3月 272005
 

文明以前の古代エジプトにはどのような宗教があったのか。ピラミッドは何のために建造されたのか。出エジプトに描かれているモーセの奇跡は史実だったのか。『吉村作治の古代エジプト講義録』を読みながら、考えてみよう。

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1 : 古代エジプトの屈葬

エジプトでも、ミイラ作りが行われる前では、縄文時代の日本と同様、遺体の手足を折り曲げて埋葬する屈葬が行われていた[1]

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ミシシッピーの石箱に屈葬された遺体[2]。屈葬は、エジプトや日本だけでなく、様々な先史文化で確認されている。

吉村は、なぜ屈葬が行われていたかに関して三つの説を挙げている。私なりに、三つの説に名前をつけて、検討してみたい。

1.1 : 労力節約説

手足が伸びた状態よりも、折り曲げた方が、土の中に埋める際、作業が簡単になるからという説。しかし、埋葬者が、屈葬された遺体の周囲に、手間をかけて、たくさんの副葬品を置いていることからもわかるように、埋葬は宗教的な理由で行われるのであって、生ごみの処理に対して行われるような合理的観点からだけで説明することは、不十分である。

1.2 : 悪霊封印説

悪霊に憑かれた死人が立ち上がって、追いかけてこないように、手足を折り曲げたという説。だが、足を折り曲げたぐらいでは、悪例を封印することはできまい。もしもゾンビを完全に無力化したいのであれば、火葬にするか、首を切ればよい。世界の多くの文化圏で、斬首刑が絞首刑よりも重いとされるのは、首を切られると、霊が死体に戻って生き返ることができないと信じられているからである。

1.3 : 胎内回帰説

死者を母体の中にいた頃の胎児の姿に似せて母なる大地に葬り、再生を願うという説。私は、この説を支持する。

すると、古代の人々は母体の中で胎児がどんな形をしているかを知っていたということになるが、どうやってそのことを知ったのかという反論もあるだろう。もちろん、わざわざ母親の腹を切ってのぞいてみたとは思えないが、流産などの際に見たのだとすれば、つじつまは合う。[3]

日本の東北には、妊婦が死んだ時、胎児の霊があの世にいけるように、妊婦の腹を割いて、胎児を取り出し、葬儀を行うという習慣があった。そうした機会に、胎内の様子を知ることができたと考えることができる。

屈葬が行われていたということは、統一国家ができる以前のエジプトが、母権社会的であったことを示唆している。ちなみに、エジプトでは、文明国家となった後でも、女性の地位は高かった。

2 : アクトとカーとバー

アクトとカーとバーは、肉体(質料)と形相と魂に相当する。プラトンは、ソクラテスの死後、エジプトに旅行し、エジプトの「カー」の思想を知って、大きな衝撃を受け、それをイデアと訳した[4]

カーがイデアに相当するのなら、アクトとカーとバーは、近代哲学的に言えば、意識対象と意識内容と意識作用、物理学的に言えば、物質とエントロピーとエネルギーに相当する。人間が死んでも、ミイラとして保存すれば、形相であるカーは肉体とともにこの世に残るが、バーはあの世に行く。物理学的に言えば、魂の不滅は、エネルギー保存則にしたがっている。

人間が死ぬと、「バー」は「カー」から離れて、あの世に行ってしまう。もし肉体も完璧に滅びてしまえば、存在の本質である「カー」だけが、この世に残ることとなる。「カー」のおさまるところが、なくなってしまうのである。これは、例えば出勤したサラリーマンが定期券をもって、帰るべき家がなくなってしまってうろうろしているようなものだ。「カー」にとっては、不安でたまらない。

そこで、肉体が滅びても「カー」の落ち着くところが必要になるので、生前の肉体にかわる第二の肉体を用意した。それがミイラであり、石の彫刻なのだ。[5]

それでは、ピラミッドは、ファラオ個人のミイラとは別に存在する、エジプト王朝そのもののミイラだと言うことはできないだろうか。ピラミッドは、ファラオを頂点とし、平民たちを底辺とする国家のヒエラルキーを視覚的によく象徴している。歴代の王朝は滅んでしまったが、王朝のカーは、ピラミッドの形となって残り、おかげで、古代エジプト文明は、今も私たちの心の中で生き続けている。

従来、ピラミッドは王墓だとみなされてきたが、吉村作治は、一代で五基のピラミッドを建造したスネフェル王の例を挙げて、これを否定する。ファラオのミイラは、マスタバと呼ばれる地下の埋葬室に葬られるのが慣例であり、これまで、ピラミッド内部を含めて、地上に埋葬室が設けられたことは一度もない。

碑文によれば、人が死して来世に行くということを、「地より出ずる」と表現している。ということは人の魂「バー」は地の中にある遺体から出るということで墓は地の中に埋もれているということになる。[6]

古代エジプトでは、ピラミッドを「メル」(昇天の場)と呼んでいた。ピラミッドの設計をめぐっては、星辰(北極星)信仰を持つ外来派と太陽信仰を持つ民族派の間で意見の対立があったが、最終的に民族派が勝ち、ピラミッドは太陽が昇る場となった。

もしもピラミッドが、エジプト王朝のカーが宿るアクトだとするならば、その魂であるバーは太陽ということになる。太陽は、夜になると、地下の冥界に行くが、翌朝、再び復活して、ピラミッドが聳え立つ地上に戻ってくる。

なお、儒教でも、人は死後に、魂と魄に分れ、魂は天に昇るが、魄は地に降りるので、死後に脱け出た霊魂が再び戻って、憑く場所が必要と考えられていた。そのため、儒教徒は、死者を土葬にし、位牌を大切に保存する。

3 : 出エジプト

出エジプトの話は、旧約聖書でおなじみである。

モーセが手を海に向かって差し伸べると、主は夜もすがら激しい東風をもって海を押し返されたので、海は乾いた地に変わり、水は分かれた。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んで行き、水は彼らの右と左に壁のようになった。エジプト軍は彼らを追い、ファラオの馬、戦車、騎兵がことごとく彼らに従って海の中に入って来た。朝の見張りのころ、主は火と雲の柱からエジプト軍を見下ろし、エジプト軍をかき乱された。

[…]

モーセが手を海に向かって差し伸べると、夜が明ける前に海は元の場所へ流れ返った。エジプト軍は水の流れに逆らって逃げたが、主は彼らを海の中に投げ込まれた。水は元に戻り、戦車と騎兵、彼らの後を追って海に入ったファラオの全軍を覆い、一人も残らなかった。イスラエルの人々は海の中の乾いた所を進んだが、そのとき、水は彼らの右と左に壁となった。主はこうして、その日、イスラエルをエジプト人の手から救われた。イスラエルはエジプト人が海辺で死んでいるのを見た。[7]

出エジプトの時代の実質的なファラオは、メルエンプタハだった。吉村作治によると、メルエンプタハは、モーゼを追っている時に、溺死した。

メルエンプタハのものらしきミイラがエジプト考古学博物館にあるのだが、通常のミイラは茶色に近い色をしているのに、そのミイラだけは真っ白で、まさに溺死したような感じなのだ。[8]

真っ白だったということが、死蝋化したことを意味するのならば、死体が水中や湿った土中に置かれ、空気が遮断された状態で長期間放置されたということを示唆している。

この「奇跡」の舞台となった「芦の湖」を地中海東海岸にある干潟に求め、当時噴火によって陥没したサントリニ島に海水が流入し、その結果、引き潮が、そしてその後、反動で津波が起きたことで、この「奇跡」を説明しようとする解釈がある。確かに、引用した箇所にも、「火と雲の柱」という、火山の噴火を連想させる記述がある。

4 : 読書案内

吉村作治が出している本の大半は通俗的なもので、古代エジプトの通史である本書は、初歩的とはいえ、比較的学問的な方である。古代エジプトの勉強をするなら、まずこの本から始めてみてはどうだろうか。

書名吉村作治の古代エジプト講義録〈上〉
媒体単行本
著者吉村 作治
出版社と出版時期講談社, 1994/05
書名吉村作治の古代エジプト講義録〈下〉
媒体単行本
著者吉村 作治
出版社と出版時期講談社, 1994/08

文庫版なら、もっと安く手に入る。

書名吉村作治の古代エジプト講義録〈上〉
媒体文庫
著者吉村 作治
出版社と出版時期講談社, 1996/11
書名吉村作治の古代エジプト講義録〈下〉
媒体文庫
著者吉村 作治
出版社と出版時期講談社, 1996/11

5 : 参照情報

  1. 吉村 作治.『吉村作治の古代エジプト講義録〈上〉』. 講談社プラスアルファ文庫. 講談社 (1996/11). p.46.
  2. Herb Roe. “A Mississippian culture stone box burial with the body in the flexed position.” Licensed under CC-BY-SA.
  3. 吉村 作治.『吉村作治の古代エジプト講義録〈上〉』. 講談社プラスアルファ文庫. 講談社 (1996/11). p.47.
  4. 吉村 作治.『吉村作治の古代エジプト講義録〈上〉』. 講談社プラスアルファ文庫. 講談社 (1996/11). p.98.
  5. 吉村 作治.『吉村作治の古代エジプト講義録〈上〉』. 講談社プラスアルファ文庫. 講談社 (1996/11). p.96-97.
  6. 吉村 作治.『吉村作治の古代エジプト講義録〈上〉』. 講談社プラスアルファ文庫. 講談社 (1996/11). p.114.
  7. 「出エジプト記」14:27-30.『聖書』. 新共同訳. 日本聖書協会 (1998/1/1).
  8. 吉村 作治.『吉村作治の古代エジプト講義録〈下〉』. 講談社プラスアルファ文庫. 講談社 (1996/11). p.197.
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