心理学、精神分析学、犯罪学、行動科学に関する記事。
Qアノン陰謀論はなぜ生まれたのか
2020年の米国大統領選挙で最もネットを熱くさせた陰謀論は、Qアノン陰謀論であった。このネット発の陰謀論は、2016年の米国大統領選挙の時に流布したピザゲート陰謀論の続編であるが、トランプ大統領が児童売春と悪魔崇拝を行うリベラル派エリートの秘密結社と秘かに戦っているという荒唐無稽な陰謀論は、誰がどのような動機で作って、広めたのか。陰謀論の陰謀論という形で推測してみたい。
酒鬼薔薇聖斗が『絶歌』を出版
1997年に神戸連続児童殺傷事件を起こした元少年Aが、2004年に社会復帰し、2015年に自らの犯行と半生を回想した本『絶歌』を出版した。1999年に「酒鬼薔薇聖斗のバタイユ的解釈」を行った私にとって、この本を読むことは解いた問題の答え合わせをするようなものだ。私の解釈は基本的には正しかったようだが、この本を読んで初めて知った新事実もたくさんあったので、今回改めて、『絶歌』を読みながら、歴史に残るあの猟奇殺人事件がなぜ起きたのかを考えてみたい。
酒鬼薔薇聖斗のバタイユ的解釈
酒鬼薔薇聖斗と名乗る少年Aは、なぜ罪のない子供たちを殺したのか。私は、1999年にバタイユのエロティシズム論をヒントに酒鬼薔薇聖斗の動機を解釈した。その後、2015年になって、酒鬼薔薇聖斗(元少年A)が沈黙を破って『絶歌』という本を出版したり、「存在の耐えられない透明さ」というサイトを立ち上げたりして、自分について語り始めたので、このページでは、1999年初出のメルマガ原稿を再掲しつつ、併せて、新しく出てきた情報を基に、当時の解釈を再検討したい。
なぜ日本のテレビ番組は芸能人をゲストとして呼ぶのか
スタジオに専門家でもない芸能人をゲストとして呼び、コメントを求めるという日本のテレビ番組でよく見かける光景は、欧米のテレビ番組ではほとんど見かけない。これは、欧米人が客観的真理を重視するのに対して、日本人は真理であるかどうかを他者との同意を通じて確認しようとすることによる。つまり、欧米人が情報番組に客観的な情報を期待するのに対して、日本人は、芸能人が自分たちの心情を代弁して表明し、意見の共有を確認することで安心しようとするということだ。
なぜ韓国には糞尿マニアが多いのか
日韓併合後、嘗糞文化を評価しない日本の統治者によって、朝鮮の嘗糞文化は抑圧され、表向きには廃れた。しかし、韓国人の糞尿への特異な思いは完全には消滅しておらず、今でも韓国では、糞尿マニアぶりを伝える話題に事欠かない。韓国人が糞尿に固執する理由は何であるのか。精神分析学的に考えてみよう。
大人が幼児性を持つことに対する日米での評価の違い
日本人でも米国人でも、11~14歳ごろになると、変声が起こり、声の高さが低くなる。したがって、意図的に高い声を出す女性は、意図的に子供のようにふるまおうとしているというように解釈される。日本では、それが「少女みたいでかわいい」と肯定的に評価されるのに対して、米国では「幼稚でバカっぽい」と否定的に評価される。これは、日本文化の前去勢的性格を示している。
ストーカーは何を求めて付きまとうのか
ストーカーは、何を求めて付きまとい、行動を監視して、電話をかけてくるのか。なぜストーカーは、被害妄想を抱いて、憧れ、愛している人を苦しめるのか。日本において、ストーカー規制法を成立させるきっかけとなった、桶川女子大生ストーカー殺人事件におけるストーカーの精神分析を通じて、ストーキングの本質とその解決策を考えてみよう。
芸者の化粧の謎を解く
芸者の襟足は、白い化粧の塗り残しという形で、強調される。この化粧にはどのような意味があるのか。なぜ芸者は、襟を後方に大きく開いて、男に背中を見せるのか。なぜ襟足は、正月と八朔には、二本ではなくて三本になるのか。芸者の化粧に込められた意味を解読してみたい。
ラカンの同一化論
ファルスがたんなるペニスではなく、無のシニフィアンであるというのは、どういう意味なのか。私たちが、自分自身を同一化しようとするファルスとは、どのような存在者なのか。1961-62年に行われたジャック・ラカンのセミネール『同一化』を手がかりに、トポロジカルに考えてみよう。
リビドー発達段階史観
フロイトによれば、去勢以前のリビドーの発達段階には、口唇期、肛門期、男根期という三つのフェイズがある。個体発生が系統発生を繰り返すという反復説に従うなら、個人史的な三つのフェイズは、人類史的にどういう時代に相当するのだろうか。リビドー発達段階史観に基づき、人類が母なる自然から自立したこれまでの歴史を振り返る。
フロイトの精神分析入門講義
なぜ、私たちの心はしばしば病むのか。フロイトの『精神分析入門講義』を読みながら、考えよう。この本は、一般向けに書かれた入門書で、内容は深くないが、フロイトの理論全体を概観するには都合の良い本である。この本を読めば、神経症の本質がよく理解できる。
フロイトの性理論三篇
ギリシャや日本には、なぜ男性同性愛の習慣があったのだろうか。私は、その本質は、ファリック・マザーへのナルシシスティックな幻想だと思う。フロイトの論文集『性理論三篇』を読みながら、ファリック・マザーについて考えよう。
韓国人の反日を鏡像段階論で解釈する
「竹島の日」制定をきっかけに、韓国人の反日感情が燃え上がった。なぜ韓国の反日活動家は、これほどまでに日本人を嫌い、被害妄想を膨らませるのだろうか。福原泰平の『ラカン―鏡像段階』を手掛かりに考えてみよう。
トーテムとタブー
フロイトは、『トーテムとタブー』において、「個体発生は系統発生を繰り返す」というテーゼのもと、エディプス・コンプレックスの理論を用いてトーテムのタブーを説明しようとするのだが、トーテムは、プリミティブな社会において、本当に父親として表象されていたのだろうか。
覗く快楽と覗かれる快楽
2004年4月8日、当時早稲田大学大学院教授であった植草一秀は、品川駅高輪口の上りエスカレーターで、前に立っていた女子高生(15歳)のスカートの中を、手鏡を用いて覗き、東京都迷惑防止条例違反の疑いで、現行犯で逮捕され、2005年4月7日、東京地裁で、有罪が確定した。なぜ植草は、なぜこのような犯罪をしてしまったのだろうか。
なぜ日本人は幼児的なのか
しばしば、日本の文化や日本人の精神構造は特殊だと言われる。しかしそれは、日本の文化や日本人の精神が特殊な発達を遂げたからではない。たんに発達が未熟であったからにすぎない。標準的な発展を遂げた他の文化圏の人々と比べると、日本人は、外観だけでなく性格が幼児的に見える。そして、この幼児性ゆえに、日本文化は、特殊であるように見えるだけなのだ。
鏡像はなぜ左右だけ逆なのか
鏡は、前後を逆にするのであって、左右を逆にするのではない。それにもかかわらず、鏡が左右を逆にしているように見えるのは、私たちが、無意識のうちに左右を逆にして鏡像と自己同一しようとするからだ。そして、前後や上下ではなくて、左右を逆にしようとするのは、私たちの身体が、前後と上下には対称性がなく、左右が最も対称性が高いからだ。
ファルスとしての貨幣
貨幣は、システム論的には、欲望の欲望というダブル・コンティンジェントな複雑性を縮減するコミュニケーション・メディアであるが、精神分析学的にはファルスに相当する。貨幣の歴史を精神分析学的に振り返りながら、システム論と精神分析学の接点を見出そう。
拒食症はダイエットが原因か
拒食症とは、スリムになりたいという若い女性の間で普通に見られる願望から始められた過度のダイエットが原因の病気だと言われている。世の親たちが、こうした常識的な判断で我が子の拒食症を理解し、自分に向けられた本当のメッセージを読み取ることがないなら、子供の拒食症を直すことができないだろう。
冒険はなぜ楽しいのか
《すべての生物は自己保存の欲望を持つ》という生物学の仮説にとって、冒険という快楽は説明しにくい現象である。実用的な目的のある冒険で、《身を危険に晒すにもかかわらず快楽を感じる》現象なら簡単に説明できる。では、実用的な目的の全くない冒険で、《身を危険に晒すがゆえに快楽を感じる》現象はどうだろうか。
不安と恐れはどう違うのか
不安と恐れは、危険に対する似たような感情であるが、恐れるということと不安を感じるということは同じではない。私たちが危険に対して不安を感じるのは、危険の対象についての情報が不足している時であって、十分な情報があるときには、危険に対して用心し、警戒するだけで不安を感じることはない。
愛とは何か
エロースとアガペーは正反対に見えるが、構造は同じである。ナルシシズムを性的倒錯と考える人は、ナルシシズムをたんなるエゴイズムだと考えている。しかしナルシストは、たんに他者の中に自己を見出すだけでなく、自己の中に他者を見出す。自己を愛することが、他者を愛することになるという鏡の反転現象である。この間主観的な反照関係において、利己主義か利他主義かという対立地平は止揚される。
経済構造の発展と心の発達のアナロジー
互酬とは相互に報酬を与えることで、互酬性の原理に基づいて、対等な二者の間において贈与と返答の交換が行われる。再配分では、中心/周縁という構造を持つ、権力的に差異化された社会において、富がいったん中心の権力者に集められ、それが権力者の裁量で、権力者に忠誠を誓う階層(半周縁)には厚く、それ以外には薄く分配されるのだが、民主主義と市場経済は、この中央集権的な構造を脱中心化する。反復説に基づいて、個体発生が系統発生をどのように繰り返すかを考えたい。
酒鬼薔薇聖斗の深層心理
この事件を説明するのに「学校での管理教育による抑圧」とか「受験競争による心の歪み」とか「地域社会の崩壊」といった決まり文句は使えない。犯行の原因は、幼児期に味わった、弱いものいじめによるエロティシィズムの反復強迫だ。この事件は人類史的にはきわめてプリミティブな欲動から生まれたものであり、現代特有の現象ではない。
金属バット殺人事件
1996年11月、東京都内のマンションの一室で、家庭内暴力に悩む父親が、14才の長男を金属バットで殴り殺し、社会に大きな衝撃を与えた。事件発生当時よりも、家庭内暴力の詳細が明らかになった時の方が、世間の関心は高まった。なぜこのような事件が起きたかに関して、キャスターや評論家たちがいろんなことを言っていたが、私は、この家族の病理は、ファルスの不在にあると考えている。そして長男を殺害した父親は最後までこの原因が分かっていなかった。そして、分かっていなかったからこそ、最悪の結果に終わったのである。
比喩で深層心理を探る
精神分析学にとって、比喩は重要な手掛かりである。直喩、隠喩、提喩、換喩といった比喩法の構造的な違いを理解しながら、深層心理がどのように言説へと反映されるのかを考えてみよう。
小文字の他者と大文字の他者
鏡像段階の子供は、想像界において母のファルスと自己同一するが、父が象徴界においてライバルとなるやそれが不可能となり、去勢に怯えるようになる。子供はどうすれば現実界においてファルスと自己同一することができるようになるのか。ラカンの理論をもとに、欲動の対象である小文字の他者と媒介的第三者としての大文字の他者が果たす役割を考えてみたい。