12月 152004
 

アニメ映画『千と千尋の神隠し』で、千尋の家族は、トンネルを潜り抜けて、八百万(やおよろず)の神々が住むあの世へと迷い込む。この異界観は、日本では伝統的で、その起源は縄文時代にまで遡る。なぜ縄文時代の日本人は、キリスト教や仏教などの世界宗教が想定するように、あの世が天にあるとは考えなかったのだろうか。

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縄文時代の住居の再現[1]。21世紀の森と広場(千葉県松戸市)。

1 : 縄文文化を知る手掛かりは何か

縄文文化を理解しようとするならば、縄文時代の遺跡からの出土品とともに、縄文文化を本土人以上に忠実に受け継いでいる琉球人とアイヌ人の民俗を研究しなければならない。

かつて、本土に住む日本人は、琉球人やアイヌ人を異民族扱いしたことがあったが、現在では、琉球人とアイヌ人の方が原日本人ともいうべき縄文人に近く、これに対して、本土の日本人は、原日本人と朝鮮半島から来た大陸系のモンゴロイドとの混血、すなわち弥生人であることが遺伝学的分析によって実証されるようになった。

宝来聡らの研究[2]によると、父系が縄文の血統かどうかは、“Y-haplogroups D-M55/D-M125”という日本人にしか見られないY染色体上の遺伝子の有無によって調べることができるのだが、この遺伝子の保有率は、本土人よりもアイヌ人の方が高い。ミトコンドリアDNAを用いた母系の血統の調査でも、同様の結論が出ている 。

なお、アイヌ人は、縄文の血統を受け継いでいるが、遺伝子分析によると、サハリンを含めた北東アジアの血統も受け継いでおり、純粋な縄文人とはいえない。この点、アイヌ人よりも沖縄人の方が、遺伝子的には、縄文人に近いと言える。

アイヌ人が文化的にも北東アジアの影響を受けているように、琉球人は中国大陸から文化的に影響を受けている。アイヌ文化も琉球文化も、縄文文化と全く同じではないことに気をつけなければならない。

2 : アイヌ人の鳥信仰

世界宗教の信者は、生前の行いが正しければ、死者の魂は天に昇るが、悪いことをすれば地獄に落ちると信じている。縄文文化の研究者である梅原猛も、仏教の影響を受けているためなのか、この信仰が縄文時代にも成り立つはずだと確信している。

古代人は他世界の強い信者であったと私は思う。天には神がいて、そこには先祖たちもいて、人間が死ねば、その天にある先祖たちの国に帰るのであろう。しかし、他世界はただ天のみではない。もう一つ、地の底にも他世界があり、それは黄泉の国である。いったんそこに落ちたら、絶対そこからもう出てこられない。人間は、死んで天の国に行くことを願い、地の底の黄泉の国に行くことを恐れる。[3]

ところが、梅原が書いた文章の中には、必ずしも古代の日本人が黄泉の国に行くことを恐れ、天に昇ることを望んでいたわけではないと読める箇所もある。

文武四年、道招の死において、日本最初の火葬が行われる。『続日本紀』は道招伝を異常に大きく記載するが、それは道招の偉大さを示すより、道招の火葬の衝撃を示すものであろうと私は思う。人間は死して黄泉の国へ行き、そこでこの世とは別な生を受ける。そういう信仰が大きく崩壊しようとする。人間は死に、一筋の煙になるのではないか。人麻呂が火葬の歌をつくっているのも、既に彼の時代が終わろうとしているのを感じ取っていたのであろうか。[4]

煙となって天に昇ることがなぜ「衝撃」なのか。それは、道招の火葬が行われる以前は、「死して黄泉の国へ行き、そこでこの世とは別な生を受ける」ことが人々の望みだったからではないのか。

もしも、縄文人が天国へ行くことに憧れているならば、空を飛ぶ鳥(またはその人格化である天使)への信仰があってもよさそうなのだが、縄文時代の遺跡からの出土品には、弥生時代の遺跡からの出土品とは異なって、鳥の絵が描かれていない。

一般的に言って、ある宗教が天父神と地母神のどちらに重きを置いているかは、鳥を崇拝しているか蛇を崇拝しているかで推測できる。縄文時代の土器や土偶には、縄で模った蛇の紋様が多く用いられている。縄文土偶は、ほぼすべて、女の像なのだが、髪が蛇で表されたものもある。だから、地母神崇拝の方が強かったと考えることができる。

梅原は、しかしながら、蛇崇拝にはあまり注目しない。縄文人は、むしろ蛇を危険な存在として、嫌っていたと考えているようだ。

洞窟は、石器時代の人間にとってかっこうの住処であった。それは夏は涼しいし、冬は暖かい。そして獣に襲われる危険もない。ただ唯一の侵入者は蛇であろう。蛇がどうしてあれほど多くの神話や昔話に出てくるか。それは、穴居生活のもっとも大きい障害者が蛇であるということを考えれば、おのずから明らかであるように思われる。[5]

これに対して、鳥信仰は、縄文時代にも、弥生時代と同様に、あるいはそれ以上に強くあったと梅原は主張する。その根拠は、アイヌの神事に用いられるイナウである。イナウとは、柳やミズキなどの棒に切り込みを入れたり、削りかけをつけたりした木製の幣束(へいそく)で、その役割は日本の祭壇に立てられる幣(ぬさ)に似ている。イナウは、鳥の羽の形に似ている。

イナウが鳥であり、このイナウに古い縄文時代の宗教の名残があるとするならば、既に弥生時代以前に鳥の信仰があったと考えざるをえない。そう考えた方がごく自然である。なぜなら、死んで人間が天へ行くという信仰が農耕とともに始まったとは考えにくいからであり、それは何万年前、あるいは何十万年前に狩猟採取文明の中で発明された思想にちがいない。狩猟採取民は動物と大変密接な関係を営んできて、当然鳥をこの霊界の使いと考えたにちがいない。その鳥の信仰がもし弥生時代にもたらされたとすれば、それ以前の日本人はどのような宗教の中で生きていたのか。まさか縄文時代の日本人が、死後の国をまったく信じない現代人のような合理主義者であったとはいえないであろう。縄文遺跡は、縄文の文明が最高に宗教的な文明であったことを明らかにしている。そこでは鳥が、弥生文明以上に強い役割を果たしたと考えられる。[6]

天国がないならあの世もないというここでの議論は、先ほど『日本の深層』から引用した文と矛盾しているようにも見えるが、要は、梅原は、地下にある黄泉の国が死後の理想郷であるということは全く思いつきもしなかったということである。

3 : アイヌ人の異界伝説

本当にアイヌ人は、死後魂が天国にいくと考えていたのだろうか。ここで、梅原がアイヌ研究の師と仰ぐ藤村久和の見解を分析してみよう。藤村は、アイヌの老人と生活をともにしながら、臨死体験をした人の証言に基づく、あの世に関する伝承を採取した。

それによると、なぜか共通して、眼の前に道があり、そこを歩いていくと、あの世の入り口である洞くつがある。洞くつへ入っていくと、今度は長いトンネルである。なおも進んでいくと、急に道が狭くなり高さも低くなる。その非常に狭苦しいところを通って行くと、やがて向こうにポツンと灯りが見え、先を急ぐとようやくそのトンネルが終わり、新しい世界が眼の前に広がる。右手は海岸で、左手は山である。道はさらに曲がりくねってうねうねと続き、どんどん行くと一本の小川があり、橋が架かっている。その橋を過ぎると、行く手にポツポツと家が見え、煙が出ている。火を炊いているということは、家々に人がいる証拠である。そこは、まるでどこかの村のようで、この世と違う情景はまるでないという。ここがあの世へ旅立つための準備場所なのである。

そこでは、自分の正体を見ることができるのはイヌだけである。イヌだけが自分に吠えかかる。そうするとそこで暮らしている人たちは、何かおかしなものが来たというわけで、自分に灰などいろいろなものを投げつける。それが体中にペタペタくっついてとれない。いくら手で払っても離れない。生死をさまよった人の話だと、これらのものは、そこから戻ってくる時、先ほどのトンネルのいちばん狭いところ、ようやく体が通れるところを通った時に、全部体から落ちてしまうという。この世のイヌも、人間には見えない魔物がくるとわんわんと吠える。すると人々は、そこへ向かって灰を投げたりするのだが、そのときに魔物の霊についた灰も、魔物が逆にこの世からあの世へ戻る時には同様に取れてしまうということになるのだろう。[7]

藤村によれば、図1に描いたように、霊は、「準備場所」にある一番高い山の頂点まで行き、そこから天空を越えてあの世の山へ行く。しかし、この「あの世へ旅立つための準備場所」は、「そこを指すアイヌ語から訳したものではなく、勝手に私がそう呼んでいるにすぎない[8]」、つまり、藤村の仮説に基づいて考え出された概念に過ぎない。

図1 藤村久和が描くアイヌ人にとってのあの世[9]の図を元に作成

もしも洞窟が「あの世の入り口」だとするならば、トンネルの向こうに広がる世界こそ「あの世」ではないのか。イヌと灰の話を見ても、トンネルを挟む二つの世界が対称的に語られている。

アニメ映画『千と千尋の神隠し』には、千尋の家族が、トンネルを潜り抜けて、八百万(やおよろず)の神々が住むあの世へと迷い込むというシーンがあるが、アイヌの異界観もこれと同じと考えて差し支えない。あの映画でも、千尋は、空の上にある別世界に行ったりはしない。トンネルの向こうが、そのまま神の世界なのだ。

藤村が、「あの世」を「あの世」と認めず、「準備場所」と考えたのは、梅原同様に、「あの世は天の上にあるはずであって、地面の下などにあるはずがない」という文明社会の先入見から脱していないからである。私は、この先入見を捨てて、図2で描いたように、アイヌ人にとってのあの世を地下に位置付けた。

図2 私が描くアイヌ人にとってのあの世

アイヌ人が語る「洞窟」は子宮、「長いトンネル」は膣、「非常に狭苦しいところ」は子宮膣部に相当し、この世からあの世へ生まれ変わる時、この世に生まれる時と同じプロセスをたどることになる。「非常に狭苦しいところ」を出る時に「灰のようなもの」が取れるのは、イザナキノミコトが黄泉の国からこの世に戻る時に行った祓(はらえ=払え)と禊(みそぎ=身削ぎ)に相当し、蛇の脱皮をモデルにしている。

4 : なぜアイヌのあの世はこの世と逆なのか

アイヌの人たちにとって、この世とあの世はあべこべの関係にある。

まず季節が逆である。だからこちらが冬であれば、むこうは夏になる。[…]それから、昼と夜とが逆である。こちらが昼の時は、むこうは夜である。[…]また時間の尺度が相当ちがうらしくて、ほんとうかどうかというのは確かめようがないが、この世の一日はあの世の六日にあたるという言い方をする。[10]

私のモデルなら、このあべこべ関係を容易に説明できる。日本から見て、地球の裏側にある南米の国のことを考えてほしい。「こちらが冬であれば、むこうは夏」であり、「こちらが昼の時は、むこうは夜である」。藤村モデルのように、この世とあの世が天で接していると考えるなら、この世が昼の時、あの世も昼ということになってしまう。

もとより、縄文人が地球球体説を信じていたというわけではない。琉球人は、地面は平らで、太陽(てだ)は東の地面にある太陽の穴(てだがあな)から出てきて、西の地面にある太陽の穴(てだがあな)に沈むと考えていたが、縄文人もそう考えていたことだろう。

5 : なぜあの世では時間の経過は遅くなるのか

南米の国とは違って、地面の下にあるあの世は、この世とは質的に異なる世界である。この世の一日があの世の六日にあたるのも、あの世がこの世とは異質の世界であることを物語っている。

六倍になるのは、時間だけではない。アイヌ人は、熊を捕まえて、祭りで殺す時、あの世に行く熊の霊が、人間に捕まってよかったと思ってもらえるように、供物を捧げる。すると、この世の供物は、あの世へ行くと量が六倍になると言う。[11]

このロジックで時間六倍説を解釈すると、この世の人間があの世に行くと、あの世で一日と感じる長さは、この世の基準で計ると、六日に相当するということになる。こう解釈すれば、時間六倍説は、浦島伝説をはじめとする世界各地の異界探訪譚でおなじみの超時間経過譚となる。

日本では、あの国を常世(とこよ)とよぶ。「常」は「常夏(とこなつ)」と言う時の「とこ」で、永久不変という意味であるが、「底(とこ)」と同根の語で、「常世」は、「地底に存在する不老不死の楽土」という意味である。

アイヌ人の時間六倍説、あるいは一般的に言って、世界各地の民話に見られる異常な時間経過の物語を迷信として片付けることは容易である。しかし、実は、浦島効果を科学的に説明することが可能である。といっても、相対性理論によってではない。縄文人が光速に近い速度で移動できるはずがない。

私たちは誰でも、1日をまず25時間にすることが簡単にできる。人間の睡眠周期は、本来約25時間なので、太陽光線を浴びなければ、1日が25時間になる。逆に言えば、私たちは、毎朝太陽光線を浴びることで体内時計をリセットし、無理やり1日を24時間にしているわけだ。

私たちの体内時計が25時間周期であるということは、私たちの祖先が海に住んでいて、潮汐リズムとシンクロナイズしていたことと関係がある[12]。地球の自転周期は23.9時間だが、月が地球を公転しているために、月が元の位置に戻るには、24.8時間かかる。このため、潮汐リズムは昼夜リズムより50分長くなる。

私たちは、父なる太陽の周期と母なる海の周期という二つの異質な周期の狭間で生きている。社会でまともに生きている人は、父性原理により母性原理を克服しているが、「ひきこもり」と呼ばれている人たちは、暗い胎内に回帰して、海の周期で生活している。「外に出て働け」と厳しく叱る父とひきこもりの息子をかばう母-よくみかけるこうした家庭の風景は、男性原理と女性原理の葛藤を反映している。

暗闇の中にひきこもり続けていると、1日約25時間のサーカディアン・リズム(概日リズム)が、さらにフリーランして、倍の周期を持ったサーカビディアン・リズム(Circabidian rhythm)[13]になるという内的脱同調が起こる。

実はこのような実例が時間隔離実験によっていくつも確認されており、概倍日(がいばいじつ)リズム(サーカビディアン・リズム)とよばれている。この場合被験者は、約10時間の睡眠と約40時間の覚醒を繰り返しているが、この異常に長い“一日”を自分では通常の一日としてしか感じていない。このことは被験者の話や食事の回数で知ることができる。時間隔離実験では、被験者は自分が食事の時間だと思ったときに、食べたいだけ食べるのだが、40時間起きていても、被験者は三回しか食事をとらず、その食事の量も通常とまったく変わらないのだ。それでいて体重もほとんど変化しないというのだから、驚きだ。[14]

フリーランがさらに進むと、周期が三倍となり、1日が75時間になる。1日の長さをどこまで伸ばすことができるのかわからないが、アイヌの伝説から判断すると、洞窟の中での生活を続けた結果、1日が、通常の六倍である144時間近くまでになった人がかつていたのではないだろうか。ともあれ、この世の洞窟ですら、1日の長さが三倍になるのだから、さらに地下にあるあの世の1日はその倍という推測が働いてもおかしくはない。中国にも、不老不死を求めて洞窟の中で修行する仙人がいたが、このことは、道教が、アイヌ人や縄文人の宗教と同様に、地母神崇拝の性格を強く帯びた宗教であったことを物語っている。

6 : 琉球人の鳥信仰

私は、アイヌ神話の分析から、縄文時代のあの世が地下にあったと判断した。では、縄文文化のもう一つの末裔である琉球文化ではどうか。梅原は、ここでもまた、鳥信仰の痕跡を探し求める。そして、1978年まで久高(くだか)島で行われていた儀式、イザイホーにそれを見出した。

イザイホーとは、久高島の女たちが神女(なんちゅ)になるための通過儀礼で、三晩、イザイ山の仮小屋に篭り、四日間にわたって、歌や踊りを伴う神事を行う。梅原は、最初の日の夕方に行われる「七つ橋」を渡る儀式を、女が鳥になるための儀式だと主張する。

鳥になるために女たちは髪を乱して「七つ橋」を渡る。命を懸けて渡る。そして「エーファイ、エーファイ」とまるで鶴の鳴き声のごとき悲鳴を上げるのである。そのとき、女たちは既に鳥になっている。[15]

七つ橋とはこの世とあの世(ニライカナイ)との間に架けられた橋であり、この橋を渡ることで、神女となる。

男たちは死ぬと海の向こうの遠い国、ニライカナイに行ってしまい、いつ帰ってくるかわからない。しかし、神となった、鳥となった女は死んでニライカナイにいってもすぐ、彼女たちがそこで生まれそこで神となった、祖先の霊のいるウタキに舞い戻り、そこに永久にとどまって末永く故郷の島の子孫たちを守るのである。[16]

女が鳥になるのは、あの世が天の上にあるからだろうか。問題は、あの世である「ニライカナイ」がどこにあるかである。

7 : 琉球人の異界伝説

梅原は、アイヌ語でニライカナイの語源を推測する。

沖縄にはニライカナイという信仰があります。それは海の彼方のあの世を言うらしいのです。私はニライカナイというのをアイヌ語で解釈する。ニライ、根の下のところ、カナイ、空の上のところ、ということになりますが、それは根の下であるとともに、空の上である。根の下、夜の極点か[が?]、空の上、昼の極点になるのです。こういう根の下と空の上、夜と昼とが出会うところだと思います。大変哲学的な概念ですが、原始人は意外に哲学的なんです。[17]

「ニライカナイ」は、琉球国の首里王府が1531年から1623年にわたって編纂した『おもろさうし』に出てくる概念だが、「ニライ」と「カナイ」は本来別概念で、中国風に対句を形成しているだけである。伝承ではただ「ニライ」と呼ばれる。「カナイ」は、中国の陰陽二元論の影響を受けて、後から付け加えられたものなのだろう。

南西諸島では、「ニライ」は単独で「あの世」を指す。沖永良部島では「ニラ」、喜界島では「ネインヤ」、奄美大島では「ネリヤ」、沖縄本島では「ニルヤ」と呼ばれるが、概念としてはみな同じである。それは、梅原が正しく認識しているように、そして現地の人がそう信じているように、根の下にある国である。

柳田國男は「ニーラ」は「遠く遥かな」の意であるとし、「遠く遥かな所」と解釈したが、それは、海の彼方に向かって水平方向に遠く離れているわけではなく、文字通り根が生えている方向に、すなわち垂直方向に遠く離れていると解釈するべきである。だから、ニライは、記紀神話に登場する常世国や根国(ねのくに)や黄泉の国と同じ地下世界である。

イザイホーで女が鳥になるという解釈を認めたとしても、それは直ちに「あの世」が天の上にあることを帰結しない。神女は、鳥となることで、太陽の穴(てだがあな)を通って、あの世とこの世を自由に行き来しようとしていたのではないだろうか。

8 : 縄文時代の土偶の謎

以上、アイヌ文化と琉球文化を検討することで、縄文文化のあの世の位置を推定してきた。今度は、直接縄文時代の出土品を検討して、矛盾がないかどうかを確かめてみよう。

縄文時代の遺跡から発掘される遺物の中で最も宗教的なのが土偶である。世界の他の旧石器時代の遺跡から発掘される偶像と同様に、縄文土偶は、豊満さを強調した女体で、頭は存在しないかもしくは人間的でない。縄文土偶の多くは妊娠していることから、縄文土偶は、豊穣を願う地母神崇拝の証拠とされるのが通例だが、梅原は、この解釈に反対する。

梅原は、

  1. 縄文土偶には、腹に引き裂かれたような直線を持っているものが多い
  2. 少数ではあるが、縄文土偶には、意図的に埋葬されたものがある
  3. 土偶のほとんどは壊されており、五体満足な土偶はほとんどない

ということを根拠に、地母神像説を否定する[18]

梅原は、福島県で起きた死胎分離埋葬事件を手掛かりに、土偶は妊婦葬送儀礼のための道具だと考える。死胎分離埋葬事件というのは、会津のある村で、懐妊後死亡した母の腹を長男が切って、胎児を摘出して埋葬し、役場に二通の死産届けを出したところ、死体損壊罪として摘発されたという事件である。その後の調査により、この風習は、福島県では昔から広く行われていたことがわかった。

この風習が行われた背景には、死んだ妊婦をそのまま埋めると、胎児の霊が母体から出られなくなり、怨霊としてこの世にとどまるという考えがある。だから、怨霊による祟りを防ぐために、胎児を腹から出して、霊がすぐに生まれ変わるようにするわけである。妊婦と胎児の分離埋葬に際しては、人形が入れられるという習慣がある。そして、梅原は、その人形の起源が縄文土偶だと考える。

たしかに、この解釈なら、なぜ土偶の腹に直線が引かれることがあるのか、なぜ土の中に埋まっている土偶があるかが説明できる。では、土偶が壊されているのは、なぜか。

葬式のときに、日本人は茶碗や道具などいろいろなものを死者に贈るが、この場合、かならず何らかの傷をつける。傷をつけるのは、あの世とこの世とあべこべの世界であるという思想による。この世で完全なものはあの世で壊れる。この世で壊れたものはあの世で完全になる。とすると、壊れた土偶は本来、あの世へと送り届けられるものとしてつくられたのではないだろうか。[19]

縄文人も、アイヌ人と同様に、この世とあの世があべこべの世界と考えていたにちがいない。今でも日本人は、死者の装束(しょうぞく)を、生きている人間の着装とは逆に左前にするが、これも同じ考えに基づいている。

この梅原の着想を、3のみならず1にも応用してみよう。腹に縦の線があるということは、安産を否定する記号である。この世にある縄文土偶は、あの世にいる五体満足で安全に生命を育む地母神とあべこべの関係にあるのだから、縄文土偶は、あの世にいる地母神のこの世における対応物ということにならないか。2についても、土偶が地母神の像だとするならば、それをこの世の土に埋めて、土地の豊穣を願うということは決して理解できないことではない。

縄文土偶は、墓地からではなくて、人々が生活していた場所から出土している[20]。だから土偶は副葬品ではない。また、もしも梅原が言うように、縄文土偶が最近まで行われていた死胎分離埋葬に使われる人形の起源だとするならば、なぜ土偶が弥生時代から姿を消したのかについての説明が必要となる。私は、土偶が作られなくなったのは、縄文時代の終焉とともに地母神崇拝が衰退したからだと考えている。

9 : 土偶は縄文時代のメデューサである

梅原が注目しない、縄文土偶のもう一つの特徴を指摘しよう。それは、土偶にはいたるところに蛇の形象があるということである。アイヌの民族衣装にも蛇の文様が付いているが、あれは縄文時代の名残なのだろう。

「縄文」という言葉は、もともと、土器に付けられた縄の文様に由来しているのだが、縄文は、その細長い形とウロコのような模様から、蛇の文様ということができる。実際、縄文土器には、写実的な蛇を付けた物もたくさんある。

縄文土偶にも、抽象的な蛇の文様が付いているだけでなく、写実的な蛇が頭でとぐろを巻いているものまである。安田喜憲は、これを「縄文のメデューサ」と名付けている[21]。頭に蛇を持つメデューサは、もともと地中海地方で地母神として崇められていたわけだから、これもまた、縄文土偶が地母神像である根拠の一つである[22]

縄文時代晩期に作られた土偶の中には、ゴーグルのような大きな丸い眼孔と閉ざされた瞼により一直線となった眼が特徴的な遮光器形土偶がある。その眼は蛇の眼のようにも見える。ちなみに、夜行性の蛇の眼は丸くて大きく、光を当てると、瞳が縦長になる。ではなぜ縦長ではなく、水平になっているのか。それは文字通り水のように平らなのだ。

水のようだといっても蛇のようだといっても、それは縄文人にとっては同じことである。蛇は水の神である。だから、例えば、縄文土器の文様が蛇なのか流れる水なのかといった議論にはあまり意味がない。母なる大地を流れる川のように大地を這うから、蛇は神の化身として信仰されたのである。それゆえ、蛇が崇拝された理由は水が崇拝された理由と同じである。

ここでもう一度図2を見て欲しい。あの世は、ちょうど水面に映し出されたこの世のように見えないか。水は、あの世を映し出す鏡であり、だから、縄文人は、鏡としての水に畏敬の念を抱いたはずだ。アイヌ人もまた、鏡や写真を恐れた。江戸末期の頃、武士は写真を撮られると、魂が奪われるといって怖がったが、これもまた、あの世をこの世の鏡像的対応物とする考えに基づいている。

鏡や鏡の働きをするものは、この世とあの世のインターフェイスである。鏡に映し出された自分を見ていると、魂があの世の自分に移ってしまい、この世の自分は、石のような無生物になってしまうかもしれない。西洋の神話でメデューサの眼を見た者が石になると語られたのは、このためだろう。

遮光器形土偶の一直線になった眼は、風が吹かず、鏡のようになった水面を横から見た形となっている。直線のない丸い眼の土偶もあるが、それは水面を上から見た形である。縄文土偶の眼が大きく描かれ、強調されているのは、そこが、あの世を映し出す鏡だからだと考えられる。

『古事記』に、雄略天皇があの世の鏡像的他者と出会ったことが記されている。

ある時、天皇は葛城山に登りにお出かけになったが、この時百官の人たちはみな紅の紐を着けた青摺りの衣服を頂戴して着ていた。その時に、その葛城山の向かいの山の裾から、山の上へ登る人がいた。全く天皇の行幸の列にそっくりで、また人々の服装の様子や人数もよく似て区別しがたかった。そこで、天皇がこれを眺め、尋ねさせて、

このヤマトの国に、私の他に二人と王はいないのに、今誰がこのようにしていくのか。

と言ったところ、直ちに向こうから答えて言った言葉のさまもまた、天皇のお言葉のとおりだった。そこで天皇は大いに怒って矢を弓につがえ、百官の人たちもみな矢をつがえて構えた。すると、向こうの人々も同じくみな矢をつがえて構えた。それで天皇はまた尋ねて、

そちらの名を名乗れ。そうして、お互いに名を名乗ってから矢を放とう。

と言った。これに対し、相手は答えて、

私が先に問われたので、まず私から名乗りをしよう。私は悪いことでも一言、善いことでも一言のもとにきっぱり言い放つ神、葛城の一言主の大神である。

と言った。天皇はこれを聞いて恐れかしこまり、

恐れ多いことです、わが大神よ。私は現身の人間なので、あなたが神であることに気づきませんでした。

と申して、大御刀と弓矢をはじめとして、百官の人たちが着ていた衣服を脱がせ、拝礼して献上した。[23]

雄略天皇が、自分を現身(うつしみ)と言っている。「現す」「移す」「映す」「写す」は、すべて「うつす」と読む同根の語である。あの世の自分が本物で、自分は鏡に映された「写し身」にすぎないと考えられていたのである。

10 : 父権宗教が地下のあの世を地獄にした

以上見てきたとおり、縄文時代のあの世は、地下にあり、この世と同じだけれどもあべこべの鏡像的対応物である。鏡の中の他者を通じて自己同一を行うという意味において、縄文時代は、日本史における鏡像段階(stade du miroir)であった。その、地母神、水、鏡、蛇の眼に対する信仰という点で、縄文時代は、世界の旧石器時代と変わるところがない。

人類史が男根期に入り、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教といった男尊女卑の世界宗教が登場すると、かつて地母神として崇められたメデューサは恐ろしい魔物となり、あの世の楽園は、父なる神がまします天の上となり、地下のあの世は背信者が落ちる地獄となった。日本では、男性革命が弱かったのだが、地母神が山姥(やまんば)へと貶められるなど、ある程度の男尊女卑化が起きた。

千と千尋の神隠しで、千尋が住み込みで働くこととなった油屋(ゆや)を仕切っていたのは、湯婆婆(ゆばーば)と呼ばれる、あまり好感が持てない老婆だった。あの老婆には、山姥のイメージがある。千と千尋の神隠しには、蛇身の「川の神」や蛇と鳥が合体した龍である「ハク」が登場したりする。民俗学的観点から見ても、結構興味深い映画である。

11 : 読書案内

書名梅原猛著作集〈6〉日本の深層
媒体単行本
著者梅原 猛
出版社と出版時期小学館, 2000/11
書名梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)
媒体単行本
著者梅原 猛
出版社と出版時期小学館, 2001/05
書名梅原猛著作集〈8〉日本冒険(下)
媒体単行本
著者梅原 猛
出版社と出版時期小学館, 2001/07

12 : 参照情報

  1. Yukikaze1234. “縄文時代の住居.” 23 November 2013. Licensed under CC-BY-SA
  2. Tajima, Atsushi, et al. “Genetic origins of the Ainu inferred from combined DNA analyses of maternal and paternal lineages.” Journal of human genetics 49.4 (2004): 187-193.
  3. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈6〉日本の深層』. 小学館 (2000/11). p.110-111.
  4. 梅原猛. 『梅原猛著作集〈11〉水底の歌』. 集英社, 1982. p.256-257.
  5. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈6〉日本の深層』. 小学館 (2000/11). p.106.
  6. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)』. 小学館 (2001/05). p.120.
  7. 藤村 久和.『アイヌ、神々と生きる人々』. 小学館 (1995/02). p.210-211.
  8. 藤村 久和.『アイヌ、神々と生きる人々』. 小学館 (1995/02). p.213.
  9. 藤村 久和.『アイヌ、神々と生きる人々』. 小学館 (1995/02). p.215.
  10. 藤村 久和.『アイヌ、神々と生きる人々』. 小学館 (1995/02). p.216.
  11. 藤村 久和.『アイヌ、神々と生きる人々』. 小学館 (1995/02). p.189.
  12. 三木成夫.『海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想』. うぶすな書院 (1992/09). p.49.
  13. Honma, K., and S. Honma. “Circabidian rhythm: its appearance and disappearance in association with a bright light pulse.” Cellular and Molecular Life Sciences 44.11 (1988): 981-983.
  14. 早石修,井上昌次郎.『快眠の医学―「眠れない」の謎を解く』. 日本経済新聞社 (2000/03). p.26-27.
  15. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)』. 小学館 (2001/05). p.148-149.
  16. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)』. 小学館 (2001/05). p.148.
  17. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈8〉日本冒険(下)』. 小学館 (2001/07). p.470.
  18. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈11〉人間の美術』. 小学館 (2002/11). p.98.
  19. 梅原 猛:梅原猛著作集〈11〉人間の美術, p.107.
  20. 楠戸 義昭.『神と女の古代』. 毎日新聞社 (1999/07). p.33.
  21. 安田 喜憲.『大地母神の時代』. 角川書店 (1991/03). p.101.
  22. 日本人が頭に蛇のような髷(まげ)を結うのは、縄文時代の蛇崇拝の名残だと考えることができる。
  23. “一時。天皇登幸葛城山之時。百官人等悉給著紅紐之青摺衣服。彼時。有其自所向之山尾登山上人。既等天皇之齒鹵簿亦其裝束之状。及人衆相似不傾。爾天皇望。令問曰。於茲倭國除吾亦無王。今誰人如此而行。即答曰之状。亦如天皇之命。於是天皇大忿而矢刺。百官人等悉矢刺。爾其人等亦皆矢刺。故天皇亦問曰。然告其名。爾各告名而彈矢。於是答曰。吾先見問故。吾先爲名告。吾者雖惡事而一言雖善事而一言言離之神。葛城一言主之大神者也。天皇於是惶畏而白。恐。我大神有宇都志意美者【自宇下五字以音】不覺白而。大御刀及弓矢始而。脱百官人等所服之衣服以拜獻。”『新編日本古典文学全集 (1) 古事記』. 下巻.
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  4 コメント

  1. 有難うございました。
    私の仮説
    縄文人の先祖はネアンデルタール人ではないか?
    3万年ほど前にクロマニヨン人に追われたネアンデルタール人の1部は極東まで来て、当時大陸から渡り易かった日本に逃げ延びたのでは?
    理由
    1 骨格風貌身長などがネア人と縄文人は似ている。 
    2 柔和包容力があり、大自然と一体感を持ち、争いを好まない。
    3 宗教心があった。

  2. DNA を調べたら、ネアンデルタール人でないことがはっきりするでしょう。

  3. いいですね

  4. ・・・。
    こんなことを言うのは何ですが、動画やカラーの絵をいれたらどうでしょうか?

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