ボランティア活動は公益になるか

2016年10月22日

ここで問題にするボランティア活動とは、他者のために、無報酬で(あるいは少なくとも非営利で)、自発的に、非専門的な労働をすることである。趣味で行う非営利の労働は、その外部経済がいかに大きくても、ボランティア活動とは言わない。このように定義されたボランティア活動が、はたして公益に貢献するのかどうかを考えてみよう。

image

1. ボランティアに依存する行政

国も地方も財政難のためなのか、近年、従来公共の機関が行ってきたサービスを一般市民のボランティアに任せようとする傾向が目に付く。奉仕活動と称して、満18歳のすべての子供を強制的に徴集し、一年間無償労働をさせ、介護労働の人手不足を解消しようとする「教育改革」は、その中でも最悪のもので、多くの批判を浴びた結果、この擬似徴兵制は、実現されないこととなった。しかし内申点を餌にして、学生に介護労働をさせる準強制的ボランティア活動は、今後も推進していくとのことである。また、97年以降、小中学校の教職免許を取得するには、盲・ろう・養護学校か社会福祉施設で7日間介護や介助をしなければならないこととなった。

こうした「強制的ボランティア活動」は形容矛盾だと言って批判する人でも、ボランティア一般を望ましいと考える人は多い。阪神大震災では、多くのボランティア活動家が神戸に集結した。昨年末に起きた新潟県中越地震の時にも、多くのボランティアが被災者支援のために活躍した。メディアがボランティア活動を好意的に報道するので、余計な出費を避けたい行政府としては、こうした世論の風潮に便乗して、どうしてもボランティア活動に依存してしまうのである。

2. ボランティア錯覚

「ボランティアはタダだから、ありがたい」という行政府の思い込みを、財政錯覚という言葉になぞらえてボランティア錯覚と名付けることにしよう。財政錯覚(fiscal illusion)とは、「公共サービスはタダだから、ありがたい」という納税者の思い込みである。例えば、公立の小学校や中学校が、学級崩壊で機能不全に陥っていても、保護者は「公教育はタダだから仕方がない」と思ってしまう。しかし実際にはタダではない。子供一人当たり年間80万円ほどの税金が使われているのである。年間80万円のお金を有効に活用していないのだから、子供とその保護者である納税者は、実際には損しているのである。しかし直接学校にお金を支払っているわけではないので、自分たちが損をしていることに気がつかないことが多い。これが財政錯覚である。

ボランティア錯覚は、方向が逆だが、財政錯覚と同じ構造を持っている。ボランティア活動家は素人だから、プロフェッショナルより効率が悪い。阪神大震災のときも、気持ちだけのボランティア活動家が多数馳せ参じたが、かえって被災者の救助の邪魔になったということがあった。しかしボランティア・サービスは無償なのだから、サービスを受ける側も行政側も文句は言えない。

では、本当に行政は、ボランティア活動に仕事の一部を任せることによって得をしているのだろうか。そうではない。ボランティア活動家が、本職の労働時間を削って、非営利活動をすると、営利活動が減少するから、政府の税収が減る。しかもボランティア活動は、有料で同じサービスを提供していた業者から仕事を奪うので、失業者を増やすことになり、政府は失業対策のために余計な支出をしなければならなくなる[s]

[s] 多分、日本最大のボランティア活動は、専業主婦がやっている育児や家事労働だろう。今でも多くの才能ある女性が、結婚や出産を機に離職しているが、これは人的資源の浪費というものだ。これまでどおり、仕事を続け、稼いだ金で育児や家事労働をアウトソーシングした方が、新たな雇用が生まれるし、託児所に預けられる子供も他の子供と一緒に遊べるから、経済的にも、教育的にも好ましい。専業主婦を甘やかす税制度や保険制度は廃止するべきだ。

財政錯覚とボランティア錯覚に共通するのは、非営利に対する幻想である。私たちは、金儲けという行為を蔑視し、反対に、非営利活動を崇高なものと考えがちである。しかし全労働に占める非営利活動の割合が増えれば増えるほど、経済全体の生産性が低下し、税収が減り、人的物的資源が浪費され、失業者が増えるのである。ボランティア活動は、非営利であるがゆえに世のため人のためになるという考えは間違っている。慣れないボランティア活動をするよりも、自分の本職に専念し、多くの税金を納めた方が公共の利益になるのである。

3. 本当に必要なボランティア活動とは

このように、素人的なボランティアをやめて、専門的分業を進めるならば、政治も政治のプロに任せたらよいのであって、素人の国民に選挙などさせるべきでないということになるのではないのかと反論する人もいるに違いない。たしかに、一般市民の参加という民主主義の理想と分業による効率性の追求にはディレンマがあるが、一般市民の参加は、あくまでも意思決定プロセスへの参加にとどめるべきだ。逆に言えば、すべての一般市民がするべき唯一の有意義なボランティア活動は、国家権力の監視なのである。

読書案内
書名 ふざけるな専業主婦―バカにバカと言って、なぜわるい!
媒体 文庫
著者 石原 里紗
出版社と出版時期 新潮社, 2001/08
追記

次期首相の安倍晋三が、国立大学に入学する学生にボランティア活動を強制する案を検討しているようだ。以前は、教育改革国民会議が、18歳以上全員にボランティアを強制させる案を出していたが、それと比べると、強制力は弱くなったけれども、不公平さはよりひどくなった改訂版といったところだ。

安倍晋三官房長官は30日、首相に就任した場合に政権公約の柱として掲げる「教育再生」の一環として、国公立大学の入学時期を現在の4月から9月に変更し、高校卒業から大学入学までの間にボランティア活動に携わることを義務付ける教育改革案の検討を始めた。若者の社会貢献を促すとともに、入学時期を欧米と同様に9月として学生が留学したり、留学生が国公立大学に入復学しやすい環境を整備する狙いがある。

安倍氏は、首相の私的諮問機関として「教育改革推進会議(仮称)」を10月にも設置。同会議メンバーの関係閣僚や有識者に具体案の取りまとめを求める考えだ。教育担当の首相補佐官も任命し、半年以内に改革案骨子や実施スケジュールを固めたい意向。

[東京新聞:2006年08月31日]