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浦島伝説の三つの謎

2006年1月28日

浦島太郎の物語は有名であるが、それが何を伝えようとしているのかははっきりしない。竜宮という理想的異界は、なぜ天の上ではなくて、海の中にあるのか。竜が登場しないのになぜ竜宮なのか。竜宮から出て、玉手箱を開けるとたちまち年をとってしまったことは何を意味しているのか。これら三つの問いに答えることで、浦島伝説の本来の意義を解き明かしたい。

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松木東江「ほうらひの島」in 松木平吉『教育昔話 浦島太郎』1899.

1. 浦島伝説に対する問題提起

1.1. 浦島伝説の起源は何か

日本人なら誰でも浦島太郎の物語を知っている。しかし、「浦島太郎」は、主人公の本来の名前ではない。そこで、以下「浦島太郎物語」を「浦島伝説」と呼ぶことにしたい。

浦島伝説は、室町時代に成立した『御伽草子』にもあるが、八世紀の文献[1]である『日本書紀』や『丹後国風土記』の逸文「筒川嶼子 水江浦嶼子」に登場するものが最も古い。この他『万葉集』巻九掲載の高橋虫麻呂作の長歌「詠水江浦嶋子一首」にも同様の話がある。しかし、『万葉集』は、八世紀半ば以降に成立しているので、最古とは言い難い。『日本書紀』では、ごく簡単な言及があるにすぎないのに対して、『丹後国風土記』の逸文には、もっと詳細なストーリーが記載されている。そのあらすじは、以下のとおりである。

丹後の与謝郡日置(ひおき)里に筒川村があった。ここの人夫(たみ)に、日下部首(くさかべのおびと)等の先祖である筒川島子という容姿の優れた男がいて、これが所謂水江浦島子であった。伊預部馬養連(いよべのうまかいむらじ)の記したところによると、雄略天皇の治世に、浦島子は小舟に乗って釣りに出た。三日三晩の間一匹の魚も釣れなかったが、五色の亀だけ得た。浦島子は奇異に思ったが、亀を船の中に置いて、眠っている間に、亀は比類なき美麗な乙女となった。

「ここは人里から離れた海原だというのに、どこから来たのか」と浦島子が尋ねると、乙女は微笑みながら、「風流の士であるあなたと親しく話をしたいと思い、天上仙家から風雲に乗って会いにきた」と言い、海の彼方にある蓬莱山(とこよのくに)へ浦島子を誘った。浦島子は、誘惑に負けて、一緒に行くことにした。浦島子が寝て、目覚めると、海中の大きな島に至っていた。そこで、光り輝く楼閣、きれいな宮殿といった、これまでに見たことがないすばらしい景色を目にした。

二人が手を取り合って歩んでいくと、一軒の立派な屋敷の門の前に着き、乙女はここで待つように言って中に入った。門の前で待っていると、七人の童子が迎えに来て、「この人は亀姫様のお婿さんになる人だ」と言い、さらに八人の童子が迎えに来て同じことを言う。しばらくして、乙女(亀姫)が出てきて、七人の童子は昴星(すばるぼし=プレアデス)で、八人の童子は畢星(あめふりぼし=ヒヤデス)だと説明して、門の中へ浦島子を案内した。浦島子は、亀姫の父母に迎えられ、人界と仙都の別を教わる。

浦島子は亀姫と結婚して、何不自由ない楽しい日々をすごしたが、三年目にして故郷へ帰りたくなった。浦島子が亀姫にそのことを話すと、彼女は悲しみ、「永遠の誓いをしたのに、あなたは私一人を残して帰ってしまうのか」と言って涙を流す。しかしついに「私を忘れずに、また会いたいと思うなら、決してこれの蓋を開けてはなりません」と言って玉匣(たまくしげ)を渡す。浦島子は、亀姫の両親に別れを告げ、船に乗って目を閉じると、故郷の筒川村に着いた。

ところが、そこにはかつての村はなく、景色は一変していた。郷の者に聞くと、「今から三百年前に海に出たまま帰ってこなかったという話を年寄りから聞いたことがある」と言われる。浦島子は途方にくれ、約東を忘れて玉匣の蓋を開けてしまった。すると美しかった彼の容色が、風と雲に乗って大空に飛び去ってしまった。浦島子は、自分が約東を破ったことに気付き、泣きながらあたりを歩き回ったが、時すでに遅く、亀姫には再会できなくなってしまった。

『丹後国風土記』の逸文では、「浦島太郎」は「(水江)浦嶋子」、「竜宮城」は「蓬莱山」、「玉手箱」は「玉匣(化粧箱)」と呼ばれている。名称の違いもさることながら、ストーリーも現代の浦島太郎物語と少し異なっている。

現代の浦島太郎物語では、子供たちにいじめられているところを助けてくれた礼として、亀は浦島太郎を竜宮城に招くことになっている。こうした類の動物報恩譚は、『丹後国風土記』、『日本書紀』、『古事記』にはないが、室町時代の頃に成立した『御伽草子』には見られる。『御伽草子』では、浦島が、亀を釣り上げた際に、「汝生あるものの中にも、鶴は千年龜は萬年とて、いのち久しきものなり、忽ちこゝにて命をたたむ事、いたはしければ助くるなり、常には此の恩を思ひいだすべし」と言って、もとの海に返したことになっている。

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亀を助ける浦島[2]。1590年~1620年頃の絵巻物。オックスフォード大学ボドリアン図書館所蔵。

そして、乙姫は、この恩を返すべく、浦島を竜宮城に連れていくという筋立てになっている。

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竜宮城で乙姫にもてなされる浦島太郎[3]。藤山覚三画。

また、浦島太郎は両親を養う親孝行な青年とされ、竜宮城で三年過ごした後、残してきた両親が心配という理由で帰国を申し出ている。戻ってみると七百年[4]が経っていたことに気付き、絶望して玉手箱を開けると、煙が立ち昇り、たちまち老人になったが、その後、太郎は鶴になり蓬莱山へと飛び去り、乙姫も亀になって蓬莱山へ向かい、太郎と乙姫は再開して、夫婦ともに丹後の明神となったというハッピー・エンドで終わっている。

現代の浦島太郎物語では、『御伽草子』にあるようなハッピー・エンドがない。そのため、「苛められている亀を救うという浦島太郎の善行は、結果的に自身が不幸に陥いることになり、お伽噺として不合理な教訓をもたらすことになっている[5]」と評する向きもあるが、もともと恩返しの物語ではない以上、何らかの教訓を与える寓話として浦島伝説を扱うこと自体が不適切である。本来の浦島伝説は、美男子だった浦島子に亀姫が一目惚れし、熱烈に求愛して、蓬莱山へと誘惑するという恋物語だった。それが道徳的色彩の強い話に改作されるようになったのは、後世の父権宗教の影響による。

1.2. 浦島太郎は実在の人物か

八世紀に書かれた浦島伝説は、七世紀末の日本の文人、伊預部馬養による創作と考える人がいる一方、実在の人物の実体験に基づく伝説だと主張する人もいる。フジテレビの番組「奇跡体験!アンビリーバボー」は、2000年9月14日に、浦島伝説は、日本から南東へ三千七百キロメートル離れたところにあるミクロネシアのポナペ島に潮流で漂着して、そこから帰還した漁師の体験が元になった話だという説を放送した。

この番組によると、ポナペ島南東の海底に、「聖なる都市」という意味のカーニムエイソという海域があり、そこでは、強い磁気のおかげで時間の感覚がなくなってしまうとのことである。この強い磁場を取り囲むように、高さ5mほどの丸い石柱十九本が海底に建てられており、さながら海底都市の遺跡のような外観を呈している。さらに、この地域には、次のような伝説がある。

昔、ある男が、海を泳いでいると亀に出会い、泳いで付いて行くとカーニムエイソの海底都市を見つけた。彼は、カーニムエイソでの体験を絶対話してはいけないと言われたにもかかわらず、地上に戻ると、周りの人たちにこのことを話してしまった。すると、その瞬間、男は死んでしまった。

口を開けて秘密を外に漏らしたことが、玉手箱を開けてしまったことに相当するというのである[6]

1.3. 浦島伝説の起源は琉球か

もっとも、ポナペ島は日本から遠すぎて、『丹後国風土記』の逸文が伝えるように、三日では漂着できない。日本にもっと近いところでは、琉球諸島(特に、八重山列島)が伝説発祥の地として有力視されている。折口信夫によると、海の彼方あるいは海底に「ニライカナイ」という異郷の浄土があって、そこから神(まれびと)が現れ、現世の地上の人々を訪れるという信仰が琉球諸島にある[7]

この信仰のためなのか、琉球諸島では、浜辺を訪れる亀は神として大切にされている。「ニライカナイ」は、本土の言葉で言えば、常世(とこよ)に相当する、時間を超越した理想郷であり、竜宮城の条件を満たしている。そして、1995年には、竜宮城にふさわしいように見える海底遺跡(図3)が与那国島近海で発見された。

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与那国島近くの海底にある「亀の岩」と呼ばれる地形[8]

グラハム・ハンコックによれば、与那国海底遺跡は、1万年以上前に存在した超古代文明によって造られ、氷河時代の終わりに世界を襲った大洪水で水没し、遺棄された巨石建築物である[9]。本当に人間が作ったものかどうかは別として、あの幻想的な石造物が宮殿のように見えることは確かであり、たまたまこれを水中で見つけた昔の琉球の人が、その神秘的な体験からニライカナイ伝説を作り出したという仮説を考えることもできる。

1.4. 浦島伝説は世界中にある

以上のミクロネシア起源説と琉球諸島起源説は、どちらも、浦島の話が日本特有であり、日本人のある実体験に基づいているはずだという前提の下で出されている。ところが、実は、浦島伝説とそっくりの民話が中国にもある[10]。いろいろなバリエーションがあるが、一番日本のものと近いのは、「洞庭湖の竜女」と呼ばれている長江流域に伝わる話で、概略は以下のとおりである。

昔、若い漁夫が、ある乙女を助けたところ、その乙女は、実は竜女だった。彼女の招待で、漁夫は洞庭湖の湖底にある竜宮城に行くことができた。漁夫は、竜宮城で湖の生き物たちに歓待され、ついには竜女と結婚して幸せに暮らした。楽しい日々が続いたが、漁夫はふと、故郷の母親を思い出し、故郷に帰りたいと言うと、竜女は「私に会いたくなったら、いつでもこの箱に向かって私の名を呼びなさい。でも、この手箱を開けてはいけません」と言って、宝の手箱を渡した。

漁夫が故郷に帰ってきてみると、村の様子はすっかり変わり、自分の家は無く、村人たちも知らない人ばかりだった。村の年寄りに聞くと、「子供の頃に聞いた話だが、この辺りに、出て行ったきり帰らぬせがれを待つ婆様が住んでいたということだが、もうとうの昔に亡くなったということじゃ」と言われた。気が動転した漁夫は、竜女に説明を求めようと、思わず手箱を開けてしまった。すると、一筋の白い煙が立ち上がり、若かった漁夫は白髪の老人に変わり、湖のほとりにばったりと倒れて死んだ。

この話は、六朝時代に編集された『拾遺記』にある。『拾遺記』は、その原本が東晋の時代(5世紀以前)に書かれたのだから、『日本書紀』や『丹後国風土記』よりもずっと古い。だから、中国南部にあった民間伝承が日本に伝わり、それを伊預部馬養が日本風にアレンジして、史実であるかのように書き記したと考えることができる。実際、『日本書紀』や『丹後国風土記』に書かれている浦島伝説には、「蓬莱山」、「仙都」、「神仙の堺」など、中国の神仙説話から影響を受けたことを示す言葉が使われている。

では、浦島伝説発祥の地は、中国なのか。そう断定することはできない。なぜなら、浦島伝説と類似の竜宮伝説は世界の他の地域にも見られ、かつその起源は相当に古いからだ。

竜宮の信仰は必ずしも日本や中国だけのものではない。インドのナーガ神の宮殿も地下か海底にあって、当然、憂いを知らない楽園である。いや、アーサー王物語のモルガンや湖の夫人の宮殿も水底の妖精世界である。グラエランやギンガモールが訪れた妖精の国もある。こちらは必ずしも水底とは言われないが、たいていは川を渡った彼方にあり、妖精も水の妖精の性格が強い。[11]

全部紹介しきれないので、ここでは、アイルランドに伝わるオシーン(オシアン)の伝説を代表として取り上げることにする。これは、簡単にまとめると、次のような話である。

騎士オシーン(Oisin)が父や仲間の騎士たちと狩に出かけると、美しい乙女が馬に乗って現れた。彼女は常若の国(Tir na nOg ティル・ナ・ノグ)の王女でニアヴ(Niamh)といい、オシーンと結婚するために来たと言った。オシーンはニアヴに魅了され、彼女と共に行くことを承知した。オシーンは、馬にまたがってニアヴと共に霧に覆われた海の上を駆けて行った。霧が晴れると、常若の国が現れた。オシーンは、王と王妃に迎えられ、素晴らしい祝宴が何日も続いた。三年が経つのは瞬く間のことだった。

やがて、オシーンは父や仲間が恋しくなり、一度帰ろうと思い立った。ニアヴにそれを告げると、彼女は「この馬から降りてはいけません」と言って馬を用意した。オシーンは決して馬から降りないと約束し、それに乗って、常若の国を後にし、懐かしい故郷に帰った。ところが、目にする光景は、何もかも変わっていて、愕然とする。途中、オシーンは、大勢の小人たちが大きな石の水槽を動かそうとしているのに出会い、彼らを助けようと馬の上から身をかがめて片手で岩を持ったところ、馬から転落した。そして、オシーンは、両足が土に触れると、皺だらけの老人になってしまった。白馬はいなないて駆け去り、二度と戻らなかった。

この神話の起源は3世紀まで遡ると言われている[12]。つまり、この話は、キリスト教が伝来する前から存在したケルト人たちの土着的な伝説なのである。

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ティル・ナ・ノグを目指して、ニアヴと共に馬に乗って海上を駆けていくオシーン[13]。手前で乙女が金のリンゴをオシーンに見せている。トーマス・ウェントワース・ハギンソンによる19世紀の御伽噺の挿絵。

これは、中国の竜宮伝説ほど浦島伝説には似ていないが、後で示すように、このオシーンの伝説も浦島伝説と等価である。これらを浦島型異郷訪問譚と呼ぶことにしたい。

1.5. 浦島伝説は何を伝えているのか

起源の問題を別としても、浦島伝説をはじめとする世界各地の異郷訪問譚には、多くの謎がある。

  1. なぜ竜宮は、理想郷であるにもかかわらず、天の上ではなくて、海や湖といった水の中にあるのか。竜宮伝説の中には、竜宮が、島や洞窟の中にある場合があるが、これはなぜか。
  2. なぜ日本の浦島伝説には、竜が出てこないのに、竜宮が出てくるのか。なぜ浦島を竜宮に連れて行ったのは亀だったのか。なぜニアヴは馬に跨っていたのか。
  3. なぜ、竜宮では時間の流れが遅いのか。なぜ浦島は、玉手箱を開けたとたん年を取ってしまったのか。なぜオシーンは、足を地に着けたとたんに老人になってしまったのか。

これらの謎を解くことで、私たちは、人類の精神史の初期に光を当てることができる。自分自身の過去を思い出しながら、忘れ去られた人類の過去の記憶を呼び覚まそう。

2. なぜ竜宮は水の中にあるのか

キリスト教やイスラーム教や仏教などの世界宗教においては、天国や極楽浄土といった理想的異界は、天の上あるいは天の彼方にあると信じられ、地面の下にある異界は、地獄として否定的に位置付けられている。しかし、浦島伝説では、理想的異界は海の中にある。どちらの異界観のほうが古いのだろうか。

2.1. 理想的異界はどこにあるのか

私たち人類は、古くから、この世に対するあの世、現世(うつしよ)に対する常世(とこよ)、俗界に対する異界(あるいは他界や霊界)、此岸に対する彼岸、つまり今住んでいるこの世界とは別に、死んだらそこに行くと思念されている理想郷を想定してきた。

日本における理想的異界に関して、折口信夫は次のように言っている。

私は日本民族の成立・日本民族の沿革・日本民族の移動などに対する推測から、海の他界観まづ起り、有力になり、後、天空世界が有力になり替つたものと見てゐる。[14]

結論としては、折口に賛成なのだが、問題は、なぜかつては、理想的異界が海の中にあったのか、その理由である。日本人が南の海から渡ってきたというのは理由にはならない。これは、日本人に限らず、世界に広く見られる異界観の変遷なのだから。

浦島伝説以外の日本の異郷訪問譚、例えば「鼠の浄土」では、理想郷は土の中にある。中国でも、竜宮が洞窟の中にある場合がある。冒頭で紹介した『拾遺記』に記録されている竜宮伝説の舞台は、もともとは、洞庭湖ではなくて洞庭山で、竜宮は洞窟の中にあった。さらに、『拾遺記』よりも前の3世紀頃に、晋の干宝が書いたと伝えられる『捜神記』には、次のような「袋の中の鳥」という話がある。

会稽に、袁相(えんしょう)と根碩(こんせき)という二人の男が住んでいた。ある時、二人は狩をするために山奥に入り、ヤギを追ったが、ヤギは一つの石橋を渡っていった。二人も石橋を渡り、ジグザグの小道を登っていくと、洞窟がある。中に入ると、いい匂いがするので、そのまま進んでいくと、一軒の家があった。二人が家を訪ねると、そこには十五、六歳で、非常に麗しい容貌をしている、青い服を着た二人の乙女が住んでいて、二人を家の中に迎え入れた。二人の乙女は袁相と根碩を手厚くもてなして、その妻になってしまった。

二人の男は夢のような心地で毎日をすごしていたが、そのうち故郷が恋しくてたまらなくなり、故郷に帰ることにした。すると、乙女たちは、「どんなことがあっても、この袋を開けてはなりません」と言って、それぞれ一つの袋をわたした。男たちは約束を守って、決して袋を開けなかった。ところが、ある日、根碩の妻が、好奇心から、夫の留守中に袋の口を開けてしまった。中には青い小鳥が入っていて、そのまま飛び去ってしまった。その後、外で働いている根碩に妻が弁当を持っていくと、夫は既に死んでいた。夫の体から魂が飛び去って、もぬけの殻になっていたのである。

ここでは、水中の代わりに洞窟の中が理想郷となっている。世界宗教では、土の中は、地獄であり、理想郷とは対極的な世界である。しかし、例えば、記紀に描かれている黄泉の国あるいは根の国(根堅州国)には、決してそのような否定的なイメージはない。

中国では、黃泉(コウセン)は地中の水という意味で、転じて死者の世界という意味でも使われる[15]。日本では、黄泉(よみ)と訓じられていた。「よみ」は「やみ」の母音交代形[16]であるから、黄泉の国は闇の国である。イザナミを見るために、イザナギが火を灯したぐらいだから、闇の国であったことは確かである。

スサノヲは、根の国および黄泉の国のことを「妣の国」と呼んでいる。「妣」は、死んだ母のことである[17]から、イザナミのことを指していると解釈できる。しかし「妣の国」という名称には、たまたまその時イザナミがいたという以上の意味がある。

日本神話は、天つ神と国つ神、高天原と黄泉の国、父性と母性、陽と陰、明と暗、支配者と被支配者という弥生文化と縄文文化の対立に起源を持つ二元論によって構築されていて、イザナギとイザナミもこの二項対立に組み込まれている。イザナミが別名黄泉津大神であることからわかるように、黄泉に属することは、イザナミにとって本質的なことである。

これは日本に限ったことではない。世界宗教が登場するまで、人類は≪母なる大地≫を地母神として崇拝していた。産まれて間もない乳幼児が、父よりも母を頼るように、初期の人類は、父なる天よりも母なる大地にすがっていたのである。

2.2. 竜宮は地母神の子宮だった

旧石器時代のヨーロッパの遺跡からは、男性の偶像よりも、ふくよかな体をした女性の偶像が多数見つかっている。また、この時代には、ラスコー洞窟に代表される壁画遺跡がたくさんあるが、宗教的な絵が洞窟の中に描かれるのは、この時代の宗教が地母神崇拝であることと関係がある。すなわち、洞穴の中は、母なる大地の子宮の内部として表象されていて、そこに豊穣を願う絵が描かれていたということだ。

フランスとスペインの国境付近にあるニオー洞窟は、床が粘土で、その上には小さな足型がたくさん残っていることから、ここで成人式が行われたと推測されている。胎児が子宮の中から出てきて産まれるように、子供たちは、地母神の「子宮」の中から、狭い通路を通って出てくることで、成人式という第二の出産の通過儀礼を行ったと考えられる。

子宮の中は羊水で満たされているので、海の中にあると考えられている竜宮も地母神の子宮 であると言うことができる。漢字の「海」の旁「毎」は「髪飾りの付いた母」である。日本語の「うみ」は、「産む」に通じる。ラテン語でも、母(mater)は海(mare)と語源的に近い[18]

異界は、海の中や土の中以外にも存在することがある。『丹後国風土記』の逸文にある「蓬莱山」は、海中の宮殿ではなく、海に浮かぶ島であった。また、異界が川の対岸、つまり彼岸として表象されることもある。これらの場所は、物理的空間としては同じでないかもしれないが、神話の象徴空間内では、どれもみな地母神の子宮を象徴しているという点で同じである。異界は、羊水に囲まれた胎児の世界として表象されているからだ。

文明以前の時代に地母神崇拝があったことは、屈葬の習慣からも伺える。屈葬とは、手足を屈折させて葬る葬法のことで、日本では縄文時代に盛んに行われた。旧石器時代の埋葬には、遺体を浅鉢や甕の中へ入れる屈葬ことが多い。

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ミシシッピーの石箱に屈葬された遺体[19]

また、遺体には、血の象徴である赤色顔料がしばしば塗られる。このように遺体を産まれた時の様子を再現して埋葬する習慣は、自分たちが胎内から産まれ、そして死後、再び胎内へと帰っていくと人々が信じていたからだと説明することができる。

2.3. 縄文時代の異界はどこにあったのか

浦島伝説で、理想郷としてのあの世が海の中にあったということは、日本人もかつては、地母神を崇拝していたということである。『日本書紀』が編集されたころには、母なる大地よりも父なる天のほうが優位にある。それは、天つ神が国つ神を支配する様々なエピソードに表れている。では、いつから、母なる大地に対する父なる天の優位が始まったのだろうか。私は、縄文時代から弥生時代への変遷の中で、この転換がなされたと考えている。

もっとも、今となっては、縄文人の心の中を知る直接の手掛かりはないのだが、間接的な手掛かりならある。一つは、縄文時代の遺跡からの出土品であり、もう一つは、縄文文化を本土人以上に忠実に受け継いでいる琉球人とアイヌ人の民俗である。

かつて、本土に住む日本人は、琉球人やアイヌ人を異民族扱いしたことがあったが、現在では、琉球人とアイヌ人の方が原日本人ともいうべき縄文人に近く、これに対して、本土の日本人は、原日本人と朝鮮半島から来た大陸系のモンゴロイドとの混血、すなわち弥生人であることが遺伝学的分析によって実証されるようになった。

宝来聡(ほうらいさとし)らの研究[20]によると、父系が縄文の血統かどうかは、“Y-haplogroups D-M55/D-M125”という日本人にしか見られないY染色体上の遺伝子の有無によって調べることができるのだが、この遺伝子の保有率は、本土人よりもアイヌ人の方が高い。ミトコンドリアDNAを用いた母系の血統の調査でも、同様の結論が出ている。それゆえ、アイヌ人や琉球人に伝わる風習や伝承は、縄文人の思想を知る上で参考になる[21]

では、縄文人にとっての異界はどこにあったのだろうか。縄文文化の著名な研究者である梅原猛は、縄文文化を知るための手がかりとしてアイヌ文化を重視しているのだが、仏教の影響を受けているためなのか、生前の行いが正しければ死者の魂は天に昇るが、悪いことをすれば地獄に落ちるという仏教的な信仰が縄文時代にも成り立つはずだと確信している。

古代人は他世界の強い信者であったと私は思う。天には神がいて、そこには先祖たちもいて、人間が死ねば、その天にある先祖たちの国に帰るのであろう。しかし、他世界はただ天のみではない。もう一つ、地の底にも他世界があり、それは黄泉の国である。いったんそこに落ちたら、絶対そこからもう出てこられない。人間は、死んで天の国に行くことを願い、地の底の黄泉の国に行くことを恐れる。[22]

もしも、縄文人が天国へ行くことに憧れているならば、空を飛ぶ鳥(またはその人格化である天使)への信仰が主であってもよさそうなのだが、縄文時代の遺跡からの出土品には、弥生時代の遺跡からの出土品とは異なって、鳥の絵が描かれていない。むしろ、縄文時代の土器や土偶には、縄で模った蛇の紋様が多く用いられている。縄文土偶は、ほぼすべて、女の像なのだが、髪が蛇で表されたメデューサのような像もある。だから、地母神崇拝の方が強かったと考えることができる。

梅原は、しかしながら、蛇崇拝にはあまり注目しない。縄文人は、むしろ蛇を危険な存在として、嫌っていたと考えているようだ。

洞窟は、石器時代の人間にとってかっこうの住処であった。それは夏は涼しいし、冬は暖かい。そして獣に襲われる危険もない。ただ唯一の侵入者は蛇であろう。蛇がどうしてあれほど多くの神話や昔話に出てくるか。それは、穴居生活のもっとも大きい障害者が蛇であるということを考えれば、おのずから明らかであるように思われる。[23]

これに対して、鳥信仰は、縄文時代にも、弥生時代と同様に、あるいはそれ以上に強くあったと梅原は主張する。その根拠は、アイヌの神事に用いられるイナウである。イナウとは、柳やミズキなどの棒に切り込みを入れたり、削りかけをつけたりした木製の幣束(へいそく)で、その役割は日本の祭壇に立てられる幣(ぬさ)に似ている。

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左はイナウの写真[24]。右の写真は、アイヌの祭壇、ヌササンで、イナウが使われていることがわかる[25]

梅原によれば、イナウは、鳥の羽の形に似ている。

イナウが鳥であり、このイナウに古い縄文時代の宗教の名残があるとするならば、既に弥生時代以前に鳥の信仰があったと考えざるをえない。そう考えた方がごく自然である。なぜなら、死んで人間が天へ行くという信仰が農耕とともに始まったとは考えにくいからであり、それは何万年前、あるいは何十万年前に狩猟採取文明の中で発明された思想にちがいない。狩猟採取民は動物と大変密接な関係を営んできて、当然鳥をこの霊界の使いと考えたにちがいない。その鳥の信仰がもし弥生時代にもたらされたとすれば、それ以前の日本人はどのような宗教の中で生きていたのか。まさか縄文時代の日本人が、死後の国をまったく信じない現代人のような合理主義者であったとはいえないであろう。縄文遺跡は、縄文の文明が最高に宗教的な文明であったことを明らかにしている。そこでは鳥が、弥生文明以上に強い役割を果たしたと考えられる。[26]

天国がないならあの世もないというここでの議論は、先ほど引用した文と矛盾しているようにも見えるが、要は、梅原は、地下にある黄泉の国が死後の理想郷であるということは全く思いつきもしなかったということである。

では、本当に縄文人は、死後魂が天国にいくと考えていたのだろうか。アイヌ人の伝承をもとに考えよう。ここで、梅原がアイヌ研究の師と仰ぐ藤村久和の見解を分析してみることにしたい。藤村は、アイヌの老人と生活をともにしながら、臨死体験をした人の証言に基づく、あの世に関する伝承を採取した。

そこでは、自分の正体を見ることができるのはイヌだけである。イヌだけが自分に吠えかかる。そうするとそこで暮らしている人たちは、何かおかしなものが来たというわけで、自分に灰などいろいろなものを投げつける。それが体中にペタペタくっついてとれない。いくら手で払っても離れない。生死をさまよった人の話だと、これらのものは、そこから戻ってくる時、先ほどのトンネルのいちばん狭いところ、ようやく体が通れるところを通った時に、全部体から落ちてしまうという。この世のイヌも、人間には見えない魔物がくるとわんわんと吠える。すると人々は、そこへ向かって灰を投げたりするのだが、そのときに魔物の霊についた灰も、魔物が逆にこの世からあの世へ戻る時には同様に取れてしまうということになるのだろう。[27]

藤村によれば、以下の図に描いたように、霊は、「準備場所」にある一番高い山の頂点まで行き、そこから天空を越えてあの世の山へ行く。しかし、この「あの世へ旅立つための準備場所」は、「そこを指すアイヌ語から訳したものではなく、勝手に私がそう呼んでいるにすぎない[28]」、つまり、藤村の仮説に基づいて考え出された概念に過ぎない。

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藤村久和が描くアイヌ人にとってのあの世[29]の図を元に作成

もしも洞窟が「あの世の入り口」だとするならば、トンネルの向こうに広がる世界こそ「あの世」ではないのか。イヌと灰の話を見ても、トンネルを挟む二つの世界が対称的に語られている。

アニメ映画『千と千尋の神隠し』には、千尋の家族が、トンネルを潜り抜けて、八百万(やおよろず)の神々が住むあの世へと迷い込むというシーンがあるが、アイヌの異界観もこれと同じと考えて差し支えない。あの映画でも、千尋は、空の上にある別世界に行ったりはしない。トンネルの向こうが、そのまま神の世界なのだ。

藤村が、アイヌの老人が言うあの世をあの世と認めず、「準備場所」と考えたのは、梅原同様に、「あの世は天の上にあるはずであって、地面の下などにあるはずがない」という父権宗教の先入見から脱していないからである。私は、この先入見を捨てて、以下の図で描いたように、アイヌ人にとってのあの世を地下に位置付けた。

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私が描くアイヌ人にとってのあの世

アイヌ人が語る「洞窟」は子宮、「長いトンネル」は膣、「非常に狭苦しいところ」は子宮膣部に相当する。こう考えるなら、この世からあの世へ生まれ変わる時、この世に生まれる時と同じプロセスをたどることになる。「非常に狭苦しいところ」を出る時に「灰のようなもの」が取れるのは、イザナキノミコトが黄泉の国からこの世に戻る時に行った祓(はらえ=払え)と禊(みそぎ=身削ぎ)に相当し、そしてそれは、実際の出産において、赤ちゃんが毳毛(ぜいもう=産毛)やへその緒を削ぎ落とすことをモデルにしている。

禊と祓は、蛇の脱皮をもモデルにしている。多くの蛇信仰の研究者は、脱皮する蛇は永遠の生命の象徴であるから、世界的に蛇は神として崇められると説明する。だが、脱皮する動物は蛇だけではない。他の爬虫類や両生類や節足動物も脱皮する。蛇の脱皮は全身のつながった抜け殻を残すことで有名だが、昆虫も同様の抜け殻を残す。だからと言って、そうした昆虫がすべて永遠の生命を持った神として崇拝されるわけではない。むしろ、セミの抜け殻を意味する「空蝉(うつせみ)」に儚(はかな)いという意味があるなど、逆の場合すらある。蛇信仰の根拠を考える時には、蛇ならではの属性に注目しなければならない。脱皮という属性は、蛇信仰の根拠の一つにしか過ぎない。

母権宗教が蛇を神の使者として崇めた理由の一つとして、蛇が、子宮へと通じる長いトンネルの形をしていることを挙げることができる。蛇が地を這う様子は、川が大地を流れる様とよく似ている。

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地面を這う蛇は川のように見える[30]

川の流れに身を任せれば、海に入ることができる。川は胎内回帰のための案内人であり、案内人としての役を果たす巫女は、蛇と自己同一する。

母権宗教が蛇を神の使者として崇めるのは、蛇が臍の緒の形に似ているからでもある。私たちは、臍の緒が切れることでこの世に生まれた。あの世からこの世に生まれるプロセスをこの世からあの世に行くプロセスの逆と考えるなら、臍の緒が復活することは、あの世に戻る導きの糸が得られることである。だから蛇は、あの世に行く時に迎えに来てくれた神の使者ということになるのだ。

アイヌの人たちにとって、この世からあの世に行くプロセスがあの世からこの世に生まれるプロセスと逆であるだけでなく、この世とあの世自体があべこべの関係にある。藤村は次のように言っている。

まず季節が逆である。だからこちらが冬であれば、むこうは夏になる。[…]それから、昼と夜とが逆である。こちらが昼の時は、むこうは夜である。[…]また時間の尺度が相当ちがうらしくて、ほんとうかどうかというのは確かめようがないが、この世の一日はあの世の六日にあたるという言い方をする。[31]

私のモデルなら、このあべこべ関係を容易に説明できる。日本から見て、地球の裏側のことを考えてほしい。「こちらが冬であれば、むこうは夏」であり、「こちらが昼の時は、むこうは夜である」。藤村モデルのように、この世とあの世が天で接していると考えるなら、この世が昼の時、あの世も昼ということになってしまう。

もとより、縄文人が地球球体説を信じていたということではない。琉球人は、地面は平らで、太陽(てだ)は東の地面にある太陽の穴(てだがあな)から出てきて、西の地面にある太陽の崖(てだばんだ)に沈むと考えていた。アイヌ人も地球平面説的なコスモロジーを有していたので、縄文人もそうだったことだろう。それでも、太陽が一方にあるなら他方にはないのだから、同じようなことが言える。

ただし、地球の裏側とは違って、地面の下にあるあの世は、この世とは質的に異なる世界である。この世の一日があの世の六日にあたるのも、あの世がこの世とは異質の世界であることを物語っている。この時間経過の異常は、浦島伝説の謎の一つに対応しているのだが、ここでは取り上げずに、第四節でまた改めて考えたい。

私は、アイヌ神話の分析から、縄文時代のあの世が地下にあったと判断した。では、縄文文化のもう一つの末裔である琉球文化ではどうか。梅原は、ここでもまた、鳥信仰の痕跡を探し求める。そして、1978年まで久高(くだか)島で行われていた儀式、イザイホーにそれを見出した。

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1954年に行われたイザイホー[32]。朝日新聞社『アサヒ写真ブック15』1954年。

イザイホーとは、久高島の女たちが神女(なんちゅ)になるための通過儀礼で、彼女たちは、三晩、イザイ山の仮小屋に篭り、四日間にわたって、歌や踊りを伴う神事を行う。梅原は、最初の日の夕方に行われる「七つ橋」を渡る儀式を、女が鳥になるための儀式だと主張する。

鳥になるために女たちは髪を乱して「七つ橋」を渡る。命を懸けて渡る。そして「エーファイ、エーファイ」とまるで鶴の鳴き声のごとき悲鳴を上げるのである。そのとき、女たちは既に鳥になっている。[33]

七つ橋とはこの世とあの世(ニライカナイ)との間に架けられた橋であり、この橋を渡ることで、神女となる。

男たちは死ぬと海の向こうの遠い国、ニライカナイに行ってしまい、いつ帰ってくるかわからない。しかし、神となった、鳥となった女は死んでニライカナイにいってもすぐ、彼女たちがそこで生まれそこで神となった、祖先の霊のいるウタキに舞い戻り、そこに永久にとどまって末永く故郷の島の子孫たちを守るのである。[34]

女が鳥になるのは、あの世が天の上にあるからだろうか。問題は、あの世である「ニライカナイ」がどこにあるかである。

梅原は、アイヌ語でニライカナイの語源を推測する。

沖縄にはニライカナイという信仰があります。それは海の彼方のあの世を言うらしいのです。私はニライカナイというのをアイヌ語で解釈する。ニライ、根の下のところ、カナイ、空の上のところ、ということになりますが、それは根の下であるとともに、空の上である。根の下、夜の極点か[が?]、空の上、昼の極点になるのです。こういう根の下と空の上、夜と昼とが出会うところだと思います。大変哲学的な概念ですが、原始人は意外に哲学的なんです。[35]

「ニライカナイ」は、琉球国の首里王府が1531年から1623年にわたって編纂した『おもろさうし』に出てくる概念だが、「ニライ」と「カナイ」は本来別概念で、中国風に対句を形成しているだけである。伝承ではただ「ニライ」と呼ばれる。「カナイ」は、中国の陰陽二元論の影響を受けて、後から付け加えられたものと考えられる。

南西諸島では、「ニライ」は単独で「あの世」を指す。沖永良部島では「ニラ」、喜界島では「ネインヤ」、奄美大島では「ネリヤ」、沖縄本島では「ニルヤ」と呼ばれるが、概念としてはみな同じである。それは、梅原が正しく認識しているように、そして現地の人がそう信じているように、根の下にある国である。

柳田国男は、次のように言っている。

沖縄本島なども多分同じだろうが、ニーラには「非常に遠い」というような語感があると、先島方面の人はいっている。例えば堀井の底の水面が、深い処で幽かに光り、容易につるべの届きそうにもないのを形容して、ニーラサというような表現があるという。それで私はこの語尾のR子音は、もと形容詞化のための添付であって、― 語の要部はニ ― すなわち「根」にあるのではないかとも想像している。[36]

柳田の指摘は、ニライが根の国に相当することを示している。そして、根の国は、文字通り、地下にあったと考えることができる。だから「非常に遠い」と言っても、それは、海の彼方に向かって水平方向に遠く離れているわけではなく、文字通り根が生えている方向に、すなわち垂直方向に遠く離れていると解釈するべきである。だから、ニライは、記紀神話に登場する常世国や根国や黄泉の国と同じ地下世界である。

イザイホーで女が鳥になるという解釈を認めたとしても、それは直ちに「あの世」が天の上にあることを帰結しない。神女は、鳥となることで、太陽の穴(てだがあな)あるいは太陽の崖(てだばんだ)を通って、あの世とこの世を自由に行き来しようとしていたのではないだろうか。

縄文時代にあの世が地下にあったという仮説を検証するには、アイヌ文化と琉球文化を検討するだけでなく、直接縄文時代の出土品を検討する必要がある。

縄文時代の遺跡から発掘される遺物の中で最も宗教的なのが土偶である。世界の他の旧石器時代の遺跡から発掘される偶像と同様に、縄文土偶は、豊満さを強調した女体で、頭は存在しないかもしくは人間的でない。縄文土偶の多くは妊娠していることから、縄文土偶は、豊穣を願う地母神崇拝の証拠とされるのが通例だが、梅原は、この解釈に反対する。

梅原は、

  1. 縄文土偶には、腹に引き裂かれたような直線を持っているものが多い
  2. 少数ではあるが、縄文土偶には、意図的に埋葬されたものがある
  3. 土偶のほとんどは壊されており、五体満足な土偶はほとんどない

ということを根拠に、地母神像説を否定する[37]

梅原は、福島県で起きた死胎分離埋葬事件を手掛かりに、土偶は妊婦葬送儀礼のための道具だと考える。死胎分離埋葬事件というのは、会津のある村で、懐妊後死亡した母の腹を長男が切って、胎児を摘出して埋葬し、役場に二通の死産届けを出したところ、死体損壊罪として摘発されたという事件である。その後の調査により、この風習は、福島県では昔から広く行われていたことがわかった。

この風習が行われた背景には、死んだ妊婦をそのまま埋めると、胎児の霊が母体から出られなくなり、怨霊としてこの世にとどまるという考えがある。だから、怨霊による祟りを防ぐために、胎児を腹から出して、霊がすぐに生まれ変わるようにするわけである。妊婦と胎児の分離埋葬に際しては、人形が入れられるという習慣がある。そして、梅原は、その人形の起源が縄文土偶だと考える。

たしかに、この解釈なら、なぜ腹に引き裂かれたような直線があるのか、なぜ土の中に埋まっている土偶があるかが説明できる。では、土偶が壊されているのは、なぜか。

葬式のときに、日本人は茶碗や道具などいろいろなものを死者に贈るが、この場合、かならず何らかの傷をつける。傷をつけるのは、あの世とこの世とあべこべの世界であるという思想による。この世で完全なものはあの世で壊れる。この世で壊れたものはあの世で完全になる。とすると、壊れた土偶は本来、あの世へと送り届けられるものとしてつくられたのではないだろうか。[38]

縄文人も、アイヌ人と同様に、この世とあの世があべこべの世界と考えていたにちがいない[39]

以上、梅原の地母神像説批判を紹介した。順次これに反論しよう。

  1. 土偶の腹にある引き裂かれたような直線は、妊婦の腹に特徴的に見られる正中線というのが一般的な解釈である。母子がともに死んで、死胎分離するというのは稀なケースだが、妊娠すると正中線が目立つようになることは頻繁に起きることなので、こちらの解釈の方が自然である。妊娠は豊穣を連想させるので、むしろ豊穣を願う地母神崇拝の証拠とされている。
  2. 縄文土偶は、墓地からではなくて、人々が生活していた場所から出土している[40]のだから、土偶は副葬品ではない。また、もしも梅原が言うように、縄文土偶が最近まで行われていた死胎分離埋葬に使われる人形の起源だとするならば、なぜ死胎分離埋葬の風習がその後も続いたのに、土偶が弥生時代から姿を消したのかについての説明が必要となる。
  3. あの世がこの世とあべこべというのはその通りだが、それは地母神像説を否定することにはならない。土の中に埋めるといっても、それはあくまでもこの世の土の中であって、地母神崇拝が想定するあの世は、人間が掘って到達できる場所よりもはるかに深いところにある。そして、この世にある地母神像が不完全であるということは、あの世の地母神は完全であるということだから、地母神崇拝とは矛盾しない。

それゆえ、私は、縄文土偶が地母神崇拝のために作られたと考える。弥生時代になって土偶が作られなくなったのは、縄文時代の終焉とともに地母神崇拝が衰退したからということだ。

梅原が注目しない、縄文土偶のもう一つの特徴を指摘しよう。それは、土偶にはいたるところに蛇の形象があるということである。アイヌの民族衣装にも蛇の文様が付いているが、あれは縄文時代の蛇信仰の名残である。

「縄文」という言葉は、もともと、土器に付けられた縄の文様に由来しているのだが、縄文は、その細長い形とウロコのような模様から、蛇の文様ということができる。実際、縄文土器には、写実的な蛇を付けた物もたくさんある。

縄文土偶にも、抽象的な蛇の文様が付いているだけでなく、写実的な蛇が頭でとぐろを巻いているものまである。安田喜憲は、これを「縄文のメデューサ」と名付けている[41]。頭に蛇を持つメデューサは、後に父権宗教によって、恐ろしい化け物にされてしまったが、もともと地中海地方で地母神として崇められていたわけだから、これもまた、縄文土偶が地母神像である根拠の一つである。

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メデューサの首[42]。ルーベンスとスナイデルスによる17世紀の作品。

古墳時代の「みずら」から、武士の時代の「ちょんまげ」に至るまで、日本人が頭に蛇の形状を連想させる髷(まげ)を結うのは、縄文時代のメデューサの名残だと考えることができる。縄文時代の遺跡からは、櫛、ヘアピン、ヘアバンドに使ったと思われる遺品が出土しており、このころから結髪の習性があったようだ。明治時代の初頭で断髪令が施行されるまで、男女とも頭髪にはなんらかの結束を行っていたことは、ヨーロッパとは異なり、日本では蛇崇拝が長く続いたことを示している。

縄文時代晩期に作られた土偶の中には、ゴーグルのような大きな丸い眼孔と閉ざされた瞼により一直線となった眼が特徴的な遮光器形土偶がある。その眼は蛇の眼のようにも見える。ちなみに、夜行性の蛇の眼は丸くて大きく、光を当てると、瞳が縦長になる。但し、遮光器形土偶の眼の線は、縦長ではなく、水平である。それは文字通り水のように平らなのだ。

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青森県亀ヶ岡遺跡(左図)と宮城県恵比寿田遺跡出土の遮光器土偶(右図)[43]

水のようだといっても蛇のようだといっても、それは縄文人にとっては同じことである。蛇は水の神である。だから、例えば、縄文土器の文様が蛇なのか流れる水なのかといった議論にはあまり意味がない。母なる大地を流れる川のように大地を這うから、蛇は神の化身として信仰されたのである。それゆえ、蛇が崇拝された理由は水が崇拝された理由と同じである。

2.4. 異界は鏡像的他者である

ここでもう一度縄文時代の異界の図を見て欲しい。あの世は、ちょうど水面に映し出されたこの世のように見えないか。水は、あの世を映し出す鏡であり、だから、縄文人は、鏡としての水に畏敬の念を抱いたはずだ。アイヌ人もまた、鏡や写真を恐れた。江戸末期の頃、武士は写真を撮られると、魂が奪われるといって怖がったが、これもまた、あの世をこの世の鏡像的対応物とする考えに基づいている。

鏡や鏡の働きをするものは、この世とあの世のインターフェイスである。鏡に映し出された自分を見ていると、魂があの世の自分に移ってしまい、この世の自分は、石のような無生物になってしまうかもしれない。西洋の神話でメデューサの眼を見た者が石になると語られたのは、このためだろう。

メデューサの神話とナルシス(Νάρκισσος ナルキッソス)の神話には、共通のモティーフが見られる。美少年ナルシスが愛したのは、水面に移った鏡像的他者であり、彼は、母の無限の欲望に飲み込まれ、湖に身を投げた。地上に残ったのは、石ではなくて、一輪のスイセンであったが、この違いは重要ではない。ペルセウスは、母の欲望に打ち克ち、メドゥーサの首を切り落とすことで、去勢を自ら成し遂げた。

日本には、次のような「蛇女房」の話がある。

どこからか来た美しい女が嫁になるが、あるとき昼寝の場面を覗いたら女は蛇になっていた。蛇は見られたことを恥じて山の湖に去ってゆくが、去り際に目玉をくりぬいて、これをしゃぶっているようにと子供に残してゆく。「蛇の目玉」である。話はこの後、その目玉を殿様に召し上げられ、さらにもう一つの目玉まで取られるに及んで、蛇が洪水を起こし、領民一同水の底に消えてゆくと語っている。[44]

中国の山東省にも、似たような民話がある[45]

崔黒子(ツオエヘイツ)という男が、龍の子を見つけて育てたが、大きくなると世話をすることができなくなって、洞窟に連れて行くことになった。崔が皇帝の命令で龍の眼が必要になると、龍は左の目玉を与えて、恩返しをした。この功績で崔は大臣となり、傲慢となり、今度は龍の許可もなく、龍の右目を取ろうとしたところ、龍に呑み込まれてしまった。

蛇ではなくて、竜の話だが、本質的な違いはない。

蛇の目は鏡である。自己を鏡像的他者に置き換える死の抱擁という点で、水面に落ちるナルシスの物語や見る人を石にするメデューサの物語と同じモティーフを有している。蛇には鏡像的他者、つまり母の性格が残っている。

ここで、話を縄文時代の遮光器形土偶に戻そう。あの土偶の一直線になった眼は、風が吹かず、鏡のようになった水面を横から見た形となっている。直線のない丸い眼の土偶もあるが、それは水面を上から見た形である。縄文土偶の眼が大きく描かれ、強調されているのは、そこが、あの世を映し出す鏡だからだと考えられる。

『古事記』に、雄略天皇があの世の鏡像的他者と出会ったことが記されている。

ある時、天皇は葛城山に登りにお出かけになったが、この時百官の人たちはみな紅の紐を着けた青摺りの衣服を頂戴して着ていた。その時に、その葛城山の向かいの山の裾から、山の上へ登る人がいた。全く天皇の行幸の列にそっくりで、また人々の服装の様子や人数もよく似て区別しがたかった。そこで、天皇がこれを眺め、尋ねさせて、

このヤマトの国に、私の他に二人と王はいないのに、今誰がこのようにしていくのか。

と言ったところ、直ちに向こうから答えて言った言葉のさまもまた、天皇のお言葉のとおりだった。そこで天皇は大いに怒って矢を弓につがえ、百官の人たちもみな矢をつがえて構えた。すると、向こうの人々も同じくみな矢をつがえて構えた。それで天皇はまた尋ねて、

そちらの名を名乗れ。そうして、お互いに名を名乗ってから矢を放とう。

と言った。これに対し、相手は答えて、

私が先に問われたので、まず私から名乗りをしよう。私は悪いことでも一言、善いことでも一言のもとにきっぱり言い放つ神、葛城の一言主の大神である。

と言った。天皇はこれを聞いて恐れかしこまり、

恐れ多いことです、わが大神よ。私は現身の人間なので、あなたが神であることに気づきませんでした。

と申して、大御刀と弓矢をはじめとして、百官の人たちが着ていた衣服を脱がせ、拝礼して献上した。[46]

雄略天皇が、自分を現身(うつしみ)と言っている。「現す」「移す」「映す」「写す」は、すべて「うつす」と読む同根の語である。あの世の自分が本物で、自分は鏡に映された「写し身」にすぎないと考えられていたのである。この世それ自体が現世(うつしよ)だから、あの世である常世(とこよ)の写しにすぎない虚(うつ)なる存在なのである。実際、アイヌ人にとってのこの世はあの世の鏡像に見える

日本人は「鏡(kyang)」を「かがみ」と訓じる。多くの学者は、その語源を「影見(かげみ)」に求めているが、吉野裕子は、蛇の古語が「カカ」であること、『捜神記』で、蛇の目が大鏡に譬えられていることを手掛かりに、「カガミ」を「蛇目(カカメ)」の転訛と推測し、さらに、名前に「カガミ」を含む植物が、すべて蛇そっくりの蔓植物であることを手掛かりに、「カガミ」を「カカ」+「ミ」、つまり「蛇」+「身」とも解釈している[47]

しかし、「カガミ」の「ミ」は甲類で、「身」の「ミ」、「目」あるいは「眼」の「メ」は乙類だから、この解釈は無理である。『類従名義抄』には、「カヾミル」という訓もあることから、「蛇」+「見る」と解釈してはどうだろうか。ちなみに、「見る」の「ミ」は、甲類である。「カヾミル」は、転訛して「カンガミル」(鑑みる)になった。

吉野が指摘するように、古代人にとって蛇の目は鏡であった。そして、鏡像的段階の古代人にとって、「蛇」+「見る」としての「カヾミル」は、「蛇を見る」でもあり「蛇が見る」でもあった。それは、鏡像的段階の幼児が、母という鏡像的他者を見るとき、同時に母が見る自己を母において見ているのと同様である。原始の日本人は、銅鏡ではなくて、水面を鏡として使っていたはずだ。その時、我々の祖先は、蛇のように身を「カガメ」て、「カガミ」に「カカ」を「ミ」たことだろう。

2.5. なぜ蛇崇拝は地母神崇拝なのか

古代の日本人は、蛇を「カカ」と呼んでいただけでなく、「ハハ」とも呼んでいた[48]。古代の日本語には、K音とH音の区別がなかったので、両者は同じ言葉である。蛇がハハと呼ばれていたことは、蛇信仰が地母神崇拝であることを示している。

現代の日本人には、「ハハ」とは違って、「カカ」はなじみがないかもしれないが、江戸時代の武士は、今のように「おかあさん」ではなくて、「おかかさま」という呼び名を使っていた。現在では、「嚊天下(かかあでんか)」などに過去の形が残っている。

蛇の呼称としても、今でも、青大将のことを「山カガシ」あるいは「山カカ」と言ったりする。「山ハハ」の方は、「山の神」という意味を保持しつつ、「山姥(やまんば)」に転訛した。

後に母を意味するようになる言葉が、かつて蛇を指す言葉として使われていたことは注目すべきことである。吉野がこの点を指摘しないのは、これは多分、蛇とペニスの形状の類似性から、母には無縁と考えたからだろう。しかし、古代人は、男根期以前の幼児と同様に、ペニスのはえた母、いわゆるファリック・マザーの幻想を抱いており、蛇信仰と地母神崇拝は、まったく矛盾しないのである。

では、幼児は、なぜ母にペニスがあると信じたがるのだろうか。それは、幼児にとってペニスは、胎内に戻るための橋だからである。フロイトも、『精神分析入門(続)』で、Sandor Ferenczi の説[49]に従って、橋を、親と体をつなぐペニスの象徴であると考えている[50]

そもそも人が羊水から世界に出てくることができるのが、ペニスのおかげである以上、橋は、あの世(まだ生まれていない存在、母胎)からこの世(生)への移行ということになる。人は死を母胎(羊水)への回帰として思い浮かべるので、橋は死への運搬という意味をも得る。[51]

母と子をつないでいたへその緒という橋が切断された後、男の子は、その代替物を自分のペニスに求め、そして、母にもその鏡像的対応物としてのペニスを想像する。ラカンは、これを想像的ファルスと名付けている。ファルス(Phallus)は、男根を意味するギリシャ語のファロス(φαλλός)に由来する。このギリシャ語は、印欧祖語で「ふくらんだ」を意味する"*bʰel-“に由来すると考えられている。ラカンでは、ファルスという用語は、現実の男根を指す言葉としてよりも、欲動の対象といった象徴的な意味で使われる(同じことは去勢という言葉についても言える)。

神話などに登場する橋は、たいがい、川の向こうの対岸や海の向こうの島として表象されるあの世(胎内)へ入るためのペニスである。本節の最初に紹介した「袋の中の鳥」の話でも、袁相と根碩は、石橋を渡って、洞窟の中に入っていった。イザイホーでは、この世とあの世(ニライカナイ)との間に架けられた七つ橋を神女たちが走って渡った。

梅原によれば、橋と走ることには語源的につながりがある。アイヌ語の「パシ」は、「走る」という意味だが、日本語のh音は、奈良時代以前の上代ではp音で発音されていたので、「ハシ」=「走る」という等式が成り立つ。アイヌ語の「ラ」は「下」を意味するので、「ハシラ(柱)」は、「下に走る」もしくは「下から走る」のどちらかである。そして、梅原は、この語源分析から、久高島の七つ橋渡りと諏訪の御柱祭りに共通点を見出す。

そこで、諏訪の御柱祭の起源が何かを考えよう。日本人は、古くから柱を神聖視してきた。縄文時代の三内丸山遺跡や真脇遺跡などで巨大木柱が発見されたことを考えると、御柱祭のような今に伝わる柱信仰の起源も、縄文時代の信仰にまで遡って求めることができそうだ。実際、御柱祭りが行われる諏訪地方は、縄文文化の中心地だった。そして、梅原は、ここから、縄文時代の人が憧れたあの世は、天の上にあったと主張する。

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諏訪大社上社(かみしゃ)で行われる御柱祭山出し木落とし[52]

梅原によれば、御柱祭りの柱は、記紀に記されている、天と地の間にかけられた天の浮き橋に相当し、この橋を通って、神々が「下に走る」もしくは「下から走る」がゆえに、「ハシラ」と呼ばれた。たしかに、記紀の時代には、そう考えられたのだろう。しかし、私は、御柱祭りでの「ハシラ」は、縄文時代には天に登るための柱ではなくて、地下に降るための柱だったと思う。そして、その名残が、御柱祭りのハイライトである木落しとして残っているのではないだろうか。

「木落し」というのは山の斜面から御柱を落とすのであるが、裸の木に人が馬乗りになり、身体を支える何もない状態で、急斜面を降りるのである。ものすごいスピードで落下する。御柱に乗る男たちはその行方も知れぬ柱に必死でつかまり、振り落とされ、振り落とされたらまた乗り、と危険を繰り返すのである。最後まで御柱に乗っている男は英雄となるが、御柱の下敷きになったり、振り落とされて死ぬものもいる。御柱には死者は付きものである。しかし誰も祭りの残酷さを責めようとはしない。むしろ死人が出ることで祭りは盛り上がり、神はそれを喜び給うているとこの土地の人は思っているかのようである。[53]

木落しが建御柱を行う途中で起きる付随的で非本質的なハプニングでないように、死者が出ることも付随的で非本質的なハプニングではない。木落としで死んだ男は、母なる大地に戻る。彼がつかまっている木は、胎内回帰のためのファリック・マザーのファルスである。「はしら」とは、地下にあると縄文時代に信じられていたあの世、黄泉の国に向かって「下へ走る」ことだったと考えることができる。地母神の胎内に回帰するための橋だった柱が、なぜ天に登るための柱になったのかに関しては、また後で次の節で説明することにしよう。

柱が、天上に登るためのではなくて、地下に降るための橋であったことは、かつて日本に存在した「人柱」の習慣を見ればわかる。水害や旱魃といった形で暴れる水の神をなだめるために、人間が生き埋めになったり、水中に沈められたりした。犠牲となった人柱は、死後に神として崇められた。そのためなのか、日本では、神を数えるとき、一柱、二柱というように、「柱」という単位を使う。

3. なぜ竜が登場しないのに竜宮なのか

前節では、かつて、あの世が水中・地下・島・対岸など、地母神の子宮を象徴する場所に存在したこと、そしてその子宮に入るための橋であるペニスが、蛇として観念されていたことを確かめた。読者の中には、竜宮伝説には蛇は登場しないではないかといぶかしむ人もいるかもしれない。たしかに、蛇は登場しない。しかし、蛇に相当する動物が、代替として登場する。その代表が竜である。亀も竜の代替物と考えてよい。

3.1. 竜とはどのような動物か

中国における竜(龍)、ヨーロッパにおけるドラゴンの語源は何だろうか。ドラゴンは、蛇を意味するギリシャ語、ドラコーン(δράκων)に由来する。竜の甲骨文字は、蛇の原字の頭に辛字形の冠飾を付けた形となっている。だから、蛇をモデルにした動物である。

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清国国旗(1889年~1912年)に描かれている竜[54]

しかし、竜やドラゴンは、たんなる蛇ではない。それは、たしかに、爬虫類のような鱗を持ち、胴体は蛇のように長いが、他方で、空を飛ぶ。西洋のドラゴンなどは、鳥のように翼を持つ。以下の図のドラゴンを見ると蛇よりも鳥に見える。

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15世紀に描かれたヨーロッパのドラゴン[55]

ここからわかるように、竜とは、蛇と鳥という二大トーテムを合成した空想上の動物である。アメリカ大陸では、ケツアルコアトルという、羽のはえた蛇が崇拝されていたが、これも一種の竜だと考えてよい。

中国では、鳳が、龍と並んで崇拝されているが、鳳も竜と同様に合成獣である。

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モウコウ龍山寺(台湾台北市)屋上の鳳凰像[56]。首の部分が蛇であることがわかる。

中国の龍には、角が生えているが、これは、中国の伝承によれば、雄鶏の角を盗んだものだということになっている。鳳は、首の部分が蛇であるとされている。

蛇は、私たちが住む世界と海あるいは地下とを結び付ける媒介者で、鳥は、私たちが住む世界と天上の世界を結び付ける媒介者である。蛇も鳥も、もともと両義性を帯びた媒介者で、鳥の要素を取り入れた蛇である竜と蛇の要素を取り入れた鳥である鳳は、その両義的性格をより一層強く持つ。両性具有のファリック・マザーのファルスであるがゆえに、性に関しても両義性を帯びている。竜王と竜女、雄の鳳と雌の凰というように性別を分けることもあるが、本来、竜と鳳凰は両性具有的存在である。

男女が性交で一体となる様は両性具有的存在である。性交が妊娠をもたらすことから、父なる天空が母なる大地と性交することで、大地に豊かな実りをもたらすと考えることは自然なことだ。そのわかりやすい例は稲妻である。昔から、雷の多い年は豊作になることが知られている。これには科学的根拠がある。雷のエネルギーにより空気中の窒素と酸素が反応して、一酸化窒素が生成し、それが酸化されて、二酸化窒素になり、さらにそれが水に溶けると硝酸となる。これが作物にとっての良い肥料になるというわけだ。

もちろん、昔の人にはそのような科学的知識はなかった。おそらく、大地に突き刺さるように落下する稲妻を見て、父なる天空が母なる大地に男根を挿入し、その結果、実りが豊かになったと考えたことだろう。それは「いなづま」という言葉に現れている。この言葉は、稲の夫(つま)という意味である。稲の生育時期である夏には雷が落ちやすい。まるで雷が稲を孕ませているようだから、「稲の夫」と観念されたのである。なお「かみなり」は「神鳴り」という意味である。日本だけでなく、世界の多くの国で、雷は神が鳴らすものと思念されていた。

豊作には肥料だけでなく水も必要である。私たちの先祖は、父なる天が母なる大地に雨を精液としてかけることで、地上の生命が育まれると想像していた。それで、日本では、かつて雨乞いの儀式として、女相撲という見世物が催された[57]。男に射精をさせることができるのは、女である。女を裸にし、エロティックな相撲をさせれば、それを見た父なる天は、実りの雨を降らせるだろうという思惑からなされたに違いない。水は、蒸発すれば、また天に戻るので、ちょうど鳥のように、地上と天空との間を往復していることになる。龍は鳥のようになった蛇であり、水を司ると同時に空を飛ぶことができる龍には雨を降らし、雷を落とす能力があると考えられた。

3.2. 日本の空崇拝は海崇拝である

蛇信仰がプリミティブな大地崇拝や海崇拝に基づくのに対して、竜信仰は、海崇拝から空崇拝への移行期、つまり、母権宗教から父権宗教への移行期に現れる。日本神話は、そうした移行期のコスモロジーに基づいて作られている。国つ神に対する天つ神の優位は、日本文化が父権的であることを示しているように見えるかもしれないが、実は、そうではない。日本文化には今日に至るまで、縄文時代の母権的価値観が色濃く残っている。

例えば、アマテラスは、太陽神のはずなのに、女であり、高天原にいるはずなのに、鎌倉時代に書かれた『通海参詣記』では、蛇だったということになっている。このことは、縄文時代に地母神に仕えていたシャーマン、蛇巫が、弥生時代には太陽神に仕える日巫女(ひみこ)となり、それが後に太陽神と同一視されるようになったからだと推測できる[58]

蛇をトーテムとする縄文文化は、弥生時代になって衰えたが、蛇憑きは、最近まで中国地方や四国地方に残っていた。『古事記』は、ヒナガヒメの正体を蛇としているが、これも蛇崇拝を特徴とする古い観念の残存であろう。

『記紀』が成立するころには、海崇拝よりも空崇拝の方が強くなった。しかし、日本は、父権宗教のように、地下や海を悪魔の領域とはせずに、空を海の一種とすることで、海崇拝から空崇拝へとスムーズに移行することができた。そのことは、太陽船という観念にみてとることができる。

船がその上に太陽をのせて陸地をめざして訪れるという太陽船の信仰は、東南アジアにひろくみられる信仰であり、そしてまたそれは日本でも古墳時代にはあきらかに信じられていました。そのことは、古墳の壁画にそのような太陽をのせた船、つまり太陽船が描かれていることでわかります。[59]

太陽船という観念は、古代エジプトにも存在した。青い空をよぎる太陽は、青い海をよぎって航行する船に乗っているかのようである。

『丹後国風土記』の逸文では、蓬莱山は海中にあるものの、亀姫は天上仙家から風雲に乗って浦島子に会いにきたことになっている。亀姫が空からやってきたというのは奇妙に聞こえるが、空と海を鏡に映った同じような世界と考えるなら、それほど奇妙ではない。

過渡的な地母神崇拝の時代においては、空は第二の海であり、しばしば地母神の胎内と同一視された。このことを、高天原の語源分析で示そう。「たかまがはら」は、タカ+アマ+ハラの三つの言葉から成り立っている。このうち、“Ama”は、シュメール語や中国広東語で「母」を意味し、日本語の「あま(尼・天)」は、そこに由来している。タカを「高貴な」、アマを「母」、ハラを「腹」と解釈するならば、高天原とは、聖母の母胎のことで、高天原からの天孫の降臨とは、ニニギが、聖母の胎内から産まれ落ちたということになる。これは、母なる海から人間が生まれるという母権時代のモデルを九十度回転させただけである。

3.3. 天橋立伝説は何を意味するのか

柱から、下という意味の「ら」を抜くと「橋」になる。神が走る通路という意味では、柱と同じであるが、垂直方向ではなくて、水平方向の通路である。『丹後国風土記』の逸文には、天橋立の由来を示すこんな件がある。

国をお生みになった大神、イザナギノミコトが、天にお通いになろうとして、橋を建立なさった。それで、アマノハシダテといった。神がお休みになっている間に倒れてしまった。[60]

天橋立は、京都府宮津湾にある砂嘴で、日本三景の一つとして知られる景勝地である。古代の日本人は、この橋を、天と地を結ぶ橋が倒れたものと表象していた。もっとも、実際の順序は逆で、最初に水平方向の現実の橋があって、次に、垂直方向の橋を想像しているわけで、この実際の順序は、現実的な蛇の信仰から想像的な龍の信仰へという思惟の歴史を反映している。

天橋立の南側からの眺望は「飛龍観」と呼ばれている。股のぞきをすると、海と空が逆転し、天橋立が、空を飛ぶ龍のように見えるというのが名前の由来である。

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海中の竜としての天橋立[61]。文珠山の天橋立ビューランドから撮影。

現地には、観光客のために「股のぞき台」が設置されている。私は現地に行って、実際に股から覗いた経験はないが、この天橋立の写真を天地逆にした写真を掲載したので、それをご覧いただきたい。空が海で、海が空だと思えば、昇竜の写真のように見える。

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空中を飛ぶ竜としての天橋立(上掲図を上下逆にしたもの)

天に架かる橋という想像を可能にした自然現象として、虹を挙げることができる。「虹」という漢字は、「蛇」と同様に、「虫」の字が付くが、この「虫」は昆虫という意味ではなくて、本来は、爬虫類の形を模した象形文字である。だから、虹は一種の竜と考えられていたと考えてよい。なお、虹は雄の方で、雌の虹は、霓(本来は、虫偏に兒)と呼ばれていた。甲骨文に「昃(ゆふぐれ)にまた出霓(虫偏に兒)ありて北よりし、河に飮(みづの)めり」とあって、虹が現れるのは、竜が河水を飲みに下る時とされていた[62]

虹は実体のない橋であり、竜のような幻想のモデルにふさわしい。浦島伝説においても、この世と竜宮とをつなぐ橋は、禁忌を犯すことで、虹のようにあっという間に消え、浦島は竜宮に戻ることができなくなってしまった。

天橋立の話を載せている『丹後国風土記』の逸文に、浦島伝説とならんで羽衣伝説が記されているが、これは偶然ではない。羽衣伝説は、中国の七夕伝説の影響を受けたりして、様々なバージョンを生むことになるのだが、典型的には、次のような要素を持つストーリーである。

  1. ある男が、水浴びをしている天女を見つけ、近くに脱ぎ捨ててある羽衣を盗んで隠してしまう。
  2. 羽衣を見つけられない天女は天に帰ることができず、止むを得ず、羽衣を盗んだ男と結婚する。
  3. その後、男の油断により、天女は羽衣を見つけ、天に戻ってしまう。
  4. 男は追いかけるが、天の川の向こうには渡ることができない(七夕的付加)。

羽衣伝説は、男が彼岸に行く代わりに女が此岸に来るという点で、竜宮伝説の逆になっている。竜宮伝説では、女が積極的に誘ったのに対して、羽衣伝説では、男が強引に女を引き寄せる。だから、羽衣伝説は、竜宮伝説の続きであると解釈すると、わかりやすい。竜宮伝説が、胎内から出てしまって、戻れなくなる話であるのに対して、羽衣伝説は、胎内に戻ろうとして、失敗する話なのである。

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羽衣[63]。木村武山(1876-1942)筆。

羽衣伝説は、後に、鶴女房という民話になり、それはさらに、木下順二が書いた『夕鶴』という演劇で有名になった。鶴女房のあらすじは、以下のようなものである。

昔、一人暮らしをしている、ある貧乏な若者が鶴を助けてやった。すると、しばらくして、美しい娘が、その若者の家を訪れ、彼の女房になった。彼女は、機織部屋を作ってもらい、「私が部屋を出てくるまで、絶対に中をのぞかないでください」と言って、その部屋で機を織り、美しい布を織った。若者は、その布を売って、金持ちになった。

ところが、ある日、若者は、なぜ女房が、糸もないのに、機を織ることができるのか不思議に思って、機織部屋を覗いてしまった。すると、部屋の中では、鶴が、自分の羽を嘴で抜いて、機を織っていた。女房は、助けた鶴だったのである。彼女は、「あなたに本当の姿を見られては、もうあなたのおそばにはいられません」と言うと、空へ舞い上がって、二度と戻らなかった。

これは、かなり浦島伝説に近くはないだろうか。羽衣伝説も、竜宮伝説も、後世には、鶴の恩返しや亀の恩返しといった動物報恩譚が付け加えられた。中を覗くなという禁忌とそれを男が破ることによる別離という点でも、似ている。中国版竜宮伝説である「袋の中の鳥」では、袋を開けると、青い鳥が飛んでいくという場面があったが、青い鳥は、青い服を着ていた乙女のことだから、その点では、夕鶴に似ている。

鶴女房の話では、羽衣伝説の天女が鶴という鳥になった。なぜ鶴が選ばれたのだろうか。私は、鶴が蛇のように長い首を持っているからだと思う。西洋の神話では、天女が白鳥であることが多いが、白鳥の首も、蛇のように長い。これらは、いずれも、中国の鳳凰に相当する鳥だ。七夕の牽牛星(アルタイル)と織女星(ベガ)が、はくちょう座を構成しているのも、偶然ではないのかもしれない。

3.4. なぜ鶴女房は機を織ったのか

七夕(しちせき)は、日本では「たなばた」と訓ずるが、「たなばた」は、本来「棚機(棚のように見える横板のついた織機)」であったはずだ。日本の鶴女房も中国の織姫も、機を織っていた。アマテラスも『記紀』では、機を織っている。機を織るということにはどのような意味があるのだろうか。

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伝統的な方法で機を織る女性[64]。ラオスでの撮影。

機を織ることは、女の伝統的な仕事である。かつて、子供は、母が機を織る音を聞きながら育ったものだ。鶴女房が機を織る姿を見ることができなくても機を織る音は聞こえていたことからもわかるように、機織姫伝説では、視覚的象徴よりも聴覚的象徴のほうが重要である。鶴女房以外にも、日本各地に、川や池など水の底で機を織る女性の伝説が残っているが、ここでも、姿は見えず、音だけが聞こえる。

では、機を織る音は、何の聴覚的象徴なのだろうか。私は、それは、胎内の音の再現ではないかと考えている。胎内音は海の波打つ音に似ている。そして、波の音と、胎内で聞こえる心臓の鼓動と、機織の音は、よく似ている。

浦島伝説では、機織が出てこないが、これは海の寄せ来る波の音が、胎内回帰願望を掻き立てる背景音として十分効果を発揮しているからである。これに対して、川や池など、それがない所では、機織の音で、代替となる背景音を作らなければならない。

もとより、胎内音といっても、胎児は聴覚が十分発達していないので、胎内音を聞くというよりも、むしろそれを振動として感じたはずだ。私たちの意識は、胎内での体験を忘れているが、私たちの無意識は、今でも胎内の生命のリズムに深く共鳴する。クラブでは、人々は、子宮の中のような暗闇の中で、ビートに合わせて体を揺すり、エクスタシーに酔うが、それは胎内にいた時の記憶が甦るからなのだろう。

フロイトが、以下のように『性理論三篇』で指摘するように、乳幼児は、身体を機械的に揺すられることに性的興奮を感じる。

少年たちは、鉄道での出来事に、尋常ならざる謎めいた関心を向け、空想が活発になる年頃(思春期の少し前)になると、その出来事をこの上ない性的象徴の核にするのが常である。[65]

むずかる赤ちゃんも、ゆりかごに入れて揺り動かしてやると、寝つかせることができる。幼児は、ブランコが好きだし、鉄道で揺られることも好きである。そのため、鉄道の運転手になりたがる少年は少なくない。神話の時代に鉄道はなかったが、現代のポップカルチャーには、鉄道の振動が胎内振動を再現するメタファーとして使われる。例えば、松本零士の代表作の一つ、『銀河鉄道999』がそうだ。

この漫画は、母を殺した機械伯爵に復讐し、永遠の命を手に入れるため、少年の星野鉄郎が、母そっくりの美女メーテルとともに、銀河鉄道に乗って、銀河の彼方へと旅立つという物語で、彼が18歳の時、九州からSL機関車で上京した時の体験が元になっている。松本は、当時を振り返って、こう言っている。

がら空きの夜汽車の反対側の窓に、幻のような絶世の美女が前を向いて座っている。そういう姿を想像しながら、いつの日か、そんな場面が入ったマンガを描きたい、アニメを作りたいと思っていた。夢がそこで芽生えていた。メーテルの原型も、その時にでき上がっていたのかも知れません。

ぼくはSLに乗って上京した最後の世代。というのも、上京した明くる年、帰郷のために乗った列車はディーゼルに変わっていたので。でも、だからこそ、志を立ててどこかに向かう時には、どうしてもSLでないと具合が悪いと思ったんですね。実は打ち明け話をすると、このシリーズをはじめる時に「新幹線型ではどうか」という話もあったんですね。でも、私は絶対イヤだと。[66]

窓の向こうに映った美女は、鏡像的他者であり、理想化された母である。ちなみに「メーテル」はギリシャ語で「母」という意味である。少年の星野鉄郎は、もちろん、少年時代の松本である。松本が興奮して寝ることができなかったのは、彼が汽車に揺られながら胎内回帰の体験をしたからであると考えられる。胎内で聞く母の心臓の鼓動は蒸気機関車に乗ったときの音とそっくりである。この重厚感あふれるゆっくりとしたテンポの音は、新幹線のせわしい音で代替できない。松本が「絶対イヤ」と言ったのも当然である。

フロイトによれば、汽車に乗って旅に出ることは、死別の象徴である[67]。『銀河鉄道999』のテーマも死別である。この話の根底にあるのは、《機械的なもの=無機的なもの》という死んだ状態への回帰であり、フロイト的に言えば、死への欲動である。

人は母と別れ、母へと戻っていく。母の元へと戻るという点では、『銀河鉄道999』は、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』と同じモティーフに基づいているということができる。銀河鉄道の長く伸びた、ペニスの形をした車体は、胎内回帰のための橋である。それは、また、蛇の形にも似ているが、汽車が空を飛ぶという『銀河鉄道999』の幻想的なシーンは、竜のイメージを表していると言うことができる。

3.5. なぜ竜宮なのに亀姫なのか

話を浦島伝説に戻そう。中国の竜宮伝説には竜女が登場するが、浦島伝説では、竜女の代わりに亀姫が出てくる。現代の浦島太郎物語では、亀と乙姫様は別だが、本来、両者は同一である。琉球諸島に伝わる浦島伝説では、水際に漂う長い髪の毛三本を拾って、持ち主である美女に返してやったところ、お返しとして、竜宮に連れて行ってもらうという筋書になっていて、水中にたゆたう女の長い髪の毛が竜をイメージしているが、竜自体は出てこない。

それでも、亀は、竜や蛇や鳥と同様に、ファリック・マザーのシンボルである。股間から子供の顔が出ている妊婦の姿を想像してみてほしい。それは、亀の姿そっくりである。亀の首は、蛇やペニスに似ている[68]。そして、甲羅は、母体に相当し、その箱のような形状は、子宮を象徴する。浦島は、亀に出会い、亀の甲羅である竜宮へと入っていったのである。

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ウミガメ[69]

女性が子供を産みたがるのは、欠如したペニスの代替物を子供に求めるからであるとフロイトは言う[70]。股間から産まれる子供は、まさに母にとってのファルスである。そして、母から欲望されることを欲望する子供は、自分が母のファルスとなることを想像する。亀は、この母子相姦的な、ファリック・マザー幻想を象徴する格好の動物なのである。

アイルランドの竜宮伝説では、美しい乙女、ニアヴが馬に乗って現れた。女性が馬に跨っている様を想像してみよう。馬の頭は、女性の股間から生えたペニスのように見えないだろうか。オシーン伝説でも、やはりファリック・マザーが動物のメタファーで表されている。

日本の異類女房譚のもう一つの変種として、蛤女房の話がある。貝は子宮を、蛤の二枚貝が作る割れ目は女陰を、そこから出される舌の足はペニスを表す。蛤が出す粘液糸は、「蛤の蜃気楼」と呼ばれている。蜃気楼の「蜃」の字は、オオハマグリのことで、オオハマグリが吐き出す妖気の中には楼閣が見え、それが竜宮伝説につながったと考えることができる。

4. なぜ玉手箱を開けると年を取るのか

浦島が、竜宮から故郷に帰ると、三百余年が経過していた。他の竜宮伝説でも、竜宮では時の経過が異常に速いと語られることが多い。なぜ、竜宮では、時間が経つのが速いのか。竜宮から出て年をとることは何を意味しているのか。

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浦島帰国[71]

4.1. 主観的時間のテンポは遅くなりうる

物理学では、光速度に近い速度で運動しているシステムの時間の進み方が、静止している観測者のシステムに比べて遅くなる現象のことをウラシマ効果と呼ぶことがある。相対性理論を教える時の喩えとして浦島の名前を使うのはかまわないが、浦島が亜光速で飛ぶ宇宙船に乗ったということはありえないので、相対性理論を浦島伝説の解釈に使うことはできない。同じ観測系に属している以上、物理的客観的時間を変えることはできないが、生理的主観的時間なら変化することはありえる。

生物にとっての主観的な時間は、鼓動間隔で計測される。ゾウのように、大きくて、鼓動間隔が長い動物は、主観的に時のテンポが遅いため、客観的な時の経過を速いと感じるが、ネズミのように、小さくて、鼓動感覚が短い動物は、主観的に時のテンポが速くなるため、客観的な時の経過が遅いと感じる[72]

同じ生物でも、鼓動間隔の変化により、時間経過の感覚が変わる時がある。私たちは、リゾートでリラックスして楽しく過ごしている時は、鼓動間隔が長くなるため、時間があっという間に過ぎるように感じる。これに対して、つらい罰ゲームを受けているなど、緊張している時は、鼓動間隔が短くなるから、時間終了まで異様に長く感じるものだ[73]

泣いている赤ちゃんに胎内音を聞かせると、泣き止み、やがてすやすやと寝てしまうことがある。私たちは、胎内回帰により至福の時を過ごすならば、すなわち、竜宮城のような理想的な異界で楽しい日々を過ごすなら、主観的に時のテンポが遅くなり、客観的な時の経過を速く感じるにちがいない。まだそれほど時間が経っていないと思っていたのに、ふと気がつくと、こんな時間になっていたのかと驚くようなことになるだろう。

古来、日本人は、この世を現世(うつしよ)、あの世を常世(とこよ)と呼んだことは既に述べた。「常」は「常夏(とこなつ)」と言う時の「とこ」で、永久(とこしへ)という意味である。つまり、常世は、移ろいやすい虚(うつ)の世界である現世とは異なり、永遠不滅の世界である。これに加え、「常」は「底(とこ)」と同根の語でもある[74]。だから「常世」は「地底に存在する不老不死の楽土」ということになる。

地母神の胎内としての竜宮は、原初的には、洞窟であり、洞窟内では、主観的時間のテンポが遅くなる理由がもう一つある。私たちは誰でも、洞窟内のような暗闇の中では、1日を24時間以上にすることが簡単にできる。人間の睡眠と覚醒の周期は、本来24時間よりやや長いので、私たちは、毎朝太陽光線を浴びることで体内時計をリセットし、無理やり1日を24時間にしているのだが、太陽光線を浴びなければ、1日が24時間より長くなり、遅寝遅起きを繰り返すことになる。これは非24時間睡眠覚醒症候群と呼ばれている。

私たちの体内時計が24時間よりも長い周期であるということは、私たちの祖先が海に住んでいて、潮汐リズムとシンクロナイズしていたことと関係があるとも言われている[75]。地球の自転周期は23.9時間だが、月が地球を公転しているために、月が元の位置に戻るには、24.8時間かかる。このため、潮汐リズムは昼夜リズムより50分長くなる。

私たちは、父なる太陽の周期と母なる海の周期という二つの異質な周期の狭間で生きている。社会でまともに生きている人は、父性原理により母性原理を克服しているが、「ひきこもり」と呼ばれている人たちは、暗い胎内に回帰して、海の周期で生活している。「外に出て働け」と厳しく叱る父とひきこもりの息子をかばう母といった、よくみかけるこうした家庭の風景は、男性原理と女性原理の葛藤を反映している。

暗闇の中にひきこもり続けていると、1日25時間弱のサーカディアン・リズム(概日リズム)が、さらにフリーランして、倍の周期を持ったサーカビディアン・リズム(Circabidian rhythm)[76]に延びるという内的脱同調が起こる。

実はこのような実例が時間隔離実験によっていくつも確認されており、概倍日(がいばいじつ)リズム(サーカビディアン・リズム)とよばれている。この場合被験者は、約10時間の睡眠と約40時間の覚醒を繰り返しているが、この異常に長い“一日”を自分では通常の一日としてしか感じていない。このことは被験者の話や食事の回数で知ることができる。時間隔離実験では、被験者は自分が食事の時間だと思ったときに、食べたいだけ食べるのだが、40時間起きていても、被験者は三回しか食事をとらず、その食事の量も通常とまったく変わらないのだ。それでいて体重もほとんど変化しないというのだから、驚きだ。[77]

この世の洞窟内でこれだけ主観的時間のテンポが遅くなるのだから、あの世である竜宮内では、想像を絶して遅くなるに違いないという信念が洞窟の中で住んでいた頃から形成されたのだろう。

体内時計のテンポが遅くなった人が、洞窟から出てきて、体内時計を太陽の周期に合わせると、その人の主観的時間のテンポは、もとのテンポから計測すると、つまり竜宮側から見れば、急速に速くなる。浦島が、急に年を取ったことは、そのことを描写していると考えられる。では、なぜ玉手箱を開けることで、浦島は年をとりはじめたのだろうか。

4.2. なぜ玉手箱を開けてはいけないのか

浦島が、故郷に戻りたいと言った時、亀姫は、玉手箱を持たせて、帰郷させた。玉手箱の「玉(たま)」は、「霊(たま)」と同根の語である[78]。子宮(竜宮)の象徴である玉手箱を開けるたところ、白い煙が出て、元の玉手箱に戻らないということは、子宮(竜宮)から浦島の魂が出て、戻れなくなったことを象徴的に意味する。

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玉手箱を開けて、年を取ってしまった浦島太郎[79]。藤山覚三画。

竜宮が子宮だとするならば、その中にいる浦島が故郷の母に会うためにそこから出て行くということは、矛盾しているようにみえる。しかし、神話を分析する時は、精神分析学者が夢を分析する時と同様に、形式的な矛盾を気にしてはいけない。むしろ、胎内回帰願望とその挫折による母との別離という主題が、二回反復して現れていることに注目したい。

第2節で紹介した「袋の中の鳥」では、乙女が手渡したのは袋だったが、俗に母親のことを「おふくろ」と言うことからも推測がつくように、袋もまた子宮のメタファーである。この袋を開けると、根碩の魂が体から飛び去って、根碩の体はもぬけの殻になったが、浦島伝説でも、『丹後国風土記』の逸文では、浦島子は、玉匣をあけると、風雲と共に天に飛び去ったということになっている。肉体から霊魂が抜け出ることは、母胎から胎児が抜け出ることを示唆している。

アイルランドの伝説では、オシーンは、馬から下りて、地に足を着けることで、年をとった。私は、馬の首が母のペニスに相当すると言った。すると、馬から降りるということは、それを失うということなのだから、オシーンは、常若の国に帰るために必要な、ニアヴとのつながりを失ったということになる。子供は、産まれる時、母のペニスに相当するへその緒を切り、羊水に浮いていた足が地に着くようになる。オシーンもまた、胎内から出ることで、年をとりはじめたのだ。

4.3. なぜ機織りを見てはいけないのか

私は、鶴女房を、竜宮伝説の一種と解釈した。鶴女房は、自分が機を織っているところを見るなといい、男は、その禁忌を破ることで、結婚は破綻する。こうした「見るな」の禁忌は、世界の様々な神話によく登場する。

日本神話の代表例は、トヨタマビメで、夫のホヲリノミコトは、妻トヨタマビメから、見ないでと言われたのにもかかわらず、こっそり出産中の様子を覗いてしてしまう。すると、トヨタマビメノミコトは、『古事記』によると、大きなワニになって、『日本書紀』によれば竜になって、腹ばいになって身をくねらせて動いていた。ホヲリノミコトはそれを見て驚き、恐れ、逃げ去った。

西洋の民話の代表例は、蛇妖精メリュジーヌである。彼女は、土曜日になると下半身が蛇の姿になり、夫がその姿を見たら、永遠に夫と別れねばならないという呪いをかけられていた。メリュジーヌと結婚したレモンダンは、禁忌を破り、下半身が蛇のメリュジーヌを見てしまった。このため、メリュジーヌはレモンダンのもとを離れ、竜となって飛んでいってしまった。

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夫に下半身が蛇の姿であるところを目撃された蛇妖精メリュジーヌ[80]。19世紀の絵画。

無知の暗闇に留まるということは、胎内に留まるということであり、光を見るということは体内から外に出ることを意味する。だから「見るな」という命令は「胎内から出るな」という命令なのである。この命令を無視して、胎内から出てしまうと、真理の光を見ることができるが、同時に母のもとを離れなければならない。

4.4. 因幡のしろうさぎは何の話か

子を胎内における無知の安逸から眼を覚まさせ、母から引き離し、自立させることは、通常、父の役割である。このことを、『古事記』に登場する「因幡のしろうさぎ」で確かめてみよう。

オオアナムジが、泣いている裸のウサギを見つけて、泣いている理由を問うた。すると、ウサギは次のように説明した。

私は隠岐の島にいて、ここへ渡ろうと思いましたが、渡る方法がありませんでした。そこで、海にいるワニを騙して、こう言いました。

私とおまえと比べて、一族の多い少ないを数えたいと思う。だから、おまえは自分の一族をいる限り全部連れてきて、この島から気多の岬まで、ずっと並び伏せよ。そうしたら、私がその上を踏んで、走りながら声に出して数えて渡ろう。そうすれば、私の一族とどちらが多いかわかるだろう。

このように言うと、ワニたちが騙されて並び伏したので、私はその上を踏んで、声に出して数えて渡ってきて、今まさに地面に降りようとする時に、私は「おまえたちは私に騙されたのだ」と言ったところ、言い終わった途端、一番端に伏せていたワニが私を捕まえて、私の着物をすべて剥いでしまいました。[81]

隠岐の島は、古来、流刑の地である。島は周囲を海に囲まれ、羊水に囲まれた胎児のようである。島流しにするということは、胎内に戻すことを意味するので、象徴的な死刑である。「隠」という字が当てられたのも偶然ではないだろう。

胎内としての他界の島にいた兎は、一列に並んだワニの背の上を飛び跳ねて、気多の岬にまで到着する。ここでワニという動物に注目しよう。トヨタマビメの正体はワニであった。そして、日本神話では、ワニは、蛇や竜と同様に、胎内とこの世をつなぐ橋の象徴である。だから、ワニの列は、母なる海の産道であり、兎は、産道を抜けて、この世に出ようとしたのである。

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皮を剥ぎ取られる兎[82]。藤山覚三画。

その時、ウサギは、毛をむしりとられ、裸になった。つまり、素兎(しろうさぎ=裸のウサギ)になった。これは、禊(みそぎ=身削ぎ)の儀式である。ミソギは、実際の出産において、赤ちゃんが毳毛(ぜいもう=産毛)やへその緒を削ぎ落とすことに由来している

ウサギは、海水を浴びて風に吹かれるという間違った教えに従い、身体を痛める。そこにオオアナムジが現れ、正しい治療方法を教えられる。ウサギは真理に目覚め、一人前のウサギとなった。ここで、オオアナムジは、父としての役割を果たしている。

4.5. 闇から光へのコスモゴニー

宇宙起源論のことをコスモゴニー(cosmogony)という。世界の多くのコスモゴニーは、闇から光が誕生したと伝えている。ユダヤ教の『旧約聖書』は、原初の世界を暗い水として描き、父なる神のおかげで光がもたらされたとしているが、このコスモゴニーは他の創世神話でも同じで、かつ、竜や蛇やそれに類する海の怪物と神が戦うという神話が付属することが多い。

バビロニア神話では、太陽神マルドウクが、闇のティアマトと戦った。エジプト神話では、太陽神ラーが、深淵ヌンに棲み、ラーの航行を妨げる悪蛇アペプ(アポピス)と戦った。ギリシャ神話では、光の神ゼウスが、地母神ガイアの子で、闇の世界のティーターンの神々と、さらには、下半身が蛇の怪物、テューポーンと闘う。いずれの神話でも、光が闇に勝利することで、宇宙が始まる。

インドの『リグ・ヴェーダ』でも、原初は水であり、闇であったが、インドラが巨大な蛇(アヒ)の怪物であるヴリトラを切り殺した時、世界に光をもたらしたということになっている。中国の創造神、磐古は、暗い混沌の卵から生まれ、その眼を開くと光明の昼がもたらされた。日本の神話では、天の岩宿神話が類似のコスモゴニーである。アイヌの『ユーカラ』には、英雄アイヌラックルが、日の神を閉じ込めていた魔神を切り殺し、人の世を再び明るくしたという神話がある。闇から光へのコスモゴニーは世界中に存在する。

そうであれば、どこに起源を求めたらよいのか。先に結論を述べれば、闇のコスモゴニーは地域や民族を問わずあらゆる古代人に共通して抱かれていた夜明けの印象に起源する ―― 闇の神話は、人類に普遍的な心性をもとに生まれた、と私は考えるのである。[83]

では、夜明けの前には夕暮れがあるのに、なぜ夕暮れが宇宙の始まりではないのか。太陽暦が採用されている社会では、日の出とともに一日が始まるが、太陰暦が採用されている社会では、日没とともに一日が始まる。多くの社会では、かつて太陰暦を採用していたのだから、日没と月の出現を宇宙の開闢としても良さそうなのに、そうはなっていない。

またこの説明では、水や竜退治というコスモゴニーの他の要素との関係が不明である。私は、創世神話の原光景を人の出産に求めることで、他の要素を含め、もっと包括的にコスモゴニーを説明するべきだと思う。すなわち、始原における暗闇と水は、子宮内の暗さと羊水のことで、水の中の竜は、その形状から分かるように、母胎と胎児をつなぐへその緒で、人は、このへその緒を切ることで、すなわち竜を切り殺すことで、この世に生まれ、この世の光に眼を開く。

浦島は、竜宮という子宮から出て、真実を知る。玉手箱を開けるという第二の子宮脱出により、さらに真実を知る。こうして、浦島は、そして読者は、胎内回帰が幻想にすぎないことを思い知らされるわけだ。

5. 参照情報

関連著作
注釈一覧
  1. これらの文献では、浦島子は雄略天皇の治世の人物とされ、三百年後に故郷に戻ったとされている。雄略天皇は、五世紀の人物で、そこから三百年経つと、『日本書紀』や『丹後国風土記』が成立した八世紀になるので、辻褄はあっている。
  2. . “Urashima Taro handscroll from Bodleian Library, Oxford." Licensed under CC-BY.
  3. Kakuzō Fujiyama. “Image from The Japanese Fairy Book.” 1908. Licensed under CC-0.
  4. 『御伽草子』の浦島伝説は、室町時代に成立したと考えられている。雄略天皇の治世から七百年と言えば、鎌倉時代になるので、少し時代が合わない。七という数字は縁起が良いので、七百年という数字が選ばれたと考えることもできる。
  5. Wikipedia. “浦島太郎.” 2017年7月4日 (火) 04:28.
  6. フジテレビ.「浦島太郎伝説の真実」.『奇跡体験!アンビリーバボー』100回記念スペシャル. September 14th, 2000.
  7. 折口 信夫.「妣が国へ・常世へ」in『古代研究〈1〉祭りの発生』. 中央公論新社 (2002/8/1).
  8. Masahiro Kaji. “The underwater formation or ruin called “The Turtle" at Yonaguni, Ryukyu Islands.” 8 February 2008. Licensed under CC-BY-SA.
  9. Hancock, Graham. Underworld: The Mysterious Origins of Civilization. Toronto: Doubleday Canada, 2002. Part.6. Japan, Taiwan, China. グラハム・ハンコック.『神々の世界 (下)』小学館 (2002/10/1).
  10. 君島 久子. 月をかじる犬―中国の民話』. 筑摩書房 (1984/07).
  11. 篠田 知和基.『竜蛇神と機織姫―文明を織りなす昔話の女たち』. 人文書院 (1997/11). p. 35.
  12. Harry Mountain. The Celtic Encyclopedia (Celtic Encyclopedia). Upublish.Com (1998/06). p. 576-577.
  13. “Sometimes a maiden held up an apple of gold to Niam and Usheen, as their slender white horse dashed across the waves of the ocean." Albert Herter. “Frontispiece ―― Tales of the Enchanted Islands of the Atlantic 1899.” Licensed under CC-0.
  14. 折口 信夫.「民族史観における他界概念」in『折口信夫全集 第20巻 神道宗教篇 (20)』. 中央公論新社 (1976/8/10). p. 53.
  15. 「應公之賜,殺之黃泉,死且不朽」―『管子』小匡.
  16. 白川 静.『字訓』. 平凡社; 新装普及版 (1999/01). p. 793.
  17. 『説文』によれば、「妣」は、「比」が音を表す形成文字にすぎないのだが、『釈名』釈喪制は、父の死に比(なぞら)えて、同様な思いにとらわれる母の死という解釈を与えている。
  18. これは偶然ではなく、東西両文明の起源を辿ると、メソポタミア文明という共通の源泉に行きつく。すなわち、一方で、シュメール語の「Ugu 産む」→ シュメール語の「Umu 産む・母」→ 日本語の「産む」や「海」という系列があり、他方で、シュメール語の「Ama 母」→ 中国広東語の「Ama 母」→ 沖縄方言の「Anma 母・女性」→ 日本語の「あま(尼・天)」という系列がある。
  19. Herb Roe. “A Mississippian culture stone box burial with the body in the flexed position.” Licensed under CC-BY-SA.
  20. Tajima, Atsushi, et al. “Genetic origins of the Ainu inferred from combined DNA analyses of maternal and paternal lineages." Journal of human genetics 49.4 (2004): 187-193.
  21. アイヌ人は、縄文の血統を受け継いでいるが、遺伝子分析によると、サハリンを含めた北東アジアの血統も受け継いでおり、純粋な縄文人とは言えない。この点、アイヌ人よりも沖縄人の方が、遺伝子的には、縄文人に近いと言える。もとより、アイヌ人が文化的にも北東アジアの影響を受けているように、琉球人は中国大陸から文化的に影響を受けている。アイヌ文化も琉球文化も、縄文文化と全く同じではないことに気をつけなければならない。
  22. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈6〉日本の深層』. 小学館 (2000/11). p. 110-111.
  23. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈6〉日本の深層』. 小学館 (2000/11). p. 106.
  24. Hno3. “Photo of some ceremonial implements, Inaw, in the Kayano Shigeru Nibutani Ainu Museum in Nibutani, Hokkaido, Japan.” Licensed under CC-0. 2005年7月17日. 萱野茂二風谷アイヌ資料館(北海道平取町二風谷)所蔵の祭具。
  25. Yanajin33. “国立民族学博物館(大阪) アイヌの祭壇<ヌササン>(北海道、二風谷).” 25 January 2014. Licensed under CC-BY-SA.
  26. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)』. 小学館 (2001/05). p. 120.
  27. 藤村 久和.『アイヌ、神々と生きる人々』. 小学館 (1995/02). p. 210-211.
  28. 藤村 久和.『アイヌ、神々と生きる人々』. 小学館 (1995/02). p. 213.
  29. 藤村 久和.『アイヌ、神々と生きる人々』. 小学館 (1995/02). p. 215.
  30. James Wainscoat. “Grass snake in the Picos mountains." Licensed under CC-0.
  31. 藤村 久和.『アイヌ、神々と生きる人々』. 小学館 (1995/02). p. 216.
  32. Izaiho (Ryukyuan religious ceremony).” Japanese book “Asahi Photo Book Vol.15" published by Asahi Shimbun Company. Licensed under CC-0.
  33. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)』. 小学館 (2001/05). p. 148-149.
  34. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)』. 小学館 (2001/05). p. 148.
  35. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈8〉日本冒険(下)』. 小学館 (2001/07). p. 470.
  36. 柳田 国男.「海上の道」.『柳田国男全集〈1〉』. 筑摩書房 (1989/09). p. 98.
  37. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈11〉人間の美術』. 小学館 (2002/11). p. 98.
  38. 梅原 猛. 梅原猛著作集〈11〉人間の美術. p. 107.
  39. 今でも日本人は、死者の装束(しょうぞく)を、生きている人間の着装とは逆に左前にするが、これも同じ考えに基づいている。後で述べるが、かつての人類は、鏡の中の世界にあの世を想像した。鏡がなかった時代には、水面に映った朧げな世界であの世を想像した。鏡像では左右が逆になることから、あの世はこの世とあべこべと思ったのだろう。
  40. 楠戸 義昭.『神と女の古代』. 毎日新聞社 (1999/07). p. 33.
  41. 安田 喜憲.『大地母神の時代』. 角川書店 (1991/03). p. 101.
  42. Peter Paul Rubens, Frans Snyders. “Head of Medusa.”
    Kunsthistorisches Museum. Licensed under CC-0.
  43. A Final Jomon statuette (1000-400 BCE), Tokyo National Museum, Japan” and “Dogu Miyagi 1000 BCE ~ 400 BCE” Licensed under CC-0.
  44. 篠田 知和基.『竜蛇神と機織姫―文明を織りなす昔話の女たち』. 人文書院 (1997/11). p. 20.
  45. 池上 正治.『龍の百科』. 新潮社 (2000/01). p. 191-193.
  46. “一時。天皇登幸葛城山之時。百官人等悉給著紅紐之青摺衣服。彼時。有其自所向之山尾登山上人。既等天皇之齒鹵簿亦其裝束之状。及人衆相似不傾。爾天皇望。令問曰。於茲倭國除吾亦無王。今誰人如此而行。即答曰之状。亦如天皇之命。於是天皇大忿而矢刺。百官人等悉矢刺。爾其人等亦皆矢刺。故天皇亦問曰。然告其名。爾各告名而彈矢。於是答曰。吾先見問故。吾先爲名告。吾者雖惡事而一言雖善事而一言言離之神。葛城一言主之大神者也。天皇於是惶畏而白。恐。我大神有宇都志意美者【自宇下五字以音】不覺白而。大御刀及弓矢始而。脱百官人等所服之衣服以拜獻。”『新編日本古典文学全集 (1) 古事記』. 下巻.
  47. 吉野 裕子.『蛇―日本の蛇信仰』. 法政大学出版局 (1979/02). p. 84.
  48. 吉野 裕子.『山の神―易・五行と日本の原始蛇信仰』. 人文書院; オンデマンド版 (2004/11). p. 31.
  49. Ferenczi, Sandor. “The symbolism of the bridge." International Journal of Psycho-Analysis 3 (1922): 163-168.
  50. Sigmund Freud. “ Neue Folge der Vorlesungen zur Einführung in die Psychoanalyse.” Gesammelte Werke in achtzehn Bänden mit einem Nachtragsband Herausgegeben von Anna Freud, Marie Bonaparte, E. Bibring, W. Hoffer, E. Kris und O. Osakower. 2001/11. Bd.15. p. 25.
  51. “Insoferne es dem mänlichen Glied zu verdanken ist, daß man überhaupt aus dem Geburtswasser zur Welt kann, wird die Brücke der Übergang vom Jenseits (dem Noch-nicht-geboren-sein, dem Mutterleib) zum Diesseits (dem Leben), und da sich der Mensch auch den Tod als Rückkehr in den Mutterlieb (ins Wasser) vorstellt, bekommt die Brücke auch die Bedeutung einer Befördung in den Tod” Sigmund Freud. “Neue Folge der Vorlesungen zur Einführung in die Psychoanalyse.” in Gesammelte Werke in achtzehn Bänden mit einem Nachtragsband Herausgegeben von Anna Freud, Marie Bonaparte, E. Bibring, W. Hoffer, E. Kris und O. Osakower. 2001/11. Bd.15. p. 25.
  52. C1815. “諏訪大社上社御柱祭山出し木落とし.” 3 April 2010. Licensed under CC-0.
  53. 梅原 猛.『梅原猛著作集〈7〉日本冒険(上)』. 小学館 (2001/05). p. 184.
  54. Sodacan. “Flag of the Chinese Empire under the Qing dynasty (1889-1912).” Licensed under CC-0.
  55. Lambert of St. Omer. “A dragon illustration in a 1460 edition of the Medieval Liber Floridus.” Licensed under CC-0.
  56. Bernard Gagnon. “A Fenghuang or Chinese phoenix on the roof of the Main Hall of the Mengjia Longshan Temple in Taipei, Taiwan.” 28 February 2011. Licensed under CC-BY-SA.
  57. 宮田 登.『ヒメの民俗学』. ちくま学芸文庫. 筑摩書房 (2000/12). p.20-25.
  58. 永井 俊哉.『縦横無尽の知的冒険』. プレスプラン (2003/7/15). p. 173-183. を参照されたい。
  59. 筑紫 申真.『アマテラスの誕生』. 講談社 (2002/5/10). p. 205.
  60. 新編日本古典文学全集 (5) 風土記』. 小学館 (1997/09). 丹後国風土記逸文.
  61. 663highland. “文珠山の天橋立ビューランドから撮影した天橋立.” 8 January 2011. Licensed under CC-BY-SA.
  62. 白川 静.『字通』. 平凡社 (1996/10/1).
  63. Kimura Buzan. “Hagoromo, by Kimura Buzan, Shizuoka Prefectural Museum of Art, Shizuoka, Shizuoka, Japan.” Licensed under CC-0.
  64. Simon. “Laos Loom Weave Hand Labor Hand Work Southeast.” Licensed under CC-0.
  65. Sigmund Freud. “Drei Abhandlungen zur Sexualtheorie.” Gesammelte Werke in achtzehn Bänden mit einem Nachtragsband. Herausgegeben von Anna Freud, Marie Bonaparte, E. Bibring, W. Hoffer, E. Kris und O. Osakower. 2001/11. Bd.5. p. 103.
  66. BBガイド. 『銀河鉄道999』記者会見. 2002/09/10.
  67. Sigmund Freud. “Vorlesungen zur Einführung in die Psychoanalyse.” Gesammelte Werke in achtzehn Bänden mit einem Nachtragsband Herausgegeben von Anna Freud, Marie Bonaparte, E. Bibring, W. Hoffer, E. Kris und O. Osakower. 2001/11. Bd.11. p. 154, 163, 201.
  68. 2017年の夏に、宮城県が、竜宮城をもじって「涼・宮城(りょうぐうじょう)の夏」と題した壇蜜主演の観光PR動画を発表した。壇蜜が亀の頭をなでながら、「亀さん、上乗ってもいいですか」と言うなど、エロティックな連想をさせる件が多数あることから、苦情が殺到したが、本家本元の浦島伝説にも、そういうメタファーがあったと見るべきである。
  69. Image by Free-Photos from Pixabay." Licensed under CC-0.
  70. Sigmund Freud. “Die ›kulturelle‹ Sexualmoral und die moderne Nervosität.” Gesammelte Werke in achtzehn Bänden mit einem Nachtragsband Herausgegeben von Anna Freud, Marie Bonaparte, E. Bibring, W. Hoffer, E. Kris und O. Osakower. 2001/11. Bd.7. p. 158.
  71. Tsukioka Yoshitoshi (Japan, 1839-1892). “Urashima Tarō Returning on the Turtle.” May 1882. Licensed under CC-0.
  72. 本川 達雄.『ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学』. 中央公論社 (1992/8/1). p. 6.
  73. ノルマンディー上陸作戦を描いた映画『史上最大の作戦』の原題は、"最も長い日 The Longest Day"である。半藤一利の『日本のいちばん長い日 運命の八月十五日』もこれを真似たタイトルだ。物理的には同じ24時間でも、緊張が続くと、長い一日に感じられるので、こういうタイトルが付けられる。
  74. 白川 静. 『字訓』平凡社; 新装普及版 (1999/1/1). p. 534.
  75. 三木成夫.『海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想』. うぶすな書院 (1992/09). p. 49.
  76. Honma, K., and S. Honma. “Circabidian Rhythm: Its Appearance and Disappearance in Association with a Bright Light Pulse.” Experientia 44, no. 11 (December 1, 1988): 981-983.
  77. 早石修,井上昌次郎.『快眠の医学―「眠れない」の謎を解く』. 日本経済新聞社 (2000/03). p. 26-27.
  78. 白川 静. 『字訓』平凡社; 新装普及版 (1999/1/1). p. 483.
  79. Kakuzō Fujiyama. “Image from The Japanese Fairy Book.” 1908. Licensed under CC-0.
  80. Julius Hübner. “Die schöne Melusine.” 1844. Licensed under CC-0.
  81. 新編日本古典文学全集 (1) 古事記』. 小学館 (1997/05). p. 77.
  82. Kakuzō Fujiyama. “Image from The Japanese Fairy Book.” 1908. Licensed under CC-0.
  83. 荒川 紘.『龍の起源』. 紀伊國屋書店 (1996/6/1). p. 247.