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生命のリズム

2000年7月1日

私たちは、機械的に風を送る扇風機よりも、自然のそよ風の方に心地よさを感じる。そよ風は、一見すると気まぐれだが、そこには数学的に定式化できる生命のリズムがある。

Image by Gordon Johnson+backy3723 from Pixabay modified by me.

1. ジップの法則とゆらぎの秩序

言語学者のG.K.ジップは、英文中の単語の出現頻度を調べ、頻度がN番目の単語は、頻度が1番目の単語の1/Nの確率で現れることを発見した。もっともよく使われる単語"the"の出現確率は0.1で、2番目の"of"の出現確率は"the"の1/2の0.05、3番目の"and"の出現確率は"the"の1/3の0.033、4番目の"to"の出現確率は"the"の1/4の0.025といった調子である。頻度順位Nと出現確率1/10Nを対数目盛りのグラフにプロットすると、

f(logN) = -(logN+log10)

つまりy=-x-1という傾き-1の右下がりの直線になることがわかる。これをジップの法則という。

ジップの法則は、その後さまざまな自然界のゆらぎの大きさと頻度との関係にもあてはまることがわかってきた。そうしたゆらぎは、頻度を英語で frequency というので、1/f ゆらぎとも言われている[1]。自然界のゆらぎは一見無秩序に見えるが、ゆらぎの大きさ(パワースペクトル)が大きいほど頻度が小さくなるという美しい反比例の秩序がある。

ただ、中には、1/f2のゆらぎもあり、そうしたゆらぎは、対数グラフの傾きが-1にならない。ジップの法則を拡張して、ゆらぎの頻度とパワースペクトルの間にy=c/fn(cとnは定数)の関係が成り立つことをベキ乗則(power law)と呼ぶ。

1/f ゆらぎ以外の分布には、ホワイトノイズとモノトーンの二種類がある。アルファベットの例を用いると、次のようになる。

  1. cEjkr,iUYsvNlhaX.smOyqiRu (ホワイトノイズ)
  2. This is a normal sentence. (1/f ゆらぎ)
  3. aaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa (モノトーン)

文字配列がホワイトノイズに近づくと、各アルファベットの出現確率に違いがなくなってくるので、対数グラフでは、傾きが水平になってくる。モノトーンに近づくと、特定のアルファベットの出現確率だけが高くなるので、傾きが垂直になってくる。

image
ベキ乗則のグラフまたはゆらぎの頻度とパワースペクトルとの関係

2. 生命のリズムは 1/f ゆらぎである

この1/f ゆらぎを生命のリズムと呼ぶことができそうだ。複雑系の科学は、生命をカオスの縁に立つ相転移現象と捉えている。相転移とは、温度の低下とともに水が突然氷になるなど、相を非連続的に変えることである。生命は、高エントロピーのカオスでもなければ、死んだ秩序でもなく、カオスから秩序が自己組織化する相転移での臨界点に位置する。別の表現を使うなら、生命のリズムは、ホワイトノイズでもなければモノトーンでもない1/f ゆらぎだということである。

私たちは、妙なる音楽や美しい風景に感動して、「我を忘れる」ことがある。他方、高エントロピーな騒音や汚物には嫌悪を感じるし、低エントロピーだが単調な音や図形に接していると退屈する。ともに対象から自己を遠ざけようとする。音の周波数のパワースペクトルを分析すると、美しい音楽は、前衛的な現代音楽(多くの人にとっては雑音である)などを除けば、1/f ゆらぎを持つことがわかる。美しい自然風景に特徴的な変化に富んだ曲線にも1/f ゆらぎが見られる。私たちが1/f ゆらぎに身体との心地よいハーモニーを感じるのは、私たち自身が1/fのゆらぎをもった複雑系であるからだ[*]。他者の中に自己を見つけるとき、私と他者の間にある複雑性の落差が無化され、「我を忘れる」のである。

[*] どの動物の延髄でも、16秒周期(通常周期)と25秒周期(いびきなどで現れる)で、神経興奮が起き、それにともなって、血圧や呼吸の深さが大きく変動する。そして、このリズムは歌のリズムと同じである。四小節八秒・八小節十六秒は作曲の基本である。ロックも八ビート・十六ビートが基本である[2]

1/f ゆらぎを心地よく感じるのは、人間だけではない。ある養鶏家が、ニワトリに1/f ゆらぎの音楽をCDで聞かせたところ、リラックスして通常よりたくさんの卵を産むようになったということが報告されている。1/f ゆらぎは、たんなる人間の原理ではなくて、生命の原理なのである。

生命を社会システムのレベルで考えてみよう。官僚統制下のソ連のように、国家が過度に国民の行為を規制する全体主義国家は死せる秩序である。他方、内戦下のユーゴのような無秩序は国家の死である。生き生きとした社会システムは、大きな政府でも無政府でもない、国家の規制と社会の自由の間に絶妙なバランスが取れている小さな政府によって可能である。

よく「市場は生き物だ」と人は言う。市場の経済指標のチャートを分析してみると、変動幅と出現確率の間に1/f ゆらぎがあることがわかる。市場経済にも生物にも、秩序ある無秩序という複雑系の共通性質を見て取ることができるのである。

3. ゆらぎのパラドックス

ここで問題を提起しよう。

機械は人間が作ったものであるにもかかわらず、なぜ人間は機械を非人間的と表象し、人間が作ったわけでもない自然に親しみを感じるのか。人間は非線形であるにもかかわらず、なぜ人間が作り出した代数学の基礎は線形であるのか。私たち自体は複雑系であるのにもかかわらず、なぜ私たちは、一方で単純であることを軽蔑しつつも、単純さをわかりやすさとして追い求めるアンビバレントな態度を取るのか。より一般的に問うならば、なぜ人間は、エントロピーの増大に抗うネゲントロピーであるにもかかわらず、過度の低エントロピーを嫌い、軽蔑するのか。

私の答えはこうである。

人間は、感性的存在としては複雑だが、人間の悟性は本質的に単純であり、複雑な世界を単純に割り切ろうとすることによって、人間は複雑性と単純性の中間的存在として存立しうる。単純で確定的な理論を作ることは簡単だが、それを不確定で複雑な現実に適用することは困難である。単純で確定的な理想を掲げることは簡単だが、それを不確定で複雑な社会で実現することは困難である。経済の原理から言って、私たちはより獲得困難なものに高い価値を見出す。だから、単純さという目標よりも、単純化しようとする複雑な努力の方が、高く評価されるのである。

4. 参照情報

  1. 武者 利光.『ゆらぎの発想―1/fゆらぎの謎にせまる』日本放送出版協会 (1998/03).
  2. 三木 成夫.『海・呼吸・古代形象―生命記憶と回想』うぶすな書院 (1992/09).