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フーコーの権力論

1997年9月5日

フーコーによれば、真理と権力は、根源的に同一である。この権力論の新たなパラダイムは、権力を反選好的抑圧とみなす従来の権力概念を一新するものであった。もしも、マルクス主義者たちのように、国家権力を、支配者階級の利益を擁護する/被支配者階級にとってはあらずもがなの抑圧と考えるならば、既存のブルジョワ国家の打倒がそのまま権力なきユートピアの誕生になるはずであるが、実際に成立した共産主義諸“国家”の現状を見れば、現代においても権力がいかに人間社会にとって根源的で本質的で必要不可欠であるかが理解されるはずである。マルクス主義者もフーコーから学ぶべきものを学ばなければならない所以である。[1]

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1. 三つの排除と真理への意志

フーコーは、エリート・コースを歩んだ知識人であったが、同性愛者という当時の社会では認められない存在でもあった。このため、フーコーは、社会からの排除というテーマに関心を持ち、コレージュ・ド・フランス教授就任の開講講演では、

  1. 理性と狂気の分割
  2. セックスと政治のタブーに対する言説の禁止
  3. 真理と誤謬の対立

という三つの排除を語っている[2]。この三つの排除のうち、一般には最も語られることが少ないが、しかしフーコーが一番注目しようとしているのが三番目である。一番目の「理性と狂気の分割」と二番目の「セックスと政治のタブーに対する言説の禁止」は、最終的には真理への意志へと止揚される。それゆえ三つの排除は、結局のところ、一つの排除の三つの射映ということになるのだが、ここでは差し当り項を三つに分けて、三つの分野における権力=真理への意志の弁証法的構造を闡明したい。

2. 狂気と理性の権力関係

往々にしてひとは、支配権力は科学的客観的真理を歪め、イデオロギーを生み出すと考えがちである。しかしベーコン的なテーゼ《知は力なり scientia est potentia》よりももっと深い意味で、つまり、ともに与件を総合・総覧し、意のままに操り、《他の様でありうる》不確定性を排除する点で、真理と権力は根源的に同一である。

権力は知を生み出す(それもたんに、知は権力に奉仕するから知を優遇するのでとか、知は有用であるからこれを適用するのでというだけの理由ではなく)。権力と知は、相互に相手を直接に含み合う。知の領域と相関的な構成を持たない権力関係は存在しないし、権力関係を同時に想定も構成もしないような知も存在しない。[3]

フーコーの権力論を理解するには、真理(知)としての「権力 Macht」を「暴力 Gewalt」から区別しなければならない。フーコーの議論を紹介する前に、あらかじめシステム論的分析を行っておこう。我々は通常「暴力」でもって、我々に物理的損害を与える力を連想する。しかし崖からの落石が、我々の身体にいかに大きな物理的損害を与えたとしても、我々は普通「崖は我々に暴力を振るった」とは言わない。暴力を振るうことができる(können 振るうかもしれない ― もし常に振るうならばそれは《狂人》である)のは自由な存在者だけである。自由な存在者が自分の自由(意志)を貫くために、普遍化可能ではない手段を用いるとき、その手段的行為は暴力と呼ばれる。

ここで言う自由な存在者とは、認識と行為に関して複数の可能性のうちから選択する機能存在のことである。必然性の洞察が自由であると言ってもいいが、「必然性の洞察」とは偶然性の否定、即ち選択である。必然性とは普遍へと包摂された個体の規定性であって、その規定性において個体は他のようにも包摂されうる可能性を選択的に排除する。自由が必然性と偶然性という矛盾した契機を内に含むように、暴力は普遍性と非普遍性という矛盾した契機を内に含む。つまり暴力を振るうものは普遍化しうるのだが普遍化していないのである。普遍化可能な力の行使は武力とでも呼んで暴力から区別すべきである。

支配とは個体の普遍への包摂であるから、今の我々の定義から、暴力は支配の方法として適しておらず、したがって支配する力としての権力から概念的に区別される必要があることが分かる。シェーラーがすでに洞察していたように、「何らかの点で最も多く《権力》を持っている人とは、他の存在者に対して自分の意志を押し通すのに、最も少ない暴力しか必要としない人である[4]」。しかしちょうど自由が、偶然性の否定であるにもかかわらず、否むしろそれゆえにその否定としての必然性がメタレヴェルで偶然性を帯びるように、暴力の否定である権力による支配はメタレヴェルで暴力性を帯びる。そして暴力としての権力から知としての権力への変遷が人類の権力の歴史なのである。

フーコーが、自分の思想史研究の重要な主題とするのも、この 17・18 世紀の絶対主義時代(フーコーの用語で言えば古典主義時代)における抑圧的排除システムから19世紀以降の現代における訓育的支配システムへの構造転換である。彼の初期の著作である『古典主義時代における狂気の歴史』は、理性による非理性(狂気)の抑圧を扱っている。

中世初期から多くの癩施療院が、ヨーロッパ中に、例えばパリ郊外(中心に対する周縁)に造られた。重要な点は、この施療院なるものは、医学的治療のためではなく、道徳的排除のために設けられたということであり、中世末期に癩病が廃れると、性病患者が、しかしその後すぐに狂人が「後継者」として施療院に閉じ込められる。この封じ込めは、狂気を理性から排除し・隠蔽することによって、かえって理性に狂気の存在をあらわにする。理性の存立=権力秩序にとって、狂気なるスケープゴートはむしろ必要なのである。

狂気を所有することなしには自分自身ではない理性は、自分自身との無媒介な同一性によっては自分を定義することができなくなり、この包摂[狂気の所有]において自己自身を疎外する。[…]非理性は理性の根拠[la raison de la raison]となる。[5]

フランス語では、aliénation は「疎外」であると同時に「狂気・錯乱」である[6]。理性は、《疎外された理性=狂気》という「環境 milieu」を対自的に「媒介 milieu」とすることによってのみ存立する。人間の自然(人間本性)は自然の対自化であり、反自然であるのに対して、動物は《無媒介に》自然と一体となっている。したがって動物性は、即自的には《疎外態=狂気》ではない。

動物が狂うことはありえないし、少なくとも、狂気をもたらすのは動物の中の動物性ではない。それゆえ、すべての人間の中で原始人が最も狂気に陥りにくいということに驚いてはならない。[7]

狂人は、田舎よりも都会に、“野蛮”国よりも“文明”国に多く見られる。もっとも文明人から見れば、野蛮人や原始人の社会全体が狂っているように見えるかもしれないが。

理性とは規定の普遍化可能性であり、規定の必然性である。必然性とは、偶然性即ち《他のようでありうること》の否定であり、したがって理性は理性の他者(狂気)の排除を己の本質とする。理性は理性と狂気を区別するが、この区別(規定・選択・排除)することが理性そのものなのである。これに対して狂気は、狂気を理性から区別しない。この規定の非対称性が狂気に対する理性の価値的優位の全てであって、理性そのものに絶-対的価値が内在しているわけではない。実際次のような信じられない報告に接するとき、理性と狂気のどちらが健全であるのかを疑いたくなるであろう。

革命暦第三年の雪月、気温が氷点下 10 度、11 度、さらには 16 度まで下がった数日間、ビセートル収容施設のある一人の狂人は、毛布を掛けたままではいられなくなって、自分の独房の凍てついた床の上にずっと座り続けていた。朝になって独房の扉が開けられると、早速中庭をシャツ一枚で走り回り、雪や氷を手ですくって胸のあたりに押しあて、嬉しそうに解かしていた。[8]

「理性の乱れによって狂人は、動物性への復帰を通して、自然の無媒介な善意を取り戻す[9]」のである。

しかし理性と狂気の弁証法は、理性が狂気(動物性)へと復帰するのではなく、理性がいったんは外部へと排除した狂人を狂気から自己の内部へと再び馴服させる路を歩む。18世紀における、狂人を保護し・医学的に治療する精神病院(asile)の誕生、それは、古典主義時代でのように残酷な刑罰で犯罪者の身体をいじめるためではなく、服役者を矯正するための監獄(prison)の誕生に類比されるものである。そして、正常人から狂人や犯罪者を排除するのではなく、狂人から狂気を、犯罪者から非行・違法性を排除することへのこの変貌は、同時に狂気と非行・違法性に対する知の支配の徹底化である。《上》が《下》を抑圧する社会では、《上》はかえって《下》から疎外されており、《上》にとって《下》は不可視性の暗闇のもとに留まる。これに対して、《すべて》が《すべて》を相互に支配し合う社会では、《すべて》にとって《すべて》が可視性の明るみのもとにさらされる。この抑圧と被抑圧の即かつ対自的な統一において、権力=知の支配は最大に達するのである。

3. 性と言説の権力関係

次にタブーとしての排除を考察しよう。ここでは分割において狂人や犯罪者といった人間が排除されているわけではない。しかしタブーは、ディスクールから何かを排除している。タブーは政治や宗教の世界にも見られるが、ここではセクシュアリテを取り挙げることにしよう。

我々は大っぴらにセックスすることはできないのみならず、大っぴらにセックスについて語ることもできない。この自由な性行為の禁止と言説の統制を、ひとは《抑圧》だと考える。ヴィクトリア朝時代(1837-1901年)は性的抑圧の時代の象徴のようなものだが、この時代は同時にイギリスにおける資本主義確立の時期でもあった。「抑圧の時代は資本主義の発展と一致させることができ、ブルジョワの秩序と一体に成っているというわけだ[10]」。

ウェーバーの周知の研究を援用するまでもなく、資本の蓄積は禁欲的プロテスタンティズムの帰結であった。権力は、宗教というイデオロギーを通して性を抑圧していた。しかしそれによって性慾の炎が下火になったわけではなかった。ちょうど理性が狂気を排除し、これを隠蔽することによって、かえって理性にとっての狂気の存在をあらわにしたように、(某経済人類学者の表現を使うならば)ヒトはパンツをはいて性器を隠蔽することによって、かえって性器の猥褻さをあらわにし、性についての言説という「権力=知=快楽 pouvoir-savoir-plaisir の体制[11]」を煽動する。一般化して言えば、優れて近代的な禁欲的プロテスタンティズムの精神は、市民社会の欲望を抑圧することによってそれを無限な欲望へと駆り立てたのである。

ここで、「知識欲[libido sciendi]が、それが造り上げてあらわにした禁止によってかえって著しく強化され、その禁止を高圧的なものにすることによってこれを逆用する[12]」エピソードを挿入しよう。ラエンネックによる19世紀の初めにおける聴診器の発明がそれである。技術的に、間接聴診のほうが直接聴診よりも精確に心臓の鼓動を聞くことができる。しかるにラエンネックが持ち出した理由は、男の医者が若い女性の胸に直接耳を押し付けて、心臓の鼓動を聞くなどということは、当時の性的禁欲の厳しい時代の上品な風習に反するということだった。

「見ることができないものが、見るべきでないものの距離において[医学的眼差しのもとに]姿を表す[13]」。ハイデガーの表現を借りるなら、「遠ざける entfernen」ことは「遠さを避ける ent-fernen=nähern」ことである[14]。患者の身体を知り尽くそうとする医学的眼差しのむさぼるような知への意志は、「恥知らずにも羞恥心を利用して[15]」、聴診器を発明し、一定の《距離》において《離ヲ距テタ=離れることを拒んだ》のである。このように性的禁欲のイデオロギーを利用することは、訓育的な精神病院や監獄、さらには「民主主義的」管理社会が産み出される際に、実は支配する上で技術的にそちらの方が好都合であるにもかかわらず、「残酷な刑罰や差別的隔離は人間性に反している」というヒューマニズムのイデオロギーを利用するのによく似ている。

性欲に関して患者の深層心理まで見通そうとする知への意志が精神分析学を成立させた。フーコーによれば、西洋文明はセックスの真理を産み出す社会的手続きとして《性愛の術 ars erotica》ではなくて《性の科学 scientia sexualis》を所有する唯一の文明である。その手続きは東洋的に秘儀的ではなく、《権力=知》の形で整えられてきた。精神分析の先駆とも言うべき中世以来の「告白 aveu」がそれである[16]。フーコーが取り上げるのは、あのヴィクトリア朝時代に、ほとんどセックスにのみ捧げられた自分の生涯の性生活を詳細に告白している『わが秘められた生涯』(全11巻)の匿名の著者である。「この正体不明のイギリス人にとって問題であったのは、快感について語る詳細によって、彼が感じる快感を増大させることだったのである[17]」。《性の抑圧》は、婉曲に性について語ることあるいは知ることそのものの快楽を増大させるのである。

《権力=知=快楽》という等式の右半分は以上で理解されえるであろう。では、左半分はどうか。性についての言説という《知=快楽》は、いかにして権力として機能するのか。ここで人は、《性》の問題を《生》の問題として捉え返さなければならない。性的抑圧が始まった「18世紀における権力の技術にとって大きな新しい局面の一つは、経済的政治的問題としての《人口》の出現であった。それは富としての人口であり、労働力あるいは労働能力としての人口であり、人口それ自体の増大と人口が持っている資源との間の均衡関係における人口であった[18]」。性と生の歴史を、ここでも中世(前近代)・近代・現代の三区分を用いて説明しよう。

  1. 中世が暗黒の時代であるというのは近代人が一方的に貼り付けたレッテルであって、建前としてのキリスト教道徳自体は厳しかったものの、中世の聖俗の権力支配は徹底しておらず、民衆の性生活はおおらかなものであった。中世の刑罰には残酷なものが多かったが、犯罪の防止に対する権力支配は近現代ほどには徹底していなかったのと同様である。
  2. 近代になってピューリタニズムが浸透するに及んで、婚外交渉はもちろん婚前交渉まで禁止され、セックスの回数自体は中世の時代よりも減ってしまった。では近代では中世の時代よりも人口増加が少なかったかといえばそうではない。むしろ逆である。中世においては、たとえセックスの回数が多く、したがって産まれる子供の数が多いとしても、(現代における発展途上国でのように)成人に達する率は低い。他方近代の禁欲的な性道徳は、セックスを夫婦間に閉じ込めることによって、子育てを制度的に責任あるものにし、結果として(子供だけでなく資本をも)産めよ殖せよの近代国民国家のポリシーに合致したのである。
  3. 最後に現代の日米欧などの脱工業社会(postindustrial society =postindustrious society 脱勤勉社会)では、性に対する統制は緩まり、婚前交渉に関してはフリーセックス化が進み、性についての夥しい言説が満ちあふれる。婚姻率も出生率も減少する。しかし中世あるいは中世的発展途上国でのように、人口増加は、もはや生産力の有限性ゆえの自然淘汰や(間引きのような)人工淘汰によって抑制されるのではなく、避妊・中絶の技術によって、非暴力的合法的に制御されるのである。

フーコーは、いささか強引に《血》のメタファーを用いて、性と生に加えてさらに死についても論じる。個体の生産・維持・消滅に働く権力メカニズムについての分析である。国家権力が被支配民の生を奪う二つのケースとして、刑死と戦死を挙げることができるが、中世から近代にかけて、「死刑場で死ぬものは、戦争で死ぬものとは正反対にますます少なくなっている。[…]殺すかあるいは生きたままにするという古い権利に代わって、生きさせるかあるいは死の中へと投げ捨てるかという権力が現れた[19]」。この近代的権力とは、臣民の「諸力を妨害し・抑圧し・破壊することに汲々とするよりは、むしろそれらを生産し・増大させ・秩序付けることを目指す権力[20]」である。

《下》と対立し、これを抑圧する位置にある《上》は、他の《上》と戦争をするとき、《下》から傭兵を募ることになるのだが、傭兵と傭兵は、近代的な総力戦に見られるような真面目な殺し合いはしない。大軍と大軍が長時間にわたって激烈な戦闘を繰り広げたあげくに死傷者数名という八百長戦が多かった。《上》と《下》が相対化され、国民全体が国民全体を支配する近代国民国家では、「戦争は、もはや守られるべき君主の名においてなされるのではなく、国民全体の生存の名においてなされる[21]」。結果としては、19世紀以降の欧州諸国家は、かつて類を見ないほどの国民の大量殺戮をすることになるのだが、これは権力による生への上からの抑圧のではなくて、生の権力的増殖の、つまり民族の生命圏拡大の帰趨なのである。

ここから先はもうフーコー本人の議論ではなくなるのだが、フーコーの議論を用いて、現代のグローバリズムを位置付けてみたい。近代から現代にかけて、戦争は、個と個の対立から特殊と特殊の矛盾を経て普遍への個の包摂へと向かいつつあるのではないかと思う。すなわち、第一次世界大戦までのナショナリズム/帝国主義の時代の戦争は、各国民国家の自国民の利益という個別性に基づいていたが、第二次世界大戦や戦後の冷戦は、ナショナリズムの色彩を残しつつも、基本的にはファシズムと民主主義、あるいは資本主義と社会主義といったイデオロギー間の闘争であり、疑似普遍性(特殊性)に基づいている。最後に冷戦後の今日においては、湾岸戦争が典型的にそうであるように、戦争はもはや東と西という対等な左右の戦いではなく、北と南の上下の争いである。もし《北=上》が、戦争という「暴力 Gewalt」を用いて《南=下》を抑圧するだけならば、《北=上》の支配「権力 Macht」は弱いことになる。《北》の先進諸国が、《南》の発展途上国を「排除」するのではなくて「訓育」してその差を相対化し、各国民国家という個別性を普遍性に包摂するとき、人類の権力構造は極相(climax)を迎える。現代のボーダレスなグローバル市場経済が、それを行っている。

4. 物と表象の権力関係

最後に知の直接の制度である学問について考察したい。『言葉と物』でフーコーは、

  1. 一般文法学、
  2. 博物学、
  3. 富の分析学

という古典主義時代において成立した三つの人文科学を取り挙げる。これらの学の成立に共通して言えることは、世界内部に即自的に存在する《物》から、世界を越えつつ世界を代表する表象、略して《代表象 représentation》へと知が自らを対自化するということである。

古典主義時代とは、 ギリシャ・ローマの古典古代の文化に特徴的な均整と調和を重んじた17・18世紀のことである。フーコーは、『言葉と物』の冒頭で、古典主義時代の名作『ラス・メニーナス』を取り上げ、その意義を論じている。

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ディエゴ・ベラスケスの作品『ラス・メニーナス』[22]

『ラス・メニーナス』は、スペインの宮廷画家であったベラスケスが1656年に作成した作品である。作品名を日本語に訳すと「女官たち」という意味だが、この絵の中心に位置するのは、女官たちに囲まれたフェリペ4世の娘、マルガリータ王女である。王女の左上に鏡があり、そこには国王夫妻がぼんやり映っている。つまり、作品中の人々の視線の先には、この絵画を鑑賞する国王夫妻がいるということである。

フェリペ4世は、絶対王政における君主である。王はスペイン帝国の一部ではあるが、スペイン帝国を超越した存在である。その関係が、この絵画に描かれている。すなわち、国王は、『ラス・メニーナス』の外部に位置しながら、その内部に作品の中心として姿を現しているということだ。

この絵画には、それを描いているはずのベラスケスが描かれている。左端の大きなカンバスの前で筆を持っている男がそうである。これも、世界と世界を表象する主体との関係を示している。すなわち、認識主体は、世界の一部であるにもかかわらず、その世界は主体の認識の内部に取り込まれるという相互包摂の関係である。デカルト以降の近代の意識哲学は、主体を超越的な存在にしたが、現代哲学は、その超越性を否定することで、主体は再び世界へと戻る。フーコーが『ラス・メニーナス』の分析を通して言おうとしたことはそういうことなのだろう。

17・18世紀の絶対主義時代から19世紀の市民社会の時代を経て20世紀に至るにつれ、物から超越した知はその分裂を克服し、即かつ対自的な統一を得る。一般文法学、博物学、富の分析学という三つの人文科学は、それぞれ、A. 文献学/言語学、B. 生物学、C. 経済学となり、記号論、精神分析学、文化(経済)人類学というソシュール、ラカン、レヴィ=ストロースによって打ち立てられた構造主義の各分野に結び付く。以下、各分野に関するフーコーの主張をまとめよう。

  1. まず言語記号について言えば、「古典主義時代の始まりとともに、シーニュは世界の一つの形象であることを止め、シーニュが[自分との]類似もしくは類縁関係という強固で秘密の絆で特徴付ける物[指示対象]の束縛から解放される[23]」。こうして言語記号の体系は、物の秩序から独立した恣意的な規約の体系となり、上空飛行的な主知主義は、『ポール=ロワイヤル文法』に代表される、論理学と区別できないような一般理性文法を生み出す。ところがソシュールのような現代の言語学者は、シニフィアンとシニフィエをシーニュの不可分な両面とし、そしてもはやシーニュの外部に独立した指示対象を求めない。しかしこの指示対象の消滅、あるいは同じことだが、代表象の消滅は、たんなる前近代への復帰を意味するのではない。
  2. 次に「博物学 histoire naturelle」即ち「自然の記述 histoire de la nature」であるが、フーコーが問題とするのは古典主義時代における生物の記述と分類である。例えばリンネは、生殖器を植物の分類基準に選び、それの数・形・位置・比率という四つの可変要素に基づいて、5776の属を分類/記述した。かくして生物は、その生物の可視的な一部分であり、分類基準となる「特徴 caractère」によって代表象される。フーコーが注意を喚起するのは「博物学者とは、構造化された可視的なものを取り挙げ、特徴となる名称を与える人であって、生命を扱う人ではない[24]」ということである。「実際18世紀の末まで、生命なるものは実在しなかった。実在したのはただ諸々の生物だけなのだ[25]」。やがて博物学は生物学となり、生の哲学が登場するに及んで、生物は可視的な一部分によってではなく、どの部分にも還元不可能な、生命という不可視の全体性によって認識されるようになる。
  3. 以上のような弁証法的な運動は経済学にも見られる。中世の崩壊とともに現物経済は貨幣経済へと移行し、重商主義を同時代的背景に富の分析が行われる。重商主義によれば、貨幣は富の一部でありながら、富を代表象する。「言葉が、それが語るものと同一の実在性を持ち、生物の徴標が可視的で積極的な徴標として生物の身体に刻み込まれていたのと全く同じ様に、富を示しその尺度となるシーニュ[貨幣]は、それ自体富の実在的徴標を備えていなければならかった[26]」。金や銀などの商品貨幣がそうであったように、「貨幣は、他の商品と同じ一つの商品として現れた。 … つまり貨幣自身もまた価格を持つのである[27]」。やがて貨幣は、現代の管理通貨制度のもとでは、ただの紙切れとなるが、このように脱商品化することによって、貨幣は商品全体としての資本へと転化する。そして「富の分析学」は、経済活動全体を分析する「経済学」となる。

最後に知についての知である哲学について述べよう。近代に入って、心/身、思惟/延長が区別され、知は、世界の総体を神に譲りつつも、世界を代表象する世界の特権的な一部となった。現代哲学はこの二元論を克服しようとしているのだが、構造主義の(ないしはフーコーの)結論は、人間の終焉であり、主体の解体であった。かつてカントは、経験の制約を総合する機能である超越論的主観性に求めたが、フーコーは、《知=言語》の分析に際して一つの座標軸を特権化することなく、《知=言語》の脱中心化を行う。「発話行為の多様な様相は、所謂総合や、一つの主体の所謂統一機能へと送り込まれるのではなく、主体の分散をあらわにする[28]」。同時に権力主体も解体される。君主権力が特権化された絶対主義王政とは違って、現代民主主義政治は、「そこにおいて、総体的ではあるが、決して全体的に安定しない支配効果が生み出される、力の諸関係の多様で流動的な場[29]」となる。

フーコーの弁証法は、《知=権力》を、ヘーゲルの弁証法がそうするように、大文字の主体(絶対精神)のもとへと止揚するのではなく、むしろ複数の小文字の主体(sujet 臣民/国民)の多様性を多様性として肯定することにおいて即かつ対自的な自己完結性を得るのである。

5. 参照情報

関連著作
注釈一覧
  1. 本稿の初出は、永井俊哉 “フーコーにおける権力の弁証法"『思想と現代』(通巻37号 133-142頁 白石書店唯物論研究協会編集 1994年9月30日)である。その後、『社会システム論の構図』の第三章第三節に収録したが、それをブログ原稿として独立させたのがこのページである。
  2. Foucault, Michel. L’ordre du discours ― la leçon inaugurale au Collège de France en 1970. 1971. Gallimard. p. 11-21.
  3. Foucault, Michel. Surveiller et Punir – Naissance de la Prison. 1975. Gallimard. p. 32. このようにフーコーは、「権力と真理 pouvoir et vérité」よりも、好んで「権力と知 pouvoir et savoir」を語る。後者のほうが、韻を踏んでいるという理由もあろうが、フランス語の savoir は pouvoir と同様に、後に不定法の動詞を従えて「~できる」という意味を持ち、フランス人にとっては両者の同一性が直感的に分かり易いということの理由として考えられる。なお興味深いことに、中国語の知(zhì)も「知る」以外に「司る」の意味を持つ。日本語の「知る」もかつては「土地を治める」という意味を持っていた。日中で「県知事」という表現が使われるのはこのためである。
  4. Scheler, Max. Der Formalismus in der Ethik und die materiale Wertethik. 1916. Max Scheler Gesammelte Werke, Bd. 2. Francke Verlag. ed. Maria Scheler. p. 241.
  5. Foucault, Michel. Histoire de la folie à l’âge classique ― Folie et déraison. 1972. Gallimard. p. 365.
  6. Foucault, Michel. Histoire de la folie à l’âge classique ― Folie et déraison. 1972. Gallimard. p. 392.
  7. Foucault, Michel. Histoire de la folie à l’âge classique ― Folie et déraison. 1972. Gallimard. p. 393.
  8. Pinel, Philippe. Traité médico-philosophique sur l’aleniation mentale; ou la manie. 1801. Slatkine, tome 1. p. 60-61.
  9. Foucault, Michel. Histoire de la folie à l’âge classique ― Folie et déraison. 1972. Gallimard. p. 167.
  10. Foucault, Michel. La volanté de savoir, Histoire de la sexualité Tome 1. 1976. Gallimard. p. 12.
  11. Foucault, Michel. La volanté de savoir, Histoire de la sexualité Tome 1. 1976. Gallimard. p. 19.
  12. Foucault, Michel. Naissance de la clinique ― une archéologie du regard médical. 1963. Quadrige. p. 167.
  13. Foucault, Michel. Naissance de la clinique ― une archéologie du regard médical. 1963. Quadrige. p. 168.
  14. Heidegger, Martin. Sein und Zeit. 1927. Max Niemeyer Verlag. p. 105.
  15. Foucault, Michel. Naissance de la clinique ― une archéologie du regard médical. 1963. Quadrige. p. 170.
  16. Foucault, Michel. La volanté de savoir, Histoire de la sexualité Tome 1. 1976. Gallimard. p. 78.
  17. Foucault, Michel. La volanté de savoir, Histoire de la sexualité Tome 1. 1976. Gallimard. p. 32.
  18. Foucault, Michel. La volanté de savoir, Histoire de la sexualité Tome 1. 1976. Gallimard. p. 35-36.
  19. Foucault, Michel. La volanté de savoir, Histoire de la sexualité Tome 1. 1976. Gallimard. p. 181.
  20. Foucault, Michel. La volanté de savoir, Histoire de la sexualité Tome 1. 1976. Gallimard. p. 179.
  21. Foucault, Michel. La volanté de savoir, Histoire de la sexualité Tome 1. 1976. Gallimard. p. 180.
  22. Diego Velázquez. “Las Meninas.” 1656.
  23. Foucault, Michel. Les mots et les choses ― une archéologie des sciences humaines. 1966. Gallimard. p. 72.
  24. Foucault, Michel. Les mots et les choses ― une archéologie des sciences humaines. 1966. Gallimard. p. 174.
  25. Foucault, Michel. Les mots et les choses ― une archéologie des sciences humaines. 1966. Gallimard. p. 173.
  26. Foucault, Michel. Les mots et les choses ― une archéologie des sciences humaines. 1966. Gallimard. p. 180.
  27. Foucault, Michel. Les mots et les choses ― une archéologie des sciences humaines. 1966. Gallimard. p. 182.
  28. Foucault, Michel. L’archéologie du savoir. 1969. Gallimard. p. 74.
  29. Foucault, Michel. Histoire de la folie à l’âge classique ― Folie et déraison. 1972. Gallimard. p. 135.