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フラクタルは複雑系か

2000年5月27日

複雑系を扱った本は、必ずと言って良いぐらい、カオスとフラクタルに言及しているが、はたしてフラクタルはカオスと同様にすべて複雑系であると言ってよいのであろうか。

Gimp Image
ジュリア集合の一例。

1. フラクタルとは何か

この問いに答える前に、まずフラクタル(fractal)とは何かから説明しなければならない。フラクタルとは、ブノワ・マンデルブロ[1]が提唱した、部分が全体と何らかの点で似ている図形のことである。

例えば、ある直線を三等分して、二番目の線分の長さを2倍にして正三角形の二辺を作るという作業を反復的に行うと、以下のようなコッホ曲線ができる。コッホ曲線は全体の1/4のミニチュアである自己相似的な部分から構成されている。

画像
コッホ曲線[2]。Helge von Koch によって発見されたコッホ曲線の最初の7次元を示したアニメーション。

この自己相似性のレベルを数量化してみよう。2次元平面上の正方形の一辺を2倍にすると、元の大きさの正方形が4(2の2乗)個できる。

画像
フラクタル次元。正方形の一辺を2倍にすると、面積が2の2乗倍となるから、フラクタル次元は2である。

3次元空間内の直方体の一辺を2倍にすると、元の大きさの立方体が8(2の3乗)個できる。ここから、n倍するとnのd乗個のミニチュアができる図形では、フラクタル次元がdであると定義する。

すると、コッホ曲線では、長さを3倍に拡大すると4個のミニチュアができるから、コッホ曲線の次元は、3d=4より、

d=log34=1.2619 … 次元

ということになる。フラクタルの語源は、ラテン語のfractus(こなごなに壊れた)である。次元が整数以外の半端な数にまで拡張されていることから、フラクタルと名付けられたわけである。

全体が複数の自己相似的部分から成り立っているとするならば、部分が全体を完全に映し出すことは論理的に不可能である。全体をn+1、部分をnとするならば、両者の差異が固定されているので、部分は全体に追いつけないからだ。しかしnを無限大にすると、全体と部分は極限的には同一となる。そしてコッホ曲線の場合、線分であるにもかかわらずその長さ(3分の4のn乗)は無限になる。

自己相似性をフラクタルの必要十分条件とは考えない人もいる。自己相似的であるからといってフラクタルであるとは限らない。波長の合わないラジオのザーッという雑音は、録音したあと倍速で再生しても半分のスピードで再生してもあまり変わらない。均等なランダムさを持つホワイトノイズは、この意味で自己相似性を持つが、部分を何倍すれば全体と同じになるかという議論が成り立たないので、フラクタルではない。また相似性を厳密に解釈すると、自然界の大部分はフラクタルではなくなるという理由で、相似性を緩やかに解釈する人もいる。その場合、フラクタルだからといって自己相似性があるとは言えなくなる。しかし専門家以外は、フラクタルとは自己相似的図形だと理解してくれて差し支えない。

2. フラクタルとカオスの関係

フラクタルの意味を理解したところで、フラクタルはすべて複雑系なのかという最初の問題に戻ることにしよう。カオスとフラクタルの間には、確かに次のような共通点がある。

  1. 全体を部分に還元することはできないが、規則に還元することができる。
  2. 単純な規則を自己言及的に反復適用することから生まれる。

以下それぞれを検討してみよう。

2.1. 要素還元主義から規則還元主義へ

近代科学は、わかりにくい全体をわかりやすい部分へと還元することによって対象を分析してきた。だがもしもわかりにくい全体を部分に分解しても、その部分がわかりにくい全体と同じであるならば、還元主義は役に立たない。このことは、別の言い方をするならば、微分積分法という還元主義のパラダイムに基づく分析道具を使うことができないということである。微分とは非線形の全体を線形の部分に分解して解析する試みであるから、全体を部分に還元する還元主義の典型である。フラクタルは、連続でありながらいたるところで微分不可能であり、近代科学には、手に負えない関数である。近代の数学者にとっては、線形代数こそが基本であり、連続でありながらいたるところで微分不可能な関数は、例外的存在として扱われた。しかし自然界では線形代数の方が例外的存在であり、大半は、フラクタルなのである。

同じようなことがカオスにも言える。ローレンツアトラクターを始めとして、多くのカオスがフラクタルな構造を持っていることが確認されている。カオスもまた「ストレンジな」全体を簡単な部分へと還元することはできないが、簡単な非線形の規則に還元することができるのである。

こうした簡単な規則への還元には、実用的な利点もある。入り組んだ木の枝やシダの葉を直接ビットマップでコンピュータ画面上にプロットしようとすると、データサイズが大きくなってしまうが、簡単なフラクタル規則で描けば、わずかなデータサイズでピクセル感のない無限の画像拡大が可能になる。マイクロソフトが供給している百科事典"Encarta"のカラー静止画像にもこうしたフラクタル圧縮技術が使われている。そうでなければ、大量の画像をとても一枚のCD-ROMに収めることはできない。

フラクタル画像生成の方法には、マンデルブロ集合などのノンランダムフラクタルとは別に、ランダムフラクタルがある。これは、確率論的不確定要素を付加することによりフラクタル性を持つ形状を生成するもので、海岸線、樹木、放電パターン、地形の起伏、雲等の自然物の形状モデルを作成するために使われている。

フラクタル図形は常識的な意味で「複雑」であるが、コッホ曲線のようなノンランダムフラクタルには、軌道不安定性や非周期性がない。この点でカオスとフラクタルには違いがある。

2.2. 自己言及的な反復適用

カオスが非線形関数の自己言及的な反復適用から生じることは、「カオスと決定論」で述べた。しかし非線形関数を自己言及的に適用したからといって、必ずカオスになるとは限らない。ロジスティック写像

f(x)=ax(1-x)

の定数aが3以下の時には、自己言及的に反復適用してもカオスは発生せず、単一の安定的な固定点へと収斂したり、固定的な周期性を見せたりする。

数学以外の例をとると、

「この命題は正しい」

という命題は自己言及的であるが、そこには何の不確定性もない。しかし

「この命題は正しくない」

という命題は、もし真なら偽で、偽なら真ということで真偽が確定しない。これは「クレタ人のうそつき」として古代から知られるパラドックスであるが、これこそラッセルの集合論のパラドックスやゲーデルの不完全定理で問題とされる数学上の大問題なのである。しかしここでも、自己言及性そのものがパラドックスではないことに注意されたい。

カオスの自己言及性に相当するのが、フラクタルにおける自己相似性である。相似性を厳密にとると、フラクタルは複雑系ではなくなってしまう。しかし相似性を緩やかに理解すると、株価チャートのような予測不可能という意味で複雑な振る舞いも、フラクタルと呼ぶことができる。株式投資をやったことがある人なら知っているとおり、1日単位でも1ヶ月単位でも1年単位でも、株価チャートは同じような山あり谷ありの振る舞いを見せ、移動平均線を引くと同じようなテクニカル分析をすることができる。だから株価チャートにはフラクタルもどきの自己相似性があるといえる。しかしもし株価チャートが厳密な意味でフラクタルなら、誰もがコンピュータシミュレーションで将来の株価を予測して大金を稼げるはずだが、実際はそうではない。

3. 結論

以上の考察からこう結論することができる。ロジスティック写像の自己指示的反復適用が必ずしもカオスを発生させるわけでないのと同様に、すべてのフラクタルが複雑系と呼ぶにふさわしい不確定性を持つわけではない。

4. 参照情報

  1. Benoît B. Mandelbrot(1924年11月20日 – 2010年10月14日)は、ポーランド生まれのフランスの数学者。IBMのトーマス・J・ワトソン研究所に研究員として働いているときに、Les Objets fractals : forme, hasard et dimension, survol du langage fractalという本を出版し、フラクタルという概念を提案した。
  2. António Miguel de Campos. “7 first steps of the building of the von Koch curve in animated gif.” 15 May 2007. Licensed under CC-0.