日 – )である。

2. 長谷川豊の社会保障批判は正しいのか

2016年9月19日、長谷川は、「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」と題する記事を書き、世間から非難を浴び、出演していたテレビ番組全てを降板するという社会的制裁を受けた。この記事の中で、長谷川は、人工透析を受けている患者に対して、「遺伝的な疾患も確かにあります。しかし、私の見立てでは…8~9割ほどの患者さんの場合「自業自得」の食生活と生活習慣が原因と言わざるを得ません」という「あるお医者さんの話」を引用し、公的支援は不要であると主張する。長谷川は、さらに話を一般化し、「私は「健康保険制度」と「年金」をすべて解体すべきだと考えています」と言う。

今の日本は夏の間に遊びまくって、働いているアリさんをバカにし続けて、演奏するどころか寝そべってグウタラしていたバカキリギリスたちが、必死に働き、真面目に生き、食料を冬に向けて備蓄していたアリさんの食糧庫から、

だって俺たち、餓死しちゃうし~
日本は「最低レベルの文化的な生活」が出来るはずだし~

と我が物顔で、食料を取りまくっていっているのです。そして、アリさんたちはあまりに食料を取られ過ぎているために、子供すら作れなくなっているのです。

なんなんだよ、これ。

キリギリスは餓死しなければいけないのです。でなければ、アリさんはやる気を失うのです。やる気を失ったアリさんがキリギリスに変身してしまうのです。それは当然の流れなのです。だって、人間の脳は「出来るだけ怠ける方向に」動くように出来ているからです。

喜んでいるのは「キリギリスさんがかわいそうでしょ~」とのたまってる「自称:人権派」を名乗るバカだけという現状。「優しいこと言ってる自分が大好きな」人間達ですね。あのバカたち、オナニーしてるだけです。救おうなんて思っていません。「救ってる自分」が気持ちいいからやってる連中です。

日本の利権まみれの保険システムと年金システムなんぞ、1秒でも早く解体しろ!日本の病魔の一つが「保険」であることは確かなのです![8]

キリギリスが夏(現役時代)に遊んで貯蓄せず、冬(引退後)になって、アリを搾取するおかげで、アリは子供を産めなくなっている。このままでは日本が滅びるので、そういうキリギリスは、助けずに殺せという主張である。確かに、現在の日本の公的年金・医療保険システムには大きな問題があり、抜本的な変革が必要であるが、最低限の生存権を保証するセイフティ・ネットまでが不要だとは思わない。

長谷川の議論にはいろいろ問題がある。まず、長谷川は「「先天的な遺伝的理由」で人工透析をしている患者さんを罵倒するものでは全くありません」と言うが、先天的な理由でなる場合と後天的な理由でなる場合の境界線ははっきりしておらず、先天的な要因と後天的な要因が重なって、腎不全になり、人工透析が必要になるケースもある。また、後天的な要因に関しても、現代医学の限界で、決定的なことはまだよくわかっておらず、一概に「自業自得」とは断定できない。長谷川が言及している「あるお医者さん」は、彼が理事を務める若手医師による一般社団法人「医信」関係の医師と推定されるが、医師が患者の私生活を完全に把握しているはずもなく、「8~9割ほどの患者さんの場合「自業自得」の食生活と生活習慣が原因」というのもたんなる憶測にすぎない。

もちろん、暴飲暴食や運動不足によって糖尿病性腎症のリスクが高まるのは事実であり、健康管理に努力した人が払った保険料がそうでない人の保険金として使われることがモラル・ハザードを惹き起こさないとは言えない。しかし、保険とはそもそもそういうものである。不注意な人ほど保険事故で保険金が支払われやすく、注意している人ほど保険料以上の保険金は受け取れない。だからといって、保険を全廃してしまうと、私たちはそうでない時よりももっと緊張した日々を送らなければならず、そのストレスだけで健康を損なうことになりかねない。私たちを過剰なストレスから解放するためにも、保険は必要だ。人間は完全な存在ではないのだから、常に注意し続けるということは不可能であり、長谷川自身、不注意な発言で仕事を失ったが、そうした自分に対して「不注意な発言で仕事を失うのは自業自得だから死ね」と言うのだろうか。

もとより人工透析の費用の高さは大きな問題だ。一ヶ月の透析治療の医療費は、患者一人につき外来血液透析で約40万円、腹膜透析(CAPD)では30~50万円程度が必要と言われるが、高額療養費の特例として保険給付され、透析治療の自己負担は一か月一万円、一定以上の所得のある人でも二万円が上限となっており[9]、保険者にとって人工透析が大きな負担になっているのは事実だ。しかし将来、iPS 細胞から作製した腎臓による置き換えが可能になり、治療の費用が大幅に下がることが予想される。命は一度失われると二度と元には戻せないのだから、それまでのつなぎの措置として人工透析は必要である。

では、現在のところ治る見込みのない病気や障害を持った人の延命はどうか。そういう役に立たない人間は殺せという思想がナチス以来存在する。2016年7月26日に神奈川県相模原市緑区千木良の障害者施設「津久井やまゆり園」で45人を殺傷して逮捕された元職員の植松聖容疑者(26歳)もそういう思想の持ち主で、大島理森衆議院議長公邸に、以下のような「障害者が安楽死できる世界を」とする手紙を渡していた。

常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い 居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。

理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。

障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。

私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。

重複障害者に対する命のあり方は未だに答えが見つかっていない所だと考えました。障害者は不幸を作ることしかできません。

[…]戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。

今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。

世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。

私が人類の為にできることを真剣に考えた答えでございます。[10]

石原慎太郎はこの犯行に理解を示すような発言をしている[11]が、植松の思想は間違っている。私たちがするべきことは、この世から障害者をなくすことではなくて、障害者から障害をなくすことだからだ。

障害者と言うと特殊な人と思うかもしれないが、私たちはみな何らかの障害を持っているものだ。例えば、私は近視だが、その障害を眼鏡という道具で克服している。完全な存在ではない私たちは、その不完全性を道具の発明により克服しようと努力してきた。その努力の歴史が文明の歴史であり、その努力を否定することは文明の逆、すなわち野蛮である。植松の思想は、その意味で野蛮なのである。

最近、「障害者」という表現を避けて「障碍者」あるいは「障がい者」と書くことが多くなった。障害者とはその存在が障害である人ではなくて、障害を克服しようとしている人であり、英語圏では、そのことをはっきりさせようと、“disabled”という表現に代わって、“disability challenger”という表現を使おうという人もいる。もっとも私は「障害チャレンジャー」などという長々した呼称の使用を推奨することはしない。重要なことは、どういう言葉を使うかではなくて、どういう認識を持っているかだ。そうでなければたんなる言葉狩りになる。

障害者について当てはまることは、高齢者についても当てはまる。私たちは高齢者を老害として排除するのではなく、高齢者から老害を排除するべきだ。それは、すなわち、抗老化医学の普及と再教育の無償化により、高齢者が心身の新陳代謝を行い、エイジレスに働き続けることができるようにするべきだということだ。

3. 老人による若者の搾取が少子化の原因か

年功序列システムで主役になれない若者は、ともすれば「世代交代しろ」と言い、老人に引退を迫る。しかし、日本の定年制がそうしているように、一定年齢以上の高齢者を強制的に引退させると、まだ働ける高齢者を含めた引退世代全体が現役世代の負担になる。すると現役世代の間に「役に立たない老人は殺してしまえ」という殺意が芽生えることになる。2016年9月に神奈川県横浜市神奈川区の大口病院で入院患者2人が、界面剤が混入された点滴を受けて相次いで中毒死するという事件が起きた。犯人は2016年10月現在まだ捕まっていないので、動機は不明だが、この事件を受けて、シンガポールの華字紙『聯合早報』は、「日本には老人を捨て、憎む風潮が広がっている[12]」と伝えている。

長谷川は「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」を書く6日前に、「バカ老人が病院でお茶会をするために、若者たちから金を搾取る国=日本を改善せよ! 叩きなおすべきは「社会保障給付費」だ!! 」という記事を書いている。これを読むと、長谷川は、音喜多と同じようなシルバー・デモクラシー批判をしていることがわかる。

日本は「若者が必死で稼いだお金を、老人たちに搾取されるだけ搾取されている社会」が出来上がっているのです。

理由は簡単です。老人たちにゴマをすっておけば、政治家は次の選挙で当選できるからです。自分たちが権力者でいられて、地方政治家の基準で言えば世界的にはありえないほどの高い議員歳費=給料を税金からもらい続けることが出来るためです。

じゃあ、今の年金のシステム、このままでいいの? いや、その前に、今の健康保険料の支払いのシステムって、このままでいいと思ってるの?って話です。

いい訳ないでしょうが。

特におかしなのが医療費の支払い。 あるお医者さんに相当量のデータベースをもとに算出してもらったデータがあります。 ウォークインというのですが、緊急搬送などではなく、病院に患者さんが来ますよね?で、診察しますよね?そしてお薬出してもらいますよね?

本当に病院に来て、診察をしてお薬をもらう…つまり「ウォークインの患者」にその必要がある患者さんはいったい何割くらいだったと思います?

全体の1割にも満たなかったのです!!

要は、90%以上の患者さんは、ネットで知識を得たり、何より「一本電話の一つ」でもしてくれれば、それで解決できる状況…中には、大変タチの悪い話なのですが、病院の先生に会っておしゃべりに来るだけのご老人も、信じられないほどの人数いるのです。

そんなバカ老人たちのために、今の若者たちは搾取されるだけ搾取され…ついに「お金がなさ過ぎて」という理由で子供一人作れなくなってるのです!!!

何なんだよ、この国。

で、調べればわかります。答えは簡単だった。

病院に行って診察を受けるだけで、病院は「保険点数○○点」と言ってお金が入るのです。要は「病院の利益」です。で、お薬を出しますよ、と。そのお薬はまた保険からお金が出るので、こちらは「製薬会社の利益」になるのです。

言うまでもなく、日本の医療界を牛耳る「日本医師会」は自民党の大サポート組織です。 そして、製薬会社も同じく、自民党の大献金先。 そして、ご老人たちは、自民党の大応援団です。

結局、自民党の、自民党による、自民党のための日本政府が続くために、日本では、自民党に献金する集団や、自民党に票を集める組織、投票する人がみんな笑って楽しんで、儲かって暮らせるシステムが出来上がっていて、それが今は…

行き過ぎているのです。なので、若者たちが絶望する社会となっているのです。

切り捨てなければいけない利権があります。 切り捨てなければいけない「老人たちの甘え」があります。[13]

定年退職した高齢者が暇を持て余し、病院で暇つぶしをしているのは事実だ。しかし悪いのは、そうした「バカ老人」ではなくて、高齢者たちを引退させ、仕事をさせまいとする定年制と公的年金制度である。

公的年金制度の廃止方法に関しては「公的年金制度は必要か」で既に論じたのでここでは改めて取り上げない。ここでは、老人が若者を搾取しているおかげで、若者が子供を生めなくなっているという長谷川の主張が正しいのかどうかを考えたい。

長谷川は、9月20日の記事で「日本の若者たちのお金はもう限界という現実を直視せよ!」と書いている。

何なんだよ?この国?

でも、ここ数年、アベノミクスの効果で、少なくとも求人率は上がり、雇用数は増え、ほんの少しだけだけれど、景気は回復傾向になりました。

これを受けて…ほん~~~~の少しだけれど、合計特殊出生率も回復しているでしょう?まだ全然だけどさ。

金がないんです! もう、これ以上、若者たちから金なんてとるなよ! せめて、子育てしてる連中から金なんてとるな!

いや!

頼むから減税してやってくれよ!

子供なんて持てないさ。こんな国で。子供なんて産めないよ。こんなクズな保険・年金システムの国家で。[14]

確かに、今の日本の若者は相対的に貧しい。しかし相対的貧困ではなくて、絶対的貧困という点で言うなら、太平洋戦争後の 1947~1949年の期間の方がもっと深刻だった。当時は餓死者が出るほど貧しかった。また、今の若者は将来を不安視していると言われているが、当時は日本という国が存続できるのかどうかもわからないほど将来不安があった時代だ。それにもかかわらず、出生数は過去に例をみないほど多く、後に団塊の世代と呼ばれる日本史上最大のベビーブーマーを作り出すことになった。

以下のグラフは、1900~2010年の日本の出生数と出生率を表している。このグラフを見ればわかる通り、赤線で示されている出生率は、国民の生活が豊かになるにつれて低落する傾向がある。特に、50-60年代の高度成長期、80年代のバブルの時期、景気が良くて、若者が相対的に豊かで、扶養すべき高齢者の数が多くなかった時期において、出生率が低下していることに注目されたい。ここからもわかる通り、若者が貧しいから、あるいは多くの高齢者を養わなければならないから、少子化が進んでいるのではない。

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1900~2010年の日本の出生数と出生率[15]

長谷川は能力論的アプローチをとっているが、私は必要論的アプローチをとりたい。すなわち、少子化が進んでいるのは、「子どもを作ることができない」からではなくて、「子どもを作る必要がない」からである。子供を作るという行為は一種の投資であり、子作りという投資が行われなくなったのは、投資のための資金がないからではなくて、投資のリターンが低くなったからだ。

太平洋戦争に敗れた後の日本は、1950年の朝鮮特需が始まるまで、極貧状態にあったが、それでも、かなりの生産年齢人口が戦争による死傷で失われ、かつ、平均寿命が五十歳程度であったという状況下で、戦後復興のため多くの労働力が必要であったからこそ、多くの子供が産まれた。実際、団塊の世代が中学校を卒業した頃には、求人倍率は三倍を超え、中卒者は「金の卵」と呼ばれて重宝された。ところが、バブル崩壊後の日本では、中学校どころか大学や大学院を出ても、なかなか就職できない状態が続いている。現代では、大量の若い労働力が求められなくなっているのだ。

現在、若者が貧しくなったといっても、俗に「シックス・ポケット」と言われるように、両親に加え、双方の祖父母が子供の養育や教育のために金を出してくれる時代だから、子育てのための資金が不足しているということはない。長谷川は少子化を高齢者優遇のせいにしているが、個人金融資産の六割が高齢者に集中しているという若者と老人の格差が少子化を惹き起こしているということはない。シックス・ポケットが期待できない場合でも、奨学金で金を借りることができる。本当に社会が人材を必要としているのなら、卒業後借りた金を返すことができるはずだ。

ところが、近年、奨学金の返済遅延が年々上昇し、自己破産する元学生が増えている。これは、教育がもはやリターンの見込めない投資になりつつあるということである。将来の展望はもっと暗く、今後、人工知能やロボットの進化により、テクノ失業(technological unemployment)が加速すると予測されている。それでもなお子供を産む人は、秀才教育に自信がある人とか、「子どもが可愛いから」といった純粋に非経済的な動機だけを持っている人とか、かなり特殊な人たちで、そういう人たちはそれほど数が多くはないから、少子化が進むことになる。

レイ・カーツワイル(1948年2月12日 – )は、人工知能の能力が現在の人類の全知性の10億倍になる技術的特異点(シンギュラリティ)を2045年頃と予測している[16]。一般の科学者たちうはもっと控えめな見通しを立てているが、いずれにせよ、人間の労働商品としての価値は今後急速に低下するだろう。そのことを考えるなら、当面の人手不足は、定年退職した高齢者や専業主婦などの人材を活用することで克服するべきであり、新たに生まれる子供の数を増やすことはするべきではないということになる。

4. 個体間新陳代謝から個体内新陳代謝へ

日本は、高度成長が終わった1973年をターニングポイントとして、工業社会から情報社会へと移行した。高度成長期の日本では、「消費は美徳」と言われ、大量生産、大量消費、大量破棄が行われた。しかし、石油危機をきっかけに資源の有限性が自覚され、公害問題の深刻化から、文明の持続可能性に対する関心が高まった。使い捨て文化が見直され、リサイクル等によって資源を末永く使う方向に社会の意識が変わった。

人的資源に関しても、物質的資源についてと同じことが当てはまる。高度成長期は「産めよ、増えよ、地に満ちよ」の時代で、平均寿命は今よりも短かったものの、出生率が高く、人口が急増した。しかし、出生数は、1973年に頂点に達した後減り続け、子供を量産する時代から≪少なく生んで大切に育てる≫時代へと変わっていった。

団塊の世代では、中卒でも「金の卵」であったということは、当時は子供を一人前に育て上げるためのコストが小さかったということである。平均寿命が短くて、一人前になるコストが小さいなら、たくさん子供を産むというのは合理的な戦略だ。しかし、文明が進歩するにつれて、一人前になるためのコストは上昇する。それならば、新しく子供を産むよりも、既に教育を受け、経験を積んだ人材を長く使った方が合理的ということになる。先進国では、途上国とは異なり、少子高齢化が進むのは、このためである。

今後、日本はもとより世界全体の平均寿命がどんどん延びることだろう。人間の生物学的な寿命は、120~125歳が限界とされているが、カーツワイルは、精神転送により、不老不死が実現可能と考えている[17]。不老不死といっても、たんに老衰で必然的に死なないということであって、事故や病気(ポスト・ヒューマンなら、コンピュータ・ウィルスによる感染など)で死ぬリスクはゼロにはならないので、新しい生命の供給が必要であるが、多くは必要としない。だから、精神転送が可能になるかどうかはともかくとして、少子高齢化は今後ますます進むことだろう。

このトレンドは、一口で言うならば、個体間新陳代謝から個体内新陳代謝へのパラダイム転換ということになる。システムを維持するためには新陳代謝が必要であるが、それは必ずしも、新しい個体を生み、古くなった個体を死なせるという超個体的な新陳代謝でなくても、個体内で行う新陳代謝でも構わない。私は「高齢者を老害として排除するのではなく、高齢者から老害を排除するべきだ」と言ったが、これは、すなわち、個体間新陳代謝ではなくて、個体内新陳代謝を推進するべきだということである。

これが時代の流れであることに気付いていない人は意外と少ない。「年寄りの延命は止めて、もっと子育てに力を入れるべきだ」と考えている若手論客は、生物学的には若いのかもしれないが、考えは古い。そして、出生率を高度成長期並みに高めれば、高度成長期のように経済が成長するという考えは、東京オリンピック、大阪万博、新幹線建設など、政府主導の財政出動を行えば、高度成長期のように経済が成長するという日本の懐古趣味の為政者たちの考えと同様、工業社会から情報社会へのパラダイム転換を無視した時代錯誤な考えである。

高齢者が、個体内新陳代謝を行うことで、健康寿命(自立して生活できる期間)を伸ばし、働き続けることができるなら、少子高齢化は社会にとって有害ではない。それどころか、ゼロから人材を育てるよりもコストのかからない方法である。では、個体内新陳代謝による若返りは、どうすれば可能か。今後、抗老化医学の最新の成果を踏まえ、個体内新陳代謝の方法について具体的に考えてみたい。

5. 参照情報

  1. 産経新聞. “民進党の蓮舫代表「これからの主役は65歳以上だ!」「敬老の日」に高齢者の聖地・巣鴨で演説 安倍晋三政権との対決姿勢も鮮明に” 2016.9.19 19:09.
  2. Kentin. “A photo of Sugamo Jizou Dori Shopping Center.” (Part) Licensed under CC-BY-SA. Wikimedia Commons, the free media repository. 平成17年5月19日 (木) 22:12.
  3. 音喜多駿. “「新しい時代をつくるのは、老人ではない!」敬老の日だからこそ、高齢化が進む日本が取るべき政策を冷静に考えたい.” 東京都議会議員 おときた駿 公式サイト. 2016年9月19日 23:55.
  4. 参議院. “本邦外出身者に対する不当な差別的言動の解消に向けた取組の推進に関する法律案.” 平成28年6月3日 現在.
  5. “Google is facing an age discrimination suit this week, where a judge ruled that other software engineers over the age of 40 who interviewed with Google but were not offered jobs can join the lawsuit. The suit was started by two job applicants, both over 40, who were interviewed but did not get hired.” John Dennis Mendiola. “Google Under Fire for Alleged Age Discrimination.” The Gazette Review. Oct 10, 2016.
  6. 永井俊哉. “非対称的贈与システム.” 2000年8月5日.
  7. 厚生労働省「患者負担について(高齢者の自己負担、高額療養費、かかりつけ医の普及の観点からの外来時の定額負担等).社会保障審議会 (医療保険部会) 第91回資料2-2. 2015年11月20日. p.12.
  8. 長谷川豊. “自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!.” 長谷川豊公式ブログ『本気論 本音論』2016年9月19日のウェブキャッシュ. その後タイトルは改められ、「医者の言うことを何年も無視し続けて自業自得で人工透析になった患者の費用まで全額国負担でなければいけないのか?今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!!」になった。
  9. 一般社団法人 全国腎臓病協議会. “透析治療にかかる費用.” 医療費について, 腎臓病について.
  10. 植松容疑者の衆議院議長公邸宛て手紙の全文 障害者抹殺作戦を犯行予告.” ニュース速報 Japan. 2016/7/26 15:52 最終更新.
  11. 「この間の、障害者を十九人殺した相模原の事件。あれは僕、ある意味で分かるんですよ」石原慎太郎×斎藤環 「『死』と睨み合って」『文學界2016年10月号』文藝春秋. 月刊版 (2016/9/7). p.128.
  12. 「日本舆论对这些事件做出分析,认为日本老化社会面对的首要难题是护理职场人手极度不足。同时,面对老化的日本,社会的护老温和度已大不如前。日本电视台昨日引用调查数据报道,“认为政府无需再为老弱提供福利”的民众有38%;同样问题在美国,所得的数据是28%。日本舆论还进一步指出,老年人口的增加使日本年轻一代负担更重,无形中对老者心生恨意,这也是日本近期“弃老、憎老”社会现象的根源所在。」符祝慧. ““弃老憎老”社会现象恶化 日医院被指“打点滴”杀老人.”『联合早报』2016年10月3日星期一 03:30 AM.
  13. 長谷川豊. “バカ老人が病院でお茶会をするために、若者たちから金を搾取る国=日本を改善せよ! 叩きなおすべきは「社会保障給付費」だ!!.” 長谷川豊公式ブログ『本気論 本音論』2016年09月13日.
  14. 長谷川豊. “繰り返す!日本の保険システムと年金システムは官僚から取り上げ民間に落とせ!.” 長谷川豊公式ブログ『本気論 本音論』2016年09月20日.
  15. Mc681. “日本の出生数と出生率(1900年から2010年).” Licensed under CC-BY-SA. 2016年2月21日.
  16. “I set the date for the Singularity—representing a profound and disruptive transformation in human capability—as 2045. The nonbiological intelligence created in that year will be one billion times more powerful than all human intelligence today.” Kurzweil, Ray. The Singularity is Near. CHAPTER THREE “Achieving the Computational Capacity of the Human Brain”. Duckworth Overlook, 2010/2/11. Kindle版. location 2441; 初版 The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology. Viking Adult (2005/9/22).
  17. “The Singularity will allow us to transcend these limitations of our biological bodies and brains. We will gain power over our fates. Our mortality will be in our own hands. We will be able to live as long as we want (a subtly different statement from saying we will live forever).” Kurzweil, Ray. The Singularity is Near. CHAPTER ONE “The Six Epochs”. Duckworth Overlook, 2010/2/11. Kindle版. location 434; 初版 The Singularity Is Near: When Humans Transcend Biology. Viking Adult (2005/9/22).