ヴィトゲンシュタインの言語哲学
分析哲学は、ラッセルやムーアを中心としたケンブリッジ分析学派による言語分析に端を発し、フレーゲの言語哲学やウィーン学団の論理実証主義の影響を受けつつ、ヨーロッパで広まり、第二次世界大戦後、英語圏で主流となった哲学である。哲学史家の間で、分析哲学の創始者が誰なのかに関しては意見が一致しないのとは対照的に、もっとも影響力があった哲学者が誰であるかに関しては、ほぼ意見が一致している。ヴィトゲンシュタインである。このページでは、ヴィトゲンシュタインと彼以降の言語哲学の成否を超越論的哲学という観点から検討したい。[1]

1. 前期ヴィトゲンシュタイン
まずは、『論理哲学論考』を中心にヴィトゲンシュタインの写像理論を見ていく。
1.1. ヴィトゲンシュタインの写像理論
『論理哲学論考』に代表される初期ヴィトゲンシュタインの意味論は、通常「像の理論 picture theory」と呼ばれている。ヴィトゲンシュタインは、パリの法廷で交通事故が人形などを使って描写されていることにヒントを得て、像の理論を考案したが、同時に数学の写像理論をも意識している。
この像という表現は、この場合すでに、ある拡張された意味をもっている。この像という概念を私は二つの方面から受け継いだ。第一に描かれた像から。そして第二に既に一般的な概念になっているところの、数学者の意味する像からである。画家なら像[Bild]という表現を用いないところでも、数学者は写像[Abbildung]について語るのであるから。[2]
日常での慣用はともかくとして、「像」は「写像」よりも幅広い概念として使うことができる。写像は、厳密な意味での写像、すなわち関数と呼ばれるためには、一対一または多対一の対応関係でなければならない。ところが、私と他者の間で一つの対象/事態に対して複数の、それもしばしば矛盾する値が与えられる。間主観的にのみならず、内主観的にも、一対多の写像が行われ、それゆえ述語の帰属に迷いが生じることがある。また、私たちがまだ認識していない対象や事態も存在する。『論理哲学論考』が理想とするのは、以下の図の左のような全単射なのだが、実際には、私たちの認識は、右の図のように、全射でも単射でもないから、関数とは言えない(多価関数を認めるというのなら、話は別だが)。

そこで、以下、「像」を包括的な概念として使うことにしたい。『論理哲学論考』が「像」でもって念頭においていた対応関係においては、
(1)対象はレアールで像はイデアール
であった。しかし絵画においては、
(2)対象も像もともにレアール
であり、数学の写像関係においては、関数も変数も、つまり
(3)対象も像もともにイデアール
である。この三つ対象/像関係は相互に連関しあっている。例えばある画家が城の絵を描くとしよう。その時、城とキャンバスに描かれた油絵は(2)の対応関係にあり、城と名辞「城」、油絵と名辞「油絵」は、(1)の包摂関係にある。そして二つの概念「油絵」と「城」は、命題関数「そのxはyの絵である」に対して(3)の写像関係にある。三つの写像関係を説明するために、今世界をレアール/イデアール、単体的/複合的にしたがって4つに区分すると、以下のようになる。

S(Sachverhalt 事態)が(2)の写像関係、N(Name 名辞)から B(Bild 像)への写像関係が(3)、S から B への、あるいは G(Gegenstand 対象)から N への写像関係が(1)である。ヴィトゲンシュタインが「写像」でもっておそらく念頭においているであろう(1)は、写像(2)を写像(3)へと写像する関係と言ってよい。
この表の四区分は、『論理哲学論考』の基本的な四区分で、図解すると以下のようになる。

この四区分と前著の『現象学的に根拠を問う』で描いた言語の四角形は対応しない。言語の四角形とは、シーニュの要素をシニフィアン/シニフィエ、形相/実質の区別を交差させたソシュールの分析に基づいて作成した私のモデルである。

言語の四角形では、単体的/複合的を区別しなかった。それは両者の区別が相対的で、かつ究極的に単純な対象は存在するとは思えないからである。その代わりに、シニフィアン/シニフィエの区別を導入した。ヴィトゲンシュタインは名辞/対象、あるいは命題/事態の区別をそのままシニフィアン/シニフィエの区別と考えたようである。だがすでに指摘したように、城の油絵とそのモデルとなった城など、対象の内部にも意味するもの/意味されるものの区別がある。ヴィトゲンシュタインは「名辞は対象を意味[bedeuten 指示]する。対象が名辞の意味[Bedeutung]である[3]」と言うが、対象としての意味(Bedeutung)は、命題が持つ意義(Sinn)から区別されるべきだ。意義は対象の複合体としての事態とはまた違う「思想」の内容である。一方で認識の対象と内容を区別せず、他方で認識主体について語ることにヴィトゲンシュタインは極めて禁欲的であったことは、対象認識の四角形の方が軽視されていることを意味している。

言語の四角形と超越論的哲学の四角形の二つを交差させると、以下のような直方体のモデルができる。

『現象学的に根拠を問う』では、このモデルに基づいて、現象学の言語論を超越論的哲学の中に位置付けることを試みたのであるが、本書では、ヴィトゲンシュタインの言語哲学でも同じことを試みてみたい。
1.2. ヴィトゲンシュタインの全体部分関係論
私は『カントの超越論的哲学』と『現象学的に根拠を問う』で、超越論的認識の構造を全体部分関係論の関係から分析した。全体部分関係論の立場から興味を引く問題は、『論理哲学論考』においてヴィトゲンシュタインは全体と部分のどちらに優位を置いているのかという問題である。すなわちヴィトゲンシュタインは、一方では「世界は事実[Tatsache = 実情であるところのもの Was der Fall ist =事態の存立 das Bestehen von Sachverhalten]の総計であって、事物[Ding]の総計ではない[4]」と断った上で、「事物にとって事態[諸事物の結合 eine Verbindung von Dingen]の構成要素[Bestandteil 存立の部分]でありうる[sein können]ことは事物にとって本質的である[5]」と ホーリスティックな主張をしておきながら、他方で「対象[Gegenstand=Ding]は確固とした存立するものであり、配置[Konfiguration=Sachverhalt]は変易する存立しないものである[6]」とアトミスティックな説明も行っている。
アトミズムとホーリズムは次のように調停されている。「事物は、全ての可能的事況[Sachlage≒Sachverhalt]に出来しうるかぎりにおい て自立的であるが、この自立性の形式は、事態との連関の形式、非自立性の形式である[7]」。例えば「花」という事物は、「花は咲いている」「花は赤い」「花は無機物ではない」といった可能的事態において理解されるが、いったん理解されれば、「花」はそれ自体で意味を持つ、すなわち対象となる。今の引用文や「事物にとって事態の構成要素でありうることは事物にとって本質的である」における können/möglich に注意されたい。事物は、現実的なこの/あの事態に現れなければならない必然性はないが、いかなる可能的事態にも現れえない事物は、他と噛み合わない歯車のように存在しないも同然なのである。
事物についてあてはまるこのことはそれの像についてもあてはまる。ヴィトゲンシュタインは「写像関係は像の要素と事象の並列から成る[8]」と言うが、要素的な像と事物が個別的に対応した結果、複合物の写像ができるというわけではない。「命題は語の混合ではない。― ちょうど音楽のテーマが音の混合ではないように[9]」。「命題だけが意義[Sinn]を持つ。命題との連関においてのみ名辞[Name]は意味[Bedeutung]を持つ[10]」。
ヴィトゲンシュタインが「対象が与えられている時、それとともにまた全ての対象がすでに私たちに与えられている。要素命題が与えられている時、それとともにまた全ての要素命題が与えられている[11]」あるいは「命題とは、全ての要素命題の総計から(そしてもちろんそれが全ての総計であるということからも)生じてくるものの全てである[12]」と言う時、 あたかもクワイン並みのホーリズムに達しているかのようにも見えるが、ヴィトゲンシュタインは「一つの要素命題から、他のいかなる要素命題も演繹されない[13]」とも言っている。
要素命題の経験的内容は相互に独立しているが、形式的構造に関しては相互に独立していない。「ある命題の真であることが他の諸命題が真であることから帰結するということを、私たちはそれらの諸命題の構造から見て取る[14]」。経験的レヴェルでのアトミズムと哲学的レヴェルでのホーリズムとは区別すべきである。
『論理哲学論考』がアトミズムであるという解釈は、多分個別的な対象を「実体 Substanz」と混同するところから来るのであろう。ヴィトゲンシュタインは「諸対象は世界の実体を形成する。それゆえ諸対象は合成されえない。Die Gegenstände bilden die Substanz der Welt.Darum können sie nicht zusammengesetzt sein[15]」と言うが、ここで《形成する bilden》が《である sind》でない点に注意したい。諸対象がそのまま世界の実体であるということではない。
それにしても「対象が合成されえない」というのはどういうことなのだろうか。「対象は世界の実体を形成する」という命題の「対象」は複数形で「実体」は単数形であることと矛盾しないのだろうか。おそらくヴィトゲンシュタインは「合成されている zusammengesetzt sein」を「相互に係わる sich zueinander verhalten」から区別して使っているのであろう。「事態において諸対象は、鎖の環のように一定の様式と方法で引っ掛かり合っている[16]」というメタフアーは、事態における諸対象の《相互に係わる》関係が環同士を結合させる第三のものは存在せず、環自らが相互に結合を作り上げることを示している。「世界の実体はただ形式のみを規定しうるのであって、実質的な性質までを規定しえない[17]」のだから、実体はまさに《相互に係わる sich zueinander verhalten》形式を規定するだけであって、諸対象を実質的に《合成 zusammensetzen》するわけではない。
「諸対象は世界の実体を形成する。それゆえ諸対象は合成されえない」という命題には「もしも世界に実体がないならば、ある命題に意義があるかどうかは、他の命題が真であるかどうか[その命題に意義があるということ]に依存することになるであろう[18]」という、《実体=原子》に固執するいかにもアトミスティックな註が付けられているが、命題は事態(正確には事況)の像であって、対象の像ではないことを想い起こさなければならない。つまりこの命題は「事態は相互に独立的である[19]」とパラレルな主張をしているに過ぎない。対象が「本」や「机」などの《もの》であるのに対して、事態は「机の上に本がある」という《こと》であり、両者の相違は相対的ではない。事物(Ding)・事態(Sachverhalt)・事況(Sachlage)の像における対応物が名辞(Name)・要素命題(Elementarsatz)・命題(Satz)である。但し、「事態」と「事況」、「要素命題」と「命題」の区別は、ラッセルの原子命題と分子命題の区別がそうであるように相対的である。
「命題とは、全ての要素命題の総計から(そしてもちろんそれが全ての総計であるということからも)生じてくるものの全てである」というテーゼにある通り、哲学的反照においては、命題の意義は要素命題の総体から帰結する。もしもある命題に意義があるかどうかが他の命題の意義に依存するなら、その「他の命題」に意義があるかどうかもさらに他の命題の意義に依存するのだから不可知論に陥る。ある命題に意義があるかどうかは、それを含めた命題の全体系の有意義性に依存しているのである。
「実体とは形式[Form]と内容[Inhalt]である[20]」が、その形式とは「空間・時間・色(有色性)が諸対象の諸形式である[21]」と言う時の形式である。有色性(こちらの方が「色」よりもミスリーディングでない)は視覚のみならず触覚や聴覚などの他の感覚にも係わると推測される[22]ので、カントの言う感性的多様に相当すると考えてよいであろう。
なお空間/時間は感性的多様と相即する。特に時間は変化を、それゆえ多様を前提する。もし多様がなければ時間のみならず空間の存立も怪しいであろう。しかしもしも感性的多様までが形式であるとするならば、実体の内容とは何であろうか。「諸対象」のことであろうか。
ヴィトゲンシュタインは「この[現実的/可能的世界に共通の、つまり実体の]確固たる 形式[feste Form]はまさしく諸対象から成り立っている[23]」と言った後で、しかしながら「世界の実体はただ形式のみを規定しうるのであって、実質的な性質までを規定しえない」(前出)とも言っていたのであった。したがって実体の「内容 Inhalt」は、総合的アポステリオリではなくて総合的アプリオリ、つまりあれやこれやの諸対象ではなくて、《形式的性質 formale Eigenschaft》、フッサールが謂う所の《空虚な担い手=基体》、形而上学的な「Sub-stanz 下に立つもの」であると解釈される。
もしアトミスティックに《実体=基体 Substanz》を原子・素粒子…に求めていったとしても、以前述べたように、単位の"Einheit"は統一の"Einheit"に、最小の個物は最大の普遍に転化する。この《実体=基体 Substanz》をカント=フッサール流に一歩突き抜けたら、世界の総体のノエシス的相関者である《主観 Subjekt》に到達するはずである。「命題・像・モデルは、否定的な意味では 他の物体の運動の自由を制限する固体のようなものであるが、肯定的な意味では、その中に物体が居場所を見出す、確固とした実体によって限界付けられる空間のようなものである[24]」。「表現とは命題の意味にとって本質的なものの全てであり、命題が相互に共通に持ちうるものである。表現は形式と内容を特徴付ける[25]」。ここから「表現」は実体の像であると推測される。
しかし、ヴィトゲンシュタインの哲学は超越的哲学ではなく、むしろカントの哲学と同様に、超越論的哲学であったと評することができる。ステニウスも言うように、ヴィトゲンシュタインにおいては、「カントの超越論的演繹が行おうと意図していたことが、言語の論理分析によって成される[26]」。したがってヴィトゲンシュタインにおいても「論理学は超越論的である[27]」し、それどころか「倫理学は超越論的である[28]」とまで言われる。
ヴィトゲンシュタインの哲学的システムは、“批判的言語論”あるいは“超越論的言語論”あるいは“言語論的観念論”とさえ呼ばれうる。[カントと同様に]ヴィトゲンシュタインにとっても、経験の形式は超越論的な意味で“主観的”である。形而上学的主観は、言語を使い、理解する“主体”であり、言語によって記述可能な世界の一部分である経験的自我からは区別されなければならない。[29]
カントは超越論的弁証論において人間悟性の限界を示したが、ヴィトゲンシュタインもまた、「哲学は、思考可能なものを、そしてそれでもって思考不可能なものの境界線を引かなければならない。哲学は思考不可能なものを、思考可能なものによって内側から限界付けなければならない[30]」と言っている。
『現象学的に根拠を問う』で超越論的現象学の全体部分関係論における部分と全体の関係として
- 志向的諸契機と志向的全体
- 時間空間の直観的延長の諸断片とその全体
- 直観的個別体とその意味的懐胎
- 単一的意味と複合的意味
- 個物または下位の種とその上位の類
- 超越論的主観性と超越論的経験
- 個別的主観性と間主観性
を順次考察した。2 から 5 まではこれまで論じた。2 は「事物 Ding」と「事態 Sachverhalt」との関係。3 については「論理は世界を満たす。世界の限界は論理の限界でもある[31]」が“理論負荷性”のテーゼとして解釈される。4 と 5 は強いて言えば、名辞・要素命題・命題の関係である。6 と 7 の「私と他者」の問題は次節で扱うことにして、本節では最後に 1 の志向性の問題について触れよう。ヴィトゲンシュタインとフッサールの関係が問題になるのはここである。
1.3. ヴィトゲンシュタインとフッサールの関係
ヴィトゲンシュタインが中期において志向性について論じたのはフッサールの影響か否かを巡って黒田と滝浦の間に論争がある。ことの始まりは、『論理哲学論考』から『哲学探究』にかけてのヴィトゲンシュタインがフッサールの『論理学研究』などから本質的な影響を受け、それとの格闘・離脱によって自分の立場を築いて行ったとする黒田の論文「現象と文法」[32]を 滝浦が「フッサールとヴィトゲンシュタイン」[33]で逐一検討して、ヴィトゲンシュタインの言う「現象学」はエルンスト・マッハのそれであって、両者の間には影響関係がないと反論したところにある。
滝浦によればフッサールとヴィトゲンシュタインは「ほとんど同じ地点から出発し、ほとんど平行して進みながら、進むにつれてしだいに隔たりを増していく二人の走者[34]」ということである。黒田はこれに対して「『フッサールとヴィトゲンシュタイン』の周辺[35]」で論争的な応答をしている。論争はその後しばらく続いたが、「ヴィトゲンシュタインと現象学との関係については、従来、わが国でほとんど公認されかけていた或る解釈があり、それに私は強い疑念をもっていたので、現象学そのものについての理解と合わせて、私なりの見方を提示すべく努めた[36]」その後の著作においても滝浦は自説を堅持している。
私見を述べれば、思想史上の事実問題としては黒田説に軍配が上がるのではないかと思う。滝浦は、フッサールの『論理学研究』とヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』に共に現れる「事態 Sachverhalt」はドイツ語としてごくありきたりの言葉であるから特に典拠を求める必要はなく、また後者では要素的原子的であるのに対して前者では複合的でありうるとのことである[37]。だがヴィトゲンシュタインは事態が相互に要素的原子的であると言っているだけで、事態が複合的でないとは言っていない。また黒田が指摘するように[38]、フッサールとヴィトゲンシュタインの間には「事態 Sachverhalt」と「事況 Sachlage」の使い分けが一致しているし、さらに“Sachverhalt”を“sich so und so verhalten”(かくかくの事態である)に分解するところまで共通である。滝浦はこれを偶然の一致とするのだろうか。
ヴァイスマンの速記録[39]から、ヴィトゲンシュタインがフッサールの『論理学研究』を読んでいたことが分かるが、『論理哲学論考』脱稿より17年前に出版され、多くの分析哲学者に、ポジティヴかネガティヴかは別として、相応の影響を与えたフッサールの『論理学研究』を、『論理哲学論考』執筆前にヴィトゲンシュタインが読みもしなかったというのは、あまりにもありそうもないことである。シュピーゲルバークの伝えるところによれば、1939年に『論理学研究』の英訳者であるフィンドレイが、『論理学研究』に言及したところ、ヴィトゲンシュタインは、まだそんな古いテクストに関心があるのかと驚きを表明したとのことである[40]。しかし1939年といえば『哲学探究』を執筆している頃である。「古い」という言葉は、かえってかつては自分もそれから影響を受けていたことを示しているのではないであろうか。
もちろんヴィトゲンシュタインは「フッサール哲学の祖述者や解説者の類ではなかった[41]」から、黒田も認めるように、「影響」よりも「触発」とか「刺激」などの言葉のほうが適切であろう。滝浦も、黒田ではなくてシュピーゲルバークを引用して「そもそもヴィトゲンシュタインのようなタイプの思想家に『影響』を語りうるものかどうか、仮にそのようなものがあったとしても、それは自身の思索の刺激剤か解発装置に過ぎなかったであろう[42]」と記している。恐らくそれが一番妥当な推測であろう。
してみると滝浦と黒田は、滝浦のメタファーをもじって言えば、お互いに「違う、違う」と言い合いながら同一地点に向かって走って行く二人の走者ということになる。実際例えば、中期のヴィトゲンシュタインが論じる「志向性」は、滝浦が指摘するようにフッサールが謂う所の「志向性 Intention」であるよりもむしろ「意図 Absicht」の性格の方が強い[43]のだから、フッサールから直接「影響」を受けているとは言えない。未来のある事態へと向けられた意図・欲求・願望 は 当の事態の実現によって「充実」されるし、疑問は答えによって「充実」される。しかし疑問はフッサールが言う志向性ではない。
ヴィトゲンシュタインは『哲学的考察』の冒頭ですでに「現象学/現象学的言語」の放棄を宣言しているが、このことは『論理哲学論考』以後の過渡期で一時期「現象学/現象学的言語」が構想されたことを示している。
物理学は、法則を確定しようとする点で現象学から区別される。現象学はただ諸可能性のみを確定する。かくして現象学とは、それへと物理学がその理論を構築する事実の記述の文法ということになるであろう[44]
これはフッサールの純粋文法学の理念を連想させる件であるが、なぜ一時期とはいえ、ヴィトゲンシュタインはこのような現象学を構想するようになったのだろうか。ヴィトゲンシュタインは、かつて『論理哲学論考』において、「例えば、二つの色が視界の一点に同時にあるということは不可能、それも論理的に不可能である。なぜならそれは色の論理構造によって排除されているのだから[45]」と言っていたが、「赤かつ赤でない」は論理的矛盾と言えるであろうが、「赤かつ緑」はそうとも言えない。そこでヴィトゲンシュタインは、赤と緑の両立不可能性を言い表すためには、事実の記述の文法、すなわち現象学的言語が必要だと考えたわけである。その現象学的言語を放棄するようになったことは、実は彼の私的言語批判に係わってくる論点である。
2. 後期ヴィトゲンシュタイン
ヴィトゲンシュタインの哲学は前期と後期で決定的に異なるわけではないが、前期では、世界を等質的な単位から組立て可能/計算可能とする近代科学のイデオロギーの権化であった初期分析哲学の立場に近かったのに対して、後期では、世界を所与の全体性として理解する解釈学的傾向にある。
2.1. アトミズムからホーリズムへ
ヴィトゲンシュタインは、中期の代表作の一つ『哲学的文法』で、次のように述べている。
“水素と酸素がいっしょになって水をつくる。” ― “2つの点と3つの点がいっしょになって5つの点をつくる。” この二つの命題を比較せよ[46]
「原子論的」に、H2Oを原子3個あるいは陽子10個 と電子/中性子8個と記述したところで、「水」の定性的な特質が明かになるわけではない。ちょうど「仲良く暮らしている2人の人間と、仲良く暮らしている3人の人間とから、仲良く暮らしている5人の人間ができるわけではない[47]」ように、フリーラジカルの状態にある水素原子二つと酸素原子一つが水を形成するわけではない。『哲学探求』では次のようなくだりがある。
誰かに「ほうきをもってきてくれ!」と言う代わりに、「ほうきの柄とそれにはめこまれている刷毛をもってきてくれ!」と言っている場合を考えよ。― これに対する答えは、「君はほうきが欲しいのか。それなら、なぜそんな奇妙な表現をするのか」ではないであろうか。[48]
ヴィトゲンシュタインにとってアトミックな部分よりもそれを関数化する意味連関全体が重要になっていく。もっとも、アトミズムからホーリズムへと言っても、謂う所のホーリズムは、クワイン的な意味でのホーリズムであり、廣松渉が批判するような、関係の第一次性を否定するような全体の物象化としてのホーリズムではない。
伝統的論理学に即して言えば、全体部分関係論の重要な出発点は主語-述語の総合のあり方である。従来の哲学的説明によれば、「これ(S)はPである」という命題は、《PとしてのS》という複合的事態を分析したものである。その分析は所与の全体を事後的に分析したものであって、まず基体Sが与えられ、それからそれに述語Pが与えられるわけではない。
ハイデガーは、次のように言う。
了解において開示されたもの、つまり了解されたものは、そのものに即してそのものの《何かとして als Was》ということが表だって目立ちうるというように常にすでに近付きうるものになっている。この《として》が、了解されたものが表だっているということの構造を成しているのであり、解釈を構成している。[…]《として》が存在的に言表されていないからといって、了解のアプリオリな実存論的機構としてのこの《として》を見逃すように惑わされてはならない。[49]
ヴィトゲンシュタインも次のように言っている。
[ある線画を顔として見ることは、たんに線を見ることではない]という表現は、ある種の経験の付け加えを暗示しているように思えるかもしれないが、その線画を顔として見るとき、それをたんなる線として見るという経験をして、それとは別に[besides]ある別の経験をもするなどとは決して言ってはならない。[50]
だが、ヴィトゲンシュタインからすれば、ハイデガーのように、「実存論的には、全ての《見る》は《として見る》である」とテーゼ化することは、哲学者に固有の過ちを犯すことになる[51]。
「私は今それを … として見る(Ich sehe das jetzt als …)」と言うことは、ナイフとフォークを眺めて「私はそれを今ナイフおよびフォークとしてみる」ということと同様、私にはほとんど意味を持たなかったことだろう。人はこの発言を、「それは今私にとってフォークである」とか「それはまたフォークでもありうる」と同様、理解しないであろう。ひとはまた、テーブルで食器と認める物を食器として‘解釈’はしない。ちょうど食事中に通常口を動かそうと試みたり、動かそうと努力したりしないように。「今それは私にとってある顔である」と言う人に対して、「どういう変身があるというのかね」と問うことができる。[52]
あるものがフォークにしか見えないとき、ひょっとするとフォークではないのかもしれないと疑うことすら思い付かないとき、「私はそれをフォークとしてみる」と述べることは、「として」の文法的誤用である。このこだわりはいかにもヴィトゲンシュタインらしい。ヴィトゲンシュタインは、解釈学という点でもハイデガーより一歩先を行っている。
では、フォークを指示しながら、改まって「私は今それをフォークとして見る」と発話するのはどういうときか。それはひとが《哲学》をしているときである。
かくして哲学者が、名と名ざされるものとの関係なるものを取り出そうとして、眼前のある対象を凝視し、そして何回も名を繰り返したり、あるいは“これ”という言葉まで繰り返したりするときに、ある奇妙な結合が実際に生じる。というのも、言葉がお祭りをしているときには、哲学的問題が発生するからである。そして確かにそこで私たちは、名付けることが何か注目すべき心の働きであり、いうなれば対象に洗礼を施すようなものだと想像することができる。そして私たちはまた、“これ”という言葉をいわば対象に向かって言うことができ、そしてそれでもって対象に語りかけることができる。これはこの言葉の奇妙な使い方であって、おそらく哲学しているときにしか起きないことである。[53]
最晩年の『確実性について』では、「私は … を知っている」という言い回しが取り上げられる。ムーアは、「雨が降っているが、私は雨が降っているとは信じない」というような命題は不合理だと主張した[54]が、ヴィトゲンシュタインからすれば、疑問の余地なく信じていることにことさら「私は信じている」と付け加えることの方が不合理である。すなわち、「私は … を知っている」という表現は、「 … として見る」と同様に、《哲学的=懐疑的》態度においてのみ意味を持つ。
私がある哲学者と庭に腰を掛けている。彼は何度も「私はあれが木であることを知っている」と繰り返し、そう言うたびごとに近くの立木を指し示す。たまたま別の人がやってきてそれを聞き、私はその人にこう告げる「この人は気が変なのではありません。私たちは哲学をやっているのです」。[55]
生活世界的な自明性の地平に留まっているかぎり、「私はSをPとして見る」あるいは「私はSがPであることを知っている」といった表現は不要である。しかし自明性が揺らいで「SはP1かもしれないし、P2かもしれない」「他者は、私はSがPであることを知っていることを知らないかもしれない」というように、他の可能性が顕在化するとき、それを否定するために、それらの表現を用いなければならなくなる。
ヴィトゲンシュタインは、『論理哲学論考』では「私たちが見る全てのものは、他のようでもありうるであろう[könnte auch anders sein]。私たちが 一般に記述することができる全てのものは他のようでもありうるであろう[56]」と言っていた。他の可能性を排除するためには正当化が、したがって超越論的基礎付けが必要ではないであろうか。もし批判的反省の可能性を否定している直観主義者が、主体的=批判的反省を放棄すべきだということを当為として立てられるとしたら、おかしなことだ。それは解釈学的誤謬と呼んでもよいかもしれない。
学の基礎付けを試みるものは、デカルトのように一度疑えるものは全て疑ってみるべきである。ヴィトゲンシュタインは、「子供は学校で2×2=4を習いはするものの、2=2を習いはしない[57]」と数学基礎論に皮肉たっぷりだが、厳密な学を志すものは、ユークリッドのように「線とは幅を持たない長さである」という自明な命題も自明でないかのように語るところから始めなければなるまい。
2.2. ヴィトゲンシュタインの他者論
次に、後期の重要な主題の一つである他者の問題の検討に入りたい。前項では、認識される側でのアトミズムからホーリズムへの転換を確認したが、本稿では、認識する側でのアトミズムからホーリズムへの転換に焦点があてられる。
『論理哲学論考』では、他者や間主観性の問題は正面から論じられることはなかった。「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する[58]」という有名なテーゼも、たんに“言語=世界”を主張しているだけであって、狭義の独我論を主張しているとは考えられない。そのテーゼは「他者の言語の限界が他者の世界の限界である」や「私たちの言語の限界が私たちの世界の限界である」などのテーゼと両立しうる。実際、『論理哲学論考』の草稿では、この命題の後に、「世界霊魂がただ一つ現実に存在する。私はこれを私の魂と呼ぶ。そして私が他者の魂と呼ぶものももっぱらこの世界霊魂として理解する[59]」と書かれている。
また「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する」の註(5.61)に「私たちが考えることができないものを私たちは考えることはできない。それゆえまた私たちは、私たちが考えることができないことを語ることはできない」という説明があるが、ここから明らかなように、『論理哲学論考』のヴィトゲンシュタインは一人称単数と複数の区別にこだわっていない。カント的に言えば、主観には経験的統覚と超越論的統覚があるが、「主観は世界に属さない。それは世界の限界である[60]」という命題における「主観」は超越論的で、彼が謂う所の「独我論」はたんなる超越論的観念論であるように見える。
だが「私とは私の世界である(ミクロコスモス)[61]」と言うときの「ミクロコスモス」とは何のことなのだろう。「ミクロコスモス」=「世界の限界」の外に“マクロコスモス”があるとでも言うのだろうか。しかしそのような外部世界の想定は、カントが行ったような物自体の想定ではないのなら、ナンセンスである。ヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』における独我論が経験的なのか超越論的なのかのこの不明さは、彼の写像理論がアトミズムなのかホーリズムなのかの不明性に対応している。なぜならば、経験的独我論はアトミズムをもたらし、超越論的独我論はホーリズムをもたらすからである。
確実に言えることは『論理哲学論考』以降論理的アトミズムと(それと同じことだが)アトミスティックな独我論が放棄されていったことである。ヴィトゲンシュタインの言語哲学は、Bedeutung とは名が be-deuten する対象であり、Sinn とはかかる Bedeutung の複合であるというかつての写像理論的意味論・統語論から、≪Sinn=Gebrauch≫とする語用論へと変貌する。なるほど『論理哲学論考』においても「記号が使用されない[nicht gebraucht ― 原文ではゲシュペルト]時、その記号には意味がない[62]」と言われていた。しかし『哲学探求』では、意味は使用そのものであり、言葉を使う私の生活そのものなのである。これと相即して Subjekt は、世界を模写する“鏡のような”主観から言葉を使っ て相互主体的に生活する主体へと変貌する。小学校教員として子供に言葉を教える苦労を積んだヴィトゲンシュタインは、その経験を通してと推測されるのだが、語の直示的教示には所謂指示の不確定性の難点があることに気付き、「言語を教えることは、ここ[子供の言語教育]では、説明ではなくて訓練である[63]」と主張するに至る。
大人の言語の知識は子供のときの教育を基盤にしているので、言葉は頭で理解するのではなくて、からだで覚えるものであることは、大人についても成り立つ。「それでもって子供が言葉を使い始める言語形態[64]」、「それを介して子供が母国語を学ぶゲームの一種[65]」として導入された言語ゲームが、「言語と言語がそれへと折り込まれている諸活動性の全体[66]」でもあるゆえんである。言語ゲームは決して普通の意味でのゲームではない。
“言語ゲーム”という言葉は、ここでは、言語を語ることはある活動性ないしある生活形式の一部分であることを明確にするものでなければならない。[67]
「語用論 Pragmatics」の重視は「プラグマティズム Pragmatism」を帰結する。
“不正確”は本来非難であり、“正確”は称賛である。とはいえこのことは、不正確なものは正確なものほどその目標を完全には成し遂げないということに他ならない。それゆえ問題は、私たちが何を“目標”と呼ぶかである。もしも太陽までの距離を1mまで正確に述べなかったり、家具師に机の幅を0.001mm まで正確に言ってやらなかったりしたら不正確ということになるのか。[68]
言語行為は目的によって有意味に成るが、言語そのものはそうではない。「人間にかくかくの作用を及ぼすための目的を満たすためには、言語がどのようになっていなければならないかを文法は語らない[69]」。言語はむしろ言語行為/人-間の目的の体系を統制的に規制すると言えるであろう。
『論理哲学論考』でも「日常言語は人間的有機体の一部である[70]」と言われていたが、しかしそこでは日常言語が論理(人工言語)から区別されていた。『哲学探求』では『論理哲学論考』の人工言語自体が、無限に多様な言語ゲームのうちの一つとして相対化される[71]。
原初的な言語ゲーム/言語行為、例えば「命令する・質問する・物語る・雑談をする、これらは行く・食べる・飲む・遊ぶと同様、私たちの自然史に属する[72]」。“水! あっち! ああ! 助けて! すてき! ちがう!”などの語は明らかに《対象を名指している》記号ではない。
記号と印は混同されてはならない。“ふん”という音声を疑念の表現と呼ぶことはできるし、それを聞く他人にとっては、雲が雨の印であるように、疑念の印であると言える。だが、“ふん”は疑念の名辞ではない。[73]
“ふん”のようなタイプの言葉の使い方を、私たちはちょうど道具の使い方を技術的にマスターするように生活の一部として覚える。
意味の説明は、語の使い方を説明する。その言語におけるその語の使い方がその語の意味である。文法は、その言語における様々な語の使い方を記述する。したがって言語に対する文法の関係は、あるゲームに対するそのゲームの記述、つまりそのゲームの規則の関係に似ている。[74]
《知る》という言葉の文法は明らかに《できる》《能う》という言葉の文法と密接な関係にある。だがまた《理解する》という語の文法とも密接な関係にある。―《習熟する》技術。[75]
ひとはここで、主語(対象)と述語(語)の一致という伝統的な言語哲学の構図を却け、「理解することのうちには、存在することができる(Sein-können)こととしての現存在の存在様式が実存論的に潜んでいる[76]」として、世界-内-存在の開示性の構造を解明したハイデガーの『存在と時間』を想い起こし、ローティとともに「言語哲学の解釈学的転回!」と叫びたくなるかもしれない。
しかし『論理哲学論考』でもすでに「世界と生(das Leben)は一つである[77]」と言われていたから、ヴィトゲンシュタインの生の哲学的な性格は、昨今の「理解対説明」論者が秋波を送る所謂「後期ヴィトゲンシュタイン」において初めて生じてきたのではないし、また何よりもヴィトゲンシュタインは《言語以前的=先述定的》な生活世界に還帰したり、主客未分・自他未分の反省以前的な生のカオスに安直に回帰したりすることなく、Leben の問題をあくまでも直観ではなくて言語の問題として考え抜こうとする点では終始態度が一貫していた。「哲学的な研究は、《事象そのもの》を問い尋ねるためには《言語哲学》を断念しなければならないであろう[78]」と言うハイデガーとは違うのである。
認識が一種のゲームである言語行為であるとするならば、そして行為は規則によって判断されるとするならば、真理の基準は《事象そのものとの一致》ではなくて、《規則の遵守》でなければならない。そして規則に従うことは社会制度でもある。
私たちが《ある規則に従う einer Regel folgen》と呼んでいるものは、ただ一人の人間が人生においてただ一回だけすることができるようなものだろうか。もちろんこれは、《ある規則に従う》という表現の文法への注解である。たった一人の人間が一回だけ規則に従うことはありえない。[79]
たった一回だけ規則に従うことは、「規則」の定義から不可能である。これは、言葉の定義の問題であり、まさに「文法への注解」の問題に過ぎない。だが一人だけが規則に従うことができるかどうかの問題は少しく検討を要する。所謂私的言語の問題である。
2.3. ヴィトゲンシュタインの私的言語論
私的言語とは「他者は誰も理解できないが、私は“理解しているように見える”音声[80]」のことである。伝達不可能な主観的理解がありうるか否かが問われる。
なぜ私の右手は、私の左手に金を贈ることができないのか。私の右手は私の左手に金を手渡すことができる。私の右手は贈与書を書き、私の左手は受領書を書くということはできる。― しかしそれ以上の実際上の帰結は贈与のそれではあるまい。左手が右手から金を受け取ったりしたとき、「それでどうだというのだ?」とひとは問うだろう。同じことは自分に私的な言葉の説明をしたときに言えるであろう。[81]
なるほど、左手は右手から金をもらうわけにはいかない。では現在の私が未来の私に《私的に》金を贈ることはどうか。アルバイトでこっそり得た金をたんすのひきだしの奥に“誰にも知られないように”隠して、「この金は今度の休暇の旅行に使う金なんだぞ」と自分に言い聞かせておく場合は如何。この場合もしかし、私は決して私的に規則に従っているわけではない。たとえ私のこのへそくりが誰にも気付かれなかったとしても、私のその行為は「へそくり」として可能的他者に有意味に理解されうるのである。実際「貯金」という概念は、経済的な社会制度を抜きにしてはありえないのである。
感覚についても同じことが言える。他人には伝達できないようなある私的な感覚が生じたとき、私はカレンダーにEを記入することにする[82](ドイツ語では、感覚は"Empfindung"で、その頭文字ということだ)。ところが私の行為は、(少なくとも可能的には)ヴィトゲンシュタイン通の哲学専門家に「さては私的言語が可能かどうか試しているのだな」と見抜かれてしまう。だから人は誰もが思いつかないような仕方で私的言語を語らなくてはならないのだが、そのような誰もが思いつかないような仕方は、まさに誰も思いつくことができないのである。
知っていることと語ることを比較せよ。モンブランは何メートルの高さか ― “ゲーム”という語はどのようにして使われているか ― クラリネットはどのような音が出るか。― 知ることはできるが語ることはできないことに驚く人は、多分一番目のような場合を考えているのであって、三番目のような場合ではないことは確かである。[83]
クラリネットの音色は筆舌に尽くしがたい。それは当然であろう。クラリネットの音色の描写はクラリネットの音色そのものではないのだから、完全に正確にそれを語ることは不可能である。しかしクラリネットの美しい演奏に盛大な拍手が送られ、奏者がアンコールに答える、あるいは隣の部屋の耳ざわりなクラリネットの練習に対して「うるさい!」と怒鳴ったところ練習を止めてくれたなど、自他の行為の呼応がうまく機能しているなら、聴衆がどのような微妙なニュアンスで音色を聴いたかとか、私がどのような特殊な不快感でクラリネットの音色を聞いたかなどといった私的感覚を正確に描写することはどうでもよいことなのである。
私的言語の否定は、私たちを他者の内的意識の解釈から解放するが、今度は他者が従っている言語ゲームの解釈という新たな問題を与える。言語ゲームの無限な多様性は、「どのような行動様式も規則と合致させることができる[84]」、つまり他者の振舞はどうとでも解釈できるという帰結を生む。
思えば、私的言語の処理は論実証主義において重要な課題であった。論理実証主義者は命題の真偽をセンスデータによって検証しようとするのだが、もしもセンスデータが私的な伝達不可能なものであるとするならば、その上に構築される科学的命題の客観性は怪しくなるからである。ところが私的言語を公的言語に包括するや否や、公的言語自体が私的な性格を帯びるようになるという逆転が生じて来た。実際私的言語の抹殺は、「統一科学」をではなくて、「パラダイムの共約不可能性」をもたらしたのである。
ヴィトゲンシュタインは、『哲学的考察』の中で、次のような「パラダイムの共約不可能性」を彷彿とさせるようなことを書いている。
p が証明可能と語るのでは十分ではなく、ある特定のシステムにより証明可能と言わなければならない。しかもその命題は、p はシステム S により証明可能と主張するのではなく、自らのシステム、p のシステムにより証明可能と主張するのである。p がシステム S に属することは主張されえず、示されなければならない。[…]p が一つのシステムから別のシステムへと転じると見える場合は、p は実際には自らの意義を変化させているのである。[85]
“S”をパラダイム、“p”をそのパラダイムに従う科学理論とみなせば、異なるパラダイムに基づく“p”は、たとえ表面的には同じに見えても、その意義を違ったものにしていると言わなければならない。
私が初等三角法の規則を知っていれば、私は sin2x=2sinxcosx という命題を扱うことは可能だが、sinx=x-x3/3!+ … という命題を扱うことは不可能である。そしてこのことは、初等三角法の正弦と高等三角法の正弦とは異なった概念であるということである。[86]
加法定理しか知らなかった生徒がマクローリンの定理を学んだとき、彼は正弦について新しいことを学んだのではなく、新しい正弦の定義を学んだのである。同様にアリストテレス的な力概念からニュートン的な力概念へのパラダイム転換においては、力についての理論が進歩したのではなく、力の概念が変質したのである。近代科学が攻撃するときの「中世の力概念」と中世のスコラ学者が親しんでいた力の概念は、依拠するシステムが異なるがゆえに、意味が異なる。したがって近代の力学は中世の力学よりも進歩しているとはいえない。ここから帰結するのは、パラダイム間の相互不可知論である。
こういう言語相対主義の根は超越論的反省の欠如にある。ヴィトゲンシュタインの“認識=rule-following”のテーゼは、カント・新カント学派のように規範的な性格がない。「規則に従っているとき、私は選択をしない。私は規則に盲目的に従う[87]」。だから《規則に従うこと》は《自由=超越》ではない。「“一致”という言葉と“規則”という言葉は親戚関係にある[88]」のであって、「“規則”という言葉の使用は“同じ”という言葉の使用と関連している[89]」。
規則の本質は同一性であるが、規則は差異性によって対自化される。ヴィトゲンシュタインは「法則がいやしくも法則であるからには、ある可能な出来事が法則と矛盾するのでなければならない[90]」とも言っているが、この対自化された意識が超越論的反省を促すのである。
アーペルなどは、技術の習熟としての言語ゲームが「哲学的言語ゲーム」を前提にしているとして、超越論的語用論を提案する[91]が、そのような新カント学派流の規範主義を復活するだけでよいのだろうか。次節では言語ゲームの問題をクワインのネットワークの問題と重ね合わせながら考えてみることにする。
3. ヴィトゲンシュタイン以降
言葉の意味を指示対象と同一視する写像理論を放棄するならば、言葉の意味をどう考えたらよいだろうか。ヴィトゲンシュタイン以降の分析哲学を、クワインを中心に考えてみよう。
3.1. 経験主義の二つのドグマ
ヴィトゲンシュタインの哲学は、規約主義的であると言われている。規約主義とは、科学の真理性を客観的実在の世界に求めずに、人間の約束や取決めの結果として理解する立場のことである。「人は数学を書くことはできないのであって、数学を作ることしかできない[92]」、あるいは、「私たちの記号法には確かに恣意的なところがあるが、しかしあるものを恣意的に規定したならば、他のことが実情とならざるをえないということは恣意的ではない[93]」と説くヴィトゲンシュタインは、論理の必然性を規約主義的に捉えているように見える。「青(緑)は進め、赤は止まれ」といったシンボル・カラーの選定自体は恣意的だが、いったん選定がなされると、信号機の色に従って行動することは恣意的ではなくなる(従わなければペナルティが科される)。規約主義を採用しても、科学が恣意的にならないのも同じ理由による。
ダメットは、ヴィトゲンシュタインが、公理の定立のみならず定理の導出の真理性までを規約とする「根源的規約主義 radical conventionalism」であったと解釈する[94]が、ヴィトゲンシュタインにとって言語ゲームは、従ったり従わなかったりすることができる任意のものではなかった。たとえヴィトゲンシュタインが規約主義であっても、それは彼の言語ゲーム論にとって本質的でないと考えられる。クワインは、当時ヴィトゲンシュタインを含めた論理実証主義者の間で広く採られていた規約主義を解体した哲学者として知られているが、むしろまずはヴィトゲンシュタインとの共通点を重視したい。実際、クワイン自身「翻訳の不確定性の理説は、後期ヴィトゲンシュタインの意味に関する省察に精通している読者には、おそらくほとんどパラドキシカルな感じを与えないであろう[95]」と言っている。
1951年の良く知られたクワインの論文「経験主義の二つのドグマ」における
1α. 分析的/総合的の区別の撤廃
2α. 還元主義(reductionism)批判
という二つの論点は、それぞれ 1960年の主著『言葉と対象』における
1β. 翻訳の不確定性(indeterminacy of translation)
2β. 指示の不可測性(inscrutability of reference)
のテーゼに対応する。1は命題における語と語の交換(翻訳)の、2は語と対象との交換(翻訳)の不確定性を主張しているのだが、実は1と2は(したがって上掲の四つのテーゼは全て)同じことを言っている。このことを以下確かめてみよう。
1αでクワインがその存立を批判するのは、論理的分析性=同一性、例えば「未婚の男は結婚していない。No unmarried man is married.」ではなくて、意味の分析性=同一性、例えば「いかなるバッチェラーも結婚していない。No bachelor is married.」であるが、後者は要する に“Bachelor = unmarried man”という交換(翻訳)が必然的か否か、「全てのバッチェラーが、そしてバッチェラーのみが未婚の男である。Necessarily all and only bachelors are unmarried man.」が成り立つか否かの問題なのである[96]。したがって1αは1βと同じ主張である。
次に2αと2βの関係であるが、2βは、「語がいかなる対象を指示しているか不確定である」という主旨のテーゼである。私がある独身者を指示して「ほら、あれがバッチェラーだよ」と教えても、聞き手は常に誤解する可能性を持つ。相手はバッチェラーとは眼鏡を掛けた顔のことかと思うかもしれないし、貧乏学生の俗称かと推測するかもしれない。だから語と指示対象との間には“ずれ”がある。クワインは『存在論的相対性』では「直接提示 direct ostension」と「差延された提示 deferred ostension」を区別している[97]が、全ての対象指示には「差延 deference」があると言ってよいであろう。そして、それゆえに2αのテーゼ「ある語を特定の対象に《還元》することが不可能である」が帰結する。2αも2βも《言葉と対象》の隔たりを主張しているのである。
今度は1と2の関係を調べてみよう。“Bachelor = unmarried man”という交換(翻訳)が可能か否かは、“Bachelor”で指示されている対象と“unmarried man”で指示されている対象が一致するかどうかであるから、1は2に基づく。
ところが、たとえ外延的に“Bachelor”のデノテーションが一致していても、内包的には、例えば「バッチェラーのある段階、バッチェラーの不可欠な一部分、そこにおいてバッチェラー性が顕示されるところのバッチェラー融合体 …」というように[98]コンノテーションが一致していないのかも知れないのである。そこで私たちは、
「独身男性」⇔ ¬「結婚している」∧「男」⇔ ¬「女と同棲し∧結婚届を役所に提出している」∧「人間∧♂」⇔ …
というように他の語で定義しなければならないのだから、2は1に基づく。「指示の不可測性は、同一性の翻訳の不確定性[…]に依存していた[99]」のである。結局のところ、クワインの論点は《指示対象を基準とした意味の分析的自己同一性》の否定という一点へと収斂して行くわけである。
クワインはしかし意味に全く自己同一性がないとは言っていない。語の意味は緩やかな同一性を保持しながら、歴史的に変遷して行く。もし「一基準語 one-criterion word[100]」なる語があり、かつ基準と成る対象が完全な分析的自己同一性を持つならば、その語の意味は分析的自己同一性を持つと言える。しかし完全に単純な対象は存在しないので、全ての語は、いやしくも意味を持つ以上は多基準語(law-cluster word)である。そして多基準語は、ある基準に依拠しながら他の基準を捨て、新たな基準と結び付くことによって漸次的に変化する。
パトナムは「独身ノイローゼ」という基準を仮想して“No bachelor is married.”が偽と成りうると主張するが、仮想例など持ち出すまでもない。bachelor は「騎士に成ろうとしている野心的な若者」という意味の13世紀のフランス語“bacheler”から来ている。もちろん独身男性が全て出世への野心があるわけでないし、出世への野心がある時、かつその時のみ学士であるわけでもないし、学士には既婚者や女性もいることであろう。しかし意味基準のラフな繋がりから、「騎士に成ろうとしている野心的な若者」は「独身の男」とか「学士」などの違う意味に成りうるのである。自然科学からもう一つ例を取ろう。原子、すなわち"atom"はもともと「分割不可能なもの」の意であったが、いったん分子の下位単位として定義されると、分割されることがわかっても、相変わらずそれは"atom"と呼ばれる。
ヴィトゲンシュタインも次のように言っている。「基準と徴候との間の文法的揺れ動きによって、一般に徴候しか存在しないかのような外見が生じる[101]」。「科学的定義の変動:今日現象Aの経験的な随伴現出として見なされるものが、明日には《A》の定義に使われるであろう[102]」。この定義の変動を図示すれば、以下のようになる。

時間1の Bedeutung(A・B・C・D・E)と時間6の Bedeutung(F・G・H・I・J)はまったく異なるにもかかわらず、どの時間nと時間n+1の間にも《基準=意義》の連続性がある。このような連続性は、ヴィトゲンシュタイン謂う所の「家族的類似性」を想い起こさせる[103]。
3.2. 家族的類似性
「家族的類似性」は、『青色本』では言語ゲームの幼少期に習得された原初的形態から大人になってからの発展した形態に至るまでの連続性概念として持ち出されたものであった。
私たちは、例えば全てのゲームには何か共通するものがなければならず、またこの共通属性が、類概念“ゲーム”を様々な諸ゲームへ適用することを正当化すると考えがちである。実際には、ゲームは、そのメンバーが家族的類似性をもっている一つの家族を成している。同じような鼻を持っているのもいれば、同じような眉毛を持っているのもあれば、同じような歩き方をするものもいて、類似性は交差している。[104]
この「互いに重なり合い、交差し合う複雑な類似性の網の目[105]」は、例えば、以下のように説明できるであろう(○は他の成員と類似していることを、×は類似していないことを示す)。

この家族は、全構成員が共有するような一つの類似性を持っていないにもかかわらず、どの二人の構成員をとっても四つの特徴を共有している、つまり両者は極めてよく似ており、その意味で全体として強い類似性を持っている。
ヴィトゲンシュタインは家族的類似性という《非連続的連続性=連続的非連続性》を糸のメタファーを用いて説明する。「糸の強さは何らかの一本の繊維が糸全体の長さを貫いている点にあるのではなく、多くの繊維が相互に重なり合っているところに存する[106]」。「一本の繊維」とは世界の《基体=実体》のことだが、これを否定したからといって「あるのはただばらばらな繊維だけだ」という独断論の裏返しである懐疑論が帰結するわけでない。
ではヴィトゲンシュタインは何が統一だと考えるのであろうか。
しかしながらもし誰かが“それゆえこれら全ての構成物には何か共通のもの、すなわちこれらの諸共通性の選言がある”と言おうとするならば、私は、あなたはそこでただ言葉と戯れているだけだと答えるであろう。同様に人は、糸全体をあるものが、つまりこれらの繊維の間断なき重ね合わせが貫いていると言うことができるかもしれない。[107]
ここでヴィトゲンシュタインは、「実体は存在しない。ゆえに無こそ真の実体である」とか「全ては不確定であるから、不確定性こそは唯一の確定性である」といった類の詭弁を斥けようとしている。「言葉と戯れる mit einem Wort spielen」ことも一つの「言語ゲーム Sprachspiel」であり、詭弁にもそれなりの意味があるなどというのは、それ自体悪しき言葉の戯れであるというのだ。同じ論理で、様々な家族的類似性に「家族的類似性」という一つの概念を適用することにも問題があり、不確定性概念自体が不確定であるように、家族的類似性の概念自体も不確定であるということになろう。
一体、全ては不確定であるとか、全ての命題は修正可能であるということは可能であるのだろうか。“経験主義のドグマ”によれば、総合的命題は全て反証される可能性があるが、矛盾律のような分析的命題はそうではないということになっている。ところが、クワインによれば矛盾律のような論理法則(それは知のシステムの中心に位置するのだが)ですら、比較的周縁に位置する経験科学によって修正される可能性が、非常に少ないとはいえ、全く無いわけではない。
だが“それならば論理学も経験科学の一つである”と言う人がいれば、それは誤りである。但し次のことは正しい。同じ命題が、あるときには経験的に検証されるべき命題として、別のときには検証の規則として取り扱われてよい。[108]
これと似たことをクワインも言っている。
かくして、それぞれ違った意味においてであるが、相互包摂の関係がある。自然科学の一部としての認識論と認識論の一部としての自然科学。[109]
今世紀に入って、数学や論理学などの形式科学も自然科学のような経験科学も等しく不確定性の問題に直面する。クワインによれば、ラッセルのパラドックスという数学基礎論上の不確定性と《光=波動かつ粒子》説という物理学上の不確定性は密接な関係を持っているし、「算術には決定不可能な命題がなければならないというゲーデルの証明によって1931年に突如としてもたらされた現代の数学基礎論が直面する第二の大危機は、ハイゼンベルクの不確定性の原理の物理学に対応物を持つ[110]」。相対性理論は、カントがアプリオリな直観形式と考えた絶対時間の概念を否定し、量子力学は排中律を無効にした[111]。経験科学という周縁に近い知が排中律という中心の知を修正したのである。
「それでも矛盾律だけは絶対に修正されない。なぜならそれは修正を可能ならしめるミニマムな分析的原理なのだから」と言う人は、(まさに分析的に)何も実質的なことは主張していないも同然なのである。実質的な主張をするや否や不確定性の問題に引きずり込まれる。「矛盾律」「修正」「分析的」「規則」等々の概念の意味自体が歴史的に変化しうる。ヴィトゲンシュタインも「そこで即ち次のように言うこともできよう。もし“規則”という言葉の用法に対して他の規則があてはまるなら ― “規則”という言葉が他の意義を持つなら ― 規則は互いに矛盾しても差し支えない[112]」 と言っている。そして「歴史的に変化しうる」の意味自体も。
もちろん私たちは、知のシステムを一度に全て疑ったり、一度に全部を修正したりすることはできない。何かを疑うためには何かを信じなければならないからである。しかしだからといって、知のシステムには、絶対に疑うことができないある部分(例えばコギト・エルゴ・スム)があるはずだと推論する必要はない。私たちの知のシステムは、いかなる部分も修正可能である。今仮にこの世界には A,B,C という三つの命題しか存在しないと仮定しよう。私たちは A が正しいことを前提にして B を b に修正することができる。次に b が正しいことを前提に C を c に修正し、さらに c が正しいことを前提にして A を a に修正することもできる。このように、一度に A,B,C を a,b,c に修正することはできないにしても、全ての部分は結果としては修正することができるのである。
3.3. ノイラートの舟
クワインは、このように自己同一性を保ちながら漸次的に変化して行く知のシステムを「ノイラートの舟」のメタファーを援用して描写している。私たちは、舟をドックに引き入れ、ゼロベースで新たに建築すること(つまり、コギト・エルゴ・スムから出発して全ての学の体系を基礎付けること)ができず、果てしない海の上で、沈まないようにしつつ、それを少しずつ改造しなければならない船乗りのようなものだというのである。
知のシステムは周縁を経験と接している組織体で、環境である経験によって反証された場合、どこかを修正しないと環境に適応して生き延びることはできない。その際最も周縁に近い、すなわちもっとも破棄のためのコストが小さい部分が優先的に捨てられる。通常、中心的な命題は、周縁的な命題に比べてより多くの命題の 前提となっており、修正するのには多くのコストを要するので修正されにくいのであって、物自体をより忠実に模写しているから修正されにくいわけではない。「仮説が放棄されるのは、専らより高い価値のもの[中心的な仮説]との交換においてのことである。帰納[検証]は経済原理にしたがった過程である[113]」。
知のシステムについて言えることは、"人-間" のシステムにも当てはまる[114]。例えば企業システムにおいて、外部とのあつれきによって、いきなり中心(社長)の地位が危うく成ることはない。大概は周縁付近の手直し、例えば、部下の左遷/首切り、研修の強化、経営方針の転換などによって難を免れる。しかしそれぐらいでは追いつかなくなったときには(知のシステムにおける“科学革命”に相当することだが)社長の辞任が迫られる。
これはたんなるアナロジーではない。知のシステムの反照的規定が人-間システムなのである。部下が左遷されるのは彼が誤謬を犯したからであって、誤謬を選択する社員の配置が選択の誤謬であるとして、左遷という修正がなされる。知のシステムも人間のシステムも、真/善を先取し、偽/悪を後置する選択の主体である。修正と選択の連続によって知のシステムは全く違ったものに成りうる。人-間のシステムも同じである。もし全ての企業の構成員が同時に退社するならその企業は消滅することになろうが、部分的な交替を繰り返すことによって、当の企業は自己同一性を保持しながらその構成員を全部取り替えることができる。
カントが、物自体の認識による学の超越論的基礎付けを断念したように、クワインは言葉を指示対象へと還元することによる言語システムの基礎付けを断念した。クワインが、言葉と対象の間にあると想定されていた一対一の関係を切り断ったために、私たちの知のシステムは大地から切り離された根無し草のように大海を漂流するノイラートの船になってしまった。
しかしそれでよいのである。言語は、私たちの生活の一部としてうまく機能していれば、それが本当にリジッドな指示対象を持つかどうかということはどうでもよい。うまく行かなくなったときには、部分的に手直しをすればよい。問題は「うまく機能する」というときの「うまく」という価値語が何を意味するかである。こうして分析哲学においても、認識の問題は認識行為を含めた行為一般の問題に、そして行為論はいかに行為するべきかという価値と実践の問題となってくる。
ヴィトゲンシュタインは、言語のアプリオリ性から、彼なりの超越論的哲学を試み、後年言語の意味を使用に求めるプラグマティズムの傾向を見せた。クワインは、ヴィトゲンシュタインが依然として前提していた規約主義的な分析性と総合性の区別を廃棄し、指示の不確定性、それゆえ知の不確定性をあらわにしたが、その不確定性、世界と私たちの間にある“ずれ”に対してプラグマティックに対処しようとした。
プラグマティズムは、《経験主義の第三のドグマ》とでも言うべき事実と価値の区別を破棄し、哲学と倫理学の境界をあいまいにする。このプログラムはカント哲学においてあらかじめ用意されていた。カントも物自体の認識を断念し、理性の関心を理論から実践へ振り向けたのだから。
4. 参照情報
- 永井俊哉.『言語行為と規範倫理学』Kindle Edition (2015/02/23).
- ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『論理哲学論考 (岩波文庫)』岩波書店 (2003/8/19).
- ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン『哲学探究』講談社 (2020/11/13).
- ウィラード・ヴァン・オーマン・クワイン『ことばと対象』勁草書房 (1984/5/15).
- ↑このページは電子書籍『言語行為と規範倫理学』の第一章をブログ記事用に編集したものです。
- ↑Wittgenstein, Ludwig, Friedrich Waismann, and Brian F. McGuinness. Ludwig Wittgenstein und der Wiener Kreis. Gespräche, aufgezeichnet von Friedrich Waismann. 1931.12.9.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 3.203. 以下、『論理哲学論考』からの引用は原則として節番号で行う。
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 1.1.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.011.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.0271.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.0122.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.1514.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 3.141.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 3.3.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 5.524; Vgl. 2.0124.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 4.52.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 5.134.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 5.13.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.021.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.03.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.0231.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.0211.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.061.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.025.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.0251.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.0131.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 2.023.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tagebücher 1914-1916.Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. 1984. Suhrkamp. 1914.11.14.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 3.31.
- ↑Stenius, Erik. Wittgenstein’s Tractatus: A Critical Exposition of Its Main Lines of Thought. 1964. Basil Blackwell Publishers. p. 218.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 6.13.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 6.421. 草稿には、「倫理学は世界に係わらない。倫理学は論理学と同じく、世界の条件でなければならない」(Tagebücher,1916.7.24)とある。
- ↑Stenius, Erik. Wittgenstein’s Tractatus: A Critical Exposition of Its Main Lines of Thought. 1964. Basil Blackwell Publishers. p. 220-221.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 4.114.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 5.61.
- ↑黒田亘. 「現象と文法」. 日本哲学会編『哲学』第25号,1975年. 黒田亘. 『知識と行為』 1983. 東京大学出版会. 収録
- ↑滝浦静雄. 「フッサールとヴィトゲンシュタイン ― 志向性と用法」. 青土社『現代思想』第5巻2号,1977年;『言語と身体』収録
- ↑滝浦静雄. 『言語と身体』 1978. 岩波書店,228頁.
- ↑黒田亘:青土社『現代思想』1978年10月号. 黒田亘. 『知識と行為』 1983. 東京大学出版会. に収録.
- ↑滝浦静雄. 『ヴィトゲンシュタイン』 1978. 岩波書店, 240頁.
- ↑滝浦静雄. 『言語と身体』 1978. 岩波書店,p.214 以下
- ↑黒田亘. 『知識と行為』 1983. 東京大学出版会,p.333以下.
- ↑Wittgenstein, Ludwig, Friedrich Waismann, and Brian F. McGuinness. Ludwig Wittgenstein und der Wiener Kreis. Gespräche, aufgezeichnet von Friedrich Waismann.
- ↑Spiegelberg, Herbert. “The Puzzle of Ludwig Wittgenstein’s ‘Phänomenologie’ (1929-?).” American Philosophical Quarterly 5, no. 4 (Spring 1968): 244–56. p. 247.
- ↑黒田亘. 『知識と行為』 1983. 東京大学出版会,336頁.
- ↑滝浦静雄. 『ヴィトゲンシュタイン』 1978. 岩波書店,135頁.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Bemerkungen. 1964. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 2. Suhrkamp ed. Rush Rhees. 21.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Bemerkungen. 1964. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 2. Suhrkamp ed. Rush Rhees. 1.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 6.3751. 微視的には赤と青の点の混合が、巨視的には(つまり人間の肉眼には)青っぽい赤の点に見えることもあるであろう。そもそも幾何学的に厳密に定義された「点」には広がりがないはずであるから当然色もなく、したがって「同一の点に異なった色がありうるか否か」という問題は、真か偽かという前に無意義なのではないのかと思う。
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Grammatik. 1969. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.4. Suhrkamp. ed. Rush Rhees, TeilⅡ, 19.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Grammatik. 1969. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.4. Suhrkamp. ed. Rush Rhees, TeilⅡ, 19.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 60.
- ↑Heidegger, Martin. Sein und Zeit. 1927. Max Niemeyer Verlag. p. 149.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Blue and Brown Books. 1964. Basil Blackwell Publishers. p. 168-169.
- ↑奥雅博. 『思索のアルバム ― 後期ヴィトゲンシュタインをめぐって』 1992. 勁草書房, p. 68-69.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp, TeilⅡ. p. 195.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 38.
- ↑Moore, George Edward. Selected Writings. 1993. Routledge & Kegan Paul. p. 207–212.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Über Gewißheit. 1969. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.8. Suhrkamp. 467.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 5.634.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Bemerkungen. 1964. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 2. Suhrkamp ed. Rush Rhees. 163.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 5.6.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tagebücher 1914-1916Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. 1984. Suhrkamp. 1915. 5.23.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 5.632.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 5.63.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 3.328.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 5.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Blue and Brown Books. 1964. Basil Blackwell Publishers. p. 17.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 7.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 7.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 23.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 88.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 496.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 4.002.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 23.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 25.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Grammatik. 1969. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.4. Suhrkamp. ed. Rush Rhees. TeilⅠ,82.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Grammatik. 1969. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.4. Suhrkamp. ed. Rush Rhees, TeilⅠ,23.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 150.
- ↑Heidegger, Martin. Sein und Zeit. 1927. Tubingen Max Niemeyer Verlag, 1972. p. 143
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 5.621.
- ↑Heidegger, Martin. Sein und Zeit. 1927. Max Niemeyer Verlag. p. 166.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 199.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 269.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 268.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 270.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 78.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 201.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Bemerkungen. 1964. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 2. Suhrkamp ed. Rush Rhees. 153.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Bemerkungen. 1964. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 2. Suhrkamp ed. Rush Rhees. 151.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 219.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 224.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 225.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Bemerkungen. 1964. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 2. Suhrkamp ed. Rush Rhees. 233.
- ↑Apel, Karl-Otto. Transformation der Philosophie 2. Das Apriori der Kommunikationsgemeinschaft. 1978. Suhrkamp taschenbuch wissenschaft. p. 348.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Bemerkungen. 1964. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 2. Suhrkamp ed. Rush Rhees. 157.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Tractatus Logico-Philosophicus. 1921. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 1. Suhrkamp. 3.342.
- ↑Dummett, Michael. Truth and Other Enigmas. 1981. Harverd University Press. p. 170.
- ↑Quine, Williard V. Word and Object. 1960. M.I.T. Press. p. 77.
- ↑Quine, Williard V. From a Logical Point of View: Nine Logico-Philosophical Essays. 1953. Harverd University Press. p. 29.
- ↑Quine, Williard V. Ontological Relativity and Other Essays. 1969. Columbia University Press. p. 39.
- ↑Quine, Williard V. Word and Object. 1960. M.I.T. Press. p. 52f.
- ↑Quine, Williard V. Ontological Relativity and Other Essays. 1969. Columbia University Press. p. 45.
- ↑Putnam, Hilary. “The analytic and the synthetic” 1962. Philosophical Papers: Volume 2, Mind, Language and Reality. Cambridge University Press, 1979. p. 33-69. 「多基準語」というのは law-cluster word の意訳である。これについては、丹治信春「クワインにおける理論と言語」『現代思想』(特集=クワイン/1988年7月号)69頁以下参照。
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 354.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 79.
- ↑クワインは、「私はこれまで、類似性や種類などの観念が我々の思考にとってどれほど根本的であるかを、そして論理学や集合論にとってどれほど異質であるかを強調してきた」(Ontological Relativity, p. 121)と、数学や論理学だけを聖域視するけれども、論理学における主語/述語あるいは変項/関数の包摂関係や、集合論における要素の集合への帰属関係は、家族的類似性に基づいてはいないであろうか。
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Blue and Brown Books. 1964. Basil Blackwell Publishers. p. 17.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp. 66.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp, 67.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Untersuchungen. 1951. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.1. Suhrkamp, 67.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Über Gewißheit. 1969. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.8. Suhrkamp. 98.
- ↑Quine, Williard V. Ontological Relativity and Other Essays. 1969. Columbia University Press. p. 83.
- ↑Quine, Williard V. From a Logical Point of View: Nine Logico-Philosophical Essays. 1953. Harverd University Press. p. 19.
- ↑量子力学に関しては、その後多世界解釈が登場し、矛盾律は救済されるようになった。多世界解釈は、きわめて奇妙な仮説であるが、矛盾律を守るためなら何でもありの精神で行くなら、こうした仮説を持ち出すしかない。
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Grammatik. 1969. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd.4. Suhrkamp. ed. Rush Rhees, TeilⅡ,14.
- ↑Wittgenstein, Ludwig. Philosophische Bemerkungen. 1964. Ludwig Wittgenstein Schriften. Bd. 2. Suhrkamp ed. Rush Rhees. 227.
- ↑クワインの哲学から"人-間" のあり方を論じたものとして、大庭健「科学的客観性と経験的人間的SLACK- ポスト近代への草の根的な確認の試み」『現代思想』(特集=クワイン/1988年7月号)94-110頁、および大庭健『はじめての分析哲学』(産業図書 1990)。
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「ウィトゲンシュタインが次のように言う時、 あたかもクワイン並みのホーリズムに達しているかのようである」という箇所は、以前は「ヘーゲル並のホーリズム」となっていた気がするのですが、(もしそうでしたら)変更の意図は何でしょうか?
また、クワインのホーリズムということでデュエム=クワインテーゼのような確証のホーリズムが念頭に置かれているのだとすれば、「対象が与えられている時、それとともにまた全ての対象がすでに我々に与えられている。要素命題が与えられている時、それとともにまた全ての要素命題が与えられている」という見解のどの辺が似ているのかがよく分かりません。
ヘーゲルだろうが、クワインだろうが、ホーリズムはホーリズムですが、ヘーゲルよりもクワインの方が思想史的にウィトゲンシュタインに近いので、読者には違和感がないかなと思って、変えました。
クワインのホーリズムは、以下のよく引用される文章で表明されています。
言明(statement)は命題に相当すると考えてよいでしょう。経験的な命題から数学的論理的命題に至るまで、あらゆる命題は論理的に相互に連関しており、特定の命題の真理値を特定の経験と一対一に対応させて検証させることはできないのだから、あらゆる命題の真理は一つの真理として同時に私たちに与えられているということができます。まさにヘーゲルが言うように「真理は全体である」[Hegel. Phänomenologie des Geistes. §.21]ということです。