カオスと決定論

2000年5月13日

カオスは日本語の混沌に相当する。しかし、カオスはたんなる無秩序ではない。カオスとは何か。非線形で非決定論的であるにもかかわらず、なぜカオスは不可知論を帰結しないのかを考えよう。

カオスのイメージ。Image by Gerd Altmann+Gordon Johnson from Pixabay modified by me. Licensed under CC-0.

1. なぜ自然科学は決定論的であったのか

ある晩のこと、一人の酔っぱらいが電灯の下で何かを探していた。

通行人:何か探しているのですか?

酔っぱらい:財布を落としたので探しているのだよ。

通行人:電灯の下で落としたのですか?

酔っぱらい:いや、そういうわけではないのだが、電灯の下は明るくて探しやすいから、電灯の下で探しているのだよ。

近代の自然科学は、この酔っぱらいと同じようなことをやってきた。しばしば自然科学は人文科学や社会科学よりも厳密だと言われるが、自然科学は厳密な数学的分析ができる分野でしか研究をしてこなかったというのが実態である。しかし近年のカオスの科学は、そうした視野の狭さを超えて、理系と文系の壁を崩しつつある。

2. カオスは非線形である

まずカオスとは何かから説明しよう。カオス(混沌)という言葉は、日常的には、たんに無秩序を意味する言葉として使われるが、複雑性の科学では、確定的な非線形の規則にしたがって、予測不可能な不規則な振る舞いをするシステムのことを表す専門用語として使われる。複雑系とカオスを同一視する研究者もいる。

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カオス性を持つローレンツ方程式の解軌道。Source: “Projection of trajectory of Lorenz system” by Wikimedia. Licensed under CC-BY-SA.

非線形とは、1次関数のような線形ではない関数のことを言う。例えば、

f(x)=4x(1-x) (ただし、0≦x≦1)

というロジスティック方程式は、2次関数であり、放物線を描くので、非線形である。このロジスティック方程式は、限られたある領域に分布する生物のある世代の個体密度x(満員は1、絶滅は0)が、次の世代にはどうなるかを表した写像である。4xは、平均4の子供を産むということであり、(1-x)が掛けられているのは、個体密度が高くなると、資源の不足や争いの増加などで増殖が妨げられるということを表している。この単純な写像を何世代にもわたって適用すると次のような結果が得られる。

ロジスティック方程式のカオス的振る舞い
世代 個体密度 1 個体密度 2
0 0.40000 0.40001
1 0.96000 0.96001
2 0.15360 0.15357
3 0.52003 0.51995
4 0.99840 0.99841
5 0.00641 0.00636
6 0.02547 0.02526
7 0.09928 0.09850
8 0.35768 0.35518
9 0.91898 0.91610
10 0.29782 0.30743
11 0.83650 0.85167
12 0.54707 0.50531
13 0.99114 0.99989
14 0.03514 0.00045
15 0.13561 0.00180

これを見てわかるように、個体密度は一定の値に収斂することもなければ、周期性を見せることもない。この世代数を無限に大きくしていくと、スーパーコンピュータですら個体密度を予測することができなくなる。このように、単純な確定的規則に従いながら、無秩序で予測不可能な振る舞いを見せるシステムがカオスと呼ばれるのである。

3. カオスは非決定論的である

カオスのもう一つの特徴は、初期値敏感性である。個体密度1と個体密度2では、初期値が0.00001しか違わない。通常この程度の誤差は有効数字外として無視されるのであるが、15世代目を見てみると、まったく違う結果が帰結していることに気が付く。こうした初期値敏感性はバタフライ効果とも呼ばれている。蝶々が羽をパタパタしたことで、そうでなければ、発生しなかったであろう台風が発生するというわけである。これはやや誇張されすぎだが、気象現象は典型的なカオスで、天気予報官が、明日の天気を高い確率で予測できるのに対して、10日以上先の天気となるとまったく予測できないのは、バタフライ効果のおかげである。

このバタフライ効果は、近代的な決定論を突き崩すことになる。ガリレオやニュートンを嚆矢とする近代自然科学のパラダイムは機械論的決定論であった。19世紀のフランスの数学者ラプラスは、自然界はすべてニュートン力学的運動をする粒子から構成され、厳密な因果法則によって縛られていて、現在の初期条件と束縛条件をすべて認識する悪魔的能力があれば、未来の任意の時点におけるすべての粒子の状態を予測できると考えた。人間が未来を正確に予測できないのは、そうしたラプラスの悪魔ほどの認識能力がないからで、自分は自由に行為しているという人間の幻想とは裏腹に、すべてはあらかじめ決定されているのだというわけである。ニュートン力学は、現在でも限定的な妥当性が認められているが、ニュートン力学を不当に拡張するとこうしたラプラスの悪魔を生むことになる。

機械論的決定論は、人文科学や社会科学にも大きな影響を与えた。観念論的哲学者は、自然の必然性から自由意志を守ろうとあらゆる抵抗を示した。社会科学者は、自分たちが蓋然性に基づく議論しかできないことに劣等感を抱き、歴史の必然的「法則」を見つけようとやっきになっていた。近代ブルジョア科学のイデオロギー性を批判していたマルクスも、決定論的パラダイムからは抜け出せなかったのである。

機械論的決定論は、20世紀になって徐々に崩れていく。量子力学における不確定性原理は、ミクロのレベルでの決定論を否定し、複雑性の科学におけるバタフライ効果は、マクロのレベルでの決定論までを否定した。

量子力学のコペンハーゲン解釈によれば、ミクロなシステムは本来存在が不確定な波動で、波動が収縮して確定的になるのは、認識という主観の干渉のおかげである。だから、対象は確定的で、人間の認識能力が不十分であるから不確定に見えるだけだという決定論者の議論は成り立たなくなる。

量子力学が登場しても、マルクス主義者は、ミクロなレベルでの偶然性は、マクロなレベルでの必然性へと止揚されると主張した。ちょうど、高速道路を走る自動車には、車線を変更したり、スピードを調整したりする自由があるが、最終的に到着する地点はあらかじめ決定されているように、歴史においても、途中で多少の紆余曲折があるにしても、最終的に人類社会が向かっていく方向が共産主義革命によるプロレタリア独裁であることは必然であるというわけだ。

しかしもしミクロのレベルでの不確定性が、バタフライ効果により、マクロのレベルでの不確定性へと拡大されるとするならば、こうした議論も成り立たなくなる。決定論的パラダイムは、共産主義の崩壊と時を同じくして瓦解し、代わって登場したのが、不確定性に満ちたグローバルな市場経済であり、複雑系の科学である。

4. カオスは不可知論を帰結しない

カオスが、決定論的な規則にしたがっているにもかかわらず、予測不可能な不規則な振る舞いをするということは、逆にいえば、予測不可能な無秩序と思われる現象も確定的な規則に還元できる場合もあるということである。複雑系の研究者の中には、そうした試みは古い還元主義の残滓だとして、複雑性を複雑なまま捉えようとする人たちもいるが、それでは、それこそ太古から存在する神秘的な不可知論と変わらないことになる。カオスの斬新さは、自然法則は確定的で未来は予測可能とする決定論とも、自然法則は不確定で未来は予測不可能とする不可知論とも違って、自然法則は確定的だが未来は予測不可能とする新しい立場を打ち出したところにある。

「自然法則は確定的だが未来は予測不可能」というテーゼが理解できないという人のために、メタファーを使ってカオスの本質を説明したい。スポーツの試合では、あらかじめ選手が従うルールが確定的に決まっているが、選手の振る舞いはカオス的に不規則であり、試合の勝ち負けをあらかじめ予測することは困難である。もしあらかじめ勝ち負けがわかっていたら、誰も試合など観戦しないであろう。はじめから勝敗がわかっていると思われる試合でも、最初のちょっとしたミスが、番狂わせによってとんでもないハプニングを次々と生み出し、負けるはずのないチームが負けるというバタフライ効果もしばしば見られる。試合が人々を魅了するのは、それがカオス的な複雑系であるからである。