このウェブサイトはクッキーを利用し、アフィリエイト・リンクを含んでいます。サイトの使用を続けることで、プライバシー・ポリシーに同意したとみなします。

アラブ首長国連邦の歴史と今後の展望

2005年9月9日

アラブ首長国連邦は、ペルシャ湾南部に面する中東の国である。日本人の中には、アラブ首長国連合という国名すら知らない人も少なくないが、アラブ首長国連合からの原油輸入量は、日本の全原油輸入量の24%を占め、国単位では最も多い(1991年度現在)。だから、アラブ首長国連合は、実は、日本にとってきわめて重要な国である。近年、石油依存からの脱却を図り、産業の多角化や新エネルギー産業の開発にも努力している。このページでは、ムハンマド・アル・ファヒム著の『ぼろから富へ:アブダビ物語』を参考に、この国の歴史を学びつつ、その将来にむけての成長戦略を展望したい。

Image by Neil Dodhia from Pixabay.
近未来的な建造物がそびえたつアラブ首長国連邦の首都、アブダビ

1. アラブ首長国連邦の概要

アラブ首長国連邦は、以下の図に示されているように、サウジアラビア、オマーン、イラン、カタールに囲まれた中東の国である。首都は、アブダビ島に位置するアブダビである。

画像の表示
アラブ首長国連邦の位置[1]

中緯度高圧帯に位置するため、降雨量が少ない。海に面してはいるものの、風が南から北に吹くので、その恩恵はあまりない。しかし、近年緑化政策が功を奏して、少量の雨が降るようになった。

アラブ首長国連邦は、アブダビ、ドバイ、シャールジャ、アジュマーン、ウンム・アールカイワイン、フジャイラ、ラアス・アールハイマという七つの首長国から成り立っている。 以下の行政区分地図を見てもわかるように、アブダビ首長国(黄色の部分)が国土の大半を占めている。

画像の表示
アラブ首長国連邦の行政区分図[2]

しかし、アラブ首長国連邦最大の都市は、首都のアブダビではなくて、ドバイ首長国の都市、ドバイである。ドバイは観光や金融に力を入れ、国際都市としての存在感を高めている。

アラブ首長国連邦の人口の8割以上は、外国人で、主としてアジアからの出稼ぎである。他方で、国民は、公務員など政府関係の仕事に従事している。

2. 遊牧民族ベドゥインの習慣

アブダビ近辺では、もともとベドゥインが遊牧で生計を立てていた。ヨーロッパ人がこの地に進出するまでは、キャラバンと呼ばれるイスラム系の商隊がラクダに乗って砂漠を横断するということがよくあった。ベドゥインたちは、歓迎するべきキャラバンを自分たちの野営地に泊まらせ、彼らを保護する義務を負った。

では、キャラバンたちは、歓迎されているかどうかをどうやって判断したのだろうか。それは、ホストから飲み物(例えば、コーヒー)が出されるかどうかでわかる。

もしも、例えば、ある人が他の人の家を訪問して、飲み物が出されなかったら、それは、ホストが訪問者を不快に思っている明確な印で、歓迎されていないことを示した。もしもコーヒーが保留になれば、それは、ホストが訪問者を迷惑がっているということを意味した。同様に、もしも客が出された飲み物を飲まなかったなら、それは、客がホストを不快に思っていることを示した。[3]

中東では、飲み物が貴重だから、こうした習慣ができるのだろうか。この習慣は、今でも続いている。たんにコーヒーが嫌いなだけで、飲むのを断ると「ホストの態度が気に入らない」と言うのと同じことになる。アラブ人には、親日家が多いので、日本人が行けば、たいがいコーヒーを出してくれるのだが、こういうルールがあることを知らないと、誤解されて大変なことになる。

3. ザイード・ビン・ファリファの支配

大航海時代になると、イスラム商人に代わって、ヨーロッパ人がこの地方の通商を担うようになる。アブダビ周辺諸国は、1853年に締結された休戦協定に因んで、「休戦国家」と呼ばれていた。

インドを植民地化した英国は、インドと中東との交易を安全にするために、ペルシア湾内のシーレーンを確保しようとした。そして、アラブの原住民が、一致団結して英国に抵抗しないように、部族どうしが争い合うように画策していた。

アブダビで権力闘争に勝利したのは、シェイフ[4]・ザイード・ビン・ファリファである。彼は、1855年から1909年にかけて、長期間にわたって、アブダビとその周辺の支配者となった。

彼は、1868年に、シャルジャの支配者であるシェイフ・ファリド・ビン・スルタンを一対一の格闘で殺害することで、打ち負かし、かくして、ベドゥインの部族の間で大きな名声と尊敬を獲得した。[5]

トップ同士の決闘で権力闘争にけりをつけたというのだから、19世紀であるにもかかわらず、この地域はまだ前近代的な段階にとどまっていたということがわかる。

シェイフ・ザイード・ビン・ファリファは、フランスと手を結んで、英国の支配に対抗しようとしたが、うまくいかなかった。シェイフ・ザイード・ビン・ファリファの死後、後継者の地位をめぐって、暗殺が連続的に起きている。アルファヒンは、英国の陰謀だと言っている。英国は、原住民の支配者が言うことを聞かなくなると、そのライバルとなる親戚を応援するということをしていたようだ。このため、休戦国家は、英国の支配から脱することはできなかった。

4. 真珠生産から石油生産へ

石油を輸出する前のペルシャ湾岸地帯の主要な輸出品は、真珠であった。天然真珠の採取は、苛酷な労働であったが、これによって、人々が豊かになることはなかった。

不幸なことに、真珠産業で本当に儲けた人々は、商人に限られており、その大部分はインド人であった。商人たちは、真珠を買って、インドで、世界の他の地域に配給する卸業者に転売した。[6]

インドは、英国の植民地だから、実際に儲けているのは英国人ということになる。その証拠に、直接取引きを禁止していたのは、英国軍だった。もっとも、宝石の売買は、伝統的にユダヤ商人が強いから、ユダヤ系の英国人が捌いていたのかもしれない。

1930年代になると、日本の安い養殖真珠が世界市場を席巻し、真珠の価格の暴落により、湾岸地帯の天然真珠産業は崩壊する。アブダビは、真珠に代わる輸出品を求めたが、石油で国家財政が潤うようになるまでには、長い時間が必要だった。

5. 英国の植民地統治

1892年までに、全ての首長国が英国の保護下に置かれた。

嘆かわしいことに、英国は、ほぼ二世紀にわたって休戦国家に君臨していたにもかかわらず、この地域の教育と医療にまったく貢献しなかった。英国は、1959年までは、アブダビの人々の生活改善のために何も造らなかった。彼らは、学校、診療所、モスクを一軒も建てなかった。[7]

これは、英国の植民地統治と日本の併合地統治の大きな違いである。日本人は、併合地を内地と同等視し、インフラを整備し、学校を造り、人材を育て、産業を興した。その結果、日本が統治した台湾や韓国は、独立後、近代的な工業国家になることができた。日本は、南洋諸島でも教育に力を入れ、製糖工場などを造ったが、太平洋戦争後、米国が統治するようになると、観光産業だけの島になってしまった。もちろん、工業化には、環境破壊などの負の側面もあった。しかし、島民たちは、日本の近代化の努力をおおむね評価している[8]

これに対して、英国をはじめとするヨーロッパ諸国は、愚民政策で植民地を統治をしようとした。教育を行わないことで被支配者をできるだけ無知蒙昧な状態に放置し、支配者階級にならないようにした。さらに被支配者内部の対立を煽って、植民地統治への叛乱が起きないようにしようとした。こうした愚民政策のおかげで、ヨーロッパが統治した国々のほとんどが、近代的な工業国家になることができなかった。

韓国人の中には、日本ではなくて、英国か米国の植民地になっていれば、今頃韓国人はもっと英語が堪能になっていたであろうにと嘆く人がいる。しかし、もし朝鮮半島が英国か米国の植民地になっていたなら、たぶん今頃半島の国は、フィリピンのように、英語は堪能だが、まともな工業が育っていない貧しい国になっていただろう。

英国は、第二次世界大戦後は福祉国家となり、そのため、1960年以降は、植民地にも学校を作るようになった。しかし、1962年に、ムハマンド・アル・ファヒームの母が30歳で死亡した時には、湾岸地帯に医者も看護士も一人もいなかったというから、この地域の福祉がいかに遅れていたかがわかる。

6. UAEの独立

1968年1月に、イギリスは、スエズ以東の湾岸地方の植民地支配から撤退することを表明した。当時の英国は、増大する軍事費に悩まされていたのだ。

ハロルド・ウィルソンが率いる労働党政権は、それゆえ、この支出項目を削減することに取り掛かり、1967年2月16日に出版された白書の中では、更なる削減が表明された。この政策の目玉の一つは、スエズ以東のほとんどすべてのイギリスの軍事拠点を整理し、何万人という兵士とその家族を引き上げるということであった。[9]

英国が撤退することを表明した理由は財政的なものなのだが、アラブ民族主義の高揚という政治的な理由もあったようだ。かくして休戦国家は、アブダビ首長国を中心として、アラブ首長国連邦として独立することとなった。初代大統領は、アブダビ首長国の支配者で、シェイク・ザーイド・ビンハリーファ・アールナヒヤーンの孫である、シェイク・ザーイド・ビンスルタン・アールナヒヤーンである。

シェイク(Sheikh)は、アラブ諸国で、指導者につける敬称であるが、そこから先も、よく似ている。このことを説明するために、アラブにおける命名のルールを説明しよう。アラブでは、個人の名前は、「自分の名前ビン父の名前アール姓」という形で表す(女性の場合は、ビンがビントになる)。子の名前には、祖父の名をつけることが多い。だから、この二人は、父の名前以外は同じなのである。

以下は、ナフヤーンの家系である。命名の法則に当てはめて、理解してほしい。

  • Zayed bin Khalifa Al Nahayan(祖父=アブダビの覇者)
  • Sultan bin Zayed Al Nahayan(父=アブダビの支配者)
  • Zayed bin Sultan Al Nahayan(本人=初代UAE大統領)
  • Khalifa bin Zayed Al Nahayan(息子=現UAE大統領)

現大統領は、4世代前の祖先の名前を取ったようである。

アラブ首長国連邦が独立し、英国が撤退すると、かつて英国が独占した市場に、日本、フランス、ドイツ、イタリア、米国など他の先進国がなだれ込んできた。

例えば、日本人は、エアコンの付いた、より小型でコンパクトな車を提供した。日本人は、また、四輪駆動の車を安い価格で作った。日本人が作った可動発電機は、英国の類似の機械よりも動かすのが容易であった。[10]

英国はイスラエルを支持したために、アラブ人の間で英国製品に対するボイコット運動が起きた。このため、湾岸地域の市場が拡大したにもかかわらず、英国はあまり利益を受けることがなかった。

イスラム圏の映像を見ていると、走っている車のほとんどがトヨタの車であることに気付く(反欧米の民族主義者やテロリストたちは特にトヨタの車を使う)。英米がイスラム圏を敵に回したおかげで、日本企業は、いろいろと得をしている。逆に言うと、英米は、イスラムを敵に回す損害を覚悟の上で、イスラエルを支持しているということである。

7. ザーイド・ビンスルタンの治世

アブダビは距離的に離れていることもあって、第三次中東戦争までは、イスラエルとの紛争に関わらずにきた。しかし、独立後に起きた第四次中東戦争のときには、UAEは、アラブの団結のために積極的に行動した。

1973年にイスラエルと闘っていたアラブの同胞を支持するために、シェイフ・ザイードは、アラブの国家元首としては最初に石油の全面輸出禁止という英断を下した。その後すぐに、サウジアラビアがそれに倣った。[11]

1980年になると、イランとイラクが国境をめぐって戦争を始めた。イラク・イラン戦争である。

イラク・イラン戦争を通じて、アラブ首長国連邦は、国連の援助を受けつつも、アラブとイスラムの組織によって事態を収拾するべく調停に乗り出し、ほとんどあらゆる犠牲を払ってでも、列強を湾岸から排除しようと提唱した。[12]

こうして形成されたのが、アラブ首長国連邦をはじめ、サウジアラビア、クウェート、カタール、バーレーン、オマーンといったペルシャ湾岸諸国から構成されるGCC (Gulf Cooperation Council 湾岸協力会議) である。この点、米ソ超大国の対立を契機に1958年に発足したEEC(European Economic Community=欧州経済共同体)と似ている。しかし、GCCは、まだ、EUのように共通通貨を発行するほどには、統合されてはいない。

シェイク・ザーイド・ビンスルタン・アールナヒヤーンは、祖父のシェイク・ザーイド・ビンハリーファ・アールナヒヤーンとは異なり、武力ではなく、対話を重視した。2004年に死去し、30年以上に及ぶ治世を終えたが、今でも現地の人々から、名君として慕われている。

8. UAEの今後の戦略

1970年代の原油価格の高騰で、OPEC諸国は一時的に潤ったが、石油輸入国が不況に陥り、石油の輸入量が減り、80年代になると原油価格は暴落した。最近になって、石油の価格が上昇しているが、石油の恩恵にいつまでも頼っているわけにはいかない。脱石油を最初に進めたのは、ドバイだった。ドバイは、石油資源が、アブダビほど豊かではないので、早くから観光や金融などに力を入れ、産業の多角化を進めてきた。ドバイ首長国の石油からの収益は、1975年にはGDPの64%を占めていたが、今では、非石油部門がGDPの97%を占めている。これは、非石油部門がGDPの37%にすぎないアブダビ首長国とは対照的である。

画像の表示
ドバイに作られているパームアイランド。観光用施設などが建設される予定の人工島で、椰子の木の形をしているので、こう呼ばれる。[13]

アブダビ首長国の石油は、現在のペースだと150年は枯渇しないと言われるほど豊富なのだが、アブダビ首長国の人々は決して安心していない。代替エネルギーが主流になって、石油価格は暴落するかもしれないという懸念を持っている。そこで、彼らは、最近、石油以外の燃料が主流になっても、エネルギー利権が握れるようにと、マスダール・イニシャティブと呼ばれる代替エネルギー開発のプログラムを始めた。

プログラムの具体的な内容としては、以下の三つがある。

  1. 2億5千万ドルの「マスダールクリーン技術基金」が、アブダビの環境に適用可能なクリーンエネルギー、水問題、環境問題の解決策に重点的に投資される。
  2. 「持続可能な技術と先端的研究プログラム」は、商業化可能な事業との合弁を行う。太陽光発電、海水の淡水化、バイオ燃料に焦点が当てられている。
  3. 「マスダール・ビジネス・インキュベータ」は、6平方キロメートルのスペシャル・フリー・ゾーンで、最大で1500社までの、駆け出しのベンチャー企業の育成と指導を行い、2009年に稼動する。

アブダビ首長国は、技術の輸入国から輸出国への変貌を図るべく、マスダール・インスティチューションという大学院大学を設置する。MITとの協力の下、MITを模範として作られるとのことであるが、日本の東京工業大学など、世界各国の高水準の大学とも研究のネットワークを形成するとのことである。モハメッド・アールファフィンは、石油で稼いだ金を教育に使えと言っている[14]。確かに、代替エネルギーが主流になったり、石油が枯渇しても、国内に人的資源と知的権利があれば、アラブ首長国連邦は、その豊かさを失わずにすむだろう。

9. 参照情報

関連著作
注釈一覧
  1. NuclearVacuum. “United Arab Emirates." Licensed under CC-BY-SA. Modified by me. Cf. Map of the United Arab Emirates, converted directly from CIA World Factbook GIF.
  2. Pqks758. “アラブ首長国連邦の行政区分図." Licensed under CC-BY-SA.
  3. “If, for example, someone visited another’s house and was not offered a refreshment, it was a clear sign of the host’s displeasure with the visitor and an indication that he was not welcome. If coffee was withheld, it meant the host was annoyed with the visitor. Similarly, if the guest did not drink the refreshment he was offered it was an indication that he was displeased with the host.” Mohammed Abdul Jalil Al Fahim. From Rags to Riches: The Story of Abu Dhabi. Arabian Publishing Ltd (2008/6/9). p. 27.
  4. シェイフ(Sheikh)は、アラブ諸国で、指導者につける敬称である。
  5. “He defeated Sheikh Khalid bin Sultan, ruler of Sharjah, in 1868, by killing him in one-on-one combat thus gaining much prestige and respect among the bedouin tribes.” Mohammed Abdul Jalil Al Fahim. From Rags to Riches: The Story of Abu Dhabi. Arabian Publishing Ltd (2008/6/9). p. 34.
  6. “Unfortunately, the only people who really benefited from pearling were the merchants, most of whom were Indians. They bought the pearls and re-sold them in India to wholesalers who then distributed them to the rest of the world.” Mohammed Abdul Jalil Al Fahim. From Rags to Riches: The Story of Abu Dhabi. Arabian Publishing Ltd (2008/6/9). p. 40.
  7. “It is disappointing that the British, despite their presence in the Trucial States for almost two centuries, never lifted a finger to help us in the areas of education and  health care. Not a single brick was laid by the British before 1959 to help the people of Abu Dhabi better their lives; they never built a school, a medical clinic or a mosque.” Mohammed Abdul Jalil Al Fahim. From Rags to Riches: The Story of Abu Dhabi. Arabian Publishing Ltd (2008/6/9). p. 58.
  8. これについては、拙著「北マリアナ諸島知事の就任式に出席」や「ロタ島滞在記」を参照されたい。
  9. “The Labour Government under Mr Harold Wilson therefore undertook to reduce this item of expenditure, and in a White Paper published on 16 February 1967 further cuts were envisaged. One of the central features of this policy was to liquidate almost all British military bases east of Suez, withdrawing tens of thousands of men and their families.” Mohammed Abdul Jalil Al Fahim. From Rags to Riches: The Story of Abu Dhabi. Arabian Publishing Ltd (2008/6/9). p. 336.
  10. “The Japanese, for example, offered smaller more compact cars equipped with air conditioning. They also produced more affordable four-wheel driver vehicles as well as portable generators which were  easier to move than similar British machines.” Mohammed Abdul Jalil Al Fahim. From Rags to Riches: The Story of Abu Dhabi. Arabian Publishing Ltd (2008/6/9). p. 147.
  11. “In support of our Arab brothers who were engaged with Israel in 1973, Sheikh Zayed was the first Arab head of state to take the courageous decision to stop the export of oil completely. Saudi Arabia followed suit immediately.” Mohammed Abdul Jalil Al Fahim. From Rags to Riches: The Story of Abu Dhabi. Arabian Publishing Ltd (2008/6/9). p. 158
  12. “Through the Iraq-Iran war the UAE advocated keeping the super power rivalries out of the Gulf at almost any cost, calling for a settlement brokered by Arab and Islamic organisations with the support of UN.” Mohammed Abdul Jalil Al Fahim. From Rags to Riches: The Story of Abu Dhabi. Arabian Publishing Ltd (2008/6/9). p. 385.
  13. NASA. “The resort Palm Jumeirah, Dubai, United Arab Emirates." Licensed under CC-0.
  14. Mohammed Abdul Jalil Al Fahim. From Rags to Riches: The Story of Abu Dhabi. Arabian Publishing Ltd (2008/6/9). p. 188.