石油に代わるエネルギーは何か
近代工業を育ててきた石油や石炭は有限な資源であるから、いつかは枯渇すると考えられている。また石油や石炭の燃焼は、さまざまな公害の原因となっている。こうしたことから、オイルショック以来、先進国は、石油や石炭の代わりとなるクリーンなエネルギー資源を模索している。一般にはそれほど注目されていないが、私は、最も理想的な代替エネルギー資源はメタンだと考えている。メタンのどこが優れているのか、原子力発電、太陽発電、風力発電、水力発電など他の候補と比較しながら、説明していきたい。

1. 代替エネルギーの主な候補
1.1. 原子力発電
原子力発電が事故を起こした時、いかに危険であるかは誰もが知っている。では、もし安全に運転してさえいれば、問題がないのかといえば、そうでもない。日本の原発推進派の人々は、「原子力エネルギーは、安くて、しかも二酸化炭素を排出しないクリーンなエネルギー」と宣伝しているが、これがまったくのうそなのである。
まず、原子力発電が二酸化炭素を排出しないということはありえない。発電所の建設やウラン燃料の加工などで石油が使われ、二酸化炭素を出すだけでない。原発は、核分裂によって生じた熱エネルギーの三分の二を廃熱として捨てているのだが、その廃熱は温排水として海に流され、海水の温度を上昇させる。海水の温度が上昇すると、コカコーラを温めた時と同様に、海に溶けている二酸化炭素が大気中に放出される。100万キロワットの原発を1日運転するだけで、1000トンもの二酸化炭素が大気中に放出される。もちろん温められるのは主として海表面であるが、海表面にはたくさんの植物プランクトンがいる。大気中の二酸化炭素は、植物プランクトンの光合成に利用され、そして固定された炭素は、プランクトンの死骸とともに海底に沈む。だから海水の二酸化炭素濃度の減少が植物プランクトンの光合成を妨げると、さらに海の二酸化炭素吸収力を下げるおそれがある。
また原発が経済的というのもうそである。毎年政府が多額の公的資金を投入しなければならないことは、原発が採算のとれない発電方式であることを雄弁に物語っている。日本でも、世界の潮流にあわせて電力を自由化することになっているが、応募企業の卸売市場での希望売電単価は、キロワット時あたり5-6円である。日本の原子力発電の売電単価は、多額の税金の補助を受けているにもかかわらず、キロワット時あたり11-12円と割高である。もっとも原発の場合、放射性廃棄物の処理費や廃炉費などのバックエンド費用が十分に内部化されていないので、キロワット時あたり11-12円でもまだ安すぎると言われている。また原子力発電は、常に運転しつづけなければならず、電力需要にあわせた柔軟な供給調整ができないのだから、今後さらに20基増設するなどということはナンセンスである。高コストの原発は、電力自由化時代には、増設どころか、すべて運転停止に追い込まれるだろう。市場原理により、効率の悪い発電はよろしく淘汰されるべきである。
1.2. 太陽光発電
太陽光発電も、主要なエネルギー資源にはならない。日中しか稼動しないし、適当に雨が降らないとパネルに埃が積もって性能が落ちるから、日中もフル稼働というわけにはいかない。だからエネルギー効率が悪く、太陽光発電機器一式を作るのに必要なエネルギーを太陽光発電で回収するには10年かかると計算される。施設の廃棄に必要なエネルギーまで回収しようとすれば、もっとかかる。こうしたエネルギー消費が、石油の燃焼による環境汚染を引き起こしていることを考えると、太陽光発電がクリーンなエネルギーだとは言いがたい。また雨風にさらされる太陽光発電施設は時間とともに性能が劣化するので、もとをとれる頃には、故障などにより使い物にならないケースが多い。つまり、太陽光発電器は、エネルギーの生産者ではなくて、消費者になってしまう可能性があるということである。
エネルギー収支の黒字化も難しいが、経済収支の黒字化はさらに難しい。日本では、太陽光発電施設の購入に際して、費用の三分の一が公的に補助され、さらに住宅金融公庫からソーラー住宅には150万円の割り増し融資をつけてもらえることになっているが、それでも発電によるメリットの収益率を計算すると、公的融資の利率を下回るので、時間とともに赤字幅は拡大していくばかりになる。地球にやさしいわけでもなければ、経済的合理性もない太陽光発電機器が、公的資金による補助と「市民の高い環境意識」とやらに動機付けられて販売台数を増やしているのは嘆かわしいことである。
1.3. 風力発電
風力発電の場合も太陽光発電と同様に、発電が自然の気まぐれに左右されるので、バックアップ用の発電機が必要で、両者の電力調整のための施設を作ることにより、初期投資額が膨大になってしまう。さらに風力で発電するためには、あまり風力が強いと発電装置が壊れるので、一定の風速の風がコンスタントに吹いていることが条件となるが、そうした条件を満たす地域は少ない。あったとしてもそうした風力資源地域の大半はエネルギー消費地から遠く、電力の輸送のために長い送電線が必要で、これもコスト高とエネルギー効率の低下をもたらしている。風力発電の売電単価はキロワット時あたり15円で、太陽光発電の25円ほどではないにしても、価格面で競争力がないことは確かである。そしてこの単価の高さは、エネルギー効率の低さをも示している。
初期投資額が大きくても、風力発電は、一度造れば半永久的に使えるのだから、長期的には安くなると信じている人もいるが、実際には保守費用が必要だし、また風力発電を使いつづけると、軸と軸受けの摩擦等により、時間とともに性能が劣化するから、エネルギー収支や経済収支が長期的に黒字になる保証はない。1980年代にカリフォルニアで風力発電ブームが起きて、15000機以上が建設されたが、優遇税制措置が失効すると、採算がとれなくなって放棄され、あちこちに風車の墓場が無惨な姿をあらわすようになった。日本でも、電力自由化で、風力発電は淘汰されることになるであろう。
風力発電には、鳥類がプロペラに巻き込まれて死亡するという事件が相次いでいる。次の項で述べるように、鳥類は自然の生態系を守る上で重要な役割を果たしているのだから、「風力発電は自然にやさしい」という宣伝文句は怪しいのである。
1.4. 水力発電
水力発電は自然エネルギーを利用したクリーンなエネルギーと考えている人は少なくない。しかしダムを建設して川の流れをせき止めることは、栄養分が山から川を経て海に流れ、漁業資源を育み、魚を食べる鳥や動物の糞や死体となって再び山に還元されるという自然の循環を遮断するという意味で、たんに水没する地域だけでなく、山と海を含むより広範な自然の生態系を破壊するのである。日本ではダムは過去の存在となったが、発展途上国では、中国が長江三峡ダムを建設するなど、先進国の失敗を教訓としないプロジェクトが相次いでいるので、世界的には現在進行形の問題である。
2. 本命候補としてのメタン
以上代表的なクリーンエネルギーの候補を検討してきたが、どれも石油の代替エネルギーとしては失格である。しかし私は、以下の理由で、メタンが石油以上に望ましいエネルギー資源だと考える。
2.1. クリーン
天然ガスは、燃焼時に硫黄酸化物を排出しない。また窒素酸化物や二酸化炭素の排出量も石油や石炭よりずっと少ない。メタン単独はさらにクリーンで、燃焼しても水と二酸化炭素しか発生しない。メタンは燃焼以外の方法でも使える。クリーンな発電方法として今話題の燃料電池の原料は水素であるが、その水素はメタンから作られる。
2.2. ストックが豊富
在来型の天然ガスの確認埋蔵量(1995年)は、148兆8750億立方メートルで、寿命は69年ということになっているが、究極埋蔵量は300兆立方メートル程度と計算されているので、100年以上はもちそうである。またこれとは別に、非在来型資源であるメタンハイドレートの存在が各地で確認されている。

メタンハイドレートとは。水分子の中にメタンガスの分子が入り込んで、ある圧力、温度条件のもとで結晶化した、メタンの水和物(ハイドレート)のことである。氷状の半透明物体であることから、燃える氷とも言われている。近年、北極圏などの凍土層下部の他、深さ数百メートル程度の浅い海底下からも相次いで発見され、重要な資源として注目されている。日本の領海でも多くのメタンハイドレートが確認されている。南海トラフ海域にある4.2兆立方メートルのメタンガスだけでも、日本国内の天然ガス消費量の82年分に相当する。外国の政情不安に左右されないエネルギー資源という意味でも魅力的だ。
メタンハイドレートの採掘可能な資源量は、250兆立方メートルと試算されている。合計すると 地球上の採掘可能なメタンの潜在的なエネルギーの量は石油の2倍以上である。しかも石油のように特定地域に偏っていない。日米欧のような大消費地 の近くにも大量のストックがあるので、輸送コストを下げることができる。
地球が温暖化するにつれて、メタンハイドレートが融解し、メタンが大量に大気中に放出される。メタンガスは、天然ガス(炭化水素化合物)の主成分として幅広く使われている貴重な資源であるが、同時に、分子あたりで二酸化炭素の21倍の温室効果を持つ地球温暖化原因物質でもある。人類は、石油を資源として利用することなく海に流して環境を破壊するような、二重の意味でもったいないことをしているのである。地球温暖化がメタンガス濃度を高め、メタンガス濃度の上昇が地球温暖化を促進するというポジティヴフィードバックによる温暖化の暴走が懸念される。これを防ぐためには、メタンハイドレートを融解する前に燃料として使うべきだ。メタンガスを燃やすと温室効果が20分の1になるからだ。
2.3. 再生可能
メタンは自然の循環を利用して人為的に生産することができる。動物の排泄物や死体、生ごみ、木材など有機物のごみは、密閉した容器に入れておくと、バクテリアの嫌気性発酵により分解される過程でメタン、二酸化炭素、アンモニアなどのガスを発生する。そのうちメタンの占める割合は、50-60%で、これを貯留し、エネルギー回収することができる。分解後の有機物は、肥料として農業で使われる。こうしたメタン発酵は、バイオマスと呼ばれ、一石三鳥の汚物処理方法として、日本の畜産農家などで既に実行されている。
2.4. エネルギー効率がよい
火力発電や原子力発電のエネルギー効率は35%であるが、天然ガス発電の場合、廃熱を、蒸気タービンを回すことに再利用するガスコンバインドサイクルだと、50%のエネルギー効率を達成できる。また廃熱を給湯や冷暖房などに利用するコージェネレーションシステムだと、エネルギー効率は80%にもなる。ちなみにこうした廃熱の再利用は、消費地から遠く離れたところに立地している原子力発電所ではできない。
2.5. 安価
天然ガスの発電コストは、世界的には、石油より安い。日本では、遠隔地で液化して輸送しているために、石油より高くなるが、国内で生産して気体のままパイプラインで輸送すれば、輸送コストを安く抑えることができる。多くの環境保護運動家は、たとえコストが高くても、補助金でクリーンエネルギーを普及させるべきだと主張しているが、今後発展途上国が環境破壊の主役になっていくことを考えると、補助金がなくても、市場原理で普及していく経済性がどうしても必要である。
先見の明があるアメリカは、早くも核エネルギーに見切りをつけ、メタンエネルギーの研究開発に力を注いでいる。他方日本では、自らの利権を守ろうとする原子力関係の御用学者たちが「21世紀のエネルギーは核融合」と宣伝し、建設費1兆円のトカマク磁場閉じ込め核融合炉を日本に誘致しようとしている。
1992年から98年にかけて、米国、ロシア、EU、日本の4極で国際熱核融合実験炉の設計および建設コストなどの評価をおこない、この方法による発電設備は、従来の核分裂炉に比較してキロワット当たりの建設単価が数倍高くなること、その構成システムの種類が核分裂炉より約2倍以上多く、かつ炉の構成が複雑に絡み合っていることなどから、市場経済性とプラントの信頼性確立の両面で実用化は不可能であるという結論が出た。そして、米国は撤退を決定、ロシアやEUもこれ以上予算を出さない方針を決めている。ところが日本は、この失敗確実で危険極まりない実験炉を、赤字で苦しむむつ小川原開発地区や苫小牧東部開発地区の「活性化」のために、日本で建設しようとしている。日本の原子力関係者は1兆円の負担をすることで「国際貢献ができる」と胸を張っているが、海外では、この愚かな決断はもっぱら嘲笑と軽蔑の的になっている。
3. 参照情報
- 小出裕章『原発のウソ (扶桑社新書) 』扶桑社 (2011/6/1).
- 日本エネルギー学会天然ガス部会『天然ガスのすべて―その資源開発から利用技術まで』コロナ社 (2008/9/1).
- 熊崎実『熱電併給システムではじめる 木質バイオマスエネルギー発電』日刊工業新聞社 (2016/9/29).
- 電力50編集委員会『電力・エネルギー産業を変革する50の技術』オーム社 (2021/2/18).
- 長山浩章『再生可能エネルギー主力電源化と電力システム改革の政治経済学―欧州電力システム改革からの教訓』東洋経済新報社 (2020/2/28).
- 山家公雄『日本の電力改革・再エネ主力化をどう実現する ― RE100とパリ協定対応で2020年代を生き抜く』インプレスR&D (2020/3/27).
- ↑Maurice07. “Natural Gas Production of Countries by CIA World Facebook“. 23 February 2013.
ディスカッション
コメント一覧
「太陽光発電も、主要なエネルギー資源にはならない」とのことですが、最近の発表で以下の改善が可能となりました。永井さんが問題としている箇所は…
1. 日中しか稼動しない→最新のバッテリーにより、この種の問題は解決できると考えます(電気二重層コンデンサ)。
2. 適当に雨が降らないとパネルに埃が積もって性能が落ちる→メーカーの人に聞いてみたところ、劣化のレベルは4~5%程度だそうです。大抵は雨で奇麗に落ちるようにコーティングがされているので大丈夫との話でした。
3. 太陽光発電機器一式を作るのに必要なエネルギーを太陽光発電で回収するには10年かかる→確か自分の記憶では、3kwタイプの発電パネルの生産に必要な電力は確か3000kwh以下だったと思いますので、1年の発電量でペイする値だと思います。多分、それは古いデータか原子力関係の人が流しているデマでしょう。(本当のデータを言われると彼ら失業ですから)自分の情報源は、太陽光発電パネルの商品カタログです。また、年々パネルの製造に必要な電力は下がっています。
4. 施設の廃棄に必要なエネルギーまで回収しようとすれば、もっとかかる。→太陽光発電パネルの発電素子自体は、最新のものは半永久的に使えるものなので、再利用が可能です。まわりの外枠が20年くらいで駄目になるので発電パネルの寿命を20年としていますが、実際には、自宅と一体化すると、もっと寿命が長くなると思います。また、構造も簡単で使っている素材の量も大したことないので、そんなに問題となるレベルにはならないでしょう。
5.「太陽光発電施設は時間とともに性能が劣化する」→CIGSと呼べれている方式の太陽電池ならば劣化しません。
以上の点から「太陽光発電がクリーンなエネルギーだとは言いがたい」というのは、過去のことであると言えます。
風力発電の場合も太陽光発電と同様に、発電が自然の気まぐれに左右されるので、バックアップ用の発電機が必要との事ですが、それは、消費地に用意した燃料電池で補完すればよい事ですね。または、電気二重層コンデンサで充電すればよいのです。風力発電を大量に導入しているドイツの報告によると、大規模に運用すると、風の吹いている場所が常にあるので、電力供給は安定するとの話です。
「あまり風力が強いと発電装置が壊れるので、一定の風速の風がコンスタントに吹いていることが条件となるが、そうした条件を満たす地域は少ない」→浜風のように毎日風が吹いている場所もありますし、同時に壊れないようにするため装置が現在の風力発電設備にはあります。また、微風でも発電できる風車も出て来ておりますので、その点は問題ないでしょう。技術で解決できる種類の問題です。
「風力資源地域の大半はエネルギー消費地から遠く」→微風でも効率よく回転する風車が出来たことによって、この問題は緩和されてい
ます。
「また、風力発電の売電単価はキロワット時あたり15円で、太陽光発電の25円ほどではないにしても、価格面で競争力がない」→太陽光発電の数値は、もっと低いはずですし、風力発電も技術が進んでますから、もっと下がっていると思います。これは、自然エネルギー設備の発電コストの大半が、設備コストだからです。即ち、これから風力発電設備が量産されることになれば、その価格競争力は、ぐんと上がるでしょう。現在の量産規模で、この水準ということは、将来はかなり競争力が高くなると思います。
自分は、自然エネルギーの問題点は、初期投資の高さだと思っているので、1kwhあたり、3円程度のエネルギー消費税を作って、年間3兆円の税収を元に2兆円を1兆円ずつ太陽光と風力発電の設備導入に対し20年間無利子融資ににあてることで、自然エネルギー設備のコスト競争力を高めると同時に省エネ製品の普及も進めることで、エネルギー自給率を上げる。(燃料電池や廃棄物によるメタン抽出などのプラントに毎年1兆円融資)最近は、いい数字が出てきて初めているので、科学雑誌やWebを調べてみると面白いと思います。
メタンハイドレートなのですが、最近、掘削実験が成功したとの事です。ただ、政府の試算では、実用化には、20年後を見込んでいるようで、当面は天然ガスと言ったところでしょうか?
現在出来ることは、有機EL(ブラウン管の1/10と言われる)磁気冷凍技術(磁気で冷気を作る/研究中)などの革新的な技術で消費電力を減らしつつ、エネルギー消費税で集めた資本で環境銀行(電子銀行)を作り、20年間無利子融資をする。そうすれば、2005年には100万円(3kwタイプ)になると言われている太陽電池を買うのには、月々4166円でいい。夜になっても、燃料電池で発電してもいいし、昼間の電力をバッテリーに貯めておいてもいいので問題ないでしょう。永井さんが問題としている部分は、既に解決されていると思います。あと、PCはSONYのCELLなどの分散型のチップを使うと消費電力は減ると思います。チップが増えると電力が増えると思いがちですが、実は、クロック周波数の方が、消費電力が上がってしまうのです。
まだ色々とあるのですが、長くなり過ぎたので、ここでやめます。結論を言えば、メタンハイドレートはまだまだで、当面は天然ガスと自然エネルギーと省エネのコンボと言えるでしょう。
本当はもう少し包括的な案があるのですが、文章が鬼のように長くなってしまうのと、それを書き直して短くする根性がないので…ちゃんと人に伝わるものにするのには、5回位書き直さないと駄目なのでやめます。自分のやり方は、ノートパソコンの低消費電力化と同じで、細かいところを削ったり、ソフトで調整したり、権謀術数を尽くしてやる方法論なので、複雑怪奇なものとなります。でも、やろうと思えば、出来ないことはないと思います。人に伝えるよりも、やるとすれば、エンジニア同士で話し合うという形の方が多いでしょう。政治、経済、規制、技術、科学、外交その全てを活用します。
上手くいけば、アメリカを京都議定書に調印させることも出来ると思います。それだけのことが出来る技術(政治的圧力になるほどの技術)が日本にはあるんです。
もしも、太陽光発電や風力発電が、技術の進歩によりコストパーフォーマンスが向上したというのであれば、政府が補助金を出さなくても普及するはずですが、これは事実に反しています。外部費用を内部化することには賛成ですが、初期投資が高くつくのはどの発電方式でも同じことであり、太陽光発電と風力発電の設備投資にだけ公的資金を使うことには反対です。
4年以上前に書いた私の文章が、技術論的に古くなっていることを認めるにやぶさかではありませんが、今後もどのような技術革新が生まれるのかわからないのですから、今から特定の発電方式を、税金を使って保護するべきではありません。補助金不正受給事件が起きている問題も忘れてはいけません。やはり、発電事業に関しても、市場原理に任せて、将来最もコストパーフォーマンスに優れた発電様式が生き残ることを期待するしかないでしょう。
重要なのは、現実です。太陽光発電パネルは、いくらですか?100万円以上もするんですよ。そんな高額なものをすぐに買えますか?初期投資が大きいことが普及の障害何です。しかし、20年間のランニングコストから見れば、既にコスト境界に近づいているわけです。(2005年には逆転するでしょう)
公的資金を使うと言っても、貸し付けるだけ何ですね。補助金とは違います。国土の狭い日本では、太陽光発電パネルを設置する場所は、住宅の屋根なんです。つまり、個人が相手なので、こういうやり方が現実的です。何でもかんでも保護は駄目だと考えたら、それで上手くいくやり方も出来なくなってしまいますよ。ここでも、現実を直視してくださいというしかないですね。理論だけじゃ駄目です。
お金を与えるのではなく、貸すわけですから、発電効率の高いものを選んだほうが得なわけです。そうなると競争が生まれますよね。保護行政がマズいのは、競争が出来なくなってしまうからです。しかしながら、この場合、お金を貸すだけなので、問題はないわけです。それに、太陽光発電で全ての需要を満たす様な形にもならないと思います。重要なのは、複数の方式を混ぜあわせることで柔軟な電力確保をすることです。一つのやり方に依存すると、そのやり方が失敗すると他の全てが駄目になりますから。
また、単に保護という観点だけではなく、二酸化炭素の削減や、石油枯渇、そして複数の方式によるリスクヘッジ型の電力供給システムの構築などを考えた上で、そういう提言をしているわけです。コストだけでなく公共的なメリットが存在するから、このような優遇的な対応をするわけです。
市場原理の問題の一つは、公共的な目的の実現にはむかないわけです。もしそれが出来る程、市場原理が成熟しているのならば、国自体を民営化すればよいわけです。しかし、アジア経済危機などを見れば分かるとおり、欠陥が多く未成熟なものである事は明らかです。ですから、単に保護行政=悪ではないのです。場合によっては必要なこともあるわけです。原則論だけで現実は括れませんよ。特にその原則が未熟なときには。
「4年以上前に書いた私の文章が、技術論的に古くなっていることを認めるにやぶさかではありませんが、今後もどのような技術革新が生まれるのかわからないのですから、今から特定の発電方式を、税金を使って保護するべきではありません。補助金不正受給事件が起きている問題も忘れてはいけません。やはり、発電事業に関しても、市場原理に任せて、将来最もコストパーフォーマンスに優れた発電様式が生き残ることを期待するしかないでしょう。」
つまり、4年以上も前の意見が通用しなくなっていることは認めるわけですね。しかし、今後は発展しないことを考えておられるわけですか。その根拠は何ですか?証明できませんね。パラドックスに陥りますよ。現実は、永井さんの意見が通用しなくなるほど、動いていましたよね。少なくとも4年間は。それが突然止る根拠も示して欲しいですね。自分は研究中のものや実用段階にあるもの示していますから、ある程度具体性がありますが、永井さんの意見には、そういう具体性がありませんね。
市場原理というのは、何でもかんでも解決できる魔法の杖ではありません。道具に過ぎないんです。特に現在の市場原理は短期的な利益に偏る傾向が強く、長期的な問題に対応する能力が低いのです。(資源枯渇の問題は、現在の市場の数字には入ってませんよね:現在の市場では資源が枯渇する直前になって価格が高騰するような市場メカニズムですよね。でも、現実問題として、それでは遅すぎますよね)ですから、規制や税金を使って補完する必要が出てくるのです。
僕は永井さんに、なぜ、それほど大したものではない市場経済という道具に固執するのか聞きたい。それほどの価値があるもの何ですか?僕は社会主義だろうが、共産主義だろうが、市場経済だろうが、それが人を幸せにするのならば、何でもいいんです。現在は、市場経済が一番になったわけですが、1番になったからといって、それがベストだと考えるのは進歩がありませんよ。なぜなら、そこから上を見ませんから、発想が限定的になってしまうことは否めません。
実際、僕が客観的な証拠を引き合いに出して説明しても、耳を傾けるどころか、根拠のない悲観論で私の意見を否定したうえで、それでも市場経済は正しいと言っているわけです。ここまでくると、イデオロギーのような硬直した発想になってしまうおそれがあると思う。そのような発想で市場原理をドライブすることは、第二第三のアジア経済危機やニューヨーク大停電のような失敗を繰り返すことになるでしょう。自分が正しいと信じたら、そこから過ちが生まれるのです。それを避けるには、物事をよく見ることです。(自分は永井さんの意見に現実の事例を提示して説明しましたよね)
傲慢さとは、一種の無知だと、それは己を上に置き、他のものを下と見ることで、下のものの意見を聞かないことだ。市場経済が他よりも優れていると全面的に指示するよりも、市場経済には優れた面があるという限定的な指示である方が、他のものの良い点を受け入れる間口が出来る。でも、自分が一番だと思ってたら、そのような発想にはならない。「もしかしたら、自分は間違っているのかもしれない」と発想が出来る人こそ市場経済をドライブして欲しい。現行の市場経済を発展させるためには、欠点を謙虚に受けとめて、場合によって市場経済そのものを否定できるくらいの器がないと駄目だと考えています。あるいは、部分的に修正する。市場経済は守るべき目的ではなく、単なる手段にしか過ぎないのですから。しかも未熟な。
例えば、「マンションは、何千万円もする高額の商品で、普通の個人はすぐには買えないから、マンションの普及のために、国が融資をしなければならない」という議論が成り立つかどうか考えてみてください。たしかに、普通の個人には、それだけの金額を現金で一度に支払うことは無理でしょう。しかし、実際には、民間ローンのおかげで、マンション購入者は、家賃を支払うような感覚で、ローンの返済ができます。太陽光発電パネルの購入にも同じ方法が使えるはずです。国が融資する必要はありません。
meroさんは、貸し付けることと補助金を出すことは違うと主張していますが、無利子で貸すということは、利子相当額の補助金を支給しているのと同じですから、この主張は成り立ちません。現在、低金利ですから、太陽電池出力1kWあたり9万円支給している現行(平成15年度上期)の補助金より少なくなるかもしれませんが。
これに対して、私は、外部費用の内部化、すなわちマイナスの補助金を提案しました。これなら、新しく登場するかもしれない発電方式に対して門戸を閉ざすことにならないので、プラスの補助金よりも弊害が少なくなります。
ところで、meroさんは、「今後もどのような技術革新が生まれるのかわからない」という私の文章を読み間違えて、「今後も技術革新が生まれるのかわからない」と“改釈”したようですね。私が言おうとしたことは、現時点では発電方式Aが発電方式Bよりも優れているとしても、将来、技術革新の進展により、Bの方がAよりも良くなるかもしれないので、Aだけをプラスの補助金で保護することはやめた方がよいということです。
マンションなどは私益の問題です。資源枯渇に対応するのは公益です。私益と公益とは違います。また、この種の問題にはタイムリミットがあり、それまで対応する緊急性があるのです。
エネルギーシフトには、エネルギー消費を抑えながら、再生可能エネルギーに速やかに転換する事が目的です。エネルギー消費を税金で抑えながら、その資本を使って再生可能エネルギーを支援するのは理にかなっていると思います。この政策の目的は、スピードアップです。この場合、速く行うことが公益に合致すると考えておりますので適当だと判断しています。また、競争を阻害するほど、極端なものでもないと判断しております。有限な化石エネルギーよりも永続可能なエネルギーを優先することは、資源枯渇に対応する手段として適当だと思います。この問題には経済的誘導要素だけでなく、公益的誘導要素も含まれるのです。
市場原理は、経済的合理性のみで運用されており、そこには、公益的要素は含まれていません。故に市場原理のみで公益的な目的を達成するというのは、目的が違うものを同じものだと解釈していると思います。つまり、私益と公益を混同する訳にはいかないということです。私益と公益が同じ方向に向くような条件が整えば別ですが、それまでにどれだけの時間がかかるのかという事が問題なのです。
そのマイナスの補助金とは何か?永井さんの主張のどの部分がそのような主張になっているのか教えていただきたい。少なくともこのメールのやり取りのなかにはなかったと思いますが。
「私が言おうとしたことは、現時点では発電方式Aが発電方式Bよりも優れているとしても、将来、技術革新の進展により、Bの方がAよりも良くなるかもしれないので、Aだけをプラスの補助金で保護することはやめた方がよいということです。」
Bの方が二酸化炭素を出さず、尚且つ、永続可能なエネルギー源であり、経済的合理性のあるものであるのならば、そちらを融資対象に切り替えればよいことで、問題ないのではないのですか?現在知りうるかぎりにおいて、その条件を満たす技術は、太陽光発電であり、風力発電であるわけです。研究中のもので優秀なものがあれば、それを優遇すれば良いだけのことです。
「マイナスの補助金」という言葉は「外部費用の内部化」という言葉の言い換えとして使いました。外部費用(あるいは外部不経済)の内部化とは、例えば、定価9000円の商品がごみとなった時、処分に1000円かかるとしたならば、その1000円をあらかじめ商品の定価に含めておいて、生産者からピグー税として徴収し、消費者が捨てるごみの処分に利用する制度のことです。「プラスの税金をとる」ということは、「マイナスの補助金を与える」のと同じことですから、「マイナスの補助金」という言葉を使いました。
この方法だと、たんにごみ処理のための費用を捻出できるだけでなく、商品の定価が1万円になるわけですから、消費者は9000円の時よりもその商品を大切に使うようになるという効果が期待できます。また、処理費用が安い商品の開発に成功した企業は、価格面での競争力を高めることになるので、市場経済のもとで生き残りやすくなります。
発電の場合にも、外部不経済の内部化には同じようなメリットがあります。発電が生み出す有害物の除去に必要なコストを、電気の価格に上乗せすれば、それは、消費者にとってはエネルギー価格の上昇ということになります。もっともこれは、不当な値上げではなくて、受益者負担の原則に基づいて、本来支払うべきすべてのコストを請求しているのに過ぎません。エネルギー価格が上昇すれば、消費者は、以前よりもエネルギーを効率的に使おうとするようになるでしょう。
もしも、反対に、meroさんが提案するように、プラスの補助金を支給したらどうなるかということを考えてみましょう。補助金の投入により、エネルギー価格は、本来の水準よりも低く設定されることになり、結果としてエネルギーの浪費を促進することになります。このような補助金の支給は、補助金の原資である税金の浪費でもあります。
外部不経済を内部化すれば、外部不経済の最小化に成功した発電方式が、自動的に市場経済のもとで優位に立ちます。また、前回指摘したことですが、プラスの補助金の支給(外部経済の内部化)は、新規参入組にとって不利で、フェアな競争を阻害するという問題点を持っています。政府は、税金なら喜んですぐに徴収するくせに、補助金となると慎重になり、申請から認可まで非常に長い時間待たせるものです。この点で、外部不経済の内部化と外部経済の内部化は非対称的と言えるでしょう。
こんにちは。今回は国際熱核融合実験炉、通称イーターについて質問したく投稿させていただきました。1999年に脱退したアメリカが2003年に中国、韓国とともに再び参加したことはブッシュ政権の政策が原因なのでしょうか。イーターについて日本とフランスが建設候補地争いをしているという記事を見つけたのですが、先生はこのことをどうお考えですか。ご返答、よろしくお願いします。
背後には、原油価格の高騰があります。劣化ウラン弾の使用を見てもわかるように、ブッシュ政権は安全性を軽視していますから、国際熱核融合実験炉に興味を示したとしても、不思議ではありません。
そもそも地球温暖化が実際に起こっているのか、それは人間活動が原因なのかも議論がまとまってない現在、無条件に新しいエネルギー源が「環境に良いから」と、過度に優遇推進するのは考え物だということですね。
未来が不確実な状態にあっては、現存のエネルギー源それぞれに環境への悪影響のコストなどを内部化させ、フィードバックが適切に働くようにすることで、よりコストの安い(環境への影響の少ない)ものが有利になっていき、結果的に新エネルギー源への切り替えもされていくということですね。
つまり、人為的な「未来の予測」に基づくのではなく、現在の状況を監視し、その監視結果が現実の行動に反映されるようにフィードバック機構を組み込むことで、より適切な行動が選択されるようにする、という考え方ですね。
これは、最初から描いた青写真にしたがって行動を決めるのでなく、目の前の選択を積み重ねることで適切な状況を作り出せるという点で市場原理的といえます。
未来は不確定であり、しかもえてして人間の予測と全く違うものになることが多い、ということを考えると、この方式は特定の行動が暴走することを防ぎ、
中庸を行く結果が得られ、「比較的」良いといえるでしょうね。(最高ではないのかも知れませんが、神ならぬ人の身ではこれが限界?)
私も、技術革新の成果に合わせて自分の認識を改めていきたいとは思いますが、現時点でも、メタンがもっとも有力な第一次エネルギー源であると考えています。