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どうすれば太平洋戦争に勝てたのか

2005年12月4日

第二次世界大戦は、枢軸国の敗北に終わったが、日本が犯したある一つの間違いさえなければ、あの戦争は、枢軸国の勝利に終わった可能性がある。どうすれば、枢軸国が勝つことができたのか、佐藤晃の『太平洋に消えた勝機』を手掛かりに考えよう。

WikiImagesによるPixabayからの画像

1. ハルノートは最後通牒だったのか

第二次世界大戦で日本が犯した最大の間違いは、真珠湾攻撃である。真珠湾攻撃がなければ、アメリカが第二次世界大戦に参加する前に、枢軸国は、イギリスとソ連に勝つことができただろう。

多くの人は、ハルノートは最後通牒であり、日米開戦は避けられなかったと考えている。しかし、本当にハルノートは最後通牒だったのだろうか。ハルノートにおけるアメリカの対日要求は、たしかに過酷ではあったが、これを拒否もしくは無視したからといって、すぐにアメリカが日本に宣戦布告するということはなかった。

ハルノートには、日本が要求を受け入れた場合の、見返りとして、次のようのことが約束されている。

6. The Government of the United States and the Government of Japan will enter into negotiations for the conclusion between the United States and Japan of a trade agreement, based upon reciprocal most favored-nation treatment and reduction of trade barriers by both countries, including an undertaking by the United States to bind raw silk on the free list. [日本語訳:合衆国政府及日本国政府ハ互恵的最恵国待遇及通商障壁ノ低減並ニ生糸ヲ自由品目トシテ据置カントスル米側企図ニ基キ合衆国及日本国間ニ通商協定締結ノ為メ協議ヲ開始スヘシ]

7. The Government of the United States and the Government of Japan will, respectively, remove the freezing restrictions on Japanese funds in the United States and on American funds in Japan. [日本語訳:合衆国政府及日本国政府ハ夫々合衆国ニ在ル日本資金及日本国ニアル米国資金ニ対スル凍結措置ヲ撤廃スヘシ]

8. Both Governments will agree upon a plan for the stabilization of the dollar-yen rate, with the allocation of funds adequate for this purpose, half to be supplied by Japan and half by the United States.[日本語訳:両国政府ハ円弗為替ノ安定ニ関スル案ニ付協定シ右目的ノ為メ適当ナル資金ノ割当ハ半額ヲ日本国ヨリ半額ヲ合衆国ヨリ供与セラルヘキコトニ同意スヘシ][1]

これを見てもわかるように、真珠湾攻撃の直前まで続けられた日米交渉は、経済制裁の解除であって、日米開戦の回避ではなかった。

第1次世界大戦の時にアメリカはヨーロッパの戦争に介入したが、犠牲が大きかった割には、得た利益は少なかった。その時の反省から、アメリカ国民の圧倒的多数は、外国の戦争に介入することには反対だった。そして議員のほとんども、伝統的な孤立主義者だった。このため、ルーズベルトは、国民に、アメリカが直接攻撃されることがない限り戦争はしないと約束せざるを得なかった。[2]

ルーズベルトは、ヒトラーとの戦争に参戦しないことを選挙で公約していた。1941年9月のギャラップの世論調査では、英仏側への参戦に賛成する人はたったの2.5%しかいなかった。日本政府には、対米戦を避け、ドイツとの交戦国だけを攻撃するという選択肢があったはずだ。

アメリカが石油などの戦略物資の対日輸出を停止したので、日本は戦争をせざるをえなくなったと説明する人もいるが、これも理由にならない。アメリカと戦争したからといって、すぐに石油が手に入るわけではない。オランダやイギリスなど、ドイツとの交戦国と戦うことにより、インドネシアや中東の石油を手に入れることができたはずだ。アメリカがいくら経済制裁をしたところで、枢軸国が旧世界を支配すれば、戦略物資に欠乏することはなかった。

ルーズベルトは、日本に真珠湾を攻撃させ、ヒトラーとの戦争に裏口から参戦しようとしたわけだが、ルーズベルトがいくら日本を対米戦争に誘導したところで、日本がアメリカ本土を攻撃しなければ、アメリカは、参戦できなかった。宣戦布告には、連邦議会の承認が必要であり、議員の大半が参戦には反対だったからだ。その後、アメリカ国内の世論が変わることもあったかもしれないが、それには時間がかかるし、それまでに戦争の大勢が決まっていただろう。

2. もしも真珠湾攻撃がなかったなら

もしも、日本が、真珠湾を攻撃する代わりに、イギリスとソ連を攻撃していたなら、日本海軍が太平洋ではなくてインド洋に展開していたなら、どうなっていただろうか。

おそらく、日本は、インド洋の制海権を掌握し、以下の図に示されているような、イギリスとそのインド洋沿岸の植民地、中国の蒋介石、ソ連との間に築かれた輸送大動脈の切断に成功していたであろう。そうなれば、最後に残された援蒋ルートであるビルマルートが遮断され、蒋介石が降伏して、日中戦争は終結し、インドなどの植民地では独立運動が起き、枢軸国は、中東やバクーの油田をおさえることができたのではないだろうか。

インド洋における兵站の図
インド洋における兵站。Source: 佐藤晃『太平洋に消えた勝機』光文社ペーパーバックス. 光文社 (2003/01). p. 92.

インド洋は、第二次世界大戦における天王山であり、だからこそ、ドイツは、はるばるインド洋にまで潜水艦を送り込んで通商破壊をやっていたのである。しかし、ドイツの海軍力だけでは、限界がある。陸軍国ドイツが、大きな海軍力を持っていた日本との提携を望んだゆえんである。

日本も、実は、当初このインド洋制圧に協力しようとしていた時期があった。日本軍は、1941年12月に、マレー沖海戦で、プリンス・オブ・ウェールズとレパルスの二戦艦を撃沈し、42年4月には、特設巡洋艦1、駆逐艦1、重巡2、空母1をインド洋で撃沈し、イギリス東洋艦隊に大きな打撃を与えていた。日本海軍にとって、イギリス海軍は敵ではなかった。

日本によるインド洋の制圧は目前に迫っていた。7月には、「作戦正面のインド洋転換」と「セイロン作戦」が天皇に上奏された。

7月中旬、機動部隊を中心とする日本海軍の有力部隊のインド洋派遣を聞いて、独軍は沸き返る思いであったという。日本の連合艦隊がインド洋で英軍の補給路を断てば、カイロに武器、弾薬は届かない。またソ連軍の兵站も失われるのである。[3]

ロンメル率いるドイツ軍は、6月には、イギリス軍の要塞トブルクを攻略し、もう少しでカイロまで攻略するところだった。ところが、6月にミッドウェイで敗退してしまった日本軍は、インド洋制圧を放棄し、戦力を太平洋に向け、ガダルカナルという戦略的価値皆無の島で、兵力を消耗させてしまう。佐藤が言うように、勝機は、まさに太平洋に消えてしまったのである。

日本軍のインド洋からの撤退のおかげで、英軍のインド洋輸送は安全となり、大幅な戦力補充がなされた。10月には、イギリスが攻勢に転じ、11月には、ロンメルは全軍を退却させる。

いわゆる、エル・アラメインの戦いである。チャーチルが「エル・アラメインの前に勝利なく、エル・アラメインの後に敗北なし」と言ったように、枢軸国は、このときから、坂を転げ落ちるように敗退を重ねていく。翌年の2月には、ドイツはスターリングラードで敗退し、ドイツの敗北は決定的になる。

もしも日本がインド洋を制圧していたなら、ロンメルは中東からイギリスを駆逐し、枢軸国は、中東の石油を手にすることができただろう。さらに、中東を傘下におさめれば、同時期に攻撃していたソ連南部コーカサス地方を挟撃し、ソ連の油田まで手に入れることができたであろう。

ヒトラーは、日本にソ連を攻撃することをも要請していた。もしも、日本が、ソ連をも攻撃していたなら、ソ連は、二正面作戦を強いられ、ドイツに対して、有効な反撃ができなかったにちがいない。

近衛文麿総理の周辺からわが国の「南進政策」を察知したゾルゲ、尾崎秀実らの1941年9月14日報告(いわゆるゾルゲ事件)は、ドイツの猛攻に曝されているソ連にとってまさに天佑にも等しかった。この報告を受け、極東からモスコー防衛線に移動できた戦力は、狙撃師団16、自動化狙撃師団1、戦車師団3の合計20師団という。ドイツのモスコー攻撃は、そのために挫折したようなものである。[4]

3. なぜ日本は真珠湾を攻撃したのか

日本は、なぜ無謀な対米戦争の端緒を、自ら開いてしまったのか。真珠湾攻撃は、海軍に責任があるというのが佐藤の見解である。

日本海軍は、日露戦争終結の翌年に、対米戦備増強計画を打ち出し、アメリカを仮想敵国とする国防方針を決定した。当時、日米関係は良好であったにもかかわらず、アメリカを敵視したのは、海軍省が、日露戦争終了後、活躍の場を失い、自分たちの予算が減らされることを恐れたからである。海軍省は、現在の官僚たちと同様に、国益よりも省益を追求していたのである。

奇妙なことに、アメリカを仮想敵とする日本海軍の石油供給源は当のアメリカだった。日米戦争などまるで考えていなかったのである。[5]

その後、日米戦争が次第に現実味を帯びてくる。日本は、1935年にワシントン・ロンドンの海軍軍縮条約を破棄し、帝国海軍を米海軍に匹敵する規模にまで増強しようとした。ところが、アメリカは、ビンソン・プランによって、日本の追従を許さない大規模な建艦計画を実行に移したため、帝国海軍は、すっかり、対米戦争に消極的になってしまった。

だが、海軍は、これまでアメリカ打倒を口実に予算を獲得してきただけに、アメリカに勝てないとは言えなかった。そして、陸軍出身の東条英機は、海軍の誇大宣伝を真に受け、対米戦争に踏み切った。佐藤は、陸軍出身だから、彼の海軍批判は、割り引いて受け取らなければならないが、真実を語らなかった海軍には、大いに責任があるといわなければならない。

4. 最も望ましい選択肢は何だったか

以上、日本がアメリカを攻撃せずに第二次世界大戦に参戦した場合のシミュレーションをした。私は、その場合、枢軸国が勝つと判断した。しかし、果たしてそれで世界は平和になっただろうか。むしろ、ヒトラーの世界制覇の野望は、イギリスとソ連降伏後、同盟国を、アメリカとの最終決戦へと駆り立てたのではないだろうか。

結局のところ、日本にとって最も望ましい選択肢は、日中戦争を早期に解決して、ヒトラーの戦争に加担しないことだったと言うことができる。そして、さらに遡るなら、第一次世界大戦終了後に何度も発生したデフレを、非軍事的手段で解決しておくべきであった。

5. 参照情報

関連著作
注釈一覧
  1. Cordell Hull. The Hull Note. 合衆国及日本国間協定ノ基礎概略. 1941年.
  2. 永井俊哉「ニューディールは成功したのか」2002年4月19日.
  3. 佐藤晃『太平洋に消えた勝機』光文社ペーパーバックス. 光文社 (2003/01). p. 92-93.
  4. 佐藤晃『太平洋に消えた勝機』光文社ペーパーバックス. 光文社 (2003/01). p. 87.
  5. 佐藤晃『太平洋に消えた勝機』光文社ペーパーバックス. 光文社 (2003/01). p. 36.