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産業革命はなぜ繊維産業から始まったのか

2001年9月1日

産業革命は、18世紀後半に、イギリスの木綿工業から始まった。しかし、なぜ18世紀後半という特定の時期に、イギリスというという特定の地域で、繊維産業という特定の産業から、産業革命が始まったのだろうか。

産業革命のイメージ画像

1. 革命は寒冷期に起きる

人類の歴史を振り返ると、2500年周期で不活発になる太陽活動にあわせて、革命的な変化が現れることに気がつく。

  • BC8300年頃 食糧生産革命
  • BC5800年頃 農業の世界的普及
  • BC3300年頃 都市革命・四大文明の成立
  • BC800年頃 精神革命・世界宗教/哲学の成立
  • AD1700年頃 科学革命・宗教革命・市民革命・産業革命

所謂中世温暖期は、14世紀頃に終わり、それから18世紀頃にかけて、気候が大幅に寒冷化する。その寒さは、氷河期の到来を思わせるぐらいであったので、小氷期とも呼ばれている。

人類を含めたすべての生物にとって、太陽エネルギーは、システム維持のために必要な低エントロピー資源の最も重要な源泉であるので、資源の減少は、人類社会の存続にとって危機であり、生産性向上のためのイノベーションを誘発する。18世紀後半から始まった産業革命もまたその例外ではない。

2. 寒冷化が衣類の世界的需要を増やした

繊維産業の場合、その影響は、もっと直接的である。気温の低下が、繊維製品に対する世界的な需要を増大させ、機械制大工業による大量生産を動機付けたのである。

このプロセスを、もっと詳しく調べてみよう。太陽活動の衰退を示すバロメーターである太陽黒点数の減少には、2500年の周期とは別に、以下のように、200年の周期がある。

  • 1450-1540年 シュペーラー極小期
  • 1645-1715年 マウンダー極小期
  • 1795-1820年 ドルトン極小期

シュペーラー極小期での寒冷化は、第1次囲い込み(エンクロージャー)の原因となった。第1次囲い込みは、15世紀末から17世紀中頃にかけてイギリスで発生し、特に16世紀に最高潮となった。気候寒冷化に伴って、毛織物の原料である羊毛の需要が増大し、羊毛の価格が上昇したので、ジェントリやヨーマンは、農民たちの耕作地を取り上げ、それを生け垣や塀で囲んで私有化し、羊の牧場にして羊毛を量産した。

近代小氷期の最盛期であるマウンダー極小期は、マニュファクチャー(工場制手工業)による毛織物工業成立の時期に対応している。第1次囲い込みの頃、イギリスの工業は、問屋制家内工業の段階にあった。しかも、羊毛を生産するだけで、毛織物の生産と販売は、フランドル地方や北イタリア地方で行われていた。しかしマウンダー極小期での衣類に対するさらなる需要の増大に対応して、イギリスは、マニュファクチャーによる毛織物の大量生産を始める。

ところが、17世紀後半以後、インド産の綿織物(キャラコ)がイギリスの毛織物に対するライバルとして登場する。インド産のキャラコは、吸湿性・耐久性に優れ、軽くて透き通っていて、好きな色に染めやすいなどの優れた性質を持つことから、もてはやされ、「キャラコ狂い」と呼ばれるブームが起きた。

こうして繊維製品輸出国イギリスは重大な危機に直面する。一般に革命は、「このままでは、自分たちの存在が危ない」という危機感から生まれるのだが、産業革命もまたそうであった。当時、イギリスは、綿織物を生産しようにも、労働コストや原料コスト(綿花は熱帯ないし亜熱帯の産物で、イギリス本土では生産できない)などあらゆる面で、インドよりも不利な立場にあった。インドに勝つには、機械化で生産性を向上させるしかない。こうして紡績機や力織機の発明など綿織物を大量生産する技術革新が次々と起こり、イギリスの工業は、マニュファクチャーから機械制大工業の段階へと進化する。

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1835年に描かれた機械式織機のイラスト。動力源として水車や蒸気機関が使用されていた。Source: T. Allom. “Illustration of power loom weaving.” in History of the Cotton Manufacture in Great Britain by Edward Baines. Licensed under CC-0.

イギリスで機械制大工業が発達した時期は、ドルトン極小期に相当する。ドルトン極小期は、マウンダー極小期よりも寒冷化が進んだわけではない。気候の寒冷化と並んで、イギリスの市場がグローバルに拡大したことが、繊維製品の需要を増大させ、機械制大工業による大量生産を惹き起こしたということができる。もしイギリスが、ヨーロッパの需要だけを相手にしていたならば、産業革命は起きなかっただろう。

3. 能力史観対必要史観

私が知る限り、これまで、小氷期における気温の低下が世界的な衣類の需要を増大させ、繊維製品を大量生産する産業革命の原因となったという説を唱えた人はいない。これは、多くの歴史家が、「しなければならないからする」という必要革命論ではなくて、「できるからする」という能力革命論に立脚しているからだ。

標準的な歴史書では、なぜ産業革命が18世紀後半のイギリスの木綿工業から始まったのかについて、次のような説明をしている。

  1. 技術的条件:ニュートン以来、イギリスでは科学や技術が発達し、これを工業技術に応用する条件が整っていた。毛織物工業は工程が多く、また羊毛の材質上、機械化が困難であったに対して、木綿は均質で丈夫なため、木綿工業は機械化が容易であった。
  2. 経済的条件(資本の本源的蓄積):イギリスは、 17世紀以後のオランダ・フランスとの植民地争奪戦に勝利して、世界の海上権を握り、植民地貿易によって莫大な富を蓄積することができた。また国内でも毛織物工業を中心にマニュファクチュアが発達し、大量の資本が蓄積されていた。 また、農業革命と第2次囲い込みによって多くの失業農民が都市に流入し、豊富な未熟練労働力が創出されていた。
  3. 政治的条件:早い段階で市民革命が起き、封建的特権階級が没落し、ブルジョワ階級が育った。重商主義的規制は強かったが、新興産業である木綿工業には規制が少なく、イノベーションが起きやすかった。ドイツなどとは異なって、早い段階で中央集権的な国民国家を作ることができた。島国で国内に戦火が及ぶことがなかった、云々。

こうした供給サイドの条件も重要であるが、しかし需要サイドの条件はもっと重要である。平賀源内のエレキテルの発明を見ればわかるように、いかに優れた発明であっても、社会が必要としていなければ、実用化されることがない。私がこれまで論じてきた通り、食糧生産革命も都市革命も、能力ゆえにではなくて、必要ゆえに起きたのであった。

能力革命論によれば、軽工業は重工業よりも技術的に容易だから、産業革命は軽工業から始まったということになる。しかし私は、必要革命論に基づいて、軽工業と重工業は目的と手段の関係にあったので、重工業の産業革命は後になったと主張したい。

イギリスは、原料の綿花をアメリカやインドから輸入し、綿織物を世界中に輸出するという地球規模の物流システムを構築していた。だから、綿織物を大量生産する技術に続いて必要な技術は、輸送力を増大させる技術だった。蒸気機関は最初力織機に使われたが、やがて蒸気船や蒸気機関車が発明される。そして、蒸気機関本体に加えて、鉄道のレール、鉄橋、工場や倉庫などの製造のため、鉄の需要が増え、鉄鋼業を中心とする重工業の産業革命が起きたのである。