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不安と恐れはどう違うのか

2000年10月28日

不安と恐れは、危険に対する似たような感情であるが、恐れるということと不安を感じるということは同じではない。私たちが危険に対して不安を感じるのは、危険の対象についての情報が不足している時であって、十分な情報があるときには、危険に対して用心し、警戒するだけで不安を感じることはない。

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エドヴァルド・ムンクが1893年に制作した『叫び』(部分)。実存的な不安を表していると解釈されている。[1]

1. エイズはなぜ不安を惹き起こしたのか

エイズを例にとって説明しよう。1984年9月1日に最初の患者が確認されて以来、日本でもエイズ患者の数が増加し、現在の全国の感染者数は3~5万人程度と推定されている。だから80年代よりも現在の方が、平均的な日本人がエイズに感染する確率は、ずっと高い。現在の私たちの方が、80年代後半の人々よりもエイズで命を落とす危険が大きいにもかかわらず、私たちは、今ではもうエイズの原因や感染ルートについてよく知っているので、もはやかつてのようにパニックに陥ることはなくなった。

80年代後半、日本人がいかにエイズを不安に思っていたかを象徴する出来事があった。1987年1月17日、厚生省エイズサーベイランス委員会は、日本初の女性エイズ患者の発生を発表した。委員会は、その女性は神戸市内の29才の独身女性で、彼女が7年前に男性同性愛者の疑いのある外国人船員と同棲し、その後に多数の日本人男性を相手に売春したと報告し、かつセンセーショナルな推測情報を断定的に伝えた。心当たりのある男性がたくさんいたためか、エイズパニックが発生し、風俗店は休業状態になった。

推測情報は後に誤報と判明したが、たかが一人の女性患者の発見で、どうしてこうしたパニックが起きるのか。確かにエイズに感染することは、死につながる恐ろしいことだが、そうした危険の存在だけでは社会不安にならない。当時の日本人には、エイズについての知識が不足していたことが、エイズ不安蔓延の最大の原因であった。

2. 金融不安はなぜ生じたのか

90年代後半の日本を襲ったのは、金融不安だった。1996年1月に兵庫銀行が破綻した時、実際の不良債権額が破綻前に公表された額の25倍にもなることが明らかになった。このため大蔵省が公表する銀行の自己査定の信憑性が疑われ、世論は徹底した情報開示を求めた。

大蔵省は、不良債権の実態をまともにディスクローズすると、金融不安を招くことになると考えていたようだが、情報の隠蔽は全くの逆効果である。株式会社が市場に不安感を持たせまいとして粉飾決算する場合も同様だ。

確かに金融機関や株式会社の不健全な経営実態は、債権者や株主にとって恐ろしいことであるが、そうした危険の存在だけでは社会不安にならない。当時、危機の状態についての情報が不足していたことが、金融不安蔓延の最大の原因であった。

3. 中間状態としての不安

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ハイデガーによれば、現存在が有害な存在者に対して恐れを抱くのに対して、不安の対象は世界内存在そのもので、明確な対象はない。[2]

一般に人々に不安感を持たせないようにするには、情報を全く何も開示しないか、すべて完全に開示するかのどちらかでなければならない。

日本のように言論の自由があるところでは、前者の選択肢は難しい。情報を隠蔽しようとしても、どこからともなく不完全な情報がリークしてしまうのである。そして危機的状態についての不完全な情報が流布する時、大衆の不安は最高潮に達する。

私たちは、無知でもなければ、万能でもない。不安という意識の様態は、情報システムとしての私たちが中間的な不確定的存在であるということを示している。

4. 参照情報

  1. Edvard Munch, 1893, The Scream, oil, tempera and pastel on cardboard, 91 x 73 cm, National Gallery of Norway.
  2. Photograph of Martin Heidegger” by Willy Pragher. Licensed under CC-BY-SA.