8月 252001
 

複雑系という言葉が、ジャーナリスティックな流行語となったのは、1992年にミッチェル・ワールドロップの『複雑系』(Complexity: The Emerging Science at the Edge of Order and Chaos)が出版されてからであり、それはちょうど、ソ連が崩壊し、世界が新たな時代を迎えようとする時だった。なぜ複雑系が流行したのか、その時代背景を探りたい。

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1989年におけるベルリンの壁の崩壊。“The Fall of the Berlin Wall, 1989” by Lear 21 is licensed under CC-BY-SA.

1. 複雑系とは何か

複雑系とは、複雑な(不確定な)環境に晒されつつ、その複雑性(不確定性)を縮減することを通して、自己自身を複雑にする系(システム)である。複雑系の定義はいろいろあるが、私は、こう定義する。

システムが選択するのとは他のように選択する可能性が、システムの環境である。だから、私にとって他者は環境であり、他者にとって私は環境の一部である。社会システムにおいては、私の選択は、他者の選択に依存し、他者の選択は私を含めたその他者の他者の選択に依存している。私が環境に対応しようと選択を変更すると、それは他者にとっての環境の変化を意味するので、他者も環境の変化に対応しようと選択を変更する。すると私にとっては、それは新たな環境の変化をもたらすので、さらに選択を変更する必要が出てくる。意識システムの選択が相互に依存する社会システムは、このように、複雑性の縮減がシステムの複雑性を増大させるという意味で、複雑系である。

河本英夫が、「第三世代システム論」と称して宣伝しているオートポイエーシスも複雑系の一種である [河本 英夫:オートポイエーシス―第三世代システム]。ロジスティック写像がそうであるように、自己自身を変数とする関数は、過去の自己が現在の自己の環境となる。この場合も、環境に対応することが環境の新たな変化をもたらすので、変数と関数が同一にならない限り、システムは無際限にカオス的な振る舞いを続けることになる。オートポイエーシスは、他者ではなくて、自己自身を環境として準拠する点で特殊であるが、自己言及のパラドックスは、古代ギリシャから論じられている陳腐なテーマであり、「第三世代」と形容するほど新しいシステム論ではない。

2. 複雑系研究の歴史

もっとも、私は、システム論の歴史に不連続なパラダイム・チェンジがなかったと考えているわけではない。近代的な意味でのシステム論の歴史は、第二次世界大戦後のサイバネティックスから始まるのだが、その性格は、1970年代を境に大きく変化する。70年代以前のシステム論は、環境に生じた攪乱要因に対して、ネガティブ・フィードバックを通じて、自己を維持する安定化のメカニズムが研究された。ところが、70年代になると、カタストロフィー理論が流行し、イリア・プリゴジンの散逸構造論がノーベル化学賞を受賞するなど、平衡系よりも非平衡系が注目を浴びるようになり、それが現在の複雑系ブームにまで続いている。

では、なぜ70年代なのか。実は、社会システム自体が70年代以降、複雑系化したからである。それ以前の独占資本主義体制と共産主義体制は、現在のシステムと比べれば、単純系であった。単純系とは、トップの意志で、全体が一糸乱れず動く確定的システムである。計画経済を推進する東側経済はもとより、大きな政府が総需要管理を行い、巨大資本がコングロマリットを形成して、規格製品の大量生産を行っていた西側経済も単純系であった。

ところが1973年に、それこそカタストロフィー的に、固定為替相場制が崩壊し、石油危機によるスタグフレーションが始まると、世界経済は、独立的な国民経済の集合からグローバルなネットワーク経済へと相転移していく。政府はケインズ政策で国民経済をコントロールすることができなくなり、企業は垂直統合型の組織を水平分業型の組織へとリストラクチャリングしなければならなくなる。

複雑系という言葉自体は、1992年から流行するわけだが、その流行に先立って、複雑系研究に相当する科学研究の傾向が、1973年以降、盛んになっていた。ただ、ジャーナリズムは、ソ連の崩壊と冷戦の終結がもたらした、新たな不確定性の時代を象徴する流行語を望んでいた。ミッチェル・ワールドロップの本は、時流に乗った本だったのである。

3. 複雑系のブームは時代の産物である

複雑系のブームが、知識社会学的に相対化されることを好まない人もいる。

世の中が複雑になってきたことと、複雑系が科学の領域で注目されてきたこととの間に、直接的な因果関係は何もない。いや、それ以前に、「世の中が複雑になってきた」か否かも疑問である。なぜなら、少なくとも複雑系の科学の見地から見る限り[…]世界は世の初めからずっと、いつも既に複雑なものとして与えられているからである。

[吉永 良正:「複雑系」とは何か, p.47]

かつて機械論的決定論が科学の主流だった頃、科学の崇拝者はきっとこう考えただろう。

世の中が機械論的になってきたことと、機械論が科学の領域で注目されてきたこととの間に、直接的な因果関係は何もない。いや、それ以前に、「世の中が機械論的になってきた」か否かも疑問である。なぜなら、少なくとも機械論の見地から見る限り[…]世界は世の初めからずっと、いつも既に機械論的に決定されたものとして与えられているからである。

現在の科学者が自然や社会に対して機械論的決定論を信奉する100年前の科学者とは異なる見方をしているように、100年後の科学者は自然や社会に対して現代の複雑系研究者とは異なった見方をしている可能性はきわめて高い。かつての決定論的研究と同様に、複雑系研究も所詮は時代の産物なのである。

複雑系の時代を迎えることが、幸か不幸かは判断の分かれるところである。秩序と予測可能性が失われた不安な時代と否定的に捉えることもできるし、常に新しい秩序が創発することを期待できるエキサイティングな時代と肯定的に捉えることもできる。ともあれ、私たちは、与えられた時代を生きていかなければならない。

読書案内
書名複雑系―科学革命の震源地・サンタフェ研究所の天才たち
媒体文庫
著者M.ミッチェル ワールドロップ 他
出版社と出版時期新潮社, 2000/05
書名Complexity: The Emerging Science at the Edge of Order and Chaos
媒体ペーパーバック
著者M. Mitchell Waldrop
出版社と出版時期Touchstone Books, 1992/01/15
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