日本はなぜリーマン破綻の影響を大きく受けたのか
日本がリーマン・ショックに対して脆弱だったのは、竹中の改革を実行したからではなくて、むしろ逆に竹中の改革が受け入れられなかったからであり、責任は、小泉・竹中という改革コンビよりも、むしろ与謝野・白川というデフレ容認コンビにある。[1]
1. 問題提起
日本はサブプライム住宅ローンにあまり関与していなかったにもかかわらず、サブプライム住宅ローン危機、さらにはリーマン・ショックの影響を当事者以上に受けた。その理由は何か。山家悠紀夫(元神戸大学教授)は次のように説明する。
第一は「構造改革」のもとで国内需要がまったく伸びない経済になっていたことです。家計所得は、九八年以降、橋本内閣の頃から減る一方です。そのため消費が伸びない。この傾向は小泉内閣のもとでいっそう顕著になりました。国内の需要がまったく増えないで、輸出依存型の経済になっていた。そこにアメリカをはじめとする海外景気の悪化です。輸出が大幅に減少し、それとともに国内景気がたちまち悪くなった。防波堤が低くなっていた、ということです。第二は、この十年ほどの間に格差が拡大し、貧しい人がたいへん増えていた、また、非正規の社員、不安定な就労状態の人が増えていて、そうした人たちが派遣切りや雇い止めにあって、たちまち生活に困る、蓄えもないし、寮や社宅を追い出されたら住む場所もない人が大量に存在していたことです。津波が来たらひとたまりもない、海辺に住む人が増えていた、ということです。第三は、社会保障が、この間、貧弱なものにされてしまい、失業しても雇用保険をろくに受けられない人が山ほどいる、生活保護も受けにくい、という状況がつくり出されていたことです。たいへんな状況になっています。[2]
要するに、小泉改革で日本の内需が伸び悩み、外需依存となっていたこと、社会保障や権利保護が貧弱な非正規労働者が増えたことが原因というのである。これは当時の多くの日本人によって共有されていた認識である。そしてこういう時に、小泉純一郎とともに槍玉に挙げられるのが竹中平蔵である。大門実紀史(日本共産党参議院議員)は次のように言う。
私は、日本の新自由主義の推進者であった竹中平蔵氏(元・経済財政担当大臣)と五〇回以上、国会で論戦しました。新自由主義は「自由競争が経済を活性化する」といいますが、実際は大企業や大資産家支援の経済政策を進めただけだと思います。
竹中氏は、多国籍企業が国際競争力をつけて世界で稼いでくれれば、いずれそのお金が雇用や賃金、中小企業にもまわって日本経済全体がよくなる、だから大企業支援は必要だといいました。この「トリクルダウン」論の欺瞞性をわが党は最初から見抜いて批判しました。
大企業に競争力をつけてあげるというのは、企業の負担を軽減してあげることです。非正規雇用の拡大、賃金のおさえ込みによる人件費の軽減、法人税や優遇税制など税金の負担や社会保障の負担を軽くしてあげるということです。その分、国民には不安定雇用、収入減、負担増が押し付けられたのです。
そもそも、いまの日本の経済危機は、自動車など一部の大企業が国際競争力を強めすぎて引き起こした過剰生産恐慌でもあるわけです。競争力があるから、アメリカで日本の工業製品が、他国の製品を押しのけて売れた。その競争力は、技術力だけでなく、派遣など日本の労働者の低賃金構造のうえに築いた価格競争力でもありました。強い競争力があるがゆえに、生産を拡大し過剰生産恐慌におちいったのです。強い国際競争力が、かえって大災害をまねいたともいえます。[3]
共産党固有のバイアスを除けば、これも多くの人によって共有されている認識である。しかし、結論から言えば、日本の失われた10年が失われた20年(またはそれ以上)になったのは、小泉・竹中改革が原因ではない。
まず、小泉・竹中改革で、国内の需要がまったく増えないで、日本経済が輸出依存型の経済になったというのは事実誤認である。小泉内閣(2001年-2006年)の時期の日本では、民間最終消費支出は、対前年比で毎年増加している[4]。また日本は、輸出額の対GDP比が経済協力開発機構(OECD)諸国の中では米国に次いで低いので、日本経済が輸出依存型の経済であるとも言えない。たしかにリーマン・ショックの年に輸出額の対GDP比が上昇したが、それは、小泉・竹中改革が終わった後だから、小泉・竹中改革が原因ではない。
では、日本経済が外需依存的でないのにもかかわらず、リーマン・ショックの影響を大きく受けたのはなぜなのか。RBS証券の西岡純子は、日本は輸出依存度は低いが輸出感応度は高いと言っていた[5]。日本には、直接輸出はしないが、輸出企業に関連した仕事をしている企業が多いというのがその理由とのことだが、それは他の輸出国についても言えることで、説明になっていない。むしろ日本はデフレ感応度が高いから、世界的なデフレや円高にネガティブに反応するというべきである。
バブル崩壊後、慢性的にデフレが進行していたにもかかわらず、日銀はリフレーションに消極的であった。そして、竹中はデフレを放置し続けている日銀に対して批判的であった。公開された政策委員会・金融政策決定会合の議事録によると、竹中は日銀に対してインフレ・ターゲットを提案した。
日銀は01年3月に当座預金残高を目標とする量的緩和策を導入したが、その後の物価下落に歯止めがかからなかった。竹中平蔵経済財政担当相は8月14日の会合で「インフレターゲット論も含めてメッセージ性も今後の議論の対象に加えていただきたい」と表明した。この発言が政府・与党を巻き込んだインフレ目標の議論に発展する。
日銀の反応は総じて冷淡だった。速水優総裁は「物価目標だけを取り上げて論ずるようなことは決して生産的とは言えない」と反論。山口泰副総裁も「金融政策だけでデフレ圧力に対応していくことは、非常に大きな無理がある」と述べた。日銀内では中原伸之審議委員だけが「中期的な目標を持つことが絶対に必要だ」と賛意を示した。
政府は自民党の小泉政権下で財政構造改革を進めており、財政出動については「議論の余地は少ない」(竹中氏)という事情があった。竹中氏は「政策目標の独立性と政策手段の独立性という議論もある」「知恵を出していただきたい」と再三、日銀に迫ったが、すれ違ったままだった。速水総裁は10月12日の会合で「あまり皆が価格が下がるのはデフレで大変だと大騒ぎされるのはどうかと思う」と問題を軽視するかのような発言もした。[6]
2005年10月に竹中に代わって経済財政政策担当相に就任した与謝野馨は、金融正常化を主張し、日銀による量的緩和解除に賛成した。竹中は、「マネーが不足しているからデフレが続いている。少し木が育ち始めたので枝を刈っても良いのではないかという動きや、経済に負担をかけることを避けないといけない」と言って量的緩和解除に反対した[7]。竹中の牽制にもかかわらず、日銀は量的緩和を解除し、その半年後には景気は悪化し始めた。
与謝野馨は、リーマン・ショックが起きた時も経済財政政策担当相で、この時も「ハチが刺した程度」と影響を軽視する発言をした。こういう人物が財務大臣や金融担当大臣まで兼任したため、麻生内閣のもとでは大胆な金融緩和政策が取られることはなく、そのため、日本は、中央銀行が大規模な金融緩和を行った欧米と比べて、リーマン・ショックの影響を大きく受けることになった。
日銀は2012年2月14日の政策決定会合において、ようやくバーナンキ議長に追従する形でインフレ・ターゲットもどきの追加緩和策を発表した。その内容は十分とは言い難いが、それでも市場は円安と株高で反応した。竹中は、これを評価しつつも、次のように言っている。
メディアや専門家の一部も、これまで物価目標には反対してきた。こうした人々は、今回の日銀の決定を批判するのだろうか。今後の政策論議に役立てるためにも、責任ある論議を展開する場が必要ではないか。
そうでなければ今回の決定は、単に「10年遅れの物価目標」であり、日銀の「失われた10年」を意味することになってしまう。[8]
以上からわかるように、日本がリーマン・ショックに対して脆弱だったのは、竹中の改革を実行したからではなくて、むしろ逆に竹中の改革が受け入れられなかったからであり、責任は、小泉・竹中という改革コンビよりも、むしろ与謝野・白川というデフレ容認コンビにあると評せねばならない。
リーマン・ショックは、米国では暗黒の木曜日以来の出来事とされているが、世界大恐慌の時の日本の対応もひどかった。時の濱口首相と井上蔵相は、世界大恐慌が起きたにもかかわらず、旧平価による金解禁を実施し、その結果、日本は急速な円高デフレに苦しむこととなった。彼らは、円高デフレだと不況になるが、その方が企業は国際競争力をつけるようになると言っていた(今でもそういう主張をする人は多い)が、そうはならなかった。リーマン・ショック後の日本は当時と同じ過ちを繰り返したことになる。
最後に、非正規労働の増加がリーマン・ショックの影響を大きくしたという説であるが、リーマン・ショックのような大規模な不況であれば、仮に派遣労働という労働形態がなかったとしても、代わりに正規労働者が整理解雇の対象になっていたであろうから、あまり大きな違いをもたらさなかったであろうと推測される。
非正規雇用の問題は、むしろ平時における格差の問題である。「どうすれば労働者の待遇は良くなるのか」ですでに述べたことなので、ここでは詳しくは論じないが、この問題を抜本的に解決するには、雇用全体を流動化するしかない。小泉内閣は、2004年3月1日に労働者派遣法を改正し、製造業務の派遣を解禁したが、他方で正社員の既得権益は温存した。この点で、小泉・竹中改革は中途半端であったと評せねばならない。
もとより竹中は、問題の本質がそこにあることはわかっている。
問題は、いまの正規雇用に関して、経営側に厳しすぎる解雇制約があることだ。これこそ、企業が正規雇用を増やしたがらず、いわゆる非正規を増加させてきた最大の要因である。
この制度的格差を生み出したのは、司法の判例(1979年)である。今から30年も前の東京高裁の判例によって、企業の解雇権は著しく制約され、業績が悪化しても従業員を実態的に抱え続けねばならないような社会制度になってしまっている。
日本は三権分立の国である。司法がそのような法律解釈をする以上、立法府がそんな解釈が出来ない、今日の経済実態に合った新たな法律を制定することが必要だ。[10]
これを言うは易く、これを行うは難し。代議士は、選挙の時に、企業が首切りを簡単にできるようにしますなどと公約するわけにはいかない。だから、雇用の流動化はいつまでたっても実現しない。
とはいえ、竹中は、日本が抱えている問題とそれを解決する処方箋をおおむね正しく認識していた。この点で、少子化が原因で内需が伸びず、内需が伸びないからデフレになるといった現状認識に基づいて子ども手当の大盤振る舞いやら高校無償化やらを行ったり、製造現場への派遣を禁止したり、最低賃金を引き上げたりといった規制強化で労働者の待遇を改善しようと試みたりした民主党とは異なる。
2009年に民主党政権が誕生してからも、日本経済が良くならないのは、彼らがマニフェストを完全に実行しないからというよりも、マニフェストに掲げられている処方箋自体に誤りが多く含まれているからである。これに対して、小泉内閣終了後、日本経済が悪化したのは、小泉・竹中改革を実行した結果というよりも、小泉・竹中改革が十分に継承されなかったからである。
日銀が金融緩和に消極的であるのは、金利上昇による国債の利払い費の増加、および、それに起因する国家財政の破綻を懼れているからなのでしょうか。
経済をインフレにすると、金利が上昇して、国債残高が増加すると言ってリフレに反対する人がいますが、インフレになると貨幣価値が下落するので、名目で債務残高が増えても、実質ではそれほど増えていないことになります。また、金利が固定である場合、債務は実質的には目減りします。反対に、デフレの時は金利が低いので債務は増えないと言う人もいますが、デフレの時は貨幣価値自体が上昇しているので、名目ではあまり増えていないように見えても、実質ではそれ以上に増えているのです。
現在では、邦銀が、多額の日本国債を保有しています。このため、もし長期金利が上昇した場合、国債価格が下落し、多額の評価損が発生するため、邦銀の業務純益がすべて吹き飛び、債務超過に陥ることでしょう。
大蔵省や日銀が、金融緩和に消極的であるのは、ハイパーインフレの発生を懸念しているからではなく、自分たちが支配する銀行業界を保護するためでしょう。
たしかにそれを根拠にリフレ政策に反対する人がいます。
インフレが起こると、金利が上昇する。日銀の調べによれば、長期金利が1%ポイント上がると邦銀は6.4兆円の評価損をこうむるが、これは「銀行が損をする」というレベルではない。2010年度の邦銀の業務純益は3.2兆円だから、その2倍が吹っ飛び、自己資本が大きく浸食される。ハイパーインフレが起こると、金利上昇は1~2%では止まらない。5%も上がれば、邦銀は全滅する。[11]
しかし、この事態はリフレ政策の副作用とかデメリットとかではなくて、まさにリフレ政策が意図的に目指している目標であります。すなわち「国債を持ち続けると損をする」と銀行に予想させることが重要なのです。
デフレ局面では、リスク資産の価値が下落し、逆に安全な資産である国債の価値が上昇します。そのため、銀行は、リターンの期待値が低い民間に貸し出さずに、確実な利払いが期待できる国債を購入します。政府は国債で集めた金を国債の利払いに用い、かくして金の空回りが起きます。これではいつまでたっても景気は良くなりません。
リフレ政策を実行するとこれと逆の現象が起きます。銀行も馬鹿ではないので、値下がりするとわかっている国債をいつまでも保有することはありません。政府がインフレ税を財源とする通貨を発行して満期前の国債までも買い取れば、積極的に売るでしょう。インフレ期待の上昇は民間の資金需要を増大させます。政府紙幣には金利が付かないので、銀行はそれを民間に貸し出します。そして民間への貸し出しの増加が景気を良くするのです。
過去の歴史を見てもわかるように、リフレーションは金融機関の破綻を惹き起こしません。では、日銀はなぜリフレに消極的なのでしょうか。日銀総裁の言い分を聞きましょう。
日本銀行の白川方明(まさあき)総裁は21日、米ワシントンで講演し、「中央銀行の膨大な通貨供給の帰結は、歴史の教えにしたがえば制御不能なインフレになる」と述べた。日銀は27日の金融政策決定会合で追加の金融緩和策を検討するが、その直前に総裁が金融緩和の「副作用」に言及したことで、波紋を広げそうだ。
フランス銀行主催のパネルディスカッションで述べた。欧州債務(借金)危機で、欧州中央銀行が大量のお金を供給して銀行の資金繰りを助けた対応について「意義は大きい」としつつも、「金融市場の小康が保たれることで、(財政再建への)危機感が薄れる可能性がある」と述べた。
先進国最悪の日本の財政についても「人々が財政不安から支出を抑制し、(物価が下がる)デフレの一因になっている」と、消費増税法案の国会審議が進まない状況にくぎを刺した。ただ、政府や与野党内には「日銀の金融緩和が不十分だからデフレが続いている」との意見も根強い。[12]
ここからもわかるように、白川総裁は、
- 制御不能なインフレ
- 財政再建の停滞
の二つを心配しているようです。前者は危機が起きるという前提での警告であり、後者は危機が起きないという前提での警告ですから、矛盾しているようにも見えますが、時間的に後者が先で前者は後ということなのでしょう。
デフレ局面においては、しかしながら、これらの懸念は的外れです。まず一番目ですが、日銀総裁の仕事はインフレを制御することであり、それを最初からあきらめることは職務の放棄に等しい。70年代のように、インフレ局面でありながら財政支出を増やしたり国債を乱発すれば、狂乱物価になるでしょうが、現在はそういう状況ではありません。また、二番目も逆効果で、デフレが長引けば長引くほど、政府は緊縮財政を避けようとするので、財政再建は遅れます。
歴代の日銀総裁はきわめて官僚的で、冒険的な政策を嫌う事なかれ主義の小心者が多いという印象を受けます。そうした官僚的弊害を克服するのが政治の役割なのですが、中央銀行の独立性がそれを阻んでいます。中央銀行の独立性はインフレ抑制には効果があるのですが、デフレからの脱却では弊害になることがあるということです。
ペンペンさんは、一方で、金利上昇による国債の利払い費の増加で国家財政が破綻すると言い、他方で、多額の日本国債を保有している邦銀が国債価格の下落で多額の評価損を被ると言っていますが、債権者である銀行と債務者である国がインフレで同時に不利益を被るということはありません。
インフレで損をするのは債権者と債務者のどちらなのかを考える上で重要なことは、国債の金利が固定であるのか変動であるのかということです。金利が固定されている時、インフレで損をするのは債権者で、債務者は得をします。金利が変動する時は、どの程度変動するかによって損得が決まります。いずれにせよ、損する側だけを強調するのはフェアではなく、得する側のことも考慮に入れて考えなければいけません。
2. 参照情報
- 篠原尚之『リーマン・ショック 元財務官の回想録』 PHP研究所 (2018/2/21).
- 岩田規久男『デフレの経済学』東洋経済新報社 (2001/12/14).
- 湯本雅士『金融政策入門』岩波書店 (2013/10/18).
- ↑ここでの議論は、システム論フォーラムの「日本はなぜリーマン破綻の影響を大きく受けたのか」からの転載です。
- ↑山家悠紀夫「【対談】日本経済の健全な発展への道」『前衛』2010年4月号.
- ↑山家悠紀夫「【対談】日本経済の健全な発展への道」『前衛』2010年4月号.
- ↑内閣府「国民経済計算(GDP統計)」
- ↑テレビ東京『モーニング・サテライト』2011年2月22日放送.
- ↑日経新聞「インフレ目標巡り政府・日銀が応酬」2012/1/31.
- ↑“日銀の量的金融緩和解除で竹中平蔵総務相「木が枯れる」と牽制"『共同通信』2006/01/04.
- ↑竹中平蔵「ようやく物価目標を示した日銀への注文」『日経新聞』2012/2/21.
- ↑David Shankbone. “Lehman Brothers Rockefeller centre" Licensed under CC-BY-SA
- ↑竹中平蔵「雇用は健全な三権分立から」『日本経済研究センター』2009年2月1日.
- ↑池田信夫「橋下徹氏のためのデフレ入門」『池田信夫ブログ』2012年4月21日.
- ↑“「膨大な通貨供給、インフレになる」日銀・白川総裁"『朝日新聞』2012年4月22日.
ディスカッション
コメント一覧
小泉政権のときに正社員の解雇規制を撤廃しなかったのは、竹中平蔵が人材派遣最大手パソナの会長だということが背景にあると思います。実際、ネットでは、竹中のことを「パソ中」と揶揄されています。竹中は、経済を良くするには正社員の解雇規制を撤廃したほうがいい事は分かっていますが、実施したら派遣会社はピンハネができなくなって自分の会社は儲からなくなるので、解雇規制の撤廃はやりたくないのでしょう。
それにしても、ネットにおける竹中の嫌われ方は尋常ではないですね。「アベ政治を許さない」と左翼に糾弾された安倍首相以上だと思います。竹中のことをミスター政商納言と揶揄する人もいます。最近では、東洋大学の学生が竹中の講義をやめさせようと看板を立てて退学を言い渡されたことをきっかけに、竹中を紛糾するデモが起きています。
竹中が嫌われる背景として歯に衣着せぬ言い方にある思います。実際、竹中は東洋経済オンラインで若者に向かって『「みなさんには貧しくなる自由がある」ということだ。「何もしたくないなら、何もしなくて大いに結構。その代わりに貧しくなるので、貧しさをエンジョイしたらいい。』と経営者にとって気分のいい発言するぐらいですから、経団連をはじめとした経済団体の御用学者と言われても仕方がないと思います。
政府が経済団体と一緒に労働者を痛めつける政策を続けていれば、国民は新自由主義やネオリベを信用しなくなるでしょう。実際、フランスではマクロン大統領に対する抗議デモが起こっていますが、「マクロンを首相にするのは、経団連会長を首相にするようなものだ」と言われています。
竹中平蔵さんは、厚生労働大臣臨時代理を務めたこともあるようですが、基本的に雇用問題は所管外だから、パソナ取締役会長としての利益相反は認められません。朝まで生テレビで解雇規制の撤廃までは主張していないと竹中さんが発言したのには失望しましたが、竹中批判をしている人たちは、むしろ解雇規制のいかなる緩和にも反対している人たちです。そうした批判をかわそうという意図があったようです。
竹中さんが政界を去ってからだいぶ経つのに、今でも大きな非難を浴びているのを見ると、江戸時代の田沼意次を思い出してしまいます。田沼意次というと賄賂で私腹を肥やした悪徳老中というイメージがありますが、そうしたイメージは実際には松平定信ら政敵によって捏造されたもので、田沼の経済政策は、当時としてはかなり先進的なものでした。抵抗勢力の言うことを鵜呑みにせずに、自分の頭でよく考えて評価するべき人だと思います。
先日、竹中平蔵氏が所得制限付きのベーシックインカムで、生活保護や年金がいらなくなるとか言い出しましたが、この提言は先進的なんでしょうか?この提言が国を思う正義感なのかポジショントークなのか非常に気になります。永井さんはベーシックインカムには否定的だったと認識しておりましたが、彼のこの発言は賛成ですか?私はそもそも所得制限がある時点でベーシックインカムですらないし、あまり良い策とは思えません。永井さんは竹中氏を評価しているようですが、永井さんの見解をお聞きしたいです。
所得制限があるベーシック・インカムは、ベーシック・インカムとは言わず、負の所得税(日本での呼称は、給付付き税額控除)と言います。「雇用を守るためには効率を犠牲にするべきか」で既に書いたとおり、ベーシック・インカムは動かす金額が大きすぎるし、提唱者が言うほど経費の節約にはなりません。それよりも負の所得税の方がスマートです。しかし、これは技術的な問題で、個人の生存権を保障した上で経済を自由化するべきだという主張には賛成です。