6月 092007
 

株式日記と経済展望:日本の企業は、知的で独創的な人材を排除してきた」で、私が書いた「知識依拠型経済のグローバル化」にいろいろとコメントが寄せられているようなので、その批判と疑問に答えることにします。

日本は遅れているぞ、人の権威を利用してサローはこういった、マックスウエーバーがこういった、だからこうしようはききあきた。 「私はこう思うのでこうする」を聞かせてください。

これは、書評ですから、こういう形式になるのは仕方がないことだと思います。私がこの書評で言おうとしたことを、自分の言葉でまとめると、これからの知識依拠型経済の時代で、日本が先進国であり続けようとするならば、最先端の学術研究をもっと強化しなければならず、そのためには、それを可能にする制度上の変革が必要であるということです。

近年、日本とアメリカ以外に、革新的な新製品・サービスを出した国があるだろうか。 日本を過小評価し過ぎだと思う。

「日本社会では知的で独創的な人材を排除して来た。」というのは、ある意味デマではないだろうか。 そうでなければ、革新的な新製品・サービスは誕生していないだろう。それとも、日本社会は集団で独創的を生み出すのだろうか。 行わなければならないのは、今後も革新的な新製品・サービスを生み出す体制を維持すること。

私は、日本人に独創性がないと主張しているわけでもなければ、日本では、いかなる独創性も評価されていないと主張しているわけでもありません。日本企業が、革新的で独創的な新製品・サービスを生み出していることは事実ですが、その革新性と独創性は、革新的で独創的な科学理論に基づいているというよりも、職人的な創意工夫によるところが大であるように見受けられます。革新的で独創的な科学理論に基づく場合でも、その革新的で独創的な科学理論それ自体は、自分では作らないというのが普通です。日本の企業が、海外の企業とは異なって、修士を採用しても博士を採用しないのは、そのためでしょう。この意味において、日本経済は、工夫依拠型経済であって、知識依拠型経済ではないという言い方ができるかもしれません。

文部科学省の科学技術政策研究所の報告書(2007年4月4日, p.57)によると、1999-2004年に発行された引用回数で上位にある約1万件の重要論文の国別占有率は、高いほうから順に、米国(61%)、ドイツ(13%)、イギリス(12%)、日本(9%)、フランス(7%)、中国(3%)でした。日本は、米国に大きく水を開けられているだけでなく、ドイツやイギリスなど、経済規模では格下の国の後塵を拝しています。日本は、学術研究の分野では、世界第二位の経済大国にふさわしい役割をしているとは言えません。

基礎研究の分野でリーダーでないと、新しい産業のパラダイムを作ることができません。せいぜいパズル解きレベルの仕事しかできません。日本は、これまで、人類文明の進歩において、優秀なアシスタントとしての役割を果たしてきましたが、アジア諸国が台頭し、アシスタント役の競争が激しくなっている現状を考慮に入れると、今後とも先進国としての高い地位を維持するには、アシスタントの役割に甘んじることなく、積極的にリーダーの役割を目指すべきでしょう。

日本の大学は、研究の面でも教育の面でも国際競争力があるとは言えませんが、日本経済が工夫依拠型経済であったために、これが日本経済の国際競争力を弱めることにはなりませんでした。しかし、これからの知識依拠型経済の時代を生き抜くためには、大学の国際競争力を高める必要があります。そして、日本の大学の国際競争力を日本の製造業の国際競争力並みに高めるには、日本の製造業を鍛えたのと同じような市場原理を大学にも導入するべきでしょう。

「日本人は個性に乏しい」とか、「個人よりも組織優先の社会」などと言いますけど、これだけ変人がよく出る社会はあんまりありません。ホリえもんから黒川紀章まで、どの分野を当たっても個性豊かな変人がいる。個人を大事にするといわれる英国社会が、生み出した革新的な経営者といえば、せいぜいリチャード・ブランソンくらいでっせ。実は日本社会というのは、変人にとって住み良い環境なんじゃないかと思います。その証拠に、日本の歴史を遡れば、変人のいなかった時代はないといっても過言ではない。「空白の10年」と呼ばれた時期でさえ、あれだけ多くの変人が輩出したではありませんか。

日本には、潜在的に優れた才能を持った、個性豊かな人がたくさんいますが、問題は、それを評価し、活用していく仕組みが不十分だということです。日本は終身雇用の社会ですから、変人だからといってクビにはせずに、窓際に座らせて、給料を払います。その意味では、変人に寛容ではありますが、それは変人を積極的に評価するということとは異なります。そもそも変人は、評価されるならば、「変人」などとは呼ばれないはずであり、「変人がたくさんいる」という事実自体が、日本の労働市場の硬直性を雄弁に物語っています。変人は、本来ならば、自分を評価してくれる職場を求めて転職するべきなのでしょうが、日本ではそれが困難です。知的独創性を生み出すには、一生同じタコツボにこもっているよりも、積極的に異分野に挑戦したほうがよいのであって、その点でも、終身雇用制はやめたほうがよいというのが私の意見です。

付録

知識依拠型経済のグローバル化」のリンク先が消滅したので、参考までに、ここで議論の的となった元の書評を以下に掲載します。


MIT教授で、エコノミストのレスター・サローは、グローバリゼーションを生き延びるためには、知識依拠型経済への移行が必要であると言う。知識依拠型社会とは何か。日本はどうすればよいのか。世界的にどのような取り組みが必要なのかを考えよう。

1. 知識依拠型経済とは何か

レスター・サローは、2003年に“Fortune Favors the Bold”という本を出した。この本の邦訳タイトルは『知識資本主義』となっているが、このタイトルには、違和感がある。“Fortune Favors the Bold”は「運命の女神は勇者に味方する」という諺で、中国の諺では「虎穴に入らずんば虎児を得ず」に近い。日本語訳で原題を採用しなければならない理由はないが、『知識資本主義』というタイトルはまずい。レスター・サローは、“knowledge-based economy”という表現を使っても、“knowledge-based capitalism”という表現を使わない。彼は、資本主義に否定的なイメージを持っているからだ [Lester C. Thurow:The Future of Capitalism] 。

マックス・ウェーバーが指摘したように、資本主義の精神とは、合理的な手段を用いて堅実に資本を蓄積する禁欲主義であり、博打的な方法で一攫千金を狙う冒険主義の対極にある。だから、“Fortune Favors the Bold”というのは、資本主義的ではないのである。そこで、「知識資本主義」という言葉の代わりに、「知識依拠型経済」という言葉を使うことにしよう。

レスター・サローによると、現在の世界は、軽工業中心の第一次産業革命、重化学工業中心の第二次産業革命に続く、第三次産業革命の時代である。

In the third industrial revolution intellectual property rights are becoming more important as other sources of competitive advantage become less important.

第三次産業革命では、知的所有権がますます重要になる一方であるのに対して、他の競争力の源泉はより重要ではなくなる。

[Lester C. Thurow:Fortune Favors the Bold, p.170]

レスター・サローが謂う所の「知識依拠型経済」とは、特許やノウハウといった知識に関する要素が、労働力、天然資源、資金といった他の要素よりも重要な役割を果たす経済のことである。

同じ労働力といっても、かつてのように肉体的な力が求められるわけではない。以下のグラフは、この25年間における高卒の賃金を基準とした各学歴の賃金水準の推移を表しているが、修士号や博士号を取得した大学院卒(Advanced degree)の平均所得が急速に伸びていることがわかる。

The Big Payoff: Educational Attainment and Synthetic Estimates of Work-Life Earnings

2. 知を軽視する日本

もっとも同じ事は日本には当てはまらない。医学部の博士課程とその他の理系の修士課程を例外として、「大学院で上に行くほど人材の市場価値が下がる」と言われているのが、日本の人材市場の実態である。これは、日本の大学院が、教育機関として機能していないからであるが、同時に、日本人の反知性主義をも反映している。

これ以外にも、日本では、高学歴の方が低学歴よりも就職で苦労することがある。本当は短大を卒業しているのに高卒と偽り、中高卒者のみを対象とした仕事に就いていたことが発覚して解雇されるという「低学歴詐称事件」すら起きたりしている[AERA(2006年11月27日号)「高学歴」がだめな仕事 神戸市で14人が諭旨免職]。どうやら、日本の経営者は、高学歴の人ほど人格的に欠陥があり、使いづらいという偏見に基づき、能力と人格のバランスをとって採用しているようだ。

レスター・サローも次のように日本の反知性主義について言及している。

Japanese understood that historically there is no tight connection between scientific leadership and economic leadership.

日本人は、歴史的に、科学的リーダーシップと経済的リーダーシップの間になんら強い相関性がないことを理解していた。

[Lester C. Thurow:Fortune Favors the Bold, p.195]

確かに、例えば、第二次世界大戦以前では、科学のリーダーがドイツであったのに対して、経済のリーダーは米国であったというように、両者は同じではなかった。同様に、1980年代、科学のリーダーは米国であったが、経済のリーダーは日本ということが可能だった。しかし、これは、知的財産が低コストで利用可能であった時代だから可能であったのではないだろうか。

日本では、しばしば「芸は師匠から盗め」と言われたりする。「盗む」といっても罪悪感はない。日本人は、知が、水や平和と同様に、タダだと思っている。自分で苦労しなくても、飲み水は天から降ってくるし、平和は神風(米軍)によってもたらされるし、知は師匠(米国)から盗めばよい。たしかに、かつては、日本は米国から芸を盗むことができた。

In the aftermath of a 1957 antitrust decree that ordered the Bell Labs of AT&T to freely share their technologies, a Japanese office was set up in New Jersey to monitor and transfer the Bell Labs technologies back to Japan. Camera-equipped Japanese on factory tours of American plants were so common that they became a subject for jokes by late-night TV comedians.

AT&Tのベル研究所に技術の自由提携を命じた1957年の反トラスト法の発令直後、ベル研究所の技術を監視し、それを日本に移転するべく、ニュージャージーに日本事務所が設立された。カメラをぶら下げた日本人がアメリカの工場を見学して徘徊する姿があまりに頻繁に目撃されたため、彼らは、深夜番組で、お笑い芸人のネタになった。

[Lester C. Thurow:Fortune Favors the Bold, p.195]

ライバル企業に自由に工場内を見学させるなど、今では考えられないことだが、この当時は、米国も知的財産権を重視しておらず、この程度のことで、米国産業の優位が日本によって脅かされることはないと高をくくっていたのであろう。しかし、80年代になると状況は変わった。米国では、躍進する日本が米国の科学技術にタダ乗りしているというフリーライダー論が台頭し、日本叩きが始まった。

現在、企業は知的財産権を重視するようになっており、かつて日本がやった方法を現在の途上国がまねをするわけにはいかない。しかし、このことは、技術の先進国から途上国への移転を不可能にはしない。国際経済からグローバル経済への変化により、国民経済が他の国民経済を模倣するという方法ではなく、国民経済のボーダーを越えて、企業がグローバルに活動することで、技術移転が進むという新たな方法が生まれている。

日本は、これまで外資による国内への投資に対して消極的だった。他の発展途上国が、官民ともに先進国による投資を熱望し、様々な誘致策を打ち出しているというのに、日本人は、外資に対して「ハゲタカファンド」というあだ名をつけ、その日本への進出が日本を滅ぼすと信じて、外資の導入に対して、いまだに根強い拒否感を持ち続けている。おかげで、日本は、IT(情報技術)でも、GT(遺伝子技術)でも、世界の最先端から遅れをとっている。

もちろん、他の先進国から技術を教わらなくても、自分たちで競争力のある独創的技術を開発できるなら、話は別である。しかし、日本人は、これまで、国内の独創性に対して、それを可能にするほどの敬意と対価を支払ってきただろうか。中村修二氏の青色発光ダイオードの発明の例を挙げるまでもなく、十分ではない。国内の独創性は、海外で評価されるまでは評価しないという悪しき慣習も残っている。

師匠から芸を盗み、それを「カイゼン」し、コストを下げることで収益を上げることができた時代は終わった。外資の導入を拒否するなら、自ら、先端的で独創的な知的財産を作らなければならない。日本の企業は、これまで、組織への忠誠心と協調性を基準に人材を評価し、知的で独創的な人材を排除してきた。これまでそれでうまくいったのだから、これからもそれでよいだろうと思っている経営者は依然として多い。変革の時代においては、過去の成功体験が、新たな成功への最大の障害となる。

3. 知識依拠型経済への移行のために

レスター・サローは、グローバル化と知識依拠型経済が第三次産業革命の特徴であるとみなし、ちょうど大航海時代において、大胆な船乗りが、新航路を発見して莫大な利益を上げたように、知識依拠型経済に大胆に参入する者が莫大な利益を手にするだろうと言っている。

Today’s perfect wave is being generated by the global knowledge-based economy that is emerging to replace the national industrial economies of the previous two centuries. It is there for those bold enough to catch it. Everything there is to be found geographically has been found. But who knows what exciting new continents there are to find in the technologies of the third industrial revolution.

今日の完全なチャンスは、過去2世紀の国民工業経済に取って代わって出現しているグローバルな知識依拠型経済によって与えられている。そのチャンスは、それをものにすることができる大胆な人のためにある。地理的に発見されるべきものは既に発見されてしまっている。しかし、第三次産業革命の技術にどんなわくわくするような新しい大陸があると誰が知っていようか。

[Lester C. Thurow:Fortune Favors the Bold, p. 308]

ところで、大航海時代において、新航路を発見した大胆な船乗りたちは、本当に莫大な利益を手にしたのだろうか。コロンブスは、発見地から上がる収益の10分の1を貰う契約をスペイン国王と交わしたが、この契約は後に反故にされている。

コロンブスと言うと、コロンブスの卵の逸話が有名である。後世の作り話ではあるが、彼の仕事を象徴していて便利だから、使わせてもらおう。机の上に卵を立てることは、卵の殻を割るというヒントがなければ、誰もできないが、そのヒントさえ知ってしまえば、誰にでもできる。そのヒントを思いついたことに対して排他的な権利が認められなければ、最初に思いついた人の苦労が報われることはない。

情報商品は、デジタル化されると、経済学の言葉を使うならば、公共財に近くなる。公共財とは、消費に非競合性と排除不可能性がある財のことで、ネット上にある無料コンテンツを考えればわかるように、それらは、複製にコストがほとんどかからず、いくら多くの人が消費しても減ることはない。情報商品が、紙、テープ、レコードといったアナログメディアと不可分に一体となって売られている間は、非公共財として市場経済で売買できる。しかし、デジタル化してネットで販売するとなると、アナログメディア時代の方法では難しくなる。これは、市場の失敗の一つと言われている。

レスター・サローは、違法ダウンロードの増加で、音楽ビジネスは消滅の危機に瀕していると言う。

The sales of music are on a steep downward slide. Sales of CDs were down 10 percent in 2001 and 13 percent in 2002. […] Simply extrapolating current trends does not lead to accurate sales forecast, but if one does extrapolate today’s downward trends, CD sales will reach zero in 2011.

音楽の売り上げは、急速に落ちている。CDの売り上げは、2001年に10%下落し、2002年には13%下落している。[…]現在の傾向をそのまま引き伸ばしても正確な売り上げ予測はできないが、現在の下落傾向がそのまま続くとするならば、CDの売り上げは2011年にはゼロになるだろう。

[Lester C. Thurow:Fortune Favors the Bold, p.263]

もちろん、アップル・コンピュータ社がやっているような方法で、音楽の著作権を守る方法もあるだろうが、アップルは、コンテンツよりもハード(iPod)で稼いでいる。日本では、携帯電話で読める漫画が人気を集めているが、これは、携帯電話のパケット定額制が定着して、定額制で読めるからである。私が「定額式超流通の提案」をしたのは、ちょうど今から8年前であるが、最近ますます、この方法が必要であると痛感するようになっている。

知的財産権の保証は政府が行わなければならない。情報産業がグローバル化する中、著作権を各国が管理するのではなくて、WIPOのような国際的な機関が一括して管理する方が望ましい。特許権に関しても、それぞれの国で申請するのは、費用と手間という点で非合理であり、グローバリゼーションの時代にふさわしい権利管理の仕組みが必要である。

資源・環境問題への対応という観点からしても、大量生産と大量消費を目標とする工業社会から質的向上を目標とする情報社会への移行は必要であるのだが、工業社会の主体が国民経済ごとに存在した開発独裁型政府であったのに対して、情報社会の主体はグローバル経済における個人であり、工業社会から情報社会への移行を促進するためには、経済主体の変化を考慮に入れた社会制度変革が必要である。

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