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言語行為と規範倫理学(02)前期ウィトゲンシュタイン

1997年9月3日

『言語行為と規範倫理学』第一章第一節では、ウィーン学団やケンブリッジ分析学派などの論理実証主義が登場する時代背景、『論理哲学論考』を中心とした前期ヴィトゲンシュタインの哲学を取り上げる。

『言語行為と規範倫理学』の画像
このページは電子書籍『言語行為と規範倫理学』の一部です。

現代英米の哲学の主流は、分析哲学と呼ばれている。今日の分析哲学は、一つの学派としては括れないほど多様化しつつあるが、その原点となる思想は言語/論理分析に基づく反形而上学である。この学派の創業者たちには、数学者や物理学者が多い。数学と数学に基づく自然科学が着実な進歩を遂げ、明確な成果を上げているのとは対照的に、哲学者たちは、意味不明な用語を弄びながら、机上の空論に明け暮れ、その結果、二千年以上の歴史があるにもかかわらず、哲学には進歩や成果といったものがあるのかどうか怪しいありさまである。科学的な手法を哲学にも導入することで、哲学を科学の進歩に貢献する学問にしようという気運から分析哲学が生まれた。

分析哲学には、現象学におけるフッサールのような、開祖と目される単一のカリスマ的な哲学者はいない。しかし、その源泉と目される主要な潮流が二つある。一つは、シュリックが中心となって結成したウィーン学団(Wiener Kreis)で、彼らは、観察によって検証できない命題からなる理論は経験的には無意味であるとする厳密な検証主義の立場を打ち出した。もう一つの源泉は、ラッセルやムーアを中心としたケンブリッジ分析学派(The Cambridge School of Analysis)で、彼らは、言葉の意味を分析することで、その意味を明確にし、言葉の誤用によって生まれる無意味な形而上学的命題を排除しようとした。ケンブリッジ分析学派とウィーン学団という同じような反形而上学的な傾向を持った学派が英語圏とドイツ語圏に、ほぼ同時に誕生し、ポーランドのワルシャワ学派やスウェーデンのウプサラ学派など、これに共鳴する学者が欧米の各地に現れた。

このように多様な源泉を持つ分析哲学ではあるが、それでも哲学史研究者の中には、その源泉を単一の先駆者に絞ろうとする向きもある。例えば、飯田は、1879年という早い時期に『概念記法』を出版した「フレーゲを分析哲学の起点に置きたいという誘惑は実に強いものである[1]」と言っている。しかし、フレーゲは、記号論理学あるいは分析哲学の人工言語学派の創始者とは言えても、第二次世界大戦後の分析哲学の主流となった日常言語学派とは無縁の存在である。飯田も認めるように、フレーゲにとって、記号論理学が表現する思想は、人間が言語を通じて認識するかどうかとは無関係に客観的に存在しており、フレーゲは、欠陥に満ちた日常言語の分析には興味を示さなかった。この点で、フレーゲを分析哲学全体の創始者と位置付けることには無理がある。

もう一人の先駆者の有力候補として、マッハがいる。マッハは、オーストリアの物理学者であるが、1886年に『感覚の分析』、1905年に『認識と誤謬』といった哲学的な著作をも出版している。マッハは、感覚の背後に形而上学的な構築物を立てることを拒絶する現相主義的な要素一元論を主張し、認識活動を要素的な感覚の模写とした。1895年にウィーン大学教授となったマッハは、ウィーンの科学者と哲学者に大きな影響を与えた。マッハの死後になる1928年には、シュリックを議長にマッハ協会が結成され、これが後のウィーン学団の母胎となった。明らかに、ウィーン学団の先駆者はマッハである。しかし、マッハは論理や言語の分析を行わなかったので、フレーゲ以上に分析哲学の創始者とはみなしがたい。

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1879年ごろのフレーゲ(左)と1902年ごろのマッハ(右)。二人とも、創始者とは言えないまでも、分析哲学に大きな影響を与えたことは事実である。

狭義の分析哲学である日常言語学派に関して言えば、1903年に『倫理学原理』 と『観念論論駁』を出版したムーアを先駆者とみなすことができる。もっともムーアは、分析哲学全体の創始者と位置付けるにはあまりにもマイナーであり、影響力が限られる。だから「開祖と目される単一のカリスマ的な哲学者はいない」という結論になるのである。では、開祖と目される単一のカリスマ的な哲学者がいないのにもかかわらず、なぜ同時多発的に同じような思想が全ヨーロッパ的に出現したのか。それは、おそらく当時のヨーロッパには、そうした思想を醸成する時代精神があったからであろう。

実は、近代以降のヨーロッパでは《独断的形而上学の繚乱 → 経験主義者の懐疑による形而上学の破壊 → 形而上学の批判的再建》というトレンドの変化が周期的に起きている。このサイクルは、《投資の過熱とインフレの昂進 → ディスインフレ政策による投資の抑制 → デフレ下でのリフレ政策による投資の再開》という景気循環の局面とよく似ている。思弁(speculation 投機)が行き過ぎると、その過熱を冷却する必要が出てくる。しかし、それが行き過ぎると、憂鬱(depression 不況)をもたらすので、人は、そこから脱出しようとするものだ。それも、最初のうちは分別のある《思弁=投機》に甘んじているが、それがうまくいくと、調子に乗って《思弁=投機》を暴走させるようになる。かくして循環の振出しに戻る。

第一次世界大戦後のオーストリアでは、哲学の分野で論理実証主義が誕生したのと並行して、経済の分野ではミーゼスを中心とした新オーストリア学派が誕生した。ミーゼスは、信用貨幣の発行はインフレを惹き起こすとして、金本位制の重要性を説いた。金本位制を放棄した欧州各国では、第一次世界大戦をきっかけに激しいインフレが起きていたので、ミーゼスの主張には説得力があった。第一次世界大戦で価値が暴落したのは通貨の価値だけではなかった。650年間ヨーロッパ中央に君臨したハプスブルク帝国の支配が、第一次世界大戦後の1918年に崩壊し、その政治的権威までが地に堕ちた。これは、第二次世界大戦後に日本で起きた状況を考えればわかりやすいかもしれない。日本でも、敗戦後、激しいインフレが発生しただけでなく、皇国史観が権威を失い、唯物史観が流行した。

あらゆる作為的権威が失墜する中、新オーストリア学派が、インフレを抑制するべく、貨幣価値を金という確実なものに還元(reduce 縮減)しようとしたように、論理実証主義者たちは、形而上学による理論のインフレを抑制するべく、真理を感覚と論理という確実なものに還元=縮減しようとしたとみなすことができる。もっとも、第一次世界大戦後、金本位制度に復帰した国もいるが、金本位制度はデフレをもたらすので、結局廃止となった。同様に、論理実証主義も、あまりに禁欲主義的過ぎたので、すぐに放棄されることになった。

この類の循環は過去にも見られた。《大陸合理主義 → ヒュームの懐疑主義 → カントの批判哲学》という第一周期の後、ドイツ観念論は再び思弁哲学の道を歩み、ヘーゲルの形而上学でその頂点に達する。ヘーゲルの人気が廃れると、独断的思弁哲学に代わってジョン・スチュアート・ミルの実証主義がドイツでももてはやされるようになり、しまいには俗流唯物論が横行して、哲学が心理学と区別がつかなくなるほど哲学は没落する。すると「カントに帰れ」ということになって、新カント派がカントの批判哲学を再興した。

その後、再びカントからヘーゲルへの流れが起きて、新ヘーゲル主義が、19世紀末から20世紀前半にかけて、ヨーロッパで流行した。反形而上学的な伝統のある英国でも、その時期に、ブラッドレーやマクタガートのような新ヘーゲル主義者が現れた。この流派は、イギリス理想主義(British idealism)と呼ばれている。実は、ラッセルも若い頃はこの流行の感化を受けていたが、ムーアが常識重視の姿勢と言語分析の手法で新ヘーゲル主義に反旗を翻すと、それに同調し、ヘーゲル的な観念論を全面的に否定する新実在主義(new realism)を標榜するようになった。イギリス理想主義の中心がオックスフォード大学であったのに対して、イギリス実在主義の中心はケンブリッジ大学となった。もっとも分析哲学的なスタイルはすぐにオックスフォード大学にも伝播し、1933年には、学術雑誌『分析』がオックスフォード大学で創刊された。ライルなどのオックスフォード大学の哲学者たちは、後の所謂「日常言語学派」の中心となる。

おそらく「分析哲学」という名前自体は、ケンブリッジ「分析」学派に由来しているのだろう。これに対して、ウィーン学団の思想は、当時「論理実証主義」と呼ばれていた。かつては、思想内容を明確に表したこちらの呼称の方が「分析哲学」よりも知名度が高かったが、やがて使われなくなったのには二つの理由がある。一つには、ウィーン学団という組織自体が、シュリックが暗殺されたり、メンバーたちがナチスの弾圧を逃れるために亡命したりして、解体してしまったこと、もう一つには、論理実証主義のあまりにも狭い形而上学批判が英語圏ですら受け入れられなくなったことが理由として挙げられる。論理実証主義が検証主義という特定の哲学の内容を表す呼称であったのに対して、分析哲学は言葉の意味を分析するという哲学の手法を表す呼称にすぎず、様々な内容の哲学を包括できるということも、後者が生き残った理由かもしれない。実際、「分析的形而上学 analytic metaphysics」という、初期の創設者が聞いたら仰天するようなブランチすら生まれている。既に述べたサイクルに従って、英米でも形而上学的インフレが始まっているのである。

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1910年代のラッセル(左)とヴィトゲンシュタイン(右)。もしもラッセルがヴィトゲンシュタインの才能を見抜かなかったなら、ヴィトゲンシュタインが哲学者になることはなかっただろう。

本書は、しかしながら、英米哲学の最前線を紹介するといったことはしない。ブームはどうせすぐに終わるものだ。それよりも古典的な哲学を取り上げ、それを重点的に吟味したい。哲学史家の間で、分析哲学の創始者が誰なのかに関しては意見が一致しないのとは対照的に、もっとも影響力があった哲学者が誰であるかに関しては、ほぼ意見が一致している。ヴィトゲンシュタインである。ヴィトゲンシュタインは、ラッセルのもとで学んだという点で、ケンブリッジ分析学派の一員であるが、彼が書いた『論理哲学論考』は、ウィーン学団で聖書のように読まれていたという点では論理実証主義者にも影響を与えている。前期の思想は人工言語学派に属するが、後期の思想は日常言語学派に属する。そして、何よりもその独創性と奥の深さゆえに、ヴィトゲンシュタインの哲学は、英米の哲学に幅広い影響を与えている。ヴィトゲンシュタイン以降で最も影響力のある分析哲学の継承者はたぶん、クワインであろう。そこで、本書では、以下、第一節で前期ヴィトゲンシュタインを、第二節で後期ヴィトゲンシュタインを、第三節でクワインを取り上げることにしたい。

1. 前期ヴィトゲンシュタイン

本節では、『論理哲学論考』を中心にヴィトゲンシュタインの写像理論を見ていく。

1.1. ヴィトゲンシュタインの写像理論

論理哲学論考』に代表される初期ヴィトゲンシュタインの意味論は、通常「像の理論 picture theory」と呼ばれている。ヴィトゲンシュタインは、パリの法廷で交通事故が人形などを使って描写されていることにヒントを得て、像の理論を考案したが、同時に数学の写像理論をも意識している。

この像という表現は、この場合すでに、ある拡張された意味をもっている。この像という概念を私は二つの方面から受け継いだ。第一に描かれた像から。そして第二に既に一般的な概念になっているところの、数学者の意味する像からである。画家なら像[Bild]という表現を用いないところでも、数学者は写像[Abbildung]について語るのであるから。[2]

日常での慣用はともかくとして、「像」は「写像」よりも幅広い概念として使うことができる。写像は、厳密な意味での写像、すなわち関数と呼ばれるためには、一対一または多対一の対応関係でなければならない。ところが、私と他者の間で一つの対象/事態に対して複数の、それもしばしば矛盾する値が与えられる。間主観的にのみならず、内主観的にも、一対多の写像が行われ、それゆえ述語の帰属に迷いが生じることがある。また、私たちがまだ認識していない対象や事態も存在する。『論理哲学論考』が理想とするのは、以下の図の左のような全単射なのだが、実際には、私たちの認識は、右の図のように、全射でも単射でもないから、関数とは言えない(多価関数を認めるというのなら、話は別だが)。

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理想的な写像(左の図)と現実の対応(右の図)

そこで、以下、「像」を包括的な概念として使うことにしたい。『論理哲学論考』が「像」でもって念頭においていた対応関係においては、

(1)対象はレアールで像はイデアール

であった。しかし絵画においては、

(2)対象も像もともにレアール

であり、数学の写像関係においては、関数も変数も、つまり

(3)対象も像もともにイデアール

である。この三つ対象/像関係は相互に連関しあっている。例えばある画家が城の絵を描くとしよう。その時、城とキャンバスに描かれた油絵は(2)の対応関係にあり、城と名辞「城」、油絵と名辞「油絵」は、(1)の包摂関係にある。そして二つの概念「油絵」と「城」は、命題関数「そのxはyの絵である」に対して(3)の写像関係にある。三つの写像関係を説明するために、今世界をレアール/イデアール、単体的/複合的にしたがって4つに区分すると、以下のようになる。

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写像の多重的構造

S(Sachverhalt 事態)が(2)の写像関係、N(Name 名辞)から B(Bild 像)への写像関係が(3)、S から B への、あるいは G(Gegenstand 対象)から N への写像関係が(1)である。ヴィトゲンシュタインが「写像」でもっておそらく念頭においているであろう(1)は、写像(2)を写像(3)へと写像する関係と言ってよい。

この表の四区分は、『論理哲学論考』の基本的な四区分で、図解すると以下のようになる。

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論理哲学論考』におけるヴィトゲンシュタインの写像理論

この四区分と前著の『現象学的に根拠を問う』で描いた言語の四角形は対応しない。言語の四角形とは、シーニュの要素をシニフィアン/シニフィエ、形相/実質の区別を交差させたソシュールの分析に基づいて作成した私のモデルである。

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言語の四角形。言語の四角形。各頂点の文字のうち、T と E は、それぞれ超越論的(Transzendental)と経験的(Empirisch)、つまり、形相と実質に相当し、A と I は、それぞれシニフィアン(signifiAnt)とシニフィエ(signifIé)に相当する。

言語の四角形では、単体的/複合的を区別しなかった。それは両者の区別が相対的で、かつ究極的に単純な対象は存在するとは思えないからである。その代わりに、シニフィアン/シニフィエの区別を導入した。ヴィトゲンシュタインは名辞/対象、あるいは命題/事態の区別をそのままシニフィアン/シニフィエの区別と考えたようである。だがすでに指摘したように、城の油絵とそのモデルとなった城など、対象の内部にも意味するもの/意味されるものの区別がある。ヴィトゲンシュタインは「名辞は対象を意味[bedeuten 指示]する。対象が名辞の意味[Bedeutung]である[3]」と言うが、対象としての意味(Bedeutung)は、命題が持つ意義(Sinn)から区別されるべきだ。意義は対象の複合体としての事態とはまた違う「思想」の内容である。一方で認識の対象と内容を区別せず、他方で認識主体について語ることにヴィトゲンシュタインは極めて禁欲的であったことは、対象認識の四角形の方が軽視されていることを意味している。

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超越論的哲学の四角形。S は主観(Subjekt)、O は客観(Objekt)を表す。

言語の四角形と超越論的哲学の四角形の二つを交差させると、以下のような直方体のモデルができる。

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言語的認識の直方体モデル

現象学的に根拠を問う』では、このモデルに基づいて、現象学の言語論を超越論的哲学の中に位置付けることを試みたのであるが、本書では、ヴィトゲンシュタインの言語哲学でも同じことを試みてみたい。

1.2. ヴィトゲンシュタインの全体部分関係論

私は『カントの超越論的哲学』と『現象学的に根拠を問う』で、超越論的認識の構造を全体部分関係論の関係から分析した。全体部分関係論の立場から興味を引く問題は、『論理哲学論考』においてヴィトゲンシュタインは全体と部分のどちらに優位を置いているのかという問題である。すなわちヴィトゲンシュタインは、一方では「世界は事実[Tatsache = 実情であるところのもの Was der Fall ist =事態の存立 das Bestehen von Sachverhalten]の総計であって、事物[Ding]の総計ではない[4]」と断った上で、「事物にとって事態[諸事物の結合 eine Verbindung von Dingen]の構成要素[Bestandteil 存立の部分]でありうる[sein können]ことは事物にとって本質的である[5]」と ホーリスティックな主張をしておきながら、他方で「対象[Gegenstand=Ding]は確固とした存立するものであり、配置[Konfiguration=Sachverhalt]は変易する存立しないものである[6]」とアトミスティックな説明も行っている。

アトミズムとホーリズムは次のように調停されている。「事物は、全ての可能的事況[Sachlage≒Sachverhalt]に出来しうるかぎりにおい て自立的であるが、この自立性の形式は、事態との連関の形式、非自立性の形式である[7]」。例えば「花」という事物は、「花は咲いている」「花は赤い」「花は無機物ではない」といった可能的事態において理解されるが、いったん理解されれば、「花」はそれ自体で意味を持つ、すなわち対象となる。今の引用文や「事物にとって事態の構成要素でありうることは事物にとって本質的である」における können/möglich に注意されたい。事物は、現実的なこの/あの事態に現れなければならない必然性はないが、いかなる可能的事態にも現れえない事物は、他と噛み合わない歯車のように存在しないも同然なのである。

事物についてあてはまるこのことはそれの像についてもあてはまる。ヴィトゲンシュタインは「写像関係は像の要素と事象の並列から成る[8]」と言うが、要素的な像と事物が個別的に対応した結果、複合物の写像ができるというわけではない。「命題は語の混合ではない。― ちょうど音楽のテーマが音の混合ではないように[9]」。「命題だけが意義[Sinn]を持つ。命題との連関においてのみ名辞[Name]は意味[Bedeutung]を持つ[10]」。

ヴィトゲンシュタインが「対象が与えられている時、それとともにまた全ての対象がすでに私たちに与えられている。要素命題が与えられている時、それとともにまた全ての要素命題が与えられている[11]」あるいは「命題とは、全ての要素命題の総計から(そしてもちろんそれが全ての総計であるということからも)生じてくるものの全てである[12]」と言う時、 あたかもクワイン並みのホーリズムに達しているかのようにも見えるが、ヴィトゲンシュタインは「一つの要素命題から、他のいかなる要素命題も演繹されない[13]」とも言っている。

要素命題の経験的内容は相互に独立しているが、形式的構造に関しては相互に独立していない。「ある命題の真であることが他の諸命題が真であることから帰結するということを、私たちはそれらの諸命題の構造から見て取る[14]」。経験的レヴェルでのアトミズムと哲学的レヴェルでのホーリズムとは区別すべきである。

論理哲学論考』がアトミズムであるという解釈は、多分個別的な対象を「実体 Substanz」と混同するところから来るのであろう。ヴィトゲンシュタインは「諸対象は世界の実体を形成する。それゆえ諸対象は合成されえない。Die Gegenstände bilden die Substanz der Welt.Darum können sie nicht zusammengesetzt sein[15]」と言うが、ここで《形成する bilden》が《である sind》でない点に注意したい。諸対象がそのまま世界の実体であるということではない。

それにしても「対象が合成されえない」というのはどういうことなのだろうか。「対象は世界の実体を形成する」という命題の「対象」は複数形で「実体」は単数形であることと矛盾しないのだろうか。おそらくヴィトゲンシュタインは「合成されている zusammengesetzt sein」を「相互に係わる sich zueinander verhalten」から区別して使っているのであろう。「事態において諸対象は、鎖の環のように一定の様式と方法で引っ掛かり合っている[16]」というメタフアーは、事態における諸対象の《相互に係わる》関係が環同士を結合させる第三のものは存在せず、環自らが相互に結合を作り上げることを示している。「世界の実体はただ形式のみを規定しうるのであって、実質的な性質までを規定しえない[17]」のだから、実体はまさに《相互に係わる sich zueinander verhalten》形式を規定するだけであって、諸対象を実質的に《合成 zusammensetzen》するわけではない。

「諸対象は世界の実体を形成する。それゆえ諸対象は合成されえない」という命題には「もしも世界に実体がないならば、ある命題に意義があるかどうかは、他の命題が真であるかどうか[その命題に意義があるということ]に依存することになるであろう[18]」という、《実体=原子》に固執するいかにもアトミスティックな註が付けられているが、命題は事態(正確には事況)の像であって、対象の像ではないことを想い起こさなければならない。つまりこの命題は「事態は相互に独立的である[19]」とパラレルな主張をしているに過ぎない。対象が「本」や「机」などの《もの》であるのに対して、事態は「机の上に本がある」という《こと》であり、両者の相違は相対的ではない。事物(Ding)・事態(Sachverhalt)・事況(Sachlage)の像における対応物が名辞(Name)・要素命題(Elementarsatz)・命題(Satz)である。但し、「事態」と「事況」、「要素命題」と「命題」の区別は、ラッセルの原子命題と分子命題の区別がそうであるように相対的である。

「命題とは、全ての要素命題の総計から(そしてもちろんそれが全ての総計であるということからも)生じてくるものの全てである」というテーゼにある通り、哲学的反照においては、命題の意義は要素命題の総体から帰結する。もしもある命題に意義があるかどうかが他の命題の意義に依存するなら、その「他の命題」に意義があるかどうかもさらに他の命題の意義に依存するのだから不可知論に陥る。ある命題に意義があるかどうかは、それを含めた命題の全体系の有意義性に依存しているのである。

「実体とは形式[Form]と内容[Inhalt]である[20]」が、その形式とは「空間・時間・色(有色性)が諸対象の諸形式である[21]」と言う時の形式である。有色性(こちらの方が「色」よりもミスリーディングでない)は視覚のみならず触覚や聴覚などの他の感覚にも係わると推測される[22]ので、カントの言う感性的多様に相当すると考えてよいであろう。

なお空間/時間は感性的多様と相即する。特に時間は変化を、それゆえ多様を前提する。もし多様がなければ時間のみならず空間の存立も怪しいであろう。しかしもしも感性的多様までが形式であるとするならば、実体の内容とは何であろうか。「諸対象」のことであろうか。

ヴィトゲンシュタインは「この[現実的/可能的世界に共通の、つまり実体の]確固たる 形式[feste Form]はまさしく諸対象から成り立っている[23]」と言った後で、しかしながら「世界の実体はただ形式のみを規定しうるのであって、実質的な性質までを規定しえない」(前出)とも言っていたのであった。したがって実体の「内容 Inhalt」は、総合的アポステリオリではなくて総合的アプリオリ、つまりあれやこれやの諸対象ではなくて、《形式的性質 formale Eigenschaft》、フッサールが謂う所の《空虚な担い手=基体》、形而上学的な「Sub-stanz 下に立つもの」であると解釈される。

もしアトミスティックに《実体=基体 Substanz》を原子・素粒子…に求めていったとしても、以前述べたように、単位の"Einheit"は統一の"Einheit"に、最小の個物は最大の普遍に転化する。この《実体=基体 Substanz》をカント=フッサール流に一歩突き抜けたら、世界の総体のノエシス的相関者である《主観 Subjekt》に到達するはずである。「命題・像・モデルは、否定的な意味では 他の物体の運動の自由を制限する固体のようなものであるが、肯定的な意味では、その中に物体が居場所を見出す、確固とした実体によって限界付けられる空間のようなものである[24]」。「表現とは命題の意味にとって本質的なものの全てであり、命題が相互に共通に持ちうるものである。表現は形式と内容を特徴付ける[25]」。ここから「表現」は実体の像であると推測される。

しかし、ヴィトゲンシュタインの哲学は超越的哲学ではなく、むしろカントの哲学と同様に、超越論的哲学であったと評することができる。ステニウスも言うように、ヴィトゲンシュタインにおいては、「カントの超越論的演繹が行おうと意図していたことが、言語の論理分析によって成される[26]」。したがってヴィトゲンシュタインにおいても「論理学は超越論的である[27]」し、それどころか「倫理学は超越論的である[28]」とまで言われる。

ヴィトゲンシュタインの哲学的システムは、“批判的言語論”あるいは“超越論的言語論”あるいは“言語論的観念論”とさえ呼ばれうる。[カントと同様に]ヴィトゲンシュタインにとっても、経験の形式は超越論的な意味で“主観的”である。形而上学的主観は、言語を使い、理解する“主体”であり、言語によって記述可能な世界の一部分である経験的自我からは区別されなければならない。[29]

カントは超越論的弁証論において人間悟性の限界を示したが、ヴィトゲンシュタインもまた、「哲学は、思考可能なものを、そしてそれでもって思考不可能なものの境界線を引かなければならない。哲学は思考不可能なものを、思考可能なものによって内側から限界付けなければならない[30]」と言っている。

現象学的に根拠を問う』で超越論的現象学の全体部分関係論における部分と全体の関係として

  1. 志向的諸契機と志向的全体
  2. 時間空間の直観的延長の諸断片とその全体
  3. 直観的個別体とその意味的懐胎
  4. 単一的意味と複合的意味
  5. 個物または下位の種とその上位の類
  6. 超越論的主観性と超越論的経験
  7. 個別的主観性と間主観性

を順次考察した。2 から 5 まではこれまで論じた。2 は「事物 Ding」と「事態 Sachverhalt」との関係。3 については「論理は世界を満たす。世界の限界は論理の限界でもある[31]」が“理論負荷性”のテーゼとして解釈される。4 と 5 は強いて言えば、名辞・要素命題・命題の関係である。6 と 7 の「私と他者」の問題は次節で扱うことにして、本節では最後に 1 の志向性の問題について触れよう。ヴィトゲンシュタインとフッサールの関係が問題になるのはここである。

1.3. ヴィトゲンシュタインとフッサールの関係

ヴィトゲンシュタインが中期において志向性について論じたのはフッサールの影響か否かを巡って黒田と滝浦の間に論争がある。ことの始まりは、『論理哲学論考』から『哲学探究』にかけてのヴィトゲンシュタインがフッサールの『論理学研究』などから本質的な影響を受け、それとの格闘・離脱によって自分の立場を築いて行ったとする黒田の論文「現象と文法」[32]を 滝浦が「フッサールとヴィトゲンシュタイン」[33]で逐一検討して、ヴィトゲンシュタインの言う「現象学」はエルンスト・マッハのそれであって、両者の間には影響関係がないと反論したところにある。

滝浦によればフッサールとヴィトゲンシュタインは「ほとんど同じ地点から出発し、ほとんど平行して進みながら、進むにつれてしだいに隔たりを増していく二人の走者[34]」ということである。黒田はこれに対して「『フッサールとヴィトゲンシュタイン』の周辺[35]」で論争的な応答をしている。論争はその後しばらく続いたが、「ヴィトゲンシュタインと現象学との関係については、従来、わが国でほとんど公認されかけていた或る解釈があり、それに私は強い疑念をもっていたので、現象学そのものについての理解と合わせて、私なりの見方を提示すべく努めた[36]」その後の著作においても滝浦は自説を堅持している。

私見を述べれば、思想史上の事実問題としては黒田説に軍配が上がるのではないかと思う。滝浦は、フッサールの『論理学研究』とヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』に共に現れる「事態 Sachverhalt」はドイツ語としてごくありきたりの言葉であるから特に典拠を求める必要はなく、また後者では要素的原子的であるのに対して前者では複合的でありうるとのことである[37]。だがヴィトゲンシュタインは事態が相互に要素的原子的であると言っているだけで、事態が複合的でないとは言っていない。また黒田が指摘するように[38]、フッサールとヴィトゲンシュタインの間には「事態 Sachverhalt」と「事況 Sachlage」の使い分けが一致しているし、さらに“Sachverhalt”を“sich so und so verhalten”(かくかくの事態である)に分解するところまで共通である。滝浦はこれを偶然の一致とするのだろうか。

ヴァイスマンの速記録[39]から、ヴィトゲンシュタインがフッサールの『論理学研究』を読んでいたことが分かるが、『論理哲学論考』脱稿より17年前に出版され、多くの分析哲学者に、ポジティヴかネガティヴかは別として、相応の影響を与えたフッサールの『論理学研究』を、『論理哲学論考』執筆前にヴィトゲンシュタインが読みもしなかったというのは、あまりにもありそうもないことである。シュピーゲルバークの伝えるところによれば、1939年に『論理学研究』の英訳者であるフィンドレイが、『論理学研究』に言及したところ、ヴィトゲンシュタインは、まだそんな古いテクストに関心があるのかと驚きを表明したとのことである[40]。しかし1939年といえば『哲学探究』を執筆している頃である。「古い」という言葉は、かえってかつては自分もそれから影響を受けていたことを示しているのではないであろうか。

もちろんヴィトゲンシュタインは「フッサール哲学の祖述者や解説者の類ではなかった[41]」から、黒田も認めるように、「影響」よりも「触発」とか「刺激」などの言葉のほうが適切であろう。滝浦も、黒田ではなくてシュピーゲルバークを引用して「そもそもヴィトゲンシュタインのようなタイプの思想家に『影響』を語りうるものかどうか、仮にそのようなものがあったとしても、それは自身の思索の刺激剤か解発装置に過ぎなかったであろう[42]」と記している。恐らくそれが一番妥当な推測であろう。

してみると滝浦と黒田は、滝浦のメタファーをもじって言えば、お互いに「違う、違う」と言い合いながら同一地点に向かって走って行く二人の走者ということになる。実際例えば、中期のヴィトゲンシュタインが論じる「志向性」は、滝浦が指摘するようにフッサールが謂う所の「志向性 Intention」であるよりもむしろ「意図 Absicht」の性格の方が強い[43]のだから、フッサールから直接「影響」を受けているとは言えない。未来のある事態へと向けられた意図・欲求・願望 は 当の事態の実現によって「充実」されるし、疑問は答えによって「充実」される。しかし疑問はフッサールが言う志向性ではない。

ヴィトゲンシュタインは『哲学的考察』の冒頭ですでに「現象学/現象学的言語」の放棄を宣言しているが、このことは『論理哲学論考』以後の過渡期で一時期「現象学/現象学的言語」が構想されたことを示している。

物理学は、法則を確定しようとする点で現象学から区別される。現象学はただ諸可能性のみを確定する。かくして現象学とは、それへと物理学がその理論を構築する事実の記述の文法ということになるであろう[44]

これはフッサールの純粋文法学の理念を連想させる件であるが、なぜ一時期とはいえ、ヴィトゲンシュタインはこのような現象学を構想するようになったのだろうか。ヴィトゲンシュタインは、かつて『論理哲学論考』において、「例えば、二つの色が視界の一点に同時にあるということは不可能、それも論理的に不可能である。なぜならそれは色の論理構造によって排除されているのだから[45]」と言っていたが、「赤かつ赤でない」は論理的矛盾と言えるであろうが、「赤かつ緑」はそうとも言えない。そこでヴィトゲンシュタインは、赤と緑の両立不可能性を言い表すためには、事実の記述の文法、すなわち現象学的言語が必要だと考えたわけである。その現象学的言語を放棄するようになったことは、実は彼の私的言語批判に係わってくる論点である。

2. 参照情報

  1. 飯田隆.『言語哲学大全Ⅰ: 論理と言語』1987. 勁草書房. 45頁.
  2. Wittgenstein, Ludwig, Friedrich Waismann, and Brian F. McGuinness. Ludwig Wittgenstein und der Wiener Kreis. Gespräche, aufgezeichnet von Friedrich Waismann. 1931.12.9.
  3. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 3.203. 以下、『論理哲学論考』からの引用は原則として節番号で行う。
  4. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 1.1.
  5. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.011.
  6. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.0271.
  7. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.0122.
  8. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.1514.
  9. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 3.141.
  10. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 3.3.
  11. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 5.524; Vgl. 2.0124.
  12. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 4.52.
  13. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 5.134.
  14. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 5.13.
  15. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.021.
  16. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.03.
  17. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.0231.
  18. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.0211.
  19. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.061.
  20. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.025.
  21. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.0251.
  22. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.0131.
  23. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.023.
  24. Wittgenstein, Ludwig. Tagebücher 1914-1916. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. 1984. Suhrkamp. 1914.11.14.
  25. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 3.31.
  26. Stenius, Erik. Wittgenstein’s Tractatus: A Critical Exposition of Its Main Lines of Thought. 1964. Basil Blackwell Publishers. p. 218.
  27. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 6.13.
  28. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 6.421. 草稿には、「倫理学は世界に係わらない。倫理学は論理学と同じく、世界の条件でなければならない」(Tagebücher,1916.7.24)とある。
  29. Stenius, Erik. Wittgenstein’s Tractatus: A Critical Exposition of Its Main Lines of Thought. 1964. Basil Blackwell Publishers. p. 220-221.
  30. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 4.114.
  31. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 5.61.
  32. 黒田亘. 「現象と文法」. 日本哲学会編『哲学』第25号,1975年. 黒田亘. 『知識と行為』 1983. 東京大学出版会. 収録
  33. 滝浦静雄. 「フッサールとヴィトゲンシュタイン ― 志向性と用法」. 青土社『現代思想』第5巻2号,1977年;『言語と身体』収録
  34. 滝浦静雄. 『言語と身体』 1978. 岩波書店,228頁.
  35. 黒田亘:青土社『現代思想』1978年10月号. 黒田亘. 『知識と行為』 1983. 東京大学出版会. に収録.
  36. 滝浦静雄. 『ヴィトゲンシュタイン』 1978. 岩波書店, 240頁.
  37. 滝浦静雄. 『言語と身体』 1978. 岩波書店,p.214 以下
  38. 黒田亘. 『知識と行為』 1983. 東京大学出版会,p.333以下.
  39. Wittgenstein, Ludwig, Friedrich Waismann, and Brian F. McGuinness. Ludwig Wittgenstein und der Wiener Kreis. Gespräche, aufgezeichnet von Friedrich Waismann.
  40. Spiegelberg, Herbert. “The Puzzle of Ludwig Wittgenstein’s ‘Phänomenologie’ (1929-?).” American Philosophical Quarterly 5, no. 4 (Spring 1968): 244–56. p. 247.
  41. 黒田亘. 『知識と行為』 1983. 東京大学出版会,336頁.
  42. 滝浦静雄. 『ヴィトゲンシュタイン』 1978. 岩波書店,135頁.
  43. Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Bemerkungen. 1964. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 2. Suhrkamp ed. Rush Rhees. 21.
  44. Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Bemerkungen. 1964. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 2. Suhrkamp ed. Rush Rhees. 1.
  45. Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 6.3751. 微視的には赤と青の点の混合が、巨視的には(つまり人間の肉眼には)青っぽい赤の点に見えることもあるであろう。そもそも幾何学的に厳密に定義された「点」には広がりがないはずであるから当然色もなく、したがって「同一の点に異なった色がありうるか否か」という問題は、真か偽かという前に無意義なのではないのかと思う。