熱力学第二法則からエントロピーの法則へ

2000年5月6日

熱力学には二つの基本法則がある。熱力学第一法則は「エネルギーは保存される」、第二法則は「孤立したシステムにおけるエントロピーは減少しない」というものである。熱力学第二法則を、熱力学の範囲を超えて拡張してみよう。

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1. エントロピーの法則とは何か

エントロピーについては、「システムとは何か」で説明したが、熱力学第二法則は、実は誰もが知っている自然現象を物理学的に説明しただけのものである。熱湯に氷を浮かべるとぬるま湯になるが、ぬるま湯を放置していても、氷が「自己組織化」され、周りが熱湯になるということは起こりえない。熱は高きから低きへと一方的に流れるのである。

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エントロピーの法則を、熱の移動がない一般の不可逆過程にまで適応した法則をエントロピー非減少の法則、略してエントロピーの法則と呼ぶことにしよう。水の入ったコップがテーブルから落ちてこなごなに割れることはあるが、こなごなに割れたガラス破片が、周りに散らばった水を集めながら、テーブルの上にジャンプしてもと通りに戻ることは期待できない。エントロピー(無秩序)一般は、増えることはあっても減ることはないというわけである。

2. エントロピー補償の法則

ただこの第二法則には、「孤立したシステムにおいては」という条件がある。孤立したシステムとは、環境とエネルギーや物質や情報のやりとりがまったくないシステムのことである。魔法瓶も、擬似的な孤立したシステムとみなすことができるが、完全な孤立したシステムは、宇宙全体しかない。エネルギー交換のある閉鎖系や物質交換まである開放系では、第二法則は成り立たない。逆にいえば、非孤立したシステムでエントロピーが減少する時、それは常に環境におけるより多くのエントロピーの増大によって可能となっているのである。

例えば、水と油をかき混ぜて放置しておくと、油と水が分離して、秩序が自己組織化するかのように見える。しかし断熱された孤立したシステムで水と油をかき混ぜると、運動エネルギーが熱となって周囲に排出されないため、系内部が高温のままとなり、水と油は混ざったままになる。また冷蔵庫は、冷媒を蒸発する時の気化熱で庫内の温度を下げ、エントロピーを小さくすることができるが、そのためには気化熱と同量の凝縮熱を庫外に排出しなければならず、また電気を使うため、最終的に大量の熱を庫外で発生させなければならない。

エントロピーの法則によれば、ビッグバン以降宇宙は秩序から無秩序へと向かい、最後は熱的死を遂げるはずである。しかし地球上では、こうした宇宙全体の流れに逆行して生命が進化し、そして人類の文明は時間とともに進歩を遂げているように見える。これは生物が開放系で、太陽や地球といった低エントロピー資源の散逸(エントロピーの増大)を通して自らのエントロピーを減少させているからである。人間を含めた生物、そして人類が築き上げた文明は、環境におけるエントロピーの増大によって可能となるシステムである。人間は、他の動物と同様に、食物摂取を通じて獲得した低エントロピー資源を呼吸によって消費しているが、人間の場合、化石燃料をはじめとする食物以外の低エントロピー資源までも燃焼によって消費している。

3. 非熱力学的なエントロピー

しかし人間が、環境の熱エントロピーを増大させながら創り出している低エントロピーは、決して身体や建築物といった物質レベルでの資源だけではない。我々が創り出す意味の世界も、無意味という無秩序を否定しているという点で、低エントロピーなのである。ただ、物質システムがエントロピーを捨てる環境が、システムの物理的な外部に存在しているのに対して、情報システムがエントロピーを捨てる環境は、可能的多世界として仮想的にしか存在しない点が異なるだけである。

我々は本能によってのみ支配されていないという意味で自由な存在であり、自由であるということは、不確定な環境に晒されつつ、さまざまな選択肢の中から自己の行為を選択する、つまり情報のエントロピーを減少させる能力があるということである。「右」という概念があるから「左」という概念があるというように、言語は示差的であり、我々が言語を通じて世界を認識する時、差異化された多様な記号を選ぶという意味で、認識するという行為はエントロピーの縮減であり、無秩序からの秩序の形成である。

4. ネゲントロピーの三つのレベル

整理すると、ネゲントロピーには次の三つの場合があることになる。

  1. 環境における物質レベルのエントロピーの増大が、物質レベルの低エントロピーを創り出す(物理学的なエントロピーの法則)
  2. 環境における物質レベルのエントロピーの増大が、情報レベルの低エントロピーを創り出す(呼吸による新陳代謝が脳における思考を、電気がコンピュータにおける情報処理を可能にする)
  3. 環境における情報レベルのエントロピーの増大が、情報レベルの低エントロピーを創り出す(他の可能性の否定によってはじめて意味が可能になる)

3番目は、難しいので、具体的な例を出そう。「ファシズムは正しいか正しくないかのどちらかである」という言明には何の情報価値もない。「ファシズムは正しい」といえば、それは、「ファシズムは正しくない」という他の可能性を排除しているから意味がある。つまり「ファシズム」という一つの主語に対して、「正しい」あるいは「正しくない」という述語の候補があり、そのうちのどれを述語として選ぶかという不確定性(エントロピー)を縮減してはじめてその命題は意味をもつのである。

命題が有意味であるからといって、それが正しいとはいえない。ある選択が正しいかどうかは、社会システムというメタレベルの選択によって決まる。ある政治家が、ファシズムの正しさを訴えて立候補したとする。当選者のいすが一つしかないとするならば、有権者は複数の候補の中から一人を選ぶことになる。ファシズムの正しさを訴えた政治家が落選するならば、「ファシズムは正しい」という選択は選択されなかったことになる。社会システムにおいては、選択主体が相互に選択し合うことによって秩序が創り出される。

5. エントロピーの法則の重層構造

以上結論をまとめよう。

  1. 物質システムは、環境におけるエントロピーの増大によって、ネゲントロピーとして存続できる。
  2. 情報システムは、述語の可能性の増大によって、無意味の排除による有意味性を獲得する。
  3. 社会システムは、さまざまな可能的行為の選択肢の増大に伴って、逸脱者の排除による秩序形成ができる。

社会的なエントロピーが増えるということは、行為の他の可能性が増えるということであり、この自由の増加が低エントロピーの生成、すなわち生活水準の向上を可能にする。