ニューディールは成功したのか

2002年4月19日

1929年10月の暗黒の木曜日以来、深刻さを増すばかりのアメリカの大恐慌を克服するために、1933年3月に大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトは、ニューディールと呼ばれる全体主義的経済政策を実行した。公共投資を拡大してデフレから脱却するケインズ的財政政策は、今日の知識集約経済では流行おくれとなっているが、規格大量生産を行う当時の資本集約経済では、政府が民間に代わって生産活動を担ってもあまり弊害がない。では、ルーズベルトのニューディールは成功したのだろうか。

1. 挫折したニューディール政策

ルーズベルトより2ヶ月先に政権の座に就いたヒトラーが実行した全体主義的経済政策と比べると、結果は芳しいものではなかった。1933年に25.2%と最悪の数字を記録したアメリカの失業率は、ニューディール政策のおかげで1937年には14.3%にまで下がったものの、翌年には19.1%にまで跳ね上がっており、14%以下になるのは、アメリカが太平洋戦争を行う1941年以降のことである。これに対して、ヒトラーは、45%もあった失業率を順調に減らし、第2次世界大戦前の1939年までに、失業者数を20分の1にすることに成功した。なぜ、ニューディールは成功しなかったのだろうか。

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USA annual real GDP from 1910 to 1960, with the years of the Great Depression (1929–1939) highlighted. 第二次世界大戦がはじまる1939年まで世界恐慌前のGDPの水準を回復していないことがわかる。
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U.S. Unemployment rate from 1910-1960, with the years of the Great Depression (1929-1939) highlighted. 1937年に少し改善した失業率が翌年悪化し、世界恐慌前の水準に戻るのは、第二次世界大戦後であることがわかる。

最大の原因は、ルーズベルトには、ヒトラーほどの権力がなかったことに帰せられる。ルーズベルトは全体主義的な経済政策を行おうとしたが、アメリカの政治形態は民主主義であり、全体主義ではなかった。ルーズベルトは、ヒトラーのように大胆な公共投資が行えなかった。国内の反対派と妥協した結果、ニューディールは中途半端な形でしか実行されなかった。特に38年には、政府債務の累積を憂慮する財政均衡主義者の声に押されて、連邦支出を削減した結果、GNPは6.3%減少し、純投資も46億ドルのプラスから66億ドルのマイナスに転落した。この時、ケインズは、『ニュー・リパブリック』誌で「私の説の正しさを証明できるに十分なほどの財政支出は、戦争でもない限り不可能だ」と言ったが、この予言は的中することになる。

2. スケープゴートに選ばれた日本

1939年9月、ヒトラーは、ポーランドに侵攻し、第2次世界大戦が始まった。そして、ルーズベルトは、ヒトラーと同様の方法で、リセッションを乗り切ろうと考えるようになる。ヒトラーは、ユダヤ人をスケープゴートにすることにより、資本家と労働者との19世紀的な階級的対立を解消した。おかげで、ドイツ民族は一致団結して、国家のために奉仕労働を行い、ドイツの生産力は飛躍的に増大した。当時、党外はもちろんのこと、党内にも多くの反対派議員を抱えて、ニューディール政策に行き詰まっていたルーズベルトも、国外にスケープゴートを見つけ、それを叩くことでアメリカ国民を一致団結させ、無制限な財政支出を可能にしようとした。そして、選ばれたスケープゴートが、日本人だった。

ルーズベルトが日本との戦争を決断したのは、1940年の9月、日本が、北部仏印へ進駐し、日独伊三国同盟を締結した時のようだ。しかし、アメリカは民主主義の国であるから、大統領が戦争を決断したからといって、すぐに実行できるわけではない。第1次世界大戦の時にアメリカはヨーロッパの戦争に介入したが、犠牲が大きかった割には、得た利益は少なかった。その時の反省から、アメリカ国民の圧倒的多数は、外国の戦争に介入することには反対だった。そして議員のほとんども、伝統的な孤立主義者だった。このため、ルーズベルトは、国民に、アメリカが直接攻撃されることがない限り戦争はしないと約束せざるを得なかった。

そこで、日独伊三国同盟成立の翌月、知日派の海軍情報部極東課長アーサー・マッカラム少佐が、日本を挑発してアメリカへの攻撃を余儀なくさせる策略を練り、ルーズベルトは、それを実行した。ABCD包囲陣と呼ばれる経済封鎖により、戦争以外に選択肢がない窮地へと日本を追い込み、かつ軍事的に挑発する作戦である。

真珠湾攻撃の計画は、1941年1月に山本五十六大将によって立案されたが、1941年11月5日の御前会議で「帝国国策遂行要領」をまとめた時点では、日本はまだ日米開戦を避けようと努力していた。ところが、アメリカ側は、こうした機密文書の暗号を傍受・解読し、日本の手の内を見ながら、日本側が絶対に受け入れることができない「和平案」、ハル・ノートを提出した。これは、アメリカが日本に突きつけた事実上の宣戦布告だった。

真珠湾攻撃の計画も、立案の時点で直ちにアメリカ側に漏れたが、ルーズベルトは、本当に日本がアメリカを攻撃してくれるかどうか心配していた。もし、日本がマライ半島やインドネシアといったイギリスやオランダの植民地だけを攻撃したなら、宣戦布告の大義名分を失うからだ。そこで、ルーズベルトは、日本のスパイにハワイで調査を自由にさせ、ハワイに駐在するアメリカ太平洋艦隊に日本軍の奇襲攻撃計画の情報を送らなかったばかりか、奇襲攻撃が事前に太平洋艦隊に悟られないように、太平洋艦隊を含めた連合国側の船舶の北太平洋地域での航行を禁止した。ルーズベルトのこうした至れり尽くせりの配慮が実って、12月8日の真珠湾攻撃は大成功となった。

3. リメンバー・パールハーバー

開戦直前、ルーズベルトは天皇に戦争阻止のための親書を呈上したが、これは、「アメリカは平和を望んだのに、ジャップは一方的に奇襲してきた」ことを国民に印象づけるための演出だった。ルーズベルトの芝居は成功し、議会はほぼ満場一致で対日参戦に賛成し、国民は「リメンバー・パールハーバー」を合い言葉に積極的に兵役に志願した。アメリカ連邦政府の財政支出は、真珠湾攻撃があった1941年には205億ドル、42年には516億ドル、43年には851億ドル、44年には955億ドルと無制限に増えていったが、もう誰も文句を言わなくなった。そして、この挙国一致の戦争ケインズ主義のおかげで、アメリカは恐慌から脱出することができた。パールハーバーで、3000人近くのアメリカ人が死亡したが、これも民主主義のコストだと思えば、安いものだとルーズベルトは思ったに違いない。

戦争開始とともに、アメリカの日系人は、「戦時転住所センター」と呼ばれるところに強制収容された。アウシュビッツに強制収容されたユダヤ人のように虐殺されることはなかったが、アメリカでもドイツでも似たようなスケープゴート現象が起きたことは興味深い。アメリカ人が考えているほど、当時のアメリカとドイツは異なっていなかったのである。

結論をまとめよう。狭義のニューディールは失敗に終わったが、太平洋戦争をニューディールの一環と考えるなら、公共事業によるデフレからの脱却という当初の目的は達成されたということができる。現在アメリカが行っている「テロとの戦い」は、半世紀前の「ジャップとの戦い」によく似ている。私たちは、かつてアメリカ人が使ったのとは違う意味で「リメンバー・パールハーバー」を合い言葉にしなければならない。

読書案内

ルーズベルトの陰謀論はそれ以前からもあったが、新たに公開された国家安全保証公文書に基づいて、説得力のある説明をしたのは、この本が初めてである。ただ、ルーズベルトが第二次世界大戦に参加したがっていたのは、世界の民主主義を守るためだったという理想主義的な解釈は受け入れられない。

書名 真珠湾の真実 ― ルーズベルト欺瞞の日々
媒体 単行本
著者 ロバート・B・スティネット 他
出版社と出版時期 文藝春秋, 2001/06/26
書名 Day of Deceit: The Truth About FDR and Pearl Harbor
媒体 ペーパーバック
著者 Robert B. Stinnett
出版社と出版時期 Free Pr, 2001/05/01
追記

靖国神社が運営する戦史博物館「遊就館」も、アメリカの第二次世界大戦参戦の戦略に関して、私と同じような説明をしていたらしい。産経新聞は、親米保守派として知られる岡崎久彦の批判を受けての修正として報道している。たぶん、靖国神社は、アメリカからの圧力で、要人の靖国参拝に支障をきたしてはいけないという政治的配慮から、内容変更を検討するようになったのだろう。

内容を変更するのは「ルーズベルトの大戦略」と題して、第二次世界大戦での米国の戦略について触れた部分。

この記述では、まず「大不況下のアメリカ大統領に就任したルーズベルトは、三選されても復興しないアメリカ経済に苦慮していた」と当時の米国経済の窮状を説明。また、「早くから大戦の勃発(ぼっぱつ)を予期していたルーズベルトは、昭和14年には米英連合の対独参戦を決断していたが、米国民の反戦意志に行き詰まっていた」として、米国内に反戦世論があったことを紹介している。

その上で、「米国の戦争準備『勝利の計画』と英国・中国への軍事援助を粛々と推進していたルーズベルトに残された道は、資源に乏しい日本を、禁輸で追い詰めて開戦を強要することであった。そして、参戦によってアメリカ経済は完全に復興した」と表現し、米国は国内経済の復興を目的に対日開戦を志向したと解釈できる内容だった。

こうした記述について、同館では4月ごろから見直しの検討を始め、7月ごろから本格的に見直し作業に入ったという。

この記述をめぐっては、元駐タイ大使の岡崎久彦氏も24日付本紙「正論」で、「安っぽい歴史観は靖国の尊厳を傷つける」と指摘、同館に問題の個所の削除を求めていた。岡崎氏は「早急に良心的な対応をしていただき感動している」と話している。

[産経新聞(2006年8月26日)靖国・戦史博物館、展示内容変更へ
歴史観が一面的と
]